あなたは自らの人生を自らの力によって導きましょう。
あなたは判断しなければなりません。
自らの方針は自ら決めなければならないのです。
あなたは自らの人生の責任者であるということを覚えておかなければなりません。
あなたの人生はあなたの力によって築かれているのです。
あなたは自分自身の人生が自分自身によって築かれているということを決して忘れてはならないのです。
あなたは自ら判断しましょう。
その時に、物事が少しでも良くなる可能性があるのであれば、その道を選ばなければなりません。
物事が少しでも良くなる可能性があるのであれば、それは良くなるのです。
しかしながら、少しであっても良くなる可能性がないのであれば、物事がそれよりも良くなるということはないのです。
あなたはそれが危険であろうとも、それが苦しみであろうとも、それが恐怖の対象であろうとも、その道に少しでも物事が良くなる可能性を見るのであるならば、その道を進まなければならないでしょう。
この世界において、物事が必ず成功するという保証はありません。
物事は成功しますが、それよりも圧倒的に多くの失敗を得なければならないのです。
初めから歩けた人はいません。
初めから流暢(りゅうちょう)に話すことのできる人は存在しないのです。
誰もが赤子の時より繰り返し努めてきたから、その成果として歩くこともできますし、話すこともできるのです。
人が歩こうとするのは、それが命によって良いということを理解しているからです。
人が話そうとするのは、それが自らの人生を少しでも良くなるという可能性を知っているからです。
赤子がそれが良いという認識を持つことはありません。
しかしながら、それが良いと言うことは親が知っているのです。
親は子どもに良いと思うことをします。
少しでも良くなる可能性を与えるのです。
あなたは自分自身に対してもそのようにしなければなりません。
自らにとって少しでも良くなる可能性があるものであるのならば、それが嫌いなことであっても、恐れていることであっても、その道を進まなければなりません。
初めから良くなるという保証はどこにもないのです。
そこには良くなる可能性があるだけです。
それはとても不安定な土台ですが、それでも、良くなる可能性がある土台の上に物事を積み上げなければならないのです。
人生がどうなるかなんて、人には分からないものです。
あなたが良くなるという道を選んで進んだところで、その先で失敗に会うかもしれません。
初めから保証されている成功など存在しません。
初めから良くなることが分かっていることなどないのです。
人生とは手探りであるということを覚えておかなければならないでしょう。
やってみなければ分かりません。
やってみても分からないこともあるでしょう。
それでも人は可能性を目指して進まなければならないのです。
可能性の先には豊かさが存在しています。
その位置から少しの可能性も見えないのに可能性を掴み、更には豊かさを得ることなどできないのです。
その先に金脈を予兆させる情報があるからこそ、人は危険を犯して穴を掘るのです。
その先に金鉱が存在していないと分かっているのであれば、わざわざ危険を犯してまで穴を掘ることはないでしょう。
人生に確証はありません。
可能性が見えていても、そこに辿り着けないということは多々あるのです。
あと少し深く掘れば、あと少し横にずれていたら、金脈を掘り当てるということもあるのです。
しかしながら、可能性を求めて進む者の努力は決して無駄にはなりません。
金脈のすぐ側まで掘り進むことができているのであれば、時と状況が整った時にはその金脈に辿り着くことができるからです。
近くまで穴を掘っていない者には、時と状況が整うことがあっても、金脈に辿り着くことなどできるはずもないのです。
あなたはこの違いを重く受け止めましょう。
準備をしている者は事が起きた時には直ぐに旅立つことができます。
準備をしていない者は事が起きたとしてもどこにも旅立つことができないのです。
あなたは日頃の努めを怠ってはなりません。
少しでも可能性のある道を進むことをしない愚かな者には、その先の可能性はないのです。
あなたは自ら判断しなければなりません。
そこに少しでも良くなる可能性を感じるのであれば、その道を進みましょう。
大きなことはできません。
小さなことの積み重ねが大きくなるのです。
そのことを忘れてはなりません。
努力しても成功するかは分かりませんが、成功するためには努力しなければならないということを覚えておきましょう。
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