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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2014年11月15日土曜日

錯覚

思い込みの中であなたは生きています。
あなたの人生というものは、思い込みに満ちているのです。
壮大な思い込みによって世界を見ているために、あなたは偏見を抱えます。
偏見によって歪んだ世界を信じ、それに従って生きているのです。
あなたは正しく見る必要があります。
正しく見ることができなければ、正しく進むことができません。
正しく進むことができなければ、人は苦しみの中にとどまる以外に方法はないのです。
すべての存在は幸福を求めます。
あなたは幸福を実現しなければならないのです。
幸福を実現するためには、何が本当の幸福であるのかを理解する必要があります。
幸福の実相が何であるのか?ということが分からなければ、何を得ても幸福を得ることができないのです。
思い込みは偏見を生み出します。
あなたは思い込みに捉われることに注意しなければならないのです。
一つの現象を違う場所から観察するのであれば、その見解には違いが現れます。
正面から見るのと、背面から見るのでは、それは違ったものに見えるのです。
石を水面に放ります。
水面を捕えた石は波紋を生み出し、自身は没します。
小さな水溜まりでその現象を見た者は、その石の持つエネルギーは大きなものだと思い込むのです。
湖でその現象を見た者は、その石の持つエネルギーは小さなものだと思い込むでしょう。
同じ質量の石であっても、投げ込まれる場所によって、印象には大きな違いが生じるのです。
石が水面を捉えるエネルギーは、水溜まりであろうと湖であろうと同じです。
しかし、印象が変わるのは、錯覚を起こしているからなのです。
小さな価値観によって問題を捉えると、それは大事であるように思えます。
しかし、大きな価値観によって問題を捉えるのであれば、それは小事となるのです。
子どもが恐れることを、大人が恐れることはありません。
それは、子どもが錯覚という思い込みに縛られているからなのです。
十年前の悩みが、現在のあなたを苦しめるでしょうか?
あなたが成長しているのであれば、十年前の悩みによって、現在のあなたが苦しむことはないでしょう。
問題は同じものであっても、それに対する認識が変わったのです。
あなたが変わったために、状況が変わったのです。
価値観の広がりと共に、あなたは強くなります。
成長することによって、今までの苦しみから解放されるのです。
あなたを苦しめているのは、環境や他人ではありません。
自分自身の未熟な錯覚によって、自ら苦しんでいるのです。
有り余るほど持っているのであれば、一つを失ったとしてもそれを受け入れることができるでしょう。
しかし、不足を感じているのであれば、一つを失ったとしてもそれを受け入れることができないのです。
人は壮大な錯覚の中に生きています。
あなたは知らず知らずの内に騙されているのです。
しかも、自分自身で自分自身を騙すのです。
思い込みに縛られてはなりません。
自分が正しいという偏見を持ってはなりません。
実相を錯覚してはなりません。
あなたは常に正しく見ることを求めなければならないのです。
大きな視点を身に付ければ、物事の実相に近付くことができます。
しかし、多くの人は錯覚に捉われているために、大きな視点に目覚めた者を嘲笑(ちょうしょう)します。
錯覚に捉われる者ほど、他人を批判し、愛から遠ざかるのです。
愛から離れる者ほど愚かな者はいません。
愛によってこの世に生まれ、愛によって生きている人間が、愛を失うことほど情けないことはないのです。
愛を失った人間は、自分が何者であるのか?人生が何のためにあるのか?ということを知りません。
また、それ等の答えに辿り着くこともないのです。
そして、小さなことに苦しむのです。
自らの価値観によって、世界の見え方が違うということを覚えておきましょう。
あなたが気に掛けなければならないのは自分自身です。
自らを美しく保ちましょう。
あなたは自分自身を通して世界を見るのです。
それが小さなものであったり、歪んでいたり、欠けていたり、汚れているのであれば、正しく見ることができないのです。

4 件のコメント:

  1. こんにちは
    今でも私は十分にしあわせなのです。
    さらにこの上のしあわせを求めたら
    今が壊れてしまいそうです。今のままでいいと思うのは私だけですか?
    といっても、もっと…どうなればどうなのか私にもわからないですが。

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    1. Goma Sesameさんへ
      現状に満足を覚え、幸福感を覚えるのは素晴らしいことです。
      あなたは現状の幸福に感謝を忘れてはならないでしょう。
      しかしながら、あなたには解き明かさなければならない謎があります。
      あなたは「人生が何のためにあるのか?」「自分が何者であるのか?」この問いに答えることができますか?
      それ等に答えることができたとして、本当にそれが答えなのでしょうか?
      常識という名の嘘を信じ込んではいませんか?
      家庭があれば良い、仕事があれば良い、お金があれば良い、健康であれば良い、物を持っていれば良い…
      残念ながら、常識というものは「誰か」によって用意された偽りの目的です。
      それで心や魂が満たされるのであれば、それが壊れないように努めれば良いでしょう。
      わたしは31年間「ここ」で暮らしてみて、いろいろと気が付いたことや思い出したことがあります。
      その視点で人生を眺めてみた時に、常識というものに踊らされているということを理解しました。
      残念なことですが、ほとんどの人が知らずにいます。
      ほとんどの人が忘れているのです。
      あなたの思う幸福は、確かに幸福です。
      しかし、本当に幸福なのでしょうか?
      哲学的な変な話になりましたが、この世界を深く理解する必要があるかも知れませんよ。

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  2. 「人生が何のためにあるのか?」「自分が何者であるのか?」
    この答えは私ひとりでは見つけられません。わたしはあなたのいう常識の中でしあわせを見つけることで精一杯です。なにをすべきか、どうあるべきかは、もっとたくさんの経験を積まなければ。周りの人や、モノや、目に見えない方々の声を聞かなければ。
    ……難しいです。「ここ」にいるうちに答えに近づければいいな。

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    1. Sesame Gomaさんへ
      その通りです。
      様々な経験を経て成長することがなければ分からないのです。
      現在のあなたの思う「幸せ」が、人生の本当の幸せであると決めるのはまだ早いということですね。
      何も知らずに思う幸せは、何かを知った後の幸せとは明らかに違うものです。
      半年後には、今の幸せは不幸になっているということもあるのです。
      わたしにとっては、今日に比べると昨日でさえ不幸なのです。
      それは、今日の方が明らかに成長しているからです。
      明日がやって来るのに、今日にとどまりたいとは思いません。
      昨日に戻りたいなどとは、決して思わないのです。
      あなたは今の幸せが壊れるのが恐いと言いましたが、今の幸せ(状態)が続くことの方が恐ろしいということを理解する必要があるかも知れません。
      現状維持ほど恐ろしいものはありませんよ。
      安定とか、平穏無事だとか、そのような常識に騙されてはいけませんよ。


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