人生とは、自らの体験です。
	あなたは、自ら人生を体験する必要があります。
	残念ながら、人生があなたに変化を導くことはありません。
	人生は、あなたを見守ることはしても、あなたの代わりに体験を主導することはないのです。
	あなたが立ち止まる時には、それを見守ります。
	あなたが歩む時には、それを見守るのです。
	人生が、あなたを立ち止まらせることや、歩ませるということはないのです。
	多くの人は、人生が誰かや何かの影響によって主導されているように思い込んでいます。
	短絡的に捕らえるのであれば、そのような見方もできるでしょう。
	しかしながら、思慮深く見れば、人生は自らの決断によって展開していくということに気が付くのです。
	誰かや何かの影響は、あなたの心算(こころづもり)に呼応(こおう)しているのです。
	あなたの心が立ち止まる時には、立ち止まらせるための環境が導かれます。
	あなたの心が歩む時には、歩ませるための環境が導かれるのです。
	環境が初めにあるのではありません。
	心算が初めにあり、その後で環境が整うのです。
	多くの人は、環境が初めにあって、その環境の中で心算が形成されると思い込んでいるのです。
	これは、あなたの人生です。
	この人生の主導はあなたに与えられているのです。
	あなたに相応しい環境が導かれるということを覚えておきましょう。
	あなたに相応しくもなく、あなたに関係のない環境が導かれるということはないのです。
	そのため、余計な心配や期待を抱える必要はないのです。
	大切なのは、今の自分に体験することのできる目の前の環境を、精一杯に生きることなのです。
	あなたが目の前の環境を精一杯に生きれば、自らの心算を理解することができるでしょう。
	自らの心算を理解することができれば、それを調整することができるのです。
	心算が変われば、環境が変わります。
	環境が変われば、人生が変わるのです。
	重要なのは、自分が変わることです。
	誰かや何かを変えようとしても成果は出ません。
	あなたには、環境を変える力などないのです。
	環境を変えようとするのであれば、それは、心算に傲慢(ごうまん)が組み込まれているということです。
	それでは、環境を変えることはおろか、自分を変えることなどできないのです。
	傲慢は人を束縛(そくばく)するのです。
	傲慢な者は体験することができません。
	傲慢な者は、同じことを繰り返す以外に方法を知らないのです。
	多くの人は、誰かや何かが原因だと考えます。
	環境が変わりさえすれば、自分が変われると思い込んでいるのです。
	それが短絡的な思考であるということに気が付く必要があるのです。
	夏の暑さに文句を吐く者は、冬の寒さにも文句を吐くでしょう。
	夏の暑さに文句を吐かない者は、冬の寒さにも文句を吐かないものなのです。
	例え、環境が変わったように見えても、自分が変わっていなければ、やはり環境は変わってはいないということなのです。
	自分が変わることの重要性が理解できたでしょうか?
	あなたは自発的に行動しなければなりません。
	人生は、あなたを助けてはくれません。
	あなたが夏の暑さから逃れるために風を求めたとしても、都合良く風が届けられるようなことはないのです。
	風が吹かなければ、自分が動けば良いのです。
	炎天下に立ち止まっている者は文句を吐くでしょう。
	それに比べて、炎天下を歩む者の文句は少ないのです。
	人は、どちらにしても文句を吐きます。
	人は未熟なのです。
	そのため、あなたは悪いものの中から、より悪くない方を選ばなければならないのです。
	良いものを選ぶことなどできません。
	理想を捨てて現実と向き合うのです。
	夏の暑さに文句を吐くのであれば、水辺に歩んで行って涼みましょう。
	自らが動かなければ何も変わりません。
	待っているだけではなりません。
	傲慢を捨てて、身軽になりましょう。
	変わるのはあなたなのです。
	
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