人の本質はその心にあります。
人は心を大切にしなければなりません。
その心が清く美しくあるように努めなければなりません。
人の人生は心によって導かれます。
その心が美しいものであるのならば、人生が美しいものであるのは当然のことなのです。
人はその心に従って判断します。
どのような状況を得ようとも、それはその人が選んだものであるのです。
あなたは自らの心によって自らの人生を選択しているということを理解しなければならないでしょう。
心が美しいものであるのならば、人が汚れた行いを選択することはありません。
汚れた行いを選択しないのであれば、汚れた場所に辿り着くこともないのです。
その心が汚れている人は、その心の汚れに従って汚く行います。
悪事を成す人が辿り着くのは汚れた場所(苦しみ)であるということを覚えておきましょう。
罪を犯していない人を人生が裁くことはできません。
裁きに会う人は悪事を行うことによって罪を得ているのです。
あなたは自らの行いを省みなければなりません。
心が汚れているのであれば、辿り着くのは苦しみであるのです。
心が汚れ、汚らわしい行いの者が幸福や豊かさを得ることはできないのです。
一時の幸福に思えるものや、豊かさだと思えるものに恵まれることはありますが、それは奪われ、それよりも大きな代償を支払わなければならなくなるのです。
その代償があなたの支払うことのできるものであれば良いですが、あなたが支払うことができないものは、あなたの関係者から取り立てるようになるということを覚えておきましょう。
あなたは心を美しく保つように努めなければなりません。
しかしながら、心を美しく保つということは、この世界の汚れを知らないということではないということを理解しなければならないでしょう。
汚れを知った上で美しさを保たなければ意味がないのです。
汚れを知らずに美しさを知ることなどできません。
死を理解することなく、生を理解することができるでしょうか?
失うことを知らずに、受け取ることを理解することができますか?
この世界に存在しているあらゆる現象を知り、その上で心を美しく保つという選択をすることこそが求められるのです。
汚れを知ることなく、美しさを語ることはできません。
自身によって経験したこともないのに、分かった気でいるような愚か者に成ってはなりません。
机上の空論を振りかざすほど惨めなことはないということを覚えておきましょう。
あなたはこの世界の汚れに触れなければなりません。
様々なことを経験しなければならないのです。
それらを経験したのならば、それらの汚れを振り払い、その心を清く美しく磨き上げなければならないのです。
多くの人は汚れに従い、汚れを行います。
汚れた心で行うのであれば、得るものも汚れているということを理解しましょう。
不正によって得られるものは甘い蜜のようなものです。
正しく得られるものは味気無い質素な食事のようなものです。
多くの人は甘い蜜を欲しがります。
その結果、大きく肥え、病気になって苦しむのです。
味気の無い質素な食事を摂る人が健康を害することが少ないように、あなたは正しい方法によって何かを得ましょう。
不正によって得られるものは労力の割に大きなものです。
しかしながら、その代償が後からやってくるということを覚えておかなければならないのです。
悪事を働いていなければ、罪を責められることはありません。
悪事を働いていれば、言い逃れはできません。
あなたは後ろめたいことがないように生きていましょう。
代償を背負わないのであれば、その人生は楽しいということを覚えておきましょう。
自らの行いは、必要な時期に必要な形によって必ず現れます。
あなたは自らのしたことを拒絶することはできないのです。
人の本質がその心であるということを覚えておきましょう。
人は心に従って行い、心によって人生を導きます。
すべてはあなたの心が行ったことです。
あなたが自分自身で決めたことです。
その責任から逃れることはできません。
この世界の代償を踏み倒すことはできません。
甘い世界ではないということを覚えておきましょう。
あなたが苦しまないためには、心を清く美しく保つ必要があるということを覚えておきましょう。
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