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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年3月31日日曜日

自分を生きる

すべての人は未熟に生まれます。
すべての人は、無知を生きているのです。
この世界において、無知を無視することの出来る人はいません。
すべての人が、無知と共に暮らすのです。
それは、自然のことです。
それは、仕方のないことなのです。
すべての人は、未熟から始めなければならないのです。
しかしながら、人生の目的は成長を実現することです。
それは、種子が根を伸ばし、芽を天に伸ばすように、成長を実現することが求められているのです。
成長とは、無知を離れることです。
それは、雛(ひな)が巣立つようなものです。
人は、無知という揺(ゆ)り籠(かご)を離れなければならないのです。
無知を離れることによって、未熟を手放すことが出来ます。
それが、人生の目的を果たすのです。
無知を離れるためには、知識と経験を得なければなりません。
知恵を得ることが、無知を離れ、未熟を手放すことなのです。
知恵の働きによって、理(ことわり)を理解することが出来ます。
知恵の働きがなければ、理を理解することは出来ないのです。
理を理解することによって、恐れが去ります。
恐れは、巣立ちを阻(はば)みます。
恐れを抱くことによって、人は成長を実現することが出来ないのです。
雛は、自分が鳥であり、空を行くことが出来ると理解すれば、恐れは去り、飛び立つことが出来るのです。
雛が巣立つためには、目には見えない空の道を信用しなければならないのです。
雛は空を行くために生まれました。
そのため、恐れが去れば、巣立つことが出来ます。
それは、自然の理なのです。
人は、それぞれの役割のために生まれたのです。
どのような人物にも、必要な役割が与えられているのです。
鳥が空を行くように、あなたは自分の道を行くことが出来るのです。
知恵の働きによって理を理解することによって、あなたは自分の道を行くことが出来ます。
それは、理を理解することによって、自分と人生を理解することが出来るからです。
恐れを抱いている状態では、自分と人生を理解することが出来ません。
自分と人生を理解しなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
大切なのは、恐れを去らせることです。
人は、理解出来ないことを恐れます。
知恵の働きの無い場所には、必ず恐れが存在するのです。
知恵とは、恐れという暗闇を照らす光です。
知恵によって、恐れは消え去るのです。
あなたは、無知に安心してはなりません。
未熟に落ち着いてはならないのです。
人生には、大切な目的が存在しています。
それを探さなければなりません。
どこに、どのような形で存在しているか分からなくても、それはどこかに必ず存在しているのです。
無知によって、希望を失ってはなりません。
無知によって、恐れてはならないのです。
知識と経験を集めましょう。
無知を喜んではなりません。
目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)ってはなりません。
自分とは、何ですか?
人生とは、何ですか?
あなたは、この問いに答えなければならないのです。
苦しみから腰を上げ、自分の人生を歩みましょう。
詰まらない人生を生き永(なが)らえてはなりません。
人生は”冒険”です。
勇気を出して、自分を生きてみましょう。
自分の道を行きましょう。

2019年3月30日土曜日

必要な形

人生には、避けることの出来ないことがあります。
人生における必要は、避けられないのです。
どのような人物にも、必要を避けることは出来ません。
誰も、そのような権限を与えられてはいないのです。
あなたは、人生における必要を受け取らなければなりません。
どのように否定しても、受け取らなければならないのです。
必要を受け取らなければならないのは、それが必要だからです。
必要とは最善です。
あなたは、避けることの出来ない最善を受け取るのです。
しかしながら、多くの人は必要も最善も理解することが出来ません。
多くの人は、避けることの出来ないことを避けようとしているのです。
必要や最善を避けることは、良い結果を導きません。
人生には、どうしても必要や最善が導かれます。
あなたには、必要や最善を避けることは出来ないのです。
人は、それぞれの形で必要や最善を受け取っています。
人生には、それぞれに異なる目的があります。
そのため、人には、それぞれの必要や最善の形が存在するのです。
重要なのは、それぞれの必要や最善の形が異なっているということです。
人には、それぞれに避けられないことがあるのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
あなたには、造作(ぞうさ)もないことでも、他者にはそのような訳にはいきません。
人は、それぞれの形によって、必要な学びを得るのです。
例えば、苦しみ一つにしても、それぞれに形は異なります。
この世界には、同じ苦しみというものは存在しません。
すべての苦しみは、必要と最善に応じて導き出された特別なものなのです。
それは、学ぶ価値のある苦しみです。
なぜなら、学ぶことによって、それを解決することが出来るからです。
人生の目的を果たすためには、学びを得なければならないのです。
一つ学び終えると、一歩目的の達成に近付きます。
あなたは、学びを得る度に、人生の目的へと近付くことが出来るのです。
人は、それぞれの形によって、必要な学びを得なければなりません。
人は、それぞれの形によって苦しみます。
そして、人は、それぞれの形によって喜ぶのです。
苦しみも喜びも学びです。
人生におけるどのような経験も、学びに違いないのです。
人は、それぞれの形で苦しみを、それぞれの形で喜びを解決しなければならないのです。
苦しみを解決するためには、苦しまなければなりません。
そして、喜びを解決するためには、喜ばなければならないのです。
苦しむことも、喜ぶことも、それが続けば苦悩を引き起こします。
あなたは、喜ぶことが続いた方が良いと考えるかも知れませんが、それは、例えば、晴天が続くようなものなのです。
雨天の存在しない日常を考えてみれば、それが容易ではないことを理解することが出来るはずです。
多くの人が、喜びを強く願うのは、苦しみの中に生きているからです。
苦しみの中に生きていなければ、喜びなど求めないのです。
喜びの中に生きていれば、苦しみを求めるでしょう。
信じられないかも知れませんが、晴天が続けば、雨天を求めるでしょう。
満たされなければ、願い求めるのです。
満たされている者は、願い求めません。
喜びを求めることも、苦しみを求めることもないのです。
満たされている者には、どちらでも良いことなのです。
願い求めるのは、満たされていないからです。
満たされていないから、願い求めるのです。
残念ながら、あなたは満たされてはいません。
そのため、反対のものを願い求めます。
退屈の中では楽しみを願い求め、楽しみの中では退屈を願い求めるのです。
人の心は、天秤(てんびん)のように揺れ動いています。
大切なのは、満たされることです。
満たされるためには、経験する以外には方法がありません。
あなたは、苦しみを避けることは出来ません。
そして、喜びを避けることは出来ないのです。
必要なだけ苦しみましょう。
そして、必要なだけ喜びましょう。
すべては、あなたに必要な形で導かれるでしょう。
あなたは必要を避けることは出来ないのです。



2019年3月29日金曜日

すべては限定的

この世界は、変化の中に存在しています。
世界は、変化し続けているのです。
誰にも、世界の変化を食い止めることは出来ません。
誰にも、世界の変化を否定することは出来ないのです。
世界は変化します。
あなたには、それをどうすることも出来ないのです。
変化の中に存在するすべては限定的です。
変化の中においては、何一つとして、状態を保つことが出来ないのです。
この世界においては、どのようなものも状態を保つことが出来ません。
すべてが、限定的であるのです。
世界は、刻一刻と変わり続けるのです。
すべての状態が一瞬の出来事です。
次の瞬間には、変化しているのです。
あなたは、すべてが限定的であるということを理解しなければなりません。
何一つとして、続くものはありません。
この世界においては、何一つ状態を保つことが出来ないのです。
例え、それが苦しみであったとしても、次の瞬間には変化しているのです。
多くの人は、苦しみを生きています。
多くの人は、その苦しみが永遠に続くかのように生きているのです。
どのように長く感じても、苦しみも一瞬です。
それは、限定的なものであり、永遠ではないのです。
次の瞬間には、既に形を変えています。
その苦しみは、いつまでも苦しみではありません。
しかしながら、多くの人はそのことに気が付かないのです。
変化しているにもかかわらず、その変化に気が付かないのです。
大切なのは、変化に気が付くことです。
同じように見えても、決して同じではありません。
そのため、苦しみはいつか終わりを迎えます。
いつまでも続く苦しみというものは存在しないのです。
長く”感じる”冬も、いつかは終わります。
眠りに就いた植物も、いつかは必ず芽吹くのです。
しかしながら、春はやがて終わります。
そして、夏が始まるのです。
しかしながら、夏も終わり、秋がやって来ます。
そして、秋に冬が覆(おお)い被(かぶ)さるのです。
誰にも、季節を食い止めることは出来ません。
なぜなら、それが必要であり、最善であるからです。
この世界には、必要だけが実現します。
そして、それは最善なのです。
大切なのは、学ぶことです。
人は、変化の中に学ぶことが出来ます。
変化が存在しなければ、学びも存在しないのです。
楽しいだけならば、学ぶことは出来ません。
苦しいだけでも、同じことです。
どのような状態も、決して長くは続きません。
すべては一時的です。
あなたは、何事も変化の中に存在することを理解しましょう。
そして、目の前の一時的な状況に執着(しゅうちゃく)してはなりません。
苦しみはやがて喜びに変わります。
そして、喜びはやがて苦しみに変わるのです。
そのことを理解しておきましょう。
目の前の状況に対して、一喜一憂(いっきいちゆう)していてはなりません。
すべては変化の中です。
すべては限定的であり、一時的です。
何事も続きません。
そのことを覚えておきましょう。

2019年3月28日木曜日

人生の価値

人生には、果たさなければならない目的があります。
あなたには、果たさなければならない目的が与えられているのです。
すべての人は、目的を果たすために生きています。
しかしながら、そのことを理解している人は稀(まれ)です。
多くの人は、自分が担(にな)っている人生の目的を知りません。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)りながら生きているのです。
そして、幸福という”偏見”を夢見ているのです。
多くの人が追い求める幸福というものは、思考の偏(かたよ)りに過ぎません。
思考の偏りによって、人はいつどこでも幸福を得ることが出来るのです。
幸福を得ることは簡単です。
偏見を信じれば良いだけです。
幸福は、思考の中に、自分勝手に創造することが出来るのです。
幸福とは、幻想に過ぎないのです。
そのようなものが人生の目的であるはずがありません。
幸福は、些細(ささい)な切っ掛けで創造され、些細な切っ掛けで崩壊します。
そのような不安定なものに価値を見出してはならないのです。
人生の目的というものは、幸福であろうと不幸であろうと関係なくそこに存在しています。
幸福であろうと不幸であろうと、人生の目的を果たすことは出来るのです。
人生の目的を果たすことに、幸福も不幸も関係ありません。
幸福であろうと不幸であろうと、あなたは人生の目的を果たさなければならないのです。
多くの人は、人生の価値を幸福か不幸かで判断します。
しかしながら、そのような価値基準によって人生を判断してはなりません。
例えば、多くの人は、健康であることを人生の価値だと考えます。
多くの人は、財産を蓄えることを人生の価値だと考えます。
多くの人は、愛する人と共に生きることを人生の価値だと考えます。
多くの人は、安定(平和や安心)していることを人生の価値だと考えるのです。
しかしながら、それ等は理想に過ぎず、現実には存在しません。
多くの人は病を与えられ、貧困に喘(あえ)ぎ、憎み合い、不安定な人生を生きているのです。
それは、不幸なのでしょうか?
病から、貧困から、憎しみから、不安定から得られるものはないのでしょうか?
この世界には、必要だけが実現します。
それが、どのような状況であったとしても、あなたにとっては必要なものなのです。
あなたは、目の前に導かれるすべての状況から、必要な学びを得なければならないのです。
この世界には、無駄は存在しません。
無意味も無価値も存在しないのです。
すべてが必要であり、最善であるということを理解しなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、学ばなければなりません。
学ぶことがなければ、人生の目的を見出すことも出来ず、それを果たすことも出来ません。
あなたが否定しようとも、学ばなければなりません。
なぜなら、これはあなたが自分で決めたことだからです。
人は、動機を見失うものです。
誰も、初めの気持ちを覚えてはいません。
何を続けても、気持ちは変わっているものなのです。
あなたが人生を始めた時(始める前)と現状では、気持ちが変わっています。
あなたは、学ぶために人生を始めたのです。
必要を学び、人生の目的を果たすために生まれたのです。
そのことを思い出さなければなりません。
学びを避けることは出来ません。
あなたは、必要を学び続けなければならないのです。
学び終えるまで、学びは続きます。
苦しみを学ばなければならないのであれば、苦しみ続けなければなりません。
喜びを学ばなければならないのであれば、喜び続けなければならないのです。
そのように、学びは続くのです。
幸福や不幸などの思考の状態に執着(しゅうちゃく)することなく、人生について考えましょう。
人生の目的のために必要ならば、幸福にでも不幸にでもなりましょう。
人生の目的を果たすことがない限り、人生は決して豊かさを実現しません。
満足は、人生の目的を果たす時に実現するのです。
人生の価値を見誤ってはなりません。

2019年3月27日水曜日

視野

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、果たすべき目的があるのです。
あなたは、自らに与えられた目的を果たさなければなりません。
それは、目的を果たすことが人生の豊かさを実現することであるからです。
目的を果たすことによって、人生は豊かさを実現するのです。
すべての人が、人生に豊かさを求めています。
それは、すべての人が、人生の目的を果たす必要があるということを意味しているのです。
人生の目的を果たすことなく、人生の豊かさを実現することは出来ません。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、多くの人は人生の目的が何であるか?を知らないからです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を見失います。
そして、それを忘れてしまうのです。
多くの人は、人生の目的を忘れ、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)るように生きているのです。
目の前の快楽や欲望を貪ったとしても、満たされることはありません。
なぜなら、それは人生の目的ではないからです。
人生の目的に関係のないことを続けても、人生の目的を果たすことは出来ません。
満たされるためには、人生の目的を果たさなければならないのです。
目の前の快楽や欲望を貪ることは、人生の目的を果たすことに関係ありません。
そのため、目の前の快楽や欲望を貪るのであれば、苦悩を得ることになるのです。
大切なのは、人生の目的を思い出すことです。
あなたには、人生の目的を見出す必要があるのです。
人生の目的を見極めるためには、人生の目的を見極めるための力が必要です。
それは、純粋な心のことです。
人は、純粋である程に視野が広がるのです。
そして、不純である程に視野は狭まるのです。
視野を広げなければ、人生の目的を見出すことは出来ません。
残念ながら、多くの人は、狭い視野を生きています。
視野が狭いことによって、人生の目的を見失い、目の前の快楽や欲望に溺れてしまうのです。
不純である程に、視野は狭まります。
人生の目的を見出すためには、視野が広くなければなりません。
視野が広いというのは、心が純粋さを保つということです。
それは、車のフロントガラスのようなものなのです。
車のフロントガラスと同じように、この世を生きているのであれば、心は自然と汚れます。
車のフロントガラスが汚れると、前方視界は悪くなるのです。
見えるものが見えなければ、視野が狭まったということです。
心が不純である程に、見えるものは限定されてしまうのです。
あなたは、心の純粋さの重要性を理解しなければなりません。
心が純粋でなければ、見えるものも見えません。
見えるものが見えなければ、人生の目的を見出すことも出来ないのです。
人生の目的を見出すことが出来なければ、それを果たすことは出来ないのです。
心を純粋に保つためには、目の前の快楽や欲望を貪らないことです。
意思を強く保つことによって、心の純粋さを保つことが出来るのです。
意思が弱く、目の前の快楽や欲望に魅(み)せられてしまえば、心は簡単に不純に染まってしまうでしょう。
多くの人がそうしているからという理由で、目の前の快楽や欲望を貪ってはなりません。
あなたには、果たさなければならない人生の目的が存在しているのです。
溺れる者は、対岸にまで辿り着くことは出来ません。
あなたは、目の前の快楽や欲望に溺れることなく進まなければならないのです。
世の中には、誘惑(ゆうわく)が溢れています。
あなたの心は、常に不純の危機にさらされているのです。
汚れることは仕方のないことです。
しかしながら、汚れを放置してはならないのです。
あなたは、”人生とは何か?”、”自分とは何か?”という問い掛けによって、汚れを拭(ぬぐ)いましょう。
人生や自分について考えている時には、目の前の快楽や欲望を貪ることは出来ないのです。
目の前の快楽や欲望を貪る時には、人生の目的が念頭(ねんとう)から失われているものなのです。
人生の目的について考える時には、意思を強く保つことが出来るでしょう。
あなたは、人生について、自分について考えましょう。
純粋な心による広い視野によって、人生の目的を見出し、それを果たしましょう。
人生に豊かさを実現しなければなりません。


純粋な心によって生きていきましょう。

2019年3月26日火曜日

当たり前

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての結果は、それに相応しい原因によって実現するのです。
原因が存在しなければ、結果は存在しません。
この世界に存在するすべてが、原因を起源とする結果なのです。
どのようなものにも、必ず原因が存在します。
この世界には、原因の存在しない結果は存在しないのです。
それがどのようなものであれ、原因が存在するということを知らなければなりません。
多くの人は、因果の仕組みを知りません。
多くの人は、目の前に存在する状況が因果の仕組みによって導かれているということを知らないのです。
そのため、目の前に存在する状況を当たり前のことだと思うのです。
残念ながら、多くの人が目の前に存在する状況を当たり前のことだと思っています。
目の前に存在する状況が当たり前に思えるように存在するために、それが因果の仕組みを通じて実現した状況であることを知らないのです。
残念ながら、この世界には当たり前は存在しません。
誰の意思も介(かい)さずに実現する状況というものは存在しないのです。
目の前に存在する状況が実現するためには、それに相応しい原因が必要です。
原因とは、人の意思なのです。
人の意思が存在しなければ、目の前の状況は存在しないのです。
人生の原因は人の意思です。
人の意思が存在しなければ、人生というものは存在しません。
人生というものは、人の意思によって成り立っているのです。
人生において、人の意思が届かない場所はありません。
どのような状況にも、人の意思が存在するのです。
あなたが当たり前と思っている状況にも、人の意思が存在します。
この世界には、当たり前というものは存在しません。
当たり前が当たり前なのは、誰かがそうしているからです。
誰かの働きによって、当たり前が実現するのです。
当たり前は、当たり前には存在しません。
当たり前の状況を実現するために、多くの人の意思が働いているのです。
あなたは、当たり前のことを当たり前と思ってはなりません。
何一つとして、当たり前のことなど存在しないのです。
この世界における、取るに足らないことも当たり前ではありません。
この世界においては、すべてに意味があり、価値があるのです。
この世界には、無意味なものや、無価値なものは存在しないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
大切なのは、当たり前を当たり前と思わないことです。
誰かの働きによって、問題のない当たり前の状況が実現しているのです。
誰かの働きがなければ、当たり前は実現しません。
誰かの働きがなければ、問題を抱えた状況が実現するのです。
あなたは、当たり前の状況に対して感謝の気持ちを持たなければなりません。
あなたは、当たり前がどれだけ価値のある状況であるかを知らなければならないのです。
この世界は、価値に溢れています。
価値のないように見えるものにも、価値が存在するのです。
意味のないように思えるものにも、意味があるのです。
残念ながら、あなたは未熟を生きています。
そのため、価値や意味を理解することが出来ないのです。
あなたは、目の前の状況の意味や価値を探しましょう。
そこには必ず、意味や価値が存在しています。
あなたは、それを見出すことが出来るのです。
当たり前を当たり前とせず、感謝の気持ちを以(もっ)て生活しましょう。
この世界には、当たり前など何一つ存在しないのです。
あなたの代わりに目の前の当たり前の状況を築いてくれた人達に感謝しましょう。
当たり前を当たり前と思っている間は、学びを得ることは出来ないのです。
当たり前を当たり前と思っている間は、成長を実現することは出来ないでしょう。
あなたの当たり前は、誰かの意思によって実現しています。
あなたは、誰かの当たり前のために自分の意思を働かせなければなりません。
あなたの当たり前のために、誰かが働いています。
あなたは、誰かの当たり前のために働きましょう。

2019年3月25日月曜日

理を学び、自分を知る

多くの人にとって、人生とは退屈なものです。
多くの人にとって、人生とは、詰(つ)まらないものなのです。
多くの人は、人生に苦しみます。
多くの人は、人生に苦悩するのです。
それは、多くの人が学びを嫌うからです。
人生とは、学びの時間なのです。
人生に存在している以上、人は学ばなければなりません。
人生において、学びを避けることの出来る人はいません。
どのような人物も、学ばなければならないのです。
多くの人にとって、学びとは退屈です。
多くの人にとって、学びとは詰まらないものです。
多くの人にとって、学びとは苦しみです。
多くの人にとって、学びとは苦悩なのです。
多くの人は、学びたくないと考えています。
それは、学びの面白さを理解してはいないからです。
幼い子どもには、学びの面白さが分かりません。
それは、遊ぶことに一生懸命だからです。
知らないことに対して、辛抱強く理解を深めることよりも、感情の赴(おもむ)くままに快楽を生きる方を好むのです。
人生の目的は、成長を実現することです。
成長を実現するためには、辛抱強く理解を深める必要があります。
感情に従って快楽を生きているのであれば、理解を深めることが出来ません。
理解を深めることが出来なければ、成長を実現することは出来ないのです。
あなたが深めなければならないのは、理(ことわり)への理解です。
理とは、この世界の本質です。
あなたは、この世界の本質である理に対する理解を深めることによって、成長を実現することが出来るのです。
それは、理に対する理解を深めることは、自分に対する理解を深めることにもなるからです。
自分に対する理解を深めなければ、成長を実現することは出来ません。
成長とは、自分に対する理解であるからです。
何を得ても、自分に対する理解が深まることがなければ、成長を実現することは出来ないのです。
あなたは、理を学び、自分を知るのです。
理は、すべての時間、すべての状況に存在しています。
特別な時間や状況の中に理が存在している訳ではありません。
そのため、あなたは特別を探さなくても良いのです。
当たり前の中に理は存在しています。
あなたは、当たり前を学べば良いのです。
当たり前の中に理を探し、当たり前の中に自分を学びましょう。
退屈だと思うことの中にも理が存在し、そこから自分を学ぶことが出来るのです。
詰まらないことや、苦しみや、苦悩からも理を学び、自分を知ることが出来るのです。
あなたはいつどこででも、理を学び、自分を知ることが出来ます。
大切なのは、その気持ちがあるかどうか?ということなのです。
学ぶ気持ちがあるのならば、人はいつどこでも学ぶことが出来るのです。
しかしながら、学びを嫌い、学ぶ気持ちがなければ、人は簡単に退屈や苦悩に陥(おちい)ってしまうのです。
それでは、人生は乏しいのです。
大切なのは、人生を豊かに生きることです。
人生を豊かに生きるためには、学ばなければなりません。
理を学び、自分を知ることによって成長を実現することが豊かさなのです。
理への理解が浅く、自分を知らない者には、豊かさが導かれることはないのです。
あなたは、理を学びましょう。
そして、自分を知りましょう。
特別を探す必要はありません。
当たり前の中にこそ、理を見出すことが出来るでしょう。
特別の中の理は、感情の高ぶりによって隠されてしまいます。
冷静な状態でなければ、理を見出すことは出来ないのです。
人生とは、退屈なものです。
そして、人生には、苦悩が避けられないでしょう。
しかしながら、それは誤解です。
学ぶ気持ちがあれば、退屈も苦悩も学びとなり、それは豊かさを実現するでしょう。
あなたは理を学び、自分を知りましょう。
自分を知ることは、人生において重要なことなのです。

2019年3月24日日曜日

不完全を愛する

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人が、無知と愚かさを抱えて生まれてくるのです。
この世界において、完成されている人は存在しません。
どのような人物も、未熟であるということを理解しなければならないでしょう。
すべての人は、無知によって、愚行(ぐこう)を選択します。
この世界において、愚行を避けることの出来る人物は存在しません。
どのような人物であろうとも、愚行を選択します。
どのような人物も失敗するのです。
この世界には、失敗を経験することのない人は存在しないのです。
どのように努めても、人は失敗を選択しなければなりません。
この世界においては、失敗は避けられないのです。
人は、未熟であることが自然です。
無知であり、愚かであることが自然なのです。
未熟であることや、無知であること、そして、愚かであることは悪いことではありません。
誰もが未熟であり、無知であり、愚かであるのです。
それは、自然のことであり、悪いことではないのです。
どのように努めても、未熟や無知や愚かさを避けることは出来ません。
あなたは必ず、失敗を選択してしまうのです。
それは、仕方のないことです。
失敗は避けられず、後悔は雨のように降り注ぎます。
雨を避けることの出来る人はいません。
この世界において、雨は仕方のないことです。
多くの人は、雨を嫌います。
それは、鬱陶(うっとお)しいからです。
多くの人は、雨を煩(わずら)わしく思うのです。
しかしながら、雨とは、自然からの恵みです。
雨は、命そのものなのです。
感情的に見れば、雨は鬱陶しいものに過ぎません。
しかしながら、合理的に考えれば、雨は恵みなのです。
例えば、多くの人は、冬の積雪や夏の台風を嫌います。
しかしながら、それ等は大切な命を運ぶのです。
冬の積雪や夏の台風は、命の水をもたらすのです。
人生には、苦しみが存在します。
それは、雨のように避けられないものです。
あなたは、愚行によって必ず苦しみに会うのです。
自らの愚行によって導かれる苦しみもありますが、他者の愚行によって導かれる苦しみもあります。
しかしながら、あなたは失敗を責めることは出来ません。
なぜなら、あなたも他者と同じように失敗するからです。
あなたは、自らの失敗によって、誰かに迷惑を掛けるでしょう。
それは、誰かが失敗によって、あなたに迷惑を掛けることと同じなのです。
人は、持ちつ持たれつの関係です。
人は、互いに支え合っているのです。
あなたは、どのように気を付けていても失敗します。
それは、他者も同じなのです。
失敗は避けられません。
あなたは、失敗を許さなければならないのです。
それは、あなたも許されたからです。
あなたはこれまでに、多くの愚行を働き、多くの失敗を重ね、多くの人に、多くの迷惑を掛けてきました。
しかしながら、多くの人は、そのことを忘れています。
多くの人は、自分のことは棚(たな)に上げて、他者を責めます。
しかしながら、冷静に振り返ってみれば、あなたも同じように迷惑を掛けたのです。
時が異なるだけです。
現状において迷惑を掛けていないと(思っていても)しても、いつ迷惑を掛けるか分かりません。
あなたも、他者と同じく未熟であるのです。
この世界において、未熟を避けることの出来る人はいません。
無知を、愚行を、失敗を避けることの出来る人など存在しないのです。
この世界には、愚かさが存在しても良いのです。
この世界は、不完全です。
この世界は、歪んでいるのです。
それが、自然なのです。
完全を求めてはなりません。
それは、不自然だからです。
不完全を愛しましょう。

2019年3月23日土曜日

他者の考え

人は、それぞれの人生を生きています。
人は、それぞれの人生を生きなければなりません。
それは、人がそれぞれの目的を以(もっ)て生まれたからです。
人生には、それぞれに異なる目的があるのです。
人は、それぞれの目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、すべての人は人生の目的を見失います。
あなたは、自らに与えられた人生の目的を忘れてしまうのです。
それは、この世界には、多くの誘惑(ゆうわく)が存在しているからです。
人は、多くの誘惑に会います。
多くの人は、誘惑に目が眩(くら)むのです。
誘惑に目が眩むことによって、人生の目的を見失うのです。
多くの人は、人生の目的を見失った状態で生きています。
それは、空しい生存なのです。
しかしながら、多くの人は、それが空しい生存だとは考えません。
多くの人は、誘惑に従い、快楽や欲望を満たし続けることによって、満たされると考えています。
しかしながら、誘惑に従い、快楽や欲望を満たし続けたとしても、満たされることはないのです。
人生の目的を見失ってしまえば、何を得ても空しいのです。
あなたは、そのことに気が付かなければなりません。
空しさをどれだけ集めても、空しさが募(つの)るだけなのです。
空しさをどれだけ集めても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
空しさを集めることを人生だと考えてはならないのです。
人生の目的は、それぞれに異なります。
人生の目的は、人それぞれに違うものなのです。
そのため、他者と同じものを集めたとしても、満たされることはありません。
他者に憧れを抱き、他者の真似をしたところで、空しさが増すだけなのです。
あなたが果たさなければならないのは、自分の人生です。
誰にも、あなたの人生の目的を理解することが出来ません。
自分自身が理解することの出来ないものを、どうして他者が理解することが出来るでしょうか?
残念ながら、あなたの人生の目的は、他者には理解することが出来ません。
そのため、他者に自らの人生の目的を探しても、それを見出すことは出来ないのです。
他者は他者、自分は自分なのです。
人は、それぞれに異なる目的を以て生まれます。
誰一人として、同じ目的のために生まれはしないのです。
人生には、そのような無駄は存在しないのです。
人は、それぞれに異なる目的地を目指して歩んでいます。
あなたは、他者の目的とその目的地を理解しなくても良いのです。
同じように、他者にあなたの目的とその目的地を理解される必要はありません。
人は、それぞれの目的を果たすために生まれたのです。
すべての人は、異なる目的を以て生まれます。
そして、異なる目的を果たすために生きているのです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
自分の目的を果たし、自分の目的地へと辿り着かなければならないのです。
自分の目的を果たし、目的地へと辿り着くためには、強い意志の力が必要なのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、自分の考えを大切にしなければなりません。
他者は、他者の目的を果たすために生きています。
あなたと、他者の目指している場所は異なるのです。
あなたはあなたの考えを、他者は他者の考えを生きているのです。
それが自然です。
残念ながら、人は分かり合えません。
なぜなら、そもそもの目的と目的地が異なるからです。
他者の考えに惑わされてはなりません。
惑わすつもりはなくても、結果的に惑わせてしまうのです。
あなたは、他者の考えに注意しなければなりません。
他者は、他者の目的のために生きており、あなたの目的のために生きている訳ではありません。
そのため、他者の考えをそのままの形で扱うことは出来ないのです。
あなたは、自分の人生の目的に相応しい考えを身に付けなければならないのです。
もちろん、あなたが他者の考えに影響されるように、あなたの考えは他者に影響を与えます。
あなたは、自らの考えが他者に影響を与えているということを理解しましょう。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
そして、他者は、他者の人生を生きなければなりません。

2019年3月22日金曜日

新たな可能性

すべての人は、成長を実現するために生まれました。
すべての人は、人生において成長を実現しなければなりません。
成長を実現することは、すべての人に共通する根源的な目的なのです。
すべての人は、それぞれの様々な経験を通じて、成長という同一の目的を実現するために努めているのです。
すべての経験が成長を実現するための学びです。
あなたは、成長を実現するために学ぶのです。
人生には、無意味な時は存在しません。
それがどのような時であれ、意味のある学びなのです。
あなたは学ばなければなりません。
しかしながら、学ぶ意欲のない者は学ぶことが出来ません。
学びは常に目の前に存在していますが、学ぶつもりのない者はそれに気が付かないのです。
学ぶつもりのない者は、学ぶことが出来ません。
人生は、自分の意思で決まるのです。
学ぶ意欲のある者は、成長を実現することが出来ます。
成長を実現することによって、人は満足と幸福を得ることが出来るのです。
しかしながら、多くの人は、不満と不幸を抱えながら生きています。
それは、学ぶつもりがないからです。
残念ながら、多くの人は、人生を学ぶつもりがありません。
多くの人にとって、人生は平凡であり、安寧(あんねい)であれば良いのです。
多くの人にとって、人生に変化は必要ありません。
多くの人は、人生に変化を必要としてはいないのです。
多くの人は、一度手に入れた平穏が崩れないように努めます。
それは、学びを嫌い、変化を遠ざけるのです。
多くの人は、変化を嫌います。
多くの人は、変化しないことが最善だと考えているのです。
残念ながら、変化することが最善です。
変化の乏しい人生には、乏しさと苦しみが導かれるのです。
多くの人が、乏しさと苦しみを嫌い、変化を否定します。
平凡や安寧は、取り敢(あ)えずは安定しています。
しかしながら、それは一時の安定に過ぎません。
時が来れば、一時の安定は崩れ去ってしまうのです。
この世界においては、すべては常に変化をしています。
それは、変化することによって、豊かさを実現することが出来ることを知っているからです。
人生を豊かなものにするためには、変化を受け入れる必要があります。
変化を嫌っているのであれば、人生は乏しさと苦しみを導くでしょう。
それは、呼吸をしないことに等しいことなのです。
吸い込んだ空気をいつまでもとどめていれば、苦しみが襲うのです。
吸い込んだ空気がどれだけ”新鮮”であろうとも、いつかはそれを吐き出さなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、今までのものを手放すことを恐れます。
それは、新たなものを手に入れる時には、今までのものが良く見えるからです。
人生を豊かなものにするためには、可能性を得なければなりません。
可能性は、新たなものに存在するのです。
今までのものに可能性を見出すことは難しいのです。
可能性を見出すことが出来ないために、今までのものを手放さなければならないのです。
今までのものへの執心(しゅうしん)によって、可能性を手放してはなりません。
大切なのは、感情ではありません。
大切なのは、可能性なのです。
今までのものを手放す寂しさから、今までのものが良く見えるかも知れません。
しかしながら、それは、感情が見せる幻想です。
今までのものが良く見えるのは、誤解に過ぎないのです。
新たなものの方が良いに決まっているのです。
それは、そこに可能性が存在しているからです。
すべての人は、成長を実現するために生まれました。
あなたが成長を実現するためには、可能性が必要です。
可能性こそが、あなたの成長を助けるのです。
可能性を得なければ、どのように努めても成長を実現することは出来ないのです。
今までのものへの感情を手放し、新たなものから可能性を学びましょう。
可能性を追い、変化の中に生きるのです。

2019年3月21日木曜日

自分自身を知るための示唆

人生は、自分自身と向き合う場所です。
あなたは常に、自分自身と向き合わされるのです。
あなたは常に、自分自身と向き合わなければなりません。
それは、成長を実現するためです。
あなたは、成長を実現するために自分自身と向き合わなければならないのです。
人が成長を実現するためには、現状を理解する必要があります。
現状を理解することが出来なければ、現状における課題が分からないのです。
成長を実現するためには、課題を解決する必要があるのです。
課題を解決することがなければ、成長を実現することが出来ません。
現状を理解することがなければ、成長を実現することは出来ないのです。
そのため、あなたには現状を理解することが求められるのです。
現状とは、自分自身の結果です。
あなたは、現状を通じて、自分自身に間接的に触れているのです。
現状の原因は自分自身です。
人生は、自分自身に相応しく存在するのです。
そのことを理解しておかなければなりません。
人生の原因が自分自身であり、人生が自分自身に相応しく存在するということを理解しなければ、人生は苦しみの中に没(ぼっ)し、そこから掬(すく)い上げることが出来ないのです。
人生の原因は自分自身です。
人生が、あなたを無視することはありません。
人生は、あなたに相応しく存在するのです。
あなたは、人生が自分自身であることを理解し、相応に向き合いましょう。
人生におけるすべての経験は、自分自身を理解するための経験です。
あなたは、すべての経験を通じて、自分自身を知ることになるのです。
例えば、それは、自分自身が他者として現れます。
あなたは、他者を通じて、自分自身を学ぶのです。
他者は、自分自身の現れです。
残念ながら、あなたには、そのようには思えません。
他者が自分自身の現れであるということを受け入れることは出来ないでしょう。
なぜなら、あなたは他者を受け入れることが出来ないからです。
人は、他者と分かり合うことが出来ません。
それは、自分自身を受け入れることが出来ないからです。
人は、自分自身を受け入れることが出来ません。
なぜなら、それを恐れているからです。
人が自分自身を受け入れることを恐れるのは、そこには欠点が存在しているからです。
すべての人が未熟に生まれます。
すべての人が無知であり、愚(おろ)かな存在です。
それは、弱さとして現れますが、それと向き合うことは苦しいのです。
人は、自分自身の弱さと向き合うことを恐れるのです。
人は、苦しみを嫌います。
人は、自らの欠点と向き合いたくはないのです。
しかしながら、あなたは強制的に自らの欠点に向き合わなければなりません。
それは、他者の欠点として向き合わなければならないのです。
他者は、あなたの気に入らない態度を示します。
あなたは、他者を思い通りに扱うことは出来ないのです。
他者は、思いも寄らない動きをします。
それは、人が自分自身を理解してはいないからです。
自分自身を理解していないことによって、他者の動きが理解出来ないのです。
他者の欠点は、自分自身の欠点です。
他者の欠点は、自分自身の欠点を教える学びなのです。
あなたは、他者を通じて自分自身を学ぶことによって、それを改める必要があるのです。
他者が教えてくれなければ、あなたは自分自身を改めることが出来ないのです。
他者がどのように振る舞ったとしても、そこには、自分自身を知るための示唆(しさ)が存在するのです。
どのように気を付けていても、この世ではいつの間にかに汚れています。
欠点は、錆(さび)が鉄自身から生じるように、自分自身から生じます。
問題も苦しみも、自分自身から生じていることを受け入れなければなりません。
すべてが自分自身です。
あなたは、自分自身と向き合っていることを忘れてはなりません。
目的は、成長を実現するためなのです。

2019年3月20日水曜日

大切な欲求

すべての人は、本質を求めなければなりません。
本質とは、理(ことわり)のことです。
理は、豊かさを導きます。
理を無視するのであれば、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
人は、それぞれに異なる目的を以(もっ)て生まれます。
人は、それぞれが、異なる目的を果たさなければならないのです。
目的は異なりますが、それを果たす方法は同じです。
それは、理を得ることです。
理を得ることによって、人は自らの目的を果たすことが出来るのです。
理を無視するということは、目的を蔑(ないがし)ろにするということです。
本質を見極めることなく、目的を知ることは出来ません。
理を得なければ、どうやって目的を果たせば良いか?分からないのです。
人生を豊かなものにするためには、人生の目的を果たす必要があります。
しかしながら、何気無く生きているだけでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
何気無く生きているだけでは、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を果たそうとする意欲です。
意欲の無い者には、人生の目的は果たせないのです。
意欲とは、建設的な欲求のことです。
意欲は、熱意を生み出します。
熱意のない者には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
熱意は、欲求を必要とします。
欲求を持たない者には、熱意は生じないのです。
欲求の無い人生は詰まらないのです。
意欲に従って生きることによって、人生は豊かさを実現するのです。
欲求は、視野と連動しています。
視野の広がりと共に欲求は導かれます。
視野が狭まることによって、欲求は失われるのです。
視野が広がることは、より本質的にものを見るということでもあるのです。
より本質的にものを見るということは、より良いものが見えるということです。
より良いものが見えていれば、それを欲するのは自然のことなのです。
より良いものが見えていながら、それを無視することは不自然なのです。
自然は、より良くなります。
人生をより良くするためには、意欲が必要です。
欲求が存在しなければ、人生はより良くならないのです。
あなたは、人生をより本質的なものにしなければなりません。
欲求とは、本質を求める気持ちです。
それが、どのような欲求であったとしても、あなたを本質へと導くのです。
なぜなら、すべての欲求には、知識と経験を導く力があるからです。
それがどのような欲求であったとしても、それによって、新たな知識と経験が得られるのは事実なのです。
欲求が存在しなければ、新たな知識と経験を得ることは出来ません。
新たな知識と経験は、新たな知恵を導きます。
知恵によって、あなたは本質へと近付くことが出来るのです。
どのような欲求であれ、それを大切にしなければなりません。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、本質を求めなければならないからです。
本質とは理のことです。
理を得るためには、欲求に従って熱意を生み出し、意欲を見出さなければなりません。
視野を狭めてはなりません。
あなたは、様々なことに興味を抱きましょう。
自分のことや、人生に対して興味を抱くのです。
そうすれば、幾らでも欲求を必要とすることが出来るのです。
欲求の少ない人生は退屈です。
あなたには、知らないことがたくさんあるはずです。
それは、知りたいことがたくさんあることを意味しているのです。
欲求が存在しないことは不自然です。
人は、欲求を手放すことが出来ないのです。
あなたは、欲求を手放す必要はありません。
欲求を手放してはならないのです。
人生は、生涯を通じた勉強です。
学ぶべきことは尽きません。
あなたには、幾らでも学ぶべきことが存在するのです。


欲求を大切に扱いましょう。

2019年3月19日火曜日

可能性

人生には、可能性が溢れています。
あなたには、多くの可能性が存在しているのです。
しかしながら、多くの人は、自分の可能性に気が付いてはいません。
可能性に気が付かないということは、可能性を広げないということです。
残念ながら、多くの人は、可能性に気が付くことが出来ません。
多くの人は、可能性が存在しないと思っているのです。
人生に可能性を見出さないということは、豊かさを実現しないということです。
人生の豊かさは、人生の可能性に比例しているのです。
可能性を見出せば、人生は豊かさを得ます。
可能性を見失えば、人生は乏しさを得るのです。
人生に豊かさを実現するために必要なのは、人生の可能性を見出すことであると理解しなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、人生に可能性を見出すことが出来ません。
それは、人生が思い通りに展開しないからです。
多くの人は、可能性というものを誤解しています。
可能性というものが、思い通りになるものだと考えているのです。
思い通りになることを可能性だと考えているのです。
残念ながら、思い通りになる状況が可能性ではありません。
可能性というものは、思い通りにならない状況においても、存在するものなのです。
人生の可能性と思い通りの展開には、因果関係は存在しません。
そのため、人生を思い通りに展開しようと考えている者には、人生の可能性を見失う危険性があるのです。
残念ながら、人生には、思い通りにならないことばかりです。
人生において、大抵のことが思い通りにはなりません。
多くの人はそれを嫌います。
多くの人にとっては、人生が思い通りに展開する方が良いのです。
しかしながら、思い通りにならない状況には、多くの可能性が存在しています。
思い通りに展開する状況よりも、思い通りにならない状況の方が可能性が存在するのです。
それは、思い通りにならないからです。
思い通りにならないということは、あなたにとっての未知であり、それは難しいということなのです。
既知(きち)や簡単なことには、可能性はありません。
なぜなら、そこに存在する可能性を使い果たすことによって、難しいことが簡単になったからです。
未知であり、難しいことが可能性です。
未知や難しいことは、あなたを成長させてくれるのです。
それが可能性であるのです。
あなたは、思い通りにならないことを学ばなければなりません。
この世界には、思い通りにならないことを学ぶために生まれたのです。
人生は、思い通りにならなくて良いのです。
それは、人生の目的が成長を実現することであるからです。
例えば、人生が思い通りであり、それ以上に可能性を見出すことが出来ない人がもしも存在するならば、その人はそれ以上に成長を実現することは出来ません。
思い通りになることに対して、成長を実現する必要がないのです。
人生は、思い通りにならないからこそ工夫することが出来るのです。
工夫とは、知恵の働きです。
思い通りにならない状況によって、知恵が働くのです。
思い通りに展開する状況であるのならば、知恵も必要ないのです。
あなたは、人生の可能性を決め付けてはなりません。
目の前に苦しみが存在するというのであれば、可能性が存在すると考えて喜びましょう。
思い通りにならない状況には、可能性が存在しています。
あなたは、人生の可能性は無限大であることを理解しましょう。
どのような状況においても、可能性が存在しているのです。
あなたは、安易(あんい)に思い通りにならない状況を嫌ってはなりません。
思い通りにならない状況の価値を理解しなければなりません。
思い通りに展開する人生を生きたところで価値はありません。
思い通りにならない人生を生きることに価値があるのです。
問題や苦しみを乗り越えることに価値があるのです。
人生においては、思い通りにならないことから学びましょう。
思い通りの人生など、面白くはないのです。

2019年3月18日月曜日

変更

人生において重要なのは、目的を果たすことです。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人は未熟に生まれるからです。
すべての人は未熟に生まれます。
すべての人は、無知と愚かさを生きなければならないのです。
未熟さは、人生の目的を覆い隠します。
人は、未熟さによって、人生の目的を見失うのです。
そのため、多くの人は道に迷います。
多くの人は、自分が何を果たすべきかを知らないのです。
迷いは、悩みを引き起こします。
悩みは、やがて苦しみへと変わるのです。
苦しみを生きることが人生の目的ではありません。
受け入れなければならない苦しみはありますが、苦しまなくても良いことに苦しむ必要はないのです。
苦しみの原因は未熟さです。
未熟さによって、苦しみが導かれるのです。
あなたが苦しみを手放し、覆い隠された人生の目的を見出すためには、未熟さを克服しなければなりません。
未熟さを克服するためには、知恵の働きが必要です。
あなたは、知恵を得なければなりません。
知恵は、知識と経験を通じて手にすることが出来ます。
知恵の不足は、知識と経験の不足によって生じるのです。
そのため、あなたは、知識と経験を積み重ねなければなりません。
それも、様々な知識と経験を必要とするのです。
偏(かたよ)った知識と経験では、知恵を身に付けることは出来ません。
あなたは、幅広い知識と経験を必要とするのです。
幅広い知識と経験を手にするためには、執着(しゅうちゃく)を手放さなければなりません。
拘(こだわ)りに固執(こしゅう)することなく、変更を続けるのです。
様々な視点で見なければ、視野は広がりません。
様々な観点で考えなければ、価値観が広がることはないのです。
視野が狭く、価値観が偏っているのであれば、知恵の働きを期待することは出来ません。
知恵が働かなければ、人生の目的を見出すことは出来ないのです。
大切なのは、細かく変更することです。
頑(かたく)なに、拘りを守ってはならないのです。
それ以上に知識と経験を得られないことを続けていても価値はないのです。
何かを長く続けることが最善ではないのです。
知識と経験を得られることこそが最善なのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
あなたは、そこで新たな知識と経験を得られるか?と考えましょう。
発見が得られないことを続けていても、人生の目的は果たせないのです。
もちろん、自身の軽薄(けいはく)さによって、知識と経験を得られない場合もあります。
残念ながら、多くの人は、人生が自己責任であることを知りません。
そのため、知識と経験が得られないことを、誰かや何かのせいにするのです。
そのような時には、自分の思い込みを疑いましょう。
残念ながら、あなたは正しくありません。
間違っているのは、あなたなのです。
それは、未熟に生まれ、無知と愚かさを生きているからなのです。
先ずは、自身を顧(かえり)みましょう。
そして、状況を考察するのです。
そうすることによって、新たな知識と経験を得ることが確実となるでしょう。
大切なのは、知識と経験を得ることです。
そして、人生の目的を見出し、それを果たすことです。
あなたは、そのために選択しましょう。
快楽や欲望や苦悩のために選択してはなりません。
そのような生き方は、あなたを苦悩にとどめてしまうでしょう。
変更を続け、知識と経験を得られる最善の選択をしましょう。

2019年3月17日日曜日

学びを邪魔してはならない

人には、学ばなければならないことがあります。
人には、人生において学ばなければならないことがあるのです。
学びを避けることは出来ません。
どのような人物も、学ばなければならないのです。
それは、人が未熟に生まれるからです。
この世界には、未熟に生まれる他ないのです。
誰もが未熟に生まれます。
それは仕方のないことです。
それは、人が学びを得なければならないからです。
人生の目的は成長を実現することです。
人は、様々な経験を通じて学び、成長を実現しなければならないのです。
成長を実現するのは、それが人生の目的であるからです。
そのような約束で生まれたのです。
成長を実現するためには、学ばなければなりません。
必要な学びを得なければ、成長を実現することが出来ないのです。
あなたは、成長を実現するために必要な学びを得なければなりません。
学びとは、大抵の場合苦しみです。
人が成長を実現するためには、苦しみを必要とするのです。
しかしながら、多くの人は苦しみを嫌います。
多くの人にとって、苦しみは避けるべきものなのです。
なぜなら、苦しみは悪だからです。
多くの人は、苦しみによって不幸に陥(おちい)ります。
それは、苦しみによって気分を害するからです。
しかしながら、あなたが成長を実現するためには、苦しみが必要です。
苦しみがもたらす学びによってのみ、あなたは成長を実現することが出来るのです。
苦しみとは、未知の経験のことです。
人は、知らないことを苦しむのです。
知っていることに苦しむことはありません。
なぜなら、既に経験したことで結論の大部分が見えているからです。
これからどうなるのか?を知っていれば、それに苦しむ必要はないのです。
多くの人は、これからどうなるのか?分からないことに不安や心配を抱き、苦しむのです。
苦しみとは、未知の体験です。
そこには、多くの可能性が存在しています。
未知とは、可能性なのです。
既知(きち)に可能性を見出せる人はいません。
それは、安心や平穏(へいおん)に可能性を見出すことが出来ないということなのです。
あなたは、苦しみに可能性が存在することを理解しなければなりません。
苦しみから多くのことを学ぶことが出来るのです。
多くの人は、苦しみを嫌います。
しかしながら、あなたは苦しみを大切に扱わなければなりません。
苦しみを邪魔するのであれば、学びを邪魔することと同じです。
苦しみから逃れるのであれば、学びから逃れることと同じなのです。
大切なのは、苦しみを邪魔しないことです。
残念ながら、人生には苦しみが実現します。
学びを避けることの出来る人はいません。
そのため、苦しみを避けることの出来る人もいないのです。
避けることの出来ない苦しみは、受け入れなければなりません。
あなたは、苦しみを受け入れることによって学びを受け入れるのです。
学びを邪魔してはなりません。
あなたは、安心して苦しみましょう。
苦しみが、悪いことはありません。
苦しみは、必ずあなたに学びを導くのです。
苦しみが存在しなければ、あなたには、学びを得られる可能性は存在しないのです。
苦しみに対して感謝することを忘れてはならないのです。
苦しみを取り除くことが最善ではありません。
自分が何をしているのか?ということを考えましょう。
自分が何のためにここにいるのか?と考えなければならないのです。
自分が何をしているか?を知っていれば、学びである苦しみを邪魔することはないでしょう。
苦しみを受け入れ、学びを得ましょう。
学びを邪魔しては、人生が滞(とどこお)ってしまうのです。
苦しみを許しましょう。
苦しみは、あなたに可能性を見せているのです。
あなたは、それを受け入れなければなりません。
人には、学ぶべきことがたくさんあります。
それは、苦しむべきことがたくさんあるということです。
苦しみを悪いことだと考えてはなりません。
苦しみは、学ぶべきことだと考えましょう。
苦しみである学びを邪魔してはなりません。

2019年3月16日土曜日

無理

人生には、無駄は存在しません。
人生には、必要だけが実現するのです。
何一つとして、無駄なものはありません。
あなたは、すべてが必要であるということを理解しなければなりません。
人生におけるすべての経験は、自らを成長させるための学びです。
あなたは学び、成長するために生まれたのです。
人生における学びに無駄はありません。
人生は、あなたが成長を実現するための最善を導くのです。
残念ながら、あなたには理解することが出来ません。
すべての経験には、成長のために必要な建設的な役割があるのですが、それを理解することが出来ないのです。
多くの人には、目の前の経験に潜在する学びの意味が分かりません。
そのため、それを嫌うのです。
多くの人は、目の前の経験を否定します。
そのために、問題が終わりません。
多くの人は、常に何らかの問題を抱えているのです。
一つの問題が解決したとしても、次の問題が生じます。
問題は次々に生じ、心休まる暇がありません。
多くの人は、問題に向き合うことで苦悩を抱えるのです。
しかしながら、本来ならば、それは成長を実現するための学びです。
苦悩を導くための問題ではないのです。
あなたは、問題の本来の意味を理解しなければならないのです。
問題は、あなたが成長を実現するための大切な学びです。
それ以外ではありません。
冷静に考えれば、そのことを理解することが出来ます。
しかしながら、多くの人は、問題や苦悩を前にして冷静さを失ってしまうのです。
大切なのは、人生の意味を見失わないことです。
人生の目的は成長を実現することです。
成長を実現することが、最大の目的なのです。
あなたは、成長を実現しなければなりません。
どのような状況を得ようとも、それを成長へと繋げなければならないのです。
無駄な経験は存在しません。
すべての経験が成長を実現する助けになるのです。
そのことを覚えておきましょう。
残念ながら、あなたは未熟に生まれます。
あなたは無知によって愚(おろ)かに生きているのです。
そのため、上手く立ち回ることは出来ません。
すべてが必要な学びであることも忘れてしまうのです。
そのため、無理はしなくても良いのです。
目の前の状況を楽しめないというのなら、無理に楽しむ必要はありません。
苦しいというのであれば、苦しめば良いのです。
苦しいことを無理に楽しむ必要はないのです。
大切なのは、無理をしないことです。
苦しむことしか出来ないというのであれば、苦しみを受け入れましょう。
無理に苦しみから逃れようとしても、余計に苦しいだけなのです。
潔(いさぎよ)く苦しむのです。
それが最善です。
あなたには、出来ることしか出来ません。
出来ないことをしようとしても無理なのです。
出来ることを確実に行うことが良いのです。
人生は、あなたに相応しく展開します。
楽しむことが出来ない者は、楽しまないことが相応しいのです。
それが最善です。
苦しむことが出来るのであれば、苦しむことが最善です。
愚かにも取り乱してはなりません。
人生には、無駄は存在しません。
すべての経験は、あなたの成長を実現するための大切な学びです。
あなたは、安心して苦しみましょう。
人生は、あなたに相応しく展開します。
無理をしても、人生が展開するということはないのです。
自分自身と向き合うことを第一に考えましょう。
楽しいとか苦しいとか、そういう表面的な感情に左右されてはなりません。
楽しくても、成長を実現することが出来なければ価値はありません。
苦しくても、成長を実現することが出来ることに価値を見出しましょう。
無理をしてはなりません。
人生は、無理に楽しむ必要などないということを理解しましょう。
苦しい時は苦しくて良いのです。

2019年3月15日金曜日

利己心

人は、弱い存在です。
すべての人が未熟に生まれます。
未熟に生まれるすべての人が、無知を抱えて生きているのです。
無知は偏見を生み出します。
偏見は、誤解を導くのです。
誤解は問題を引き起こし、問題は苦悩へと到達します。
苦悩は、人生を乏しく飾(かざ)るのです。
多くの人が、人生に乏しさを感じています。
それは、弱い存在であるからです。
人は、弱さ故(ゆえ)に人生を乏しくするのです。
すべての人が、利己心を抱えています。
利己心とは、自分を中心とした価値観です。
すべての人は、自分を中心とした価値観を生きています。
それは、仕方のないことです。
なぜなら、これは、あなたの人生だからです。
これは、自分の人生です。
他の誰のものでもありません。
あなたには、果たさなければならない目的があり、それは、あなただけに与えられた役割なのです。
あなたは、自分に与えられた役割を果たし、自分の人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、そのために生まれたのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
すべての行為は、自分のために行われます。
人生の目的を果たすためには、自分のために力を使わなければならないのです。
残念ながら、誰かのために行為することは出来ません。
誰かのためと思っても、誰かのために行為することは出来ないのです。
あなたの行為は、自分のために行われます。
それは、あなたが自分の人生を生きているからです。
あなたは、誰かの人生を生きている訳ではありません。
誰かの人生の目的のために生きている訳でもないのです。
あなたがどのように努めても、すべては自分のための行為でしかないのです。
誰かのためを思っても、それは自分のためです。
どのように努めても、利己心を手放すことは出来ないのです。
人生とは、そのような場所です。
あなたは、自分のために生きているのです。
自分のために役割を果たし、自分のために目的を果たすのです。
誰かのために行為することは出来ません。
あなたは、自分のために行為しましょう。
利己心を否定したとしても、そこには葛藤(かっとう)が生じるだけです。
あなたは利己心と共に生きるのが自然なのです。
利己心は、人生の目的を果たすために与えられた自然な欲求です。
利己心は、あなたが苦しみの中でも目的地へと進み続けることが出来るように与えられた力なのです。
人は弱い存在です。
本来ならば、利己心によって世界に貢献する必要がありますが、多くの人は、利己心によって快楽や欲望や苦悩に溺れてしまうのです。
利己心の導きには逆らうことが出来ません。
逆らうことの出来ないものに逆らってはならないのです。
あなたは、利己心を活用しましょう。
それを、上手く操作するのです。
利己心に弄(もてあそ)ばれてはならないのです。
すべては利己心の働きですが、あなたは、より良い動機によって行為しなければなりません。
より良い動機とは、誰かや何かの役に立つ自分を喜ぶということです。
純粋な動機は、誰かや何かの役に立つためのものです。
それは、あなたが世界に貢献(こうけん)するために生まれたからです。
あなたは、世界に貢献することで、自分の人生の目的を果たすことが出来るのです。
利己心に従って自分の仕事に専念することで、あなたは世界に貢献することが出来るのです。
自分の仕事を満足に行うことが出来ない者が、どうやって誰かや何かの役に立つというのでしょうか?
満足していない者には、与えることが出来ないのです。
不足している者は、いつまでも集めているでしょう。

2019年3月14日木曜日

興味

あなたには、果たさなければならない目的があります。
あなたは、無駄に生きている訳ではありません。
ただ、生存を続けるために生きている訳ではないのです。
人生には、重要な意味が存在します。
その意味を得るために、目的を果たさなければならないのです。
ただ、生存を続けるだけでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすことが出来なければ、人生の意味を理解することも出来ないのです。
多くの人は、人生の目的を知りません。
多くの人は、自分の人生に目的が存在していることすら知らずに生きているのです。
多くの人は、人生の目的を知らないために、無気力な生存を続けます。
目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れて生きているのです。
多くの人は、人生に対して志(こころざし)を掲げません。
誰かや何かの指示に従い、果たさなければならない目的に背を向けながら生きているのです。
人生の目的を無視して生きることは、人生の豊かさを無視して生きることです。
人生に豊かさを必要とするのであれば、人生の目的を果たし、その意味を知らなければならないのです。
人生が何であり、自分が何をしているのか?を知らずに、どうして豊かさを得ることが出来るのでしょうか?
豊かさとは理解(知恵)のことであり、乏しさとは無知(不理解)のことなのです。
人生を理解することがなければ、人生に豊かさは実現しません。
あなたが豊かさを必要としているのであれば、そのことを知っておかなければならないでしょう。
人生を理解するためには、人生に対して興味を抱くことです。
人は、興味のあるものを知ろうと努めます。
そして、興味のあるものだけを理解することが出来るのです。
人生に対して興味を抱けば、多くの知識と経験を得ることが出来ます。
それは、志を生み出すのです。
志を掲げて生きることによって、知恵が働きます。
知恵は、あなたを人生の目的へと導くでしょう。
知恵によって、人は問題を乗り越えることが出来ます。
残念ながら、人生は気楽な道程(どうてい)ではありません。
目の前には、様々な問題が生じるのです。
あなたは、初めに自らの抱える快楽や欲望や苦悩と向き合わなければなりません。
それ等は、歩みの妨げとなる重荷なのです。
快楽や欲望や苦悩を抱えたままでは、道程を進むことは出来ません。
あなたは先ず、それ等の重荷を降ろさなければならないのです。
人生において重要なのは、その本質が意識にあることです。
真(まこと)の価値は、物質にはありません。
真の価値は、意識にあるということを理解しなければならないのです。
例えば、大切にしている物があるとしても、大切なのは、そこに宿る意識です。
その物に対する思い入れや思い出などに価値があるために、その物を大切に扱っているのです。
同じ形をしている物に対しては、同じ価値を見出しません。
同形の新品よりも、思い入れや思い出の詰まった古物(こぶつ)の方に価値を見出すのです。
それは、意識に価値があることを示しているのです。
この世の富には、強い魅力を覚えるかも知れません。
それは、自らの劣等感や不安を一時的に隠すことが出来るからです。
多くの人は、弱さ故(ゆえ)に快楽や欲望や苦悩に溺れてしまうのです。
大切なのは、意識に価値を見出すことです。
例えば、この世の富を多く集めたとしても、心に平穏は訪れません。
少ない中からでも、他者に与えるのであれば、心の平穏は訪れるのです。
物質が悪いということではありません。
物質よりも、意識に価値があるということなのです。
そのため、人生の目的は物質(この世の富)を集めることではありません。
意識を磨くことが目的なのです。
人生の目的は、自らの内に探さなければなりません。
自らの意識が磨かれることが最善なのです。
苦しみによって磨かれるのであれば、苦しみが最善です。
物質によって磨かれるのであれば、物質が最善です。
その時によって、必要は異なります。
しかしながら、弱さによって物質を集めるのであれば、人生の目的を果たすことは出来ません。
無気力に生きてはなりません。
快楽や欲望や苦悩に溺れて生きてはなりません。
志を以(もっ)て生きるのです。
知恵に導かれて生きましょう。
無気力や、目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れてはなりません。

2019年3月13日水曜日

無駄は存在しない

この世界には、必要のみが実現します。
この世界には、不要は実現することが出来ないのです。
なぜなら、不要は必要ではないからです。
この世界には、無駄は存在しません。
無駄が存在する意味がないのです。
しかしながら、多くの人はこの世界に無駄が存在すると考えています。
多くの人は、不要が実現すると思っているのです。
残念ながら、この世界に存在することが許されるのは、必要だけなのです。
それを不要や無駄と思うのは、あなたが無知であり、偏見と誤解を抱えているからなのです。
それ以外の理由はありません。
あなたには、不要や無駄と思えるものの必要性を理解することが出来ないだけなのです。
それがどのようなものであろうとも、必要であるからこそ、この世界に存在することが出来るのです。
存在しているものは、それがどのようなものであれ、この世界における必要であることを理解しなければなりません。
自分勝手に価値を判断してはならないのです。
自分が知らないという理由によって、価値の有無を決めることなど出来るはずがないのです。
現状のあなたには不要や無駄に思えることも、後のあなたには必要であったりします。
自分には不要や無駄なものであっても、他者には必要であるのです。
この世界において、無駄や不要は存在する意味がありません。
この世界には、意味のないことは存在しないのです。
それが、どのようなものであれ、必要です。
あなたには、その必要性を理解することが出来ないかも知れません。
しかし、それでも必要なのです。
あなたは、必要の中に存在します。
この世界は常に必要で満たされます。
あなたは必要に考え、必要に行動し、必要に手放し、必要に受け取ります。
どのような行為も、そのすべてが必要です。
あなたは、必要しか実現することは出来ないのです。
どのように努めても、どのように怠(なま)けても、実現することが出来るのは必要だけです。
どのように努めても、どのように怠けても、不要を実現することは出来ないのです。
この世界には、必要のみが実現します。
それは、避けられないことなのです。
しかしながら、そこには因果の仕組みが働いています。
努めることと怠けることでは、受け取る結果は異なるのです。
必要が実現するというのは、努めることによって実現する必要がある一方、怠けることによって実現する必要があるということなのです。
同じ結果が実現するということではありません。
選択に相応しい必要な結果が導かれるということなのです。
あなたは常に必要を受け取ります。
必要以外は諦めなければなりません。
しかしながら、多くの人は、自分にとっての必要を理解しません。
必要とは、自分に都合の良いものということではないのです。
自分に都合が良かろうと、自分に都合が悪かろうと、必要は必要なのです。
良くも悪くも、必要を受け取らなければならないのです。
しかしながら、多くの人は都合によって判断します。
それは、不要を追い求めるということでもあるのです。
”人事を尽くして天命を待つ”という言葉があります。
原因は作ることが出来ても、結果は作ることが出来ないのです。
どのような結果が導かれようとも、それが現状における必要です。
必要を受け入れることが最善です。
必要である目の前の現実を否定することは最善ではありません。
現実を受け入れましょう。
無理をする必要はありません。
出来ないことは出来ません。
得られないものは得られません。
諦めましょう。
執着(しゅうちゃく)を手放し、必要を受け入れましょう。

2019年3月12日火曜日

敬意を払う決断

人生において重要なのは、目的を果たすことです。
すべての人生には、目的が与えられています。
人生の目的は、それぞれが異なるものです。
あなたには、あなただけの人生の目的が与えられているのです。
あなたは、自分の人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは、容易なことではありません。
なぜなら、人生の目的は特別なものだからです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
そのため、すべての人生の目的が特別なのです。
同じ目的は存在しません。
あなたは、他者とは異なる人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
人は本来、特別な存在です。
誰一人として、同じ人物は存在しません。
すべての人が特別です。
特別な人が、特別な人生の目的を果たすために生きているのがこの世界なのです。
しかしながら、多くの人は、自分が特別な存在であることを忘れています。
そして、人生の目的が特別なものであることも忘れているのです。
多くの人は、自分が何の特出(とくしゅつ)するところもない、周囲の人達と同じ凡庸(ぼんよう)な人物だと思い込んでいるのです。
残念ながら、すべての人が未熟に生まれます。
そして、すべての人が無知を生きているのです。
無知は偏見を生み出し、偏見は誤解を生じさせます。
多くの人が、自分自身を凡人(ぼんじん)と思い込んでいるのは、残念ながら誤解であるということなのです。
残念ながら、あなたは凡人ではありません。
あなたは特別な存在なのです。
大切なのは、自分が特別な存在であることを理解することです。
そして、特別な人生の目的を果たすために生きるように努めることなのです。
あなたは、決断しなければなりません。
自分が特別な存在であること、そして、特別な人生の目的を果たすために生きることを、決断しなければならないのです。
何も、難しいことをするのではありません。
自分や人生に対して、敬意(けいい)を払う生き方をすれば良いのです。
残念ながら、多くの人は、自分や人生に対して敬意を払ってはいません。
なぜなら、自分や人生に対して、豊かさを感じることが出来てはいないからです。
敬意を払っていないために、不満や不安を覚えるのです。
多くの人は、自分や人生を信用することが出来てはいないのです。
自分の人生を生きなければ、豊かさは得られません。
どのように努力や苦労を重ねたとしても、自分の人生を生きていなければ、人生は乏しいのです。
人生に豊かさを求めているのであれば、決断するしかありません。
結果はどうでも良いのです。
なぜなら、あなたが自分の人生を生きようと決断した瞬間から、苦悩が始まるからです。
結果を気にしているのであれば、それが経過であったとしても、希望を失ってしまうのです。
そのため、結果を気にしているのであれば、自分の人生を生きることは出来ないのです。
結果を気にすることなく、自分の人生を歩みましょう。
大切なのは、経験することです。
経験することに意味があり、価値があるのです。
なぜなら、人生の目的は成功することではないからです。
この世の富や、地位や名声を得ることが、人生の目的ではありません。
人生の目的は、成長することなのです。
成長を実現しなければ、何を得ても空(むな)しいのです。
魂を満たすことがなければ、人生は空しいと覚えておきましょう。
あなたは、富も地位も名声も得る必要はありません。
あなたが得るべきは、成長だけなのです。
成長することによって、結果的に得られる富や地位や名声で満足しましょう。
目的を間違えてはなりません。
多くの人が欲するものが良いとは限りません。
あなたは、自分の人生に必要なものだけを得れば良いのです。
自分も人生も特別な存在です。
そのため、特別なもの以外は必要ではないのです。
あなたが成長するためには、特別な経験が必要です。
特別な経験とは、日常に対して、敬意を払って生きることなのです。
目の前の状況に対して敬意を払って生きることが特別な経験であるのです。
多くの人は、自分や人生に対して敬意を払いません。
敬意を払うだけで、すべてが特別と成るということを知りましょう。

2019年3月11日月曜日

制限

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれました。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
目的を果たすことが、人生の完成です。
しかしながら、多くの人は生まれ持った目的を見失っています。
目的を見失うということは、目的地ではない場所を目指して歩みを続けているということです。
それは、とても骨の折れる仕事なのです。
目的地ではない場所を目指して歩み続けることは出来ません。
なぜなら、体力や精神力が保(も)たないからです。
人は、目的地へと近付くことによって、力を得ることが出来ます。
しかしながら、目的地から遠ざかる程に、力は失われるのです。
人が力強く生きるためには、人生の目的地へと近付かなければならないのです。
あなたが、人生の目的を果たすためには、魂の指示に従わなければなりません。
それは、真(まこと)を生きるということなのです。
真を生きるとは、自分自身の真実を生きるということです。
自分の気持ちに対して正直に生きなければなりません。
自分の気持ちに対して正直に生きることが出来れば、人生の目的地へと辿り着き、目的を果たすことが出来るかも知れないのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を見失っています。
人生の目的を見失ってしまった人は、虚しさと共にいきなければなりません。
なぜなら、人生の目的と共に熱意をも失ってしまうからです。
目的は、熱意を生み出します。
熱意は、人生を劇的なものにします。
熱意がなければ、人生は退屈(たいくつ)なものとなってしまうのです。
しかしながら、熱意を以て生きることの出来る人は少ないのです。
多くの人は、人生を退屈に生きているのです。
多くの人は、虚しさと共に乏しい人生を生きなければなりません。
それは、避けられないことです。
人生の目的を思い出し、熱意を以て生きるまでは、乏しい人生は避けられないのです。
多くの人が乏しい人生を生きています。
多くの人は退屈を持て余し、虚しさと共に乏しい人生を生きているのです。
誰一人として、乏しい人生を求めてはいません。
すべての人が、人生に豊かさを求めるのです。
それは、人生に目的が備わっているからです。
あなたは、人生の目的を思い出さなければなりません。
そのためには、目の前の状況の一つ一つを大切に扱い、その意図を汲(く)み取らなければならないのです。
目の前に導かれるすべての状況には、大切な意味があります。
それは、あなたの成長を実現するための意味なのです。
それを汲み取ることによって、あなたは目の前の状況から成長を実現することが出来るのです。
目の前の状況が気に入らないという理由で蔑(ないがし)ろにするのであれば、そこから成長を実現するためのヒントを手に入れることが出来ないのです。
成長を実現することが出来なければ、目的を果たすことが出来ないということなのです。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
人生を豊かに生きなければならないのです。
しかしながら、目の前の状況の意図を汲み取ることは、容易ではありません。
なぜなら、この世界には制限が設けられているからです。
すべての人は、制限によって支配されているのです。
制限とは、不自由のことです。
すべての人が、不自由を生きなければなりません。
人は、生まれてくる時に、本来の能力を制限せざるを得ないのです。
それは、この世界との調和を実現するためです。
残念ながら、この世界は未熟です。
あなたも、未熟に生まれるのです。
それは、より本質へと近付くためです。
それは、より理(ことわり)を理解するためなのです。
制限の中では、思うように動くことが出来ません。
あなたは、不自由に苦しむでしょう。
しかしながら、それは認識が歪んでいるためです。
成長を実現することによって、不自由に苦しむことはなくなります。
それは、不自由である制限が、成長を実現するために必要不可欠な要素であることを理解することが出来るからです。
あなたは、制限の設けられた思い通りにならない人生を楽しみましょう。
人生が思い通りに展開することを望んではなりません。
人生は、思い通りにならなくても良いのです。
大切なのは、熱意を失わずに生きることです。
あなたは、目の前の状況の中に目的を見出しましょう。
そうすれば、熱意を失わずに済むでしょう。
熱意によって、人生の目的を果たしましょう。

2019年3月10日日曜日

病人

すべての人は、未熟に生まれます。
この世界には、完成された人など存在しません。
すべての人は、未熟を生きているのです。
未熟さは、過(あやま)ちを引き起こします。
過ちは問題となり、問題は苦悩を実現するのです。
すべての人は、人生において苦悩を避けることは出来ません。
それは、苦悩が必要であるからです。
しかしながら、多くの人は苦悩を必要とは思いません。
多くの人にとって、苦悩は“目の上のたんこぶ”なのです。
多くの人は、苦悩を嫌います。
多くの人は、出来る限り苦悩は無い方が良いと考えているのです。
必要がなければ、苦悩が存在することはありません。
苦悩は、必要であるために存在しているのです。
それは、あなたにとっての必要なのです。
苦悩は、あなたを成長させるための抵抗です。
歩みを進めるためには、抵抗が必要です。
地面からの抵抗がなければ、歩みを進めることは出来ません。
何事においても、抵抗が存在することによって発展するということを理解しなければならないのです。
人生に苦悩が存在しなければ、何も考える必要はありません。
何の工夫も必要ではないのです。
人生に苦悩が存在しなければ、同じことを同じ方法で継続していれば良いのです。
そこには、安定が実現します。
しかしながら、その安定というものは、立ち止まっていることと同じです。
停滞しているからこそ、安定しているということなのです。
歩みを進めるのであれば、安定を得ることは出来ません。
安定を手放さなければ、歩みを進めることは出来ないのです。
歩みを進めるということは、安定を手放し、不安定な状態を得るということです。
不安定な状態には、何かしらの問題が生じます。
そして、何かしらの問題によって、心は乱れるのです。
それが苦悩なのです。
人は、苦悩を嫌います。
多くの人は、幸福な状態を追い求めているのです。
しかしながら、多くの人は幸福というものを誤解しています。
幸福とは、自分にとって都合の良い状態を得ることではありません。
自分にとって都合の悪い状態を得たとしても、そこから学びを得ることが出来る状態を幸福というのです。
立ち止まっていることよりも、歩みを進めている状態を幸福というのです。
安定を求めることによっては、幸福を実現することは出来ません。
真(まこと)の幸福を得るためには、不安定を得る覚悟が必要なのです。
すべての人が未熟です。
すべての人が、歪んでいるのです。
多くの人は、真の幸福を知りません。
多くの人は、偽りの幸福を幸福だと思い込んでいるのです。
しかしながら、いくら偽りの幸福を手に入れたとしても、満たされることはありません。
大切なのは、真の幸福を手に入れることなのです。
そのためには、誤解を手放さなければならないのです。
誤解によって、人は本質から遠ざかります。
あなたは、誤解という病を治さなければなりません。
病を治すのは、医者の役目ではありません。
それは、病人の役目なのです。
病人であるあなたは、自分自身の力によって、病を治さなければなりません。
しかしながら、病人は、医者からの助言を必要とするのです。
誤解とは、経験不足によって改善されることのない無知のことです。
人が誤解を手放すためには、経験を得なければならないのです。
経験を得ることによって、誤解を手放すことが出来るのです。
必要な経験は、人生が導きます。
未熟者であるあなたは、人生において過ちを犯さなければなりません。
あなたは問題と、問題によって引き起こされる苦悩を避けることは出来ないのです。
あなたは、医者である人生の助言を聞き入れましょう。
医者は、病人の病を治そうと努めています。
しかしながら、医者には病を治すことは出来ません。
病を治すことが出来るのは、病人自身なのです。
そのため、あなたは人生を前向きに捉(とら)えなければなりません。
病の意味を探(さぐ)り、理解を深めなければなりません。
理解の深まりによって、病は治るのです。
病が治らないのは、病に対する理解が浅いからです。
ただ、それだけのことです。
例えば、風邪を引いた時に、風邪を引いていることを理解すれば、病を治すことは難しいことではありません。
しかし、風邪を引いた時に、それが風邪と分からなければ、病を治すことは難しいのです。
あなたは、過ちと問題と苦悩から学びましょう。
それ等に向き合えば、良い解決方法が得られるでしょう。
過ちと問題と苦悩は、人生からの処方箋(しょほうせん)であるということを覚えておかなければなりません。
過ちと問題と苦悩を含(ふく)めて、人生を大切にしましょう。