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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年7月5日水曜日

無知の重荷

すべての人は、人生という道を歩んでいます。
すべての人が人生という道を進み、目的地を目指しているのです。
目的地に到達することは、必ずしも目的ではありません。
重要なのは、目的地に向かって進んでいるということです。
すべての人は人生という道を歩んでいますが、目的地に向かって進んでいる人は多くはありません。
多くの人は目的地を目指すことなく、歩き続けているのです。
人生における目的地とは、夢や理想などのことではありません。
夢や理想を実現したとしても、それが人生の目的地であるということではないのです。
人生の目的地とは、学びの終着です。
人生を学び終えることによって、人は目的地に到達するのです。
そのため、あなたは学ぶ意識を失ってはなりません。
人は、何かを学び続ける必要があるのです。
どのようなことを学ぶかは、人それぞれに異なります。
そのため、あなたは自分の目の前に導かれる学びについて、学ぶ必要があるのです。
学びとは、気付きのことです。
気付きとは、知恵の高まりです。
人は、学ぶことによって無知を克服し、知恵を得るのです。
人生の目的とは、知恵を高めることであるのです。
それは、この世の理(ことわり)を理解するためです。
あなたが人生を体験しているのは、人生を知るためなのです。
人生とは何か?という問いに答えを導くために、人生を生きているのです。
この世の理を理解することによって、あなたは人生を理解することができるでしょう。
この世の理を理解するためには、それを理解するだけの知恵が必要になるのです。
無知な者が、理を理解することはできません。
無知であれば、目の前で何が起きているのかを知ることはできないのです。
無知は重荷です。
人は、無知という重荷によって歩めなくなるのです。
無知を抱えている者ほど、人生に変化を導くことができません。
無知な者は一歩を踏み出すことができないのです。
無知であるが故に、変化を導く意味と手段を知らないのです。
知恵によって道を進む者には、変化の重要性と価値を理解することができます。
そのため、知恵のある者は常に変化の中に生き続けているのです。
無知とは、何もできない赤子のようなものです。
赤子は最低限のことしかできません。
自力で移動することもできなければ、渇(かわ)きを潤すことも、意思を伝えることもできないのです。
それは、赤子が人体に対して無知であるからです。
赤子は、無知であるが故(ゆえ)に、地に伏せているのです。
赤子も経験(学び)を重ねることによって知恵を得ます。
赤子は、知恵によって移動し、知恵によって渇きを潤し、知恵によって意思を伝えるのです。
知恵によって人生は展開します。
知恵によって、足取りは軽くなるのです。
無知であれば、二の足を踏むでしょう。
それは、どうするべきかを知らないからです。
知恵によって人は、決断を下すことができるのです。
無知な赤子は、問題の解決を他人任せにします。
その解決を待つ以外に方法はありません。
知恵の子どもは、自らの意思で問題を解決することもできるのです。
知恵にこそ価値があるということを理解しましょう。
あなたは、知恵によって人生を軽くすることができます。
知恵によって、問題は問題ではなくなり、苦しみは苦しみではなくなるのです。
知恵とは、それほど価値のあるものなのです。
知恵を得るためには、学び続ける必要があります。
知恵は簡単には身に付かないものなのです。
赤子が移動するためには、移動するための練習をし続ける必要があるのです。
赤子は一日も休まず歩もうと努めます。
そのため、歩むことに対しての無知を克服し、知恵の恩恵(おんけい)によって歩むことができるのです。
あなたは学び続けましょう。
何事にも練習を重ねるのです。
そうでなければ、あなたが人生の目的地を目指して進むことも、そこに到達することはできません。
目的地を見失った道程(みちのり)ほど、虚(むな)しいことはないのです。
無知の重荷を手放しましょう。

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