人は、弱い存在です。
弱さは、未熟によって生じます。
人は、未熟な存在なのです。
この世界には、完全な人は存在しません。
誰もが未熟であり、弱いのです。
未熟は、無知によって生じます。
無知によっては、人が道理を得ることが出来ません。
大切なのは、無知を克服することです。
それは、道理を得るために行うのです。
人は、知恵を得なければなりません。
知恵を得るためには、知識と経験が必要です。
知識を経験の積み重ねによって、知恵が生じるのです。
人は、知恵に対しての欲求を持たなければなりません。
知恵に対する欲求を失ってしまえば、弱さに訴(うった)える以外に方法はないのです。
弱さに訴えることは最善ではありません。
なぜなら、弱さとは、破滅的な性質だからです。
人は、弱さによって、人生を乏しくするのです。
大切なのは、強くあることです。
ただし、ここでいう強さとは、傲慢(ごうまん)のことではありません。
ここでいう強さとは、調和のことなのです。
調和している状態こそが、強さなのです。
調和は、豊かさを導きます。
不調和は、乏しさを導くのです。
弱く、未熟であり、無知を生きれば、人生には不調和が実現します。
それは、不調和が物事の繋がりを断ち切ってしまうからです。
人は独りでは生きていくことが出来ません。
人は独りでは幸福を得ることは出来ないのです。
人が幸福に生きるためには、誰かや何かとの関わりが必要不可欠なのです。
誰かや何かとの関わりの中で生きることこそが、調和であり、幸福に生きるということなのです。
ただし、それは依存することを指すのではありません。
それぞれが独立した精神によって協力することこそが、調和であり、幸福であるということなのです。
人は、弱い存在です。
そのため、不調和を選択します。
多くの人は、独立した精神によって協力することが出来ません。
多くの人は、甘えから生じる依存や傲慢によって、利己的に生きているのです。
多くの人は、自分のことしか考えることが出来ません。
多くの人は、自らの欲望に従って生きているだけなのです。
多くの人にとって、欲望に従うのは当たり前のことです。
多くの人は、欲望に従い、それを実現することを幸福や豊かさだと考えているのです。
そのため、欲望は尽きません。
人は、何かを欲しています。
そして、それを手に入れます。
欲している何かを手に入れることによって、一時(いっとき)の満足を得ることが出来ます。
しかしながら、それも長くは続きません。
人は、それでは満足することが出来なくなるのです。
人は、別の何かを欲するようになるのです。
それは、背景に弱さが存在しているからです。
人は、弱さによって欲望に従います。
弱いからこそ、満足することが出来ないのです。
人は、自分の考えるより良いものを手に入れるために生まれたのではありません。
なぜなら、未熟なあなたには、何が良いか分からないからです。
あなたは、より本質的なものを手に入れるために生まれたのです。
本質的なものを手に入れるためには、知恵が必要不可欠なのです。
欲望に従うのであれば、自分の考える良いものを手に入れることが出来ます。
それには、人生を乏しくする力があるのです。
知恵に従うのであれば、本質的なものを手に入れることが出来ます。
それには、人生を豊かにする力があるのです。
どちらを選ぶのも、あなたの自由です。
あなたは自分の人生を選択することが出来ます。
どのような人生を生きるかは、あなた次第なのです。
人生を豊かに生きたいと願うのであれば、欲望の誘惑に陥(おちい)ることなく、知恵を求めなければなりません。
知恵によってのみ、人生は豊かさを得るのです。
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