すべての人は、未熟に生まれます。
この世界には、完成された人など存在しません。
すべての人は、未熟を生きているのです。
未熟さは、過(あやま)ちを引き起こします。
過ちは問題となり、問題は苦悩を実現するのです。
すべての人は、人生において苦悩を避けることは出来ません。
それは、苦悩が必要であるからです。
しかしながら、多くの人は苦悩を必要とは思いません。
多くの人にとって、苦悩は“目の上のたんこぶ”なのです。
多くの人は、苦悩を嫌います。
多くの人は、出来る限り苦悩は無い方が良いと考えているのです。
必要がなければ、苦悩が存在することはありません。
苦悩は、必要であるために存在しているのです。
それは、あなたにとっての必要なのです。
苦悩は、あなたを成長させるための抵抗です。
歩みを進めるためには、抵抗が必要です。
地面からの抵抗がなければ、歩みを進めることは出来ません。
何事においても、抵抗が存在することによって発展するということを理解しなければならないのです。
人生に苦悩が存在しなければ、何も考える必要はありません。
何の工夫も必要ではないのです。
人生に苦悩が存在しなければ、同じことを同じ方法で継続していれば良いのです。
そこには、安定が実現します。
しかしながら、その安定というものは、立ち止まっていることと同じです。
停滞しているからこそ、安定しているということなのです。
歩みを進めるのであれば、安定を得ることは出来ません。
安定を手放さなければ、歩みを進めることは出来ないのです。
歩みを進めるということは、安定を手放し、不安定な状態を得るということです。
不安定な状態には、何かしらの問題が生じます。
そして、何かしらの問題によって、心は乱れるのです。
それが苦悩なのです。
人は、苦悩を嫌います。
多くの人は、幸福な状態を追い求めているのです。
しかしながら、多くの人は幸福というものを誤解しています。
幸福とは、自分にとって都合の良い状態を得ることではありません。
自分にとって都合の悪い状態を得たとしても、そこから学びを得ることが出来る状態を幸福というのです。
立ち止まっていることよりも、歩みを進めている状態を幸福というのです。
安定を求めることによっては、幸福を実現することは出来ません。
真(まこと)の幸福を得るためには、不安定を得る覚悟が必要なのです。
すべての人が未熟です。
すべての人が、歪んでいるのです。
多くの人は、真の幸福を知りません。
多くの人は、偽りの幸福を幸福だと思い込んでいるのです。
しかしながら、いくら偽りの幸福を手に入れたとしても、満たされることはありません。
大切なのは、真の幸福を手に入れることなのです。
そのためには、誤解を手放さなければならないのです。
誤解によって、人は本質から遠ざかります。
あなたは、誤解という病を治さなければなりません。
病を治すのは、医者の役目ではありません。
それは、病人の役目なのです。
病人であるあなたは、自分自身の力によって、病を治さなければなりません。
病人であるあなたは、自分自身の力によって、病を治さなければなりません。
しかしながら、病人は、医者からの助言を必要とするのです。
誤解とは、経験不足によって改善されることのない無知のことです。
人が誤解を手放すためには、経験を得なければならないのです。
経験を得ることによって、誤解を手放すことが出来るのです。
必要な経験は、人生が導きます。
未熟者であるあなたは、人生において過ちを犯さなければなりません。
あなたは問題と、問題によって引き起こされる苦悩を避けることは出来ないのです。
あなたは、医者である人生の助言を聞き入れましょう。
医者は、病人の病を治そうと努めています。
しかしながら、医者には病を治すことは出来ません。
病を治すことが出来るのは、病人自身なのです。
そのため、あなたは人生を前向きに捉(とら)えなければなりません。
病の意味を探(さぐ)り、理解を深めなければなりません。
理解の深まりによって、病は治るのです。
病が治らないのは、病に対する理解が浅いからです。
ただ、それだけのことです。
例えば、風邪を引いた時に、風邪を引いていることを理解すれば、病を治すことは難しいことではありません。
しかし、風邪を引いた時に、それが風邪と分からなければ、病を治すことは難しいのです。
あなたは、過ちと問題と苦悩から学びましょう。
それ等に向き合えば、良い解決方法が得られるでしょう。
過ちと問題と苦悩は、人生からの処方箋(しょほうせん)であるということを覚えておかなければなりません。
過ちと問題と苦悩を含(ふく)めて、人生を大切にしましょう。
過ちと問題と苦悩を含(ふく)めて、人生を大切にしましょう。
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