あなたは、何も所有してはいません。
あなたは、この世界において、何の所有も許されてはいないのです。
すべては流転します。
すべては、変化し続けるのです。
何ものも止(とど)めておくことは出来ません。
あなたには、それが許されてはいないのです。
すべての人は無知です。
そして、すべての人は未熟です。
そのため、すべての人は誤解を抱えています。
すべての人は、知らないのです。
あなたは、そのことを知っておきましょう。
多くの人は、何かを所有していると思い込んでいます。
そのため、自らの置かれている環境を当然のことだと思っているのです。
多くの人は、自らの置かれている環境が当然のことだと思っているために、それを当然のことだとも考えません。
当たり前にある環境が、当たり前に存在していると思い込んでいるのです。
しかしながら、当たり前の環境は、決して当たり前に存在しているのではありません。
当たり前の環境を当たり前とするためには、それを整えなければならないからです。
多くの人は、苦労を知らずに生きています。
当たり前を当たり前とするには、多くの労力が必要だということを知らないのです。
環境を享受(きょうじゅ)しているだけの者には、当たり前であった環境を整えることは出来ないのです。
それは、とても骨の折れる仕事だからです。
苦労を知らない者には、その苦労を背負うことは出来ません。
それは、覚悟が無いからです。
多くの人は、当たり前を当たり前としています。
多くの人はそのことに気が付きません。
それは、甘えを引き起こします。
甘えている者には、乏しさが導かれるのです。
それは、自分で環境を整えることが出来ないからです。
残念ながら、あなたは何も所有することが出来ません。
この世界においては、何かを所有すれば、それは損なわれてしまうのです。
水を所有しようとして溜めておけば、やがては飲むことが出来ない状態に損なわれるのです。
石を所有しようと抱えていれば、やがてはその重さに耐え兼ねて手放さなければなりません。
火を所有しようと囲っていても、やがては灰となって消えてしまうのです。
土を所有しようと握っていても、やがては乾いて指の間をすり抜けるのです。
あなたは何も所有することが出来ません。
損なわれる前に、次を得る必要があるのです。
次を得るためには、手放さなければなりません。
手放せば、次を得なければなりません。
そうやって、自分自身が変化することによって、豊かさは実現するのです。
当たり前を当たり前としている者は、親に頼らなければならない乳飲み子のようなものなのです。
乳飲み子は、世話をされることを当たり前としています。
腹を満たし、身体を清潔に保ち、安心して眠れることを当たり前としているのです。
しかしながら、乳飲み子にとっての当たり前は、乳飲み子の世話をする他者によって実現している環境なのです。
それは、決して当たり前のことではありません。
それを当たり前と思っているのは、乳飲み子だけなのです。
世話をする他者が世話を放棄するのであれば、乳飲み子は自らの命を簡単に損なってしまうのです。
あなたの当たり前としている環境は、他者の世話によって成り立っているということを理解しなければならないのです。
他者の働きがなければ、あなたの当たり前と考えている環境は存在しないのです。
あなたは、当たり前の有り難さを理解しなければなりません。
当たり前を当たり前と考えるのであれば、人は傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってしまうのです。
傲慢に陥った人は、他者の世話を無下(むげ)にします。
他者の世話を無下にするのであれば、他者からの協力を期待することは出来ないのです。
当たり前を当たり前としている者からは、当たり前の環境が取り上げられてしまうのです。
当たり前の有り難さを理解し、協力することを考えなければなりません。
どのような協力でも良いのです。
あなたの出来ることで、懸命に協力するようにしましょう。
そうすれば、豊かな環境が整うでしょう。
懸命に協力することがなければ、豊かな環境が整うことはないと知りましょう。
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