すべての人の心には、弱さが潜んでいます。
誰の心にも弱さが存在しているのです。
弱さの潜んでいない心は存在しません。
それは、すべての人が未熟であるからなのです。
人は、未熟に生まれたのです。
人は、未熟であるために生まれたのです。
未熟を抱えない人は存在しません。
あなたは未熟です。
あなたの尊敬する誰かも、同じように未熟なのです。
あなたは、すべての人が未熟であることを覚えていなければならないのです。
そうすれば、人生の苦悩も和らぐのです。
すべての人が人生に苦しみを抱えます。
それは、苦しみを生み出しているのが、自らの心であるからです。
苦しみは、外の世界には存在しません。
苦しみは、心の中にだけ存在しているのです。
それは、心が未熟であるからです。
心が未熟であるために、目の前の学びを苦しみと誤解しているのです。
人生に導かれるすべての状況は、あなたを成長させるための学びです。
あなたは、どのような状況からも学ぶことが出来ます。
そして、どのような状況を通じても成長することが出来るのです。
人生の目的は成長することです。
あなたは成長しなければならないのです。
しかしながら、成長することは容易ではありません。
それは、未熟な心が障壁となるからです。
未熟な心は弱さを抱えています。
弱さは、恐怖です。
すべての人が恐怖を抱えているのです。
恐怖は、必要を満足することが出来ません。
それは、必要では不安だからです。
恐怖は、必要以上を求めます。
それは、必要以上に持っていなければ、不安を拭い去ることが出来ないからなのです。
恐怖とは、とても厄介(やっかい)な問題なのです。
人が豊かに生きることが出来ないのは、恐怖に従っているからに他なりません。
恐怖は、必要以上を求めます。
必要以上の所有は、そのまま重荷となるのです。
余計な荷物を担(かつ)いで歩み続けられる程、人生は気楽な道のりではありません。
残念ながら、人生は誰にとっても険しい道のりなのです。
余計な荷物を担いで歩み続けられるようなものではないということを覚えていなければならないのです。
必要以上は不要です。
不要は、苦しみなのです。
人生の豊かさを実現するためには、必要で満足することです。
必要で満足することが出来ない者には、必ず苦悩が導かれるのです。
例えば、食物を食べることは必要です。
必要を満たすことは、大きな力を生み出すでしょう。
しかしながら、食べ過ぎてしまえば、苦しみを得るのです。
食べ過ぎは、力を奪い去ってしまうのです。
そして、食べ過ぎは病を引き起こします。
必要以上に求めることは、多くの問題の原因となってしまうのです。
必要以上に求めることが、人生に苦悩と乏しさを導くのです。
大切なのは、必要で満足することです。
必要以上を求めてはならないのです。
必要で満足するためには、自らの必要を見極めなければなりません。
自らの必要を見極めるためには、分際を弁える必要があるのです。
分際とは、自らのこの世界における役割のことです。
あなたは、自らの役割について考える必要があるのです。
難しく考える必要はありません。
あなたが自らの役割を見極めるためには、現状において自分に出来ることを探し、それを実行すれば良いだけなのです。
今、自分に出来ることを全うすることが、この世界におけるあなたの役割なのです。
必要を満足することの出来る人は、自分に出来ることを全うしようと努めている人なのです。
必要で満足することが出来ずに、必要以上を求めている人は、自分に出来ることを全うしようとする気持ちを持ちません。
より多くを求めているために、自分に出来ることを全うしようとすることが出来ないのです。
満足する人は与えます。
欲する人は求めるのです。
与える人は、与えるために豊かさを得て、求める人は、求めるために乏しさを得るのです。
必要以上に求めることは、人生を乏しくします。
余計な荷物を担いで歩んではなりません。
その足が、重荷で萎(な)えることのないように自制しましょう。
必要を満足しましょう。
必要を満足することが出来る心こそが豊かさなのです。
豊かさと共に歩みましょう。
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