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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年8月26日月曜日

安心の中

あなたは努めなければなりません。
怠慢ではなりません。
その責任を果たすことができるように努めなければならないのです。
あなたは自らに与えられた責任を果たさなければなりません。
その責任に対して恥ずかしくないように努めなければならないのです。
どのようなことであっても、あなたは自らが携わることに対しての責任を持たなければなりません。
そして、それを果たすことができるように努めなければなりません。
責任を果たすことなく、あなたに喜びや楽しみはないでしょう。
あなたが人生に喜びや楽しみを見出したいと考えているのであれば、自らに任せられた責任を果たし、自らの中に新たな自己と状況に対して新たな変化を導きましょう。
変化のない世界に生きたとしても、喜びと楽しみは得られません。
初めは喜びと楽しみを見出すこともできるかも知れませんが、変化が滞っているのであれば、その状況や環境に対して必ず退屈を覚えてしまうのです。
人は新鮮な刺激を得ることがなければ、人生に喜びや楽しみを得ることができないのです。
あなたは退屈というものが苦しみを導くということを覚えておきましょう。
変化のない人生には希望はありません。
何を得ようとも、新鮮な刺激のない世界には苦しみが存在するのです。
あなたが苦しみを避けるためには、退屈に追い付かれてはならないのです。
人生を喜び、楽しむためには、変化を追い続けることによって退屈を遠ざけなければならないのです。
あなたが自ら変化を求めて進まない限りは、人生には喜びも楽しみもないということを覚えておかなければならないでしょう。
変化を求めて進むことは決して簡単なことではありません。
それは、人の心というものが安らぎを求めているからです。
人の心というものは安住を求めているのです。
あなたは心配事や不安などの煩(わずら)いを得ようとは思っていないはずです。
できる限りそれらの苦しみから逃れようともがいていることでしょう。
逃げることはもがくことです。
あなたは逃げるということが苦しいということを覚えておかなければならないでしょう。
苦しみから逃れることで、人は煩いから遠ざかることができます。
煩いから遠ざかることができれば、安住を得ることができるので安心します。
しかしながら、そこで得られるのは安心だけではありません。
そこで得られるのは安心という衣をまとった停滞であるということを覚えておきましょう。
安心は人の足を止めるものです。
安心して一息吐いた時には、あなたは腰を下ろして休むでしょう。
安心は人に停滞を導いてしまうのです。
人生に安心することは素晴らしいことですが、それも過ぎると停滞になってしまい、退屈という苦しみに追い付かれてしまうということを覚えておかなければならないでしょう。
変化を求めて進み続け、一時も休むなというのではありません。
立ち止まっても、休んでも、その安心を謳歌(おうか)しても良いのです。
しかしながら、いつまでも立ち止まっていてはなりません。
退屈に追い付かれないように歩みましょう。
あなたは刺激を求めているはずです。
新たな刺激を求めるためには、今の安心の中から抜け出さなければなりません。
それは決して簡単なことではありませんが、勇気を以てそれを行わなければ何も変わることはないのです。
人生には変化を求めましょう。
同じ場所に止まっていても、あなたはそこで喜びや楽しみを食尽してしまうだけです。
あなたは努めなければなりません。
あなたは人生を幸福に生きるという責任を果たさなければならないのです。
幸福に生きるために努めなければなりません。
その責任に対して怠慢ではなりません。
あなたは自らの人生をその名に対して恥ずかしくないように生きなければなりません。
あなたは喜びや楽しみに向かって突き進みましょう。
あなたは幸福を得なければなりません。
人生に変化を引き込むほど、状況は発展します。
自己を変化させるほど、成長し、洗練されます。
変化というものに不安を覚える必要はありません。
変化というものは常に良い方向性を以てあなたを導いているということを覚えておきましょう。
変化するほど良くなります。
怠慢に止まってはなりません。
安心してはなりません。
次の成長に向けて歩みましょう。

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