人生には、何一つ留(とど)めておくことはできません。
	すべては流転し、決して留まることをしません。
	あなたには、何一つ留めておく力はありません。
	すべては因果の流れの中に存在しているのです。
	何かを留めておくためには、因果の流れを断ち切る必要があります。
	原因と結果を結び付ける力を遮断する必要があるのです。
	しかしながら、あなたにはそのような力はありません。
	そのため、何かを留めておくためにどのような方法を用いたとしても、それを実現することはできないのです。
	すべては流転し、決して留まることをしません。
	これは、この世界の理(ことわり)です。
	どのような人物も、流転に逆らうことはできないのです。
	しかしながら、多くの人は何かを留めようと努めています。
	どれだけの労力を用いようとも、決して留めることはできません。
	そのことを理解することに労力を用いる方が健全なのです。
	すべてが流転するには重要な理由があります。
	それは、より良くするためです。
	この世界の目的は成長です。
	どのようなものにも、それを向上させる力が働いているのです。
	理解することができなければ、理解するために労力を用いましょう。
	否定に労力を用いたとしても、満足する結果を得ることはできないのです。
	あなたには、頭髪一本であろうとも、それを留める力はないのです。
	自然界において、水や命が循環するように、あなたの身体や精神、人生においても循環が行われているのです。
	あなたは手放すことと、受け取ることを繰り返しているということを理解しましょう。
	喉(のど)の渇きを潤したとしても、それを排出しなければどうなるでしょうか?
	飲み込んだ水を体内に留めておけば、あなたは命を失ってしまうのです。
	人生においても同じことが起きるのです。
	強欲に従って何かを留めておこうと考えるのであれば、可能性を失ってしまうということを覚えておく必要があるのです。
	人は必ず、手放さなければなりません。
	初めに手放すのです。
	水分を排出することによって、喉の渇きを覚えるのです。
	手放すことがなければ、受け取ることはできません。
	そのことを理解する必要があるのです。
	多くの人は、両手に荷物を抱えながらも、更に何かを欲しています。
	それ以上抱えておく力も無いのに欲するのです。
	あなたは、自らの分際(ぶんざい)を弁(わきま)えなければなりません。
	あなたには、何かを留めておく力はないのです。
	無知な者は失うことを恐れます。
	それは、手に入れたものを再び手に入れることができないと思い込んでいるからです。
	あなたには、何かを留めておく力はありません。
	失う(不足)という状態も留めておくことはできないのです。
	そのため、何かを失ったとしても、それは問題にはならないのです。
	知恵のある者は失うことを恐れません。
	それは、知恵によって何度でも、失ったものやより良いものを手に入れられることを知っているからです。
	知恵のある者は、何も留めておくことはできず、すべてが流転しているということを知っているのです。
	知恵のある者は豊かさに満足し、無知な者は乏しさに満足するでしょう。
	手放すということは、より良いものを手にするということです。
	取り込んだ空気を吐き出さなければ、肺が腐ります。
	溜め込んだ富を使い与えることがなければ、心が寂れてしまうのです。
	強欲とは、不安です。
	不安とは、無知なのです。
	無知な者は必ず不安を抱えます。
	そして、必ず強欲に従うのです。
	留めることに専念し、手放すことを知りません。
	多くのものを欲しがり、少しのものも与えようとはしません。
	そのような態度こそが、目の前の問題であり、腹の中の苦悩であるということを知らなければなりません。
	人生の可能性を失ってはなりません。
	手放すことによって、人生には可能性が生じるのです。
	何も留めず、流転を生きましょう。
	
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