すべての人が分際を所有しています。
人は、分際によって分けられます。
人は、分際に従って生きなければならないのです。
分際が道を決めるのです。
あなたは、分際に逆らうことは出来ません。
それは、あなた自身であるからです。
分際とは、その人の本質です。
あなたの分際があなたであり、あなたの考えている自分という存在はあなたではないのです。
多くの人は、自分を見誤っています。
多くの人は、自己を正当化しています。
多くの人は、自分を美化しているのです。
正しく自己を見極められている人はいません。
誰もが、自分を贔屓(ひいき)しているのです。
例え、そのような気持ちがなくても、あなたの弱さが自分を贔屓しているのです。
多くの人は自分の分際を理解してはいません。
多くの人は、実際の分際よりも、自分を程度の良いものと思い込んでいます。
しかし、残念ながら、実際の分際は、あなたの思い込んでいる自分という存在よりも劣っているのです。
そのことを理解しなければなりません。
実際を知ることが必要です。
理想や幻想を通して見ているのであれば、実際との矛盾を得ることになります。
矛盾を抱えるのであれば、人生は乏しさを得ることになるのです。
矛盾を抱えた状態によって、どれだけの努力を重ねたとしても、人生を豊かにすることは出来ません。
間違った方法を積み重ねるのであれば、事態は悪化することになるからです。
大切なのは、矛盾を手放し、実際を見極めることなのです。
あなたは、正当化し、美化した自分を信用してはなりません。
あなたは、自分が考えている程に上等なものではありません。
あなたは無知であり、未熟であるのです。
それを知らなければならないのです。
大切なのは、自分が愚かであるというところから始めることです。
自分が正しいというところから始める人がいますが、それでは道を誤ってしまいます。
人は謙虚(けんきょ)な姿勢を忘れてはならないのです。
謙虚さとは、道を照らす灯火(ともしび)のようなものです。
謙虚さを忘れた者は、暗闇の道を歩まなければならないのです。
謙虚さを忘れなければ、人が分際を見失うことは避けられます。
もちろん、謙虚も度が過ぎれば、消極的になってしまい、必要な働きが出来ません。
謙虚であるのは、道を見失わないためです。
傲慢(ごうまん)を戒(いまし)めるのも、道を見失わないためなのです。
あなたは謙虚でありながらも、道を進む強い気持ちを忘れてはなりません。
人生を豊かなものにするためには、目的意識が必要不可欠なのです。
人生の目的を知っているのは自分です。
自分とは、分際なのです。
そのため、人生を豊かなものにするためには、分際を弁える必要があるということなのです。
分際を弁える者には悦楽が訪れます。
それは、道を進んで行くことが出来るからです。
そのような人の人生は豊かなものなのです。
分際を弁えない者には苦悩が襲います。
それは、道を誤り、迷いの生存を続けるからです。
そのような人の人生は乏しいものなのです。
多くの人は高ぶっています。
多くの人は、見栄を張るのです。
実際よりも良く見せます。
そのため、人生には矛盾が存在し、苦悩を生きるのです。
高ぶる者は、返せる見込みの無い借り入れが増えていることを知りません。
分際を弁えることがなければ、人は欲望に支配されてしまうのです。
それは、分際を弁えることがないために、不足や不満を覚えるのです。
分際を弁えれば、不足や不満が存在しないことに気が付くのです。
苦悩を得たければ、分際を無視すれば良いでしょう。
悦楽を得たければ、分際を弁えれば良いのです。
ただ、それだけのことです。
人生は、簡単です。
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