誰にとっても、人生は学びの場所です。
すべての人は、人生に学びを得るのです。
人が人生に学びを得るのは、未熟であるからです。
すべての人が未熟です。
すべての人が未熟であるが故(ゆえ)に、学びを必要としているのです。
人生において、学びを得ない人はいません。
人生において、学びを必要としない人はいないのです。
あなたは未熟に生まれました。
そのため、あなたには学びが必要なのです。
あなたには、学びが重要であるということを覚えておかなければなりません。
人が学ぶためには、謙虚(けんきょ)でなければなりません。
学ぶ姿勢というのは、受け取る姿勢なのです。
受け取るためには、謙虚でなければならないのです。
傲慢(ごうまん)は、受け取るのに相応しい態度ではありません。
謙虚でなければ、受け取ることが出来ないのです。
学びを得ようにも、傲慢な態度を守るのであれば、受け取ることは出来ません。
学びを受け取ることが出来なければ、学びを得ることも出来ません。
学びを得ることが出来なければ、学ぶことは出来ません。
学ぶことが出来なければ、成長することも出来ないのです。
人生において、学ぶことは大切です。
それは、学ぶことによって本質へと近付くことが出来るからです。
本質に近付くということは、豊かさへと近付くことです。
本質には豊かさが存在しています。
本質から離れることは、乏しさへと近付くことになるのです。
人生を豊かなものにするためには、本質へと近付くことが大切なのです。
本質に近付くために、最も有効なのは、自分自身と向き合うことです。
本質はすべてに存在していますが、この世界においては、自分が最も身近な存在です。
あなたは第一に、自分の本質を探らなければならないのです。
自分の本質に近付くことが出来なければ、人生の本質に近付くことは出来ないのです。
大切なのは、自分自身と向き合うことです。
そして、自分の本質に近付くことなのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
そのため、すべての人は自分の本質を知りません。
すべての人は、認識している”自分”のことを、自分の本質であると思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたの認識している”自分”という存在は、自分の本質ではありません。
あなたの認識している”自分”は、真の自分ではないということなのです。
あなたの思考や欲求は、あなたの本質から導き出されたものではないのです。
あなたの思考や欲求は、傷口の膿(うみ)のようなものなのです。
それは、とても痛みますが、身体は必要とはしないものです。
身体は、膿を排出することによって、傷を治そうとしているのです。
膿は、身体にとって必要でないものなのです。
あなたは、膿を身体にとどめておこうとは思わないでしょう。
あなたは膿を、身体の外へ絞り出すのです。
それが自然です。
あなたの思考や欲求は、弱さや心の傷によって導き出された膿のようなものです。
あなたは、弱さや心の傷によって導き出された膿が痛むものだから、それに従っているのです。
あなたは、自分でない者の思考や欲求に従ってはなりません。
それは、必要ではないからです。
あなたにとって必要なのは、本質的な思考や欲求なのです。
自分や人生に対して、本質的ではない欲求を満たし続けることは出来ません。
それは、乏しさが育ち過ぎてしまうからです。
大き過ぎる乏しさに耐えることの出来る人はいないのです。
あなたは、必要のない欲求を満たし続けることは出来ません。
必要以上に食べることは、苦悩を導くのです。
腹が張れば、それ以上に食べる必要はありません。
しかしながら、多くの人は、弱さや心の傷によって、それ以上に食べるようになるのです。
多くの人は、真の自分に従ってはいません。
多くの人は、偽りの自分に従っているのです。
偽りの欲求を満たし続けることは出来ません。
あなたは、本質的な欲求を必要としていることを覚えておかなければなりません。
謙虚に学びましょう。
そうすれば、本質に近付くことが出来るでしょう。
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