人生には、果たさなければならない目的があります。
あなたには、果たさなければならない目的が与えられているのです。
すべての人は、目的を果たすために生きています。
しかしながら、そのことを理解している人は稀(まれ)です。
多くの人は、自分が担(にな)っている人生の目的を知りません。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)りながら生きているのです。
そして、幸福という”偏見”を夢見ているのです。
多くの人が追い求める幸福というものは、思考の偏(かたよ)りに過ぎません。
思考の偏りによって、人はいつどこでも幸福を得ることが出来るのです。
幸福を得ることは簡単です。
偏見を信じれば良いだけです。
幸福は、思考の中に、自分勝手に創造することが出来るのです。
幸福とは、幻想に過ぎないのです。
そのようなものが人生の目的であるはずがありません。
幸福は、些細(ささい)な切っ掛けで創造され、些細な切っ掛けで崩壊します。
そのような不安定なものに価値を見出してはならないのです。
人生の目的というものは、幸福であろうと不幸であろうと関係なくそこに存在しています。
幸福であろうと不幸であろうと、人生の目的を果たすことは出来るのです。
人生の目的を果たすことに、幸福も不幸も関係ありません。
幸福であろうと不幸であろうと、あなたは人生の目的を果たさなければならないのです。
多くの人は、人生の価値を幸福か不幸かで判断します。
しかしながら、そのような価値基準によって人生を判断してはなりません。
例えば、多くの人は、健康であることを人生の価値だと考えます。
多くの人は、財産を蓄えることを人生の価値だと考えます。
多くの人は、愛する人と共に生きることを人生の価値だと考えます。
多くの人は、安定(平和や安心)していることを人生の価値だと考えるのです。
しかしながら、それ等は理想に過ぎず、現実には存在しません。
多くの人は病を与えられ、貧困に喘(あえ)ぎ、憎み合い、不安定な人生を生きているのです。
それは、不幸なのでしょうか?
病から、貧困から、憎しみから、不安定から得られるものはないのでしょうか?
この世界には、必要だけが実現します。
それが、どのような状況であったとしても、あなたにとっては必要なものなのです。
あなたは、目の前に導かれるすべての状況から、必要な学びを得なければならないのです。
この世界には、無駄は存在しません。
無意味も無価値も存在しないのです。
すべてが必要であり、最善であるということを理解しなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、学ばなければなりません。
学ぶことがなければ、人生の目的を見出すことも出来ず、それを果たすことも出来ません。
あなたが否定しようとも、学ばなければなりません。
なぜなら、これはあなたが自分で決めたことだからです。
人は、動機を見失うものです。
誰も、初めの気持ちを覚えてはいません。
何を続けても、気持ちは変わっているものなのです。
あなたが人生を始めた時(始める前)と現状では、気持ちが変わっています。
あなたは、学ぶために人生を始めたのです。
必要を学び、人生の目的を果たすために生まれたのです。
そのことを思い出さなければなりません。
学びを避けることは出来ません。
あなたは、必要を学び続けなければならないのです。
学び終えるまで、学びは続きます。
苦しみを学ばなければならないのであれば、苦しみ続けなければなりません。
喜びを学ばなければならないのであれば、喜び続けなければならないのです。
そのように、学びは続くのです。
幸福や不幸などの思考の状態に執着(しゅうちゃく)することなく、人生について考えましょう。
人生の目的のために必要ならば、幸福にでも不幸にでもなりましょう。
人生の目的を果たすことがない限り、人生は決して豊かさを実現しません。
満足は、人生の目的を果たす時に実現するのです。
人生の価値を見誤ってはなりません。
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