あなたは似て非なるものに注意をしなければなりません。
その姿形が似ていようとも、その中身が同じであるとは限らないのです。
似てはいても、異なるものがあるということを覚えておきましょう。
姿形が似ているからといって油断しているのであれば、その似て非なるものによって大切なものを奪われてしまうのです。
姿形によってそれを信じてはなりません。
姿形によってそれに従ってはなりません。
外見を装うことなど、造作も無いことであるのです。
悪人でも、善人を騙そうとして笑顔を作るのです。
偽りを用いることなど簡単なのです。
善人であるあなたには、このことが理解できないかも知れません。
しかし、この世界には偽りが存在し、偽りは真を脅かすのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
真は偽りによって、その純粋さを狙われているのです。
善人であるあなたは、偽りに打ち勝たなければならないのです。
偽るものを見極めなければなりません。
どのようなものも、その本質までは偽ることができません。
悪人が善人を騙そうとして笑顔を作っても、騙そうとする本心を変えることはないのです。
姿形を偽ることはできても、その本質を偽ることはできません。
どのように巧妙に偽っても、完全に本質を隠すことはできません。
どのような滅金(めっき)も、叩けば剥がれます。
溶かせば落ちます。
様々な方法によって、その偽りは暴かれるのです。
あなたは誰が、何が真であり、誰が、何が偽りであるのかを見極めなければなりません。
本質を見極めることなく信用してはなりません。
その本性が明るみに出るまでは、疑いを離れてはならないのです。
あなたはその者の言葉ではなく、行いを見ましょう。
表情や言葉を偽ることはできますが、行いを偽ることはできません。
すべての人の行いは、その人の真である本質を映し出しているのです。
この世では共食いが許されています。
同じような姿形だと油断していると、その命を奪われてしまうのです。
微生物も植物も昆虫も魚も動物も、同類を食するのです。
同類だからといって油断してはならないのです。
人間であってもそれと同じことを行います。
悪意によって支配されているこの世の中にあっては、人間は人間の命を狙っているのです。
あなたは似て非なるものに注意をしなければなりません。
偽りは、巧妙に真を擬態(ぎたい)します。
あなたを騙し、討ち滅ぼそうとしているのです。
このことは、あなたを不安にさせるために言っているのではありません。
存在するすべては必要なものですが、危険が存在するということを知っておかなければならないのです。
何が危険であるのかを知ることがなければ、すべてが必要であるということを理解することができないのです。
危険であっても必要であると理解するのであれば、あなたは偽りを認めた上で真であることができるでしょう。
危険は避ければ良いのです。
危険であると知りながら、その道を通る必要はありません。
ただし、偽りものを裁く必要はありません。
偽りものを害することなく、あなたは真に至りましょう。
偽りに騙されてはなりません。
偽りに躓(つまず)くことがなければ幸いです。
偽りを損なうことがなければ幸いなのです。
偽りものでさえ、この世の必要に数えられています。
あなたはそれが偽りであると見極め、それに捕えられなければ良いのです。
争いは必要ありません。
その人を初めから悪人であると知っていたなら、あなたがその人を責めることもないのです。
大切なのは本質を見極めることです。
姿形に騙されてはなりません。
本質は行いにあります。
0 件のコメント:
コメントを投稿