すべての人は、目的を以(もっ)て生まれました。
この世界において、目的もなく生まれる者はいません。
どのような人物であろうとも、この世界に必要であるからこそ生まれて来たのです。
この世界に必要でなければ、生まれて来ることはないのです。
すべての人は、この世界における必要な役割です。
人は、それぞれの目的を果たすことによって、この世界における役割を果たすことが出来るのです。
目的を果たし、役割を果たすことによって、自らの世界に対する必要を満たすことが出来ます。
必要として生まれたあなたは、必要な役割を果たさなければならないのです。
しかしながら、必要な役割を果たすことは容易ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、それを知らなければならないからです。
あなたが人生の目的を果たし、この世界において必要な役割を果たすためには、自分というものを知らなければなりません。
自分というものを理解することがなければ、人生の目的や必要な役割を果たすことは出来ないのです。
分からないことを果たすことなど出来ません。
知らないことを実現することなど出来ないのです。
自分が何であるのか?ということを理解することによって、人生の目的や、この世界にとって必要な役割を果たすことが出来るのです。
自分が何であるのか?という問いに対する答えが間違っているのであれば、人生の目的や必要な役割に対するアプローチは、同じように間違ったものになってしまうのです。
大切なのは、自分というものを理解することです。
自分に対する理解が深まらなければ、人生の目的や必要な役割を果たすことは出来ません。
自分というものは、あなたの正しい理解によって正しく機能するのです。
理解が及ばなければ、自分というものは機能しません。
正しく機能しているように思えても、誤作動を引き起こしているのです。
自分とは何ですか?
残念ながら、多くの人が自分が何であるか?を知りません。
自分が何であるのか?という問いに向き合ったことのない者ばかりなのです。
多くの人は、自分が何であるのか?ということを考えません。
多くの人が考えているのは、利己的なことです。
どうすれば、より利益が得られるか?
どうすれば、より損失を減らすことが出来るのか?
多くの人は、このようなことを考えているのです。
残念ながら、損得を勘定したところで何にもなりません。
なぜなら、あなたの考えている自分は、自分ではないからです。
人は、独りでは生きていくことが出来ません。
人は、他者と手を取り合って生きていかなければなりません。
独りで支えるには、世界は大き過ぎるのです。
そして、独りで支えるには、世界は重過ぎるのです。
あなたには、独りで世界を支えることは出来ません。
世界を支えるためには、他者と協力しなければならないのです。
他者と協力するためには、自分と他者を区別しなければなりません。
自分と他者を区別することがなければ、必要な役割を果たすことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人が自分というものを見失っています。
多くの人には、自分が何であるのか?ということが分からないのです。
多くの人は、自分という存在を歪めています。
多くの人は、他者によって作り出された自分という虚像を自分だと思い込んでいるのです。
残念ながら、自分という存在は、自分にしか理解することが出来ません。
他者には、自分という存在を理解することは出来ないのです。
人は、憶測によって虚像を生み出します。
残念ながら、虚像によっては、役割を果たすことは出来ないのです。
大切なのは、実像を見極めることです。
実像によって人生を生きることが求められるのです。
あなたが他者を正しく理解することが出来ないように、他者にも、あなたを正しく理解することが出来ません。
誰も、他者を知らないのです。
批判されることは、多くの人にとっての苦しみです。
しかしながら、その批判には根拠が存在しません。
すべての人が、憶測によって批判しているに過ぎないのです。
すべての人が未熟に生まれます。
それは、誰もが間違いを犯すということを意味しています。
あなたは、批判されることを恐れてはなりません。
残念ながら、批判を避けることは不可能です。
何をやっても、必ず批判を受けるのです。
人生は、思い通りに展開しなくても良いのです。
誰もが自分に対する認識を誤っているのです。
間違えているのに、正しいと思い込んでいるだけなのです。
許しましょう。
そうすれば、許されるでしょう。
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