すべての人は幸せを求めています。
すべての人は、幸せになりたいのです。
すべての人にとって、幸せとは良いことです。
あなたは、幸せを手に入れなければなりません。
すべての人は幸せを手に入れることが出来ます。
この世界において、幸せを手に入れられない人は存在しないのです。
誰であっても、幸せになれるのです。
もちろん、あなたも幸せになることが出来ます。
幸せになることは特別なことではありません。
それは、誰もが得ることの出来る当然の権利なのです。
幸せになるのに、特別な方法や努力は必要ありません。
なぜなら、人が幸せになることは自然だからです。
人は、幸せであって然(しか)るべきなのです。
残念ながら、この世界においては、幸せを否定することの出来る人物は存在しないのです。
現状がどのようなものであろうとも、あなたは確実に幸せを手に入れることが出来るということを覚えておかなければならないのです。
幸せとは、踏み締めた足場のようなものです。
すべての人が人生という道を歩みますが、地面を踏み締めた状態を幸せというのです。
多くの人は、幸せが良いことだと考えています。
そのため、それを失うことを恐れます。
そして、多くの人は、不幸が悪いことだと考えているのです。
そのため、幸せを失うことへの恐れは強化されるのです。
多くの人は、幸せを失うことを恐れる余り、幸せな状態に踏み止まろうと考えます。
前述(ぜんじゅつ)したように、幸せとは、踏み締めた足場のようなものです。
幸せな状態に執着するのであれば、その場から動けないということなのです。
人生の目的は成長であり、成長は目的地に辿り着くことによって実現します。
そのため、すべての人は人生の目的地へと歩み続けなければなりません。
それは、幸せを手放すことを意味しているのです。
一つの幸せの状態に執着し、その場にとどまっているのであれば、人生の目的を果たすことが出来ません。
一つの幸せとは、一時の快楽に過ぎません。
一時の快楽に溺れているのであれば、人生に満足することは出来ないのです。
一時の快楽と人生の満足とは、比べ物にならないのです。
一時の快楽に比べて、人生の満足は壮大(そうだい)です。
一時の快楽を得ても、人生に豊かさを導くことは出来ませんが、人生の満足を得ることは、豊かさを導くのです。
人生を豊かなものにするためには、一時の快楽に溺れることを避け、人生に満足する選択を続けることです。
それは、幸せを手放して、次の一歩を踏み出すということなのです。
足が宙に浮いた状態は不安定です。
足が宙に浮けば、先行きは保証されません。
踏み締める地面は存在せず、谷底へ落ち込んでしまうかも知れません。
足を挫(くじ)いてしまうかも知れないのです。
幸せを手放すことは、不幸を手に入れるということです。
多くの人は、それを豊かさだとは考えられません。
多くの人にとっては、同じ場所にとどまっていることこそが豊かさであるのです。
残念ながら、それは大きな誤解です。
同じ場所にとどまっているということは、変化も成長もないということです。
それでは、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
人生の目的は成長です。
成長するためには、歩まなければなりません。
幸せとは、一時の快楽に過ぎません。
その程度のものに執着してはなりません。
手に入れた幸せは勇気を以(もっ)て手放し、勇気を以て不幸を手に入れましょう。
そうすれば、あなたは次の幸せを手に入れるでしょう。
次の幸せは、前の幸せに比べてより本質的な幸せです。
歩みを進める程に、あなたは本質に近付くのです。
人は、幸せになれます。
しかしながら、それにとどまることは出来ません。
人は、不幸にならなければなりません。
それは、仕方のないことなのです。
どのような幸せにも、飽(あ)きてしまいます。
あなたは、一つの幸せを幸せだと思い続けられるように、都合の良いように作られてはいないのです。
どのような幸せも、それを不幸と考える時が来るのです。
一つの幸せに執着してはなりません。
常に幸せと不幸を歩み続けましょう。
人は幸せになれます。
しかし、人は幸せになれないということを覚えておきましょう。
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