あなたには、果たさなければならない目的があります。
あなたは、無駄に生きている訳ではありません。
ただ、生存を続けるために生きている訳ではないのです。
人生には、重要な意味が存在します。
その意味を得るために、目的を果たさなければならないのです。
ただ、生存を続けるだけでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすことが出来なければ、人生の意味を理解することも出来ないのです。
多くの人は、人生の目的を知りません。
多くの人は、自分の人生に目的が存在していることすら知らずに生きているのです。
多くの人は、人生の目的を知らないために、無気力な生存を続けます。
目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れて生きているのです。
多くの人は、人生に対して志(こころざし)を掲げません。
誰かや何かの指示に従い、果たさなければならない目的に背を向けながら生きているのです。
人生の目的を無視して生きることは、人生の豊かさを無視して生きることです。
人生に豊かさを必要とするのであれば、人生の目的を果たし、その意味を知らなければならないのです。
人生が何であり、自分が何をしているのか?を知らずに、どうして豊かさを得ることが出来るのでしょうか?
豊かさとは理解(知恵)のことであり、乏しさとは無知(不理解)のことなのです。
人生を理解することがなければ、人生に豊かさは実現しません。
あなたが豊かさを必要としているのであれば、そのことを知っておかなければならないでしょう。
人生を理解するためには、人生に対して興味を抱くことです。
人は、興味のあるものを知ろうと努めます。
そして、興味のあるものだけを理解することが出来るのです。
人生に対して興味を抱けば、多くの知識と経験を得ることが出来ます。
それは、志を生み出すのです。
志を掲げて生きることによって、知恵が働きます。
知恵は、あなたを人生の目的へと導くでしょう。
知恵によって、人は問題を乗り越えることが出来ます。
残念ながら、人生は気楽な道程(どうてい)ではありません。
目の前には、様々な問題が生じるのです。
あなたは、初めに自らの抱える快楽や欲望や苦悩と向き合わなければなりません。
それ等は、歩みの妨げとなる重荷なのです。
快楽や欲望や苦悩を抱えたままでは、道程を進むことは出来ません。
あなたは先ず、それ等の重荷を降ろさなければならないのです。
人生において重要なのは、その本質が意識にあることです。
真(まこと)の価値は、物質にはありません。
真の価値は、意識にあるということを理解しなければならないのです。
例えば、大切にしている物があるとしても、大切なのは、そこに宿る意識です。
その物に対する思い入れや思い出などに価値があるために、その物を大切に扱っているのです。
同じ形をしている物に対しては、同じ価値を見出しません。
同形の新品よりも、思い入れや思い出の詰まった古物(こぶつ)の方に価値を見出すのです。
それは、意識に価値があることを示しているのです。
この世の富には、強い魅力を覚えるかも知れません。
それは、自らの劣等感や不安を一時的に隠すことが出来るからです。
多くの人は、弱さ故(ゆえ)に快楽や欲望や苦悩に溺れてしまうのです。
大切なのは、意識に価値を見出すことです。
例えば、この世の富を多く集めたとしても、心に平穏は訪れません。
少ない中からでも、他者に与えるのであれば、心の平穏は訪れるのです。
物質が悪いということではありません。
物質よりも、意識に価値があるということなのです。
そのため、人生の目的は物質(この世の富)を集めることではありません。
意識を磨くことが目的なのです。
人生の目的は、自らの内に探さなければなりません。
自らの意識が磨かれることが最善なのです。
苦しみによって磨かれるのであれば、苦しみが最善です。
物質によって磨かれるのであれば、物質が最善です。
その時によって、必要は異なります。
しかしながら、弱さによって物質を集めるのであれば、人生の目的を果たすことは出来ません。
無気力に生きてはなりません。
快楽や欲望や苦悩に溺れて生きてはなりません。
志を以(もっ)て生きるのです。
知恵に導かれて生きましょう。
無気力や、目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れてはなりません。
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