すべての人は未熟です。
すべての人は、未熟な状態で生まれます。
誰もが無知であり、誰もが不足しています。
それが自然の状態なのです。
この世界において、満たされている人はいません。
この世界には、完全な人は存在しないのです。
それは、互いに補(おぎな)い合うためです。
人が未熟であることは重要です。
それは、人が成長しなければならないからです。
人生の目的は成長することなのです。
そして、成長を実現するためには、補い合うという経験を必要とするのです。
人は、独りでは成長することが出来ません。
なぜなら、独りでは、偏(かたよ)ってしまうからです。
偏ることは、成長を阻害(そがい)します。
それは、偏ることによって停滞してしまうからです。
偏れば、倒れてしまいます。
偏ることで人は倒れ、船は沈んでしまいます。
人が独りでいることは、その価値観を頑(かたくな)にしてしまうのです。
人が独りでいる時には、思い通りに考えることが出来ます。
人が独りでいる時には、それが身勝手な考えであったとしても、それを訂正(ていせい)する必要がないのです。
人が独りでいることは、未熟さを助長してしまうということを覚えておかなければならないのです。
しかしながら、誤解してはなりません。
飽くまでも、人は独りで生きています。
人生は独りの道なのです。
それは、最終的な決定権は自分独りに任せられているということなのです。
あなたは独りでいることは出来ませんが、独りで決断しなければならないのです。
他者と補い合うのは、依存のためではありません。
多くの人は、他者との関係に依存するようになります。
それは、人生が独りの道であるということを知らないからなのです。
あなたが他者と補い合うのは、互いの成長のためです。
あなたは他者に依存してはなりません。
そして、他者の依存を許してはならないのです。
互いが独りの状態を保ちつつ、補い合う必要があるのです。
すべての人は未熟です。
それ故(ゆえ)に、補い合うことに甘えてしまいます。
そうすれば、補い合うという状態は破綻(はたん)します。
補い合うことは、独りよりも簡単です。
その手軽さに甘えてしまうのです。
あなたは、人生の目的を見失わないように注意しなければなりません。
人生の目的は成長です。
他者は、自らの成長のためにこそ存在しているのです。
自分が楽をするための道具ではありません。
あなたは他者を補うことによって成長し、他者はあなたを補うことによって成長するのです。
補うということは、与えるという行為なのです。
それは決して楽なことではないのです。
依存というのは、受け取るという行為です。
それは簡単であり、楽であるのです。
人生は学びの時間です。
学びを得ている時には、真剣に向き合わなければなりません。
怠慢(たいまん)に人生を過ごしてはならないのです。
相手を補うために、常に自分自身を整え、相手により良いものを与えることが出来る状態にしておかなければならないのです。
あなたは多くの問題を抱えています。
しかしながら、その問題には気が付きません。
それは、人が自分を正しいと思い込んでいるからです。
その結果、人は愚行(ぐこう)を重ねます。
愚行が積み重なれば、それは苦悩となるのです。
苦悩によって初めて、人は自分の抱えている問題に気が付くのです。
自分の抱えている問題に気が付くまでは、愚行を重ねなければならず、苦悩を受けなければなりません。
未熟者は、成長するために苦悩しなければならないのです。
相手を補うこと、相手に与えることは簡単なことではありません。
時に、それに苦悩することもあるでしょう。
しかしながら、相手を補うことでしか気付くことの出来ない学びが存在しているのです。
あなたは、相手を補うことによって、他者から多くの大切な学びを得るのです。
独りで生きてはなりません。
自分勝手に生きてはならないのです。
補い合って生きましょう。
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