すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生において、自らに与えられた目的を果たさなければならないのです。
与えられた目的は、人それぞれに異なります。
誰一人として、同じ目的を与えられてはいないのです。
あなたの人生の目的は、他者の人生の目的とは異なります。
あなたは、自分だけの目的を果たさなければならないのです。
自分だけの目的と聞けば、難しく思うかも知れません。
しかしながら、与えられた目的を果たすことは、それ程難しいことではないのです。
なぜなら、すべての人が、目的を果たすために生まれたからです。
すべての人が、果たすことの出来る目的を以て生まれるのです。
そのため、目的を果たす意志があれば、人生の目的を果たすことが出来るのです。
残念なことは、多くの人が人生の目的を果たそうとはしていないということです。
多くの人は、人生に目的が与えられていることを忘れています。
多くの人は、人生の目的を果たす必要があることを知らないでいるのです。
すべての人は、人生に豊かさを求めます。
すべての人は、幸福を得ようとしているのです。
しかしながら、多くの人は幸福を得られません。
得られていないからこそ、それを求めているのです。
幸福すら得られないのだから、人生の豊かさを得ることなど出来ないのです。
幸福も、豊かさも、目的を果たそうと志(こころざ)すことがなければ得られません。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることを好みます。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪ることによって、幸福や豊かさを得られると思い込んでいるのです。
残念ながら、目の前の快楽や欲望をどれだけ貪ったとしても、幸福や豊かさを得ることは出来ません。
偽りの幸福や豊かさならば得ることも出来るでしょう。
しかしながら、それはすぐに不幸や乏しさへと変わるのです。
目の前の快楽や欲望を貪ることで得られるのは苦悩だけです。
一時は、偽りの幸福や豊かさを得ることも出来ます。
しかしながら、それは所詮(しょせん)偽りに過ぎません。
そのため、すぐに苦悩へと姿を変えてしまうのです。
大切なのは、真(まこと)の幸福や豊かさを得ることです。
そのためには、目の前の快楽や欲望を貪ることを手放さなければならないのです。
それは、困難な歩みです。
目の前の快楽や欲望を貪ることは、とても楽な道程(みちのり)なのです。
なぜなら、利己的に振る舞っていれば良いからです。
自分勝手に振る舞う程、楽なことはありません。
多くの人が、幼い頃を切望(せつぼう)するのは、自分勝手に振る舞うことを許されたからです。
子どもは、多くの場合、利己的に振る舞います。
それは、子どもにとっては、今、この瞬間がすべてであるからです。
ある意味それは、目の前の快楽や欲望を貪る人の行為に似ているのです。
”手前”のことばかり考えて、次のことを考えないのです。
子どもは、自分のことで精一杯です。
子どもには、次の人のことを考える余裕がありません。
しかしながら、何をするにしても、この世界では自分で終わりではありません。
この世界においては、次の人が存在するのです。
どのようなことにおいても、あなたの次にそれを使う人が存在します。
あなたは、次の人のために行為しなければなりません。
なぜなら、次の人のために行為することは、次の人に貢献(こうけん)することであるからです。
すべての人は、何らかの行為によって、誰かや何かに貢献しなければなりません。
難しく考える必要はありません。
あなたは、次の誰かのために行為すれば良いだけなのです。
そうすれば、あなたは自らの目的を果たすことが出来るのです。
利己的な者には、必ず不幸と乏しさが実現します。
利己的な者は、その時は良くても、後に必ず不幸と乏しさを得なければならないのです。
あなたは、選ばなければなりません。
先に苦しいことが良いか、後に苦しい方が良いか?を選ばなければならないのです。
人生の目的を果たしたいと考えるのであれば、先に苦しいことを選択しましょう。
それは、自分のためではなく、次の誰かのために行為するということなのです。
あなたの目的は、偽りの幸福を得ることでも、偽りの豊かさを得ることでもありません。
あなたは真の幸福と真の豊かさを得るために生まれたのです。
真の幸福と豊かさを必要とするのであれば、次の人のことを考えて行為しましょう。
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