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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年4月30日月曜日

すべては時に従う

すべてには、時が存在しています。
すべては時に従うのです。
あなたは、時を無視することは出来ません。
あなたは、時に従うしか方法がないのです。
多くの人は、時を無視しようとします。
時を無視して、思いを遂げようとしているのです。
多くの人は、自分に都合の良いタイミングで思いを遂げることが最善であると考えているのです。
人生が自分の思い通りに展開することが良いことだと思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたは未熟な存在です。
残念ながら、あなたは歪んでいるのです。
残念ながら、あなたは誤解を抱えています。
残念ながら、自分の思い通りに展開することには、大きな問題が生じるのです。
あなたが自分が未熟であることを理解するのであれば、人生が思い通りに展開しないことの方が良いと理解することも出来るでしょう。
腹が減ったからといって、青い果実を貪(むさぼ)り食えば、渋味を味わうことになるのです。
時に従うことがなければ、人は苦しみを受けるということを覚えておかなければなりません。
すべての人は幸福を求めています。
しかしながら、多くの人は苦しみを受けているのです。
それは、時を無視して思いを遂げようとしているからなのです。
多くの人は、自分勝手に生きています。
利己的に生きることが幸福を得る近道だと思い込んでいるのです。
利己的に生きることは、幸福からは最も遠回りの道なのです。
そのため、利己的に、自分勝手に生きることでは、決して幸福を得ることは出来ないのです。
時に従うということは、利己的や、自分勝手な生き方を手放すということです。
それは、一見すると遠回りのように思える道ですが、最も合理的な近道であるのです。
時に従うということは、時を待つことでもあります。
時が熟さなければ、何事も実現することはありません。
美味しい果実は、時が熟さなければ手に入れることは出来ないのです。
待つことは焦(じ)れったいことのように思うかも知れません。
しかしながら、待つことが出来なければ、果実が熟れることはないのです。
あなたは果実を作ることが出来ません。
果実は、樹木と土と水と陽と風と虫などの、自然の力が作るのです。
あなたが作っていないものを、自分勝手に手に入れることは出来ないのです。
残念ながら、あなたは受け取る以外に方法はありません。
人生におけるすべての状況も、受け取る以外に方法はないのです。
あなたは人生の原因を準備するだけです。
人生の結果は、あなたが決めるものではないのです。
因果の実りは、時が決めるのです。
懸命に努力しても、時が熟さなければ成果を得ることは出来ません。
待っていたとしても、時が熟せば成果を得ることが出来ます。
あなたは、すべてが時に従っているということを理解しましょう。
時よりもでしゃばってはなりません。
あなたには、時を早めることも、遅くすることも出来ないからです。
時には従う他ないのです。
急いでいたとしても、時を従えることは出来ません。
諦めましょう。
時はあなたの主人であり、それに逆らうことは苦しみを意味しているのです。
時に従い、時を見極めなければなりません。
あなたは人生を信じなければなりません。
あなたには理解することが出来ない最善もあるのです。
しかし、時はそれを知っているのです。
人生を生き急ぐものではありません。
あなたは待てるだけ待ちましょう。
どのように努め励(はげ)んでも、時が熟さなければ豊かさを得ることが出来ません。
成果は時に任せて、あなたは今、自分に出来る最高の原因作りをするのです。
それ以外に大切なことは何もありません。
因果の実りは、あなたではなく、時が任されているということを知りましょう。

2018年4月29日日曜日

自責

すべての人は未熟です。
すべての人は、未熟に生まれたのです。
この世界には、完全な人物など存在しません。
すべての人に一長一短があるのです。
誰もが間違えます。
誰もが過ちを犯します。
誰もが失敗し、誰もが後悔するのです。
苦しまずに生きることの出来る人はいません。
人生は誰にとっても苦しいものなのです。
それは、すべての人が未熟であるからです。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に苦しまなければならないのです。
苦しみは避けられません。
人が人生において苦しむのは、自然のことなのです。
そのため、苦しむことは悪いことではありません。
間違えることも、過ちを犯すことも、失敗することも、後悔することも、決して悪いことではないのです。
それは、仕方の無いことです。
そして、それは必要なことなのです。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
多くの人は、自分が何のために生きているのかを知らないでいるのです。
あなたは、人生の目的を知っていますか?
自分が何のために生きているのかを知っているでしょうか?
目的を見失ってしまえば、人は迷うことになるのです。
迷いとは停滞であり、停滞とは苦しみです。
人生を豊かなものにするためには、自分で自分を苦しめないことです。
そして、停滞しないことであり、迷わないことなのです。
多くの人にとって、これは難題です。
それは、多くの人が良心を抱えて生きているからです。
多くの人は、自らの愚行(ぐこう)に対して、良心の呵責(かしゃく)に堪(た)えられません。
良心は、あなたの愚行を攻め立てます。
その結果、多くの人は自分の愚行に対して、自分を責めるようになってしまうのです。
多くの人は、自分を責めることによって、罪の意識を軽減しようとしています。
そして、耐え難い苦しみから身を守ろうとしているのです。
大切なのは、すべての人が未熟であると知ることです。
完全な人物は存在しないのです。
もちろん、あなたが完全であるはずがありません。
あなたは間違えて当然なのです。
そのことを理解しなければならないのです。
多くの人は、良心の呵責に堪え兼(か)ねて、自分を責めるようになってしまうのです。
自分を責めることは最善ではありません。
それは、自分を責めたとしても、良い成果を上げることは出来ないからです。
寧(むし)ろ、自分を責めることによっては、悪い成果を上げることになるのです。
それは、人生の原因が自分自身であるからです。
人生は、自分自身という原因の結果でしかないのです。
自分を責めるという原因によって導かれる状況は、苦悩に満ちて乏しいものであるのです。
それは、当然の結果なのです。
あなたは、自分を責める必要はありません。
どのような愚行を犯しても、自分を責めてはなりません。
それは、誰もが未熟であり、誰もが迷惑を掛けるからです。
この世界においては、誰もが同様の立場にあるということを知らなければならないのです。
この世界においては、お互い様なのです。
あなたの愚行は、他者が責めてくれます。
他者の愚行は、あなたが責めるのです。
大切なのは、自分を責めないことです。
自分だけは、自分を責めてはなりません。
あなたは、愚行を教訓として、次のより良い行為へと改めなければならないのです。
他者からも自分からも責められるのであれば、八方塞(はっぽうふさ)がりであるのです。
自分だけは自分を責めず、冷静沈着に打開策を考えなければならないのです。
自分を責めることは、他者に任せておきましょう。
その分、より良い方法を考えましょう。




2018年4月28日土曜日

恩恵

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれました。
どのような人物にとっても、人生は無意味な場所ではありません。
誰にとっても、人生は価値のある場所なのです。
人には、それぞれに役割が与えられています。
それは、世界を支える大切な役割なのです。
この世界には、無駄は存在しません。
そして、無意味も無価値も存在しないのです。
すべてが必要であり、大切な意味を持ち、素晴らしい価値があるのです。
ただし、それがこの世界においてどれだけ必要であり、意味を持ち、価値があろうとも、それを理解することが出来るかどうかは別の話です。
すべての人は未熟です。
そして、多くの人は無知なのです。
無知とは、浅い認識のことです。
多くの人の認識は浅いのです。
認識が浅いために、必要と意味と価値を見失います。
それは、自分に対する必要と意味と価値を見失うということでもあるのです。
多くの人は、自分という存在を誤解しています。
多くの人は、自分が役に立たないと思い込んでいるのです。
確かに、自分が役に立たないと思い込んでいる者は役に立ちません。
自分が役に立たないと決めているのだから、役には立たないのです。
この世界において、役に立たない者は苦しみます。
それは、役に立たない者は無駄であり、意味も価値も無いからです。
しかしながら、この世界には無駄も無意味も無価値も存在しないのです。
重要なのは、この矛盾に気が付くことなのです。
多くの人は、自分の必要性を理解してはいません。
しかしながら、あなたという存在はこの世界に必要です。
この矛盾こそが苦しみなのです。
多くの人は苦しみます。
それは、矛盾を抱えているからです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、矛盾を手放すことが必要です。
矛盾を手放すためには、自分の必要性と意味と価値を見出さなければならないのです。
理想の役割とは異なっているかも知れません。
大抵の場合が、理想の役割と現実の役割は異なっています。
しかしながら、現実の役割は、理想の役割よりも必要性と意味と価値があるものなのです。
人生は、あなたが自分の役割に気付き、それを果たすように働き掛けているのです。
その働き掛けが、あなたにとっては苦しみという受け取り方になってしまうのです。
人生に苦しむ必要はありませんが、未熟なあなたは、それを苦しみと認識してしまうのです。
苦しみは、あなたの認識を改めるために導かれる恩恵(おんけい)です。
苦しみは、あなたが誤解を手放すための手助けなのです。
多くの人は苦しみに抵抗します。
多くの人は、苦しみを嫌い、それに反発するのです。
しかしながら、それが自分のために導かれているということには気が付かないのです。
大切なのは、苦しみはあなたを苦しめるためのものではないということを理解することです。
苦しみは、あなたの認識を改めるためだけに導かれているのです。
それは、あなたが今まで通りの生き方を手放し、自分の使命と共に歩む生き方をさせるためのものなのです。
苦しみは決して、悪いものではありません。
寧(むし)ろ、苦しみはあなたの助けであるということを知らなければならないのです。
苦しみの存在しない世界を想像してみましょう。
苦しみの存在しない世界で、あなたは成長することが出来ると思いますか?
すべてが優しく、楽しい世界では、停滞する以外に方法はないのです。
あなたはわざわざ人生に生まれたのです。
残念ながら、この世界は苦しみです。
苦しみからは決して逃れることは出来ないのです。
本来ならば、苦しみは恩恵であり、逃れる必要などありません。
しかしながら、認識の程度が誤解を生んでいるのです。
苦しみは良いものです。
深く考えなければなりません。
あなたには、役割が与えられています。
それを果たすまでは、苦しみが続くということを覚えておきましょう。


役割を果たすために、自分を改めましょう。

2018年4月27日金曜日

偉大な一歩

人生とは、目的地への旅路です。
人は、人生の目的地へと向かって歩み続けなければならないのです。
人生の目的は、目的地へと辿り着くことです。
決して、行き倒れるために生まれたのではないのです。
あなたには、辿り着かなければならない目的地があるのです。
それは、他の誰の目的地とも異なる場所なのです。
あなたには、あなただけの目的地と、あなただけの目的が存在しているのです。
あなたは、あなたの人生を生きなければならないのです。
誰かの真似をすることが人生の目的ではありません。
誰かと調子を合わせて安心することが人生の目的ではないのです。
あなたは自分の人生を生きなければなりません。
自分の目的地へと辿り着かなければならないのです。
目的地を見失えば、行き倒れてしまうでしょう。
それは、苦しいことであり、乏しい人生であるということを覚えておかなければなりません。
大切なのは、目的地を知ることです。
そして、それを見失わないことなのです。
人生の目的地は、人それぞれに異なります。
そのため、誰かに聞くことは最善ではありません。
なぜなら、誰もあなたの目的地を知らないからです。
目的地を知らない人に道を尋(たず)ねるものではありません。
あなたが自らの人生の目的地を尋ねたとしても、誰も”知らない”というでしょう。
あなたの人生の目的は、誰にも知り得ないのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
人生の目的地は、自分自身が知っています。
しかしながら、現在はそれを忘れているのです。
思い出せば良いのです。
自分に聞けば、人生の目的地を思い出すことが出来るでしょう。
しかしながら、人生の目的地を思い出すことは容易ではありません。
多くの人が迷いの生存を続けていることを見れば、それが容易ではないことを理解することが出来るでしょう。
そのため、半端な心持ちでは人生の目的地を思い出すことは出来ません。
強い決意が必要なのです。
人が人生を豊かに生きるためには、人生の目的が必要です。
人生の目的を得た人は、目的地を必要とするのです。
目的地へと辿り着くためには、自らの足で歩まなければなりません。
一歩を踏み出すことによって、人は目的地へと辿り着くことが出来るのです。
一歩を歩みに変え、あなたは目的地へと辿り着かなければならないのです。
しかしながら、多くの人は一歩を踏み出すことが出来ません。
多くの人が、一歩を踏みあぐねているのです。
それは、その一歩をどこへ踏み出せば良いのかを知らないからなのです。
多くの人は、一歩を踏み出す場所に迷っているのです。
そのために、一歩を踏み出すことが出来ないのです。
あなたが一歩を踏み出すためには勇気が必要です。
失敗を恐れず、不安に打ち勝つ勇気が必要なのです。
勇気がなければ、一歩を踏み出すことは出来ないのです。
勇気とは、理念から生じます。
理念を持つことによって、人は勇気を捻(ひね)り出すことが出来るのです。
理念とは、思考の土台です。
土台が強固でなければ、勇気という”上物(うわもの)”は揺らいでしまうのです。
”砂上(さじょう)の楼閣(ろうかく)”という言葉があります。
理念を持たずに勇気を捻り出そうとしても無駄です。
勇気は、理念の結果でしかないからです。
多くの人が失敗を恐れ、不安に打ち拉(ひし)がれています。
それは、理念を持たないからです。
間違っていても良いのです。
あなたは自分の方針を決めましょう。
その方針が問題を引き起こし、恥をもたらすことになっても構わないのです。
転倒することを恐れずに、自発的に歩こうとしない者は、一歩も踏み出すことは出来ないのです。
とにかく、一歩を踏み出すことです。
立ち止まっていてはならないのです。
停滞こそが、最大の苦しみであるということを知りましょう。
失敗や恥は決して苦しみではありません。


それは、目的地への偉大な一歩であるからです。

2018年4月26日木曜日

好きなことで生きる

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きているのです。
他者は他者の人生を生きています。
あなた以外の誰も、あなたの人生を生きることは出来ません。
あなたの人生を生きることが出来るのは、この世界において、あなただけなのです。
あなたには、あなたの人生を生きる責任があるのです。
それは、あなたがその人生を始めたからです。
人生は、あなたの決意によって始まるのです。
あなたが生きているのは、あなたの決意であるということを理解しましょう。
しかしながら、多くの人は決意を見失っています。
多くの人は、これが自分の人生であることを忘れているのです。
そのため、不平不満を吐きます。
そして、不安や心配に苛(さいな)まれるのです。
多くの人は、自分の人生を他人事のように考えています。
起きるはずもない”奇跡”を待ち侘(わ)びたり、自分の人生の権限を与えられてもいない他者に依存するのです。
これは、あなたの人生なのです。
あなたが自分で決めなければならないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在するのです。
そのため、どれだけ待ったとしても、因果関係の存在しない”奇跡”などは起きません。
起きるはずもない”奇跡”を待つという原因を選択するため、起きるのはその原因に相応しい結果であるのです。
時間や労力を無駄にすれば、結果は乏しいものになるのです。
人生を豊かなものにしたければ、”奇跡”を待つことをせずに、時間や労力を自分なりに最大限活用するべきなのです。
誰かに頼ることによって、大切な時間や労力を無駄にしてはなりません。
誰かに頼ることによって、時間や労力を放棄するのであれば、それが原因となり、それに相応しい結果が導かれるのです。
このような方法では、残念ながら、人生を豊かなものにすることは出来ません。
あなたが主体的に生きなければ、人生が豊かさを得ることは出来ないのです。
大切なのは、好きなように生きるということです。
これは、利己的に生きろというのではありません。
自分の好きなことによって、誰かや世界に貢献するような生き方が求められているのです。
あなたは、好きに生きなければなりません。
しかしながら、多くの人は好きに生きることが出来ません。
多くの人は、その生き方を嫌いなことを材料にして築いているのです。
そのため、思考や行動には様々な規制が設けられています。
多くの人は、自らの思考や行動を制御しているのです。
それは、制限された人生を意味します。
多くの人は、小さな世界を生きているのです。
我慢して、嫌いなことで生きているのです。
嫌いなことによって、誰かや世界に貢献するような生き方に努めているのです。
嫌いなことで生きている者が、誰かや世界に貢献することが出来るでしょうか?
自分の人生すら好きなことで生きられないような者が、どうやって誰かや世界に貢献するというのでしょうか?
自分の人生を満足に生きられない者には、誰かや世界に貢献することは出来ません。
自分の人生を満足に生きられない者には、豊かさは導かれないのです。
あなたは好きに生きなければなりません。
そのためには、思考や行動の規制となる様々な条件を手放して考えてみましょう。
資金、人間関係、健康、環境、時間、距離、方法、結果・・・
これ等の思考や行動を妨げる様々な条件を度外視して、人生を考えるのです。
そうすれば、あなたにも自分が好きなことが理解出来るはずです。
そして、自分の好きな生き方を見付けることが出来るはずなのです。
あなたが本当に好きなことや好きな生き方は、純粋な心が教えてくれます。
幼子(おさなご)のように余計なことは考えず、自分の心と向き合えば良いのです。
そうすれば、あなたは自分自身でいられるでしょう。
自分自身でいられるのであれば、好きなことで貢献することが出来るでしょう。
しかしながら、自分自身でいることは都合の良いことばかりではありません。
あなたが自分自身であるということは、孤独であるということなのです。
それは、自分というのは世界に唯一の存在だからです。
孤独を恐れてはなりません。
あなたが自分である時に、孤独は避けられません。
しかしながら、誰かや世界に対する貢献と、人生の豊かさも避けることが出来ないということを覚えておきましょう。
すべてを手に入れることは出来ません。
人生は、あなたの都合の良いようには進みません。


しかし、それで良いのです。

2018年4月25日水曜日

実際を知る

すべての人が分際を所有しています。
人は、分際によって分けられます。
人は、分際に従って生きなければならないのです。
分際が道を決めるのです。
あなたは、分際に逆らうことは出来ません。
それは、あなた自身であるからです。
分際とは、その人の本質です。
あなたの分際があなたであり、あなたの考えている自分という存在はあなたではないのです。
多くの人は、自分を見誤っています。
多くの人は、自己を正当化しています。
多くの人は、自分を美化しているのです。
正しく自己を見極められている人はいません。
誰もが、自分を贔屓(ひいき)しているのです。
例え、そのような気持ちがなくても、あなたの弱さが自分を贔屓しているのです。
多くの人は自分の分際を理解してはいません。
多くの人は、実際の分際よりも、自分を程度の良いものと思い込んでいます。
しかし、残念ながら、実際の分際は、あなたの思い込んでいる自分という存在よりも劣っているのです。
そのことを理解しなければなりません。
実際を知ることが必要です。
理想や幻想を通して見ているのであれば、実際との矛盾を得ることになります。
矛盾を抱えるのであれば、人生は乏しさを得ることになるのです。
矛盾を抱えた状態によって、どれだけの努力を重ねたとしても、人生を豊かにすることは出来ません。
間違った方法を積み重ねるのであれば、事態は悪化することになるからです。
大切なのは、矛盾を手放し、実際を見極めることなのです。
あなたは、正当化し、美化した自分を信用してはなりません。
あなたは、自分が考えている程に上等なものではありません。
あなたは無知であり、未熟であるのです。
それを知らなければならないのです。
大切なのは、自分が愚かであるというところから始めることです。
自分が正しいというところから始める人がいますが、それでは道を誤ってしまいます。
人は謙虚(けんきょ)な姿勢を忘れてはならないのです。
謙虚さとは、道を照らす灯火(ともしび)のようなものです。
謙虚さを忘れた者は、暗闇の道を歩まなければならないのです。
謙虚さを忘れなければ、人が分際を見失うことは避けられます。
もちろん、謙虚も度が過ぎれば、消極的になってしまい、必要な働きが出来ません。
謙虚であるのは、道を見失わないためです。
傲慢(ごうまん)を戒(いまし)めるのも、道を見失わないためなのです。
あなたは謙虚でありながらも、道を進む強い気持ちを忘れてはなりません。
人生を豊かなものにするためには、目的意識が必要不可欠なのです。
人生の目的を知っているのは自分です。
自分とは、分際なのです。
そのため、人生を豊かなものにするためには、分際を弁える必要があるということなのです。
分際を弁える者には悦楽が訪れます。
それは、道を進んで行くことが出来るからです。
そのような人の人生は豊かなものなのです。
分際を弁えない者には苦悩が襲います。
それは、道を誤り、迷いの生存を続けるからです。
そのような人の人生は乏しいものなのです。
多くの人は高ぶっています。
多くの人は、見栄を張るのです。
実際よりも良く見せます。
そのため、人生には矛盾が存在し、苦悩を生きるのです。
高ぶる者は、返せる見込みの無い借り入れが増えていることを知りません。
分際を弁えることがなければ、人は欲望に支配されてしまうのです。
それは、分際を弁えることがないために、不足や不満を覚えるのです。
分際を弁えれば、不足や不満が存在しないことに気が付くのです。
苦悩を得たければ、分際を無視すれば良いでしょう。
悦楽を得たければ、分際を弁えれば良いのです。
ただ、それだけのことです。


人生は、簡単です。

2018年4月24日火曜日

種の素性

この世界には、時が存在しています。
すべては、時に従っています。
この世界において実現するすべては、時に叶っているのです。
時に叶わないものは実現しません。
それが実現しているのであれば、時が叶っているということなのです。
あなたは、人生が時に叶っているということを知りましょう。
すべてが必要であり、最善であるのです。
この世界においては、必要であり、最善であるものが実現します。
不要であり、最悪であるものが実現することはないのです。
多くの人は、目の前の状況を必要や最善であるとは思えません。
多くの人は、目の前の状況や必要を最悪であると思っているのです。
そのため、目の前の状況や必要を否定するのです。
残念ながら、あなたには、目の前の状況や必要を否定する権利はありません。
なぜなら、それは自らが蒔(ま)いた種であるからです。
人は、種を蒔きます。
人はそれを様々な場所に蒔くのです。
蒔かれた種は、自然と発芽します。
自然と発芽した種は、やがて大木となるのです。
そして、実を結びます。
あなたは自らが蒔いた種が結ぶ実を食べなければならないのです。
種は、素性(すじょう)に従った実を結びます。
そして、種を蒔いたあなたは、その実を食さなければならないのです。
種とは、原因のことです。
それは、人生の原因なのです。
残念ながら、あなたは結果を選ぶことは出来ません。
なぜなら、それは、自然の理(ことわり)が働いているからです。
原因は、自然の理を通じて結果を導きます。
残念ながら、誰にも答えは分からないのです。
答えは、結果として現れるのです。
種を蒔き、待ちましょう。
ただし、ただ待っている訳にも行きません。
あなたに出来ることは、種が成長するのを手助けすることだけなのです。
それは、自分を磨くということです。
あなたには、それ以外を行うことは出来ないのです。
種の素性を知っているのは、因果の仕組みだけなのです。
あなたに出来ることは、種を選ぶことです。
重要なのは、結果を改めようとすることではなく、原因を改めることなのです。
多くの人は、原因よりも結果を重視します。
しかしながら、そのような認識であれば、あなたが人生に豊かさを得ることは出来ません。
種の世話をすることは出来ますが、種を育てることは出来ません。
種を育てるのは、自然の理なのです。
あなたの作為によっては、種を育てることは出来ません。
種は、自然によって育てられるのです。
あなたは、自らの言動に責任を持たなければなりません。
”奇跡”や偶然を待ち望んではなりません。
多くの人は、”奇跡”や偶然というものが存在していると思い込んでいます。
しかしながら、この世界において、”偶然”や奇跡というものは存在しないのです。
あなたには、種を選ぶことが許されています。
しかし、結ぶ実は選べません。
選べるのは、どのような種を蒔くのか?ということだけなのです。
すべての種は、その素性に従って実を結びます。
そして、すべての種は、時に叶って実を結ぶのです。
隠していても、原因は必ず結果として実現します。
それは、この世界が、種を育てるのを目的としているからです。
あなたは、原因である種を選びましょう。
結果を選ぶことは出来ません。
必要な結果を得るまでは、原因を改め続けなければならないのです。
結果を変えられると思い上がってはなりません。
あなたには、原因を結果へと結び付けることは出来ません。
あなたは、どうして種が発芽し、成長して大樹になるかを知りません。
種を蒔けば、後は勝手に芽を出して実を結ぶのです。
あなたには、原因を思い通りの結果へと導くことは出来ないのです。
あなたに出来ることは、原因を改めることだけなのです。
種が、その素性に従って実を結ぶことを覚えておきましょう。



2018年4月23日月曜日

異質と同質

すべての人は未熟です。
すべての人は未熟に生まれました。
すべての人は不足を抱えています。
すべての人は歪んでいます。
すべての人は欠けているのです。
この世界において、完全な人物は存在しません。
すべての人が未熟なのです。
あなたも未熟です。
決して完全ではありません。
そのため、あなたは正しくはありません。
そして、他者も正しくはなく、すべての人が正しくはないのです。
そのため、何が正しいのか?ということは、誰にも分かりません。
唯一分かっていることは、自分が未熟であり、正しくはないということなのです。
すべての人は、主観的に生きています。
誰もが、主観に頼って生きているのです。
残念ながら、客観に頼り、客観的に生きている人はいないのです。
主観に頼って生きているために、人は多くを見失ってしまうのです。
主観とは、限定された世界です。
人は限定された小さな世界に生きているのです。
小さな世界から全体を理解することは出来ません。
”井の中の蛙(かわず)大海を知らず”という言葉があるのです。
すべての人は、井戸の中で生きている蛙のようなものなのです。
すべての人が未熟ですが、多くの人はそのことを知りません。
多くの人は、自分が正しいとさえ思っているのです。
そのため、意見の対立する他者を否定します。
多くの人には、敵が存在しているのです。
自分を正しいと思い込んでいる者には、必ず敵が存在します。
そして、そこには争いが生じるのです。
自分を正しいと思い込んでいる者の心には、争いが止みません。
そのような者は、常に争わなければならないのです。
争いによって、心が休まる時はありません。
争いによって、心は傷付き、疲弊(ひへい)するのです。
人生を豊かに生きるためには、人生の原因である心が豊かでなければなりません。
心の中で争っている者が、豊かな心であるはずがありません。
豊かな心でない者は、乏しい人生を生きるのです。
誰も、因果の仕組みから逃れることは出来ません。
誰も、因果の仕組みを拒絶することは出来ないのです。
人生を豊かなものにするためには、その心を豊かに保たなければならないのです。
大切なのは、自分が未熟であると知ることです。
そして、自分が正しくないことを知ることです。
そして、心を豊かに保つことなのです。
すべての人が偏見を抱えています。
それは、未熟であるからです。
未熟とは、偏(かたよ)りのことです。
すべての人が偏っているのです。
あなたには敵が存在します。
敵とは、異質な存在です。
異質な存在が敵なのは、自分と違うからです。
詰まらない理由で人は争います。
しかしながら、争っている場合ではありません。
それは、自分と違うということは、自分に無いものを持っているということだからです。
自分に無いものを持っている人は、あなたの不足を補(おぎな)うことが出来るのです。
人は同質である仲間と群れます。
それは、心地が良いからです。
しかしながら、同質である仲間によっては、不足を補うことは出来ません。
なぜなら、同質である仲間も同じ不足を抱えているからです。
大切なのは、異質である敵を受け入れることです。
多くの人は、それを拒絶するでしょう。
そのために、偏見は強化されるのです。
異質を受け入れることの出来ない者には、誤解によって導かれる問題と苦悩が与えられます。
異質を受け入れることによってのみ、人は偏見を克服することが出来るのです。
異質によって人は完成するのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。


異質である敵を許すことが、人生を豊かにするための道であるということを覚えておきましょう。

2018年4月22日日曜日

自分とは違うもの

すべての人にとって、人生は思い通りにはいかないものです。
しかしながら、すべての人が人生を思い通りにしたいと考えています。
すべての人が自分の考える幸福を望み、それを実現するために行為しているのです。
多くの人は、理想を実現するために、熱意と労力を惜しげもなく費やします。
熱意と労力によって、ある程度は理想が形となるのです。
しかしながら、理想が完成することはありません。
理想に対してどれだけの熱意と労力を費やしても、それがこの世界に実現することはないのです。
残念ながら、人生は理想通りには展開しません。
人生は、常に理想を退けるのです。
あなたの理想は実現しません。
実現するものはすべて、理想とは異なる形であるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
理想を実現することに執着(しゅうちゃく)し、現実を否定してはならないのです。
最も重要なのは、実現していない理想ではなく、実現している現実なのです。
目の前の現実こそが、人生においては重要なのです。
多くの人は、現実が気に入りません。
多くの人は、理想を実現するという大義名分(たいぎめいぶん)に誓って、現実を否定するのです。
しかしながら、それは現実逃避の口実に過ぎません。
多くの人は、理想という夢を見ていたいのです。
それは、現実が苦しいからです。
残念ながら、現実は思い通りにはいきません。
現実は、誰にとっても苦しいものなのです。
それは、人生の目的が苦しむことであるからです。
多くの人は、幸せになるために生きています。
それは結構なことです。
すべての人が幸せを実現しなければなりません。
しかしながら、現実を逃避して得られる幸せとは、真(まこと)の幸せではありません。
それは、妄想(もうそう)であり、幻想に過ぎないからです。
現実の苦しみを無視して得られるものは幸せではありません。
あなたは、それが不幸であることを理解しなければならないのです。
それは、問題を抱えていながら、問題が無いと主張しているようなものだからです。
問題を放置している状態であっては、万全とはいえないのです。
残念ながら、人生においては、苦しみは避けられません。
あなたは苦しみと共に生まれ、苦しみと共に生き、苦しみと共に死ななければならないのです。
苦しみがなければ、幸せもありません。
それは、糞尿(ふんにょう)がなければ、花は咲かないのと同じです。
植物は、微生物や昆虫や動物の糞尿を力に変え、花を咲かせます。
多くの人は糞尿を嫌います。
しかしながら、多くの人は花を好むのです。
好むものは、嫌うものによって実現しているということを知る必要があるのです。
人生は、あなたの理想通りには展開しません。
それは、あなたが無知であり、未熟であるからです。
無知であり、未熟なあなたの理想が実現することで、あなたが幸せを手にすることは出来ないのです。
人生とは、自分とは違うものを学ぶ場所であるということを覚えておきましょう。
自分と違うものとは、あなたの嫌うもののことです。
あなたの嫌いなものが、あなたの理想を妨げます。
あなたの嫌いなものが、人生を思い通りにはさせないのです。
多くの人は、人生が思い通りに展開するのが良いことだと考えています。
そのため、理想の実現を妨げる嫌いなものを否定するのです。
未熟者の理想は、人生にとっての問題です。
多くの人は、人生を思い通りにしようとするあまり、人生に問題を引き起こしているのです。
人生に問題を抱えている者ほど、傲慢(ごうまん)に生きているのです。
大切なのは、人生が自分とは違うものを学ぶ場所であることを覚えておくことです。
あなたは、嫌いなものからも学ばなければならないのです。
好きなことや良いことだけから学ぼうとしても、偏見と誤解が強化されるだけなのです。
人生が思い通りにいかないことは良いことです。
思い通りにいかないことから学ぶことは大きいのです。
思い通りにいくことから学ぶことは小さいということを覚えておきましょう。
苦しみは敵ではありません。


あなたは、常に自分が学んでいることを覚えておきましょう。

2018年4月21日土曜日

人生においては、避けられないことがあります。
すべての人は、病を避けられないのです。
病は、すべての人に訪(おとず)れます。
この世界において、病を退けることの出来る人はいないのです。
すべての人は、病に苦しみます。
あなたは、病を避けることは出来ないのです。
多くの人にとって、病は苦しみです。
多くの人は、病を悪いものだと考えています。
病を悪いものだと考えているために、それを考察することはありません。
多くの人は、病に対して、感情的な独断による認識にとどまるのです。
多くの人が、病に対して、感情的な反応を示すだけです。
それでは、病が何であるのか?ということを知ることが出来ません。
大切なのは、病が何であり、何のために導かれるのか?ということを知ることなのです。
病の本質を理解することがなければ、病によって不幸を得てしまうのです。
多くの人は、病を不幸だと考えています。
しかしながら、それは自分勝手な思い込みに過ぎないのです。
この世界には、幸も不幸も存在しません。
この世界には、認識のみが存在しているのです。
幸福も不幸も、それは自らの認識でしかないのです。
病に対して、悪い印象を持っていれば、病によって不幸を得ることは必至です。
それは、それが自らの認識であるからです。
人生とは、認識によって築かれていくものなのです。
要は、思い込みです。
物事に対して、どのような認識を持つのか?ということが重要なのです。
病に対して悪い認識を持ち、それを不幸だと考えているのであれば、病によって不幸になるのは自然なことであるのです。
残念ながら、人が病によって不幸になることは出来ません。
病が人の幸福や不幸を決めることは出来ないのです。
大切なのは、本質を見極めることです。
何事も、本質を見極めることがなければ、乏しさが導かれてしまうのです。
無知によって本質を見極めることは出来ません。
大切なのは、知恵を得ることです。
知恵を得るためには、感情的な反応に従わないことです。
知恵を得るためには、考えなければならないのです。
思考を十分に働かせ、熟考しなければならないのです。
すべての人は病を避けることは出来ません。
どのように気を付けていたとしても、病は必ず訪れます。
大切なのは、人生について考えることです。
人生とは何ですか?
あなたは何のために生きているのでしょうか?
それは、心(人格)を磨き、成長するためです。
人生におけるすべての状況は、あなたの心を磨き、成長させるために導かれるのです。
そのことを理解しなければならないのです。
病とは、身体のためではなく、心のためにあるのです。
人は、病によって心を磨くのです。
病に会えば、すべてのことが思い通りにはいきません。
それは、病によって身体や精神が衰弱(すいじゃく)してしまうからです。
多くの人は、そこで思考を停止するのです。
病の本質はより深いところにあるのです。
身体や精神が衰弱することによって、すべてのことが思い通りにならなければ、人は自分の実像を知ることが出来るのです。
残念ながら、多くの人が自分だと思い込んでいるのは虚像(きょぞう)に過ぎません。
それが、病によって見破られるのです。
そして、本来の自分と向き合うことが出来るのです。
病は、あなたに自分(人格)の現状を教えてくれます。
病がなければ、あなたは偽りの自分を真(まこと)の自分だと思い込んで生きていかなければならないのです。
病によって心は直るのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
安易に病を否定してはなりません。


幸福も不幸も、あなたが自分で決めることなのです。

2018年4月20日金曜日

迷いの道

人は、迷いを避けることは出来ません。
人生とは、迷いの道なのです。
すべての人は迷いと共に生きなければなりません。
多くの人は迷いを退(しりぞ)けようと努めます。
しかしながら、迷いを退けることは出来ません。
なぜなら、迷いとは、自らの弱さであるからです。
多くの人は、迷いを悪いものとして扱います。
しかしながら、迷いは決して悪いものではありません。
迷いとは、弱さが露出した状態です。
人は、迷いによって、弱さを認識することが出来るのです。
人生の目的は成長です。
それは、弱さを強さへと変えていく作業です。
迷いが示さなければ、自らの抱える弱さの存在に気が付かないのです。
人は、迷いによって弱さを強さへと変えていく機会を得ているということを理解しなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、迷いは必要不可欠です。
あなたが成長するためには、迷いの助けが必要なのです。
多くの人は、迷いを退けようと努めますが、それでは、真(まこと)の成長を実現することは出来ないのです。
弱さを強さへと変えない限り、人が成長することは出来ません。
弱さを退け、結果として放置するのであれば、成長を実現することは出来ないのです。
しかしながら、独りであっては、迷いは生じません。
迷いとは、他者によって生じるものなのです。
人は独りでは生きていくことが出来ません。
すべての人は、他者と何らかの関わりを以(もっ)て生きているのです。
人生は、独断によって築くことは出来ません。
独りで生きていくことが出来れば、迷いはありません。
しかしながら、人は独りでは生きていくことが出来ません。
人生は、他者の影響力を材料に築かれていくものなのです。
人生が迷いの道であるというのは、それが他者との共存であるからなのです。
他者との共存は迷いを生じさせます。
それは、仕方のないことです。
それは、目的が異なるからです。
人は、それぞれの目的を実現するために、それぞれの価値観に従って生きています。
誰一人として、同じ目的や価値観のために生きてはいないのです。
それは、人と人とが分かり合えないことを意味しているのです。
残念ながら、人と人とが分かり合うことは出来ません。
その距離が迷いというものであるのです。
人生の目的や価値観の違いによって、人は迷いを生じます。
人生が思い通りに展開するのであれば、迷いは存在しないのです。
しかしながら、人生が思い通りに展開することはありません。
それは、人生の目的や価値観がそれぞれに異なっているからです。
他者との共存によって、人生には迷いが生じます。
迷うことは良いことです。
あなたは大いに迷いましょう。
そして、苦しみましょう。
人生は、それで良いのです。
人は自らの抱える弱さと向き合い、それを克服しなければなりません。
人生に迷い、苦しむことがなければ、弱さと向き合うことも、それを克服することも出来ないのです。
人生が思い通りに展開するのであれば、人が成長することはありません。
そのような人生を生きたとしても、目的を果たすことは出来ないのです。
思い通りに展開しないからこそ、人生は楽しく、豊かであるということを理解しましょう。
人は、迷いを避けることは出来ません。
あなたは迷うために生まれたのです。
迷いを退けることは諦めましょう。
退けようとしても無駄なのです。
人が迷うことは自然です。
決して、恥ずかしいことなどではありません。
迷えることに感謝しましょう。


そうすれば、あなたは迷いの中に成長を実現することが出来るでしょう。

2018年4月19日木曜日

嫌いなことを取り入れる

すべての人にとって、人生の目的は成長することです。
すべての人は成長するために生まれました。
すべての人は、この人生において成長しなければなりません。
成長することによって、人は幸福を得ることが出来ます。
それは、成長することによって理解が深まるからです。
理解が浅ければ、幸福を得ることは出来ません。
それは、理解が浅いために、問題を解決することが出来ないからです。
すべての人は未熟です。
未熟であるが故(ゆえ)に成長する必要があるのです。
すべての人が問題を生み出します。
未熟者は、この世界に問題を生み出すのです。
あなたは問題を避けることは出来ません。
すべての人が問題を避けられないのです。
あなたは問題を抱え、それと向き合わなければなりませんが、問題を抱えているままでは苦しみが襲います。
苦しみが襲っている状態では、幸福を得ることは出来ません。
あなたが幸福を得るためには、問題を解決しなければならないのです。
問題を解決することは簡単です。
それは、成長すれば良いのです。
ただ、それだけのことです。
しかしながら、多くの人は同じ問題に向き合い続け、同じ苦しみが襲い続けます。
それは、成長しないからです。
多くの人は、成長を嫌います。
それは、停滞を好むということなのです。
成長とは変化です。
人が成長するためには、変化を受け入れなければなりません。
変化を実現することによって、人は問題を抱えているという状態を解決することが出来るのです。
問題を生み出した状態に停滞するということは、問題に苦しみ続けるということです。
変化をすれば、問題を生み出す状態を手放すことが出来るのです。
仕組みは単純です。
しかしながら、それを受け入れるための心は複雑なのです。
心が単純であれば、変化は簡単です。
成長も幸福も簡単なのです。
しかしながら、心が複雑であるために、変化も成長も幸福も難しいのです。
多くの人は、自分の考える利益を求めています。
多くの人は、自分が好きなことばかりを選択するのです。
一見すると、自分が好きなことを選択し、利益を求めることは良いことのように思えます。
しかしながら、深く考察すれば、それが最善でないことを理解することが出来るでしょう。
すべての人は未熟です。
あなたも未熟なのです。
それが前提です。
未熟者であるあなたの考える利益とは、真(まこと)の利益なのでしょうか?
あなたは、自分よりも無知で未熟な者が考える利益に賛同することが出来るでしょうか?
残念ながら、あなたは相手のことを考えて反対するはずなのです。
それは、その考えや利益が真の利益ではないことを知っているからです。
あなたは、自分自身を客観する必要があるということを覚えておきましょう。
安易に、自分の考える利益を求めてはなりません。
好きなことばかりを続けていると、価値観や能力は偏(かたよ)るのです。
そこには、正義の名の下に誰かと争っているような愚かさが存在するのです。
あなたは偏ってはなりません。
自分の考える利益ばかりを追求してはならないのです。
損失だと思い込んでいることが、真の損失であるのか、あなたには理解することが出来ないのです。
嫌いなことを取り入れることは、価値観や能力の偏りを解消します。
それは、変化を生み出すのです。
好きなことや楽なことを続けることでは、成長は実現しません。
なぜなら、そこには変化が存在しないからです。
習慣をなぞるだけでは、人が成長することは出来ないのです。
習慣を逸脱(いつだつ)し、変化を起こさなければ成長は実現しません。
嫌いなことこそが、あなたに変化を導きます。
苦しみこそが、あなたの成長を促(うなが)すのです。
変化の乏しい人生を生きてはなりません。
何の考えも無しに、決められた道を歩み続けてはなりません。
同じことを繰り返してはならないのです。
変わらないことは人生を乏しくします。


人生を豊かなものにするためには、変化する以外に方法はないのです。

2018年4月18日水曜日

優遇

すべての人は未熟です。
すべての人は、未熟な状態で生まれます。
それは、人生の目的が成長することにあるからです。
すべての人は成長する必要があります。
成長を否定することの出来る人はいないのです。
なぜなら、すべての人が幸福を求めているからです。
幸福とは、成長の結果に過ぎません。
成長することによって、人は幸福を感じることが出来ます。
成長することがなければ、人が幸福を感じることは出来ないのです。
人が幸福を得るためには、成長しなければなりません。
しかしながら、成長することは容易なことではないのです。
それは、幸福を得ることが容易ではないことからも明らかです。
すべての人が幸福を求めていますが、多くの人は幸福を得ることが出来ないのです。
人は幸福を求めながらも、不幸を手にするのです。
それは、成長を食い止めていることに原因があります。
多くの人は、成長を食い止めています。
多くの人には、成長と幸福は同義ではありません。
多くの人は、成長を否定しながらも、幸福を求めているのです。
成長とは、変化のことです。
人は、変化することによって成長を実現することが出来ます。
変化するためには、現状を手放さなければなりません。
しかしながら、多くの人にとって、現状を手放すことは難しいのです。
多くの人は、現状を維持したがります。
それは、それがどのような現状であれ、慣れ親しんだ環境であるからです。
多くの人は、慣れ親しんだ環境を好むのです。
そのため、多くの人にとって、慣れ親しんだ環境を手放し、不慣れな環境に挑むことは難しいのです。
人が未熟なのは、内に弱さを抱えているからです。
すべての人の内には、弱さが存在しています。
弱さは変化を嫌います。
それは、変化し、成長することによって、立場が危ぶまれるからです。
弱さは、自らの立場を守ろうとしているのです。
そのため、あなたが変化し、成長しないように企(くわだ)てるのです。
多くの人は、弱さを自分だと思い込んでいます。
そのため、弱さの存在や企てに違和感を覚えることがないのです。
大切なのは、弱さに気が付くことです。
多くの人は自己を正当化するために、内を把握することが出来ません。
自らを正当化することによって、弱さの存在を隠しているのです。
弱さが影響力を持っているのであれば、成長することは出来ません。
弱さは変化を嫌います。
矛盾を抱えた状態では、成長を実現することが出来ないのです。
あなたは、内に存在する弱さに気が付かなければなりません。
弱さは、あらゆる手段を使って、あなたから変化を遠ざけます。
その結果、あなたは変化を嫌うようになるのです。
弱さを優遇してはなりません。
なぜなら、それは滅びの道だからです。
弱さを優遇するのであれば、水準は下がります。
水準が下がれば、成長は困難なのです。
水準を上げるためには、弱さを優遇しないことです。
あなたの内には弱さと同時に強さが存在しています。
弱さを冷遇しろということではありません。
弱さにも大切な役割があります。
それを蔑(ないがし)ろにしてはなりませんが、待遇の比率は考えなければならないのです。
強さに従わなければ、あなたが変化を受け入れ、成長を実現することは出来ません。
水準を上げなければ、人生は幸福を得られないのです。
あなたは自分が未熟であるということを理解しましょう。
そして、自分の内に弱さが存在していることを知り、惑わされないように気を付けるのです。


弱さとは、仲良くしなければなりませんが、それを優遇してはなりません。

2018年4月17日火曜日

誰にとっても、人生の目的は成長することです。
すべての人が成長するために人生を生きています。
すべての人が、成長する目的から逃れることは出来ません。
あなたが人生で経験しているすべての状況は、あなたの成長を助けているのです。
人は未熟な存在です。
すべての人が無知であり、すべての人が不足を抱えています。
そのため、人生を思い通りに展開させることは出来ません。
誰もが必ず失敗します。
そして、誰もが必ず後悔するのです。
人生において、失敗と後悔を無視することは出来ません。
あなたは必ず失敗と後悔を経験します。
それは、自分自身の現状を知るためです。
あなたは、失敗と後悔によって、自分自身の現状を知ることが出来るのです。
それは避けられないことです。
どのような人物も、失敗と後悔を経験します。
それは、人生の壁となってあなたを苦しめるでしょう。
それはとても高い壁であり、容易に乗り越えることは出来ません。
しかしながら、あなたはその壁を乗り越えなければならないのです。
人生に現れる壁とは、自分自身の弱さです。
しかしながら、弱さとは、決して弱いものではありません。
あなたの抱える弱さは、あなたにとってとても強い存在であるのです。
弱さを乗り越えることは容易ではありません。
それは、何よりも苦しいことであることを理解しましょう。
あなたが自分の弱さと向き合う時には、惨(みじ)めな気持ちが生じます。
あなたは、惨めさに捕らわれてしまうのです。
惨めな気持ちを抱えて生きることは苦痛です。
それは、あなたを苦しめます。
しかしながら、この苦しみがあなたに成長を促(うなが)すのです。
惨めな気持ちを抱えたままで生きることは出来ません。
誰もが、その苦しみに堪(た)え兼(か)ねてしまうからです。
苦しみに生き続けられる人はいません。
人が苦しみに堪え兼ねると、それを打ち破るのです。
苦しみ抜くことが大切です。
人は、苦しみに堪えられず、それを打ち破る方法を探すようになるのです。
惨めな気持ちを得ることは良いことです。
惨めな気持ちを得ることは苦しいものですが、そうでもしなければ、人が現状に対する執着を手放し、新たな成長を欲することがないのです。
人生の選択権は自分自身に与えられています。
あなたは、自分で人生を選ぶことが出来るのです。
人生の壁は、自分自身の弱さです。
自分自身の弱さとは、思い込みに過ぎません。
自分自身に課している制限に過ぎないのです。
苦しみを乗り越えるためには、思い込みを改めることです。
人生には無意味なことは存在しません。
そして、無駄はないのです。
すべてが必然であり、最善です。
そのことを理解すれば、どのような壁も乗り越えることが出来るのです。
すべては成長のためです。
失敗も後悔も、あなたのために導かれる必然であり、最善であるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
惨めな気持ちに塞ぎ込んでいてはなりません。
惨めな気持ちに対して、真剣に向き合う必要はありません。
あなたは自分自身の弱さを笑い飛ばせば良いのです。
目の前の壁は、自分自身が選択した思い込みです。
見た目に惑(まど)わされてはなりません。
本質を見極めましょう。

2018年4月16日月曜日

甘いものは苦い

人生とは、学びの場所です。
人は、人生において学ばなければなりません。
人生において学ぶというのは、知らないことを知ることであり、出来ないことを出来るようになるということなのです。
学びとは、未知との対峙であるということを理解しなければなりません。
未知に対して、すべての人は無力です。
人生とは、未知との対峙です。
そのため、すべての人が人生に対して無力であるということなのです。
人生を思い通りに展開させることは出来ません。
人生は決して、思い通りにはならないということを理解しなければならないのです。
それは、人生が学びの場所であるからです。
人生が学びの場所であるために、あなたは無力であり、無力であるが故(ゆえ)に未知と対峙しなければなりません。
そのような状態が自然であるということを理解しなければならないのです。
あなたが真剣に生きる程に、多くの学びと対峙することになります。
それは、あなたが真剣に生きる程に、自らの無力さと向き合わなければならないということなのです。
真剣に生きる程に、人は自らの無力さという苦しみを見せ付けられるのです。
人生とは、苦しいことが自然です。
しかしながら、多くの人は、人生が苦しいことを嫌います。
人生が苦しいことを悪いと考えているのです。
そのため、人生が楽しくなるように努めます。
そして、不自然な人生を生きるようになるのです。
多くの人は、無理をして楽しい人生を生きています。
苦しみが存在するのは自然です。
人が未熟である以上、苦しみが存在するのが当然なのです。
すべての人が未熟です。
すべての人が未熟であることが自然であるにもかかわらず、それを否定するのです。
自然を否定することは、不自然を招き入れるという選択です。
人生には、苦しみが存在していることが自然ですが、苦しみを否定することによって、不自然な人生を実現するのです。
不自然な人生によって得られるのは乏しさです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、苦しみという自然な状態を受け入れる必要があるのです。
苦しみというものは、人生の目的である成長に対して、重要な役割を担っています。
無知であり、無力であるあなたが成長するためには、苦しみの助けが必要不可欠です。
苦しみの助けがなければ、あなたが成長を実現することは出来ないのです。
苦しみを否定する者は、楽しみを優先します。
未熟者の楽しみとは、自己の利益のことです。
快楽を貪(むさぼ)ることを楽しみとしているのです。
そのため、多くの人は口に甘いものを好みます。
耳に甘いものを選び、心に甘いものを集めるのです。
しかしながら、あなたは口に甘いものは身体に苦いということを覚えておきましょう。
快楽に従って、甘いものばかりを食していれば、やがて病気が身体を蝕(むしば)むでしょう。
快楽に従って、耳に甘いものばかりを受け入れているのであれば、心は苦くなるのです。
心が蝕まれるのであれば、人生に豊かさを導くことは出来ないのです。
心に甘いものは、人生に苦いということを覚えておく必要があるでしょう。
口に苦いものは、腹には甘いものです。
快楽に従わず、克己(こっき)によって苦しみを選択するのであれば、それはあなたに多くの気付きを与えるでしょう。
人は、既知(きち)から学ぶことは出来ません。
人は、未知から学ぶのです。
簡単なことから得られるものは少なく、難しいことから得られるものは多いのです。
楽しみから得られることは、苦しみから得られることよりも少ないということを覚えておかなければなりません。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、成長する必要があります。
成長するためには、未知に向き合い、多くの気付きを得る必要があるのです。
人生とは、あなたが自分で選択するものです。
あなたは自分の選択によって、豊かさを得ることも、乏しさを得ることも出来るのです。
自由に選択することが許されているのです。
どうするかはあなた次第です。
心に余裕があれば、いつもより少しだけ苦しいことを選択してみましょう。
そうすれば、あなたはいつもの習慣を抜け出して、新たな気付きを得ることが出来ます。
新たな気付きの積み重ねこそが、人生を豊かなものにするのです。

2018年4月15日日曜日

優しくも厳しい態度

すべての人は、成長するために生まれました。
すべての人は、成長しなければなりません。
成長することこそが人生の目的であるのです。
あなたは、成長することが人生の目的であることを忘れてはならないのです。
しかしながら、人は独りで成長することは出来ません。
人が独りで生きていくことが出来ないように、独りで成長することは出来ないのです。
あなたが成長するためには、他者の協力が必要であることを理解しなければならないのです。
他者の協力無くして、あなたが成長することは出来ません。
成長すること無くして、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすこと無くして、豊かさや幸福は実現しないのです。
人は、精神的には独りで生きていかなければなりません。
依存(いそん)に陥ってはならないのです。
しかしながら、成長を実現するためには、他者の協力が必要不可欠です。
そのため、あなたは他者に協力しなければなりません。
他者との関係性は、依存ではなく、協力でなければならないのです。
相手に協力するということは、相手の成長を手助けするということです。
あなたは自分の成長を考え、そのための方法を実践しながらも、他者の成長を考え、そのための方法をも実践しなければならないのです。
相手の成長を考え、それを手助けすることは、自分の成長を実現することに大きな影響力を持っています。
人が自分のことを考えている時には、その視野は狭まります。
それは、自分のことだからです。
自分のことを考えている時には、どうしても利己心が自分の利益を優先してしまうのです。
そのようなつもりが無くても、そのように考えてしまうのです。
そのため、人は自分のことを正しく見ることが出来ません。
どうしても人は、自分のことを歪めて見てしまうのです。
そのため、自分の成長を考えているつもりでも、その考えは浅く空しいものになってしまいます。
浅く空しい考えが導き出す方法は、愚行(ぐこう)に過ぎないのです。
自分の成長を考え、その方法を実践したつもりが、自分の成長を遠ざけるような結果を招くということになるということを覚えておかなければならないのです。
人は自分のことを正しく見ることが出来ません。
しかしながら、他者のことであれば、自分のことよりも多少は冷静に見ることが出来ます。
それは、自分のことではないからです。
相手の成長を考える時には、相手の利益を考えているため、利己心の働きは弱いのです。
あなたが成長するためには、利己心を弱めなければなりません。
それは、成長するということが、貢献(こうけん)するということであるからなのです。
人は、成長の段階によって、貢献の度合が決まります。
成長することによって、貢献度を高めることが出来るのです。
貢献度が高まることによって、豊かさや幸福の質も高まります。
この世界においては、豊かさや幸福の原因が貢献度であるということを覚えておきましょう。
貢献することがなければ、豊かに生きることも、幸福を得ることもないのです。
そして、貢献するということは、愛するということでもあります。
それは、あなたは、自分が愛するもののために貢献するからです。
愛していないもののために貢献する人はいません。
貢献は、愛することによって実現するのです。
そのため、あなたは他者を愛さなければなりません。
愛さない者は、成長することが出来ないのです。
成長とは、愛の大きさによって決まるのです。
愛するというのは、相手に気に入られるように振る舞うことではありません。
愛するというのは、相手に誤解されたとしても、相手の最善を満たすということなのです。
誤解してはなりませんが、愛するというのは、相手の最善を満たすことであって、自分の最善を満たすことではないのです。
あなたは、相手の最善を尽くさなければなりません。
相手の最善を尽くすことによって、相手が成長する手掛かりを掴むことが出来るのです。
あなたは、相手が成長することが出来るように手助けしなければなりません。
相手が成長するために、相手に対して最善の態度を示さなければならないのです。
それは、相手を甘やかすことではありません。
相手に優しくも厳しい態度を示すことによって、成長を促(うなが)す必要があるのです。
成長を実現するためには、誰もが自分で気付き、改めなければなりません。
自分で気付き、改めなければ、成長は決して実現しないのです。
相手が気が付くまで、あなたは態度を変えてはなりません。
相手が気が付くまで、あなたは態度を徹底しなければならないのです。
自分を愛するということも、自分を甘やかすことではありません。
自分に対して、優しくも厳しい態度を示しましょう。
自分が気が付き、改めるまでは、態度を徹底しなければなりません。
そうすることによって、人は互いの成長を実現することが出来るのです。
目的は成長することです。


優しくも厳しく生きましょう。

2018年4月14日土曜日

学びの見付け方

人生は学びに溢れています。
あなたの目の前に存在するすべての状況が学びです。
あなたは、いつでも学ぶことが出来ます。
学びが存在しない場所はありません。
学びが存在しない時はないのです。
それがどのような状況であっても、あなたの学びであり、学びと成るということを覚えておきましょう。
多くの人は、目の前に存在する学びに気が付きません。
多くの人は、目の前の学びに気が付かずに通り過ぎるのです。
そのため、学びは少なくなります。
残念ながら、学びがあなたに呼び掛けるということはありません。
あなたが気付かない限り、学びは存在しないのです。
学びとは、石や落ち葉のようなものです。
それは静かに存在しているのです。
あなたが気を向けない限り、学びは学びとしての価値を得ません。
学びは、あなたが気が付くことをひたすらに待っているのです。
大切なのは、興味を抱くことです。
無関心を生きてはなりません。
多くの人は、学びに興味を示しません。
それは、学びには価値が無いと思っているからです。
多くの人は、自分自身の成長に価値を見出しません。
多くの人は、優位な立場や財産を喜びます。
そこに因果が結ばれてもいないのに、手に入れることを喜びます。
例えば、誰かを蹴落としてまで立場を奪うことや、虚偽(きょぎ)を働いて財産を得ようとすることに躊躇(ためら)いがありません。
自分の思う結果を得ることが良いと考えているのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
すべての人は自分の分際を見誤ります。
すべての人は、自分を実際の分際よりも大きく見積もっているのです。
人は、自分のことを主観的に評価します。
それは、利己的な評価に過ぎないのです。
その結果、分際と利己的な評価の間に矛盾が生じるのです。
多くの人は、自分に相応しくないものも、相応しいと考えます。
因果が存在しないにもかかわらず、それを受け取ろうとするのです。
残念ながら、分際を無視することは出来ません。
人は、自分の分際に相応しい人生を生きる他ないのです。
人は人を学び、獣は獣を学びます。
幼子(おさなご)は幼子を学び、成人は成人を学び、老人は老人を学ぶのです。
これは、人の意識の状態を現しています。
意識が幼い者は、幼い自分に必要な学びを得ます。
意識が成熟している者は、成熟している自分に必要な学びを得ます。
意識が達している者は、達している自分に必要な学びを得るのです。
すべての人は、因果の中に存在します。
例え、一時的には相応しくないものを手にしたとしても、後に必ず相応しい形に落ち着くのです。
人は、因果を離れることは出来ません。
大切なのは、因果と共に生きることです。
あなたは、因果を見失ってはなりません。
自分の分際を見極め、人生を冷静に選択するのです。
人生に豊かさを求めているのであれば、自分を高めることを考えましょう。
それは、原因を考えるということです。
多くの人は結果を考えていますが、あなたは結果を考えてはなりません。
原因を考えるのです。
自分という存在が成長していれば、導かれる結果は自ずと豊かなものとなるのです。
企(たくら)みには価値がありません。
企みは、必ず後悔を導くからです。
遠くを見るのも良いですが、足元を疎(おろそ)かにしてはなりません。
学びは足元に静かに転がっているのです。
足元の石や落ち葉に価値を見出しましょう。


学びとは、そのように見付けるものなのです。

2018年4月13日金曜日

世界に協力する

人生とは、学びの場所です。
人は、人生において常に学びを得ています。
人生において、学びの存在しない時はありません。
すべての状況が学びであるということを覚えておきましょう。
あなたは学ばなければなりません。
それは、成長するためです。
あなたは、学ぶことによって、成長を実現しなければならないのです。
成長を実現するのは、豊かさを得るためです。
多くの人は、人生を空しく生きています。
人生が何であるのか?という根本的な問いに答えることが出来ないのです。
多くの人は、自分が何をしているのかを知らないのです。
自分が何をしているのかも知らずに、満足することが出来るでしょうか?
満足とは、満ち足りることを実感することなのです。
人が満足するためには、理由が必要なのです。
それも、真(まこと)の理由です。
偽りの理由によって自分を騙(だま)そうと努めても、満足を得ることは出来ません。
寧(むし)ろ、その嘘によって不足は強化されるのです。
多くの人は、人生に対して乏しさを覚えます。
多くの人は、人生を空しいと考えているのです。
それは、真の理由を見失っているからです。
あなたは、真の理由を探さなければなりません。
偽りの理由で自分を騙すことをやめ、真の理由によって生きなければならないのです。
”人生とは何か?”
この問いに対する真の理由を探さなければなりません。
あなたが真の理由を見出すためには、世界に協力しなければなりません。
世界に貢献(こうけん)する必要があるのです。
世界の役に立つことによって、あなたは自分の人生の理由を知ることが出来るのです。
世界に協力しなければ、貢献することは出来ません。
貢献することがなければ、人生の理由を知ることは出来ないのです。
人生に満足を得ようと考えているのであれば、世界に協力することを考え、それを実行しましょう。
世界に協力することは、決して難しいことではありません。
どのような人物も、世界に協力し、貢献することが出来るのです。
あなたが世界に協力するためには、自分に出来ることを懸命に行うだけです。
ただ、それだけなのです。
出来ることをするのです。
出来ないことはしなくても良いのです。
今のあなたに出来ることをするのは、難しいことではありません。
しかしながら、出来ないことをするのは難しいのです。
満足とは、簡単な方法によって得ることが出来るのです。
しかしながら、多くの人は世界に協力しません。
多くの人は、自分の利益を集めるのに必死であるのです。
世界に協力し、貢献するということは、世界の利益のために働くということです。
世界のために自分の利益を得ようと働くことは良いのです。
しかしながら、自分のための利益を得ようと働くことではなりません。
利己的な生き方であっては、成長することが出来ないのです。
成長とは、利他的な生き方の中で育まれるものなのです。
利己的な生き方では、視野は狭くなってしまいます。
それでは、理解が深まりません。
利他的な生き方では、視野は広がるのです。
視野が広がることによって、理解が深まるということを理解しましょう。
自分のためだと、一人分の視野です。
世界のためだと、世界を見渡す視野なのです。
あなたは人生を深く考えなければなりません。
後先を考えずに、目の前の利益に飛び付いてはなりません。
人生の目的を見失ってはならないのです。
あなたが人生を生きているのは、成長するためです。
利益を得るために生きているのではありません。
間違えてはなりません。
あなたは、世界に協力しましょう。
自分に出来ることを懸命に行うのです。
ただ、それだけのことで、あなたは満足を得ることが出来るでしょう。
それは、即(すなわ)ち、人生の幸福であるのです。

2018年4月12日木曜日

振り返らずに歩む

人生とは、一方通行の道です。
人は、進み続けなければなりません。
人は、前を向いて進むことによって、その道程(どうてい)を豊かなものにすることが出来るのです。
あなたは、振り返ってはなりません。
道を引き返してはならないのです。
多くの人は、過去を引き摺(ず)っています。
多くの人は、過去を良いものと考えているのです。
そのため、後ろを振り返ります。
そして、道を引き返そうとするのです。
残念ながら、良い過去というものは存在しません。
過去が良いというのは、幻想なのです。
目の前の現実から逃避するために、過去を良いものと思い込もうとしているのです。
過去を良いものにしなければ、目の前の現実から逃避することが出来ないのです。
人が道を進むということは、それだけ成長しているということです。
人生には、自分に相応しい状況が導かれます。
人生は、あなたに相応しいのです。
人は経験を重ねます。
それが自然の理(ことわり)です。
人が経験を損なうことはありません。
生きていれば、人は自然と経験を重ねることになります。
生きていれば、人は少しでも成長することが出来るのです。
成長を否定しても、成長することになるのです。
そのため、過去が良いことなど有り得ません。
冷静に考えてみれば分かることなのです。
多くの人は、感情に従って人生を選択します。
感情とは、短絡的な衝動です。
感情に従った選択は、破滅的な行為に繋がるということを覚えておかなければなりません。
すべての人が未熟です。
すべての人が歪んでいるのです。
感情とは、未熟であり、歪んだ心の働きに過ぎないのです。
そのため、安易に感情に従っては、人生は乏しさを導くことになるのです。
感情的に行為すれば、あなたは絶望を得ることになるということを覚えておきましょう。
過去が良いことなど有り得ません。
あなたが過去に焦(こ)がれ、現実を逃避し、後戻りしようとするのであれば、辿り着ける場所は苦悩であるということを知っておかなければなりません。
道を進まない者に栄光はありません。
豊かさや幸福というものは、道の先に存在しているのです。
あなたにとって、目の前の現実がどのようなものであろうとも、安易にそれを否定してはなりません。
それが、辛く苦しいのは知っています。
しかしながら、それは、あなたに相応しい最善であるのです。
それを辛く苦しいと感じるのは、それを辛く苦しいと考えているからに他ならないのです。
目の前の現実が辛く苦しいのは、あなたがそう決めているからなのです。
後ろを振り返る者は苦悩を得るでしょう。
それは、後ろ向きで歩まなければならないからです。
人生とは、一方通行なのです。
後ろを振り返ったとしても、前進しなければならないのです。
あなたは冷静に考えましょう。
論理的に判断するのです。
理由もなく、気分で決めてはなりません。
人生は、そのように軽々しいものではないのです。
人生の目的は何ですか?
あなたは何のために生きているのですか?
このような問いを所有すれば、人生を真剣に生きることが出来るでしょう。
残念ながら、多くの人は人生を軽んじています。
感情に従うのが、その証(あかし)です。
辛く苦しい状況に対して、辛抱強く向き合うことを覚えましょう。
辛抱強く向き合っていれば、今までには見えなかったものが見えてきます。
分からなかったことが分かるようになるのです。
目の前の現実に対して、何度も向き合いましょう。
それがあなたに豊かさを導きます。
何度も向き合っていれば、辛さも苦しさもなくなるのです。
あなたは前進しなければなりません。
振り返らずに歩みましょう。


良い過去などという幻想に惑わされてはなりません。

2018年4月11日水曜日

童心

多くの人は、人生が難しいもののように考えています。
多くの人は、難しいと思う人生を難しく考えているのです。
多くの人は、迷いの中に生存しています。
多くの人は、迷いから抜け出すことが出来ないのです。
迷いはやがて悩みとなり、悩みは苦しみとなるのです。
苦しみを抱えている多くの人は、難しく考えているという原因を持つということを覚えておかなければなりません。
難しく考えるのであれば、人生は難しいものとなります。
人が苦しんでいるのは、苦しみを考えているからなのです。
人は、考えていることを状況として受け取ります。
あなたは、自分の考えが人生に反映されているということ、自分の願いが叶っているということを理解する必要があるのです。
あなたが苦しみを抱えているのであれば、それは、苦しみを考えているからです。
苦しみを願っているために、それが実現しているのです。
自らの考えが実現し、願いが叶っているにも関わらず、多くの人は苦しみに対して不満や不安を抱きます。
多くの人は、自らの考えの実現や願いの成就(じょうじゅ)に対して、否定的な感情を抱いているのです。
自らの考えや願いが実現している状況に対して、感謝するのが義理です。
しかしながら、多くの人は人生に対して不義を働いているのです。
人生は、あなたのために、あなたの考えや願いを叶えているのです。
功労者に対して、不満を抱き、否定的な態度を示すのは良いことではないのです。
あなたは人生を振り返ってみなければなりません。
そして、自分自身を顧(かえり)みる必要があるということを覚えておきましょう。
そうすれば、人生は自分自身で選択しているということに気が付けるはずなのです。
深く考える程に、人生が合理的なものであるということを理解することが出来るのです。
残念ながら、この世界には、偶然や”奇跡”や不運などというものは存在しません。
すべては、因果によって当然のことであるのです。
この世界には、無意味も無価値も存在しません。
すべては、あなたが人生を完成させるために導かれる状況なのです。
人生は、あなたの選択によって決まります。
あなたの選択以外によっては、人生が決められることはないのです。
選択とは、考えです。
あなたは、自らの考えを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
人生は、自分自身で選択し、築くのです。
そのことを忘れてはならないのです。
あなたは、自分の人生に対して責任感を持たなければなりません。
それは、何を選択するかによって、人生は大きく変わるからです。
誰かや何かに人生を決められているのではありません。
誰かや何かに幸福にしてもらったり、誰かや何かに不幸にさせられるのでもないのです。
あなたは自らの選択によって幸福にもなり、自らの選択によって不幸にもなるのです。
人生の責任を転嫁(てんか)してはなりません。
人生は、自己責任なのです。
人生は、あなたが決めるのです。
人生というものは、人それぞれに違っているものです。
一つとして、同じ人生は存在しません。
そのため、誰かとの比較には意味がありません。
あなたは、あなたの人生を生きなければならないのです。
大切なのは、自分の人生を生きることです。
そのためには、誰かの人生の真似をしていてはならないのです。
成功や失敗などということも考える必要はありません。
それは、誰にも、何が成功であり、何が失敗であるのかを知ることが出来ないからです。
正解も間違いも気にしてはなりません。
あなたが、自分の人生を生きるためには、憧れに従う必要があるということを覚えておきましょう。
憧れとは、人生の指標(しひょう)なのです。
憧れは、あなたの必要を指し示しているのです。
あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、憧れに従って人生を選択しましょう。
自分を偽る必要などないのです。
険(けわ)しい道も、憧れに従うのであれば、進むことが出来ます。
しかしながら、憧れに従わなければ、その険しさに挫(くじ)けてしまうでしょう。
憧れは、童心が知っています。


あなたの純粋であり、素直な心が、あなたに道を示すのです。

2018年4月10日火曜日

知恵の輝き

すべての人は、道に迷います。
人生とは、道を進んでいく行為なのです。
あなたは、道を選び、進んでいかなければなりません。
しかしながら、道を進むのは容易ではありません。
なぜなら、人生は暗闇に覆われているからです。
人は暗闇の中を進んでいかなければならないのです。
暗闇を進むためには、光が必要です。
光によって足元を照らすことで、道を進んでいくことが出来るのです。
暗闇の中では、一歩を踏み出すことでさえ恐ろしいでしょう。
多くの人は、恐れによって道を進めずにいるのです。
道を進むのは目的地へと辿り着くためです。
目的地へと歩みを進めるのは、それが人生の目的であるからです。
すべての人が目的地を目指しています。
すべての人の人生に目的が存在しているのです。
大切なのは、光によって暗闇を照らし、一歩を踏み出すことなのです。
光とは、知恵のことです。
あなたが知恵を磨くことによって、それは光を放つのです。
知恵の光は道を照らします。
あなたは知恵によって暗闇を退(しりぞ)け、知恵によって人生の目的を果たすのです。
知恵が無ければ、人生は暗闇に覆われます。
知恵が無ければ、恐怖によって身動きが取れなくなります。
知恵が無ければ、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
知恵が無ければ、人生は乏しさを得ます。
あなたは、豊かな人生を求めているはずです。
豊かな人生を実現するためには、知恵の輝きが必要不可欠であるのです。
あなたは知恵を磨かなければなりません。
知恵を磨くためには、見聞(けんぶん)を広めることです。
実際に経験することを積み重ねることによって、人は知恵を磨くことが出来るのです。
あなたが見聞を広め、知恵の輝きによって足元が照らされると、それは、誰かの道を照らすことにもなります。
知恵の輝きは、自分自身のためだけではなく、その知恵を必要としている誰かの役にも立つということなのです。
誰かの役に立つことは重要です。
それは、誰かの役に立つことによって、あなたは多くの豊かさを得ることが出来るからです。
豊かさは、貢献(こうけん)することで導かれます。
貢献することがなければ、豊かさは導かれません。
怠慢(たいまん)に過ごし、何の役にも立たない者が、どうやって豊かさを得るというのでしょうか?
そのような者が得るのは乏しさなのです。
知恵を磨けば、道は照らされます。
あなたは、知恵の輝きによって道に迷うことがなくなるでしょう。
そして、知恵の輝きは誰かの道をも照らし、誰かを助けることが出来るのです。
知恵を磨かなければ、豊かな人生を得ることが出来ません。
多くの人は、”奇跡”や偶然を待ち侘(わ)びています。
しかしながら、いくら待っても、”奇跡”や偶然などといったものが導かれることはないのです。
それは、この世界には因果の仕組みが存在しているからです。
原因が存在しなければ、結果は存在しません。
知恵を磨くこともなく、人生の豊かさを望むものではありません。
それは、無理な話なのです。
明かりを持たない者が、道を照らすことは出来ないのです。
知恵はどこにでも存在しています。
落ち葉や枝であっても、灯(ともしび)となるのです。
しかしながら、あなたが火を点(つ)けることがなければ、どのようなものも灯とは成り得ないのです。
情熱を以(もっ)て、経験することです。
そうすれば、何事においても、あなたはそこから知恵を得ることが出来ます。
どのような経験も、知恵に変えることが出来るのです。
そのために、あなたは深く考えなければなりません。
安易に結論に至ってはならないのです。
深く考えましょう。
何度も考え、何度も挑戦しましょう。
そうすれば、知恵を得ることが出来るでしょう。
知恵の輝きは、すべての人の人生を照らします。
すべての問題は、知恵によって解決するのです。
知恵を磨きましょう。


見聞を広めるのです。

2018年4月9日月曜日

人生の灯

人は、誰もが人生に迷います。
それは、人生には道が準備されていないからです。
あなたの人生は白紙です。
それは、広野のように、どこへでも歩んで行くことの出来るものなのです。
道は、あなたの後ろに出来上がります。
あなたが歩んだ足跡が、道となるのです。
道が前にあるというのであれば、それは誰かの歩んだ軌跡です。
それは、あなたの道ではありません。
誰かの道を進んだとしても、あなたが人生を完成させることは出来ません。
誰かの目的地に辿り着いたとしても、あなたが満たされることはないのです。
あなたは、あなただけの道を作り、あなただけの目的地に辿り着かなければならないのです。
残念ながら、人生とは、孤独の道です。
誰も、あなたの道を知りません。
誰も、あなたの目的地を知らないのです。
あなたの道を知っているのは、あなただけです。
あなたの目的地を知っているのは、あなただけしかいないのです。
あなたは自分で選択し、自分で歩まなければなりません。
それが、人生というものなのです。
すべての人は未熟です。
そして、多くの人は愚(おろ)かです。
多くの人は、人生について考えることをしません。
多くの人は、快楽や恐怖に従うことに精一杯です。
とても、人生について考える余裕はありません。
そのため、多くの人は道の選び方を知りません。
そして、自分がどこへ向かって歩めば良いのかも知らないのです。
人生とは、選択です。
あなたは、自分で踏み出す次の一歩を選択しなければならないのです。
歩みの選択によって、道が決まります。
道が決まれば、目的地が決まるのです。
あなたは、一歩ずつしか歩むことは出来ません。
あなたは、一歩ずつ道を築いていくのです。
一歩一歩の積み重ねによって、あなたが辿り着く場所が決まるのです。
あなたは、一歩を侮(あなど)ってはなりません。
小さな一歩であろうとも、それを積み重ねることは、結果を大きく変えてしまうのです。
一つの選択によって、結果的に道は大きく違(たが)うのです。
あなたが本来の目的地に向かっていない時には、その違和感に気が付くはずです。
多くの人は、偽りの満足によって日々を生きようと努めています。
偽りの幸福によって、自分を誤魔化(ごまか)しているのです。
自分を偽ることを継続することは出来ません。
それは、耐えられなくなるからです。
自分を偽ることは、やがて人生を破綻(はたん)させます。
目的地や道を見失えば、人は生きていくことすら出来ないのです。
目的地や道を見失った者は、苦悩に従って絶望に辿り着きます。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
大切なのは、人生に迷わないことです。
あなたは、迷わずに進まなければなりません。
しかしながら、すべての人が必ず道に迷います。
あなたが道に迷ったら、正直であることを心掛けましょう。
正直さとは、人生の灯(ともしび)です。
正直でない者は、必ず道に迷うのです。
人生は暗闇に覆われています。
灯を持たない者が歩んでいけるようなものではないのです。
正直であることは、あなたの好みを明確にします。
好みが明確となれば、好きか嫌いかで判断することが出来るのです。
好きか嫌いかで選り分ければ、自分がどう進むべきなのか?を知ることが出来るでしょう。
あなたが道に迷った時には、好きな方を選べば良いのです。
結果はともあれ、それがあなたにとっての素晴らしい道標(どうひょう)となるでしょう。
人は、失敗します。
失敗を避けることは出来ません。
あなたの選択はすべてが失敗です。
あなたの選択は、そのすべてが後悔へと繋がっているのです。
どうせ失敗し、後悔するのであれば、嫌いなことよりも好きなことを選びましょう。
好きなことで失敗し、好きなことで後悔するのです。
それが、次の可能性を引き出します。
嫌いなことで失敗し、嫌いなことで後悔してはなりません。
それでは、可能性を失います。
正直であれば、あなたが道に迷うことはないでしょう。
誰にどう言われても構わないのです。
誰にも、あなたの道や目的地は分かりません。
あなたも、自分の道や目的地を知りません。
誰も分からないのだから、思い切って好きな方を選びましょう。
好きなことをしましょう。


そうすれば、豊かな人生を生きることが出来るでしょう。