多くの人は、人生に満足を求めています。
多くの人は、理想を追い求めているのです。
理想の実現こそが、幸福だと考えているのです。
理想とは、満足している状態です。
例えば、空腹よりも満腹を理想とするのです。
誰もが、理想を掲げます。
そして、誰もが理想が最善だと思っているのです。
しかしながら、すべての人が未熟です。
すべての人が不足を抱えており、すべての人が歪んでいるのです。
そのような者の理想とは、それに相応しく未熟であり、不足と歪みを抱えているのです。
そのようなものが最善であるはずがないのです。
例えば、過去を振り返ってみて、昔の自分の理想が最善だと思えますか?
大抵の人は、昔の自分の理想が最善だとは思えないでしょう。
大抵の人は、昔の自分の理想を否定することでしょう。
現在、あなたが求めている理想は、昔の理想と同じことなのです。
現在の理想も、それを否定する日が来ます。
すべての理想は否定されるようにできているのです。
多くの人は理想を大切だと考えています。
しかしながら、理想が大切だったことは今までに一度もなかったのです。
理想は決して最善には成れません。
理想とは、未熟な自己の投影に過ぎないからです。
あなたが大切にしなければならないのは、思い通りにならない現実です。
思い通りにならない現実とは、あなたの予測の範囲を超える状況です。
それは、新たな可能性ということができるのです。
理想とは、予測の範囲内にある期待です。
そのため、理想を追い求めていれば、人生の可能性は減少してしまうのです。
思い通りにならない現実とは、予測の範囲外にある可能性なのです。
そのため、現実を受け入れることは、人生の可能性を増加させることなのです。
多くの人が理想によって安心を得ようと考えます。
未熟な者の安心とは、未熟な状況です。
理想を追い求める態度は、現状に満足する態度なのです。
人生を展開させるためには理想を追い求める必要があるとする考え方があります。
しかしながら、理想を追い求めるのであれば、却(かえ)って人生は展開しないのです。
現実を受け入れることによって、人は一歩を踏み出すことができます。
現実を受け入れることができなければ、人は理想という幻想に引き籠(こ)もるのです。
しかしながら、現実を受け入れるのであれば、理想に引き籠もることはできません。
それは、可能性を得るからです。
可能性とは、人生を展開させる力です。
可能性を得る人は、停滞することができません。
可能性を得る人は、可能性に導かれて歩み続けるのです。
多くの人が理想を追い求めますが、あなたは現実という可能性を追い求めましょう。
現実とは、思い通りにいかないことです。
人生は、思い通りにいかなくて良いのです。
人生が思い通りに進むほど、つまらないことはありません。
人生は、思い通りに進まなくて良いのです。
寧(むし)ろ、思い通りに進まない方が良いのです。
多くの人は満ち足りていることが良いことのように吹聴(ふいちょう)します。
しかしながら、あなたは自分が常に満腹であることを想像してみれば良いでしょう。
そのような状態が快適でしょうか?
そのような状態が幸福なのでしょうか?
美味い飯を食うためには、空腹があれば十分です。
どのような料理も、空腹の助けがなければ美味い飯とは成り得ないのです。
空腹であれば、何でも美味いということを理解しましょう。
人生には、不足がある方が良いのです。
何事も、足りないくらいが面白いのです。
欲しいものが何でも手に入り、常に満たされているのであれば、何も面白くないのです。
寧ろそれは、苦悩へと変わってしまうのです。
満ち足りていても面白いことはありません。
すべてを満たそうとする必要はありません。
あなたが不足を抱える現実を生きているのであれば、それに感謝しなければならないでしょう。
あなたが真の幸福を求めているのであれば、不足している状態を大切にしなければなりません。
不足している状態とは、目の前の現実なのです。
現実という空腹によって、人生という料理を美味い飯に変えましょう。
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