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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2014年8月31日日曜日

真理

この世界には真理が働いています。
この世界において、真理の働かない場所はありません。
どこであろうとも、真理は働き続けているのです。
どのような方法を用いようとも、真理を遠ざけることはできません。
どのような人物であろうとも、真理と共にあるということを覚えておきましょう。
真理は、誰に対しても平等に働きます。
真理がえこひいきをするということはありません。
真理にとっては、その人がどのような立場にある人物であるかなどということはどうでも良いのです。
真理にとって重要なことは、その人が真理に対して正しいか、正しくないかということだけなのです。
真理は、すべての人を同じに裁くのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
誰かが上手くいっているのは、その人が真理に対して正しい行いをしているからです。
あなたが上手くいっていないのは、あなたが真理に対して間違った行いをしているからなのです。
その反対もあります。
しかし、真理に正しい人が苦しむことはありません。
真理に反しているのに喜ぶ人もいないのです。
人は真理によって正しく選別されます。
真理が間違えることはありません。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
真理は、その人の働きに応じた報いを与えます。
その人が良い働きをするのであれば、その働きに応じた豊かさが与えられます。
その人が悪い働きをするのであれば、その働きに応じた乏しさが与えられるのです。
真理は正しく評価します。
真理が間違えるということは有り得ません。
あなたはそのことを知っておきましょう。
真理が多く与えることはありません。
また、少なく与えることもありません。
真理は不正を働かず、常に正しくあるということを覚えておきましょう。
人は真理を無視することはできません。
それは、真理によってのみ、自らが受け取るものが決まるからです。
あなたの受け取るすべてのものが、真理を経由し、真理によって与えられます。
真理の審査を通らないものは存在しません。
そのため、あなたは真理を無視することはできないのです。
あなたが受け取るものは、それが何であろうとも、あなたの働きによって導かれる当然の報いです。
あなたの働きに相応しいものが与えられるのです。
あなたはそれを拒否することはできません。
自らの働きによって生じる報いは受けなければならないのです。
あなたには拒否権はないのです。
これは、どのような人にも共通することなのです。
なぜなら、真理は誰に対しても平等だからです。
あなたは真理に逆らうことも許されています。
あなたは自分の思うように選択すれば良いのです。
どのように働こうともあなたの自由です。
しかし、あなたの働きに応じてのみ、報いが与えられるのです。
あなたは真理が導くものを見て、それが真理に対してどのようなものであったのかを確認しましょう。
真理に正しければ、それは豊かさとして導かれます。
真理に反しているのであれば、それは乏しさとして導かれるのです。
真理は正しく裁きます。
あなたは受け取る結果を以て、次の判断を下さなければならないのです。
この世界には真理が働いています。
真理は絶対です。
あなたはこれに逆らうことはできません。
世界中のどこを探しても、天界にさえ、これに逆らうことのできる者はいないということを覚えておきましょう。

2014年8月30日土曜日

偽りと真

あなたは似て非なるものに注意をしなければなりません。
その姿形が似ていようとも、その中身が同じであるとは限らないのです。
似てはいても、異なるものがあるということを覚えておきましょう。
姿形が似ているからといって油断しているのであれば、その似て非なるものによって大切なものを奪われてしまうのです。
姿形によってそれを信じてはなりません。
姿形によってそれに従ってはなりません。
外見を装うことなど、造作も無いことであるのです。
悪人でも、善人を騙そうとして笑顔を作るのです。
偽りを用いることなど簡単なのです。
善人であるあなたには、このことが理解できないかも知れません。
しかし、この世界には偽りが存在し、偽りは真を脅かすのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
真は偽りによって、その純粋さを狙われているのです。
善人であるあなたは、偽りに打ち勝たなければならないのです。
偽るものを見極めなければなりません。
どのようなものも、その本質までは偽ることができません。
悪人が善人を騙そうとして笑顔を作っても、騙そうとする本心を変えることはないのです。
姿形を偽ることはできても、その本質を偽ることはできません。
どのように巧妙に偽っても、完全に本質を隠すことはできません。
どのような滅金(めっき)も、叩けば剥がれます。
溶かせば落ちます。
様々な方法によって、その偽りは暴かれるのです。
あなたは誰が、何が真であり、誰が、何が偽りであるのかを見極めなければなりません。
本質を見極めることなく信用してはなりません。
その本性が明るみに出るまでは、疑いを離れてはならないのです。
あなたはその者の言葉ではなく、行いを見ましょう。
表情や言葉を偽ることはできますが、行いを偽ることはできません。
すべての人の行いは、その人の真である本質を映し出しているのです。
この世では共食いが許されています。
同じような姿形だと油断していると、その命を奪われてしまうのです。
微生物も植物も昆虫も魚も動物も、同類を食するのです。
同類だからといって油断してはならないのです。
人間であってもそれと同じことを行います。
悪意によって支配されているこの世の中にあっては、人間は人間の命を狙っているのです。
あなたは似て非なるものに注意をしなければなりません。
偽りは、巧妙に真を擬態(ぎたい)します。
あなたを騙し、討ち滅ぼそうとしているのです。
このことは、あなたを不安にさせるために言っているのではありません。
存在するすべては必要なものですが、危険が存在するということを知っておかなければならないのです。
何が危険であるのかを知ることがなければ、すべてが必要であるということを理解することができないのです。
危険であっても必要であると理解するのであれば、あなたは偽りを認めた上で真であることができるでしょう。
危険は避ければ良いのです。
危険であると知りながら、その道を通る必要はありません。
ただし、偽りものを裁く必要はありません。
偽りものを害することなく、あなたは真に至りましょう。
偽りに騙されてはなりません。
偽りに躓(つまず)くことがなければ幸いです。
偽りを損なうことがなければ幸いなのです。
偽りものでさえ、この世の必要に数えられています。
あなたはそれが偽りであると見極め、それに捕えられなければ良いのです。
争いは必要ありません。
その人を初めから悪人であると知っていたなら、あなたがその人を責めることもないのです。
大切なのは本質を見極めることです。
姿形に騙されてはなりません。
本質は行いにあります。

2014年8月29日金曜日

より良いもの

あなたは満足することを覚えなければなりません。
満足することが大切であるということを知らなければならないのです。
満足を得ることがなければ、その欲求は歪んでしまいます。
満足とは、向上のための一つの区切りであるということを覚えておきましょう。
満足を得ることがなければ、人は納得することができません。
人生においては、後にはより良いものを手にすることが決まっていますが、満足することがなければ、今所有しているものを手放して、より良いものを手にするということが叶わないのです。
何かを手にするためには、何かを手放さなければなりません。
何もかもをも手にすることができるなどと考えてはなりません。
その強欲こそが、人の欲求を醜く歪める元凶であるということを知らなければならないのです。
そして、歪んだ欲求こそが、人の苦しみの原因となるのです。
欲求が歪んでいなければ、あなたは常に納得し、満足することができるでしょう。
歪んだ欲求は、どこまでいっても納得することもなければ、満足することもないのです。
強欲によって、自らを苦しめてはなりません。
あなたの苦しみの原因は、すべてが自分自身の歪んだ欲求であるということを理解しましょう。
どのようなものを得たとしても、あなたは満足を探さなければなりません。
満足することがなければ、それを手放すことができないからです。
喜びや感謝によって、初めてそれがあなたの元を離れます。
あなたが得るものは何であれ、それは学びであるのです。
学びは物質ではなく、目に見える形のあるものでもありません。
しかし、それはあなたが手にするすべてのものの本質であるということを理解しなければならないのです。
学びによって、すべてが引き寄せられ、すべてを手にするのです。
満足して喜び、納得して感謝することができれば、それはあなたの元を離れます。
それは、身体が食物の中から必要な栄養素を取り除き、不要なものを排出するようなものです。
胃腸が納得することがなければ、あなたは再び食物を口にしなければならないのです。
必要な栄養を得るまで、食事は続くのです。
あなたは魂の成長を実現するために人生を生きています。
あなたの学びとは、魂の成長です。
魂の成長のために学びが存在しているのです。
あなたが得るものは、そのすべてが魂の成長に関連するものです。
あなたが現在所有しているもののすべてが、あなたの魂の成長を促しているのです。
それに満足することができないというのであれば、必要な成長を実現することができないということなのです。
あなたは魂が成長するまで、同じ学びを得なければなりません。
あなたが満足するまで、その学びを手放すことはできないのです。
あなたは満足することを覚えなければなりません。
気に入らないものであっても、それを注意深く観察するのであれば、気に入る部分が見えてくるものなのです。
それを探さない限りは、それよりも良いものを手にしても無駄なのです。
人生においての「良いもの」とは、その価値が高まるほどに理解することが難しくなります。
世間において価値のあるものというのが、本当に良いものとは限らないのです。
本当に良いものとは、愚かな多くの人には隠されています。
そのため、良いものになるほどに、それを見極める力が必要という訳なのです。
現在所有しているものの価値を知らず、満足することができない者には、それより後に手にするより良いものの価値など、到底理解できるはずがないのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
手にしているそれに満足することができれば、それ以上に良いものを見極めることができるようになるでしょう。
現在所有しているものの価値が分からないのに、それよりも良いものの価値など分かるはずがないのです。
成長するほどに難しくなります。
これはどのような道においても同じことです。
あなたは豊かさや幸福に近付くほどに、人生というものが難しくなることを実感するでしょう。
それは、この世界が力のある者には難しくできているからです。
難しいほどに価値があるのです。
簡単なことしかできない子どもよりも、難しいことのできる大人の方が人生が楽しいということをあなたは知っているはずです。
あなたが経験によってできるようになったことを奪われたら、大きな苦悩を得ることになるのです。
満足することのできる者だけが、より良いものを手にすることができます。
強欲によって欲求を歪めてはなりません。
満足すれば、現在所有しているものを手放すことができ、より良いものを手にすることができるということを信じましょう。
満足して手放しましょう。
未練がましく生きてはなりません。

2014年8月28日木曜日

楽を考える人

甘えは人の可能性を奪います。
あなたは、できる限り甘えない方が良いでしょう。
甘えとは、依存であり、可能性の放棄です。
甘えることによって、人は自ら考えること、自ら行うこと、自ら学ぶことを忘れるのです。
実践することがなければ成長はありません。
人は実践の中から、可能性を導き出し、成長を実現することができるのです。
甘えなければ、人は自ら考えるようになります。
その結果、知恵を絞ることによって知恵は増すのです。
使うものは発展します。
歩くほどに足腰が丈夫になるのと同じです。
使わなければ退化するのです。
人が知恵を増すためには、知恵を使わなければならないのです。
自ら考えることがなければ、知恵を使うことはありません。
甘えて誰かや何かに依存している人は、考えを委(ゆだ)ねてしまいます。
考えを委ねる人の知恵が増すことなど有り得ないのです。
考えを求められた側の人の知恵が増すということを理解しましょう。
人は実践によって、成長することができるのです。
問題を解決するためには力が必要です。
力がなければ問題を解決することはできません。
あなたは力を求めなければなりません。
あなたが自分の力で解決することのできない問題は、それを誰かに頼んだところでその問題が解決するということはありません。
誰かを頼ることによって、状況は展開するように見えますが、問題自体が消滅した訳ではないのです。
時間の経過と共に、再び同じような問題が生じるのです。
植物を絶つには、根を断たなければなりません。
幹を倒したとしても、その根を残しているのであれば、植物は同じように枝葉を伸ばして再生するのです。
人生の問題もこれと同じです。
根という本質を断たなければ、問題が絶たれることはないのです。
根とは、自分自身の抱える学びです。
人は誰もが自らの魂を成長させるために人生を生きています。
誰もが魂の抱える問題を解決し、魂を成長させなければならないのです。
他人があなたの魂の抱える問題を解決することはできません。
誰もが、自分自身の魂にしか触れることができないのです。
あなたの問題は、あなたが自ら解決しない限りは無くならないのです。
あなたはそのことを覚えておかなければならないのです。
誰かや何かを頼ったとしても、其の場凌(そのばしの)ぎの延命を得るだけです。
やがてはその問題と向き合わなければならないのです。
あなたはこれが自分自身の人生であるということを忘れてはなりません。
あなたは自らの魂の成長のために生きているのです。
他人も自分自身の魂の成長のために生きています。
あなたは甘えを克服しなければなりません。
誰かや何かに依存していてはなりません。
どのようなことも自ら考え、自ら行い、自ら学ばなければなりません。
そうでなければ、誰も人生の目的を果たすことができないのです。
あなたは人生の目的を果たさなければなりません。
空しく生きてはなりません。
甘えを克服することによって知恵を絞りましょう。
知恵によって、人生は楽な場所になります。
知恵の無い者には、この人生は苦しいということを覚えておきましょう。
すべての問題は自分自身の力によって解決することができます。
ただし、それは誰かに力を借りてはいけないということを言っているのではありません。
他人はあなたの補助にしかならないということを覚えておかなければならないのです。
そのことを知って、他人に協力を依頼するのです。
甘えは人の可能性を奪います。
あなたは自らを律し、甘える心に打ち勝たなければなりません。
できる限り、自分自身に対して厳しく生きましょう。
他人の助けが及ばない状況、自分自身でやらなければならない状況を得るなら、人は是が非でも知恵を引き出すでしょう。
楽を考える人は、甘えているということを覚えておきましょう。

2014年8月27日水曜日

ある者

あなたは正しさのために生きなければなりません。
あなたは正しく選ばなければならないのです。
あなたは正しく生き、正しく死ななければならないのです。
正しさのために生きるのは名誉です。
正しさが損なわれるのであれば、名誉も損なわれてしまうでしょう。
正しさとは、真理です。
この世で正しいものは真理以外にはありません。
真理とは「神」の作った摂理です。
これ以外に正しいことなど存在しないのです。
ある者は、あなたから正しい道を隠してしまいます。
あなたが道を見失うように、茨(いばら)によって道を隠すのです。
ある者は、あなたから正しい方法を奪います。
あなたが行うことができないように、光を奪ってしまうのです。
ある者は、あなたが正しく行うことを奪います。
あなたに教える人に偽りを教え、その人からあなたに間違った方法を伝えるのです。
ある者は正しさに敵対しています。
ある者は、あなたを正しさから遠ざけるのです。
あなたは、ある者の話を聞いてはなりません。
ある者はあなたから光を奪おうとしているのです。
光がなければ道を進むことはできません。
暗闇の中を進んだとしても、道を踏み外して、崖下に転落してしまうのです。
光によって道が照らされなければ、あなたが正しく導かれることはないのです。
あなたは光を失ってはなりません。
正しくある者には、光があります。
正しくある者が道に迷うことはないのです。
正しくある者は、正しい場所に辿り着くことができるのです。
あなたは正しくなければなりません。
どのような状況を得ても、正しく生きようと努めなければなりません。
正しくあることこそ、最大の価値であるということを知りましょう。
正しさを損なってはなりません。
どのようなことも真理によって導かれる正しい状況です。
どのような状況も、あなたの大切な学びであるのです。
すべての状況があなたに間違えを伝え、改善を促しているだけなのです。
状況に対して正しくあれば、人が光を失うことはありません。
どのような苦しみを得たとしても、正しくあることを見失ってはなりません。
すべてが大切なことなのです。
受け入れ難いことはたくさんあります。
しかしながら、それを受け入れなければなりません。
それを拒絶するのであれば、正しさは導かれないのです。
真理によってすべての必要が満たされます。
あなたの受け取る状況は、そのすべてがあなたに必要であると判断されたものであるのです。
何一つとして無駄なものはありません。
何一つとして間違っているものはないのです。
あなたはそのことを知って、自らを正しく保つことを忘れてはならないのです。
あなたはある者から、正しさという最大の価値を守りましょう。
ある者は、あなたの正しさを奪おうとやってきます。
その者に敵対する必要はありませんが、価値が損なわれないように守らなければならないのです。
あなたが従うべきは真理です。
そして、それを作った「神」に従いましょう。
どのような主義の持ち主に対しても正しいのが真理であり、それを作った「神」であるのです。
すべての人、すべての命に対して真理は平等に働きます。
どのような者も逆らうことはできません。
どのような者も言い逃れることはできません。
あなたが何を信じていようとも、真理によって選別されるということを覚えておきましょう。
真理に対して正しくなければ、何を信じていようとも幸福は無駄であるということを知りましょう。
正しさのために生きなければなりません。
ある者の話を信じてはなりません。
正しさを大切にしましょう。

2014年8月26日火曜日

主人と雇い人

主人は、自らの所有するものを雇い人に対して与えます。
主人は、自らの所有するもの以外を雇い人に与えることはできません。
主人は、自らの所有するもの以外のものを持つことができないのです。
あなたは誰に仕えるのかを考えなければなりません。
あなたが欲するものを所有している主人でなければ、あなたにそれを与えることはできないからです。
あなたは、それが誰で、どのような立場にある人であるのか?ということよりも、その人が何を所有しているのか?を見極めなければなりません。
主人は、その主人を見習って行います。
子が親の真似をするように、主人も自らの主人と同じように行うのです。
主人は、自らの所有するもの以外を与えることはできません。
その主人があなたに何を与えているのかを見ましょう。
あなたの受け取る褒美が、あなたの求めているものでないのであれば、その主人に仕えたとしても欲するものは得られないということを覚えておかなければならないのです。
善人が与えるのは善です。
悪人が与えるのは悪です。
善人が悪を与えることはありません。
悪人が善を与えることもないのです。
善人が悪人となり、悪を与えることはできます。
悪人が善人となり、善を与えることはできます。
この違いを理解しなければなりません。
人は、一度死に、生まれ変わらない限りは、違うものを与えることはできないのです。
その人が善人であるなら、善の褒美を得ることができます。
その人が悪人であるなら、悪の褒美を得ることができるのです。
その人を善人であると信じていても、悪人であるなら悪を与えます。
その人を悪人であると信じていても、善人であるなら善を与えるのです。
あなたはその人の与えるものを見て、その人がどのような人物なのかを理解しなければならないのです。
余計な期待を抱かないことです。
人は所有しないものを与えることができないのです。
人は誰もが主人に仕えています。
人は自らの信仰を実現するのです。
あなたは自分自身が誰に仕えているのかを知りましょう。
そして、その主人が誰に仕えているのかも知らなければなりません。
雇い人が会社を運営することはできません。
会社を運営するのは、主人の務めであるのです。
雇い人が会社を変えることはできません。
会社に相応しくない雇い人は、主人が切り捨ててしまうからです。
そのために、あなたはどのような主人に仕えているのかを知らなければならないのです。
そして、そこで得られるものが自分の求めているものであるのか?ということを考えなければならないのです。
あなたには主人を変える力はありません。
それは、主人の方がより大きな権力を与えられているためです。
我を通してはなりません。
この世の苦しみは我によって導かれるのです。
大海にあっても、船舶が衝突します。
それは、互いが我を張ったためです。
互いが進路を明け渡せば、快適な航海が実現したのです。
しかし、人は我によって道を譲ることがありません。
そのために苦しむのです。
あなたは大海にあって船舶が衝突することのないように、進路を明け渡しましょう。
我を張って争ってはなりません。
主人の与える褒美が求めるものと違うのであれば、主人の元を離れましょう。
あなたが求めるものを所有し、与えることのできる主人がいるのです。
それを探そうともせずに、争っていてはならないのです。
主人に罪はありません。
主人は所有しているものを与えているだけです。
それを選んだのはあなた自身なのです。
そこで争うのもあなた自身なのです。
主人は、自らが所有しないものをあなたに与えることができないということを理解しましょう。
雇い人であるあなたは、どの主人に仕えるのが最善であるのかを考えましょう。

2014年8月25日月曜日

偽りもの

多くの人には隠されています。
多くの人には分からないようにされています。
多くの人には辿り着けないように仕掛けられています。
多くの人には知られないように操作されています。
多くの人には得られないように画策されているのです。
大切なものは隠されています。
愚かな者には理解することができないように細工されています。
多くの人はそこに輝いていても見ることができません。
多くの人はそこに響いていても聞くことができません。
多くの人はそこに転がっていても触れることができません。
多くの人はそこに待っていても得ることができないのです。
あなたは大切なことが隠されているということを知っておきましょう。
隠されているものを見付け出さなければなりません。
そうでなければ手にすることができません。
それは以前に持っていたものであり、以前に失ってしまったものであるのです。
あなたはそれを知っていますが、それを知らないのです。
あなたはそれを取り返さなければなりません。
隠されているものを見付け出し、失ったものを取り返す必要があるということを覚えておきましょう。
あなたは得ているものをすべてだと思ってはなりません。
それがすべてであると思い込ませるのが目的なのです。
価値は見えない場所に隠されているのです。
果実の皮を剥(む)いてその実を得るように、当たり前に得ている常識を取り去り、その奥に潜む真理を手にしなければならないのです。
真理は巧みに隠されているため、それを見ることがなくても、代用によって人は満足することができます。
しかし、それは偽りの満足であり、人の心はそれに耐えることができません。
大して有り難くないものを有り難いと思い込み、偽りの幸福に興じているのです。
あなたは偽りの幸福によって自らを騙し続けることはできません。
子どもが満足するものであっても、大人には不足しているのです。
人々が常識の中に見出す価値というものは、子どもが欲する玩具に似ています。
幼い者にはそれは大きな喜びとなりますが、成熟した者には何の価値も見出せず、それを苦痛にさえ感じてしまうのです。
多くの人が偽りの幸福を本物の幸福であると思い込んでいます。
そして、思い込まされています。
それは、それ以外には知らないからです。
心ある者は聞きなさい。
この世においては、真理以外の幸福はありません。
美しい心と魂によって、愛と思いやりを実践すること以上の幸福は存在しないのです。
愛と思いやりが存在することなく得られる幸福というものは、そのすべてが偽物であるということを覚えておかなければならないのです。
人は魂の成長のために人生を生きているのです。
魂が成長するためには、愛と思いやりの実践が欠かせないのです。
人生の目的を果たすことが幸福であるのです。
人は魂の成長によって、真の幸福を得ることができるのです。
あなたは愛と思いやりの実践を忘れてはなりません。
どのような状況や相手に対しても、愛と思いやりを実践するのです。
問題や苦しみによって、愛と思いやりの実践の大切さが隠されます。
問題や苦しみの前に、あなたは大切なものを手放してしまうのです。
この世では、大切なものが隠されるということを覚えておきましょう。
それが当たり前であるのです。
隠されても見失わないように努めましょう。
失っても取り返すことができるようにしておきましょう。
あなたは自分が誰で、何のために生きているのかを知っていますか?
人生は何のために存在しているのでしょう?
このような疑問に向き合うこともなく、常識によって喜んだり、苦しんだりしてはなりません。
真の道は簡単には見付かりません。
ほとんどが偽りの道であるということを知って、自らを律しましょう。
厳しく見なければ見付かりません。
厳しく聞かなければ聞けません。
厳しく生きなければ得られません。
皆と同じように常識的に生きてはなりません。
ルールは大切ですが、それをすべてだと思い込んで、偽りものに陶酔することのないように注意しましょう。

2014年8月24日日曜日

信仰心

あなたの信仰はどこにあるのですか?
人生には苦しみが無いと言ったではありませんか?
人生には学びがあるのみなのです。
すべてがあなたにとっての成長のヒントであり、あなたの幸福と豊かさを導く糧(かて)となる大切なものであるのです。
すべてが良いことであると理解しなければならないのです。
すべてのことが真理によって導かれます。
どのようなことも、誰かが自分勝手に行っているのではありません。
どのようなことであっても、自分勝手に行うことは許されていないのです。
「天」によって、すべてが計画的に、完全に押し進められているのです。
この世に無駄は存在しません。
苦しいと感じることはありますが、苦しみは存在しません。
それがどのようなものであったとしても、その本質は見えない所に存在しているのです。
目に映るもの、認識の及ぶ範囲で考えてはなりません。
あなたには分からなくても、それは最善であるのです。
すべてのことは後に分かります。
ただし、愚かであり、未熟なあなたには、今は隠されているのです。
あなたが余程注意深く観察しない限りは、それが自分自身にとって最善であるということを理解することはできないのです。
注意深く観察したとしても、それが自分自身にとって最善であるということを理解することは難しいでしょう。
そのため、あなたは信仰を失います。
問題を前にして、不満や不安によって苦しみを導きます。
苦しみを導くことによって、問題は更なる問題へと発展し、人はその本質から遠ざかり離れるのです。
あなたは信仰を失ってはなりません。
人生におけるすべての事象が、あなたの成長と豊かさと幸福を導こうと努めています。
あなたにはそれを信じる必要があるということを「わたし」は伝えておきます。
あなたはこの事実を忘れてはなりません。
信仰を失う者は苦しまなければなりません。
信仰を失った者を、誰であろうとも救うことはできないのです。
信仰を失い、不満や不安を用いて苦しむ者は、真理によって更なる苦しみを受けることになるからです。
真理は、原因によって結果を導くのみなのです。
原因が存在しなければ、結果を導くことはできません。
どのような人物であったとしても、結果を操作することはできないのです。
人は真理に従い、原因によって結果を受け取ります。
苦しみという原因があるのに、喜びという正反対の結果を得ることはできないのです。
どのようなことに対しても喜びという原因を持っているのであれば、喜びという結果が導かれるのです。
結果はあなたが自分自身の力によって導かなければなりません。
あなたの代わりに、誰かが結果を導くことなどできないのです。
あなたが自分自身によって信仰しなければなりません。
人生にどのようなことが起ころうとも、それを信じるのです。
問題に対して慌てふためいていてはなりません。
苦しいからといって、苦しんではなりません。
あなたの選択が次の原因となり、次の結果を導くのです。
あなたは自らの目の前に展開される状況を信じることができますか?
問題が生じ、敵が現れ、不幸が襲います。
それを信じることができますか?
あなたがそれを信じることができるというのであれば、「わたし」はあなたに自身の成長と、人生の豊かさと幸福を約束しましょう。
どのような状況も、それが成長と豊かさと幸福を導くものであると信じることによって、あなたは満たされるのです。
あなたの信仰が試されています。
どのような状況に対しても、信じてその本質を探しましょう。
それは目には映らないかも知れません。
どうしても、それを喜びとして受け入れられないかも知れません。
しかし、それはこの世に存在しているのです。
すべてが「神」の許しによって存在しているということを理解しましょう。
どのようなものであっても、「神」の許しがなければこの世に存在することができないのです。
そのことを信じるなら、あなたの心は平穏によって守られるでしょう。
あなたは信仰を捨ててはなりません。

2014年8月23日土曜日

愛のある心

あなたは悔い改めなければなりません。
あなたは今までの様に生きてはなりません。
あなたは常に、より真理に近付くように生きなければならないのです。
人は魂の成長のために人生を歩んでいます。
魂が成長するためには真理に従って生きる以外に方法はありません。
真理とは、この世に用いられる「神」の作った理(ことわり)です。
人は真理の中で学び、魂の成長を目指しているのです。
真理は喜びをもたらすものです。
真理に従って生きる者は、誰でも喜びによって満たされます。
「神」を信じていようとも、信じていなくても、真理に従っているのであれば、人は幸福を得ることができるのです。
何を信じているのか?ではなく、何を行うのか?ということが大切であるということを覚えておかなければなりません。
人は未熟な存在です。
すべての人が現状よりも成長するために人生を生きているのです。
すべての人が、魂の成長を実現する必要があるのです。
あなたは魂が成長するように努めなければならないのです。
魂が未熟な者は、その考え方や生き方も未熟です。
多くの人は肉の欲によって生きています。
肉は肥えるのに、魂は痩せていきます。
そして、多くの人が苦しみに会うのです。
人が苦悩しているのは、真理に従っていないからです。
理由はこれだけです。
その他に特別な理由など存在しないということを覚えておきましょう。
何を信じていようとも、真理を実践しているのであれば、誰でも幸福に生きることになります。
何を信じていようとも、真理を無視しているのであれば、誰でも不幸に生きることになるのです。
「神」を信じているからといって、真理を行っていないのであれば、その人が幸福を得ることはありません。
真理を行わない者は、「神」という名の偶像を礼拝(らいはい)しているのです。
「神」を信仰しているのであれば、「神」が作った真理に従うはずであるからです。
それを行わないのは、違うものを信仰しているからに他ならないのです。
人は信じるものに従って行います。
真理に従い、愛を実践している者は「神」の業を行います。
真理に背き、憎しみを実践している者は、それ以外の存在の業を行うのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、真理に従わなければなりません。
真理を礼拝し、実践しなければならないのです。
あなたの行いが、あなたの信じている対象を現します。
あなたが愛を実践しているのであれば、あなたの信じるのは「神」です。
あなたが愛を実践しているために、幸福を得ることになるでしょう。
あなたが憎しみを実践しているのであれば、あなたの信じるのは「神」以外の存在です。
あなたが憎しみを実践しているために、不幸を得ることになるのです。
その行いに愛がなければ、真理からは遠ざかります。
真理には常に愛が存在しているからです。
あなたは悔い改めなければなりません。
嫌なことや嫌な相手に対して憎しみを用いてはなりません。
愛はそのようには行わないからです。
愛は嫌なことや嫌な相手にも優しいのです。
そのことを知っておきましょう。
真理に従う人は恨みません。
真理に従う人は愛を以て優しいのです。
人は自らの行いによって選別されます。
あなたが憎しみによって行うのであれば、その通りの苦しい人生を歩むことになるのです。
あなたが最も大切にしなければならないのは、愛のある心であるということを覚えておきましょう。
愛から離れてはなりません。
愛と寄り添うのであれば、真理はあなたに付き従うでしょう。
真理という膨大なルールを細かく覚えておく必要はありません。
愛を実践しましょう。
それだけで良いのです。
愛がなければ、悔い改めなければなりません。

2014年8月22日金曜日

先にあるもの

その先に何があるのか?あなたはそれを考えなければなりません。
何があるのかを知らずに行う歩みには恐れがあります。
恐れは歩みの障害となります。
恐れがあれば、人は満足に道を行くことができないのです。
その先に何があるのかを知っているのであれば、その歩みは軽やかなものになります。
それは、先に何があるのかを知っていることによって安心しているからです。
安心しているのであれば、人の歩みは捗(はかど)るのです。
人は安心して生きていかなければなりません。
あなたはどのような状況に対しても安心を忘れてはならないのです。
安心して生きていくために、あなたはその先を見なければなりません。
暗闇を歩むのは、誰にとっても恐ろしいものです。
暗闇の中に一歩を踏み出すのは、誰にとっても難しいのです。
先を見るためには、光によって暗闇を取り除かなければならないのです。
あなたの歩んでいる道の先には何があるでしょうか?
あなたはその道の先に何を見ていますか?
あなたがどのような道を進んでも何の問題もありません。
しかし、その先に何があるのか?ということを見ておらず、ただ闇雲に歩んでいるのであれば、それは問題となり、苦しみとなるのです。
先を見るとは、何のために歩んでいるのか?という理由を知るということなのです。
あなたは何のためにその道を進んでいるのですか?
あなたは何のために生きているのですか?
そのことを知ることがなければ、どのような道も空しいということを覚えておきましょう。
人の本質は魂です。
その魂が満たされる理由を得なければなりません。
どのような理由を得たとしても、魂が満たされないのであれば、それによって幸福を得ることはできないのです。
食物を得ても、それが胃腸に至らなければ空腹が満たされるということはありません。
それと同じように、どのような理由で生きても、それが魂に響くことがなければ満たされないのです。
その道の先には何がありますか?
その仕事の先には何がありますか?
その生き方の先には何がありますか?
その人間関係の先には何がありますか?
その環境の先には何がありますか?
その人生の先には何があるのでしょう?
先にあるものを見定めていなければ、あなたは正しい道順を選ぶことはできないでしょう。
正しい道順を進むことがなければ、正しい場所に辿り着くことはできません。
正しい場所に辿り着くことができなければ、あなたが満たされることはないのです。
空しく生きてはなりません。
欲望に溺れて、刹那(せつな)の快楽に生きてはならないのです。
大切なのはその先に何があるのか?ということであるのです。
先の無い道は空しいのです。
それは、可能性の喪失(そうしつ)を意味付けているからです。
先を見て選ばなければ、それ以上進むことはできないでしょう。
あなたは深く考えなければなりません。
思いやりや愛情、夢や希望によって、道を照らし続けなければなりません。
あなたの光によって照らし出される範囲が広いほど、あなたは道に安心することができるでしょう。
先が見えたならば、穏やかに生きていくことができるのです。
心穏やかに生きることは大切です。
それは、心が乱れているのであれば、幸福が得られるはずがないからです。
その先に何があるのかを知っているのであれば、あなたが恐れることはありません。
その場所からでは見えないこともあるでしょうが、先を考えて選択しなければなりません。
先を追求していけば、その道の極みに辿り着くことができるでしょう。
何も考えずに生きてはなりません。
人生は無意味なものではないのです。
それには大切な意味があり、大切な場所があるのです。
その先が良いものとなるように努めましょう。
その先に何があるのか?を考えましょう。

2014年8月21日木曜日

無力な人

あなたは自分が無力であるということを知らなければなりません。
あなたがどのように頑固に意地を通しても、それによって何かが変わることはないと理解しなければならないのです。
自我によってこの世を渡ろうと欲する人は、荒波に飲まれて沈没する小舟と同じであるということを知らなければなりません。
無力であるのに、嵐の中を行くのであれば、簡単に沈むということを覚えておかなければなりません。
起こったことをそれ以上どうすることもできません。
起こったことはそれが最善であり、それ以外には有り得ないのです。
すべては原因によって導かれる当然の結果です。
結果は結論であり、それをどうすることもできません。
結果を書き換えることなどできないのです。
しかし、多くの人はこのことを知りません。
結果が書き換えられるものだと考え、東奔西走(とうほんせいそう)しているのです。
残念ながら、起きたことは変わりません。
人はそれを受け入れる以外に方法はないのです。
どのように大きな船を造ったとしても、大海に対しては無力です。
どのような船であっても、意地を通して進むのであれば大海に飲まれるのです。
小舟であっても、大海に対して従順であるなら上手く渡り、沈むことはないのです。
あなたがどのように意地を通したとしても、適わない相手がいるということを覚えておきましょう。
嵐の中に漕ぎ出してはなりません。
雨風によって、船は翻弄(ほんろう)されてしまいます。
岩場や浅瀬を回避して進まなければなりません。
船底が暗礁を掴めば、座礁してしまうからです。
流れに逆らって進んではなりません。
船尾から波を受ければ、船は簡単に傾くのです。
逆らうことをやめ、状況や環境を味方に付けるのです。
気象に逆らっては、航海を達成することはできないのです。
気象に逆らうことがなければ、例え航海の途中で嵐に見舞われたとしても、それを乗り越えて進むことができるのです。
あなたは無力なのです。
あなたはそのことを忘れてはならないのです。
自我によって意地を通してはなりません。
あなたが我が儘(まま)に振る舞うのであれば、あなたを非難する人が現れるでしょう。
敵によって、あなたは自由を失うのです。
頬(ほほ)を撫でる微風(そよかぜ)さえ、あなたは食い止めることができません。
優しく降り注ぐ雨粒一つでさえ、あなたは食い止めることができません。
あなたにはどうすることもできないことが多いのです。
自分が偉いなどと考えてはなりません。
あなたは無力であるのです。
間違えてはなりません。
あなたにはどうすることもできないことが、この世には多く存在しているのです。
起こったことをどうすることもできません。
それを変更することもできません。
そこから逃げ出すことはできますが、それは時間を置いてまたやってくるのです。
嵐が去ったとしても、次の嵐がまたやってきます。
嵐の季節をやり過ごしたとしても、来年にはまたやってくるのです。
対策を考え、それを実行することによって、嵐を味方に付けなければなりません。
人生には様々な問題が生じ、多くの苦悩があります。
多くの人はそれを不幸だと考え、それによって苦しみます。
「わたし」はあなたに言います。
どのような状況であろうとも、それを苦しみとして認識する時点によって間違っているのです。
苦しい状態とは、それを敵と考えている状態のことだからです。
嵐は大海を乱しますが、それは敵ではないのです。
嵐によって大海は育ちます。
人は嵐によって学び、嵐によって賢くなり、強くなるのです。
人生の問題を苦しみにしているのは自我です。
自我によってそれを拒絶し、争うから苦しんでいるのです。
小舟が気象に逆らっても適いません。
それと同じように、無力のあなたが人生(状況)に逆らっても適うはずが無いのです。
あなたはこのことを覚えておきましょう。
逆らってはなりません。
争ってはなりません。
喜びによって、この世を渡りましょう。

2014年8月20日水曜日

正しい方法

生き方は方法です。
あなたの人生は、あなたの方法を現しています。
人生は方法によって決まります。
あなたがどのような方法によって生きるのかによって、人生がどのようなものとして築かれるのかが決まるのです。
生き方が方向性を定め、生き方が人生を決めます。
あなたは自らの生き方がどのようなものであり、それがどのような結果を導くのかを考察しなければならないのです。
方法によって結果は導かれます。
方法が違えば、結果も違うのです。
正しい方法を用いれば、正しい結果が導かれます。
設計図通りに作れば、設計図通りのものが仕上がるのです。
間違った方法を用いれば、間違った結果が導かれます。
設計図を無視して作れば、設計図とは異なるものが仕上がるのです。
あなたはこれを人生に当てはめて考えなければならないのです。
正しい生き方によって、人生は豊かさと幸福を得ることができます。
間違った生き方によっては、人生には乏しさと苦しみが導かれるのです。
あなたの用いる方法の通りに結果が出るのです。
それ以外の結果が出るということはないのです。
人生はあなたが自分自身の力で築きます。
あなたが考え、あなたが行い、あなたが築くのです。
すべては自らの責任によって構築されるということを覚えておかなければなりません。
人は誰もが自分自身の方法に従って、各々(おのおの)が当然の場所に到達するのです。
人生は自己責任であり、自業自得であるということを決して忘れてはなりません。
乏しさや苦しみに辿り着くのは、あなたの用いる方法が間違っていたからです。
乏しさや苦しみは、あなたの方法が間違っているということを知らせているのです。
乏しさや苦しみを得たとしても、誰かや何かを恨んではなりません。
そのようなことをしても何の意味も無いのです。
誰かや何かに対して責任を転嫁するのであれば、その方法によって更なる乏しさと苦しみが導かれるということを覚えておかなければならないのです。
あなたは正しい方法によって、人生を築かなければなりません。
正しく生きなければならないのです。
豊かさや幸福に辿り着くためには、正しい方法によって生きなければなりません。
正しい方法とは、思いやりを用いる方法のことなのです。
思いやりとは愛であり、光です。
あなたが愛と光を用いて行うのであれば、どのような状況に対しても豊かさと幸福が導かれるのです。
思いやりを用いて生きている人には、多くの豊かさと幸福があります。
思いやりを用いて生きている人には、多くの信頼と多くの協力者を得ることができるのです。
思いやりを用いているために、あなたに助けが実現するのは当たり前のことなのです。
どのような方法によって生きるのかは、とても大切なことであるのです。
あなたは正しい方法によって生きなければなりません。
その考え、その言葉、その行為が思いやりによって導かれる方法であるのか?ということを考察しましょう。
それ等に思いやりがなければ、あなたがどのように自分自身を正当化しようとも、結果は乏しさと苦しみであるのです。
あなたにとっての正しさは何の意味もありません。
大切なのは、この世での正しさなのです。
自分勝手に正当化したところで、この世では認められないのです。
思いやりを見失っては、どのようなことも決して上手くはいかないということを覚えておきましょう。
あなたはその生き方が自分自身に対して、他人に対して、社会に対して、自然に対して、神々に対して思いやりのある正しい生き方であるのか?を考察しましょう。
何に対しても正しく生きることがなければ、それは間違っているのです。
間違いの指摘として、乏しさと苦しみが導かれます。
あなたが乏しさと苦しみを感じているのであれば、それは自らの方法が間違っているということを指摘してるということを受け入れましょう。
結果(状況)がすべてを現しています。
結果に逆らうことはできません。
あなたは受け入れなければなりません。
乏しさと苦しみを感じるのであれば、方法(生き方)を変えましょう。
その方法によって乏しさと苦しみが導かれたのです。
それに執着しても乏しさと苦しみが増すだけであるということを理解しましょう。
この世に生きる一つの命としての正しい生き方とはどのようなものであるのか?ということを考え続けなければなりません。

2014年8月19日火曜日

魂の欲求

人は目的のために生きなければなりません。
目的を忘れて生きてはなりません。
それは、人が目的を果たすために生まれたからです。
人は誰もが人生の目的を持っているのです。
誰であっても、果たすべき目的を持って生まれます。
そして、その目的を果たすために人生という時間を生きているのです。
目的を忘れて生きるのであれば、人生の豊かさと幸福を得ることはできないのです。
目的を果たすことによって、豊かさと幸福が得られるということを知っておかなければなりません。
見当外れな生き方をしてはなりません。
見当外れな生き方をするのであれば、どれだけ努めて生きたとしても、豊かさや幸福は得られないのです。
精一杯に努める人がいます。
それは素晴らしいことです。
しかし、消耗するだけで豊かさや幸福を得られないのであれば、その方法は間違っていると言うしか無いのです。
人は豊かさと幸福を得るために生きているのです。
どのように努めても、豊かさと幸福に辿り着くことができないのであれば、その方法は間違っているということを理解しなければならないのです。
目的を果たさなければ、豊かさと幸福は得られません。
目的のために生きることを忘れた者には、決して辿り着くことができないということを覚えておきましょう。
多くの人は自らの人生の目的を忘れています。
この世に生まれる前には覚えていた目的を、この世で生きる術を覚える必要があるために上書きされ、いつの間にかに忘れてしまうのです。
多くの人が処世術を磨くことに専念し、人生の目的に対して盲目になっているのが現状です。
多くの人が上手く生きる術には興味があっても、自分が何のために生まれ、何のために生きているのか?ということには興味が無いのです。
人生は魂の向上の場所です。
人生は魂の目的を果たすための場所なのです。
人生は肉体が生活するための場所ではありません。
肉体の欲求を満たすための場所ではないのです。
多くの人は肉体の欲求を中心に人生を考えます。
そのため、この世には欲望が満ち溢れているのです。
多くの人が人生の目的を見失った状態で生きているのは、人生の目的を知っているのが魂であり、多くの人は魂の存在を知らなかったり、それを否定したりして、そこに至ることがないためです。
多くの人が肉体の欲求を満たすことに専念し、魂からは遠ざかるのです。
人は理性に従って生きなければなりません。
肉体の欲求に従って生きるのであれば、理性の抑制から離れてしまい、心を乱して感情的に生きることになるのです。
魂は肉体の深くに存在している人の本質です。
肉体の欲求に縛られているのであれば、それよりも深部に辿り着くことはできません。
肉体の欲求を振り解く自制心を持たなければ、人は魂に辿り着くことができないのです。
自分自身の本質であっても、簡単には辿り着くことができないのです。
多くの人は魂に辿り着くことに意義を見出すことができません。
それは、肉体がすべてだと考えているからです。
しかし、あなたは魂が人間の本質であるということを知りました。
知ったのであれば、それを得るように努めなければなりません。
あなたは肉体の欲求に縛られてはなりません。
肉体の欲求を満たすことで満足していてはならないのです。
人は魂の欲求である人生の目的を果たすことがなければ、本当の意味では満たされないのです。
肉体の欲求を追求すれば、多くの食物を食べなければなりません。
多くの食物を食べるのであれば、腹は膨れ、苦しみます。
胃腸に食物を押し込む程に苦しみは増すのです。
このことから、肉体の欲求には限界があるということを知ることができます。
魂の欲求には限界がありません。
魂はどれだけの欲求を押し込んだとしても、苦しむことはないのです。
魂に欲求を押し込む程に、喜びが増すということを覚えておきましょう。
魂の欲求をどれほど押し込んだとしても、魂が苦しむことはありません。
それは、あなたが人生において実現する魂の欲求は少ないからです。
あなたの力では、どれだけ押し込んでも、それが一杯になるということはありません。
安心して魂の欲求を満たしましょう。
人は人生の目的を忘れてはなりません。
人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
肉体の欲求に縛られてはなりません。
魂の欲求にまで達しましょう。

2014年8月18日月曜日

喜びの記憶

あなたは苦しみを遺してはなりません。
苦しみを遺せば、それはあなたの意思とは関係のないところで、苦しみを生み出し続けるからです。
その苦しみはあなたに返ります。
その苦しみはあなたの大切な人に向かいます。
その苦しみはあなたの知らない人にまで及ぶのです。
どのような理由があろうとも、苦しみを遺してはならないのです。
あなたは苦しみを遺さないように努めなければならないということを覚えておきましょう。
苦しみは、破滅的な感情によって引き起こされます。
不満や不安などの破滅的な感情によって完結している状況は、苦しみとして遺るのです。
どのようなものも、それが持つ性質に従って事を成すのです。
良い心の持ち主は、良い心に従って善行を働きます。
悪い心の持ち主は、悪い心に従って悪行を働くのです。
性質と違う行いを働くことはありません。
どのような存在も、その性質に従って事を成すのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
状況の性質は、それを記憶するあなたの力によって決まります。
あなたがその状況を良いものと記憶し、喜びや楽しみによって完結しているのであれば、それは良いものとして遺ります。
そして、あなたに対して善行を働くのです。
あなたがその状況を悪いものとして記憶し、苦悩や退屈によって完結しているのであれば、それは悪いものとして遺ります。
そして、あなたに対して悪行を働くのです。
記憶を思い出した時に、あなたは様々な感情を受けるのです。
思い出すことがなくても、記憶として遺っているために、それが絶え間なく働き続けているのです。
良い記憶を抱えているのであれば、それは良い影響を与え続けてくれます。
悪い記憶を抱えているのであれば、それは悪い影響を与え続けることになるのです。
記憶は形としては存在しません。
しかし、それは人生に遺るものであるのです。
あなたは記憶が人生に遺り、それが多大な影響力を持っているということを知りましょう。
そして、その記憶がどのような影響力を持つのかを決めるのは、あなたの感情によって決まるということを理解しましょう。
あなたがそれをどのような記憶としてとどめるのかを決めているのです。
あなたが喜びや楽しみなどの建設的な感情によって完結するのであれば、それは良い記憶として遺ります。
あなたが苦悩や退屈などの破滅的な感情によって完結するのであれば、それは悪い記憶として遺るのです。
状況の性質が初めから決まっているものではありません。
状況がどのような性質を持つのかは、人の感情に触れた時に、人が決めるのです。
人生に苦しいことなど存在しません。
それを苦しいことだと決める感情があるだけなのです。
あなたの記憶の中には、苦しいという状態で完結しているものが幾つかあるでしょう。
それらを抱えているのであれば、あなたの心が晴れることはないのです。
苦しみを抱えている心は歪むのです。
あなたはそのことを知っておきましょう。
苦しみに捉えられた心は、それよりも前に進むことはできません。
苦しみを抱えている心は、人生を展開させることができないのです。
何をしても、苦しみに引き戻されてしまうのです。
そのため、あなたは苦しみを遺してはならないのです。
苦しみを遺さなければ、あなたは真っ直ぐに進むことができるでしょう。
苦しみを遺さなければ、あなたが歪むこともないのです。
苦しみに捉われた心は、苦しみを生み出すために働きます。
嫌なことをされた相手に嫌なことを仕返すようなものです。
歪んだ心は歪んだ通りに、歪んだことをするのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
どのような理由があろうとも、あなたは喜びを遺さなければなりません。
喜びを遺せば、それが自身と大切な人と、あなたの知らない人にまで届くようになるのです。
あなたの人生は、この世界に大きな影響力を持っているのです。
好き勝手に生きてはならないのです。
多くの人の幸福のために生きなければなりません。
どのような状況も苦しみで完結してはなりません。
すべてを喜びによって完結させるのです。
人生には、喜びの記憶を遺しましょう。

2014年8月17日日曜日

お門違い

他人にして欲しいことは、先ずは率先してあなたが他人に行わなければなりません。
他人にして欲しいということをあなたが行わずに、他人にだけそれを求めるのは御門違(おかどちが)いであるということを覚えておかなければならないのです。
自分が他人に対して行っていないことを、他人があなたに行うなどと考えてはなりません。
他人のために施(ほどこ)すことがなければ、他人があなたに施すことなどないのです。
人は、自分にしてくれたことを同じように返すのです。
人は他人からしてもらったことに対して、それに報いようとします。
良いことを施されたら、良いことによって報いようと努めます。
悪いことをされたら、悪いことによって報いようとするのです。
どちらにせよ、他人が自分にするように返すのです。
あなたも、他人にされるように自分でも行います。
その人に良いことをされたなら、あなたは良いことをしようと努めるでしょう。
その人に悪いことをされたなら、あなたは悪いことをしようと努めるでしょう。
良いことをした人に対して、悪いことをする人はいません。
悪いことをした人に対して、良いことをする人もいないのです。
人は誰もが、同じように返すということを覚えておきましょう。
あなたが他人にして欲しいと思うことがあるのならば、それを自分自身が他人に対して行っているのかを省みましょう。
あなたが他人に対して行っていないことなら、他人から返ってくるということはありません。
あなたが優しくしないのに、他人が優しくすることはないのです。
あなたが心を許さないのに、他人が心を許すことはないのです。
先ずはあなたが手に持っている武器を投げ捨てることがなければ、相手が手に持っている武器を手放すことは有り得ないのです。
手に武器を持ったまま友好を迫ったとしても、何の説得力もないのです。
常に自分自身から行動するように努めましょう。
この世界は因果によって決まります。
原因となる行いがなければ、結果という状況は実現しないのです。
あなたの行いが原因であるのです。
それ以外の原因はありません。
結果を求めているのであれば、それに反することのない行いによって結果を導きましょう。
どのような理由があろうとも、原因がなければ結果は有り得ません。
何よりも大切なのは、自らが原因を所有しているということなのです。
他人のことや、状況や環境などの外的要因は重要なものではないということを覚えておきましょう。
大切なのは自分自身がどうあるのか?ということだけなのです。
原因は自分の中に存在しています。
それを他人や状況や環境の中に探してはなりません。
それこそ御門違いであるのです。
人は常に自らを省みなければなりません。
他人にして欲しいことは、先ずは率先してあなたが他人に行わなければなりません。
自らがやってもいないのに、他人には強く求めるのは厚かましいのです。
そのような愚か者が豊かさを得ることなどできるはずがないのです。
あなたは自らを省みてから、その欲求を考えましょう。
原因も無いのに得ることなどできるはずがないのです。
借金をしても商品を受け取ることはできます。
しかし、借金を返済するという約束を結ぶことによってのみ、その取引は実現するのです。
人生のやり取りも、借金を背負うように後払いも可能です。
しかし、払う気もない者が求めるのは愚の骨頂であるということを知りましょう。
しかも、後に払うのであれば、先に払うよりも多くの額が必要になるということを覚えておかなければなりません。
後から行う方が損をします。
得をすることが好きなあなたは、損をしてはなりません。
意地を張ることをやめ、率先して自ら行いましょう。
強情は何の得にもならないのです。
先に行うことによって負けたという気持ちは間違いです。
先に行うのが良いのだから、得をするのです。
詰まらぬ意地を張れば損をするというこを覚えておかなければなりません。
あなたが先ず行いましょう。
自分がやってもいないことを他人に求めてはなりません。
御門違いを行ってはなりません。

2014年8月16日土曜日

知らない世界

目の前の世界が、すべてだと思い込んではなりません。
あなたの抱えている世界は小さいということを理解しましょう。
この世界は無限の可能性を秘めています。
この世界は可能性に満ち溢れているのです。
あなたが誰であろうとも、人生には可能性が存在し続けているということを知っておきましょう。
人生から可能性が失われるということはありません。
人生はあなたに可能性を用意し続けているのです。
あなたが可能性を見失うことはあっても、可能性を失うことはないのです。
人生には様々な問題が生じ、様々な苦しみがあります。
あなたは問題に直面し、それに苦悩するのです。
問題のない、苦しみのない人生は存在しません。
誰もが魂の向上のために生きているのです。
成長しなければならない部分があるために生きているのです。
成長するためには、問題を解決しなければなりません。
問題を解決する過程は、どのような人にも苦しいものであるのです。
人は人生に苦しむものなのです。
そして、多くの人がその苦しみによって可能性を見失ってしまうのです。
可能性を見失うと、人は人生に絶望し、苦しみに浸るのです。
可能性を見ている人が、苦しみに浸ることはありません。
可能性というものは、人が苦しみに縛られるのを食い止めるのです。
あなたは可能性を見続けなければなりません。
どのような状況においても、可能性は必ず存在します。
見えていないだけで、それは存在しているのです。
人は自分の知っている世界を全世界だと決め付けてしまいます。
この世界には、あなたの知らない場所がたくさんあります。
あなたの知らない考え方がたくさんあります。
あなたの知らない文化がたくさんあります。
あなたの知らない人がたくさんいます。
あなたの知らない人間関係がたくさんあります。
あなたの知らない仕事がたくさんあります。
あなたの知らない生き方がたくさんあるのです。
目の前の小さな世界を知っているからといって、全世界を知った気になっていてはなりません。
あなたには、知らないことの方が多くあるのです。
知らないということは、それが可能性であるということを理解しましょう。
時代は次々と変化します。
古いものは滅び、新たなものが生まれます。
どれだけ長く生きたとしても、知らないことが多いということを理解しなければなりません。
あなたが知っていることなど、ほんの少しであるということを受け入れなければなりません。
知っている人が人生に苦悩するでしょうか?
知っている人が人生の目的を見失うでしょうか?
人は知らないから苦しむのです。
知った気になっていてはなりません。
あなたには学ぶべきことがたくさんあります。
あなたには知らないことがたくさんあるのです。
世界を広げましょう。
小さな世界に限定してはなりません。
あなたの気に入る生き方があるのです。
それを探し続ければ良いのです。
「しっくりくる」生き方があるのです。
それを手に入れるのです。
世界を限定しているのであれば、それが見付かることはないでしょう。
見付からなければ、手に入れることもできないのです。
人生には可能性が広がっています。
可能性を探そうともせずに、文句を吐くのは間違いであるということに気が付かなければなりません。
苦しいのは自己責任です。
苦しみが嫌なら、そこに止まってはなりません。
可能性を得るために一歩を踏み出すのです。

2014年8月15日金曜日

月明かり

あなたは希望の光とならなければなりません。
あなたは輝きを放ち、誰かを照らさなければならないのです。
あなたが灯火(ともしび)となれば、それによって救われる人がいるのです。
この世に一筋の光があれば、それだけで人は生きていくことができるのです。
人は生きなければなりません。
人生には問題が多く、苦しみが尽きることはありません。
どのように辛く、投げ出したいと考えても、それでも生きなければならないのです。
人は生きなければなりません。
しかし、あなたは「わたし」のこの言葉に疑問を持つでしょう。
生きていたくないくらいに苦しいのに、どうして生きなければならないのか?
あなたはこのように思うかも知れません。
答えは簡単です。
人は生きて学び、魂(心)を成長させなければならないからです。
生きることを放棄したとしても、それ以上先へと進むことはできません。
人の魂は経験することがなければ成長することができないのです。
そのため、この世において様々な経験を通じて成長を目指しているのです。
人生を放棄するのは簡単です。
しかし、それを立て直すのは難しいのです。
どのような人生であったとしても、それでも積み上げているのです。
それを自ら崩すのであれば、再び積み上げなければならなくなった時に、それ以上に辛い目に会うのです。
ある程度積み上げたところで体力を使っています。
疲労を抱えた状態で、積み上げ直さなければならないのは苦しいことであるのが分かるはずです。
人生は成長するための時間です。
成長とは向上です。
どのような過程を以てしても、高みに届けば良いのです。
苦しい人生であったとしても、それでも積み上っています。
苦しい人生であったとしても、それが無駄になることはありません。
そのため、人はどのような理由があろうとも、生きなければならないのです。
人が苦しい人生を生きるためには、灯火によって手元、足元を照らす必要があります。
闇夜に月明かりさえあれば、それだけで安心することができるはずです。
月も星も輝かない暗黒の夜には、あなたは恐怖を覚えてしまうのです。
小さな灯火で構わないのです。
一筋でも光があれば、それだけで人は生きていけるのです。
あなたの人生は他人によって支えられています。
そのことを忘れてはなりません。
他人の存在は、あなたにとっては宝であるのです。
どのような相手であっても、あなたの人生を支えています。
あなたは他人を助けなければなりません。
それは、他人によって既に助けられているからです。
身に覚えがなくても、あなたは助けられているのです。
そのことを忘れてはなりません。
感謝の気持ちが持てない者が、どうやって人生を豊かなものにするというのでしょう?
当たり前のことができない者が、幸福になることなどできるはずがないのです。
そのような者は成長することもありません。
そして、苦悩の中に死んでいくのです。
あなたは他人に希望の光でなければなりません。
あなたには小さな灯火しか灯せないでしょう。
しかし、それで良いのです。
暗闇の中では、小さな灯火でさえ、闇を退けるのです。
小さくても、弱くても、輝いていれば良いのです。
あなたは輝いていなければなりません。
どのような状況にも楽しみましょう。
あなたが明るく生きていれば、あなたを見た人は明るくなるのです。
それはとても素晴らしいことであると知りましょう。
光が満ちるのは素敵なことなのです。
一人一人は小さな灯火です。
しかし、全員が灯せば、月の出ない闇夜も恐ろしくはないのです。

2014年8月14日木曜日

毒を抱えれば、身体は死を迎えるでしょう。
身体が生きるためには、毒を得ないように注意しておかなければなりません。
例え、毒を得たとしても、それを吐き出さなければ死は避けられないのです。
あなたは身体に毒が蓄積しないように努めなければなりません。
毒を得てはなりません。
毒は確実に身体の自由を奪い、命を滅ぼすのです。
身体と同じように、心についても考えなければなりません。
身体と心が別物であるなどと考えてはなりません。
身体が毒を得るように、心も毒を得るのです。
心にも毒となるものがあります。
その毒によって、心の自由は奪われ、心は命を滅ぼすのです。
心にとっての毒とは、怒りや不安などの破滅的な感情です。
怒りや不安などの破滅的な感情は、心の毒であるのです。
あなたはそのことを知っておかなければなりません。
毒に犯された身体が死を迎えるように、毒に犯された心も死を迎えます。
毒によって滅ぼされないためには、毒を取らないことか、毒を取り除かなければなりません。
内に毒があっては、死は避けられないのです。
怒りや不安によって苦しみを得る人がいます。
その苦しみは毒によって得られる痛みであるのです。
心が苦しみを覚えた時点によって、すでに毒が蝕(むしば)んでいるということを知りましょう。
毒を抱えているのであれば、例えそれが毒性の弱いものであったとしても、やがて死を招き入れます。
白蟻が家屋を倒すように、弱い毒であっても蓄積し、殺すのです。
あなたは注意しなければなりません。
毒は吐き出さなければなりません。
内に毒がなければ、それ以上に悪いことはないのです。
毒があれば、それ以上に悪いことになります。
細菌は人体を蝕みます。
それは増殖し、殺します。
目に映らない小さな細菌によって、人体は滅びるのです。
小さな怒りや小さな不安が、やがてその心を滅ぼします。
小さいからといって軽んじてはならないのです。
傷口から一つの細菌が侵入すれば、それは数を増やし、やがて手には負えなくなります。
一つの怒りが複数の怒りに発展します。
一つの不安が複数の不安になり、一つの悲しみが複数の悲しみになるのです。
この世では、すべてのものが豊かさを得ます。
あなたにとっての良いものであろうと、悪いものであろうと、それがあなたの内に入れば、あなたの力を受けて豊かに育まれるのです。
あなたは毒を取り除かなければなりません。
毒を得ても、それを吐き出すように努めなければなりません。
多くの人は毒を放置します。
毒があると知っていても、それに対して見て見ぬ振りをするのです。
それが誰かの悪行であったとしても、それを放置します。
自分自身の悪行も、自らを正当化し、同じように黙認するのです。
誰かが悪行によって毒を飲もうとしている時に、それを見過ごすのは罪なのです。
人は幸福を得なければなりません。
毒を飲む者に対して、それが毒であるということを教えなければならないのです。
毒であると知っておきながら、それを教えない人には愛が無いということを知りましょう。
愛が無ければ、その悪業の故に苦しみを得るのです。
人間関係には様々な問題が生じます。
身体が苦しむのは毒となる食物のせいです。
心が苦しむのは毒となる感情のせいです。
人間関係が苦しむのは、未熟という毒のせいなのです。
あなたは自分自身と他人の未熟から生じる悪行を見過ごしてはなりません。
それは毒であるということを知りましょう。
相手に注意することができないのは、そこに愛が無いからです。
身体に対する愛が無ければ、毒を取り除くことはありません。
身体に対する愛があるから、あなたは毒を取り除くのです。
相手に対する愛があるなら、あなたは相手の悪行を戒(いまし)めるはずなのです。
毒を取り除くことは簡単ではありません。
人間関係を正すことも決して簡単なことではないのです。
しかし、毒は吐き出さなければなりません。
痛みが伴ったとしても、肉を裂いて毒を出す覚悟を決めましょう。
毒を放置していてはなりません。

2014年8月13日水曜日

道を照らす光

光は、人生を照らす大切なものです。
光が無ければ、あなたは道を進むことができません。
光が無ければ、あなたは暗闇に迷ってしまうからです。
暗闇の中を歩けば、あなたは目的地には辿り着くことができません。
それよりも先に、道を踏み外して転落してしまうでしょう。
人は、光が無ければ豊かさへと辿り着くことはできないのです。
暗闇の中を正しく進むことのできる人はいないのです。
人は誰もが光に照らされることによって、正しい道を歩むことができるのです。
あなたは光が大切であるということを覚えておきましょう。
暗闇の中であなたは、光によって足元を照らします。
それは、道を確認するためです。
足元がどのような状態であるのかを知ることができれば、あなたが恐れることはないでしょう。
光に照らされているのであれば、恐怖はないのです。
あなたは光によって人生を照らさなければなりません。
多くの人が人生を恐れています。
多くの人は未来を恐れているのです。
それは、未来が見えないからです。
人生が光によって照らされ、未来の見通しが立っている人に恐れはありません。
自分が何のために生まれ、何のために生き、どこへ向かうのかを知っている人には、恐怖も迷いもないのです。
暗闇によって道が見えない人には、人生というのは恐ろしいものであるのです。
光とは希望です。
光とは可能性です。
光とは喜びです。
光とは楽しみです。
光とは愛情であり、思いやりです。
光とは協力です。
光とは満足です。
光はあなたの心の中に灯ります。
あなたの心が光に満ちているのであれば、人生を照らすことができるのです。
あなたは心によって人生を見るのです。
心に光を灯さなければなりません。
どのように濡れた衣服も、陽の光に照らされると乾いてしまいます。
それは、陽の光が衣服を照らすからです。
光とは熱であるのです。
光で熱を持たないものはありません。
光はどれも熱を持つのです。
光(熱)によって水分は蒸発するのです。
多くの人は人生に悲観しています。
それは、光を失っているからです。
暗闇の中にいるから悲しいのです。
陽の光が濡れた衣服を照らすように、あなたは心の光によって人生を照らしましょう。
そうすれば、衣服が乾くように、悲しみの感情は消えていくのです。
心に光を持つ人が悲しむことはないのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
雨に濡れた道も、陽の光によって乾きます。
泥濘(ぬかるみ)は、陽の光によって干上がるのです。
どのように深い悲しみも、光には勝りません。
水量に勝る光によって、水分は消えるのです。
悲しいことよりも大きな希望を見出すのです。
太陽よりも偉大な大海があるでしょうか?
朝日に勝る夜はないのです。
光に勝る闇など存在しないのです。
光は、人生を照らします。
光によって道が現れるのです。
暗闇の中でも迷わないように、あなたはいつも光(喜び)を絶やすことなく持ち続けていましょう。




2014年8月12日火曜日

真っ直ぐな道

あなたは歪みを取り除かなければなりません。
歪んだものは真っ直ぐに正さなければならないのです。
心は真っ直ぐに在るべきです。
心に歪みが生じれば、即ち人生に歪みが生じるのです。
歪んだ人生に幸福は得られません。
真っ直ぐに生きていかなければ、真っ当ではないのです。
不正を働く者は、その行いによって苦しみます。
それは、不正は例外なく正しくされるからです。
この世では、どのような歪みも矯正されます。
人は正しく生きることを学ぶのです。
そのため、不正を働く者は苦しむのです。
どのような不正も見逃されることはありません。
他人や世間には明るみに出なくても、真理によって示されるのです。
あなたは、自分自身の行いの結果を状況として受け取るのです。
自らの選択によって導かれる状況から逃れることのできる人はいません。
どのような人も、必ず自身の行いを受けるのです。
不正を働くのであれば、不正によって罰が得られるのです。
正しく生きるのであれば、正しく生きたことによって幸福が得られるのです。
正しさとは、思いやりであるということを覚えておきましょう。
思いやりの基準は人それぞれに違います。
あなたの思いやりの基準を不快に感じる人もいるのです。
人は価値観によって気分を生み出しているのです。
大切なのは、自らの価値観を基準に考えることではありません。
あなたがどのように経験を重ねても、未熟であるということを覚えておきましょう。
すべての人が未熟であるのです。
そのため、絶対に正しい人はいません。
どのような人も間違います。
どのような人も決して完璧ではないのです。
あなたは常に自分が完璧ではないということを覚えておきましょう。
この世で完璧なのは真理です。
真理を除いて完璧なものは存在しません。
あなたは真理を見て、自らの行いがどうであったのか?ということを確認しなければならないのです。
真理を見るとは、得られる状況を見るだけです。
あなたの行いがどのような状況を導いたのかを、実直に評価するのです。
あなたの思いやりが、後にどのような状況を導いたのかを見れば、それが真理に対してどのようなものであったのかを知ることができます。
あなたの思いやりが真理に対して正しいものであれば、あなたは喜びます。
そして、その行為によって相手も喜ぶのです。
それが真理に対して正しくなければ、それによってどちらかが不快を得るのです。
不快を得る行為が真理に正しいはずがありません。
多くの人は、自分がどのように生きれば良いのかを求めています。
「わたし」はあなたに告げます。
「真理に従っていなさい」
あなたは真理に逆らって生きてはなりません。
真理に逆らうことは不正であるのです。
不正を働けば歪みます。
歪めば苦しいのです。
その行為によって得られる状況が不快なものであるのなら、あなたはそれを正さなければなりません。
あなたは正すために生きているということを覚えておきましょう。
正しく生きれば良いのです。
あなたは現状において正しいと思うことをしましょう。
思いやりに従って生き、不快を得ないように心掛けましょう。
真っ直ぐに生きなければなりません。
真っ直ぐに生きられる道を探すのです。
心(魂)を汚してはなりません。
あなたは心(魂)を磨くために生きているのです。
これは大切なことなのです。
忘れないようにしておきましょう。

2014年8月11日月曜日

意識は物質化する

原因は必ず結果に結び付きます。
そして、その結果はどのような理由があろうとも受け取らなければなりません。
人生に現れるすべての状況が、あなた自身が作り出した原因によって得られるものであるということを覚えておきましょう。
あなたの思考や感情、そして、魂が原因となり、結果を導きます。
自分自身の原因ならば、自分自身の結果であるのです。
あなたが人生において受けるすべての状況が、あなたのものであるということを知らなければなりません。
すべての状況が自分自身のものであるということを知らずに生きるのであれば、人はそれを否定し、拒絶するのです。
自分自身が生み出した結果を否定し、拒絶するのであれば、無責任な者だと責められるのです。
自分がやったことを自分はやっていないと主張しても、それがまかり通る世界ではないのです。
原因は必ず結果に結び付くのです。
人はそれを否定することも、拒絶することもできないのです。
あなたの思考、感情、魂とは意識です。
この世界は意識によって設計されるということを知りましょう。
どのようなものも、より小さなことから生じます。
あなたは思考や感情を行動に現すでしょう。
思考や感情は物体ではありません。
しかし、行動の理由は、そこに思考や感情があるからだと理解することができます。
それ以外の理由があるとするなら、それは魂からの行動であるのです。
あなたは、その言動が思考や感情の結果であるということを知っているはずです。
ならば、この世界に起こるすべての事象が、その事象よりもより小さな目には映らない原因によるものであると理解することができるはずなのです。
それを否定するのであれば、自分自身のことを否定する以外に方法はありません。
自分自身を否定するのであれば、自分自身の人生をも否定するということを知っておきましょう。
人生を否定するのであれば、人生の幸福は得られないのです。
あなたの得る状況は、あなたの意識から生じる当然の結果です。
それを否定してはなりません。
否定すれば、幸福は得られません。
良くも悪くも、それがあなたにとっての最善であるのです。
結果である目の前の状況を否定したとしても、それによって状況が好転するということはありません。
なぜなら、それは結果であって、原因ではないからです。
あなたが状況を好転させたいと考えているのであれば、新たな原因によって新たな結果を導く以外に方法はないのです。
原因によってのみ、結果は出るのです。
出た結果にあれこれと苦悩したところで、その行為は結果に対して何の効力もないということを覚えておかなければならないのです。
出たものをどうすることもできないのです。
あなたは人が非力であるということを受け入れましょう。
人は、真理に逆らうことができないのです。
あなたを守るのは原因です。
「神」であろうとも、結果を変えることはできません。
「神」にすがってはなりません。
しかも、あなたのすがっている「神」は本当の「神」ではないのです。
人は「神」を知りません。
知らない者をどうして頼るのでしょう?
知らない者があなたを助けるでしょうか?
知っている人でさえ、あなたのことを助けることはありません。
知っている人でさえ、あなたには助けることができないのです。
誰もが、自分自身の意識の原因によって、自分自身を救いもし、苦しめもするのです。
人は原因によってのみ救われます。
「神」が、それも偽物の「神」があなたを救うことができるなどと考えてはなりません。
人は真理によって人生を幸福にしなければならないのです。
原因によって救うのです。
建設的な思考と感情、そして、魂を以て生きましょう。
意識が物質化するということを忘れてはなりません。
どのようなものにも例外はありません。
真理は絶対なのです。
真理はあなたに都合の良いようには作られていません。
悪いことを考え、悪いことを思えば、悪いことをするのです。
そして、悪い結果を受けるのです。
ただそれだけです。
死を恐れるのであれば、毒を食さないように注意しましょう。
毒を食さなければ、死を得ることもないでしょう。

2014年8月10日日曜日

愛と共に

あなたは自分自身を審査しなければなりません。
あなたは常に自分自身を見詰めていましょう。
そして、自分自身が正しくあるように努めるのです。
正しくあるというのは、愛と共に存在している状態のことです。
愛とはこの世の真理であり、すべての人が大切にしなければならないものなのです。
愛を見失ってしまうと、人は汚れ、歪み、苦しむのです。
人が豊かに幸福に生きていくためには、愛と共に生きなければならないのです。
あなたは自分自身が愛と共に生きているのかを審査しなければなりません。
愛から離れることのないように、自己を律しなければならないのです。
愛とは思いやりです。
思いやりとは、自分自身や他人を大切に思う気持ちであるのです。
そして、自分自身や他人が喜ぶことであるのです。
人は愛によってすべてを大切にし、愛によってすべてを喜ぶことができるのです。
すべてを大切にし、すべてを喜ぶことができるのであれば、それが豊かさや幸福であるということを理解することができるでしょう。
人生は自分自身の選択によって築かれます。
すべてには因果関係が存在し、それ以外の事象は有り得ません。
すべてがあなたの選択によってのみ導き出される当然の結果であるのです。
愛を選択すれば、愛が導かれます。
あなたが相手を愛すれば、相手もあなたを愛するでしょう。
あなたが相手を害すれば、相手はあなたに仇(あだ)を成すのです。
あなたが豊かで幸福な人生を望んでいるのであれば、愛から離れて生きてはなりません。
しかし、すべての人の人生には多くの問題が生じ、それによって苦しみを覚えます。
そのため、人は簡単に愛から離れてしまうのです。
愛から離れても生きることはできます。
愛を失ったからといって命が尽きるというものではありません。
愛を失ったのであれば、喜びが尽きるのです。
愛なくして、喜びは存在しないということを覚えておきましょう。
あなたは自分自身が愛から離れてしまわないように、厳しく審査しておきましょう。
その言動、生き方が愛から離れないように細かくチェックしておくのです。
あなたが愛から離れることがなければ、必ず豊かさと幸福を得ることができます。
この言葉に偽りはありません。
どのような存在も因果の力(真理)には勝らないのです。
誰も逆らうことはできません。
どのような人でも、愛を失えば苦しむのです。
どのような方法を用いたとしても、真理に勝る方法など有り得ないのです。
あなたは自分自身を審査し続けましょう。
そして、他人を審査しておきましょう。
あなたは自分独りで生きているのではありません。
あなたに関わりのあるすべての人と共に生きているのです。
あなたは、その人たちと共に幸福を得なければならないのです。
自分独りだけが豊かさと幸福を得ることで満足していてはなりません。
そのような利己的な考え方は既に愛から離れているのです。
あなたはその言動が何を基準に導かれたものであるのか?を確認しましょう。
その言動が愛によって導かれたものであるのならば、それは何の問題もありません。
その言動が悪意によって導かれたものであるのならば、それに注意を払わなければならないのです。
悪意によって導かれた言動が人に豊かさと幸福を導くことは有り得ません。
悪意という原因によって導かれる結果は、悪意に満ちたものであり、それによって人は苦しみを覚えるのです。
人は弱い存在です。
枯れた葉がわずかに吹く風によって枝から落ちるのように、簡単に愛から離れてしまいます。
そのために、あなたは常に自分自身と他人に対する審査が必要とされるのです。
当然の結果のみが導かれます。
人生は自業自得です。
奇跡など起こりません。
愛を受ける者は、以前に愛を行ったのです。
悪意を受ける者は、以前に悪意を行ったのです。
それだけのことです。
愛から離れてしまわないように注意深く見詰めましょう。

2014年8月9日土曜日

欲の大河

人は誰もが、欲の大河を渡らなければなりません。
どのような人物にも肉の欲があります。
どのような人物も肉体を有し、その肉体を以て人生を歩んでいくのです。
肉体の協力なくして、人生を歩むことはできません。
そのため、肉体の存在は、どのような人物にとっても重要であるのです。
人は我が肉体を大切に扱わなければなりません。
それが損なわれないように努め励むことが、豊かな人生を生きることには重要であるのです。
肉体が損なわれ、健康が奪われるのであれば、豊かな人生を生きることは難しくなるのです。
健康が奪われたとしても豊かな人生を生きることは可能ですが、大抵の人はそのことで煩(わずら)い、人生を乏しくさせてしまうのです。
健康な肉体があるなら、それに越したことは無いのです。
あなたが健康な肉体を維持するためには、肉体を健康に保つために克己(こっき)しなければならないのです。
克己とは、己に打ち勝つことです。
あなたの本質は魂です。
それは精神であり、あなたの感情と思考を司ります。
精神と肉体は一つに繋がっており、それらは常に互いに自己を主張しているのです。
魂の欲は、あなたを「天」に向かわせるものです。
肉体の欲は、あなたを「地」に向かわせます。
人にとってはどちらも大切な欲です。
人には「天」と「地」の二つの世界が必要であるからです。
人は「天」より来て、「地」に学んでいます。
そのため「天」の魂であるあなたは、「地」の肉体を持つことによって「人」となるのです。
あなたはどちらも大切にしなければならないのです。
しかし、多くの人は「地」に生きているために、肉体の欲に強く引かれています。
肉体の求める欲とは、睡眠欲です。
睡眠は肉体を癒し、とても心地の好いものです。
肉体の求める欲とは、食欲です。
食事は肉体に力を与え、とても嬉しいものです。
肉体の求める欲とは、性欲です。
性交は肉体を蘇らせ、とても気持ち良いのです。
肉体の求める欲とは、物欲です。
財物に執着することは、肉体を勇気付け、とても誇らしいのです。
肉体の欲には(大きく分けて)これらのものがあります。
それらがあなたの目の前に大河として横たわっているのです。
人はこれを渡らなければなりません。
そこで溺れる者は「天」に辿り着くことができません。
欲の大河に溺れる者は「地」に行き着くのです。
欲の大河に溺れ、肉体の欲に生きる者は「地」に属し、「地」の人として行います。
欲の大河を渡り、魂の欲に生きる者は「天」属し、「天」の人として行うのです。
眠り過ぎたらどうなりますか?
眠り過ぎたら、あなたは全身が鉛のように重たいことに気が付くでしょう。
そして、時間が過ぎ去ったことに気が付くのです。
食べ過ぎたらどうなりますか?
腹は張り、胃はもたれ、肉体は醜く太り、病気にもなります。
性欲が強過ぎたらどうなりますか?
許可無く他人を犯し、他人の夫や妻を寝取ります。
物欲が強過ぎたらどうなりますか?
収入を超えた購入に走り、盗みを働きます。
それらはすべて苦しみと後悔に繋がっているのです。
肉の欲にのみ従うと、あなたは苦しむのです。
欲の大河に溺れないためには、魂の欲を知ることです。
魂の欲はあなたに成長を欲しています。
あなたに貢献を欲しています。
あなたに愛を欲しています。
あなたに人助けを欲しているのです。
ただし、魂の欲に偏り過ぎれば、浮世離れとなり、口先だけの者として役には立たないでしょう。
どちらか一方に偏ってはなりません。
浮きもせず、沈みもせず、欲の大河を渡りましょう。

2014年8月8日金曜日

人生に災い無し

人は価値に気が付きません。
人は価値を知らずに道を歩みます。
人は価値を損なって生きるのです。
価値を知る人はいません。
人は価値を知らないままにいるのです。
すべての事象が、あなたにとっての最善です。
あなたの目の前に起こるすべての状況が、あなたの大切な学びとなり、あなたの成長を促しているのです。
そして、それによって幸福と豊かさを得ることができるのです。
しかし、人はそのことを知らないままに生きています。
そして、愚かな者はそれにいつまでも気付くことも無く死んでいくのです。
あなたは価値に気が付かなければなりません。
人生におけるすべての事象が、あなたにとって価値のあるものであるということに気が付かなければならないのです。
人は不満を持ち、拒絶します。
人は悲観し、絶望します。
人は不安を抱き、裏切ります。
人の行うどのような行為も、それが気分を暗くするものであるのならば、既に価値を見失っているのです。
価値が分からないから心を濁(にご)らせるのです。
価値を知っている者はそれを喜ぶのです。
不安や不満によって苦しむ者は、誰一人として価値を分かっていないのです。
価値を知っている者が苦しむことはありません。
その価値を知っているために、それを利用して幸福と豊かさを得るからです。
価値を知らない者は、それを道端に投げ捨てます。
価値がある物を投げ捨てるのだから、幸福と豊かさを得られる訳がないのです。
幸福と豊かさを得ることのできる者は、その価値を知り、その価値を生かす者だけなのです。
人生には様々なことがあります。
問題が生じ、苦悩することでしょう。
しかし、それが問題であり、苦悩の原因であるとしても、それが無価値であるという訳ではありません。
寧(むし)ろ、それが問題であり、苦悩するものであるからこそ価値があると知りましょう。
人は苦しみから学ぶのです。
人は失敗から成功を導くのです。
問題がなく、苦悩もなければ、現状維持に甘んじていれば良いのです。
しかし、問題や苦悩は、あなたを現状から切り離そうとするのです。
現状から離れるなら、向上するか零落(れいらく)するかのいずれかの選択肢以外にはありません。
そこで価値を見出す者は向上し、価値に気が付かない者は零落するのです。
あなたは、抱える問題や苦悩に対しても価値を見出そうと努めなければなりません。
元来、人生に災いはありません。
すべてが価値のある大切なものであるのです。
それが災いであり、無価値なものであるとあなたに告げる人がいるなら、その人の虚言に注意しなければなりません。
その人は知らずに生きているのです。
無知な者はあなたを苦しみから遠ざけようとします。
そして、あなたから価値を奪うのです。
この世はあなたが成長するために準備された貴重な時間です。
そのすべてに価値があるということを、あなたは知っていましょう。
しかし、あなたの周りの人はこのことを知りません。
そのため、あなたを心配し、あなたを恐れの中に引き摺(ず)り込もうとするのです。
彼らに悪意はありません。
しかし、結果として自分自身とあなたに罪を成すのです。
あなたはすべてに価値があるということを知らなければなりません。
何も知らずに生きてはなりません。
あなたには「わたし」の言うことが分かりません。
それは、長い間人々の恐怖の中に生きてきたためです。
人は恐怖し、不安と不満によって道を汚しています。
そのことを知りましょう。
不安や不満を用いる人は、この世に「神」が「ある」ことを知らないのです。
そのような人は苦しみと共に生き、苦しみと共に死ぬでしょう。
そして、苦しみに至ります。
すべての事象の持っている価値を知りましょう。
人生に災いはありません。

2014年8月7日木曜日

陽の光

陽の光は真っ直ぐに照らします。
光が届く範囲は直線的です。
物陰に隠れると、それだけで光は届きません。
闇は縦横無尽に進みます。
この世で闇に追い付かれない場所はありません。
闇が避けて通るのは、光だけなのです。
光の無い場所には闇があります。
光のある場所には闇はありません。
光と闇は接触しますが、それらが相容れることはないのです。
必ず光が勝ります。
光と闇は、互いに独立している状態でこそ、正しいのです。
人の心の中には、建設的な感情と破滅的な感情とが混在しています。
どのような人の心にも光と闇が存在しているのです。
あなたは自分自身によって、そのバランスを取らなければなりません。
人は「神」の子どもです。
神とは光です。
光は熱を帯びて温かいのです。
あなたの温かい気持ちこそが、心の本来の姿であるということを知っておきましょう。
心に思いやりや優しさを抱える時、人は安心することができます。
心に思いやりや優しさを失えば、人は不安になり苦しむのです。
あなたが幸福を得るためには、心に光がなければなりません。
どのような状況に対しても、心に光を失わないように努めなければならないのです。
光は真っ直ぐに進みます。
陽の光を遮(さえぎ)る物があれば、光は届きません。
陽の光を受けるためには、光を妨げる障害物がないようにしておかなければならないのです。
「神」からの光を受けて、人の心は輝きを得ます。
「神」からの光を受けなければ、人は心に輝きを得ることができないのです。
「神」である光に繋がっていなければ、幸福を得ることができないということを覚えておきましょう。
思いやりや優しさに乏しい人が、光を得ることはできません。
そのような人がどのように努めても、幸福を得ることはできないということを覚えておきましょう。
多くのことに思い煩(わずら)っている人がいます。
そのような人の心の中には苦悩という名の障害物が溢れ返っています。
それらが「神」からの光を遮るために、心には闇が侵入するのです。
苦悩している人の心の中には、多くの闇が存在しています。
苦悩の正体は思考です。
それは自分自身で作り出した破滅的な意識であるのです。
苦悩を考えるから苦悩が生じるのです。
わざわざ自分で作り出して、わざわざ心の中に置いたのです。
他人があなたの心の中に何かを置くことはできません。
あなたは他人の心に触れることができますか?
それを勝手に操作することができるでしょうか?
心の鍵は自分自身が持っています。
どのような選択も、自分自身の了解無しには実現しないのです。
あなたは自分自身で苦しみ、また喜ぶのです。
他人も同じです。
あなたは苦悩を取り除きましょう。
考え方を変えなければなりません。
心に障害物があれば、どのように努めても光が届くことはないのです。
「神」があなたを救うなどと考えてはなりません。
「神」があなたに手出しするようなことはないのです。
他人であっても、「神」であっても、決してあなたの心に触れないのです。
光は常に照らしているということを知りましょう。
あなたが苦悩を取り除いた瞬間に、そこに光が射し、闇は遠ざかるということを理解しましょう。
この世のどのようなことも大切です。
あなたは感謝の気持ちである光を以て、苦悩を取り去るのです。
天からの光は、すべての存在を照らしています。
あなたが日陰を作り出しているということを理解しましょう。

2014年8月6日水曜日

腑に落ちる生き方

腑(ふ)に落ちるのであれば、それは正しいのです。
腑とは心根です。
それが心の深部に届き、満足を覚えるのであれば、あなたにとってそれは正しいということなのです。
心の深部に訴えるものがなければ、あなたはそれを納得することはできません。
心に届いてこそ、あなたは納得し、満足することができるのです。
心に響かないものは、あなたにとって正しいとは言えません。
それは、納得することができないものに対して満足することができないからです。
満足することができなければ、常に不満を覚えています。
不満を覚えているのであれば、幸福であるとは言えないのです。
人は納得することができる状況を探し、そこへ辿り着かなければなりません。
納得することのできる状況を得なければ幸福が得られないために、人生の目的を果たすことはできないのです。
あなたは腑に落ちる状況を探し続けましょう。
あなたの生き方は腑に落ちていますか?
その生き方で満足することができるでしょうか?
あなたの仕事は?
あなたの人間関係は?
あなたはそれで良いと思いますか?
大切なのは満足して生きるということです。
人は誰もが満足して生きなければなりません。
満足を得ずに生きることは辛いのです。
人生は辛く生きる場所ではありません。
様々な問題に直面しますが、それでも辛く生きてはならないのです。
腑に落ちる生き方があります。
どのような人にもそれは用意されているのです。
ただし、探さなければ見付かるものではありません。
大切なものは努めなければ得られないのです。
腑に落ちる生き方を探さない人がいます。
それはそれで構いません。
しかし、探さない人は最後まで不満と共に生きていくということを知りましょう。
探せば見付かります。
しかし、すぐに見付かるとは限りません。
常に探し続けなければなりません。
その中に、腑に落ちる生き方があるはずなのです。
あなたは納得するまで、時間をかけて探せば良いでしょう。
人生を限定してはなりません。
何かのために自分を犠牲にするのであれば、あなたは不満から抜け出すことができないということを覚えておきましょう。
自分を犠牲にすることなく、大切なものを守る道があるのです。
既成概念に捉われている人には見付かりません。
あなたは柔軟に考えなければなりません。
できないことを数えていてはなりません。
できることを数えるのです。
あなたは現状において何ができますか?
一つでも良いのです。
できることが分かれば、可能性が見えてくるはずです。
一歩前に踏み出せば、人生は大きく変わるということを覚えておきましょう。
一歩を侮(あなど)ってはなりません。
それが取るに足らないことであっても、できることをしてみると状況は変わるものなのです。
一歩踏み出しただけで腑に落ちるということがあります。
壁にかけた絵画が少し傾いているだけで腑に落ちないものです。
少しの差が、大きな差をもたらすのです。
あなたは現状を見詰めましょう。
少し変えるだけで腑に落ちるということがあるはずなのです。
違和感を抱えていてはなりません。
違和感は不満であるからです。
違和感を取り除き、状況に満足を得ましょう。

2014年8月5日火曜日

正しいことは正しい

多くの人の意見だからといって、それが正しいとは限りません。
世論が正しいと誇示しても、それが正しいとは限らないのです。
この世には未熟と無知と悪意とが存在しています。
人は誰もが未熟な存在です。
そして、無知な存在なのです。
その中には、悪意を用いる者も多くいます。
人の言うことは不安定であり、その多くが確証もありません。
大抵の人が聞いたことを話しているだけなのです。
自分自身で経験したことを話さないのに、どうしてそれが正しいと言えるのでしょうか?
知らないことを語ってはなりません。
聞いただけのことを語ってはなりません。
それは、人を騙す行為であるからです。
悪気が無くても、その行為が結果的に人を騙したのであれば、その行為によって罰せられます。
どのような意思を以て行ったのか?ではなく、その行為がどのようなものであったのか?ということが重要視されるのです。
多くの人が正しいと主張することであっても、真理に従っていないものはどのような行為であっても罰せられます。
人が自分勝手に正しいと主張したところで、真理に逆らうことはできません。
それが正しい行いかどうかは、真理が決めることなのです。
人は多くの人の意見を正しいと思う傾向にあります。
多くの人の意見であるという安心感が、それを正しいと思い込ませるのです。
そして、仲間がいるという条件が、抵抗無くそれを正しいと思い込ませるのです。
どれだけ多くの人が正しいと主張する意見であったとしても、間違っているものは間違っているのです。
ルールとして記されているものは、どれだけ多くの人がその行為を非難しても正しいのです。
人は未熟な存在です。
無知であり、悪意に満ちています。
そのような不安定な存在には、審判は任せられてはいないのです。
一人の主張であっても、正しいことは正しいのです。
百人の主張であっても、間違っていることは間違っているのです。
もちろん、その反対もあります。
人数の多さは、確率の問題です。
多くの人の指示する意見が正しい確率が高いというだけなのです。
しかし、確率が低くても、正しいことは正しいのです。
あなたは常に正しいことが何であるのか?ということを探し続けなければなりません。
他人の意見を無視することは許されません。
あなたは他人の意見を大切にしなければなりません。
しかし、他人の意見はあなたの見識の参考になるだけであり、当否を決めるものではないのです。
あなたも他の人と同様に未熟であり、無知であり、悪意を持っているのです。
誰もが未熟であるのです。
そのため、誰もが正しさを探し続けなければならないのです。
人生はいつまで経っても正しさを追求する時間です。
人は、正しさ(真理)を追い求めなければならないのです。
あなたが例え、死に臨(のぞ)む瞬間であっても、何が正しいのか?ということを追求しなければならないのです。
間違っている方法を用いれば、間違った結果を得ることになります。
間違った道を進めば、間違った場所に辿り着くのです。
多くの人が正しいと主張することであっても、あなたが間違っていると確信するのであれば、それを行ってはなりません。
あなたは間違いを正さなければならないのです。
間違った方法を用い、間違った道を進み、他の人を道連れにしてはなりません。
間違っていると知っているのであれば、多くの人にそれが間違いであるということを知らせましょう。
正しい道を知っておきながら、それを黙っているのは嘘吐きであり、罪人であるのです。
あなたは幸せになるために生きているのです。
そして、他人を幸せにするために生きています。
どのような人であっても幸せを求めています。
幸せになる方法を一つでも知っているなら、あなたはそれを多くの人に話しましょう。
あなたが幸せになった方法であれば、他の人も幸せになれる可能性が高いのです。
人は他の人と協力し、互いに幸せを目指さなければなりません。
間違っていることは間違っているのです。
正しいことは正しいのです。
そのことを忘れてはなりません。

2014年8月4日月曜日

客人

ただの人間ならどこにでもいます。
ただの人間なら都にいます。
ただの人間なら畑にいます。
ただの人間なら山中にいます。
ただの人間なら手を伸ばせば届くところにいるのです。
あなたは何の変哲もないものを欲しがりますか?
あなたが何かを欲しがるのは、それが魅力的に映るからです。
魅力を覚えることがなければ、あなたはそれを手にすることはないのです。
人間は選ばれます。
それは他人によって選ばれます。
他人が気に入ることがなければ、人間は他人に選ばれないのです。
他人は魅力的な人間を選ぶのです。
人間は選ばれます。
それは仕事によって選ばれます。
仕事が気に入ることがなければ、人間は仕事に選ばれないのです。
仕事は魅力的な人間を選ぶのです。
人間は選ばれます。
それは「神」によって選ばれます。
「神」が気に入ることがなければ、人間は「神」によって選ばれることはないのです。
「神」は魅力的な人間を選ぶのです。
人間は選ばれます。
それは罪によって選ばれます。
罪が気に入ることがなければ、人間は罪に選ばれることはないのです。
罪は魅力的な人間を選ぶのです。
これは自分自身の意思によって選択する人生です。
しかし、戸口を開くのは屋敷の主人であるのです。
訪ねて来た者が勝手に戸口を開き、屋敷に侵入することはできません。
そのようなことをすれば、盗人という汚名を着せられて討ち滅ぼされてしまうでしょう。
人間は屋敷を訪ねることはできますが、勝手に中に入ることは許されてはいないということを覚えておかなければならないのです。
屋敷の主人が気に入ることがなければ、人間は決して持て成されることはないのです。
ただの人間を主人は招き入れはしません。
主人にとって、その人間が特別な存在でなければ、決して戸口を開くことはないのです。
あなたの家に知らない者が訪ねて来たとしても、あなたはその者を知らないために警戒し、安易に扉を開いて屋内に招き入れることはないでしょう。
特別な者でなければ、馳走(ちそう)を振る舞うこともないのです。
あなたは訪ねた屋敷の主人に気に入られるように、ただの人間としての立場を捨て去りましょう。
あなたは、屋敷の主人のことを調べなければなりません。
主人がどのような人間を求めているのかを知らなければならないのです。
善人の屋敷に訪ねたのが悪人であっては、顔を見るなり追い返されます。
善人の屋敷に訪ねて招き入れられるのは、善人でなければならないからです。
悪人は、悪人の住む屋敷にのみ招き入れられるのです。
ただの人間なら、屋敷の主人は関心を持ちません。
どこにでもいるのなら、価値はないのです。
主人は価値のある人間を求めているのです。
あなたは常に自らを磨き続けなければなりません。
あなたが招き入れられたい屋敷の主人の意向に従って、己を築くのです。
あなたは主人に仕えて生きなければならないのです。
主人の元にいなければ、どのような豊かさも得られないのです。
人間は、その主人から恵みを受けるのです。
屋敷に招き入れられたとしても、怠っていてはなりません。
後から訪ねてくる人間が優れているのであれば、既に招き入れた者の中からその代わりを探すからです。
あなたには心と才能が与えられています。
あなたは心を美しく保つことを忘れてはなりません。
そして、才能を生かすことを忘れてはなりません。
どのような人間にも才能が与えられています。
あなたは自らの才能のために働きましょう。
ただし、才能とは特別なものとは限りません。
笑顔でいることすら才能なのです。
あなたは屋敷の主人が気に入る人間になるように努めましょう。

2014年8月3日日曜日

あなたの物語

あなたは自分勝手に生きてはなりません。
人生はあなたのものですが、あなただけのものではないのです。
この言葉に矛盾を感じてはなりません。
あなたは独りで生きているのではないのです。
あなたは、あなた以外の存在と共に生きているのです。
あなた以外の存在がいなければ、あなたの人生は築かれません。
あなた以外の存在がいるからこそ、あなたの人生は築かれるのです。
あなたは自分以外の存在の重要性を理解しなければならないのです。
自分独りで生きている気になってはなりません。
自分独りで生きていけるなどと考えてはなりません。
人は自分以外の存在と協力しなければ、決して生きていくことはできないのです。
自分勝手に生きれば、自らその協力を手放すようなものです。
協力がなければ決して人生を築くことはできないのです。
あなたは協力してもらわなければならないのです。
しかし、協力というのは、何もあなたに対して好意的に、また有効的なものとは限りません。
あなたにとって敵意を以て、また不利に働くような協力というものも存在しているのです。
そのことを知って、人生を生きなければならないのです。
難しく考える必要はありません。
簡単に言えば、目の前のすべての状況があなたに対する協力であると考えれば良いのです。
良いことも悪いことも、そのすべてがあなたに対する協力なのです。
そのことを忘れてしまうと、あなたは自分勝手に生きるようになってしまうでしょう。
自分勝手に生きて大成する人はいません。
それは真理に反している行為だからです。
相手があなたを憎むのは相手の勝手ですが、あなたは敵を作ってはなりません。
あなたを憎む相手に対しても、思いやりと感謝を忘れてはならないのです。
すべてがあなたの大切な人生を築くための協力なのです。
感情的に捉えてはなりません。
自分勝手に相手を責めてはならないのです。
人生は様々な存在が共に築いてくれています。
敵だと思える相手や、苦悩であったとしても、それらが重要な役割を果たしているのです。
重要な役割を果たしている存在を蔑(ないがし)ろに扱ってはならないのです。
悪役が存在しなければ、問題も生じません。
そのような物語のどこが面白いのでしょう?
あなたはそのような物語を長い時間をかけて見ていたいですか?
退屈するとは思いませんか?
それこそが苦痛であるのです。
この人生はあなたの物語です。
それは様々な展開によって大きく動きます。
それで良いのです。
あなたは人生を小説や映画のように楽しまなければなりません。
小説や映画によって、あなたが実際に誰かを恨むでしょうか?
それらによって人生に絶望することがあるでしょうか?
小説や映画は娯楽として冷静に認識することができるはずです。
それで良いのです。
あなたは人生を真剣に生きなければなりません。
しかし、それを歪めてはならないのです。
人生は娯楽です。
小説を読んでいる時に書籍を破り捨てたり、映画を観ている時にスクリーンを引き裂いてはならないのです。
どのような展開やエンディングに収まろうとも、それが重要であるのです。
そこにメッセージがあるのです。
その展開やエンディングが気に入らないからといって暴れてはなりません。
小説が書籍になり、映画が上映される時点では、既にそれらは完成されており、今更それをどうすることもできないのです。
人生がどのような状況を招こうとも、それに文句を言ってはなりません。
自分勝手に生きてはなりません。
すべてがあなたという原因によって導かれる当然の結果であるのです。
自分がやっておきながら、わたしはやっていませんなどという見苦しい態度をとってはならないのです。
自らの生き方によって出来上がった状況に対して不満を吐くという時点において、自分勝手であるということを知りましょう。
どのような状況も楽しみましょう。
人生は楽しいものなのです。
あなたは自分自身で物語を書き連ねるのです。
良い生き方によって、良い文章を記しましょう。

2014年8月2日土曜日

貴重な経験

「わたし」はあなたに経験させます。
あなたは経験しなければなりません。
それがどのようなものであるのかを知るためには、それを経験する必要があるからです。
あなたは常に経験します。
あなたは経験を通して学んでいるのです。
すべてが学びであるということを理解しましょう。
あなたがどのような経験を得ようとも、それが学びであるのです。
そして、その学びから成長を得るのです。
人は成長するために生きています。
それは、心の成長であり、霊、魂の成長なのです。
受け入れることができなければ、理解することはできません。
どのよう正確な知識を得たとしても、それだけでは不十分です。
知識はどれだけ正確であっても知識でしかありません。
知識によっては、あなたは学ぶことができないのです。
知識は必要です。
それも、できる限り正確な知識を求めなければなりません。
しかし、知識だけで満足してはなりません。
どのように正確な知識が百もあっても、ただ一つの経験には勝らないのです。
経験することでしか理解することができないのです。
あなたは自由意思によって、好きなように人生を選択することができます。
どのように時間を過ごそうか?何を食べようか?ということまで決めることができるのです。
その選択の一つひとつが、あなたの経験となります。
印象的なことばかりが経験ではありません。
それが取るに足らないことであったとしても、それが貴重な経験となるのです。
あなたは常に経験しているのです。
そして、あなたが自ら下した選択が、どのような結果に結び付くのかを学んでいるのです。
人生は真理を以てあなたに反応します。
あなたは自分自身の選択がどのような状況を導くのかを経験します。
そして、それが自分自身に対してどのような影響力を持っているのかを理解するのです。
経験したことを否定することはできません。
それは、事実だからです。
経験を否定することのできる人はいません。
どのような理論を以てしても、事実を否定するのであれば、それは偽装をすることに違いないからです。
行き着く先は真理なのです。
どのような現象も突き詰めていけば真理に辿り着きます。
あなたが経験したことが事実であり、真実であるということを知りましょう。
多くの知識を有しても、その経験とは異なることがあります。
それは、知識が間違っているのであって、経験が間違っているということではありません。
どのように権威のある人物があなたに教えたとしても、経験と異なるのであれば、それは間違っているのです。
あなたは経験を大切にしましょう。
「わたし」はあなたが経験するように取り計らいます。
あなたがどのような方法を用いても、自らが経験することになります。
選択するなら、選択したらどうなるのか?ということを経験します。
選択しなければ、選択しなかったらどうなるのか?ということを経験するのです。
あなたは必ず真理に辿り着くようになっています。
あなたが真理を見ない日はありません。
あなたは常に真理と共にあるということを覚えておきましょう。
「わたし」はあなたと共にあります。
「わたし」があなたから離れることは有り得ません。
安心して学びましょう。
あなたの得る経験は、そのすべてが大切なものであるということを知りましょう。
あなたは経験に従って次の選択をするように努めるのです。
経験に勝る判断は存在しません。
自信を持ちましょう。
その選択が不利な結果を導いたとしても、そこでどうなるのかを学ぶのです。
無駄はありません。
すべてが順調に進んでいます。
間違えてはなりません。

2014年8月1日金曜日

続けるか?やめるか?

大切なのは熱意があることです。
熱意があれば、何事も必要な結果を得ることができるでしょう。
必要な結果とは、あなたの望む結果のことではありません。
人生が望み通りに進むことはありません。
人生は必要に応じて進み続けるのです。
そのため、熱意を以て事に当たったとしても、それが望み通りの成果を上げるということではないのです。
理想の結果を得ることができなくても、あなたが成長するために必要な結果は得られるということなのです。
人生の目的は成長にあります。
例え失敗し、理想の結果を得ることができなくても、それでも必要が満たされていれば良いのです。
理想の結果を受け取ることになっても、必要が満たされていなければ、その歪みが後に訪れ、必要を満たすのです。
必要は満たされます。
必要とは、あなたの行為が生み出した原因から生じる結果です。
どのように巧みに結果を避けても、それは必ずあなたに直撃するのです。
自らの生み出した結果から逃れることのできる人は存在しないのです。
どのような結果を得ても良いように、あなたは熱意を以て事に当たらなければならないのです。
熱意を以て事に当たるのであれば、どのようなことに対しても誠実に向き合うでしょう。
誠実に向き合っているのであれば、結果は良いものに決まっているのです。
良いことをすれば、良いことがあるのです。
熱意を以て事に当たっていなければ、不誠実に向き合うのです。
怠慢や不正によって得られる結果は、乏しさと苦しみに他ならないのです。
一生懸命に励んでも、求める成果を上げることができない時があります。
しかし、一生懸命に励んでいるという原因は、次の良い結果に繋がります。
求める成果を上げることができないと不貞腐れ、怠慢や不正に手を出すのであれば、それは次の悪い結果に繋がるのです。
熱意が失われる時、人は悪い原因を生み出します。
熱意によってのみ、結果は良いものとなるのです。
大切なのは熱意があることです。
それがどのようなことであっても、熱意が無いのであれば良い結果には繋がりません。
熱意が無いにも関わらず、それを続けている人がいます。
しかし、熱意が無いために、怠慢や不正に手を染めます。
その結果として、乏しさと苦しみを得ることになるのです。
しかしながら、人はそれでも執着するのです。
熱意が無ければ乏しさと苦しみに辿り着くのです。
熱意が無いのに、豊かさと幸福に辿り着くことなどありません。
熱意が失われた時点において、結果は分かっているのです。
熱意が無いのであればやめましょう。
熱意が無いのであれば手放しましょう。
熱意が無く、続けることは苦しいことなのです。
あなたは幸福にならなければなりません。
そして、他人を幸福にしなければならないのです。
怠慢と不正によって築かれる行為によって、誰が幸福になるというのでしょう?
行為を向ける相手に対して失礼ですし、それを行う自分自身にとっても失礼です。
そして、何より、その道に対して失礼であるということを覚えておかなければならないのです。
道の究極を求めて励んでいる人がいるのです。
怠慢と不正によって同じ道を歩むのは不躾(ぶしつけ)であるということに気が付かなければならないのです。
無礼を働く者には、何等かの制裁が与えられるのです。
それは決して豊かさや幸福というものではないのです。
それがどのような道であっても、あなたは熱意を基準に考えましょう。
熱意が無ければ続けても無駄です。
悪い結果を生み続けるだけなのです。
人生とは決断です。
やる気が出なければやってはならないのです。
それを手放し、やめてしまうのには勇気が必要です。
しかし、その決断が長引けば、余計に手放すことができなくなってしまうのです。
人はどのようなものにも愛着を覚えます。
愛着が判断を鈍らせるのです。
何事に対しても熱意が大切であるということを覚えておきましょう。
熱意を失ったなら、潔(いさぎよ)く手放しましょう。