人生は、思い通りには展開しません。
あなたには、人生を思い通りに展開させることが出来ないのです。
人生には、制限が存在します。
あなたは、完全な自由を得ることが出来ないのです。
人は、制限によって、ある程度の精度で道を歩むことが出来ます。
制限が無く、自由であれば、道を歩むことは出来ないのです。
すべての人が未熟です。
そして、すべての人が無知なのです。
あなたには、人生の道を知ることが出来ません。
あなたは、簡単に道を間違えてしまうのです。
人生は、あなたに道を歩んで欲しいと考えています。
そして、あなたが道を歩むことが出来るように手助けをし続けているのです。
人生には、辿り着かなければならない目的地があります。
そして、果たさなければならない目的があるのです。
制限が無ければ、あなたが目的地に辿り着くことも、目的を果たすことも出来ないのです。
”好きなことをしなさい”と言われると、あなたは迷ってしまうでしょう。
しかしながら、”これをしなさい”と言われると、あなたに迷いはないのです。
方法や技術などの迷いは生じるでしょうが、目的地と目的に迷いは生じないのです。
無限の中から選ぶことは、誰にとっても困難です。
制限の中から選ぶことは、誰にとっても有り難いということを覚えておかなければならないのです。
多くの人は、自由を求めています。
多くの人は、不自由を疎(うと)ましく思っているのです。
しかしながら、自由を与えられると、未熟な人間は歩みを進めることが出来なくなります。
なぜなら、未熟な人間は、自由を与えられると堕落してしまうからです。
自由を得たとしても、決して豊かさは得られないのです。
多くの人が自由を欲するのは、無知であり、未熟であるが故(ゆえ)の妄想に過ぎません。
未熟者が自由を得るということは、不自由を得ることであると理解しなければならないのです。
未熟者には、制限という人生からの手助け無しに、目的地へと辿り着き、目的を果たす力は無いのです。
未熟者には、制限が必要なのです。
ある程度の道標(どうひょう)が無ければ、誰も目的地へと辿り着くことが出来ないのです。
道標も無しに、目的地へと辿り着くことが出来ると考えるのは傲慢(ごうまん)です。
それは、無知による傲慢に過ぎないのです。
あなたは、不自由こそが自由を得させるということを理解しなければなりません。
思い通りにならない現実があるからこそ、あなたは自由を得ることが出来るのです。
裸では出歩けませんが、服の束縛(そくばく)によって出歩くことが出来るのです。
無知な者は、自由を得ようと努めます。
あなたが自由を得ようと考えているのであれば、あなたの考える自由を追い求めてはなりません。
大切なのは、目の前の不自由を受け入れるということなのです。
どこにあるかも分からない自由を追い求めてはなりません。
目の前に確かに存在する不自由を大切に扱うのです。
自由を求めている人は、必ず不自由を得ます。
それは、未熟者の考える自由とは、不自由のことだからです。
そのため、あなたが自由を求めているのであれば、不自由を大切に扱わなければならないということなのです。
不自由を大切に扱うことによって、あなたは自由を得ることが出来るでしょう。
何事においてもルールを守らなければ、必ず罰を受けることになります。
ルールを守らずに自由に振る舞えば、必ず不自由を得ることになるということを忘れてはなりません。
不自由こそが自由なのです。
人生においては、好きなことだけを選択して自由を得ることは出来ません。
自由を得るためには、嫌なことも選択する必要があるということなのです。
人生が思い通りに展開することがなくても、あなたはそれを恐れてはなりません。
思い通りにならない状況は、あなたが道を間違わないための制限であるからです。
傲慢に振舞ってはなりません。
謙虚に、受け入れる気持ちで生きなければなりません。
もちろん、すべてを受け入れる必要はありませんが、受け入れる気持ちを大切にしておかなければ、道を間違えてしまうでしょう。
人生が、思い通りに展開する必要はありません。
目の前の現実は、思い通りには展開していないことでしょう。
多くの人は、それを嫌いますが、あなたはそれを受け入れる気持ちを忘れてはなりません。
制限を大切にしましょう。
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