あなたはそれぞれに違いが存在するということを知らなければなりません。
それぞれの違いを認め、違いを理解し、違いを許さなければならないのです。
違いを楽しむことができないのであれば、あなたは苦しんでしまうでしょう。
それは、この世界から違いが失われることがないからです。
世界に違いが存在しているのは理(ことわり)です。
世界はひとつの目的を求めて互いに支え合っていますが、目的が同じというだけであってそれぞれには違いが存在するのです。
違う姿や方向性を所有するものたちによって、ひとつの目的が支えられているのがこの世界の姿であるということを覚えておきましょう。
あなたが何かの目的を所有していて、それを達成したいと考えます。
独りでは何もできないことを知っているあなたは、その目的を達成するために尽力してくれる同士を探し求めるでしょう。
あなたと同じ目的を達成したいと考える人があなたの元に集まり、あなたは仲間を得ることができるでしょう。
しかしながら、そこに集まった人たちが同じ考え方、同じ価値観、同じ方法を持っている訳ではありません。
それぞれが独自の人格と時間と環境と教育と経験を所有しているため、同じであるはずがないのです。
誰一人として、同じ人間はいません。
どのように同じに見える存在であっても、決して同じではないのです。
それぞれには必ず違いが存在しているのです。
あなたはその違いを認めなければなりません。
どのような人も、どのような存在も一緒くたに考えてはなりません。
それぞれは違うものなのです。
違うことが素晴らしいのです。
違うものを同じものに作り替えることは良いことだとは言えません。
それぞれの違いを認め、それを適した場所に組み込めば、複雑で多様な動きを生み出すことができるのです。
その複雑で多様な動きが物事に新たな可能性をもたらすということを覚えておかなければならないでしょう。
同じ部品によって一つの機械を作るとします。
同じ部品なので、その動きはとても単純なものです。
同じ部品であるが故に、その機械は単純な動き以外を得ることはないでしょう。
部品に違いが存在するのであれば、その機械は複雑な動きを得ることができます。
部品が違う形をしているが故に、その機械は複雑な動きを得ることができるのです。
違いを認めない人には可能性が狭まります。
違いを認めない社会が発展することはありません。
違いを認めない文化が向上することはないのです。
あなたはそれぞれが違いというものを所有して存在しているということを知らなければならないでしょう。
違いを認めなければなりません。
自分と違うものを排除していくのであれば、そこに変化は存在しないでしょう。
変化とは、違いから導かれるものであるからです。
同じことを繰り返している人の人生には変化がありません。
その考えや価値観や生活に変化が存在しないのであるのであれば、現状を維持するのが関の山でしょう。
違いを認め、変化を引き込むことがなければ、何が失敗であり、何が成功であるのかも分からないのです。
あなたは違いを排除してはなりません。
違いを活用しなければなりません。
違いを認めることができなければ人は互いに争います。
違いを認めて互いに有益な道を模索しなければならないのです。
他人が共に住む時に、相手の価値観を認めることができないのであれば、その生活は苦しいでしょう。
互いに不満を持ち、罵(ののし)り合い、嫌い合うのです。
それは正しい方法ではないでしょう。
大切なのはそこに豊かさを導くということだからです。
何かが終結することや、分裂することが悪いということではありません。
物事が終結し、分裂するのであれば、互いに利益を得るような状態でなければならないのです。
あなたは互いが利益を得る方法を探しましょう。
互いが利益を得るためには、そこに存在している違いを理解しなければなりません。
この世界に同じものは存在しません。
そこには必ず違いが存在しているのです。
家族であっても、仲間であっても、そこには違いが存在しているということを忘れてはなりません。
目的が共通していれば、それ以外のことが違っていても構わないのです。
違う目的に対して、それ以外のことが同じようなものであってはなりません。
大切なのは目的が共通しているということであるということを理解しましょう。
違いが可能性を広げます。
その人が自分とは違うからといって、拒絶してはなりません。
そこに存在している違いは、あなたに変化を導いてくれるでしょう。
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