人には、それぞれの分際が与えられています。
人は、それぞれの分際に従って生きなければなりません。
それは、自らの分際に反して生きることは、多くの問題と苦悩を引き起こすからです。
分際とは、この世界における役割のことです。
すべての人には、その人に相応しい役割が与えられています。
利己心を満たすために生まれた者は存在しません。
人は、自分のために生まれましたが、自分のために生きるのではないのです。
あなたは、自分の成長と幸福のために生まれました。
しかしながら、自分の成長と幸福のために利己的に生きることは間違っているのです。
自分の成長と幸福のためには、利他的に生きる必要があるということなのです。
与えられた役割を果たすことなく、成長と幸福を得ることは出来ません。
与えられた役割を果たすためには、利他的に生きる必要があるということなのです。
与えられた役割とは、貢献することです。
あなたが与えられた役割を果たすためには、誰かや何かに貢献する必要があるのです。
自分のために力を尽くしたとしても、役割を果たすことは出来ません。
それは、あなたに与えられた役割が、自分以外の誰かや何かのためのものであるからです。
あなたに対する貢献は、あなた以外の誰かや何かが役割を果たすことによって行います。
種を蒔(ま)いたとしても、あなたの力では成長させることは出来ません。
種は、自然の力や命の導きによって成長するのです。
種は、種以外の力によって成長することが出来ます。
それは、土の力であったり、水の力であったり、陽の力であったり、風の力であったり、命の力であったりするのです。
種は、自力では成長することが出来ません。
自分以外の様々な存在の貢献によって、成長することが出来るのです。
そして、やがて来る収穫の時を待たなければならないのです。
あなたの力では、収穫を得ることは出来ません。
あなたは、種の成長を任せ、収穫の時を待たなければならないのです。
種は、自分以外の存在に貢献するために成長します。
それは、種の幸福であるのです。
自然環境は、自分以外の存在に貢献することによって循環しています。
自然界の存在達が、利己心に従って自分のために生きれば、自然環境は循環を失うのです。
循環を失うことは、豊かさを失うことです。
この世界においては、利己的に生きることによって実現することの出来る豊かさは存在しないのです。
利己的に生きて、成長と幸福を実現することの出来る人は存在しません。
多くの人は、収穫の時を待つことが出来ません。
それは、多くの人が恐怖心に従っているからです。
人は未熟な存在です。
人は、弱さを抱えているのです。
そのため、収穫の時を待つことが出来ません。
多くの人は、利己的に強奪しようとするのです。
豊かさは、あなたが自分以外の誰かや何かに対して貢献することを受けた自分以外の誰かや何かが、あなたに貢献してくれることによって実現します。
自分勝手に豊かさを手に入れることは出来ないのです。
そのような考えは、人を罪人(つみびと)にしてしまうのです。
多くの人は、豊かさを得ようとして、罪を犯します。
強奪することは、後に多くの問題と苦悩を引き起こすのです。
それは、賢明な方法ではありません。
争いの種を蒔けば、乏しさと不幸を収穫しなければならないのです。
あなたは、協力の種を蒔かなければなりません。
誰かや何かに貢献しようとする気持ちこそが、協力の種であるのです。
協力の種は、自分以外の誰かや何かの貢献によって成長し、収穫の時には、豊かさと幸福をもたらしてくれるのです。
残念ながら、収穫の時を自分で決めることは出来ません。
それは、収穫のためには、自分以外の誰かや何かからの貢献が、ある水準以上必要だからです。
収穫物によって、貢献の水準は異なります。
自分以外の誰かや何かからの貢献を得るためには、誰かや何かに対しての貢献が必要です。
あなたは、自分に対して貢献しない誰かや何かに対して、貢献しようとは思わないでしょう。
それと同じ心理が、自分以外の誰かや何かにも働いているのです。
待っていても得られません。
それは、この世界には因果の仕組みが存在しているからです。
収穫物を得るためには、自発的な貢献が必要なのです。
豊かさと幸福の原因は、自分自身にあるということを忘れてはなりません。
利己的に生きてはなりません。
例え、その時には損をしたと思っても、誰かや何かに対して貢献しましょう。
それは、決して損にはならないのです。
人生が、あなたの行いを忘れることはありません。
安心して施(ほどこ)しましょう。
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