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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年5月31日金曜日

仕方のないこと

人は、人生において必要を受け取ります。
すべての人は、人生において必要を受け取らなければならないのです。
人生においては、不要を受け取ることは出来ません。
どれだけ尽力しても、不要を実現することは出来ないのです。
しかしながら、不要に思えることはあります。
それは、人が未熟に生まれるからです。
人は、未熟に生まれるために、無知を生きなければなりません。
無知は偏見を生み出し、偏見は誤解に辿り着きます。
人生には、必要のみが実現しますが、多くの人は、誤解によってそれを不要と思い込んでしまうのです。
必要を不要と思い込むことは、問題を引き起こします。
問題は、苦悩を実現するのです。
そのため、すべての人が、人生において問題を抱えます。
そして、苦悩を体験することになるのです。
多くの人は、問題や苦悩を嫌います。
多くの人は、問題や苦悩を悪いものと思っているのです。
残念ながら、それは誤解です。
問題や苦悩も、必要があって人生に実現します。
この人生には、不要は存在することが出来ないのです。
問題や苦悩が導かれるのは、あなたが誤解を抱えているからです。
問題や苦悩は、あなたの誤解を解くために導かれているのです。
人は、問題や苦悩を通じて、不要に思えることが、自分にとっての必要であるという事実を知る必要があるのです。
不要を必要と理解することが出来れば、あなたは必要を受け取ることが出来ます。
必要を受け取ることによって、あなたは必要な学びを得ることが出来るのです。
人生の目的は成長を実現することです。
あなたは、人生において、成長することを目的として生きているのです。
それは、人格や魂の成長です。
必要を受け取ることによって、あなたは人格や魂を磨き、それを高めることが出来るのです。
必要を受け取ることがなければ、人格や魂を磨くことは出来ません。
人生は、人格や魂を磨くための場所であり、時間なのです。
必要を受け取れば、それを実現することが出来るのです。
人生において大切なのは、必要を受け取ることです。
必要を不要として拒絶することは、問題や苦悩を引き起こし、人生に乏しさを実現してしまうのです。
あなたは、人生を乏しく生きる必要はありません。
人生は、豊かに生きれば良いのです。
人生を豊かに生きるためには、必要を受け取ることです。
不要に思えるものに対しても意味を探し、それを学ぶことが出来るように自分自身の考え方や価値観に柔軟さを与えるのです。
不要に思えるものを受け入れることは容易(ようい)ではありません。
それは、誰もが困難に感じる課題なのです。
困難な課題であっても、それと向き合い続けるのであれば、少しずつ慣(な)れ、やがては習熟(しゅうじゅく)します。
習熟した時には、それを不要とは考えないのです。
不要に思えるものであっても、成長した暁(あかつき)には、それを必要と認めています。
過去を振り返って考えれば、不要は存在しないということを理解することが出来るでしょう。
すべてが必要であり、すべてが最善であったと理解することが出来るはずです。
人生には、仕方のないことばかりです。
必要が実現するのは仕方のないことなのです。
不要に思えることも、仕方のないことです。
どれだけ否定しようとも、いつかはそれを受け入れなければならないのです。
問題や苦悩から逃れ続けることは出来ません。
いつかは疲れ果ててしまうのです。
人生に実現したことは、仕方のないことだと諦(あきら)めましょう。
必要を拒絶することは出来ないのです。
それは、あなたが人生に生まれた意味だからです。
人生の意味を考えなければなりません。
問題や苦悩が人生を乏しくするのではありません。
問題や苦悩から逃れ続ける価値観や考え方が、人生を乏しくしているのです。

2019年5月30日木曜日

確実な歩み

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは、人生における宿命です。
あなたは、どのような理由を以てしても、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことによって、人生は豊かさを実現します。
人生の目的を果たすことなく、人生に豊かさは実現しないのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生には空しさが止(とど)まります。
人生に対する空しさは、やがて乏(とぼ)しさを実現するのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を果たすことが出来ません。
それは、多くの人が、人生の目的を考えずに生きるからです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることや、自身の抱える問題や苦悩から逃れるために生きているのです。
多くの人は、そのようなことに精一杯であり、人生の目的を考えることが出来ないのです。
精神的な余裕を生きる人であっても、一時の安定や安心を楽しんでいるに過ぎません。
自分が何であり、何のために生まれたのか?
人生が何であるのか?ということは、考えずに生きるのです。
大切なのは、自分が何であるのか?ということを考えることです。
そして、人生が何であるのか?ということを考えることなのです。
自分が何であり、人生が何であり、自分が何をしなければならないのか?ということを考えなければ、何を得て、何を失っても人生は空しいのです。
あなたは、人生を空しく、乏しく生きるために生まれたのではないのです。
あなたは、人生を豊かに生きるために生まれたのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、人生の目的地を見極めなければなりません。
目的地を見極めることが出来なければ、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
大切なのは、目的地を見極めることです。
闇雲(やみくも)に歩を進めたとしても、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
目的地へと辿り着くことがなければ、目的を果たすことも出来ません。
人生は、焦っても仕方がないのです。
目的地を見極めずに歩んでも、目的地からは遠ざかってしまいます。
それは、とても疲れることなのです。
それは、問題を引き起こします。
それは、苦悩を引き起こすのです。
焦らずに、目的地を見極めることに時間と労力を費やすのです。
目的地を見極めることが出来れば、その歩みは確実なものになります。
歩みが確実であれば、歩み始めることや、歩み自体が遅くても、目的地へと辿り着くのは先になるのです。
歩みが不確実であれば、歩み始めることや、歩み自体が早くても、目的地へと辿り着くのは後になるのです。
人生においては、先に出て後になる者もあれば、後に出て先になる者があるのです。
大切なのは、目的地へと確実に辿り着くことなのです。
人生に遭難(そうなん)してはならないのです。
あなたは、人生を焦る必要はありません。
自分や人生について、落ち着いて考えましょう。
人は、歩めるようにしか歩めません。
人の歩みは、早くも遅くも出来ないのです。
確実に歩むことです。
一歩一歩が確実な歩みであれば、あなたは確実に目的地へと辿り着くことが出来るのです。
生き急いでも仕方がないのです。
快楽や欲望を貪ることや、自身の抱える問題や苦悩から逃れることは、人生の目的ではないのです。
人生が、そのように低俗(ていぞく)なものであるはずがないのです。
焦ったところで、人生の目的を果たすことは出来ません。
他者と自分を比べるのはやめましょう。
他者の人生と、自分の人生を比べる必要はないのです。
他者には他者の目的が存在し、あなたにはあなたの目的が存在しているのです。
人は、それぞれの目的地へと辿り着かなければならないのです。
あなたは、自分という存在で、自分の人生を歩みましょう。
焦らずに、確実に歩めば良いのです。

2019年5月29日水曜日

弱さの体験

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、無知を所有しています。
すべての人は、未熟と無知によって、愚(おろ)かさを生きなければならないのです。
すべての人が、愚行(ぐこう)を避けることが出来ません。
すべての人は、愚行によって人生を歪めてしまうのです。
人生には、果たすべき目的が存在しています。
すべての人が、果たすべき目的を所有しているのです。
あなたは、自分の目的を果たさなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、愚行がそれを邪魔するからです。
人生の目的は、愚行によって阻(はば)まれます。
誰かや何かが、人生の目的を阻んでいる訳ではないのです。
人生の目的を果たすのも自分ですが、それを阻むのも自分なのです。
大切なのは、自らの愚かさを手放して、人生の目的を果たすことです。
人生の目的を果たすためには、自らの愚かさを手放さなければなりません。
それは、無知や未熟を克服するということなのです。
自らの未熟、無知、愚かさを手放さない限りは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすことは、人生に豊かさを実現します。
人生の目的を果たすことは、真(まこと)の満足を実現するのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生の豊かさと真の満足を得ることは出来ません。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることで、人生に豊かさと幸福を実現しようと試みています。
しかしながら、目の前の快楽や欲望を貪ったところで、実現するのは空しさだけなのです。
何を得て、何を失っても、人生の目的を果たすことがなければ、空しさが実現するということを理解しなければなりません。
多くの人は、空しさを誤魔化(ごまか)しています。
目の前の快楽や欲望を貪ることや、忙しさや苦悩によって、空しさを覆い隠しているのです。
空しさを隠したところで、それが消滅する訳ではありません。
空しさは、屍(しかばね)の様に腐敗(ふはい)するのです。
それは、覆い隠したとしても、悪臭を放ちます。
人は、それに耐(た)えることが出来ないのです。
空しさは、必ず襲います。
それは、形を変えて襲うのです。
あなたは、それを避けることは出来ません。
あなたは、空しさと向き合わなければならないのです。
それは、乗り越えなければならない壁です。
空しさと向き合った時、あなたは、自分の弱さを体験します。
すべての人(未熟者)にとっては、すべてが空しいのです。
多くの人は、空しさに気が付いていないか、気が付かない振りをしているのです。
残念ながら、人生は何をしても空しいということを理解しなければなりません。
それは、あなたが未熟であるからです。
しかしながら、いつまでも空しさが続く訳ではありません。
なぜなら、あなたは空しさを手放すことが出来るからです。
空しさは、自分の弱さです。
自分の弱さを認めることによって、それを受け入れることが出来るのです。
弱さを受け入れるのであれば、弱さを克服することが出来るのです。
弱さを克服することによって、空しさを手放すことが出来ます。
空しさを手放すことによって、人生の目的の実現へと近付くことが出来るのです。
あなたは、人生において、自分の弱さを体験します。
それは、とても辛いことですが、向き合わなければなりません。
すべての人が、自分の弱さ、愚かさ、無知、未熟と向き合うことを恐れます。
しかしながら、人生の目的を果たすためには、避けては通れないことなのです。
人生は、決して幸福なものではありません。
誰にでも、苦労があります。
誰にでも、苦悩があるのです。
気楽な人生など存在しません。
人生には、果たさなければならない目的が存在しているのです。
人生に目的が存在しないのであれば、気楽な人生も存在するでしょう。
しかしながら、無意味に生まれた人は存在しないのです。
あなたは、自分の弱さを体験しましょう。
そして、一つずつ、少しずつ、それを乗り越えていきましょう。

2019年5月28日火曜日

努力の意味

すべての人生には、果たさなければならない目的が存在しています。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれるのです。
人は、それぞれの目的を果たすために生きています。
あなたは、自分の目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、すべての人は人生の目的を見失います。
すべての人は、自分の果たすべき目的を忘れてしまうのです。
すべての人が、暗闇の中を歩んでいます。
すべての人が、暗中(あんちゅう)を模索(もさく)しているのです。
誰もが、自分が果たすべき人生の目的を探しています。
すべての人が、人生に目的を欲しているのです。
人生に目的を見出さないことは不幸です。
人は、目的も無く生きることは出来ないのです。
心は、目的によって充実するのです。
目的が存在しなければ、心は空しさを得るのです。
それは、とても辛いことなのです。
すべての人が、目的を見失います。
すべての人が、人生を空しさから始めなければならないのです。
人生の空しさから抜け出すためには、果たすべき目的を見出す必要があります。
しかしながら、果たすべき目的を思い出すことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、それを忘れているからです。
果たすべき目的を思い出すためには、自分自身の深くにアクセスする必要があります。
果たすべき目的の記憶は、自分自身の深くに存在しているのです。
しかしながら、多くの人は、自分自身の浅い部分を利用して生きています。
多くの人は、感情や思考を利用して人生を選択しているのです。
自分の深くにアクセスしなければ、果たすべき目的を思い出すことは出来ません。
あなたが、自分の深くにアクセスするためには、自分と向き合う必要があります。
自分と向き合うことによって、あなたは自分の深くに辿り着くことが出来るのです。
自分と向き合うためには、努力をすることです。
ただ、それだけのことなのです。
人は、努力によって自分と向き合います。
人は、努力によって自分を掘り下げることが出来るのです。
何かに対して努力した分だけ、あなたは、自分を知ることが出来ます。
何かに対して努力した分だけ、あなたは、自分の目的に近付くことが出来るのです。
あなたは、何かに対して努力しなければなりません。
しかしながら、努力しても叶わないこともあるのです。
努力をしたとしても、思い通りの結果を得られないことばかりなのです。
人生には、努力しても叶わないことがあります。
努力しても、どうすることも出来ないことがあるのです。
あなたは、その事実を受け入れなければなりません。
しかしながら、人生には、無駄は存在しません。
人生には、必要だけが存在を許(ゆる)されるのです。
必要のないことは実現しません。
どのように努力しても、必要でなければ実現する必要もないのです。
しかしながら、あなたは様々なことに対して努力しなければなりません。
努力の成果を得ることが、努力の意味ではありません。
人生を、思い通りにすることが、人生の目的ではないのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在しています。
しかしながら、それが何であるのか?分からないのです。
何が必要であり、何が不要であるか?あなたには分からないのです。
あなたは、様々なことに対する努力を通じて、果たさなければならない目的を思い出す必要があるのです。
この世界には、無駄は存在しません。
努力したところで、思い通りの結果を導くことは出来ないかも知れません。
しかしながら、それは、決して無駄にはなりません。
何かを完成させるためには、様々な部品が必要なのです。
中には、無意味に思えるような部品も存在するのです。
しかしながら、その部品は必要な機能を果たすために存在しているということを理解しなければならないのです。
人生には、果たさなければならない目的が存在しています。
様々なことに対する努力を通じて、果たすべき目的を思い出しましょう。
努力の意味を見失ってはなりません。

2019年5月27日月曜日

それぞれの必要

すべての人は、必要を必要とします。
すべての人は、必要を受け取らなければなりません。
人は、必要を受け取ることによって、必要を実現するのです。
必要とは、成長のための糧(かて)です。
必要を受け取らなければ、人は成長を実現することが出来ません。
成長を実現することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことは重要です。
なぜなら、そのための人生だからです。
人生の目的を無視して生きることには価値がないのです。
人生を意義あるものにするためには、人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
人生の目的を無視すれば、人生に意義を見出すことは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、必要によって成長する必要があります。
必要を受け取り続けることをしなければ、人生の目的を果たすことは出来ないということを理解しなければならないのです。
すべての人は、常に必要を受け取ることが許(ゆる)されています。
あなたは、いつでも必要を受け取ることが出来るのです。
しかしながら、人生は強制的にあなたに必要を経験させることは出来ません。
人生が、あなたの意思を無視することはないのです。
人生は、あなたに任(まか)されています。
あなたは、人生を選ぶことが出来るのです。
それは、必要を受け取るか、それを拒否(きょひ)するか?という選択です。
あなたは、必要を受け取ることも出来ますが、それを拒否することも出来るのです。
あなたは、自分で選ばなければなりません。
すべての人は、未熟に生まれます。
そのために、すべての人は無知を生きなければならないのです。
それは、誤解を抱えるということです。
すべての人の認識は歪んでいます。
人は、必要を見極めることが出来ないのです。
必要は、様々な形であなたに訪(おとず)れます。
しかしながら、あなたはそれに気が付きません。
多くの人は、必要を不要と判断し、不要を必要と思い込むのです。
それは、未熟さ故(ゆえ)に認識が歪んでいるからです。
それは、未熟さ故に理解が及(およ)ばないのです。
必要は、自分にとって都合の良い形で導かれることもあります。
しかしながら、自分にとって都合の悪い形で導かれることもあるのです。
嬉しいことばかりが必要ではありません。
苦しいことも、必要であるのです。
どのような形にしても、人は必要を受け取らなければなりません。
すべての人は、必要を必要としています。
誰一人として、必要を不要とはしていません。
すべての人が、必要を求めているのです。
人生は、すべての人に必要を導きます。
しかしながら、人にはそれが分からないのです。
あなたにとっての必要と、他者にとっての必要は異なります。
それは、人それぞれに学びが異なるからです。
それは、必要が異なることを意味しているのです。
人は、それぞれの必要を受け取る必要があります。
他者にとっての必要は、あなたにとっての不要である可能性があるのです。
あなたにとっての必要が、他者にとっての不要である可能性もあるのです。
人には、それぞれの必要が存在するのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
必要は、人それぞれに異なります。
あなたは、それぞれの必要を見極めなければならないのです。
多くの人は、自分の必要と他者の必要を混同して考えています。
あなたにとっての不要も、その人にとっては必要であるかも知れません。
あなたにとっての必要は、その人にとっては不要であるかも知れないのです。
そのため、他者にとっての必要や不要を自分勝手に判断しようとしてはなりません。
あなたには、他者にとっての必要や不要を判断することは出来ないのです。
あなたは、自分勝手に他者の必要を取り上げてはなりません。
それは、その人にとっての必要であるかも知れないのです。
何が必要であるか?それは、誰にも分かりません。
不要に思えることが必要であり、必要であることが不要であったりするのです。
必要や不要に対する判断を見送りましょう。
それは、容易(ようい)に判断することが出来るようなものではないのです。

2019年5月26日日曜日

険しい道

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人が、無知によって、愚(おろ)かに生きているのです。
それは、仕方のないことです。
すべての人は、愚行(ぐこう)を選択しなければならないのです。
それは、人生の目的を果たすためです。
残念ながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
どのような人物の、どのような人生の目的も、それを果たすことは難しいのです。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、志(こころざし)が必要だからです。
志とは、揺るぎない決意のことです。
人が人生の目的を果たすためには、何としても人生の目的を果たすという志を必要とするのです。
志がなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
多くの人は、志を失っています。
多くの人には、何としても人生の目的を果たすという揺るぎない決意は見られないのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることに尽力しています。
当然のことながら、目の前の快楽や欲望を貪ることは、人生の目的ではありません。
なぜなら、目の前の快楽や欲望を貪ることは、容易なことだからです。
誰もが、目の前の快楽や欲望を貪ることが出来るのです。
そのように容易なことが、人生の目的であるはずがないのです。
人生の目的というものは、生涯を通じて向き合わなければならない課題のことです。
人生の目的は、目の前の快楽や欲望を貪るという容易に実現するようなものではないのです。
人生の目的とは、簡単には報(むく)われないものです。
人生の目的を果たすことは、誰もが挫折(ざせつ)を経験するのです。
思い通りになることが、人生の目的であるはずがありません。
人生の目的を果たすためには、思い通りにならない道を進む必要があるのです。
多くの人は、思い通りになることや、理想が実現することが最善と考えます。
そのため、思い通りにならないことや、理想が実現しないことに不満を抱くのです。
多くの人は、不平不満を抱きます。
それは、人生があなたの期待を裏切るからです。
すべての人は未熟です。
すべての人は、無知によって、愚行を選択しなければならないのです。
多くの人は、愚行によって人を羨(うらや)みます。
多くの人は、愚行によって人を蔑(さげす)みます。
多くの人は、愚行によって人に腹を立てます。
多くの人は、愚行によって人と争うのです。
多くの人は、人生が思い通りにいかないことを、誰かや何かのせいにしているのです。
しかしながら、人生は、誰かや何かによって決まるものではありません。
人生は、自分自身によって決まるものなのです。
あなたは、人を気にしている暇(ひま)はないのです。
人を羨む暇はありません。
人を蔑む暇はありません。
人に腹を立てる暇はありません。
人と争う暇はないのです。
人生の目的は、そのような程度のものではないのです。
人生の目的を果たすためには、人を気にしている場合ではないのです。
あなたは、自分自身と向き合わなければなりません。
思い通りにならない人生と向き合わなければならないのです。
人生の目的を果たす道程(どうてい)は、決してなだらかなものではありません。
人生の目的を果たす道程は、あなたにとって険しい道なのです。
あなたは、自分にとって険しい道を選択しましょう。
志がなければ、自分にとって険しい道を選択することは出来ません。
志の無い者は、楽な道を選択することになります。
多くの人には、楽な道の方が良いように思えます。
しかしながら、あなたが人生の目的を果たしたいと思うのであれば、険しい道を行かなければなりません。
目の前の快楽や欲望を貪るような楽な道によって、志が試されているのです。
あなたは、志を保ちましょう。
目の前の快楽や欲望の誘惑(ゆうわく)に陥(おちい)ることなく、志を保つのです。
あなたは、人生には果たさなければならない目的が存在することを理解しなければなりません。
何としても人生の目的を果たすという志を保たなければなりません。

2019年5月25日土曜日

空しい幸福

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
誰一人として、目的も無く生まれることはないのです。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
すべての人は、目的を果たすために生まれたのです。
大切なのは、目的に気付くことです。
目的に気が付くことがなければ、目的を果たすことは出来ないのです。
多くの人は、目的に気が付かずに生きています。
人生が何であるか?を知らずに生きているのです。
すべての人は、目的を以て生まれますが、その目的が何であるか?を知らなければ、人生が何であるか?ということは分からないのです。
あなたは、人生の目的を探さなければなりません。
人生の目的を探し、それに気が付かなければならないのです。
人生の目的に気が付かずに生きることは空しいのです。
残念ながら、多くの人が人生の目的に気が付かずに生きています。
それは、多くの人が、空しく生きているということなのです。
あなたは、人生の目的に気が付いていますか?
自分が何を果たさなければならないのか?知っていますか?
人生の目的を知らずに生きることは、自分が何をしているか?を知らないということです。
それは、空しいことなのです。
すべての人は、幸福を追い求めています。
幸福を得ることが出来れば、人生は豊かであると考えているのです。
しかしながら、すべての人は未熟に生まれます。
それは、認識が歪んでいるということなのです。
残念ながら、すべての人の認識は歪んでいます。
歪んだ認識では、本質を得ることは出来ないのです。
多くの人は末梢的(まっしょうてき)に生きているのです。
多くの人が、本質から外れています。
多くの人が、末梢を欲しているに過ぎないのです。
豊かさとは、本質です。
それは、根のようなものです。
乏しさとは、末梢です。
それは、花のようなものなのです。
多くの人は、根よりも、花を欲しがります。
それは、花の方が優美であるからです。
多くの人の認識では、根よりも花の方が美しく、価値のあるものなのです。
しかしながら、植物の本質は根です。
根が存在しなければ、花は存在しないのです。
花は、すぐに枯(か)れてしまいます。
そして、跡形(あとかた)も残りません。
しかしながら、根は次々に花を咲かせるのです。
多くの人は、快楽や欲望を貪(むさぼ)ります。
多くの人にとっての幸福とは、快楽や欲望を満足させることなのです。
それは、花を愛でることに似ています。
快楽や欲望は優美であり、芳(かぐわ)しく香っているのです。
多くの未熟者には、快楽や欲望はそのように映っているのです。
昆虫は、植物に仕えるために存在しています。
昆虫は、花に踊らされているのです。
多くの人は、快楽や欲望に踊らされています。
多くの人は、快楽や欲望に仕えているのです。
花には価値がありますが、それは一時的なものです。
根には価値がありますが、それは継続的なものです。
多くの人の考える幸福とは、快楽や欲望を貪ることであり、それは一時的なことです。
快楽や欲望を貪ることは、その時には良いかも知れませんが、それでは真(まこと)の満足を得ることは出来ません。
多くの人の考える幸福とは、空しさのことなのです。
幸福とは、空しさに気が付かないことなのです。
残念ながら、この世の富は空しいのです。
この世の富を集めてどうするというのでしょうか?
地位や名声を高めてどうするというのでしょうか?
”花”を集めても空しいのです。
あなたは、”根”に気が付かなければなりません。
この世の空しさに気付き、人生の目的を見極めましょう。
空しさを追い求めている間は、人生の目的を果たすことは出来ません。
多くの人の考える幸福の空しさに気が付かなければなりません。
人生は、そこから始まるのです。
人生を始めましょう。

2019年5月24日金曜日

背伸び

すべての人は、学ばなければなりません。
人生は、学びの場所です。
あなたは、学ぶために生まれたのです。
人生には、どのような瞬間にも学びが存在しているのです。
学ぶのは、成長を実現するためです。
あなたは、学びを成長へと変えなければならないのです。
それは、目的を果たすためなのです。
すべての人生には、目的が存在しています。
しかしながら、多くの人はそれを見失い、忘れています。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩のために生きているのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩のために生きたところで、得られるのは空しさだけです。
快楽や欲望は魅力的に映るかも知れません。
しかしながら、それをどれだけ貪(むさぼ)ったとしても、得られるのは空しさなのです。
快楽や欲望を貪ることは苦しいのです。
多くの人は、そのようには思わないかも知れません。
寧(むし)ろ、多くの人は、快楽や欲望を貪ることを幸福であると思い込んでいるのです。
多くの人は、快楽や欲望を貪ることの苦しさを忘れています。
例えば、好きなものを食べ続けることは、決して幸福ではありません。
好きなものだからといって食べ続ければ、腹を痛めてしまうのです。
好きなものを食べ続けていれば、やがて病が訪(おとず)れるのです。
何事にも、相応というものがあるのです。
快楽や欲望のために働き過ぎれば、肉体と精神を痛めてしまいます。
快楽や欲望のために休み過ぎても、同じことなのです。
何事も、相応を見誤れば、苦しみを導くということを理解しなければならないのです。
そして、多くの人は、苦悩のために生きています。
そのようには思えないかも知れませんが、多くの人は苦悩を求めているのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
この世界においては、原因はそれに相応しい結果を導くのです。
原因が存在しなければ、どのような結果も存在することは出来ません。
苦悩という結果を受けているということは、それに相応する原因を所有しているということなのです。
人は、自分が欲する結果の原因を所有します。
苦悩を求めていないと思い込んでいる人も、苦悩しているのです。
それは、苦悩に相応する原因を所有しているという証なのです。
快楽や欲望や苦悩を生きることは、幸福をもたらしません。
なぜなら、快楽や欲望や苦悩を生きることは、人生の学びを否定する生き方だからです。
多くの人は、苦痛や禁欲や”歓喜”を否定しているのです。
ここでいう歓喜とは、本質的な喜びのことです。
本質的な喜びとは、苦痛や禁欲などの苦しみの中でも得られる喜びのことです。
苦しみの中で得られる喜びこそが、本質的な喜びなのです。
快楽や欲望を貪る中で得られる喜びは、末梢的(まっしょうてき)な喜びなのです。
苦しみの中で得られる本質的な喜びこそが、あなたを成長させます。
多くの場合、目の前には何等かの苦しみが存在しているはずです。
誰もが、思い通りにならない状況を抱えているのです。
苦痛や禁欲や歓喜は、誰にとっても苦しいものです。
そのため、多くの人は、快楽や欲望や苦悩に逃れようとするのです。
しかしながら、それでは空しさを得なければならないのです。
大切なのは、苦痛や禁欲や歓喜も受け入れることです。
利己的な者には、それが損失であるように思えるかも知れません。
しかしながら、利己的な者が辿り着くのは空しさであり、乏しさなのです。
利己的な者が満足や豊かさへと辿り着くことは出来ないのです。
現状を安易(あんい)に否定してはなりません。
現状には、あなたにとって必要な学びが存在しているのです。
あなたは、現状から学べることを学びましょう。
現状がどのようなものであれ、あなたには、学ぶことがあるのです。
”背伸び”をせずに生きましょう。
自然を生きましょう。

2019年5月23日木曜日

下らない優越感

すべての人は、成長を実現しなければなりません。
すべての人は、人生において成長を必要とするのです。
それは、人生には果たさなければならない目的が存在するからです。
人は、人生の目的を果たすために、成長を実現する必要があるのです。
あなたは、成長を実現しなければなりません。
成長することは、とても大切なことなのです。
成長を実現するためには、成長とは何であるのか?ということを理解しなければなりません。
前提が間違っていれば、成長を実現することは出来ないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
原因は、それに相応しい結果を実現してしまうのです。
前提が間違っていれば、実現するものも間違っているのです。
間違った努力によっては、成長を実現することは出来ないのです。
大切なのは、成長に相応しい原因を選択することです。
すべての人が、成長の実現を求めています。
人は、それぞれの道において、それぞれの形へと成長しなければならないのです。
人は、それぞれに異なる目的を以(もっ)て生まれます。
人は、独自の目的を果たさなければならないのです。
目的は、それぞれに異なります。
誰一人として、同じ目的のために生まれることはないのです。
あなたは、あなたの目的のために生まれます。
あなたは、あなたの目的を果たさなければならないのです。
あなたは、自分の目的を果たすために努力しなければなりません。
自分の目的を果たすことが、最重要課題であることを理解しなければならないのです。
あなたは、自分の目的を果たすことに集中しなければなりません。
自分の目的を果たすためには、自分の目的を果たすことの出来る自分に成らなければなりません。
自分の目的を果たすことの出来る原因を準備しなければならないのです。
自分の成長こそが、自分の目的を果たすための条件です。
それ以外には、自分の目的を果たす条件は存在しません。
どこで、誰と、何をしているか?ということは重要ではありません。
どこで、誰と、何をしていようとも、自分の成長を実現することによって、自分の目的を果たすことが出来るのです。
人生の原因は、自分自身であるということを理解しなければなりません。
多くの人は、そのことを知らないのです。
そのため、原因を”外”に探します。
多くの人は、環境や状況や他者を原因と考えます。
自分の目的を果たすことが出来ないのは、環境や状況や他者が悪いからだと考えるのです。
表面的には、そのように見えます。
未熟者には、そのように見えても仕方ないのです。
しかしながら、自分の目的を果たすことが出来ないのは、環境や状況や他者には、何の関係もありません。
大切なのは、どのような環境、状況、人間関係であったとしても、その条件で成長を実現するということなのです。
多くの人は、思い通りにならない現実を嘆(なげ)きます。
自分ではどうすることも出来ないと決め付けて、投げ遣(や)りな態度を示すのです。
人生を決めるのは、あなたです。
あなたは、自分自身で人生を決めることが出来るのです。
しかしながら、多くの人には、そのことが分かりません。
多くの人は、自分以外に原因が存在すると思い込むのです。
他者を貶(おとし)めたとして、自分が成長する訳ではありません。
他者を低くすることによって、自分が高くなるということはないのです。
他者を蔑(さげす)む時、あなたは、自分自身を蔑んでいるのです。
環境や状況や他者に責任転嫁(せきにんてんか)しているのであれば、いつまでも成長を実現することは出来ないのです。
他者を貶めた分だけ、自分は堕落(だらく)するのです。
他者を貶めた結果、自分が成長することはありません。
他者を貶めることで、下らない優越感に浸(ひた)っている愚かな者には、成長は実現しないのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在しています。
そのためには、現状において出来ることを丁寧に行いましょう。
出来ないことは、出来ないのです。
無理をすれば、不平不満が生じます。
それでは、原因を外に探してしまうのです。
人生の原因は自分です。
環境や状況や他者に原因を探してはなりません。
あなたは、どこで、誰と、何をしていても、目的を果たすための成長を実現することが出来るのです。
成長の実現に努めましょう。

2019年5月22日水曜日

天国

すべての人は、幸福を求めています。
すべての人は、幸福が良いものと思っているのです。
幸福とは、満足することです。
満足している状態を幸福というのです。
すべての人は、満足を求めています。
それは、満足することによって、心の平安を得られるからです。
多くの人は、心の平安を良いものと思っています。
それは、心が安定していることは楽だからです。
すべての人は、不幸を嫌います。
すべての人は、不幸を悪いものと思っているのです。
人は、それぞれの幸福を求め、それぞれの不幸を嫌うのです。
不幸とは、不満のことです。
不満の状態を不幸というのです。
すべての人は、不満を嫌います。
それは、不満を得ることによって、心が脅(おびや)かされるからです。
多くの人は、心が脅かされることを悪いことだと思っています。
それは、心が脅かされるのは苦しいからです。
多くの人は、苦しみを嫌います。
出来れば、苦しみに陥(おちい)りたくはないと思っているのです。
しかしながら、どのように避けようとしても、人は苦しみに陥ってしまうのです。
どのような人物も、苦しみに陥ります。
どのような方法も、苦しみを退(しりぞ)けることは出来ないのです。
あなたは、苦しまなければなりません。
苦しみは避けられません。
どのような方法を用いても、あなたは苦しみに陥ってしまいます。
それは、仕方のないことです。
なぜなら、この世界には、苦しみを経験するための場所だからです。
あなたは、苦しむために生まれたのです。
この世界の目的は、苦しみから学びを得ることなのです。
どこで、誰と、何をしても、あなたは苦しみに陥ります。
この世は、決して”天国”にはならないのです。
あなたは、この世で苦しみを学ばなければならないのです。
残念ながら、あなたは満足を得ることは出来ません。
あなたが得られるのは、不満だけです。
あなたは、心の平安を得ることは出来ません。
あなたが得られるのは、心の脅威(きょうい)だけです。
あなたが得られるのは苦しみだけです。
あなたは、楽を得ることは出来ないのです。
残念ながら、あなたの期待は裏切られます。
あなたの理想は実現しないのです。
しかしながら、それで良いということを理解しなければなりません。
なぜなら、あなたは未熟に生まれたからです。
あなたは無知を生きているのです。
あなたは、自分が何であり、人生が何であるのか?分かりません。
それは、何が最善であるのか?ということが分からないということなのです。
あなたが嫌っているものは、あなたにとっての最善であるかも知れません。
そして、あなたの好んでいるものは、あなたにとっての最悪であるかも知れないのです。
何が最善であるのか?を知らない状態では、判断を下すことが出来ません。
あなたは、不幸を、不満を、心の脅威を、苦しみを嫌うかも知れません。
しかしながら、それ等も大切な意味によって導かれているものなのです。
不幸や不満や心の脅威や苦しみを、軽んじてはなりません。
それ等は、あなたを成長させるために必要な気付きを与えてくれる、大切な学びなのです。
大切な学びは、受け取らなければなりません。
思い通りにならない状況には、大切な価値があるということを忘れてはなりません。
この世は決して”天国”にはなりません。
あなたは、苦しみを学ぶために生まれたのです。
生まれた意味を考えましょう。

2019年5月21日火曜日

狭い道

すべての人は、豊かさを求めています。
すべての人は、豊かさを実現するために生きているのです。
すべての行為が、豊かさを実現するためのものです。
すべての人が、豊かさの実現を求めているのです。
しかしながら、豊かさを実現することは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、豊かさを実現するためには、あなたは大き過ぎるからです。
豊かさを実現するためには、豊かさへと辿り着かなければなりません。
豊かさへと辿り着くことがなければ、豊かさを実現することは出来ないのです。
豊かさへの道程(どうてい)は、決して広い道幅ではありません。
豊かさへと続く道は、とても幅の狭(せま)いものなのです。
大手を振って歩くことは出来ないのです。
自分が大き過ぎれば、通り抜けることが出来ません。
自分を小さくしなければ、豊かさへの道を通り抜けることは出来ないのです。
しかも、豊かさへの入口は更に狭いものなのです。
豊かさへの道を通って来た者であっても、豊かさへの入口を通過することは難しいのです。
豊かさへの入口を通過するためには、更に自分を小さくしなければならないのです。
大きい者は、豊かさへと辿り着くことは出来ません。
豊かさへと辿り着くためには、自分を道や入口に合わせなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、自分を大きく育てます。
自分とは、自我(じが)のことです。
多くの人は、人生を経ることによって、自我を育てます。
それは、利己的な価値観や生き方へと繋がるのです。
多くの人は、利己的な価値観や生き方が優れていると思い込んでいます。
それは、周囲の多くの人達がそう信じているからです。
多くの人は、多くを集めること、大きく育つことが、豊かさであると信じているのです。
それは、恐怖に根差しているからです。
恐怖に根差しているために、手放すことが出来ないのです。
この世の中では、自我が育つのが”普通”です。
それは、”普通”であって、自然ではありません。
多くの人の考える”普通”とは、不自然のことなのです。
多くの人は、不自然に生きています。
恐怖に根差すことによって、偏見(へんけん)や誤解を抱えているのです。
そのため、多くの人は自分を大きく育ててしまうのです。
大切なのは、自分を小さく削ることです。
余計を手放すことが重要なのです。
大切なのは、豊かさへの道は狭いということです。
自分を小さくすることの出来ない者には、決して通り抜けることは出来ません。
我を通せば、自分を小さくすることは出来ません。
余計な荷物は重荷です。
多くの人は、重荷を背負っているのです。
余計な荷物を手放さなければ、目的地へと辿り着くことは出来ません。
どのように屈強(くっきょう)な猛者(もさ)も、重荷を背負って歩み続けることは出来ません。
必ず途中で力尽きてしまうのです。
我を通せば、豊かさへと辿り着くことは出来ないのです。
あなたは、謙虚(けんきょ)さを身に付けなければなりません。
傲慢(ごうまん)に、強欲に、必要のない荷物を運ぼうとしてはならないのです。
必要のない荷物は置いて行きましょう。
傲慢や強欲は、苦悩の原因です。
そのような重荷を抱えたままでは、豊かさの道を進み、入口を通過することは出来ないのです。
大きな者は、自分を改めなければなりません。
自分を小さくするためには、恐怖に打ち勝たなければなりません。
恐怖を克服することによって、余計な荷物を手放すことが出来るのです。
あなたが思うよりも、実際には荷物は少なくて済みます。
用心のための荷物は、使う機会には恵まれないのです。
荷物は、必要最低限に抑(おさ)えましょう。
余計な考えは、余計な荷物となるのです。
豊かさの道は狭く、入口は更に狭いということを覚えておきましょう。

2019年5月20日月曜日

役割の中

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、果たさなければならない目的が存在するのです。
果たさなければならない目的は、それぞれに異なります。
人は、それぞれの目的のために生まれ、生きているのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
あなたは、目的も無く生まれた訳ではありません。
あなたという存在には、意味や価値が存在するのです。
すべての存在が、必要であるために生まれるのです。
意味も価値も無く生まれる者はいないのです。
この世界に存在する以上は、この世界に必要とされて生まれたということを覚えておかなければなりません。
あなたが、どのような人物であろうとも、この世界から必要とされているのです。
あなたは、自らの目的を果たさなければなりません。
自らの目的を果たすためには、役割を果たさなければならないのです。
役割を果たさなければ、目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、自らの役割を果たそうと努めましょう。
そうすれば、人生の目的を果たす可能性が高まるのです。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を知りません。
多くの人は、自分にどのような役割が与えられているかを知らないのです。
残念ながら、多くの人にとって、人生の目的は歓迎(かんげい)すべきものではありません。
多くの人にとって、人生の目的は都合の悪いものなのです。
人生の目的が都合に悪いのは、人生の目的を果たすために必要な役割というものが、人生に制限をかけるからです。
人は、役割によって自由を失います。
人が、役割を果たすためには、辛抱(しんぼう)が必要なのです。
人生の目的を果たすためには、膨大な時間と労力が必要です。
そして、自らの役割を果たすためには、制限と辛抱が必要なのです。
あなたが役割を果たし、人生の目的を果たすためには、自由を手放さなければならないのです。
自由を手にしたままで、自らの役割を果たし、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
しかしながら、その自由とは、自我の考える歪んだ自由のことなのです。
歪んだ自由は手放さなければなりません。
あなたが自由だと思い込んでいるものは、残念ながら、自由ではありません。
それは、小さな世界における自由のことなのです。
鎖(くさり)で繋がれていない家畜が、檻(おり)の中である意味の自由を手にしているようなものなのです。
それは、決して自由ではないのです。
あなたは、人生の目的を果たすことが、自我を手放すということだと理解しなければならないのです。
滅私(めっし)こそが、自らの役割を果たし、人生の目的を果たすためには必要なのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、自分勝手に生きることは出来ません。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、自らの役割を離れることは出来ないのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、自らの役割以上にも、以下にも行うことが出来ないということを理解しなければなりません。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、自らの役割の中で生きなければならないということを覚えておきましょう。
自らの役割を離れて、豊かな人生を生きることは出来ません。
人生の豊かさは、自らの役割の中に存在しているのです。
残念ながら、多くの人が人生に乏しさを感じています。
不平不満を吐き、不安や心配を抱えながら生きているのです。
そのような状態では、人生は空しいのです。
あなたは、役割を果たし、人生の目的を果たすために生まれました。
役割を果たし、人生の目的を果たすことが、何よりの喜びなのです。
それ以上の喜びは存在しません。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ったところで、偽りの喜びを得るだけです。
偽りの喜びとは、糠喜(ぬかよろこ)びのことなのです。
真(まこと)の喜びとは、心に充足をもたらすものなのです。
あなたは、自らの役割を考えなければなりません。
自分の役割を考えていれば、自分が何をすべきなのか?が分かります。
自分の役割について考えていなければ、自分が何をすれば良いか分からないのです。
役割を果たすことでしか、真の喜びを得ることは出来ません。
役割を果たさなければ、人生に豊かさは実現しないのです。
役割とは、今の自分に出来ることです。
今の自分に出来ないことは、役割として考える必要はありません。
自分に出来ることを、出来る範囲で行うことが重要なのです。
無理をすることでは、役割を果たすことも、人生の目的を果たすことも出来ません。
あなたは、役割を以て生まれます。
人生を始める前に決めた目的に従って、役割が決定しました。
そのため、役割は人生を始める前から決められているものなのです。
役割とは、自然のことなのです。
あなたが自然体でいられる状態こそが、役割の中を生きているということなのです。
自然体でいられる状態を探しましょう。
自然体でいられる状態によって、誰かや何かの役に立つことがあなたの役割であるので
す。
自然体を生きましょう。
役割の中を生きることが、幸福であり、豊かさであるということを理解しましょう。
偽りの自由を抜け出し、真の自由を生きましょう。

2019年5月19日日曜日

なんとかなるから、なんとかしろ

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
この世界において、自らの目的を否定することの出来る者はいません。
すべての人が、自らの目的を果たすために生きなければならないのです。
あなたは、自らの目的を果たさなければなりません。
あなたは、自らの目的を果たすために生まれ、自らの目的を果たすために生きているのです。
あなたは、目的の達成から逃れることは出来ないのです。
人生におけるすべての選択が、人生の目的を果たすために行われます。
しかしながら、あなたには、そのような意識はありません。
あなたは、無意識に自らの選択を果たすために行為しているのです。
すべての人は、目的を果たします。
すべての人は、いつか自らの目的を果たすのです。
あなたも、いつか人生の目的を果たすのです。
そのようには思えないかも知れませんが、そう成るのです。
無意味に思えることにも、意味があります。
無価値に思えるものにも、価値があるのです。
無関係に思えることは、後にその関係に気が付きます。
一つ一つは別々のものであったとしても、それ等は一つに繋がっているのです。
あなたには、それを理解することが出来ないだけです。
理解出来ないからといって、無意味ではありません。
理解出来ないからといって、無価値ではありません。
理解出来ないからといって、無関係ではないのです。
あなたは、自分が何であるのか?ということを知りません。
あなたは、人生が何であるのか?ということを理解することが出来ないのです。
自分が何であり、人生が何であるのか?ということを理解することが出来なくても、あなたはこの人生に存在しているのです。
理解することに意味や価値や関係が存在するのではないのです。
理解することが出来なくても、そこには意味や価値や関係が存在するということを理解しなければなりません。
人生には、不安が付き物です。
何をするにしても、不安が付き纏(まと)います。
何をするにしても、不安を離れることは出来ないのです。
残念ながら、あなたには、不安の意味や価値や関係を理解することは出来ません。
多くの人は、不安を嫌います。
不安が存在しない方が良いと考えているのです。
しかしながら、現実には不安が存在しているのです。
それは、あなたにとって、あなたの人生にとって意味があり、価値があり、関係があるからこそ、存在しているということなのです。
不安の意味や価値や関係を追求する必要はありません。
なぜなら、人生の目的を果たす過程によって、不安の意味や価値や関係を理解することが出来るからです。
大切なのは、人生の目的を果たそうと努めることです。
どのような状態や状況にあったとしても、人生の目的を果たそうと努めることが重要なのです。
あなたは、不安を抱えたままでも、人生の目的を果たそうと努めましょう。
人生の目的を果たすためには、目の前のことを懸命に行うことです。
難しく考える必要はありません。
自分のやるべきことを行うだけです。
その繰り返しが、人生の目的を果たすのです。
人生の目的を果たすことは、決して難しいことではありません。
一つ一つの積み重ねだけなのです。
一つ一つは別々のものに見えたとしても、それ等は一つに繋がっているのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
人生は、なんとかなります。
なんとかなるから、なんとかしなければなりません。
人生は、あなたがなんとかしなければならないのです。
人生に希望を捨ててはなりません。
絶望を生きてはなりません。
必ずなんとかなります。
あなたは、目の前の状況をなんとかしましょう。
不安と共に歩むことは、難しいかも知れません。
しかしながら、それは必要なことなのです。
不安を連れて行くことは仕方のないことです。
あなたは不安を諦(あきら)めましょう。
人生は、なんとかなるということを理解し、なんとかしましょう。

2019年5月18日土曜日

愚鈍

人生には、果たさなければならない目的が存在しています。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、果たさなければならない目的を知りません。
多くの人は、自分が何のために生まれたのかを知らないのです。
多くの人は、人生の目的を知りません。
そのため、愚かに生きることが出来るのです。
愚かに生きるというのは、目的も無く生きることです。
多くの人は、目的も無く生きているのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に従って生きているだけです。
多くの人は、志を持たずに生きているのです。
それは、空しい人生なのです。
多くの人は、空しい人生を生きています。
目の前の快楽や欲望や苦悩に翻弄(ほんろう)され、目的地へと歩みを進めることが出来ないのです。
人生の目的を果たす見込みの無い人生は、空しいのです。
大切なのは、人生の目的を見出すことです。
そして、それを果たそうと努める生き方を実行することなのです。
多くの人は、人生の目的を果たそうとはしません。
多くの人にとって、人生の目的は重要な事柄では無いのです。
多くの人にとっては、人生の目的を果たすことよりも、目の前の快楽や欲望や苦悩の方が重要なのです。
多くの人が、目の前の快楽や欲望や苦悩を重要視しているのです。
人生の目的を無視するのは愚(おろ)かなことです。
なぜなら、人生の目的を果たすことが、生まれた理由だからです。
それ以外の理由によって生まれる者はいないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、あなたがそれを果たすことは難しいでしょう。
なぜなら、あなたは愚鈍(ぐどん)であるからです。
あなたは無知に生まれ、未熟を生きています。
あなたは、利発(りはつ)から遠く離れているのです。
あなたは、自分が愚かであることを知りましょう。
あなたは何も知らず、何も出来ないのです。
そのため、多くを学ばなければなりません。
一つでも多くを見て、聞いて、触れなければならないのです。
経験の数が重要なのです。
経験の数が増す程に、利発へと近付きます。
経験の数が乏しければ、自分自身は愚かであるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、愚鈍を生きています。
それは、仕方の無いことです。
多くの人は、時間を無駄にします。
決断が遅く、のろのろと時を過ごしているのです。
愚鈍な者は愚かです。
そのような者には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
愚鈍な者は時を逃します。
すべてには時があるのです。
すべては、時に従って行われます。
すべては、時に従って完成するのです。
時を逃すということは、それを完成させることが出来ないということです。
時を無視する者は、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
あなたは、時に従って生きなければなりません。
時を逃してはなりません。
出来る時にしか、出来ないのです。
時を逃した後で、それを行おうとしても、既(すで)に何も出来ないということを理解しなければなりません。
愚鈍に生きてはなりません。
愚かに時を過ごしてはならないのです。
のろのろと生活してはなりません。
時を逃せば、人生の目的を果たすことは出来ないのです。

2019年5月17日金曜日

幸福の鍵

すべての人は、幸福を求めています。
すべての人は、幸福な人生を求めているのです。
幸福の形は、人それぞれに異なります。
誰一人として、幸福の形が同じであることはないのです。
人は、それぞれに異なる幸福を求めているのです。
あなたは、自分の幸福を求めています。
あなたは、自分の幸福を手に入れなければなりません。
他者の幸福を手に入れようと努めても、それはあなたの幸福ではありません。
他者の幸福を手に入れても、あなたが満足を得ることはないのです。
大切なのは、自分の幸福を手に入れることです。
自分の幸福以外では、満足を得ることは出来ないのです。
他者の幸福を手に入れたとしても、あなたは満足を得ることは出来ません。
なぜなら、それはあなたにとっての幸福ではないからです。
他者の幸福を手に入れたとしても、得られるのは空しさだけなのです。
あなたは空しさを得るために生きているのではありません。
あなたは、満足を得なければならないのです。
他者の幸福の形を追い求めて、空しさを得てはなりません。
あなたは、自分の幸福の形を追い求めて、満足を得なければならないのです。
しかしながら、自分の幸福を手に入れることは容易ではありません。
なぜなら、あなたは自分を知らないからです。
自分の幸福を手に入れるためには、自分を知らなければならないのです。
残念ながら、自分を知ることは難しいのです。
すべての人が、自分を知りません。
すべての人が、自分を知らないために、それを他者の中に求めるのです。
すべての人は幸福を求めていますが、自分の幸福の形を知らないために、他者の幸福を自分の幸福だと思い込んでしまうのです。
必要の無いものを得ても、満たされることはありません。
大切なのは、探すことです。
あなたは、自分の幸福の形を探し求めなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、自分の幸福の形を諦めてしまいます。
多くの人は、他者の幸福の形に納得しようと努めているのです。
しかしながら、他者の幸福の形を納得することの出来る人はいません。
他者の幸福では、どうしても満足を得ることが出来ないのです。
あなたが満足を求めているのであれば、自分の幸福を探し続けましょう。
あなたが満足を得るためには、自分の幸福を得る以外には方法はないのです。
合わない鍵で扉を開けようとするのは空しいのです。
しかしながら、多くの人は、合わない鍵で扉を開けようとしているのです。
それが、どれだけ無謀(むぼう)なことか分かるはずです。
合わない鍵では、決して扉は開きません。
自分の幸福でなければ、満足を得ることは出来ないのです。
多くの人は、合わない鍵を使って、どうにかして扉を開こうとしています。
それでは、埒(らち)が明かないのです。
事態を進展させるためには、変化を導かなければなりません。
変化を導くためには、違う選択をするだけなのです。
手にしている鍵を手放せば、扉が開く確率は上がるのです。
その鍵で開かなければ、その鍵ではないのです。
別の鍵を探さなければ扉は開かないのです。
合わない鍵で、何度も扉を開けようとしてはなりません。
同じことを繰り返すのは空しいからです。
執着(しゅうちゃく)を手放し、別の幸福の形を探しましょう。
そうすれば、満足を得られるかも知れません。
試さなければ分かりません。
あなたには、何が自分の幸福なのか?分からないのです。
幸福の形は、無数に存在しています。
既成概念(きせいがいねん)に捕らわれずに探しましょう。
あなたの幸福は、他者とは全く異なっているかも知れません。
他者の幸福は参考にはならない可能性もあるのです。
幸福とは、宝物です。
宝探しのように、幸福を探しましょう。
それは、とても楽しいことなのです。

2019年5月16日木曜日

美しい世界

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
この世界に、目的もなく生まれる者はいないのです。
どのような存在も、目的を以て存在しているということを理解しなければなりません。
野に咲く花も、夜空に輝く星も、目的を以て生まれるのです。
それぞれが、それぞれの目的を果たすことによって、世界は成り立っているのです。
それぞれが、それぞれの目的を果たすことによって、世界は美しいということを理解しなければなりません。
野の花が花を咲かせることもなく、夜空の星が輝くこともなければ、それだけ世界の美しさが損なわれてしまいます。
野の花は咲き誇り、夜空の星は輝かなければならないのです。
この世界は、美しさで溢れています。
それは、多くの存在が自らの目的を果たしているからです。
すべての存在は、自らの目的を果たそうと努めているのです。
あなたにも、目的が与えられています。
あなたも、自らの目的を果たさなければなりません。
あなたは、世界の美しさに参加しなければならないのです。
あなたが目的を果たすことによって、この世界には一つ美しさが実現します。
すべての存在が目的を果たすことが、この世界には必要なのです。
あなたは、自らの目的を果たさなければなりません。
しかしながら、自らの目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人は未熟に生まれるからです。
人は、未熟に生まれることによって、歪(ゆが)んでいます。
それは、本来ならば花であるものが、種子であるようなものなのです。
歪むことによって、汚れを得なければなりません。
それは、種子が土に埋まるようなものなのです。
人は、汚れによって苦しみます。
しかしながら、苦しみを経験することによって、成長するのです。
それは、土の中の種子が根を伸ばし、芽を出すようなものなのです。
人は、苦しみの中で成長し、”光”を目指します。
それは、小さな世界から、大きな世界への挑戦です。
発芽した種子は、大きな世界(光)に向けて成長を続けます。
それに伴(ともな)って、地中に根を伸ばすのです。
それは、人が成長するに従って、様々な問題や苦しみを経験するのと同じなのです。
植物は根を伸ばす程に、栄養を得ることが出来ます。
人は、問題や苦しみを経験する程に、成長を実現することが出来るのです。
必要な栄養を得た植物は、見事に花を咲かせ、世界に美しさを実現するのです。
必要な成長を実現した人は、見事に目的を果たし、世界に美しさを実現するでしょう。
どのような問題や苦しみも、あなたが目的を果たすために必要な経験なのです。
この世界には、不要は存在しません。
不要に思えることがあるでしょうが、それは、あなたの中の偏見(へんけん)に過ぎないのです。
あなたがどれだけ必要のないものを求めても、それは決して得られません。
あなたは、必要だけを受け取らなければならないのです。
どのように努めても、不要を得ることは出来ないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
目の前に導かれる状況は、あなたにとっての必要です。
それが、どのような状況であったとしても、あなたにとっての必要なのです。
すべてを受け入れることは出来ません。
なぜなら、あなたは未熟なのです。
しかしながら、必要を受け入れることがなければ、目的を果たすことが出来ないのです。
受け入れられるまで、その状況は導かれます。
残念ながら、嫌いというだけでは、必要を拒絶することは出来ないのです。
好きでも嫌いでも、あなたは必要を受け入れなければなりません。
必要は、あなたの都合に関係なく必要なのです。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
不要に思えるものであっても、目の前に導かれるのであれば必要です。
あなたは、必要を受け入れられる時に受け入れましょう。
無理に受け入れようとする必要はありません。
しかしながら、拒絶することによって、必要に心を閉ざしてはなりません。
それは、いつかは受け入れなければならない必要なのです。

2019年5月15日水曜日

迷いの道、悩みの道

すべての人は、人生に目的を与えられています。
すべての人は、本分を果たさなければならないのです。
しかしながら、それは容易(ようい)なことではありません。
なぜなら、すべての人が自分の人生の目的を忘れてしまうからです。
この世界には、様々な誘惑(ゆうわく)が存在しています。
すべての人が、誘惑に晒(さら)されているのです。
誘惑は、常に襲います。
それは、人が恐怖を抱えているからです。
すべての人が恐怖と共に生きているのです。
人は、恐怖によって誘惑に従(したが)います。
恐怖を紛らわすために、誘惑に従うのです。
誘惑とは、偽りを見せるものです。
誘惑によって、人は偽りを見るのです。
それは、人生の目的を隠します。
誘惑によって、人は、自らの本分を見失ってしまうのです。
そのため、すべての人が自らの本分を見失っています。
すべての人が、人生の目的を見失った状態で生きているのです。
多くの人は、それを幸福だと思い込んでいるのです。
残念ながら、自らの本分を果たすことがない限りは、真(まこと)の幸福を得ることは出来ません。
誘惑に従って得られるのは、偽りの幸福なのです。
真の幸福は、人生に豊かさを実現します。
しかしながら、偽りの豊かさは、人生に乏しさを実現するのです。
同じ幸福でも、結果は反対であるということを理解しなければなりません。
大切なのは、真の幸福を得ることです。
真の幸福を得るためには、誘惑に従わないことです。
誘惑とは、楽な道です。
多くの人は、楽な道を進みたがります。
例えば、多くの人は、人生に迷いや悩みは無い方が良いと考えます。
人生に迷いも悩みも無く、気楽に生きていければ良いと考えているのです。
しかしながら、気楽に生きていくというのは、準備された道を歩むようなものなのです。
準備された道を歩むことは気楽です。
なぜなら、何も考えなくて良いからです。
既に整地された道であれば、何の工夫も必要ではありません。
ただ、何気無く歩んでいれば良いのです。
多くの人は、楽な道を選びます。
それは、迷うことや悩むことが苦しいからです。
準備された道を進むことは、何も考えずに、従っているだけで良いのです。
それだけで、道を進んでいる気分を味わうことが出来るし、何よりも安心感を得ることが出来るのです。
迷いも無く、悩みも無いことは、とても良いことのように思えるでしょう。
しかしながら、準備された道を進んだとしても、自らの本分を果たすことは出来ません。
あなたの人生の目的が何であるのか?ということは、あなたにしか分からないことなのです。
あなたの人生の目的地までの道程(みちのり)を、他者が知っている訳がありません。
あなたの人生の目的地までの道程を、他者が準備出来るはずがないのです。
そのため、準備された道を進んだとしても、あなたはどこにも辿り着くことはありません。
あなたは、どこにも辿り着くことが出来ず、同じ道を歩み続けなければならないのです。
それは、決して、真の幸福ではありません。
残念ながら、多くの人が、偽りの幸福を喜んでいるのです。
あなたは、偽りの幸福を喜んではなりません。
あなたが喜ばなければならないのは、真の幸福なのです。
真の幸福を得るためには、自分の道を歩まなければなりません。
自分の道を歩むことは、決して簡単なことではありません。
なぜなら、あなたは目的地を見失っているからです。
自分の道を歩むためには、道に迷わなければなりません。
そして、道に悩まなければならないのです。
自分の道を歩もうとすれば、道に迷い、道に悩むことが自然なのです。
道に迷うこともなく、悩むこともないというのであれば、それは、自分の道を歩んではいないという証拠(しょうこ)なのです。
あなたが真の幸福を必要とするのであれば、道に迷いましょう。
そして、道に悩むことです。
迷いも悩みもしない道を歩んではなりません。
人生は、苦しくても良いのです。
思い通りにならなくても良いのです。
それでも、自分の道を進むことが重要なのです。
自分の道を歩むこと以外には、人生を豊かにする方法はありません。
何を得ても、自分の道を歩んでいなければ空しいのです。
人生の目的を考えましょう。
そして、自分の本分を果たしましょう。

2019年5月14日火曜日

手を汚す

すべての人は、人生に目的を与えられています。
すべての人は、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは、人生においてとても重要なことです。
人は、人生の目的を果たすために生きているのです。
それは、人生の目的を果たすことによって、人生に豊かさを得られるからです。
人生に豊かさを得ることは重要です。
なぜなら、人生に豊かさを得なければ、空しさが襲うからです。
大抵の人は、人生に空しさが襲います。
大抵の人が、人生を空しく生きているのです。
それは、実りの無い畑のようなものです。
畑に実りを探しに行ったのに、何も収穫するものが無いというのは、とても空しいことなのです。
すべての人は、畑に実りを探しに行きます。
しかしながら、多くの人の畑には、実りが無いのです。
それは、畑を手入れしてはいないからです。
人生には、因果の仕組みが働いています。
この世界は、因果の仕組みによって支配されているのです。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応しい原因が存在するということです。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在しています。
それが、どのようなことであろうとも、そこには確実に原因が存在しているのです。
収穫を得るためには、畑を耕(たがや)さなければなりません。
耕した畑には、種を蒔(ま)くことが出来るのです。
耕さなければ、種は空の鳥に食べられてしまうのです。
耕すことによって、種は根を伸ばし易(やす)くなるのです。
耕された畑では、作物は勢い良く育ちます。
必要ならば水をやり、必要ならば肥(こえ)をやります。
懸命に世話をすることによって、収穫は多くなるのです。
収穫を得るためには、手を汚さなければなりません。
収穫を得るためには、それに相応しい労働が必要なのです。
自分の手を汚さなければ、収穫は得られません。
多くの人は、何もせずに人生に豊かさが得られると思い込んでいます。
多くの人は、硬い地面に種を蒔き、良い収穫を期待しているのです。
原因が無ければ、結果はありません。
人生には、”奇跡”などというものは存在しないのです。
すべてが、因果の仕組みの中にあるのです。
収穫を得るためには、畑に入り、土に塗(まみ)れなければなりません。
あなたは、自分で収穫しなければならないのです。
誰かがあなたの代わりにあなたの畑を耕し、種を蒔き、水や肥をやり、収穫をし、それを届けてくれることはありません。
あなたは、畑を耕すことから収穫までを、自分の力で行わなければならないのです。
これは、あなたの人生です。
あなたの人生の原因は、あなた自身なのです。
収穫を得るためには、自分の手を汚さなければならないのです。
誰かや何かが、あなたに豊かさをもたらすことはありません。
豊かさを得るためには、人生の目的を果たさなければならないのです。
あなたの代わりに、人生の目的を果たすことの出来る人はいません。
あなたにしか、あなたの人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、自分の人生に向き合いましょう。
収穫は、容易には得られません。
あなたは、必要な労働をして、収穫を待たなければならないのです。
焦(あせ)ったところで、収穫を早くすることは出来ません。
あなたは、収穫のために労働しましょう。
それは、人生の豊かさのための原因作りに専念するということなのです。
結果を得るためには、原因が必要不可欠です。
結果を得るためには、原因を気にしなければなりません。
結果を得ようとしている者が、結果を気にしても仕方がないということを理解しなければなりません。
収穫のために畑を耕しましょう。
種を蒔き、水をやり、肥をやりましょう。
そして、焦らずに待ちましょう。
自分の手を汚していれば、収穫を得ることが出来るでしょう。

2019年5月13日月曜日

未熟を打ち砕く

すべての人は、幸福を求めています。
すべての人は、人生に幸福を必要とするのです。
人が幸福を求めるのは、幸福を得てはいないからです。
すべての人が不幸です。
すべての人が、不幸を生きているのです。
そのため、幸福を求めるのです。
しかしながら、幸福は手に入りません。
誰にとっても、幸福は難しいのです。
幸福とは、偏見(へんけん)に過ぎません。
思考の偏りこそが、幸福の本質なのです。
思考が、自分にとって都合の良い方に偏(かたよ)ることが幸福なのです。
しかしながら、思考が自分にとって都合の良い方に偏ることはありません。
それは、状況が自分にとって都合の良いようにはならないからです。
状況が自分に都合の良いようにならないために、思考が自分にとって都合良く偏ることがないのです。
人生には、必要のみが実現します。
どのような状況も、それが必要であるために実現します。
人生には、無駄も無意味も存在しないのです。
人生が都合良く展開しないのは、都合の悪いことが必要であるからです。
あなたは、自分に都合悪い状況を経験しなければならないのです。
自分に都合悪い状況を経験することによってのみ、学ぶことがあるのです。
自分に都合の良い状況は、あなたを成長させることがありません。
自分に都合の良い状況は、誤解や傲慢(ごうまん)を育ててしまうのです。
それは、愚かな人格を形成してしまいます。
愚かな人格では、人生に豊かさを実現することが出来ないのです。
人生には、目的が存在します。
どのような人生にも、目的が存在するということを覚えておきましょう。
あなたは、その目的を果たさなければなりませんが、思考の偏りによって、それを見極めることが出来ません。
多くの人は、幸福を得ることに尽力(じんりょく)するあまり、必要を得なければならないことを忘れるのです。
あなたが得なければならないのは必要です。
幸福は、必ずしも得る必要はないのです。
あなたは、幸福を求めて生きてはならないのです。
人生を思い通りになど、出来るはずが無いのです。
人生は、必要によって、必ずあなたを裏切ります。
それは、あなたが未熟であるからです。
未熟であるあなたには、人生の必要を理解することが出来ないのです。
そのため、人生は思い通りにはならないのです。
必要は、あなたにとっては都合の悪い状況として導かれるものです。
必要は、あなたにとって都合の悪い状況でなければならないのです。
なぜなら、あなたの未熟さを打ち砕かなければならないからです。
あなたの抱える誤解や傲慢を打ち砕くためには、都合の悪い状況が必要なのです。
そのため、人生に裏切られたように思えるのです。
人生は、結果としてあなたを否定するのです。
人生は、あなたのすべてを否定している訳ではありません。
人生は、あなたの未熟さを否定しているのです。
人生は、幸福でなければならないというのは、誤解であり傲慢です。
残念ながら、人生においては、決して幸福ではいられません。
人生においては、幸福な時も不幸な時もあるのです。
それが必要なのです。
それで良いのです。
人生は決して、都合の良いようにはなりません。
都合の良い時もあれば、都合の悪い時もあるのが自然なのです。
人生は、思い通りにならないのが自然です。
人生は、思い通りにならなくても良いのです。
必要は、様々な形で導かれます。
そのすべてが、あなたの成長を実現するために導かれているのです。
どのように思おうとも、”それ”があなたにとっての必要です。
あなたは、目の前の必要を出来るだけ大切にしなければなりません。

2019年5月12日日曜日

自分の能力で生きるしかない

すべての人生には、目的が存在しています。
すべての人が、目的を果たさなければならないのです。
それは、避けられないことです。
なぜなら、すべての人が、目的を果たすために生まれて来たからです。
目的も無く生まれる者はいません。
すべての人が、目的を以(もっ)て生まれて来るのです。
目的が存在しなければ、人生は存在しません。
目的が存在するからこそ、人生が存在するのです。
人生の原因は、人生の目的です。
この世界においては、原因が存在しなければ、結果は存在しないのです。
人生の目的がなければ、人生は存在しないということを理解しなければなりません。
大切なのは、すべての結果には、それに相応しい原因が存在するということです。
あなたは、ただ生まれた訳ではありません。
無意味に生まれる者など存在しないのです。
そのことを覚えておかなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を忘れています。
多くの人は、人生に目的を見出すことなく生きているのです。
それが悪いということではありません。
人には、目的を見失っている時期も必要です。
あなたが人生の目的を見失っているというのであれば、人生の目的を探すことです。
探せば、見付かるものです。
しかしながら、探さなければ、見付かるものではないのです。
あなたは、目的を以て生まれて来ました。
それがどのような目的であったとしても、そのために生まれたのです。
あなたの人生の目的は、それを果たすためなのです。
それ以外のために生まれて来たのではないのです。
あなたは、目的を果たすために生きています。
それ以外の理由はありません。
すべてが、人生の目的を果たすための布石(ふせき)であるということを理解しなければならないのです。
それがどのような状況であろうとも、人生の目的を果たすために必要な学びです。
必要な学びを得ることによって、あなたは目的を果たすための必要を満たすことが出来るのです。
人生の目的は、どうしても果たさなければなりません。
あなたには、それを拒絶することは出来ないのです。
なぜなら、あなたは人生の目的を果たすために生まれたからです。
あなたは、人生の目的を果たすための”形”で生まれて来ます。
あなたは、人生の目的を果たすための存在なのです。
あなたという形は、人生の目的を果たすために、最も適した形なのです。
あなたは、自分を大切にしなければなりません。
あなたは、自分の能力で生きなければなりません。
自分を大切にしていない者は、自分の能力を発揮することが出来ません。
自分の能力を発揮することが出来なければ、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
あなたは、自分の能力を生きなければなりません。
自分の能力は、人生の目的を果たすために与えられたのです。
あなたが、自分の能力に気が付いていないとしても、それは与えられています。
あなたには、あなただけの能力が与えられているのです。
しかしながら、それは特別な才能という訳ではありません。
他者との違いによって、能力が実現するのです。
あなたは、人生の目的を変えることが出来ません。
この世界においては、原因がそれに相応しい結果を実現することを避けることは出来ないのです。
すべての原因は、必ず結果として実現するのです。
そのため、人生の原因である人生の目的は、必ず果たされるのです。
あなたは、自分の能力で生きるしかありません。
現状を大切に扱いましょう。
自分の能力を生かして、人生の目的を果たしましょう。

2019年5月11日土曜日

本質を取る

すべての人には、役割が与えられています。
そして、すべての人生には目的があるのです。
あなたは、与えられた役割を果たすことによって、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
すべての人は、汚れています。
そして、すべての人は歪(ゆが)んでいるのです。
歪みは、認識を歪ませます。
それは、自身が歪んでいることによって、世界が歪んで見えるからです。
歪んだ世界を見れば、認識はその通りに歪んでしまうのです。
多くの人は、歪んだ世界を”普通”だと思い込んでいます。
そのことで、役割を果たすことや、目的を果たすことが妨げられるのです。
認識が歪むことは、問題を引き起こします。
人生における様々な問題は、認識が歪むことによって引き起こされているのです。
世界を歪んで認識していることが、問題の原因であるということなのです。
誰かや何かによって問題が生じている訳ではありません。
しかしながら、認識が歪んでいる人には、そのことを理解することが出来ないのです。
認識が歪んでいる人は、正しい世界を認識することが出来ません。
正しい世界とは、理(ことわり)のことです。
この世界には、理が存在しているのです。
理に従って、世界が成り立っているということを理解しなければならないのです。
理を見極めることが、世界を見極めることです。
正しい世界を見極めなければ、自らに与えられた役割を知ることは出来ません。
役割を知ることが出来なければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
歪んだ道を歩むことは出来ません。
歪んだ道を歩もうとしても、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
多くの人は、”良いもの”を取ることが出来ません。
多くの人は、”悪いもの”を取るのです。
良いものとは、本質的なもののことです。
そして、悪いものとは、末梢的(まっしょうてき)なもののことなのです。
認識の歪んだ者は、末梢的なものを取らなければなりません。
それは、認識が歪んでいるために、本質的なものを取ることが出来ないからです。
その良さをどれだけ丁寧に説明したとしても、本質的なものを取らずに、末梢的なものを取るのです。
それは、仕方のないことです。
認識が歪んでいるのです。
正しい世界を見ることが出来ないのです。
人が、本質的なものを取るためには、認識を正さなければなりません。
認識を正しく改めることがなければ、本質的なものを取ることが出来ません。
愚(おろ)かな者に価値を説明しても、それを理解することは出来ません。
豚には、真珠の価値は分からないのです。
これは、豚が愚かであり、劣(おと)っているということではありません。
真珠は、豚には必要がないということを言っているのです。
人は、それぞれに必要が異なります。
それは、それぞれに役割が異なっているからです。
人は、それぞれが異なる目的のために生きているのです。
豚には真珠が必要ではないように、自分の役割や目的にとって必要のないことのために生きている人が多いのです。
豚は、真珠のためには生きません。
しかしながら、人が自分にとっての必要のために生きることは難しいのです。
多くの人は、それを受け入れることが出来ないのです。
自分にとっての必要を受け入れるために苦しみが存在します。
苦しみの手助けによって、人は自分にとっての必要を受け入れることが出来るのです。
苦しみによって、傲慢(ごうまん)は砕かれます。
苦しみによって、人は謙虚(けんきょ)さを得るのです。
謙虚さによって、初めて受け入れることが出来るのです。
苦しみを経験しなければ、理を受け入れることも、本質へ近付くことも出来ません。
多くの人は、苦しみを嫌いますが、あなたは、苦しみについて考えてみましょう。
そうすれば、必要を受け入れることも出来るかも知れません。
苦しみによって、歪みは矯正(きょうせい)されます。
安易(あんい)に苦しみを否定してはなりません。
良いものは、苦しみを得なければ受け入れることが出来ないのです。
苦しみを利用しましょう。
苦しみに飲み込まれてはなりません。
苦しみによって本質を取るのです。



2019年5月10日金曜日

理由が分からなくても歩まなければならない

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生において、目的を果たさなければなりません。
この世界において、目的も無く生まれる人はいません。
すべての人が、何等かの目的を以て生まれるのです。
残念ながら、多くの人は人生の目的を忘れてしまいます。
多くの人は、人生の目的を覚えていられないのです。
なぜなら、この世の煩(わずら)いによって、覆(おお)い隠されてしまうからです。
この世の煩いは、とても強い刺激です。
それは、心を揺さぶるのです。
船舶で目的地へと向かう商人が嵐に会えば、積み荷のことや、自分の命のことで心が一杯になってしまいます。
その時には、目的地へと辿り着くことは二の次なのです。
それと同じように、多くの人は、この世の煩いによって、人生の目的を見失います。
すべての人には、辿り着かなければならない目的地があるのです。
しかしながら、多くの人はそのことを忘れているのです。
大切なのは、人生の目的地に辿り着くことです。
目の前の小さな目的を果たすことも大切ですが、目的地に辿り着くことの方が重要です。
船舶で目的地へと向かう商人が嵐に会って危なくなれば、積み荷を捨てても、目的地へと辿り着かなければならないのです。
命があれば、再び商(あきな)いを行うことが出来ますが、積み荷と共に海の藻屑(もくず)と成ってしまえば、意味がないのです。
目の前の目的も大切ではありますが、人生の目的地へと辿り着く方が重要であるということを理解しなければなりません。
あなたは、人生の目的地へと辿り着かなければなりません。
そのために、目の前の目的を手放さなければならない必要性があれば、それを手放さなければなりません。
目の前の目的に執着することが最善であるとは限りません。
時には、それを手放さなければならないこともあるのです。
あなたは、目的地へと向かって歩み続けなければなりません。
しかしながら、あなたは自分が辿り着かなければならない目的地を知りません。
例え目的地を知らなくても、あなたは、目的地に向けて歩みを進めなければならないのです。
その道程(みちのり)は、納得のいくものではないかも知れません。
大抵の場合、あなたには納得することが出来ないでしょう。
船舶で目的へと向かう商人が、積み荷を捨てることに納得はいかないのです。
しかしながら、時には積み荷を捨てなければならないのです。
あなたは、理由が分からなくても歩まなければならないのです。
残念ながら、人生において、理由が分かることなど殆(ほとん)どありません。
大抵のことは、理由が分からないのです。
理由が分からないとしても、あなたは歩み続けなければなりません。
人生は、納得することの出来ることばかりではありません。
人生は、決して思い通りにはならないのです。
あなたには、人生の理由が分かりません。
それは、仕方のないことです。
なぜなら、あなたには、”自分が何であるのか?”ということすら分からないからです。
自分が何であるか分からないのに、人生の理由が分かるはずがないのです。
分からないことを考え続けることには疲れてしまいます。
分からないことを考え続けるよりも、分かることを考える方が良いのです。
船舶で目的地へと向かう商人は、目的地に到着する必要があることは分かります。
それは、嵐の中でも分かることなのです。
そして、命を守るために、大切な積み荷を捨てなければならない状況であることも分かります。
そのために、積み荷を捨てるのです。
意地を張って、積み荷をそのままにしておくと、嵐によって船が沈んでしまう可能性があるのです。
目的地へと辿り着く必要がある時には、目的を手放しましょう。
いつまでも、その目的に執着してはならないのです。
あなたは必要に応じて、歩まなければなりません。
道のない場所に一歩を踏み出すことは出来ません。
思い通りにならなくても、次の一歩を踏み出さなければなりません。
理由が分からなくても、あなたは目的地を目指しましょう。
納得することなど出来ないのです。
立ち止まってはなりません。