この世界には、目には映らない取引が存在しています。
	すべての状況は、代償と報酬の取引によって実現するのです。
	それは、商品を得れば、代金を支払うようなものです。
	何かを受け取るのであれば、何かを与える必要があります。
	何かを与えるのであれば、何かを受け取ることになるのです。
	目に映る取引もあれば、目には映らない取引もあるのです。
	あなたはそのことを理解しておく必要があるのです。
	例えば、人間は目に映る肉体と、目には映らない精神によって構成されています。
	目に映る肉体だけでは、人間を説明することはできません。
	人間を説明するためには、目には映らない精神を必要としているのです。
	しかしながら、多くの人はそのことを理解することができません。
	多くの人は目に映る取引によって人間や人生が構成されていると考えているのです。
	そのため、目に映る報酬のみを求めて代償を支払うのです。
	すべての人が未熟です。
	目に映らないものに比べて、目に映るものが少ないことを知らないのです。
	多くの人は多くのものを見過ごしています。
	例えば、肉体にとって重要な要素である、常在(腸内)細菌は目には映りません。
	目に映らないからといって、常在細菌との取引を疎(おろそ)かにしていれば、人は健康を保つことはできないのです。
	残念ながら、多くのものが目には映りません。
	そのため、目に映るものを主体とした取引を行っているのであれば、大きな問題を引き起こすのです。
	大切なものは、大抵の場合、目には映らないものです。
	人生にとって最も大切なのは、可能性でしょう。
	可能性は目には映りません。
	あなたの目(認識)は、人生の可能性を映すほど優れた機構を備えてはいないのです。
	多くの人が、可能性を見過ごしています。
	そのため、多くの人は常に何かしらの問題を抱えているのです。
	可能性を理解しているのであれば、問題に捕らわれることはないのです。
	自分に都合の良いように取引を進めてはなりません。
	残念ながら、あなたは未熟なのです。
	未熟なあなたの都合とは、人生においての不都合であるのです。
	そのことは、前提として覚えておく必要があるのです。
	あなたは自分を信用してはなりません。
	自分の都合などに価値を見出すことはできないのです。
	多くの人が自分の都合を優先しています。
	それは、損得勘定によって利益を得ようと企(たくら)んでいるからです。
	利益を得ようとするのは悪いことではありません。
	しかしながら、自分の都合の良いように得ようとする利益が、あなたの利益となることはないのです。
	自分の都合によって動けば、あなたは取引によって損失を得ることになるでしょう。
	相手の都合の良いように振る舞うことは、相手に利益をもたらす行為です。
	相手に利益がもたらされるのであれば、目に映る取引では損失を得ることになります。
	しかしながら、目に映るものよりも、目には映らないものの方が多いのです。
	目に映る取引では損失を得たとしても、目には映らない取引では利益を得ることができるのです。
	”海老で鯛を釣る”という言葉があるのです。
	人生において、目に映る取引は小さな範囲です。
	あなたはそれを代償として支払いましょう。
	すると、目には映らない大きな範囲の取引によって、報酬を受けることができるのです。
	多くの人は目に映る取引で利益を得るように、損をしないように振る舞います。
	例えば、財産や地位や名誉などが高まるように、それ等が低くならないように努めるのです。
	そして、それよりも重要なものを失うのです。
	財産や地位や名誉などの、目に映るものに価値を見出し、それを得ようと必死になる必要はありません。
	あなたは財産や地位や名誉などの、目に映るものを代償として、人生の意義や自分自身の正体などの価値のある報酬を受け取りましょう。
	目に映るものに捕われて、詰まらない人生を生きないように注意しましょう。
	”せこい”人間にならないようにしましょう。
	欲に塗(まみ)れて、受け取ることばかりを考えているような愚かな人間になってはなりません。
	気前(きまえ)の良い人間になりましょう。
	
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