その先に何があるのか?あなたはそれを考えなければなりません。
	
	何があるのかを知らずに行う歩みには恐れがあります。
	恐れは歩みの障害となります。
	恐れがあれば、人は満足に道を行くことができないのです。
	その先に何があるのかを知っているのであれば、その歩みは軽やかなものになります。
	それは、先に何があるのかを知っていることによって安心しているからです。
	安心しているのであれば、人の歩みは捗(はかど)るのです。
	人は安心して生きていかなければなりません。
	あなたはどのような状況に対しても安心を忘れてはならないのです。
	安心して生きていくために、あなたはその先を見なければなりません。
	暗闇を歩むのは、誰にとっても恐ろしいものです。
	暗闇の中に一歩を踏み出すのは、誰にとっても難しいのです。
	先を見るためには、光によって暗闇を取り除かなければならないのです。
	あなたの歩んでいる道の先には何があるでしょうか?
	あなたはその道の先に何を見ていますか?
	あなたがどのような道を進んでも何の問題もありません。
	しかし、その先に何があるのか?ということを見ておらず、ただ闇雲に歩んでいるのであれば、それは問題となり、苦しみとなるのです。
	先を見るとは、何のために歩んでいるのか?という理由を知るということなのです。
	あなたは何のためにその道を進んでいるのですか?
	あなたは何のために生きているのですか?
	そのことを知ることがなければ、どのような道も空しいということを覚えておきましょう。
	人の本質は魂です。
	その魂が満たされる理由を得なければなりません。
	どのような理由を得たとしても、魂が満たされないのであれば、それによって幸福を得ることはできないのです。
	食物を得ても、それが胃腸に至らなければ空腹が満たされるということはありません。
	それと同じように、どのような理由で生きても、それが魂に響くことがなければ満たされないのです。
	その道の先には何がありますか?
	その仕事の先には何がありますか?
	その生き方の先には何がありますか?
	その人間関係の先には何がありますか?
	その環境の先には何がありますか?
	その人生の先には何があるのでしょう?
	先にあるものを見定めていなければ、あなたは正しい道順を選ぶことはできないでしょう。
	正しい道順を進むことがなければ、正しい場所に辿り着くことはできません。
	正しい場所に辿り着くことができなければ、あなたが満たされることはないのです。
	空しく生きてはなりません。
	欲望に溺れて、刹那(せつな)の快楽に生きてはならないのです。
	大切なのはその先に何があるのか?ということであるのです。
	先の無い道は空しいのです。
	それは、可能性の喪失(そうしつ)を意味付けているからです。
	先を見て選ばなければ、それ以上進むことはできないでしょう。
	あなたは深く考えなければなりません。
	思いやりや愛情、夢や希望によって、道を照らし続けなければなりません。
	あなたの光によって照らし出される範囲が広いほど、あなたは道に安心することができるでしょう。
	先が見えたならば、穏やかに生きていくことができるのです。
	心穏やかに生きることは大切です。
	それは、心が乱れているのであれば、幸福が得られるはずがないからです。
	その先に何があるのかを知っているのであれば、あなたが恐れることはありません。
	その場所からでは見えないこともあるでしょうが、先を考えて選択しなければなりません。
	先を追求していけば、その道の極みに辿り着くことができるでしょう。
	何も考えずに生きてはなりません。
	人生は無意味なものではないのです。
	それには大切な意味があり、大切な場所があるのです。
	その先が良いものとなるように努めましょう。
	その先に何があるのか?を考えましょう。
	
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