人生とは、終わりの無い旅路です。
残念ながら、人生に終着はありません。
人は、人生を歩み続ける必要があるのです。
例えば、死を以(もっ)てしても、人生が完結するということはないのです。
死も通過点に過ぎず、決して終わりではないのです。
多くの人が、人生に終着を望むでしょう。
多くの人は、人生がいつか完結すると考えているのです。
そのため、何かしらの目標を掲げ、それを達成するために生きているのです。
それは、目標地点に辿り着いた時に、何かが完結すると考えているからです。
多くの人は目標を目指します。
自らの掲げる、もしくは誰かから与えられた目標を達成することに努めるのです。
目標を達成することは素晴らしいことです。
すべての人が、達成へと向かわなければならないでしょう。
人生とは、マラソンのようなものです。
生まれた瞬間から、走り出しているのです。
多くの人は、訳も分からずに走っています。
多くの人は、自分が何をしているのか、どこを目指しているのかを知らないのです。
多くの人は、ただ生存するために生きているのです。
しかし、その中の少数は、自分が人生というマラソン競技を行っていることを自覚します。
そして、ゴールを目指して走り続けることになるのです。
人生には終わりがありません。
そのため、ゴールはそれぞれが勝手に決めることになるのです。
多くの人は、自分の掲げたゴールを目標にして、人生を走り続けているのです。
例えば、仕事(定年など)にゴールを見出して走り続けます。
例えば、子育て(自立や孫の世話など)にゴールを見出して走り続けるのです。
目標を掲げることによって、人は走ることへの意欲を得ることができます。
目標を掲げることがなければ、走り続けるための動機が弱ってしまうのです。
目標を掲げることによって、人は走り続けることができるのです。
しかしながら、多くの人は、ゴールの存在しない競技にゴールを設置します。
それは、途中で競技を放棄するようなものなのです。
多くの人が目標に対して懸命に走り続けているために、そこに辿り着くことしか考えてはいないのです。
目標の先にも道は続いているにもかかわらず、それ以上を走る体力も意欲も残ってはいないのです。
多くの人は、人生を考察することがありません。
多くの人は、目の前の目標や欲望に全力を傾けるのです。
残念ながら、人生には常に”先”があるのです。
あなたは、目標自体を目指してはなりません。
それは、思慮(しりょ)に欠けた行為であるからです。
大切なのは、その先を目指すということです。
例えば、多くの人が仕事を金儲け(生活や欲望)のために行っています。
そのため、金銭のために働くことになるのです。
仕事に対する金銭的な報酬は、残念ながら仕事の本質ではありません。
そのため、金銭的な報酬を求めて仕事をしているのであれば、その本質を見極めることができないということなのです。
本質を欠いた仕事が、良いものであるはずがありません。
金銭的な報酬のために働く者は、金銭的な繋がりによって仕事をしているのです。
そのため、金銭的な理由によって仕事を失うでしょう。
金銭的な報酬とは、仕事の最も表面的な目標なのです。
そのため、金を儲けるだけの仕事であるのならば、そこに価値を見出すことはできないでしょう。
その先にあるものを見なければ、例え金を儲けたとしても、疲れ切ってそれ以上進むことができないのです。
金儲けの先には、例えば、生き甲斐や信頼などがあります。
生き甲斐や信頼のために仕事を行う者は、金儲けのために仕事を行う者よりも先へと進むことができるでしょう。
先を見る者は、同時に本質を見ているのです。
あなたが何を行うにしても、その先を、より本質を見て行いましょう。
表面的な目標では、先へと進むことはできません。
マラソンを行うのであれば、ゴール地点から自宅に帰ることを考えておく必要があるのです。
何等かの目標を達成したから終わりという訳ではありません。
一つの目標を達成したとしても、すぐに次の一歩が踏み出されているのです。
何かが終わったと考えて、怠(なま)けてはなりません。
人生は、常に始まっているのです。
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