人生には、いつでも可能性というものが存在しています。
	あなたが人生において、可能性を失うことはありません。
	可能性を見失うことはあるでしょうが、可能性を失うことはないのです。
	しかしながら、多くの人はそのことを理解しません。
	人生は、どのような状況においても可能性に満ち溢れているものです。
	しかし、そのことを信用することができないのです。
	すべての人が何かしらの問題と向き合います。
	そして、多くの人はその問題に苦悩するのです。
	人が苦悩する時には、思考が停止している状態です。
	打つ手が無い時に、苦悩という選択を許すのです。
	多くの人は人生に苦悩しています。
	それは、多くの人の思考が停止しているということを意味しているのです。
	残念ながら、人生には、八方塞(はっぽうふさ)がりという状態は存在しません。
	どのような状況にも必ず可能性が存在しているのです。
	あなたは、どのような問題も解決することができます。
	どのような苦悩も、それを喜びに変えることができるのです。
	目の前の状況の中に可能性を見出せば良いだけなのです。
	そのためには、思考を働かせなければならないのです。
	多くの人が傲慢(ごうまん)に陥(おちい)っています。
	傲慢とは、自分が正しいという思い込みです。
	自分が正しいと思い込む者は、思考の柔軟性に欠けます。
	それはまるで、引き戸を押し続けているようなものなのです。
	引き戸であるにもかかわらず、それを押し続けているのであれば、扉が開く可能性は限りなく少ないのです。
	人生に苦悩を抱えている人は、このような簡単な誤解を抱えているのです。
	簡単なことで扉は開きません。
	また、簡単なことで扉は開くのです。
	傲慢という誤解を手放し、謙虚(けんきょ)さという柔軟性を身に付けるだけで良いのです。
	自分が正しいと思い込む者は道を見失います。
	自分を疑う者には、道が開けるでしょう。
	残念ながら、自分が正しいことなどありません。
	厳密には、自分が正しい時もあれば、自分が間違っている時もあるということなのです。
	謙虚な者は学ぶことを許されます。
	それは、状況を考察する思考の運動を助けます。
	学ぶ者は考えるのです。
	学ぶ意欲の無い多くの者は考えてはいません。
	大地を掘れば水が得られるのに、天を仰(あお)いで文句を吐くのです。
	多くの人は、努力することを嫌います。
	それは、思考が停止しているために、努力の有用性を理解しないのです。
	傲慢な者は同時に怠惰(たいだ)です。
	傲慢な者は自分が正しいと思い込んでいるために、自分を働かせることができないのです。
	自分が正しいと思い込んでいる愚者は、他人を働かせるでしょう。
	問題を相手のせいにするのです。
	問題を抱えているのは自分であって他人ではありません。
	思考が停止ているために、その程度の事実にも気が付かないのです。
	あなたが人生を豊かなものにしたければ、可能性を見出す以外に方法はありません。
	可能性とは豊かさです。
	可能性を失うことが乏しさなのです。
	あなたは、謙虚な気持ちで状況に向き合いましょう。
	そうすれば、今の自分にも何か一つでもできることが見えてくるのです。
	その一つのできることを見付けることが重要なのです。
	傲慢な者には、その一つのできることが見付けられないのです。
	人生とは、理想通りの華やかなものではありません。
	それは、とても泥臭く、見窄(みすぼ)らしいものなのです。
	現実とは、決して綺麗なものではないのです。
	あなたは額に汗して働きましょう。
	詰まらない自尊心を手放し、謙虚になるのです。
	どのような生き方が最も美しいかを考えましょう。
	真の美しさを探しましょう。
	
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