すべての人が誤解を抱えています。
すべての人が、誤解を通じて人生を眺めているのです。
そのため、人生には多くの誤解が生じています。
しかしながら、その誤解には気が付きません。
それは、視力の弱い人が眼鏡を通じて見ている景色が、より鮮明に映ることに似ています。
誤解とは、理想です。
人は、理想を通じて人生を眺めているのです。
理想は、現実を美しく彩(いろど)ります。
視力の弱い人の見ている景色が眼鏡を通じて鮮明に映るように、現実を受け入れられない人が理想を通じて見る景色は、美しく飾(かざ)り立てられるのです。
多くの人は現実を受け入れることができません。
それは、現実とは苦しいものであるからです。
現実とは、自分自身の弱さの現れです。
あなたの直面する苦しみとは、自分自身の弱さそのものなのです。
多くの人は、自分自身の弱さを受け入れることができません。
そのため、それを否定し、見ないようにするのです。
多くの人が喜びを求めています。
苦しみを求める人は多くありません。
それは、理想という美しい世界に生きていたいからです。
しかしながら、それは幻想に過ぎません。
理想の美しい世界を夢見たところで、それを生きることはできないのです。
人は、現実を生きる以外に方法はありません。
あなたは常に自分自身の弱さと共に生きるのです。
人生の目的を履き違えてはなりません。
あなたは、喜びのために生きるのではありません。
あなたは、苦しみのために生きるのです。
喜びとは、苦しみと向き合うことによって生じる結果に過ぎません。
苦しみとは、喜びと向き合うことによって生じる結果なのです。
苦しみと向き合う人は、結果として喜ぶでしょう。
あなたは誤解を手放さなければならないのです。
多くの人が、喜びを求めています。
しかしながら、喜びを求めるために苦しみを選択してはいません。
喜びを求めて、目の前の喜び(気楽)を選択するのです。
例えば、多くの人は甘えられる環境を求めています。
甘えを許される気楽な環境を喜び、誰かを甘やかす自分でありたいのです。
多くの人は、互いを甘やかすことを優しさや仲が良いことだと思い込んでいます。
しかしながら、互いを甘やかす関係に可能性はありません。
互いの怠惰(たいだ)を許し、没落していく可能性に向かっていくのです。
豊かな人生を生きる人は甘えません。
そして、他者を甘やかすこともありません。
それは、常に自分自身を練磨(れんま)しているからです。
豊かな人生を生きる人は、自分自身に厳しくあるのです。
そして、他者にも厳しくあるでしょう。
それは、自分自身と同じように、他者を練磨しようとしているからです。
自分自身を磨く人は、他者をも磨きます。
互いに磨き合えば、理想に逃げる必要はないのです。
それは、磨く程に弱さの汚れが落ち、強さという輝きが現れるからです。
真(まこと)に優しい人というのは、厳しい人であるのです。
真に厳しい人というのは、甘やかす人であるということを覚えておきましょう。
あなたを甘やかす自分自身に警戒しましょう。
そして、あなたを甘やかす他者に注意しなければなりません。
微温湯(ぬるまゆ)で互いを慰め合ってはなりません。
自らを克己(こっき)し、他者を啓蒙(けいもう)するのです。
足を引っ張り合ってはなりません。
見た目に騙されてはなりません。
厳しさの中に優しさを、優しさ(甘さ)の中に厳しさを見付けましょう。
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