すべての人が、自らの掲げる信仰に従っています。
すべての人が、自らの掲げる信仰に従って人生を選択するのです。
すべての人の人生は、その信仰によって築かれているのです。
信仰が人生の指標であり、それに逆らうことはできません。
信仰とは、プログラムです。
信仰が思考を決めます。
信仰が行動を決めます。
信仰が状況を決めます。
信仰が環境を決めます。
信仰が人生を決めます。
そして、信仰があなたを決めるのです。
信仰とは、人生において最も重要なものの一つです。
どのような信仰を掲げるかによって、人生が決まるということを覚えておかなければならないでしょう。
信仰とは、人格です。
人は、自らの人格に相応しい信仰を掲げるのです。
すべての人が、その人格に相応しい信仰によって人生を決めています。
そのため、人生は、その人格に相応しいものとなるのです。
すべての人生が、その人の人格に相応しく展開しているということに気が付きましょう。
この世界には、因果の仕組みが存在し、すべてがその身から出たものなのです。
そのため、人生のことを考えるのであれば、自らの掲げる信仰のことを考えなければならず、信仰のことを考えるのであれば、人格について考えなければならないのです。
多くの人は、自らの人格については考えません。
多くの人は、外に目が向いているのです。
多くの人は、誰かや何かを気にしています。
外のことばかりを気にしており、内については疎(おろそ)かなのです。
そのため、人格は蔑(ないがし)ろにされています。
その結果、人格が育まれることはなく、信仰は未熟さによって歪(ゆが)むのです。
歪んだ信仰は歪んだ状況を導きます。
歪んだ状況とは、あなたが問題とする状況のことなのです。
多くの人が、問題によって苦悩しています。
問題が生じる原因は、歪んだ信仰にあります。
信仰している対象が、人生に問題を引き起こすようなものであるということなのです。
そのことに気が付く必要がありますが、信仰は人を盲目(もうもく)にさせるのです。
多くの人が、信仰の対象を外に見出します。
その選択が歪んでいることは、多くの人が苦悩を抱えている時点において理解することができるでしょう。
所謂(いわゆる)、”普通”という状態が未熟であり、歪んでいるということなのです。
多くの人が”普通”を信仰しています。
多くの人が、皆と同じ信仰を求めているのです。
”普通”であることが安全だとか、幸福だとか思っているのです。
しかしながら、”普通”を信仰する人たちが安全を所有しておらず、幸福を生きていないことは明白なのです。
なぜなら、安全とは可能性のことであり、幸福とは変化のことであるからです。
”普通”を信仰する人たちが可能性を見出すことは難しく、変化を受け入れることはできないのです。
”普通”を信仰する人たちは、可能性と変化に反発するのです。
あなたは、反発心こそが人格を形成するということを覚えておかなければなりません。
人は、反発心によって人格を形成し、その人格が信仰と人生を決めるのです。
そのため、可能性と変化に反発している人たちは皆、”普通”という苦悩を信仰することになるのです。
大切なのは、反発心の方向性です。
人は常に何かに反発しています。
それは、地面を蹴るようなものなのです。
あなたは、反発によってそれから離れるでしょう。
その性質を理解する必要があるのです。
何に反発するのか?ということが重要です。
反発心を手放すことはできません。
そのため、反発心を抑える必要はありません。
何をどのように反発するのか?ということを考えるのです。
信仰とは、反発心の到達地点なのです。
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