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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年3月3日日曜日

小さな世界

すべての人は、人生において学んでいます。
あなたは、学び続けているのです。
すべての状況が、あなたにとっての学びです。
それは、自分自身を理解するための学びであり、この世界の理(ことわり)である真(まこと)を理解するための学びなのです。
あなたは、どのような経験を通じても学ぶことが出来ます。
人生が、学びを無視することはないのです。
あなたは、人生におけるすべてが学びであるということを理解しなければなりません。
学びには、意味が存在しています。
それは、価値のあるものなのです。
しかしながら、多くの人は、学びの意味や価値に気が付きません。
多くの人は、意味や価値の無い状況や経験が存在すると信じているのです。
それは、不満や悲観として現れます。
多くの人が、目の前の状況に対して、不満や悲観を選択します。
それは、自分にとって都合の悪い状況や経験なのですが、そのようなものに対しては、意味や価値を見出せずにいるのです。
残念ながら、人生においては、意味や価値の無い状況や経験というものは存在しません。
そのように思う歪んだ認識があるだけなのです。
多くの人は、歪んだ認識と共に生きています。
真を認識している人はいないのです。
すべての人が、偏見と誤解を抱えて生きているのです。
そのため、すべての人が不満や悲観を選択し、苦しむのです。
多くの人にとって、人生は苦しいのです。
それは、真を認識してはいないからです。
真を認識すれば、人生に苦しみは無くなります。
真を認識すれば、苦しみと信じていたものも、意味や価値のある学びとなるのです。
残念ながら、人は狭い視野を生きています。
それは、主観という小さな世界なのです。
多くの人は、主観という小さな世界に生きています。
主観という小さな世界の中では、大抵のものが歪んで映ります。
正しく見ようと努めても、歪んで見えてしまうのです。
そのため、主観にどれだけ頼っても、真を見極めることは出来ないのです。
大切なのは、主観に頼り切らないことです。
すべての人は、未熟に生まれたのです。
未熟者の認識は確実に歪んでいるのです。
そのため、あなたの主観では、真を見極めることが出来ないのです。
目の見えない者がものを見るためには、目の見える者に教えてもらわなければなりません。
盲人(もうじん)は、自力では目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
自分では見えないものも、他者には見えたりします。
主観では認識することが出来ないものも、客観では認識することが出来る可能性があるのです。
自分では気が付かないことも、他者によって気付かされることがあります。
主観(自分)を信用してはなりません。
もちろん、客観(他者)を信用してもなりません。
しかしながら、主観を信用し、客観も信用しなければならないのです。
大切なのは、主観と客観の両方を疑い、また信用することなのです。
中立であれば、真を見極めることが出来ます。
真は、偏りによって見失うのです。
あなたは、主観にも、客観にも執着してはなりません。
広い視野で世界を認識するように努めるのです。
残念ながら、人生は思い通りにはなりません。
人生には、思い取りにならない状況や経験ばかりが導かれるでしょう。
それは、あなたにとっては都合の悪いことです。
しかしながら、それで良いのです。
主観と客観を通じて人生を認識すれば、そこに意味や価値が存在することを理解することが出来るのです。
広い視野で、大きな世界を生きるのです。
自分の都合で人生を考えることがなければ、人生は、最高の学びの場所となるでしょう。
どのような経験にも大切な意味と価値があります。
それを無駄にしてはなりません。

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