すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人が、無知と愚かさを抱えて生まれてくるのです。
この世界において、完成されている人は存在しません。
どのような人物も、未熟であるということを理解しなければならないでしょう。
すべての人は、無知によって、愚行(ぐこう)を選択します。
この世界において、愚行を避けることの出来る人物は存在しません。
どのような人物であろうとも、愚行を選択します。
どのような人物も失敗するのです。
この世界には、失敗を経験することのない人は存在しないのです。
どのように努めても、人は失敗を選択しなければなりません。
この世界においては、失敗は避けられないのです。
人は、未熟であることが自然です。
無知であり、愚かであることが自然なのです。
未熟であることや、無知であること、そして、愚かであることは悪いことではありません。
誰もが未熟であり、無知であり、愚かであるのです。
それは、自然のことであり、悪いことではないのです。
どのように努めても、未熟や無知や愚かさを避けることは出来ません。
あなたは必ず、失敗を選択してしまうのです。
それは、仕方のないことです。
失敗は避けられず、後悔は雨のように降り注ぎます。
雨を避けることの出来る人はいません。
この世界において、雨は仕方のないことです。
多くの人は、雨を嫌います。
それは、鬱陶(うっとお)しいからです。
多くの人は、雨を煩(わずら)わしく思うのです。
しかしながら、雨とは、自然からの恵みです。
雨は、命そのものなのです。
感情的に見れば、雨は鬱陶しいものに過ぎません。
しかしながら、合理的に考えれば、雨は恵みなのです。
例えば、多くの人は、冬の積雪や夏の台風を嫌います。
しかしながら、それ等は大切な命を運ぶのです。
冬の積雪や夏の台風は、命の水をもたらすのです。
人生には、苦しみが存在します。
それは、雨のように避けられないものです。
あなたは、愚行によって必ず苦しみに会うのです。
自らの愚行によって導かれる苦しみもありますが、他者の愚行によって導かれる苦しみもあります。
しかしながら、あなたは失敗を責めることは出来ません。
なぜなら、あなたも他者と同じように失敗するからです。
あなたは、自らの失敗によって、誰かに迷惑を掛けるでしょう。
それは、誰かが失敗によって、あなたに迷惑を掛けることと同じなのです。
人は、持ちつ持たれつの関係です。
人は、互いに支え合っているのです。
あなたは、どのように気を付けていても失敗します。
それは、他者も同じなのです。
失敗は避けられません。
あなたは、失敗を許さなければならないのです。
それは、あなたも許されたからです。
あなたはこれまでに、多くの愚行を働き、多くの失敗を重ね、多くの人に、多くの迷惑を掛けてきました。
しかしながら、多くの人は、そのことを忘れています。
多くの人は、自分のことは棚(たな)に上げて、他者を責めます。
しかしながら、冷静に振り返ってみれば、あなたも同じように迷惑を掛けたのです。
時が異なるだけです。
現状において迷惑を掛けていないと(思っていても)しても、いつ迷惑を掛けるか分かりません。
あなたも、他者と同じく未熟であるのです。
この世界において、未熟を避けることの出来る人はいません。
無知を、愚行を、失敗を避けることの出来る人など存在しないのです。
この世界には、愚かさが存在しても良いのです。
この世界は、不完全です。
この世界は、歪んでいるのです。
それが、自然なのです。
完全を求めてはなりません。
それは、不自然だからです。
不完全を愛しましょう。
不完全を愛しましょう。
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