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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年6月30日土曜日

苦労癖

すべての人は、幸福を求めています。
すべての人は、人生を豊かに生きたいと願っているのです。
それは自然なことです。
幸福は、人それぞれに異なります。
そして、人生の豊かさも、人それぞれに異なっているのです。
人は、それぞれの幸福や人生の豊かさを求め、願っているのです。
誰一人として、不幸や人生の乏しさを求めてはいないのです。
人は、それぞれに異なる幸福の形を持っています。
人生の豊かさは、人それぞれに異なっていて良いのです。
しかしながら、多くの人は、誰かと同じ幸福や人生の豊かさを求め、願っています。
そのような選択は、自らの心と人生を徐々に歪めてしまうのです。
歪みによって、人は苦しみを得なければなりません。
歪むということは、苦しむということなのです。
大切なのは、歪まないことです。
真っ直ぐであることが重要なのです。
あなたは、真っ直ぐに生きなければなりません。
真っ直ぐであることの重要性を覚えておきましょう。
多くの人は、真っ直ぐであることの重要性を理解してはいません。
多くの人は、歪んでいることを当たり前と思い込んでしまっているのです。
そのため、多くの人は苦しみます。
多くの人にとっては、苦しむことが当たり前になっているのです。
苦しむことが当たり前になれば、それが苦しみであるということにも気が付かないのです。
多くの人は、苦労癖を身に付けています。
多くの人は、苦しむ必要のないものを苦しんでいるのです。
あなたは、人生を苦しむ必要はないということを覚えておかなければなりません。
人生は、楽しいのが一番なのです。
わざわざ苦しむ必要はありません。
しかしながら、苦しまなければ、苦しまなくて良いことを理解することは出来ません。
人は、未熟なのです。
残念ながら、初めから人生を楽しむことは出来ません。
多くの人は、自分自身や人生に対して真っ直ぐに生きてはいません。
多くの人は、自分自身や人生に対して歪んでいるのです。
そのために、人生には苦しみが導かれ、不幸や乏しさを実現します。
しかしながら、苦しみや乏しさを悲観する必要はありません。
なぜなら、それは、幸福や豊かさを実現するための苦しみや乏しさであるからです。
残念ながら、人は自分に相応しい人生を実現します。
未熟者には、苦しみや乏しさが導かれてしまうのです。
未熟者は、導かれた苦しみや乏しさを学ぶことによって成長することが出来ます。
成長した未熟者は、成長した状態に相応しい苦しみや乏しさを人生に実現するのです。
人は苦しまなければなりません。
それは、苦しむ以外には出来ないからです。
あなたは、真っ直ぐに生きられるようになるまで苦しみます。
人生は、あなたが真っ直ぐに生きられるようになるまで乏しいままなのです。
幸福や人生の豊かさを実現することには時間が必要です。
それは、あなたの成長に時間が必要であるからです。
あなたは、人生が苦しいということを覚えておきましょう。
あなたは、確実に苦しまなければなりません。
しかしながら、それは、苦しまなくて良いということを理解するための苦しみであるということを覚えておかなければなりません。
人生は楽しいのが一番です。
あなたは人生を楽しむことが出来ます。
しかしながら、今それは出来ません。
出来ないことを求めてはなりません。
苦しむことしか出来なければ、苦しみましょう。
人生は、出来ることを学べば良いのです。
しかしながら、多くの人は出来ないことを求めます。
苦しみを得ている人は、幸福を求めるのです。
残念ながら、それでは成長することが出来ません。
大切なのは、苦しみを受け入れることです。
そうすれば、苦しまなくて良いことにも気が付くのです。
苦しみを拒絶する考えを手放しましょう。
そして、苦労癖を手放しましょう。

2018年6月29日金曜日

工夫

すべての人は無知です。
すべての人は未熟です。
そのため、すべての人は学びを必要としています。
それは、成長しなければならないからです。
人生の目的は成長することです。
人は、人生において成長を実現しなければなりません。
人生とは、あなたが成長するための場所なのです。
人生におけるすべての状況は、あなたの成長の助けとなるものなのです。
そのため、人生に無駄は存在しません。
すべてに大切な意味が存在し、すべてに重要な価値があるのです。
あなたが成長を実現するためには、そのことを覚えておかなければならないのです。
意味と価値を見出すことなく、成長を実現することは出来ないのです。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
多くの人は、成長するという目的を見失い、目の前の快楽や苦悩に支配されているのです。
多くの人にとっての人生は、目の前の快楽や苦悩との対峙なのです。
多くの人は、目の前の快楽や苦悩に従って生きるのです。
残念ながら、それは人生の目的ではありません。
目の前の快楽や苦悩は、人生の目的を実現するための材料に過ぎないからです。
食材をそのまま食すのも良いですが、それでは問題も生じてしまいます。
人は、健康な肉体と精神、そして、健全な人生を得るために、食材を調理する力を与えられました。
食材を調理することによって、肉体と精神と人生には豊かさが実現するのです。
美味しい食事は、肉体と精神と人生を豊かにするということを覚えておかなければなりません。
人生における食材とは、目の前の状況です。
調理とは、知恵による工夫です。
目の前の状況を、無知で未熟なあなたがそのままの形で認識する時には、多くの問題を引き起こしてしまいます。
なぜなら、無知で未熟なあなたには、目の前の状況を豊かさへと変換する方法が分からないからです。
食べ方を知らない食材をそのままの形で飲み込むことは、多くの問題を引き起こすのです。
舌に美味(うま)い食材も、腹には不味(まず)いのです。
大切なのは、知恵を得ることです。
そして、知恵によって工夫することなのです。
知恵を得るためには、知識と経験が必要です。
知識と経験がなければ、知恵はないのです。
知恵がなければ、工夫もありません。
工夫がなければ、豊かさもないのです。
大切なのは、学ぶことです。
知恵を得るためには、学ぶ以外には方法がないのです。
あなたは、学ぶ必要があるということを覚えておきましょう。
残念ながら、学びは尽きません。
それは、無知も未熟さも尽きないからです。
多くの人は、学ぶ大切さを忘れています。
多くの人は、自分には知恵があると考えているのです。
もしくは、自分には手の届かない豊かさを諦めているのです。
どちらも、導かれるのは乏しさです。
あなたが豊かさを手に入れるためには、学ばなければなりません。
目の前には、様々な状況が導かれます。
それがどのような状況であっても、あなたにとっては大切な意味があり、重要な価値のあるものなのです。
無知であり、未熟なあなたには、理解することが出来ないだけです。
そこに存在する意味と価値を見出すことが出来ないだけなのです。
多くの人は、目の前の快楽や苦悩に従うことによって、意味と価値を見失います。
大切なのは、目の前の状況が豊かさの材料であるということなのです。
探さない者には見付けられません。
工夫しない者には得ることが出来ないのです。
目の前の状況から学ぶことは多いのです。
あなたはそれを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
どのような状況も、環境も、他者も、それを学びだと心得ましょう。
あなたは、目の前の状況や環境や他者から自分を学ぶことが出来ます。
目の前の状況や環境や他者に対する自分自身こそが、学びであるということなのです。
あなたは、目の前の状況や環境や他者を通じて、成長を実現することが出来ます。
自分自身と向き合うように、目の前の状況や環境や他者にも向き合いましょう。
そこには、知恵が導かれるのです。
そして、知恵は豊かさを見出すでしょう。

2018年6月28日木曜日

当たり前のこと

あなたは、何も所有してはいません。
あなたは、この世界において、何の所有も許されてはいないのです。
すべては流転します。
すべては、変化し続けるのです。
何ものも止(とど)めておくことは出来ません。
あなたには、それが許されてはいないのです。
すべての人は無知です。
そして、すべての人は未熟です。
そのため、すべての人は誤解を抱えています。
すべての人は、知らないのです。
あなたは、そのことを知っておきましょう。
多くの人は、何かを所有していると思い込んでいます。
そのため、自らの置かれている環境を当然のことだと思っているのです。
多くの人は、自らの置かれている環境が当然のことだと思っているために、それを当然のことだとも考えません。
当たり前にある環境が、当たり前に存在していると思い込んでいるのです。
しかしながら、当たり前の環境は、決して当たり前に存在しているのではありません。
当たり前の環境を当たり前とするためには、それを整えなければならないからです。
多くの人は、苦労を知らずに生きています。
当たり前を当たり前とするには、多くの労力が必要だということを知らないのです。
環境を享受(きょうじゅ)しているだけの者には、当たり前であった環境を整えることは出来ないのです。
それは、とても骨の折れる仕事だからです。
苦労を知らない者には、その苦労を背負うことは出来ません。
それは、覚悟が無いからです。
多くの人は、当たり前を当たり前としています。
多くの人はそのことに気が付きません。
それは、甘えを引き起こします。
甘えている者には、乏しさが導かれるのです。
それは、自分で環境を整えることが出来ないからです。
残念ながら、あなたは何も所有することが出来ません。
この世界においては、何かを所有すれば、それは損なわれてしまうのです。
水を所有しようとして溜めておけば、やがては飲むことが出来ない状態に損なわれるのです。
石を所有しようと抱えていれば、やがてはその重さに耐え兼ねて手放さなければなりません。
火を所有しようと囲っていても、やがては灰となって消えてしまうのです。
土を所有しようと握っていても、やがては乾いて指の間をすり抜けるのです。
あなたは何も所有することが出来ません。
損なわれる前に、次を得る必要があるのです。
次を得るためには、手放さなければなりません。
手放せば、次を得なければなりません。
そうやって、自分自身が変化することによって、豊かさは実現するのです。
当たり前を当たり前としている者は、親に頼らなければならない乳飲み子のようなものなのです。
乳飲み子は、世話をされることを当たり前としています。
腹を満たし、身体を清潔に保ち、安心して眠れることを当たり前としているのです。
しかしながら、乳飲み子にとっての当たり前は、乳飲み子の世話をする他者によって実現している環境なのです。
それは、決して当たり前のことではありません。
それを当たり前と思っているのは、乳飲み子だけなのです。
世話をする他者が世話を放棄するのであれば、乳飲み子は自らの命を簡単に損なってしまうのです。
あなたの当たり前としている環境は、他者の世話によって成り立っているということを理解しなければならないのです。
他者の働きがなければ、あなたの当たり前と考えている環境は存在しないのです。
あなたは、当たり前の有り難さを理解しなければなりません。
当たり前を当たり前と考えるのであれば、人は傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってしまうのです。
傲慢に陥った人は、他者の世話を無下(むげ)にします。
他者の世話を無下にするのであれば、他者からの協力を期待することは出来ないのです。
当たり前を当たり前としている者からは、当たり前の環境が取り上げられてしまうのです。
当たり前の有り難さを理解し、協力することを考えなければなりません。
どのような協力でも良いのです。
あなたの出来ることで、懸命に協力するようにしましょう。
そうすれば、豊かな環境が整うでしょう。
懸命に協力することがなければ、豊かな環境が整うことはないと知りましょう。

2018年6月27日水曜日

立場を理解する

すべての人は立場を持ちます。
人は、立場と共に生きなければならないのです。
立場を無視することの出来る人はいません。
誰もが、自らの立場を重んじなければならないのです。
立場とは、分際です。
人は、自らの分際に相応しい立場を持つのです。
分際は、自らの心と共に変化します。
心が成長すれば、分際も変化します。
そのため、立場も普遍のものではなく、絶えず変化を続けているのです。
大切なのは、現在の自分の立場を理解することです。
それは、現在の立場を理解することが出来なければ、選択を誤ってしまうからです。
選択を誤ることは、問題を引き起こします。
問題が生じることは自然なことですが、分際を理解することが出来ない者には、問題の本質を理解することは出来ず、それを苦しみとして認識してしまうのです。
問題の本質は、自らの心を成長させるための学びですが、それを苦しみとして認識することは、心の成長の妨げとなってしまうのです。
それでは、問題の価値を損ねてしまうのです。
価値を損ねることは正しい選択ではありません。
正しい選択とは、価値を高めることなのです。
大切なのは、自らの立場を理解することです。
立場は変化し続けているために、それに対する認識は頻繁(ひんぱん)に見直さなければなりません。
立場に対する認識を見直すというのは、自分自身と対峙(たいじ)するということなのです。
自分自身と向き合うことをしなければ、人は自らの立場を理解することは出来ません。
自らの立場を理解することが出来なければ、正しい選択を行うことは出来ないのです。
正しい選択によって、あなたは価値を高めることが出来ます。
それは、とても大切なことなのです。
しかしながら、多くの人は、価値を損なうような選択をしています。
それは、立場を見誤っているからです。
あなたは、自らの立場から全体への貢献を実現しなければなりません。
立場を理解するということは、全体への貢献を実現するということでもあるのです。
それは、立場を理解することが出来なければ、全体への貢献を実現することが出来ないからなのです。
立場とは、責任です。
立場を理解するというのは、責任感を持つということなのです。
責任を果たさなければ、全体への貢献は実現しません。
そのため、責任感に欠ける者には、全体への貢献を実現することは出来ないのです。
人生を豊かなものにするためには、全体への貢献を必要とします。
人生を豊かなものにするためには、責任感を以(もっ)て生きなければならないのです。
あなたが立場を理解しているのであれば、自分の人生に対して責任感を持っているはずです。
自分の人生に責任感を持つというのは、賢明に生きるということなのです。
不満や不安を抱えて生きることは、賢明な生き方ではありません。
それは、価値を損なうからです。
何事にも満足し、心を落ち着けて生きることが、賢明な生き方なのです。
賢明な生き方を実現するためには、目の前の状況に対して、学びを探さなければなりません。
それは、学びを探すことがなければ、満足や心の落ち着きを実現することが出来ないからです。
学びを探すことは、同時に自分の立場を探すことでもあります。
この世界には、立場に従った学びが存在し、学びを修(おさ)めることによって責任を果たすことが出来るのです。
そのため、学びを修めることなく豊かさを得ることは出来ないのです。
立場を無視することによって得られる豊かさは存在しないのです。
あなたは自らの分際を弁(わきま)え、自らの立場を見極めましょう。
立場に反する選択は、人生に乏しさを導くのです。
やるべきことは、立場が教えてくれます。
立場に反することをやるべきではないのです。
そして、そのようなことをやる必要もないのです。
あなたは必要を満たしましょう。
そして、不要は手放すのです。
残念ながら、多くの人は立場を見誤り、不要を満たそうと努めています。
間違った努力が成果に結び付くことはありません。
それは、あなたを疲れさせてしまうのです。
賢明に生きましょう。

2018年6月26日火曜日

迷いなき生き方

人は、自分の人生を生きなければなりません。
それは、自立するためです。
あなたには、自分の人生というものが存在しています。
それを大切に扱わなければならないのです。
残念ながら、多くの人は自分の人生を蔑(ないがし)ろにしています。
多くの人は、自分の人生を生きてはいないのです。
多くの人は、他の人生を生きようとしています。
多くの人は、他の人生である他者に依存(いそん)したり、執着するような生き方をしているのです。
自分の人生を軽んじ、他の人生を生きようとする者には、乏しさが導かれます。
それは、自分の人生にこそ、役割が存在しているからです。
人は、それぞれに役割を与えられています。
与えられた役割は、人生に付属しているのです。
そのため、自分の人生を生きることがなければ、役割を果たすことは出来ません。
役割を果たすことが出来なければ、世界に貢献することは叶いません。
世界に貢献することがなければ、豊かさは実現しないのです。
人が豊かさを得るためには、自分の人生を生きる以外には方法がないのです。
多くの人は、不満や不安を抱えながら生きています。
文句を吐き、泣き言を零(こぼ)すのです。
多くの人は、与えられた役割を果たそうとしてはいません。
多くの人が、世界に貢献することを放棄しているのです。
自分の人生を生きるのであれば、不満や不安を抱えながら生きることはありません。
なぜなら、それは迷いのない生き方であるからです。
自分の人生を生きることには迷いがありません。
不満や不安は迷いによって生じます。
迷っているからこそ、文句を吐き、泣き言を零さなければならないのです。
自分の仕事が分かっているのであれば、そのような生き方を選択することはないのです。
自分の人生を生きれば、依存や執着を離れることが出来ます。
自分の人生を生きれば、他者の人生と離れることが出来るのです。
自分の人生を生きれば、不満や不安を抱えることはありません。
自分の人生を生きれば、文句を吐き、泣き言を零すこともないのです。
自分の人生を生きれば、他者の幸福を願うことが出来ます。
それは、迷いがないからです。
人は、迷いによって、他者の不幸を喜ぶのです。
それは、豊かな道ではありません。
自分の人生を生きていないために、他者のことを気にしなければならないのです。
自分の人生よりも良い人生はありません。
あなたにとって、自分の役割よりも良い役割は存在しないのです。
多くの人は、そのことを知らずに生きているのです。
他者を羨(うらや)む必要はありません。
あなたは、他者よりも良いものを持っているのです。
あなたにとっての最善は、あなたの人生の中に存在しています。
あなたが自分の人生を生きれば、最善を手にすることが出来るのです。
他の人生を気にするのは、自然ではありません。
他者は他者、自分は自分なのです。
無いものを数えるよりも、有るものを数えましょう。
そうすれば、あなたは不満や不安を覚えなくて済みます。
多くの人には、他者の持ち物が良く見えるものです。
あなたが不満や不安を抱えているのであれば、あなたにもそのように見えているのです。
それは、満たされることのない空しい道であるということを理解しなければならないのです。
満たされるためには、自分の人生を生きなければならないのです。
あなたは、自分の人生と向き合いましょう。
残念ながら、あなたには、それが良いものとは思えないでしょう。
他の人生の方が良く見えるものです。
それは、あなたが未熟であるからです。
簡単な仕組みなのです。
未熟であるが故に、最善を理解することが出来ないだけです。
最も良いものは、最も近くに存在するということを覚えておきましょう。
自分の人生を生きることによって自立し、自立した状態によって世界に貢献しましょう。

2018年6月25日月曜日

視点の数

人生を豊かなものにするために必要なのは、道理を見極めることです。
道理とは、この世界における理(ことわり)のことです。
道理に従うことなく、人生を豊かなものにすることは出来ません。
豊かさは、道理と共にあるのです。
残念ながら、多くの人が人生に乏しさを感じています。
多くの人は不安や不満を抱えながら生きているのです。
心が充足していない状態というのは、乏しさを抱えている状態なのです。
乏しさを抱えるのは、道理に反しているからです。
ただ、それだけの理由なのです。
人生を豊かなものにするためには、道理に従うだけで良いのです。
道理を見失ってはならないのです。
多くの人が道理を見失い、乏しさを生きているのは、未熟であるからです。
すべての人が未熟です。
すべての人が、簡単に道理を見失ってしまうのです。
あなたは、自分が未熟であり、簡単に道理を見失ってしまうということを理解しなければなりません。
”当たり前”に生きているのであれば、人は道理を見失ってしまいます。
それは、この世界には、様々な誘惑が存在しているからです。
この世界には、道理を見失わせるための誘惑が存在しているのです。
それは、あなたの欲求に訴(うった)えます。
未熟者は弱さを抱えているために、欲求に従ってしまいます。
道理とは、欲求に反する道です。
道理とは、与える道であるのです。
例えば、貢献したいと思う気持ちが、あなたに道理を教えるのです。
与えようとする気持ちは、欲求に打ち勝ちます。
欲求を選択すれば、人は道理を離れ堕落(だらく)します。
堕落する者は、乏しさへと辿り着くのです。
堕落する者が、豊かさへと辿り着くことは出来ません。
それは、道が違うからです。
目的地に辿り着くための道を歩まなければなりません。
目的地に辿り着くことのない道を歩んではならないのです。
多くの人は、豊かさへ辿り着きたいと思いながらも、乏しさへと辿り着きます。
多くの人は、矛盾を抱えているのです。
それは、無知であるからです。
その道を知らないために、辿り着く場所が違うのです。
大切なのは、知恵によって歩むことです。
知恵によってしか、道理を歩むことは出来ないのです。
あなたは、知恵によって見極めなければなりません。
そのためには、知恵を育てなければならないのです。
多くの人は、知恵に不足しています。
知恵とは、視点の数です。
視点の数が多い程に、人は知恵を増すことが出来るのです。
そして、視点の数が多い程に、道理を見極めることも出来るのです。
物事は、必ず多面的に見なければなりません。
決して、一面的に見てはならないのです。
多くの人は、視点の数が不足しています。
そのため、主観に頼って物事を見なければなりません。
主観に頼って物事を見るのであれば、偏見によって見ることになるのです。
偏見は、必ず誤解を生じます。
誤解は更なる未熟さを生み出すのです。
あなたが豊かさを必要としているのであれば、道理に従わなければなりません。
道理に従うためには、主観を離れ、視点の数を増やす必要があります。
未熟な自分を信用してはなりません。
あなたが信用することが出来るのは、目の前に導かれる現実です。
あなたが乏しさを覚えるのであれば、視点の数が足りないということなのです。
自分を正当化して、目の前の状況と争ってはなりません。
内省し、改めましょう。
あなたに必要なのはそれだけです。
視点の数を増やすためには、頑(かたく)なであってはならないのです。
自分が未熟であることを知り、柔軟に生きましょう。

2018年6月24日日曜日

それぞれの調子

人は、それぞれの人生を生きています。
人は、それぞれの人生を生きなければなりません。
それは、与えられた役割が異なるからです。
人は、それぞれに異なる役割を与えられています。
それぞれに異なる役割を与えられているのが自然です。
人生は異なるのが自然です。
そして、人は違うものなのです。
大切なのは、それぞれの人生を生きることです。
そして、それぞれの役割を果たすことなのです。
あなたは、他者の人生を生きることも、他者の役割を担(にな)うことも出来ません。
人は、自分の人生を生き、自分の役割を果たす以外に方法はないのです。
あなたに出来る唯一のことは、自分の人生と役割を生きることです。
それ以外に出来ることはないのです。
多くの人は、自分と他者が異なっていることを知りません。
多くの人は、自分と他者が同じだと考えているのです。
そのため、多くの人は同調しようと努めます。
同調することによって、一つの目的を果たそうとするのです。
残念ながら、それは得策ではないでしょう。
一つの目的を果たすためには、互いに協力しなければなりません。
互いが力を合わせて目的を果たそうと努めなければなりません。
しかしながら、そのために同調する必要はないのです。
人は違うものです。
人は、異なっていて良いのです。
異なっているものが異なった形や方法によって協力することが求められるのです。
覚えておかなければならないのは、反駁(はんばく)しても良いということです。
人は、それぞれに異なる役割を担っているために、同調することは不自然です。
それは、大人と子どもの歩幅を合わせろと言っているようなものなのです。
大人と子どもは、同じ目的地へと歩むことが出来ます。
大人と子どもは、協力して、目的地へと辿り着くことが出来るのです。
しかしながら、それぞれの調子は決して同じものではありません。
互いに協力して、目的地へと辿り着くためには、異なる調子で歩む必要があるのです。
どちらかに合わせて歩むことは、どちらにも有益ではないのです。
大人は大人の調子で歩み、子どもは子どもの調子で歩むべきなのです。
大人が子どもの調子で歩み、子どもが大人の調子で歩もうとしてはならないのです。
それぞれが自分の調子で歩むことが大切なのです。
それは、無理をしないためです。
無理は必ず祟(たた)ります。
この世界には、因果の仕組みが存在しているのです。
そのため、無理をすることは、目的地へと辿り着くことに妨げとなる問題を引き起こすのです。
子どもが大人のように歩めば足が痛み、大人が子どものように歩めば心が痛むのです。
大切なのは、それぞれがそれぞれの調子を保つことです。
あなたの人生は、他者の人生とは異なります。
あなたの役割は、他者の役割とは異なるのです。
それが自然です。
同調することを最善と考えてはなりません。
それは不自然であるからです。
自然界では、それぞれに形が異なるのが自然です。
春に咲く花もあれば、夏に咲く花もあります。
秋に咲く花もあれば、冬に咲く花もあるのです。
自然界に存在する一切は、同じ目的のために働いています。
しかしながら、それぞれが異なった調子で働いているのです。
同調は、必ずしも調和を生み出すものではありません。
調和とは、それぞれがそれぞれの役割を果たすことによって生み出されるのです。
それぞれが同じ役割を果たそうとしてはならないのです。
あなたは、他者と同調する必要はありません。
あなたは、他者とは違うのです。
他者と異なる調子で歩みながらも、協力する必要があるということを覚えておきましょう。
そうすれば、調和によって、豊かさが生み出されるでしょう。



2018年6月23日土曜日

裁き

あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
それは、あなたは、自分の人生以外を生きることが出来ないからです。
あなたは、他の人生を生きることは出来ません。
あなたには、自分の人生に対する責任があります。
あなたは、自分の人生を豊かにする義務があるのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
あなたは、自分の人生を放棄することは出来ません。
あなたは、自分の人生を大切にしなければならないのです。
他者のことを気にしている暇はありません。
他者のことに気を揉む必要はありません。
他者のことで気に病んでいる場合ではないのです。
あなたは、自分の人生を懸命に生きなければならないのです。
他者のことに懸命になれば、自分の人生を疎(おろそ)かにしなければなりません。
人は、自分の人生と他者の人生を両立させることは出来ないのです。
それに、あなたには、他者の人生をどうすることも出来ません。
あなたは、他者の人生に対して、何の影響力も持ってはいないのです。
あなたが他者の人生に介入(かいにゅう)しようとするのは、自己満足に過ぎません。
あなたが他者の人生を変えようとしても、それは実現することではないのです。
もちろん、他者があなたの人生を変えることも出来ません。
人は、誰もが自分の人生を生きなければならないのです。
そのため、他者の人生に介入しようとすれば、自分の人生を損なうことになるのです。
大切なのは、自分の人生と他者の人生を分けて考えることです。
残念ながら、あなたには出来ないことがあります。
あなたには、許されてはいないことがあるのです。
他者の人生への介入は許されてはいないのです。
他者の人生へ介入しようとする程に、自分の人生を疎かにするのです。
それでは、誰も幸福を得ることはないのです。
気持ちは分かりますが、間違った方法を続けているのであれば、得られるのは不幸なのです。
お互いが幸福を得るためには、それぞれが自分の人生に対して懸命に生きることです。
他者の人生への介入は、賢明な方法ではないのです。
あなたは、他者を裁いてはなりません。
あなたは、他者の行為を否定してはならないのです。
他者がその行為を選択するのは、それを最善として選んだからです。
最善として選んでいる行為を否定するのは間違っているのです。
あなたには、他者の人生の最善を理解することは出来ません。
もちろん、あなたの人生の最善を他者が理解することは出来ないのです。
誰も、他者の人生の最善を理解することは出来ません。
最善を理解することが出来ないのだから、裁いてはならないのです。
あなたは、他者の行為を許さなければなりません。
それが、どのような行為であろうとも、あなたが裁いてはなりません。
裁くのは、人生の仕事です。
人は、因果の仕組みによって裁かれるのです。
人は、自分自身の選択の結果を受け取らなければなりません。
あなたが他者の人生に介入しようとする選択は、自分の人生の原因となるのです。
それは、相応しい結果を導くのです。
そのため、あなたは他者の人生に介入している場合ではないのです。
自分の人生を疎かにするのであれば、人生は乏しさを得てしまいます。
人生が乏しさを得てしまえば、あなたは不幸を生きなければならないのです。
それでは、自分の役割を果たすことが出来ずに、世界に貢献することが出来ません。
自分の役割を果たすことが出来ずに、世界に貢献することが出来なければ、他者に貢献することも出来ないのです。
あなたが自分の人生を豊かに生きることによって、間接的に他者に貢献することが出来ます。
しかしながら、自分の人生を大切にせず、自分の役割を果たすこともなく、人生を豊かに生きることがなければ、他者に貢献することも出来ないのです。
あなたは、自分の人生を考えなければなりません。
自分の人生を充実させるように努めなければならないのです。
懸命(賢明)に生きていれば、他者の人生に介入しようとは考えません。
あなたは、他者の行為を好きにさせなければなりません。
そうすれば、他者は自分に相応しい結果を受けて、自分に相応しい学びを得るでしょう。
そして、自分に相応しい方法によって成長するでしょう。
他者のことは気にせず、自分の人生を生きることに専念しましょう。
それが、他者のためになるのです。

2018年6月22日金曜日

生きた知識と経験

人は未熟な存在です。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に生まれたのです。
人は、人生を通じて未熟さを解決しなければなりません。
人生は、成長するためにあるのです。
未熟さとは、無知です。
人は、無知によって未熟なのです。
そのため、人は人生において、無知を克服しなければなりません。
無知を克服するためには、知恵を得る必要があるのです。
知恵を得るためには、知識と経験を集める必要があります。
知識と経験を集めることによって、知恵は生じるのです。
知識と経験を集めることをしなければ、知恵は生じません。
そのため、人は知識と経験を集めなければならないのです。
知識と経験は、実践によって集めることが出来ます。
知識と経験は、”生きているもの”でなければならないのです。
知識と経験は、実践の中で集める必要があるということを覚えておかなければならないのです。
実践の中でなければ、知識と経験は生きることが出来ません。
誰かに教わった知識は生きてはいません。
誰かに見せてもらった経験は生きてはいないのです。
自分自身が実践することによって得た知識や経験でなければ、生きてはいないということを覚えておかなければならないのです。
多くの人は、見聞きしたことによって知恵を得られると思い込んでいます。
見聞きしたことも知識と経験に違いはありませんが、それは、生きてはいないのです。
生きた知識と経験を求めなければなりません。
そのためには、実践の中にそれ等を探さなければならないのです。
何事も、実践することが重要なのです。
実践していない知識や経験には、あなたが無知を克服する力はありません。
それは、見聞きしたことと、実際の状況は大きく異なるからです。
見聞きしたことは、残念ながら、現実では役に立ちません。
現実でものをいうのは、実践から得た知識や経験によって生じた知恵なのです。
実践から生じた知恵でなければ、現実においては役に立たないのです。
大切なのは、実践することです。
あなたは、何事も実践してみなければならないのです。
何事も挑戦してみましょう。
想像と実践では、大きな違いがあるのです。
それは、あなたが無知であるからです。
無知な者の想像は、現実からは大きく掛け離れているのです。
無知な者の想像は、余計な考えを巡らせるのです。
現実は、良い意味でも悪い意味でも、想像とは大きく異なります。
そのことを理解しなければなりません。
どのようなことも、実際に体験してみなければ分からないのです。
実際に体験する前から、あれこれと考えるべきではないのです。
大切なのは、実践することです。
あなたは、人生を重たく考える必要はないのです。
何事もやってみて、嫌なら辞めれば良いのです。
それを繰り返せば良いのです。
何事も、想像で完結してはなりません。
それは、あなたの想像が正しいことなどないからです。
現実は、あなたの想像を上回る展開を繰り広げるのです。
あなたは、自分が未熟であり、無知であるということを覚えておきましょう。
そして、何かを知っているかのように思い込んではなりません。
あなたは、何も知りません。
あなたは、何も分かってはいないのです。
あなたは、現実から学ぶ必要があるということを覚えておきましょう。
実践こそが、あなたに正しい知恵を導きます。
何かを分かった気になってはなりません。
何も知らないということを受け入れ、実践の中に生きましょう。
そして、生きた知識と経験を得ましょう。

2018年6月21日木曜日

問題と恩恵

人生には、多くの問題が生じます。
あなたは、人生の道のりにおいて、多くの問題と向き合わなければならないでしょう。
多くの問題に向き合うことは自然です。
それは、問題の生じない人生など存在しないからです。
誰もが、多くの問題と向き合わなければならないのです。
人生に問題が生じるのは自然のことです。
それは、問題ではありません。
自然のことを問題としてはならないのです。
問題とは、人を成長させるために導かれる人生からの恵みです。
人は、問題によって成長することが出来るのです。
問題とは、本来感謝すべきものです。
人生からの恵みを災いとしてはならないのです。
例えば、”自然災害”というのは、人の主観による認識に過ぎません。
”自然災害”は、その時には多くの被害をもたらします。
しかしながら、多くの被害というのも人の主観により認識に過ぎません。
”自然災害”を主観的に認識すれば、それは問題です。
しかしながら、それを客観的に認識すれば、それは恩恵(おんけい)なのです。
それを問題とするのは、問題としての認識にとどまっているということです。
主観的な認識に頼っているために、損失ばかりに注目してしまうのです。
一見すれば、”自然災害”は損失です。
それは、穏やかな日々を利益として考えている人が多いからです。
残念ながら、穏やかな日々を過ごしていても、それだけでは損失を得ることになります。
なぜなら、穏やかな日々の中では、価値観を改めることが出来ないからです。
人生においては、価値観を改めることは重要です。
なぜなら、人生の目的は成長することにあるからです。
成長とは、価値観を改めることです。
価値観が改まらなければ、成長したことにはならないのです。
人生は、価値観に従って築かれます。
人生は、あなたの価値観に相応しく展開するのです。
目の前に導かれる状況は、あなたの価値観です。
あなたは、自らの価値観を、目の前の状況を通じて認識するのです。
他者と同じことをしても、結果は異なります。
他者があなたを真似ても、同じ結果を得ることは出来ません。
それは、価値観が異なっているからです。
”自然災害”を問題だと考える人は、それによって可能性を失うでしょう。
”自然災害”を恩恵だと考える人は、それによって可能性を得るのです。
人生は、価値観によって大きく結果が異なります。
現在、何かしらの問題を抱えているのであれば、それは、価値観に原因が存在しているのです。
現状の価値観によって、その問題を抱えるようになってしまったのです。
現状の価値観を保ち続けるのであれば、その問題は解決しません。
問題を解決するためには、価値観を改める以外には方法がないのです。
問題を解決するためには、価値観を改めるだけです。
それは、とても単純な方法なのです。
しかしながら、価値観を改めることは容易ではありません。
なぜなら、人はそれを強く信じているからです。
信じることによって、人はそれに固執(こしゅう)します。
一度信じたことを改めるのは、骨の折れる仕事なのです。
残念ながら、自力によって信じたことを改めることは難しいのです。
そのため、人生は恵みを与えます。
それが、多くの問題であるのです。
あなたが向き合わなければならない問題というのは、あなたの価値観に打ち込まれた楔(くさび)のようなものです。
それは、少しづつ価値観に打ち込まれます。
どのように大きな岩も、小さな楔を幾つも打ち込まれるのならば、やがては割れてしまうのです。
問題は、あなたの強固な価値観を改めるために打ち込まれるのです。
価値観を改めることによって、あなたは成長することが出来ます。
成長することによって、問題は解決し、豊かさが導かれるのです。
問題は決して損失ではありません。
問題によって、あなたは大きな利益を得ることになるのです。
”雨降って地固まる”という言葉があります。
問題によって、可能性が得られるということを覚えておきましょう。

2018年6月20日水曜日

協力の種

人には、それぞれの分際が与えられています。
人は、それぞれの分際に従って生きなければなりません。
それは、自らの分際に反して生きることは、多くの問題と苦悩を引き起こすからです。
分際とは、この世界における役割のことです。
すべての人には、その人に相応しい役割が与えられています。
利己心を満たすために生まれた者は存在しません。
人は、自分のために生まれましたが、自分のために生きるのではないのです。
あなたは、自分の成長と幸福のために生まれました。
しかしながら、自分の成長と幸福のために利己的に生きることは間違っているのです。
自分の成長と幸福のためには、利他的に生きる必要があるということなのです。
与えられた役割を果たすことなく、成長と幸福を得ることは出来ません。
与えられた役割を果たすためには、利他的に生きる必要があるということなのです。
与えられた役割とは、貢献することです。
あなたが与えられた役割を果たすためには、誰かや何かに貢献する必要があるのです。
自分のために力を尽くしたとしても、役割を果たすことは出来ません。
それは、あなたに与えられた役割が、自分以外の誰かや何かのためのものであるからです。
あなたに対する貢献は、あなた以外の誰かや何かが役割を果たすことによって行います。
種を蒔(ま)いたとしても、あなたの力では成長させることは出来ません。
種は、自然の力や命の導きによって成長するのです。
種は、種以外の力によって成長することが出来ます。
それは、土の力であったり、水の力であったり、陽の力であったり、風の力であったり、命の力であったりするのです。
種は、自力では成長することが出来ません。
自分以外の様々な存在の貢献によって、成長することが出来るのです。
そして、やがて来る収穫の時を待たなければならないのです。
あなたの力では、収穫を得ることは出来ません。
あなたは、種の成長を任せ、収穫の時を待たなければならないのです。
種は、自分以外の存在に貢献するために成長します。
それは、種の幸福であるのです。
自然環境は、自分以外の存在に貢献することによって循環しています。
自然界の存在達が、利己心に従って自分のために生きれば、自然環境は循環を失うのです。
循環を失うことは、豊かさを失うことです。
この世界においては、利己的に生きることによって実現することの出来る豊かさは存在しないのです。
利己的に生きて、成長と幸福を実現することの出来る人は存在しません。
多くの人は、収穫の時を待つことが出来ません。
それは、多くの人が恐怖心に従っているからです。
人は未熟な存在です。
人は、弱さを抱えているのです。
そのため、収穫の時を待つことが出来ません。
多くの人は、利己的に強奪しようとするのです。
豊かさは、あなたが自分以外の誰かや何かに対して貢献することを受けた自分以外の誰かや何かが、あなたに貢献してくれることによって実現します。
自分勝手に豊かさを手に入れることは出来ないのです。
そのような考えは、人を罪人(つみびと)にしてしまうのです。
多くの人は、豊かさを得ようとして、罪を犯します。
強奪することは、後に多くの問題と苦悩を引き起こすのです。
それは、賢明な方法ではありません。
争いの種を蒔けば、乏しさと不幸を収穫しなければならないのです。
あなたは、協力の種を蒔かなければなりません。
誰かや何かに貢献しようとする気持ちこそが、協力の種であるのです。
協力の種は、自分以外の誰かや何かの貢献によって成長し、収穫の時には、豊かさと幸福をもたらしてくれるのです。
残念ながら、収穫の時を自分で決めることは出来ません。
それは、収穫のためには、自分以外の誰かや何かからの貢献が、ある水準以上必要だからです。
収穫物によって、貢献の水準は異なります。
自分以外の誰かや何かからの貢献を得るためには、誰かや何かに対しての貢献が必要です。
あなたは、自分に対して貢献しない誰かや何かに対して、貢献しようとは思わないでしょう。
それと同じ心理が、自分以外の誰かや何かにも働いているのです。
待っていても得られません。
それは、この世界には因果の仕組みが存在しているからです。
収穫物を得るためには、自発的な貢献が必要なのです。
豊かさと幸福の原因は、自分自身にあるということを忘れてはなりません。
利己的に生きてはなりません。
例え、その時には損をしたと思っても、誰かや何かに対して貢献しましょう。
それは、決して損にはならないのです。
人生が、あなたの行いを忘れることはありません。
安心して施(ほどこ)しましょう。

2018年6月19日火曜日

本質的な欲求

誰にとっても、人生は学びの場所です。
すべての人は、人生に学びを得るのです。
人が人生に学びを得るのは、未熟であるからです。
すべての人が未熟です。
すべての人が未熟であるが故(ゆえ)に、学びを必要としているのです。
人生において、学びを得ない人はいません。
人生において、学びを必要としない人はいないのです。
あなたは未熟に生まれました。
そのため、あなたには学びが必要なのです。
あなたには、学びが重要であるということを覚えておかなければなりません。
人が学ぶためには、謙虚(けんきょ)でなければなりません。
学ぶ姿勢というのは、受け取る姿勢なのです。
受け取るためには、謙虚でなければならないのです。
傲慢(ごうまん)は、受け取るのに相応しい態度ではありません。
謙虚でなければ、受け取ることが出来ないのです。
学びを得ようにも、傲慢な態度を守るのであれば、受け取ることは出来ません。
学びを受け取ることが出来なければ、学びを得ることも出来ません。
学びを得ることが出来なければ、学ぶことは出来ません。
学ぶことが出来なければ、成長することも出来ないのです。
人生において、学ぶことは大切です。
それは、学ぶことによって本質へと近付くことが出来るからです。
本質に近付くということは、豊かさへと近付くことです。
本質には豊かさが存在しています。
本質から離れることは、乏しさへと近付くことになるのです。
人生を豊かなものにするためには、本質へと近付くことが大切なのです。
本質に近付くために、最も有効なのは、自分自身と向き合うことです。
本質はすべてに存在していますが、この世界においては、自分が最も身近な存在です。
あなたは第一に、自分の本質を探らなければならないのです。
自分の本質に近付くことが出来なければ、人生の本質に近付くことは出来ないのです。
大切なのは、自分自身と向き合うことです。
そして、自分の本質に近付くことなのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
そのため、すべての人は自分の本質を知りません。
すべての人は、認識している”自分”のことを、自分の本質であると思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたの認識している”自分”という存在は、自分の本質ではありません。
あなたの認識している”自分”は、真の自分ではないということなのです。
あなたの思考や欲求は、あなたの本質から導き出されたものではないのです。
あなたの思考や欲求は、傷口の膿(うみ)のようなものなのです。
それは、とても痛みますが、身体は必要とはしないものです。
身体は、膿を排出することによって、傷を治そうとしているのです。
膿は、身体にとって必要でないものなのです。
あなたは、膿を身体にとどめておこうとは思わないでしょう。
あなたは膿を、身体の外へ絞り出すのです。
それが自然です。
あなたの思考や欲求は、弱さや心の傷によって導き出された膿のようなものです。
あなたは、弱さや心の傷によって導き出された膿が痛むものだから、それに従っているのです。
あなたは、自分でない者の思考や欲求に従ってはなりません。
それは、必要ではないからです。
あなたにとって必要なのは、本質的な思考や欲求なのです。
自分や人生に対して、本質的ではない欲求を満たし続けることは出来ません。
それは、乏しさが育ち過ぎてしまうからです。
大き過ぎる乏しさに耐えることの出来る人はいないのです。
あなたは、必要のない欲求を満たし続けることは出来ません。
必要以上に食べることは、苦悩を導くのです。
腹が張れば、それ以上に食べる必要はありません。
しかしながら、多くの人は、弱さや心の傷によって、それ以上に食べるようになるのです。
多くの人は、真の自分に従ってはいません。
多くの人は、偽りの自分に従っているのです。
偽りの欲求を満たし続けることは出来ません。
あなたは、本質的な欲求を必要としていることを覚えておかなければなりません。
謙虚に学びましょう。
そうすれば、本質に近付くことが出来るでしょう。

2018年6月18日月曜日

必要以上は不要

すべての人の心には、弱さが潜んでいます。
誰の心にも弱さが存在しているのです。
弱さの潜んでいない心は存在しません。
それは、すべての人が未熟であるからなのです。
人は、未熟に生まれたのです。
人は、未熟であるために生まれたのです。
未熟を抱えない人は存在しません。
あなたは未熟です。
あなたの尊敬する誰かも、同じように未熟なのです。
あなたは、すべての人が未熟であることを覚えていなければならないのです。
そうすれば、人生の苦悩も和らぐのです。
すべての人が人生に苦しみを抱えます。
それは、苦しみを生み出しているのが、自らの心であるからです。
苦しみは、外の世界には存在しません。
苦しみは、心の中にだけ存在しているのです。
それは、心が未熟であるからです。
心が未熟であるために、目の前の学びを苦しみと誤解しているのです。
人生に導かれるすべての状況は、あなたを成長させるための学びです。
あなたは、どのような状況からも学ぶことが出来ます。
そして、どのような状況を通じても成長することが出来るのです。
人生の目的は成長することです。
あなたは成長しなければならないのです。
しかしながら、成長することは容易ではありません。
それは、未熟な心が障壁となるからです。
未熟な心は弱さを抱えています。
弱さは、恐怖です。
すべての人が恐怖を抱えているのです。
恐怖は、必要を満足することが出来ません。
それは、必要では不安だからです。
恐怖は、必要以上を求めます。
それは、必要以上に持っていなければ、不安を拭い去ることが出来ないからなのです。
恐怖とは、とても厄介(やっかい)な問題なのです。
人が豊かに生きることが出来ないのは、恐怖に従っているからに他なりません。
恐怖は、必要以上を求めます。
必要以上の所有は、そのまま重荷となるのです。
余計な荷物を担(かつ)いで歩み続けられる程、人生は気楽な道のりではありません。
残念ながら、人生は誰にとっても険しい道のりなのです。
余計な荷物を担いで歩み続けられるようなものではないということを覚えていなければならないのです。
必要以上は不要です。
不要は、苦しみなのです。
人生の豊かさを実現するためには、必要で満足することです。
必要で満足することが出来ない者には、必ず苦悩が導かれるのです。
例えば、食物を食べることは必要です。
必要を満たすことは、大きな力を生み出すでしょう。
しかしながら、食べ過ぎてしまえば、苦しみを得るのです。
食べ過ぎは、力を奪い去ってしまうのです。
そして、食べ過ぎは病を引き起こします。
必要以上に求めることは、多くの問題の原因となってしまうのです。
必要以上に求めることが、人生に苦悩と乏しさを導くのです。
大切なのは、必要で満足することです。
必要以上を求めてはならないのです。
必要で満足するためには、自らの必要を見極めなければなりません。
自らの必要を見極めるためには、分際を弁える必要があるのです。
分際とは、自らのこの世界における役割のことです。
あなたは、自らの役割について考える必要があるのです。
難しく考える必要はありません。
あなたが自らの役割を見極めるためには、現状において自分に出来ることを探し、それを実行すれば良いだけなのです。
今、自分に出来ることを全うすることが、この世界におけるあなたの役割なのです。
必要を満足することの出来る人は、自分に出来ることを全うしようと努めている人なのです。
必要で満足することが出来ずに、必要以上を求めている人は、自分に出来ることを全うしようとする気持ちを持ちません。
より多くを求めているために、自分に出来ることを全うしようとすることが出来ないのです。
満足する人は与えます。
欲する人は求めるのです。
与える人は、与えるために豊かさを得て、求める人は、求めるために乏しさを得るのです。
必要以上に求めることは、人生を乏しくします。
余計な荷物を担いで歩んではなりません。 
その足が、重荷で萎(な)えることのないように自制しましょう。
必要を満足しましょう。
必要を満足することが出来る心こそが豊かさなのです。
豊かさと共に歩みましょう。

2018年6月17日日曜日

苦しみを選ぶ

あなたは、人生を選ばなければなりません。
どのような道を歩むのかを選ばなければならないのです。
人生は、自分の選択によって決まります。
人生は、あなたの選択によって展開するのです。
あなたは、人生が自己責任であることを覚えておかなければなりません。
どのような状況が導かれようとも、それは自らの選択の結果に過ぎないのです。
残念ながら、人生には偶然というものは存在しません。
すべてが、因果の仕組みに従った必然なのです。
すべての状況には、大切な意味があります。
人生には、意味のないことなど存在しないのです。
意味を理解することが出来ないことならたくさんあるでしょうが、意味のないことは、存在する意味もないのです。
存在する意味のないものが存在する必要はありません。
そのため、人生に存在する一切には、意味が存在しているのです。
あなたは、自らの選択に相応しい状況を得ます。
それは、あなたにとって大切な意味のある状況です。
あなたにとっての大切な意味とは、あなたの成長の助力となるということなのです。
目の前に導かれる状況は、あなたの成長のためにあるのです。
それが、どのような状況であれ、意味は同じです。
あなたがどのような選択をしようとも、あなたは成長するための助力を受けるのです。
人生の目的は成長することです。
あなたは、常に成長することを求められているのです。
あなたは、人生の求めに応じて成長しなければなりません。
しかしながら、多くの人は成長の方法を誤解しています。
多くの人は、気楽に成長を実現することが出来ると考えているのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
すべての人は無知であり、歪(ゆが)んでいるのです。
そのため、多くの誤解を抱えています。
残念ながら、人が気楽に成長することは出来ません。
マイナス地点からゼロ地点までは気楽に成長することも出来ます。
それは、赤子から始めて、やがて常識を身に付けるようなものなのです。
常識を身に付けるだけなら、気楽に歩むことも出来るのです。
しかしながら、人生の意味を考える時には、ゼロ地点にとどまっている状態では、その答えを得ることが出来ないのです。
人生の答えを得るためには、プラス地点に踏み出さなければならないからです。
人は、それぞれの意味を以(もっ)て生まれました。
人生の意味は、それぞれに異なっているのが自然なのです。
人生の意味を得るためには、ゼロ地点である”普通(常識)”とは異なる必要があるということなのです。
あなたの人生を生きることによって、人生の意味を見出すことが出来るのです。
ゼロ地点において、常識を生きていたとしても、自分の人生の意味を見出すことは出来ないのです。
大切なのは、未知のプラス地点を歩むことです。
自分の人生の道を切り開くのです。
そのためには、ゼロ地点から抜け出す必要があるのです。
常識に縛られないという選択をする必要があるのです。
あなたの人生は、あなただけの人生です。
あなたの存在する意味は、あなただけの存在する意味なのです。
他に替わりは存在しません。
人は、それぞれが道を切り開き、プラス地点を歩まなければならないのです。
しかしながら、多くの人は誤解します。
プラス地点と聞けば、良いことを思い浮かべることでしょう。
確かに、プラス地点(自分の人生)を歩むことによって、あなたには良いことが導かれます。
しかしながら、多くの人の考える良いこととは、未熟者の考える利己的な利益のことなのです。
そのため、多くの人にとっては、プラス地点を歩むことによって得られる良いことは、良いことだとは思えないのです。
多くの人にとっての良いことは、悪いこととして認識されてしまうのです。
プラス地点を歩むことは、未熟であるあなたには苦しく思えることばかりが導かれます。
あなたはそれを苦しく思うでしょうが、本当のあなたにとっては良いことなのです。
良薬は口に苦いのです。
あなたの認識が歪んでいるために、自分の人生を生きる時には必ず苦しみます。
しかしながら、苦しいからといって、自分の人生を安易に諦めてはなりません。
あなたが自分の人生を歩もうとする時には、どのように選択しようとも必ず苦しみが導かれるのです。
自分の人生を切り開くことには、必ず問題が生じます。
そのため、多くの人は苦しみから逃れるために、常識であるゼロ地点や、苦悩であるマイナス地点に立ち返るのです。
自分の人生を生きなければ苦しみは避けることが出来ます。
しかしながら、そこには苦悩が導かれるということを覚えておかなければなりません。
自分の人生を生きる時、人に悩みはありません。
しかしながら、自分の人生を放棄した時、苦しみに悩みが重なるのです。
苦しみは、あなたの成長を助けます。
気楽は、あなたの成長を阻害します。
苦しみを選択する勇気を持ちましょう。

2018年6月16日土曜日

信じる心

すべての人は、幸福を実現しなければなりません。
すべての人が、幸福を実現することを義務付けられているのです。
幸福を必要としない人はいません。
誰もが、幸福を追い求めているのです。
あなたは、幸福を求めなければなりません。
幸福を求める気持ちに反抗してはならないのです。
反抗は矛盾を生じさせます。
矛盾を抱えた状態では、幸福を実現することは出来ないのです。
幸福を実現するためには、心を一つに束(たば)ねなければならないのです。
心の中に矛盾を抱えていては、幸福という目的地へと辿り着くことが出来ないからです。
多くの人は、迷いや悩みを抱えています。
迷いや悩みとは、心が定まっていない状態のことです。
例えば、目的地へ向かって歩み始めたい気持ちを抱えながらも、寝返りを繰り返しているような状態なのです。
この世界に何かを実現させるためには、心が定まっておく必要があるということを覚えておきましょう。
あなたは、幸福を実現することに心を定めなければなりません。
幸福を求めることに集中する必要があるのです。
幸福を実現するための方法は単純ですが、それを実行するのは容易ではありません。
それは、人が弱い存在だからです。
人は、未熟な存在です。
人は、無知なのです。
そのため、幸福を信じることが出来ません。
人は、幸福を求めることに集中することが出来ないのです。
幸福を求めていたとしても、不幸のことが気になってしまいます。
歩み始めたい気持ちと、眠りたい気持ちが競り合うのです。
人は無知で未熟で弱い存在です。
そのため、心を定め、幸福を信じることが出来ないのです。
人は、信じている道を歩みます。
人は、信じている道を歩むことしか出来ないのです。
そのため、あなたの目の前に導かれる状況は、あなたの信じたことです。
目の前にどのような状況が導かれようとも、それは、あなたの信じたことなのです。
多くの人は、目の前に導かれる状況に対して、不平不満を吐き、悲観に暮れています。
それは、不自然なことなのです。
自分の信じた状況が導かれたのです。
目の前に導かれる状況は、当然の結果に過ぎないのです。
あなたは、目の前に導かれた状況から、自分の信じたことがどのようなものなのかを確認することが出来ます。
あなたは、目の前の状況に、自分の心を見るのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての結果は、それに相応しい原因によってのみ導き出されるのです。
そのため、導かれる状況を変えるためには、自分の信じる心を改めなければならないのです。
あなたは、自分の心を見詰めましょう。
目の前に導かれる状況に翻弄(ほんろう)されてはなりません。
状況を変えようと励(はげ)んだとしても、状況が変わることはありません。
自らの信じる心を改めなければ、状況が変わることはないのです。
人生は、心から生じます。
人生は、心によって築かれるのです。
誰かや何かによって、人生が築かれることはありません。
すべてが、自分の心に相応しい状況であるということを理解する必要があるのです。
しかしながら、人は弱く、無知であり、未熟です。
そのため、目の前に導かれる状況が、自分の心に相応しいと理解することは出来ないでしょう。
そのため、人生を変えるのには、多くの時間と労力が必要なのです。
あなたは、自分の心に向き合う時間と労力を設けなければなりません。
何よりも、自分の心に向き合うことを大切にしなければならないのです。
何を信じているか?心はどこを向いているか?ということが重要なのです。
誰かや何かのことは重要ではありません。
大切なことは、常に自分の内に存在することを覚えておきましょう。
外に解決策を探さずに、内に探しましょう。



2018年6月15日金曜日

人生の判断

人生には、必要のみが導かれます。
この人生において、不要なものは存在しません。
それがどのようなことであっても、それは、必要であるために導かれるのです。
人生におけるすべての状況には、大切な意味があります。
そして、それには、重要な価値があるのです。
多くの人は、人生の必要とその価値を見失っています。
多くの人は、人生には不要が存在すると考えているのです。
傲慢(ごうまん)がそうさせるのです。
人は、弱い存在です。
すべての人が弱さを抱えているのです。
傲慢は、誰もが所有している自己中心的な見解です。
それは、弱さによって導かれるのです。
人は、弱さによって傲慢に陥(おちい)ります。
傲慢に陥った人は、判断を自分でするようになるのです。
すべての人は未熟です。
残念ながら、人には人生を判断することが出来ません。
人生には、必要のみが導かれるのですが、多くの人にとって、それは受け入れ難い事実なのです。
多くの人にとっては、不要が存在する方が都合が良いのです。
それは、自分の判断を正当化することが出来るからです。
多くの人は、未熟さ故(ゆえ)に自らの正しさを証明したいのです。
愚かな自尊心によってしか、自分を守ることが出来ないのです。
あなたは、人の弱さを哀(あわ)れまなければなりません。
そして、弱さに従ってはならないのです。
あなたは、人生に従わなければなりません。
なぜなら、人生以外には、必要を導けないからです。
あなたの考える必要は、決して必要などではありません。
あなたの考える必要は、偏(かたよ)ったものだからです。
導かれるすべてが必要です。
導かれるすべてに価値があるのです。
しかしながら、多くの人はその価値を見出すことをしないのです。
失ったものを無理に探す必要はありません。
なぜなら、失ったものは、失うべくして失ったからです。
失う必要があったのです。
失うことに意味があり、失うことに価値があるのです。
壊れたものを無理に直す必要はありません。
壊れたものは、壊れるべくして壊れたのです。
壊れる必要があるものを、壊れたことを惜しんで、無理に直そうとしてはならないのです。
惜しむことは、傲慢の業(わざ)です。
あなたは、惜しむ必要はないのです。
人生の判断を受け入れましょう。
人生は、あなたに必要を導きます。
必要とは、最善なのです。
そのことを理解しなければならないのです。
多くの人は、人生に逆らいます。
受け入れる必要のある必要を、不要と見做(みな)して拒絶します。
必要を拒絶すれば、必要は満たされません。
必要が満たされなければ、不要を得なければならないのです。
多くの人は、必要と思いながら、不要を得ています。
不要を得ることは、人生を乏しくするのです。
不要は、問題を引き起こします。
不要は、苦悩を導くのです。
不要を抱えるのだから当然なのです。
弱さに従ってはなりません。
必要を知っているのは人生だけなのです。
あなたが豊かさを求めるのであれば、人生に従いましょう。
人生が必要を導いていることを理解しなければなりません。
人生が何を導き、何を奪い去っても、それが必要であるということを忘れてはなりません。

2018年6月14日木曜日

不自由は自由

人生は、思い通りには展開しません。
あなたには、人生を思い通りに展開させることが出来ないのです。
人生には、制限が存在します。
あなたは、完全な自由を得ることが出来ないのです。
人は、制限によって、ある程度の精度で道を歩むことが出来ます。
制限が無く、自由であれば、道を歩むことは出来ないのです。
すべての人が未熟です。
そして、すべての人が無知なのです。
あなたには、人生の道を知ることが出来ません。
あなたは、簡単に道を間違えてしまうのです。
人生は、あなたに道を歩んで欲しいと考えています。
そして、あなたが道を歩むことが出来るように手助けをし続けているのです。
人生には、辿り着かなければならない目的地があります。
そして、果たさなければならない目的があるのです。
制限が無ければ、あなたが目的地に辿り着くことも、目的を果たすことも出来ないのです。
”好きなことをしなさい”と言われると、あなたは迷ってしまうでしょう。
しかしながら、”これをしなさい”と言われると、あなたに迷いはないのです。
方法や技術などの迷いは生じるでしょうが、目的地と目的に迷いは生じないのです。
無限の中から選ぶことは、誰にとっても困難です。
制限の中から選ぶことは、誰にとっても有り難いということを覚えておかなければならないのです。
多くの人は、自由を求めています。
多くの人は、不自由を疎(うと)ましく思っているのです。
しかしながら、自由を与えられると、未熟な人間は歩みを進めることが出来なくなります。
なぜなら、未熟な人間は、自由を与えられると堕落してしまうからです。
自由を得たとしても、決して豊かさは得られないのです。
多くの人が自由を欲するのは、無知であり、未熟であるが故(ゆえ)の妄想に過ぎません。
未熟者が自由を得るということは、不自由を得ることであると理解しなければならないのです。
未熟者には、制限という人生からの手助け無しに、目的地へと辿り着き、目的を果たす力は無いのです。
未熟者には、制限が必要なのです。
ある程度の道標(どうひょう)が無ければ、誰も目的地へと辿り着くことが出来ないのです。
道標も無しに、目的地へと辿り着くことが出来ると考えるのは傲慢(ごうまん)です。
それは、無知による傲慢に過ぎないのです。
あなたは、不自由こそが自由を得させるということを理解しなければなりません。
思い通りにならない現実があるからこそ、あなたは自由を得ることが出来るのです。
裸では出歩けませんが、服の束縛(そくばく)によって出歩くことが出来るのです。
無知な者は、自由を得ようと努めます。
あなたが自由を得ようと考えているのであれば、あなたの考える自由を追い求めてはなりません。
大切なのは、目の前の不自由を受け入れるということなのです。
どこにあるかも分からない自由を追い求めてはなりません。
目の前に確かに存在する不自由を大切に扱うのです。
自由を求めている人は、必ず不自由を得ます。
それは、未熟者の考える自由とは、不自由のことだからです。
そのため、あなたが自由を求めているのであれば、不自由を大切に扱わなければならないということなのです。
不自由を大切に扱うことによって、あなたは自由を得ることが出来るでしょう。
何事においてもルールを守らなければ、必ず罰を受けることになります。
ルールを守らずに自由に振る舞えば、必ず不自由を得ることになるということを忘れてはなりません。
不自由こそが自由なのです。
人生においては、好きなことだけを選択して自由を得ることは出来ません。
自由を得るためには、嫌なことも選択する必要があるということなのです。
人生が思い通りに展開することがなくても、あなたはそれを恐れてはなりません。
思い通りにならない状況は、あなたが道を間違わないための制限であるからです。
傲慢に振舞ってはなりません。
謙虚に、受け入れる気持ちで生きなければなりません。
もちろん、すべてを受け入れる必要はありませんが、受け入れる気持ちを大切にしておかなければ、道を間違えてしまうでしょう。
人生が、思い通りに展開する必要はありません。
目の前の現実は、思い通りには展開していないことでしょう。
多くの人は、それを嫌いますが、あなたはそれを受け入れる気持ちを忘れてはなりません。
制限を大切にしましょう。



2018年6月13日水曜日

欲望は尽きない

人は、弱い存在です。
弱さは、未熟によって生じます。
人は、未熟な存在なのです。
この世界には、完全な人は存在しません。
誰もが未熟であり、弱いのです。
未熟は、無知によって生じます。
無知によっては、人が道理を得ることが出来ません。
大切なのは、無知を克服することです。
それは、道理を得るために行うのです。
人は、知恵を得なければなりません。
知恵を得るためには、知識と経験が必要です。
知識を経験の積み重ねによって、知恵が生じるのです。
人は、知恵に対しての欲求を持たなければなりません。
知恵に対する欲求を失ってしまえば、弱さに訴(うった)える以外に方法はないのです。
弱さに訴えることは最善ではありません。
なぜなら、弱さとは、破滅的な性質だからです。
人は、弱さによって、人生を乏しくするのです。
大切なのは、強くあることです。
ただし、ここでいう強さとは、傲慢(ごうまん)のことではありません。
ここでいう強さとは、調和のことなのです。
調和している状態こそが、強さなのです。
調和は、豊かさを導きます。
不調和は、乏しさを導くのです。
弱く、未熟であり、無知を生きれば、人生には不調和が実現します。
それは、不調和が物事の繋がりを断ち切ってしまうからです。
人は独りでは生きていくことが出来ません。
人は独りでは幸福を得ることは出来ないのです。
人が幸福に生きるためには、誰かや何かとの関わりが必要不可欠なのです。
誰かや何かとの関わりの中で生きることこそが、調和であり、幸福に生きるということなのです。
ただし、それは依存することを指すのではありません。
それぞれが独立した精神によって協力することこそが、調和であり、幸福であるということなのです。
人は、弱い存在です。
そのため、不調和を選択します。
多くの人は、独立した精神によって協力することが出来ません。
多くの人は、甘えから生じる依存や傲慢によって、利己的に生きているのです。
多くの人は、自分のことしか考えることが出来ません。
多くの人は、自らの欲望に従って生きているだけなのです。
多くの人にとって、欲望に従うのは当たり前のことです。
多くの人は、欲望に従い、それを実現することを幸福や豊かさだと考えているのです。
そのため、欲望は尽きません。
人は、何かを欲しています。
そして、それを手に入れます。
欲している何かを手に入れることによって、一時(いっとき)の満足を得ることが出来ます。
しかしながら、それも長くは続きません。
人は、それでは満足することが出来なくなるのです。
人は、別の何かを欲するようになるのです。
それは、背景に弱さが存在しているからです。
人は、弱さによって欲望に従います。
弱いからこそ、満足することが出来ないのです。
人は、自分の考えるより良いものを手に入れるために生まれたのではありません。
なぜなら、未熟なあなたには、何が良いか分からないからです。
あなたは、より本質的なものを手に入れるために生まれたのです。
本質的なものを手に入れるためには、知恵が必要不可欠なのです。
欲望に従うのであれば、自分の考える良いものを手に入れることが出来ます。
それには、人生を乏しくする力があるのです。
知恵に従うのであれば、本質的なものを手に入れることが出来ます。
それには、人生を豊かにする力があるのです。
どちらを選ぶのも、あなたの自由です。
あなたは自分の人生を選択することが出来ます。
どのような人生を生きるかは、あなた次第なのです。
人生を豊かに生きたいと願うのであれば、欲望の誘惑に陥(おちい)ることなく、知恵を求めなければなりません。
知恵によってのみ、人生は豊かさを得るのです。

2018年6月12日火曜日

花の香り

人には、それぞれに役割が与えられています。
それは、この世界における仕事です。
それは、この世界を豊かにする仕事なのです。
あなたに与えられている役割は、この世界を豊かなものにするための仕事です。
この世界を豊かにすることが、あなたの人生を豊かにすることなのです。
人生の豊かさを考えることが、人生の豊かさを実現する訳ではありません。
この世界の豊かさを考えることが、結果として人生に豊かさを実現するのです。
個を大切に思うのであれば、全体を大切に扱わなければなりません。
個を大切に思うあまり、全体を軽んじてはならないのです。
あなたは、全体のために個が存在するということを知らなければなりません。
全体が存在しなければ、個が存在する価値はないのです。
例えば、何も無い場所に、花が一輪咲いていたとしても価値はありません。
自然界という全体の中に花が一輪咲いているのであれば、それは大きな価値を持つのです。
あなたが周囲の人たちを無視して富を集めたとしても、その富には何の価値もないのです。
富は、人々の間にあって初めて価値を持つのです。
自分だけの幸福を求めたとしても、それによって幸福を得ることは出来ないということを理解する必要があるのです。
あなたが幸福を必要としているのであれば、自分以外の誰かの幸福を求めなければならないのです。
多くの人は、自分が幸福を得ることに必死になるあまり、他者の幸福を考えません。
それは、利己的な思考を実現し、心を汚してしまうのです。
心を汚してしまえば、あなたは力を失うのです。
心に清らかさがなければ、人に力は無いのです。
多くの人は、自分の幸福に集中し、利己的な思考によって心を汚し、力を失います。
残念ながら、力を失った者が幸福を得ることは出来ません。
幸福とは、心が清らかであり、力のある者に導かれるのです。
それは、力がなければ、役割を果たすことが出来ないからです。
人には、それぞれに役割が与えられています。
あなたは、その役割を果たすことによって、この世界を豊かにしなければならないのです。
力の無い者には、この世界を豊かにすることは出来ないのです。
花は、枝に咲いている時には香りを放ちます。
それは、花の力です。
花は、美しい姿と香りによって、世界を豊かにする仕事をしているのです。
しかしながら、花が枝から離れた時には、美しさと香りを失います。
力を失った花は地に落ちて、朽ち果てるのを待たなければならないのです。
人は、理(ことわり)に繋がっていなければなりません。
枝に咲いた花が美しさと香りを放つように、理を生きる人は気品を放つのです。
理を生きる人には力があります。
理を生きる人は、自らの役割を果たし、世界を豊かにする仕事を成すことが出来るのです。
理を生きなければ、役割を果たすことは出来ません。
理を生きなければ、仕事を成すことが出来ないのです。
理を生きるためには、清らかな心が必要です。
心の汚れている者には、理を見極めることが出来ないからです。
人生には、多くの苦しみが存在しています。
多くの苦しみは、あなたの心の清らかさを攻撃します。
苦しみは、あなたの心を汚すのです。
それは、風が花を落とすようなものです。
あなたは花のように地に落ちてはなりません。
理を生きて、世界を豊かにしなければならないのです。
苦しみの中にあっても、心を汚してはなりません。
すべての苦しみには、大切な意味が存在しています。
それを考えることが重要です。
嵐の中にも美しく咲く花でありましょう。
どのような苦しみを前にしても、心の清らかさを手放してはなりません。
心の清らかさを手放さなければ、あなたは理を生きることが出来るでしょう。
理には、全体を豊かにする方法が書かれています。
それを行う者が、人生を豊かにするのです。

2018年6月11日月曜日

人生との契約

すべての人は、自らの分際に従って生きなければなりません。
分際とは、役割のことです。
すべての人が、人生に大切な目的を以(もっ)て生まれます。
人生の目的を果たすためには、自らの役割を果たす必要があるのです。
役割を放棄して、目的を果たすことは出来ません。
目的を果たすためには、役割を果たす必要があるということを覚えておきましょう。
すべての人が幸福を求めます。
すべての人にとって、幸福は命題です。
すべての人にとって、幸福とは、解決しなければならない課題なのです。
すべての人が幸福を命題としているために苦悩するのです。
幸福を求める気持ちが存在しなければ、人生には苦悩も存在しないのです。
人は苦悩を嫌います。
しかしながら、幸福を求める気持ちを手放すことが出来ません。
そのため、人の心は矛盾しているのが自然なのです。
あなたは、矛盾を抱えながらも、幸福を目指して歩み続けなければならないのです。
分際は、人生への契約です。
初めに分際があって、次に人生があるのです。
あなたは、そのことを覚えていなければなりません。
すべての人は無知であり、未熟です。
そのために、大きな誤解を抱えています。
多くの人は、自らの分際を忘れ、人生が主体となっているのです。
分際を弁(わきま)えなければ、人生は成り立ちません。
人生が成り立たなければ、豊かさは得られないのです。
自らの役割を果たさない者が、どうして豊かさを得られるでしょう?
役に立たない道具の行く末を、あなたは知っているはずなのです。
あなたが道具に対して行うように、人生はあなたを扱うでしょう。
道具の価値は、役割を果たすことです。
それ以上の価値はありません。
あなたは、人生の道具です。
あなたの価値は、自らの役割を果たすことなのです。
役割を果たすことによって、あなたは幸福を得ることが出来るでしょう。
役割を放棄しているにもかかわらず、図々しくも幸福を求めるのであれば、乏しさと苦悩が与えられるのです。
あなたも、道具に対して同じことをするのです。
それは、この世界の理(ことわり)です。
避けることは出来ません。
要求する前に、役割を果たしましょう。
役割を果たせば、要求(必要)は自ずと満たされるのです。
あなたは、強盗のように振舞ってはなりません。
権利を与えられていないものを盗み取ってはならないのです。
権利は分際に従って与えられますが、その中から、役割を果たした分だけが与えられるのです。
すべてが与えられるなどと考えてはなりません。
あなたに与えられるものは、あなたに相応しいものだけなのです。
あなたに相応しいものを自分自身で決めることは出来ません。
あなたに相応しいものは、因果の仕組みが決めるのです。
あなたがしなければならないことは、分際に従って生きることです。
それ以外の細々(こまごま)とした考えは必要ではありません。
幸福を手にするために、様々な技術は必要ではありません。
自らの分際に従って役割を果たすだけで良いのです。
"幸福に成りたい"という願いは必要ではありません。
それは、幸福とは目的ではないからです。
幸福とは、役割を果たした副産物に過ぎないのです。
副産物を直接的に求めてはならないのです。
それは、本来の目的を見失うことになるからです。
あなたが幸福を得ようとする時には、苦悩を通過しなければなりません。
それは、あなたが幸福を得るためには、あまりにも無知で未熟であるからです。
苦悩は、分際を弁えるために与えられた課題なのです。
苦悩を乗り越えることは、役割を果たすための段階に過ぎません。
苦悩に足を止めてはなりません。
苦悩を気に留めず、その先にある目的を果たしましょう。
自分の役割を果たすことを、主体としましょう。
人生との契約を忘れてはなりません。



2018年6月10日日曜日

快い生き方

すべての人が幸福を求めています。
すべての人は、人生を豊かに生きることを望んでいるのです。
あなたが幸福を実現し、人生を豊かに生きることは当然の権利なのです。
あなたは、幸福を実現し、人生を豊かに生きることが出来るのです。
あなたは、幸福と人生の豊かさを諦めてはなりません。
幸福と人生の豊かさのために生き続けるべきなのです。
多くの人は、幸福と人生の豊かさに対する熱意を手放してしまいます。
多くの人は、幸福と人生の豊かさに対して、すぐに諦(あきら)めてしまうのです。
大切なのは、継続することです。
何事も、一度の働き掛けでは実現しません。
どのような事も、働き掛けを継続することによって実現するのです。
幸福と人生の豊かさを実現しようと思えば、地味な作業を継続する必要があるということを覚えておきましょう。
残念ながら、”奇跡”は起きません。
”奇跡”などというものは存在しないのです。
なぜなら、この世界には、因果の仕組みが存在しているからです。
必要な働き掛けもなく、事を実現することは出来ないのです。
この世界に、幸福と人生の豊かさを実現するためには、それに相応しい原因を用意する必要があります。
原因を用意することが出来なければ、結果は実現しないのです。
大切なのは、自らの選択である原因が、自らの求める幸福や人生の豊かさである結果に相応しいか?ということです。
多くの人は、結果ばかりに目を奪われているのです。
それは、欲が深いからです。
大切なのは、原因を考えることです。
結果を考えている者の原因は疎(おろそ)かです。
例えば、富を求めて盗みを働くようなものなのです。
盗みを働けば、一時的には富を得ることが出来ます。
しかしながら、それは不正な富なのです。
不正な富は、不正な原因となります。
不正な原因は、不正な結果を導くのです。
結果ばかりを気に掛けて、原因を疎かにする者は、幸福や人生の豊かさに対して背くことになるのです。
欲の深い者には、幸福と人生の豊かさは導かれません。
幸福と人生の豊かさの原因は、利己的な生き方ではないからです。
大切なのは、利他的に生きることです。
自己を中心としてはならないのです。
残念ながら、多くの人は自己を中心として人生を選択します。
多くの人は、自分のことで精一杯なのです。
そのため、”奇跡”や不正の富を求めるのです。
幸福や人生の豊かさは、簡単には手に入れることが出来ません。
それは、華やかな方法で実現することが出来るようなものでもないのです。
特別な事は幸福や人生の豊かさではありません。
特別な事が続けば、あなたは疲れ果ててしまうでしょう。
特別な事は、少しで良いのです。
それは、料理に使う塩が多過ぎてはならないようにです。
多くの人は、特別な事が幸福や人生の豊かさだと考えています。
そして、反対に、変わらないことが幸福や人生の豊かさだと考えている人もいるのです。
幸福や人生の豊かさとは、調和です。
調和の実現こそが、幸福や人生の豊かさを実現するのです。
調和とは、快(こころよ)い状態のことです。
あなたは、快い状態を実現しなければならないのです。
多くの人は、特別なことや変わらないことのために我慢を重ねています。
多くの人は、特別なことや変わらないことのために、快い状態のことを忘れているのです。
大切なのは、快い状態を継続することです。
特別なことや変わらないことのために我慢を重ね、快い状態を見失ってはならないのです。
我慢することは、本質的なことではありません。
本質的なことは、快いのです。
本質的なことは、苦しみでさえ快いのです。
快いと思える苦しみは本質的です。
それは、正しい道です。
苦しくても、それを快いと思えるのであれば、その道を進まなければならないのです。
快いと思えず、我慢をしなければならない状況があります。
それは、本質的なことではありません。
大切なのは、我慢しなければならない選択を手放すことです。
我慢することは間違いです。
我慢とは、より良い方法が見付からないために行わなければならない、どうしようもない選択なのです。
あなたは、我慢する必要のない方法を探さなければなりません。
それが調和をもたらすからです。
快い生き方を探しましょう。
調和の中に生きましょう。