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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年7月31日水曜日

正しく向けられた心

あなたはその心を自らの求めるものに対して向けなければなりません。
人生は心によって築かれるということを知りましょう。
心が向かう先に人生が存在しているということを理解することがなければ、あなたは人生に対しての必要を満たすことはできないでしょう。
あなたがどのような理想を掲げていたとしても、その心がその理想に対して正しく向けられていないというのであれば、それを実現することはできません。
どのような言葉を用いても、それが心に従っていなければ実現することはないのです。
あなたはその心が何に対して向けられているのか?ということを確認しましょう。
人は心に従って行います。
しかしながら、人は心に無い言葉を吐くことができます。
嘘を吐くことができるのですから、その言葉と行いに相違が存在するのは当然のことなのです。
心にも無いことを言葉にするのは容易いことです。
人は誰しも簡単に嘘を吐くことができるのです。
しかしながら、行いはそのようにはいきません。
心に無いことを行うのは難しいことなのです。
あなたは心に無いことを行おうとする時には、そこには矛盾と大きなストレスを感じることでしょう。
人は心に在ることを行います。
どのような人であっても、心に無いことを行うのは難しいのです。
そのため、あなたが理想の結果を必要としているのであれば、その心が自らの理想に対して正しく向けられていなければならないのです。
心に反発する正しくない言葉を吐くことも可能です。
無理をすれば、自らの心に反発する正しくない行いをすることも可能なのです。
しかしながら、そのことによって得ることのできる結果は理想的なものとは言えないでしょう。
理想とは違う結果を得ることは苦しいことです。
心に反することは例外無く苦しいことなのです。
人は心に従って生きて、それによって心が満たされた時にのみ幸福を得ることができるのです。
そのため、人は自らの心に従って行い、心に従って生きなければなりません。
理想を実現させるためには、心に背いてはなりません。
あなたはその心を自らの求めるものに対して正しく向けておかなければならないのです。
言葉を用いて嘘を吐くことや、行動によって心を裏切ることによって自らを欺(あざむ)いているのであれば、理想を実現させることはできないということを知りましょう。
人は自らの心をその欲求に対して素直に向けなければなりません。
本当に必要なものは何であるのか?
素直に実現させたい欲求は何であるのか?
ということを認識しておきましょう。
そして、それに対して素直に正しく心を向けていましょう。
心がその理想に向けられていない状態では、それを行うことや実現させることは難しいのです。
それは実現することが皆、その心が向けられているのであるからです。
あなたがどのような理想を掲げていたとしても、その心がそれを実現させるために向けられていないのであれば、実現に対しては力不足であるでしょう。
その理想の実現に対して心が恐れを抱き、ネガティブな状態であるのであれば、理想の実現に対してその心が正しく向けられているとは言えないのです。
何の疑いもなく理想の実現を信じることができる心境こそが、理想に対して心が正しく向けられた状態であるのです。
どのような理想の実現に対しても必ず何等かの問題が発生します。
問題の起きないことはありません。
あなたが何をするにしても、そこには必ず何等かの問題が生じるのです。
問題が生じることは当たり前のことであるということを知りましょう。
問題を抱えると、人はその心を理想に対して正しく向けることが難しくなります。
そこには恐怖が大きく膨れるからです。
恐怖に負けて心を歪める人は、自らの抱える理想を実現させることはできません。
それは、理想に対して心が正しく向けられないからです。
理想に対して心が正しく向けられていない人が、理想を実現させることはできないということを理解しましょう。
それがどのような理想であれ、それを実現させるためには心を歪めてはなりません。
その行いが歪んでしまうのであれば、その理想を実現することはできないのです。
どのような事柄であっても、その理想を実現させるためには、それに必要な方法というものが存在するのです。
理想を実現させるための方法が歪んでいるということはありません。
それがどのような事柄であろうとも、それ実現させるためには理想に対しての真っ当な方法が必要なのです。
それが善行であっても、悪行であっても、それを実現させるためには正しい方法と正しく向けられた心が必要なのです。
歪んだ方法や心であっては、何事も実現しないということを理解しましょう。
あなたはその理想に対して自らの心が正しく向けられているのかを確認しましょう。
その方法が合理的であるのかを確認しなければなりません。
最も効率的な道を探さなければなりません。
最も価値を導き出す方法や心が重要であるということを理解しましょう。
理想を実現させるために、心を正しく向けることに努めましょう。

2013年7月30日火曜日

尊敬される人

人は人と支え合い、協力して価値を育みます。
人と人とが支え合い、協力することがなければ、そこに価値が育まれることはないでしょう。
人は人のために努めなければならないのです。
誰かのために努める人は尊ばれます。
そのような人は求められ、なくてはならない人となるのです。
その人が求められるのであれば、そこには喜びや豊かさが生じるでしょう。
その人が求められないのであれば、苦しみや乏しさが生じてしまうのです。
人は人に貢献する機会を得ることによって喜びや豊かさを得ることができます。
それ以外の機会によっては、それらを得ることはできないのです。
あなたは誰かの希望となりましょう。
誰かにとって必要な人となることが求められます。
あなたにだったら任せられる。
あなたにだったら理解してもらえる。
あなたにだったら助けてもらえる。
あなたはそのように信頼を得る人になることを目指さなければならないのです。
あなたが人に必要とされ、その希望となるのであれば、人はあなたを大切に扱うでしょう。
人から大切に扱われるということほど素敵なことはないでしょう。
人から尊ばれるほどの喜びは存在しません。
人は人の役に立つ存在でなければならないのです。
あなたは自分自身がどのようにすれば人の希望となることができるのか?を考えましょう。
どのような人であれ、誰かにとっての希望になることができるでしょう。
誰に対してでも良いのです。
ただ、人から尊ばれる人として生きなければなりません。
あなたが何歳になったとしても、人を支えること、人に協力すること、人に貢献することは大切なことです。
それが人が人であるためには重要なことであるということを覚えておきましょう。
人に大切に扱われない人が喜びを得ることはありません。
人は人からの愛情を求めているからです。
どのような人であっても、人からの愛情を欲しているのです。
心の中の人からの愛情が枯渇すれば、心がひび割れます。
傷付いた心によって人が苦しむことは必至であるのです。
それは、人が人であるからです。
人が人であるためには、人からの愛情が必要なのです。
人から愛されることがなければ、人は自らという存在を人として保つことはできないでしょう。
人が人であるためには、人からの愛情が必要であるということを忘れてはなりません。
だから、あなたは人からの愛情を得ることができる状況を築いておかなければならないのです。
誰かがあなたに頼ること、あなたに助けを求めることは、あなたに対する愛情の要求です。
あなたを求める行為は、あなたとの間に愛情を通わせたいと考えているのです。
そこに愛情を通わせたいと思わなければ、あなたを求めることはしないのです。
それがどのような関係であれ、あなたに助けを求めるのであれば、あなたの愛情(慈愛)を求めているのです。
この世界において、あなたが何かを得るためには何かを与える必要があります。
何かを与えるという原因がなければ、何かを得るという結果はないのです。
だから、あなたは愛を求めている人に対して、あなたが与えられる愛情を以て貢献しなければならないのです。
愛情を与えることができる人は、愛情を得ることができる人です。
愛情を与えることができない人は、愛情を得ることができません。
あなたが誰かに対して貢献するのであれば、何等かの豊かさを得ることができるでしょう。
あなたはあなたを求める人を拒絶してはなりません。
あなたに対して何かを要求するのであれば、それに応えましょう。
ただし、それが相手の役に立つことであるならば、という話です。
その行為が相手を甘やかしたり、怠慢を与えるようなことになるのであれば、その欲求に対して応える必要はありません。
人が苦しんでおり、その苦しみを自力によって打開するための頼りであるであるのならば、愛情を注いで尽力することに手を抜いてはならないのです。
人が愛情(助け)を求めるのであれば、あなたは愛情を与えましょう。
あなたは誰かの希望にならなければなりません。
誰かが求めるような自己や愛情を所有しなければならないでしょう。
あなたは人を支えようと努めましょう。
あなたは人と協力することに努めましょう。
そこには価値が育まれます。
価値が育まれることは素敵なことです。
その豊かさを見失ってはなりません。
人のために尽力し、人からの尊敬を得ましょう。

2013年7月29日月曜日

繋がりを断つ者

あなたはバランスの崩壊に気を付けていなければなりません。
どのような事柄においても、物事が上手く進み良い結果を残すためには、そのバランスが保たれていなければならないのです。
バランスの崩壊が良い結果の崩壊に繋がるということを知りましょう。
その考え方や捉え方や行動に偏りがあり、そのバランスを崩してしまうのであれば、人は良い結果を得ることはできません。
何かが過剰でもなりませんし、何かが不足してもならないのです。
物事の満足を知り、そのために加減しなければならないのです。
あなたは自らによって物事のバランスを計らなければなりません。
あなた以外に自らのバランスを整えることのできる人は存在しないのです。
あなたが物事に満足を得て、それを上手く進めて良い結果を導くことができるのか?ということは、あなた次第であるのです。
あなたは物事のバランスを考えなければなりません。
何かが多過ぎれば偏ります。
何かが少な過ぎても偏るのです。
偏りは歪みを生じさせ、歪みによっては豊かさを得ることはできないのです。
あなたは歪みを生じさせないように努めていなければならないでしょう。
歪みを生じさせないためには、物事に対しての偏らない判断力が必要です。
物事に対する判断力が偏っているのであれば、その行為は歪んでいるでしょう。
あなたは物事をより広く見なければなりません。
広い視野を以て物事を捉えなければならないのです。
そうでなければ見識を得ることはできないでしょう。
見識を得ることができなければ、人が良い結果を得ることはできないのです。
偏った考え方は偏った正義感を生み出します。
偏って強過ぎる正義感は許すことを認めません。
許すことができないのであれば、その考え方や行動が柔軟性を得ることはできないでしょう。
柔軟性を失った考え方や行動によって物事に対する反発が生まれます。
それによっては良い結果を得ることはできません。
何事に対しても柔軟に対応することができないのであれば、必要な成果を得ることは叶わないのです。
状況は常に変化しています。
良い結果を残すための条件も常に変化し続けているということを知りましょう。
状況に対応することができなければ、良い結果を残すことはできないのです。
的外れなことをしていては、良い結果など得られないのは当たり前のことなのです。
あなたは良い結果を残すために何をするべきであるのか?ということを考えなければならないでしょう。
良い結果を残すことを念頭に置いておけば、あなたは自らの手段に対して執着することはないでしょう。
手段に執着する人は的を外します。
正義感に従って柔軟性に欠ければ、何かを悪と見なして受け入れることができないのです。
何かを反発によって受け入れることができないのであれば、それがもたらす可能性も拒絶するということなのです。
それがどのようなものであろうとも、そこには必ず何等かの価値が存在しています。
この世界において、価値の無いものは存在しません。
それが悪であると思えるものであっても、そこには価値が存在しているのです。
偏った価値観によって、人は価値を見失うことでしょう。
あなたが価値を損なわないためには、物事に対する偏見を捨てなければならないのです。
偏見を捨てるということは、物事を悪と見なすことなく、そこから得られる価値を見極めるということでしょう。
あなたが悪と見なして嫌いなもの、それが苦しいと感じるものであっても、そこには何等かの価値が存在しているのです。
その価値を見極めなければなりません。
価値が存在しているにもかかわらず、その価値を見極めないのであれば、その状況の中においては価値を得ることはできないのです。
価値を得ない時間が多ければ、それだけ良い結果を残す時間が減るということです。
良い結果を残すことができなければ、人生が豊かなものになることはないのです。
あなたは自らの偏見と価値観の歪みに気を付けていなければなりません。
人は強過ぎる正義感によって、知らず知らずの内にその価値観を歪めているものです。
あなたはそれが悪であると考えてはなりません。
悪に見えるそれにも何等かの価値が存在しているのです。
それが悪と見えるのであれば、そこに存在している価値を見極めることができていないということを覚えておきましょう。
どのようなものにも必ず価値が存在しています。
この世界に価値のないものは存在しません。
あなたが成さなければならないことは、すべての物事に対して価値を見出すことです。
それが善であると考えたり、それが悪であると考えてもならないでしょう。
この世界には善悪によって分けられるものはありません。
「すべてはひとつ」に繋がっています。
その繋がりを断つ者には幸福が約束されないということを知りましょう。
あなたは善悪の隔たりによって、その価値観を歪めてはなりません。
何事においてもそのバランスを考えていなければならないでしょう。

2013年7月28日日曜日

価値の成り立ち

あなたは物事の価値を見極めなければなりません。
その価値を見極めることによって、あなたが受け取る状況が豊かなものであるのか?それとも、乏しいものであるのか?ということが決まってしまいます。
人生は自分自身の選択によって築かれるため、自分自身が価値を見出して選択したものによって決まるのです。
あなたが選択するということは、それを価値として見出したということなのです。
それを否定することはできません。
どのような人物もそれが自分自身にとって価値があると考えるから、それを選択しているということを理解しましょう。
それを選択したのも、何かを選択しなかったのも、あなた自身がそれを価値であると思ったからそうしたのです。
あなたは自らの選択が自らの価値の証明であり、人生の方針であるということを理解しなければならないでしょう。
それがどのような考えによって行われた決定であったとしても、最終的にそれを選んだということは、あなたにとってそれが最も価値があったということなのです。
行いこそが人の答えであるということを理解しましょう。
あなたがどのように弁解しようと努めても、自分自身がそのように選択し、行動したのであれば、それが価値であると深層では考えているのです。
その選択があなたに対して、どのような結果を導くことになるのかを考えましょう。
あなたは常に自分自身の選択が人生を築くということを知り、それがあなたにもたらす結果というものを意識しておかなければならないのです。
価値を見極めることが無い者は価値を損ないます。
価値を損なう者は豊かさを失うでしょう。
大切なのは価値を損なわないことであり、価値を育むことなのです。
何が価値であるのか?ということを見極める目を養わなければならないのです。
何が価値であるのかも知らずに、価値を得ることはできません。
それがとても価値のあるものであるとしても、あなたがその認識を所有していないのであれば、その価値を損なってしまうでしょう。
それがとても価値のあるものであると知っていたのであれば、それを損なうことはないでしょう。
価値は新たな価値を導きます。
あなたは自分自身にとって価値のあるものを見極め、それを手に取るように心掛けましょう。
価値を損なう人が価値を育むことはできないということを覚えておきましょう。
価値を見極めることのない人は、自ら価値を損ないます。
価値のあるものを所有していたとしても、それを価値だと認めることができずに損なうのに、物事が上手くいかないと嘆くのはおかしなことなのです。
自らがそれを損なっているのに、それが損なわれて悲観しているのは愚かなことでしょう。
人生の価値を見極めることができれば、あなたがそれを自ら損なうことはないでしょう。
何が価値で、何が価値ではないのかを理解しましょう。
あなたは自らにとって何が必要であって、何が必要ではないのかを常に考察しなければならないのです。
価値のないものを引き摺って歩くのは辛いことです。
それは楽しくありません。
山に登るのに箪笥(たんす)は必要ないのです。
海で泳ぐのにテレビは必要ありません。
必要のないものに価値はないのです。
あなたは自らの価値観や考え方や捉え方、それに生き方について、そこに必要のないものはないかを確認しましょう。
余計なものを抱えているのは疲れます。
いつの時も必要以外は必要ではないのです。
あなたは必要を満たせば楽しめるということを理解しなければならないでしょう。
必要以上を満たす必要はないのです。
彼(あれ)や此(こ)れやと思いを巡らし、必要以外のものに対して欲求を持ったところで、それが価値であるでしょうか?
余計な荷物を抱えてはなりません。
どのようなことについても、その価値(必要)がなんであるのか?ということを知らなければならないでしょう。
山に登るのであれば、それを楽しむことができる道具だけ持っていれば良いのです。
海で泳ぐのであっても同様です。
使い物にならないものは捨てましょう。
時と場所によって必要は違うものです。
あなたがその状況を楽しめないというのであれば、必要のない荷物を抱えているということなのです。
それが自らの価値観であれ、考え方であれ、生き方であれ、方法であれ、その状況に対してそれがあることで楽しめないというのであれば捨てましょう。
楽しむことに歯止めを掛けるものは必要ではないのです。
価値がない荷物(重荷)を抱えていてはなりません。
価値を見極めるためには勤勉でなければなりません。
様々なことに興味を抱き、それを知ること、それを経験することが重要なのです。
様々なことに対して成長を怠けている者には、価値を見極めることは難しいでしょう。
あなたは価値を見極め、豊かな人生を歩むために、必要というものを理解しましょう。
必要が価値であるということを覚えておきましょう。
砂漠で水に価値があるのは、それが必要だからです。
価値の成立ちを理解するのであれば、あなたはそれを損なわずに育むでしょう。

2013年7月27日土曜日

目的を支える柱

あなたはその目的に対して、それを支えるための柱を用意しなければならないということを知りましょう。
どのような目的を達成するにしても、その目的を達成するためにはやらなければならないことがたくさんあります。
目的を達成するためには、様々な準備が必要であるということを知っておきましょう。
何の準備も無く、目的が達せられるなどと考えてはなりません。
目的が達せられる背景には、それを達成するための原因が存在しているのです。
必要な結果を得るためには、必要な原因を所有する必要があります。
結果を導くための必要な原因を持たないのに、結果が得られるということはないのです。
あなたは何の準備も計画も無しに、物事が上手く進むことは有り得ないということを理解しましょう。
準備も無しに、状況がどうにかなる(うまくいく)ということはありません。
その目的が果たされることもないのです。
あなたは目的を支えるための柱を用意しなければなりません。
目的が崩れ去らないように支えなければならないのです。
目的を支える柱には様々なものが成り得ます。
それは物質的なものでもあり、意識的なものでもあります。
物質的な柱というのは、自身の健康、協力者、材料、場所、環境、資金、時間・・・などです。
意識的な柱というのは、熱意、計画性、勤勉、柔軟性、創意工夫、計画の変更と修正、精神力・・・などでしょう。
自分自身とそれ以外の存在が目的を支える柱と成り得るのです。
あなたはその柱が目的を支えることができるような形と位置を見極めなければならないのです。
どれだけの柱を用意しても、それが見当外れな形であって、そのような位置に設置されるのであれば、目的を支えることはできず、その意味を果たさないのです。
柱を多く用意すれば良いというものではありません。
その目的を支えるための理に叶った形と場所にそれがなければならないのです。
あなたはそれを見極めなければなりません。
必要は、必要最低限であるということを覚えておきましょう。
多くても悪く、少なくても悪いのです。
目的を支える柱が必要よりも多ければ、その造形は美しさを失い、それを洗練するためには余計な負担を強いられることになるでしょう。
目的を支える柱が必要よりも少なくても、同じことが言えるのです。
樹木は成長するに従って必要のない枝葉を落とします。
または、必要に従って新たな枝葉を伸ばします。
茂らせることと枯らせることによって、樹木はその樹形を洗練させるのです。
あなたもこれに見習わなければなりません。
自らの達成したいと考えている目的に対して良く思慮し、計画を立てて支えなければなりません。
その柱が必要のないものであると気が付いたのであれば、その柱を撤去しましょう。
目的を支えるために柱が足りないと感じるのであれば、直ちにそれを立てましょう。
生産することと廃棄すること、掴むことと手放すことを知って、目的を果たしましょう。
間違っていると思うのであれば、それを修正して補うことが必要です。
間違っていると思いながら、またはそれを知っていながら計画を進めてはなりません。
そのような計画が目的を果たすことなどないと理解しましょう。
必要な柱を立てましょう。
必要のない柱は抜きましょう。
目的が合理的に、または美しく支えられる姿を見なければなりません。
物事が達成される時、そこには合理的な働きがあり、それはとても美しいものです。
あなたは自分自身とそれ以外の存在をできる限り美しくするように心掛けなければなりません。
汚れた自己や協力によって目的を果たそうとしてはなりません。
腐った柱によって目的を支えたところで、それが崩壊するのは目に見えているでしょう。
美しい柱が崩れ去ることはありません。
それは風雨にも堪え、立派に役割を果たすことでしょう。
蟻が食らってあるような柱を用いてはなりません。
それは見た目には美しいかも知れません。
あなたはその柱を手に取り、良く吟味(ぎんみ)しなければならないのです。
何も考えずに、何の確認もしないで目的に向かってはならないでしょう。
誰かが準備した柱(知識や価値観や方法)が良いものであるとは限りません。
それが良い品質の柱であるのかは、自分自身によって判断しなければならないのです。
あなたは目的を支える柱を用意しましょう。
怠慢ではなりません。
自分自身の目的のために懸命に働きましょう。

2013年7月26日金曜日

素敵な一日

人生を豊かなものにするためには、日々の事柄について考えていなければなりません。
どのような理想を抱えていたとしても、日々の事柄がそれに対して矛盾しているのであれば、豊かな人生を得ることはできないでしょう。
日々の積み重ねが人生であるということを理解することがない人には、豊かな人生は導かれないでしょう。
日々をどのように過ごすのか?
日々がどのようなものであるのか?
日常がどのような状態であるのかということが大切であるということを理解しなければならないでしょう。
日々を疎(おろそ)かにする者が、人生を豊かなものにすることはできません。
それは、すべてのものが積み重ねであり、継続であるからなのです。
手に入れたそれがどのように豊かなものであったとしても、それを維持することができないのであれば、すぐさまそれを失ってしまうのです。
どのような幸運に恵まれたとしても、それを継続することができないのであれば、それを豊かさとは呼べないでしょう。
あなたは物事の豊かさというものが、積み重ねや継続によって成り立っているということを覚えておかなければならないでしょう。
人生は日々の積み重ねです。
人生の豊かさとは、素敵な日々の積み重ねであるのです。
あなたは日々を素敵に生きなければならないのです。
その日一日が素敵なものであれば、あなたは気分が良いでしょう。
気分が良いということは、その心が満たされるということなのです。
心が満たされるような日常を過ごす程の豊かな人生は存在しないでしょう。
それは素晴らしいことなのです。
その日一日を苦悩によって過ごすのであれば、気分が悪いでしょう。
気分が悪ければ、その心が満たされるということはないのです。
心を損ないながら日々を過ごす人は、豊かな人生を実感するということはないでしょう。
大切なのは、日々が豊かであることです。
小さなことの積み重ねが大きな豊かさへと繋がっているのです。
小さなことを積み重ねることができない人には、大きな豊かさを得ることはできないのです。
当たり前のことができない人が幸福を得ることなどできる訳がないのです。
あなたは日々の事柄を疎かにしてはなりません。
それがどのような日常であったとしても、それを素敵なものにしなければならないのです。
その日が終わる時には、素晴らしい一日であったと満足することができるように生きていなければならないのです。
あなたはそれが多く存在している日々の中の一日だからと軽んじてはなりません。
一つの部品の不備によって、機械全体が動かなくなるということは十分に有り得るのです。
それがどのような一日であろうとも、どうすればそれが素敵な一日であったと思えるのか?を考えましょう。
または、そのように行動しましょう。
小さなことで良いのです。
日常の中に素敵なことが一つでも多く導かれるように努めましょう。
その素敵なことが小さなものであったにしても、それが無いのと有るのでは大きな違いなのです。
一つだけでも何か楽しいことがあった一日と、何も楽しいことがなかった一日では、あなたの気分は全く違うものになるのです。
人生は自らの選択によって築かれます。
あなたがその日一日をどのようなものにするのかを決めることができるのです。
その日一日を決めることができるのであれば、人生をも決めることができるということを知らなければならないでしょう。
あなたが豊かな人生を生きるのか?それとも、豊かさに乏しい人生を生きるのか?ということは、自分自身で決めることができます。
日々をどのような気分によって生きるのか?ということが重要なのです。
あなたは良い気分によって日々を生きることに努めましょう。
その日一日を素敵なものにしようと努めなければなりません。
そのような考え方や捉え方、それに行動が求められます。
素敵なことを探し、それがなければ生み出しましょう。
探せば何かしらの楽しみは存在しています。
生み出せば何かしらの喜びを得られるのです。
楽しいことが無いというのは言い訳です。
人生には素敵なことが溢れています。
それを探すか、生み出さなければなりません。
方法はたくさんあります。
怠ってはなりません。
詰まらない退屈な日常を生きてはなりません。
変化に富んだ素敵な日常を生きましょう。
どのようなことによってその日一日が素敵なものになるのかを考えましょう。

2013年7月25日木曜日

将来

あなたは出来うる限り、物事の価値を損なわないように努めなければなりません。
あなたが所有するものや携わることが価値を損なうことなく、更にはそれを増すのであれば、あなたが不足することはないでしょう。
価値を損なうから物事は不足し、あなたはその状態に対する不安や心配などの破滅的な感情に支配されて苦しむのです。
価値が損なわれず、物事に不足がなければ、あなたが不安や心配などの破滅的な感情によって苦しむことはないでしょう。
あなたの所有するものや携わるものが価値を損なわないよう、できればその価値が増すように努めなければなりません。
物事の価値の変動には、あなたの選択が大きく関わっているのです。
それが価値を増すのか?それともそれを損なうのか?ということは、あなたの選択次第であるのです。
人生におけるすべての事柄は、あなたの選択によって生じるということを覚えておきましょう。
それが価値を増すことになろうと、価値を損なうことになろうとも、それはあなたの選択次第であるのです。
ならば、あなたは価値を増すための選択をしなければならないでしょう。
求める価値によって、どのように選択するべきであるのかが違います。
価値にも様々な種類や方向性が存在しているため、あなたが思う価値を増すような選択をすることが最善でしょう。
その価値を増す為には、短絡な発想によって判断をしないことが重要であるのです。
物事に対しては、現状だけを見ることによって判断してはなりません。
すべての物事には可能性というものが存在しているからです。
良くも悪くも、すべての物事はそこから更に成長するということを忘れてはならないのです。
その成長を見極めることが重要です。
または、それが価値を増すように計らうことが求められるのです。
あなたにとって必要な価値のないものを育てても、必要な価値を得ることはできません。
それが自らの求める価値を生む要素があるのか?ということを見極めることは重要なことなのです。
林檎の果実を欲しているのに、蜜柑の種を蒔いて育てても、林檎の実を得ることはできません。
実りがある時に、それが林檎ではなかったと言って嘆(なげ)いても、その時間を取り戻すことはできないのです。
これから蒔く種が林檎のものであるということを確認しておかなければ、必要な価値を得ることはできないでしょう。
例え、あなたが欲する林檎の種を蒔くことができたとしても、それを必要に従って育成することができなれば、やはり林檎の果実を得ることはできません。
求める価値が何であるのか?ということを理解すること。
その価値を得るためにはどのような方法が必要であるのか。
という二つのことを知って、人は自らが求めるその価値を得ることができるでしょう。
林檎の果実を得る為に、それを種から育てなければならないのであれば、自らに対しては思慮深く在ることを求めましょう。
種から果実を得るためには、どうしても時間が必要です。
短絡な発想によって物事を判断しているのであれば、果実を得るどころか、その前の段階である花を見ることもできないでしょう。
物事を感情に任せて判断してはなりません。
怒りや悲しみの感情によって自らを決めているのであれば、果実をつけないという理由で、二年目を待たずして大切な苗木を切り倒してしまうでしょう。
感情に判断を任せるということは、果実が実るのを待たずして木を切り倒す行為と同じことであるのです。
目の前の事実だけを見て右往左往しているのであれば、いつまで経っても必要な価値は得られません。
現状が求めるものとは違っていても、それが育つという可能性を忘れてはならないのです。
一年目に咲かなかった花が、二年目には咲くかも知れません。
そのための方法に努めるのです。
物事を簡単に投げ出して諦めてしまうのであれば、必要な結果(価値)を得ることはできないでしょう。
例え、それが現状においては上手くいっていないものであろうとも、それがあなたが欲する価値に通じる道であるのならば、その可能性を信じて進むことが求められます。
あなたの欲する価値が、世界中を探してもその道だけであるかも知れません。
林檎の種を所有しているのにそれを育てることもなく、蜜柑の種を育ててはなりません。
あなたは自らが欲する価値の為に努めなければならないのです。
諦めは苦しみをもたらします。
諦めによって自らを慰めるのであれば、あなたは後悔を受け取ることになるでしょう。
あなたは自らにとって何が価値であるのか?ということを考え続けなければなりません。
この人生において最も価値のあるものは何であるのか?それを追求しなければなりません。
人生は一度きりです。
そこに後悔を残してはならないでしょう。
どのようなことに関しても、自らの所有するものや携わることの価値を損なってはなりません。
あなたは出来る限りそれが価値を増すように努めましょう。
物事の可能性を見極めなければなりません。
感情によって短絡的に判断してはなりません。
思慮深く、慎重に価値を育てましょう。
目には見えないことではありますが、将来を見据えましょう。

2013年7月24日水曜日

自由を損なうもの

あなたは何の不満があるというのでしょう?
あなたは自由を得ているというのに。
あなたには最高の自由が与えられています。
その自由を以てしても、あなたの不満は尽きないのでしょうか?
では、何を得れば満たされるのでしょう?
あなたは自らの欲深さに注意しなければならないでしょう。
あなたには最高の自由が与えられています。
あなたは好きに生きることができるのです。
好きなことを職業とし、自由な時間を過ごすことができるのです。
あなたには選択の自由が与えられているのです。
このような自由を与えられていながら、それを不自由であると見なし、状況に対して不満を持つのであれば、それは自分自身に問題があるということでしょう。
あなたが何かを強制されることはないのです。
あなたはそれを受け入れることも、断ることもできるのです。
それなのに、自由が無いというのであれば、あなたは自由のために闘うことを怠っているのです。
世界はすべての者に対して自由を与えています。
人生に自由を得るのも、それを失うのも、自分自身の責任であるということを理解しましょう。
あなたが強制的な力によって自由を奪われているということはありません。
あなたが乳飲み子であるのであれば、必要として自由が与えられることはありません。
しかしながら、あなたは自分で考え、自分で感じ、自分で判断し、自分で行うことができるでしょう。
そのような状況にありながら、自由を否定することはできないでしょう。
あなたには自由が与えられています。
あなたの自由を妨げていると思っている存在が、本当にあなたの自由を妨げているのでしょうか?
それはあなたの勘違いかも知れません。
あなたは何事にも束縛を受けていないにも関わらず、その束縛が存在しているという幻想を抱いているのかも知れません。
残念ながら、あなたの自由を妨げているものはあなた以外には存在しません。
この世界は自由なのです。
あなたには選択の自由が与えられているのです。
あなたが不自由を感じているのであれば、それはあなた自身が選択した事柄が不自由を導いたということに至るでしょう。
人生は自己責任であるのです。
それが楽しかろうと、苦しかろうと、すべてはあなたがそのように行動した結果であるからです。
人は自由を与えられています。
あなたは本当に何かや誰かによって自由を奪われているでしょうか?
あなたがそのように考え、思い込んでいるだけではありませんか?
人は、人生は自由なのです。
自分の人生は自分自身によって決めることができるのです。
自由が奪われることはありません。
そう思うのであれば、あなたが自分自身の自由を損なうように行っているのです。
あなたはそのことに気が付かなければなりません。
自らの価値観や行動が自らに自由を与え、またはそれを奪いもするということを覚えておきましょう。
あなたは自由を得るために行動しなければなりません。
その価値観や行動が自由を損なうようなものであってはならないのです。
恐怖の感情は人の価値観や行動を制限してしまいます。
制限が存在すれば、それは即ち自由ではありません。
あなたは恐怖によって自己を制限してはならないのです。
自己が恐怖という制限を離れることができたなら、人は人生に自由を得ることができるでしょう。
あなたが何かに対して不満を抱いている時点においては、その心は束縛されています。
人が恐怖を離れることができれば、その心が束縛されることはないでしょう。
不満も恐怖から導き出されるということを覚えておきましょう。
恐怖を離れた時、人は自由になれるのです。
あなたは恐れてはなりません。
恐れたら自由が損なわれます。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、恐怖を捨て去って自由を得ることです。
せっかく与えられている自由を、自ら損なってはなりません。
あなたはもう一度、自分自身について考えてみましょう。
あなたの自由を奪うものがどこから来ているのか?を見極めましょう。
豊かに生きて、好きなものを得られる時代です。
あなたは自由なのです。
何ものにも支配されることなく、あなたは自らの目的を遂行することができるのです。
あなたは自らが成すべきことを成せるのです。
それは素晴らしいことであると気付きましょう。
自由の中にあって、不満を唱えてはなりません。
恐怖から自らを解放し、自由を得る為に闘いましょう。

2013年7月23日火曜日

命の使い方

あなたには自らの人生を決める責任があります。
あなたは自らがどのように人生を生きるのかを決めなければならないのです。
人生を生きるということは、その命を使うということです。
人は生きている間、絶え間なく命を使っているのです。
あなたには自らの命をどのように使うのか?という選択が委ねられているのです。
あなたは自らの抱える命の使い方について思案しておかなければなりません。
命の使い方によって、人生が築かれます。
命をどのように使うのか?ということはとても大切なことなのです。
あなたは命を粗末に扱ってはなりません。
命を軽んじてはなりません。
自らの人生を軽視し、現在と将来を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
あなたは危機感を持っていましょう。
この人生は闘いの場所です。
選択を間違えれば苦しみます。
苦しみが悪いと言っている訳ではありませんが、苦しみに捕われるという怠慢は避けなればならないのです。
人は常に人生を喜びと豊かさによって満たさなければなりません。
人生には苦しいことがたくさん存在しています。
人生が気楽であるはずがありません。
上手くいかないこともたくさんあります。
そのような状況の中にあっても、人はそれを乗り越えて進み、喜びを得なければならないのです。
いつまでも苦しみの中にいることは許されません。
人は幸福を得るために、この苦しい人生を生きているからです。
あなたは幸福を得るために、その命を使わなければなりません。
苦しみに会っても、それを乗り越えて進み、その先に存在している幸福を掴むために命を使うのです。
生きるために命を使わないで、何の為に命を使うというのでしょう?
命は生きることを求めているのです。
あなたは生きることを考えていなければなりません。
物事の成功を思い、それが実現するように努めなければならないのです。
それは決して優しいことではありません。
物事を成功させ、人生に喜びを得るためには生きなければならないのです。
何の目的も喜びも無く、死んだように生きてはなりません。
自分のことだけを考えて思い悩み、その心を殺してはなりません。
生きるということは喜びです。
あなたは何が本当の喜びであるのかを考えましょう。
あなたは自らの命を自由に使うことができます。
それができないという言い訳は通用しません。
苦しい状況を乗り越えるために命を掛けて闘ってもいないのに、命が自由でないという考えを持ってはならないのです。
命を生かすも殺すも自分次第なのです。
あなたは命を生かさなければなりません。
物事が上手くいかない状況があります。
最終的に人は寿命を終えて人生を去ります。
それらは避けられないことです。
上手くいかないことや終焉(しゅうえん)は必ずやって来ます。
しかしながら、上手くいかない状況を受け取ったとしても、終焉によって肉体を失ったとしても、命は精神という形によって生き続けることができるのです。
あなたが何かに対して失敗したとしても、そこで諦めることがなければ命(心)は燃え続け、生き続けるでしょう。
あなたが死によって人生を離れたしても、生前に命を生きることのために使い続けたのであれば、その熱意は多くの人に影響を与えるでしょう。
そして、その命は受け継がれ、更なる命を紡ぐのです。
あなたはその命を生かす道を考えなければなりません。
どのように命を使うのか?を考え続けなければならないのです。
命を使い切ることがなければ、人は人生に後悔を残します。
晴れて人生を去ることができる将来を思い浮かべて生きていましょう。
清々しい気持ちによって死にましょう。
何事にも執着しないことは幸せです。
執着しないためには、それをやり尽しておく以外に方法はないでしょう。
あなたは人生を精一杯に生きましょう。
やりたいことはすべて行いましょう。
あなたがやりたいことはそのほとんどを経験することができるでしょう。
そのために、命の使い方を考えなければなりません。

2013年7月22日月曜日

何のために生きているのか?

あなたは恐怖に従って人生を築いてはなりません。
恐怖に従って人生を築くということは、自分自身とその道を歪める行為であるということを知らなければならないでしょう。
自分自身と人生が歪むことほど苦しいことはないということを知りましょう。
この人生において、自分自身という存在がその目的を果たすことができないこと以上の苦しみや後悔は存在しません。
どれだけ生き長らえたとしても、自分自身の存在がその目的を果たすことができなければ、人は人生を苦しみ後悔するということを理解しなければならないのです。
長く携わることが良いことではありません。
そこでどのような成果を上げるのか?ということが重要であるということを理解しましょう。
人が百年間生きて築いた成果よりも、十年間生きることによって築いた成果の方が何かに対して貢献しているのであれば、その方が優れています。
長く生きること、長く携わることが優れていると考えてはなりません。
何事もそこで上げる成果が大きい方が優れているのです。
あなたはそのことを意識しながら人生を選択しなければならないのです。
多くの人はそのことを知らずにいます。
そのために、恐怖に従って選択するのです。
恐怖とは自らの弱さが作り出した幻想に過ぎません。
恐怖というものに実体は無いのです。
実体の無いものによって自分自身とその道を損なってはなりません。
恐怖によって成さねばならない自分自身の目的を疎かにしてはならないのです。
あなたが成さねばならないことが何であるのか?ということを常に意識しながら生きることは大切なことなのです。
人が人生に目的を持たないのであれば、ただ生き長らえるだけで何の成果も上げることはできないでしょう。
成果を上げず、目的を果たさないのであれば、人は何のためにそれをしているのでしょう?
自分自身は何のために生きていたのか?ということを命が尽きる寸前になって思い知らされても遅いのです。
物事が終わりに近付いてから焦っても、結局は何もできないのです。
人生は積み重ねであるということを覚えておきましょう。
一つひとつのことを誠実に積み上げることをしなければ、必要な成果を上げることはできないのです。
それがどのようなことであっても同じことです。
自らが行ったこと以上の成果を得ることなどできないのです。
あなたは何のために生きているのでしょう?
どのような目的を持ってそれを行っているのでしょう?
自分自身とその道を達成することがなければ、心が満たされること、その先に存在している幸福を得られないということを理解しましょう。
恐怖という幻想は人を歪めてしまいます。
恐怖によって戸惑いが生じ、諦めと怠慢が導かれます。
恐怖という破滅的な力に従って生きても、豊かさを得ることはできないのです。
自分自身の行うことに対して躊躇(ちゅうちょ)なく生きなければなりません。
それを失敗するかどうかということはどうでも良いことなのです。
想像することのできる結果だけを求める人は、それ以上の結果を得ることはできません。
人が想像する世界と、実際のこの世界を同じものとしてはなりません。
良くも悪くもあなたが思う結果が得られるとは限らないのです。
恐怖はあなたに最悪な結果を想像させます。
しかしながら、恐怖に打ち克って行うのであれば、最悪な結果に落ち込むことはないでしょう。
それは、自らが行ったことが結果として導かれるからです。
この世界は感情によって動いている訳ではありません。
すべては行いによって築かれるのです。
あなたが恐れを抱いて物事を行ったとしても、その行いが正しいものであるのならば、結果は良いものとなるのです。
感情は行為の原動力に過ぎません。
厳密に言えば、感情によって人生が決まる訳ではないのです。
感情によって導き出される行動によって人生が決まるということを覚えておきましょう。
自らの抱える弱さが恐怖の感情を引き起こします。
人は誰もが弱さを抱え、物事に対して恐怖します。
それが悪いことであると言っているのではありません。
恐怖によって自分自身とその道を歪めてしまい、その目的を果たせないことを危惧(きぐ)しているのです。
それは苦しいことであるからです。
幸せに成りたいと願いながら、自分自身の目的に対して何も行っていない人が多過ぎます。
ただ願うだけで叶うことは何一つとしてありません。
恐怖に打ち克って行う者だけが成果を上げるということを覚えておきましょう。
あなたは何のために生きていますか?
あなたの目的は何ですか?
愚かに執着し、時間を浪費してはなりません。
自分自身にとっての成果を上げることを常に意識しておきましょう。
恐怖に従って人生を築いてはなりません。

2013年7月21日日曜日

役に立たないもの

あなたは心配する気持ちに注意しなければなりません。
あなたはどのような事柄についても心配してはなりません。
それは、心配から苦しみが導き出されるからです。
人が心配することがなければ、人生は楽しいということを知りましょう。
心配から不安が生まれ、不安から苦しみが生まれます。
物事に対して心配することがなければ、人が苦しむことはないのです。
あなたが苦しみの束縛に縛られたくないと思うのであれば、物事に対して心配する気持ちを根絶やしにしましょう。
どのようなことに対しても、そこに心配する気持ちが存在しているのであれば、その人の心は苦しみによって束縛されているということを理解しなければならないのです。
心配することがなければ、人の心はどれほど自由でしょう。
心配することがなければ、あなたはそれがどれほど心地好いかを知っているでしょう。
物事に対して心配しないということは素晴らしいことなのです。
心配するということは、そのことに対して心が煩(わずら)っているということだからです。
心が煩っているのであれば、人が幸福であるということは有り得ないのです。
心が煩いから解き放たれた状態こそが幸福であるのです。
あなたが幸福を求めるのであれば、その心が煩いから解放されなければならないのです。
心が煩いに束縛されないためには、物事に対して煩うことがなければ良いだけです。
煩うから心配して苦しいのです。
人が心配するのは、それが悪いことであると考えているからです。
これから受け取る状況が自らにとって不利であると考え、その悪い状況が自らを苦しめると考えているからなのです。
物事を悪いものとする価値観こそが、人の心に心配をもたらしているのです。
物事を悪いものとする価値観がなければ、人は心配によって物事に心を煩うことはないのです。
物事を悪いものとする価値観こそが心配と苦しみの原因であるということを理解しなければならないのです。
あなたは物事を悪いものと考えてはなりません。
この世界のすべてには必要性があり、どのようなことも決して無駄ではないのです。
物事は常に成長と発展に向かって進み続けており、何一つとして悪い方向へと進んでいるものはないのです。
物事が悪い方向へと向かっているという考えはありますが、事実としてのそれは認められないのです。
あなたは人生を客観的に眺めなければなりません。
人生を客観的に捉えることができたなら、目の前の悪いことが後の良いことであるということが分かるはずなのです。
それがどのような状況であれ、将来では良いものとして存在しています。
今は悪いものだと思えるものであっても、あなたが成長した時には、それが良いものであったと理解することができるのです。
人生があなたを苦しめることはありません。
人生は常に厳しくも温かくあなたを見守っているのです。
その表情は厳しくとも、その心はあなたを思いやっているのです。
人生はあなたを成長させるために努めています。
人生はあなたに教育を施しています。
それがあなたには苦しく思えても、人生はあなたに対して教育のつもりでそのような状況を導いているのです。
物事は良くなる方向へと進み続けていますが、あなたはそれを信じていなければなりません。
人生が間違えることはありません。
あなたは何事に対しても心配する気持ちを持ってはなりません。
物事は順調に進んでいるのです。
あなたが心配したところで、その煩いが解消されることはありません。
心配は何の役にも立たないのです。
あなたは心配する必要はないのです。
あなたは何事に対しても心配することなく、心穏やかに過ごしましょう。
物事に善悪を持ち込んではなりません。
物事はあるがままに受け入れましょう。
それが失敗でも、損失でも、間違いでも、苦しみでも構わないのです。
それらはただの結果でしかないのです。
結果は原因によって生み出されます。
受け取った結果を省みて、次の良い結果を残すための原因を用意しましょう。
物事に悪を見出すことがなければ、あなたの心が煩うことはないのです。
あなたは心配する気持ちに注意しなければなりません。
あなたが正しく生きているのであれば、物事があなたに苦しみを導くことはないのです。
人生はあなたの所有する原因を結果として運ぶだけです。
受け取る結果を悪いものとして見なさなければ、あなたは反省することができるでしょう。
反省して正すのに、苦しみを受け取ることなどないのです。
物事に心配することなく、あなたは人生を楽しみましょう。

2013年7月20日土曜日

自己のコントロール

人生の幸福は、それを自らの意思によって導く人に訪れます。
人生にどのような状況を得るにしても、それは自らのことなのです。
人が自己によって得るものが人生なのです。
人生は自己に従って進みます。
人生の結果は自己のコントロール次第です。
自己をどのような結果に対して合わせているのかによって、人生が決まるのです。
それは、自らそれを決めると言っても過言ではないのです。
あなたは自らの意思によって自己をコントロールし、そこから得られる状況によって人生を築かなければならないのです。
人生に対して必要な結果を求めているのであれば、自己のコントロールが重要であるということを覚えておきましょう。
人生は自己を主体として築かれます。
どのような人生も自己を無視することはありません。
人生には必ず、自己が影響を与えているのです。
自己が整えられていなければ、必要な結果を得ることはできないでしょう。
あなたは自分自身の抱える自己と人生の関係について知らなければなりません。
それを知らずに人生に対して必要な結果を導くことはできないのです。
人生に対して多大な影響力を持つ自己をコントロールすることがどれほど重要であるのか?ということを知らなければならないのです。
人生は自己によって築かれます。
それは、自己が思考と感情と価値観と行動によってそれを成すからです。
自分自身が判断し、実行するのです。
あなたが気を付けなければならないのは、自らの抱える思考や感情や価値観や行動の質です。
より良いものを所有しなければならないのです。
より良いものとは、より効率的に幸福を得るための原因(自己)です。
自己が幸福に対して向けられていないのに、あなたが幸福を得ることはありません。
自己が幸福に対して向けられた時に、あなたは幸福を得ることができるのです。
その思考、感情、価値観、行動が幸福に対して向けられていなければなりません。
そのためにあなたはこの世界の理(ことわり)を理解し、成すべきことと成すべきではないことを区別しておかなければなりません。
それが幸福を害する思考、感情、価値観、行動であるのならば、あなたはそれを出来るだけ素早く見極め、それを避けなければならないのです。
幸福を害する自己が存在しているのであれば、人の自己は幸福へと向けられてはいません。
自己が幸福へと向けられていないのであれば、人が幸福を得ることはないのです。
人が幸福を得るためには、自己が建設的であり、ポジティブなものでなければなりません。
正しさ、誠実さ、貢献、思いやり、向上心、美しさ・・・
どのような状況に対しても自己がこのような状態でなければ、幸福は得られないのです。
破滅的でネガティブで汚い考えや心や行為を所有してはなりません。
そのようなものを抱える自己が幸福を得ることはないのです。
人は自己が抱える原因を人生において受け取るのです。
あなたは自己が人としての美しさから外れた時に、勇気を以てそれを正しましょう。
どのような理由があろうとも、幸福を得たいと考えているのであれば、汚い自己を所有してはなりあません。
汚い自己が幸福を損なうのです。
自己がどのような状態であるのか?ということがとても大切なのです。
人は気付かぬ内に自己を歪めているものです。
周りの誰かが正しいと言って信じていたことや、自分では正しいと思っていたことが、自己を歪める原因にもなるのです。
間違った方法をどれだけ意固地に努めても正解が導かれないように、幸福に対して正しい自己でなければそれを実現させることができないのです。
幸福に対して間違った自己であっては、どのように努めても必要な結果を得ることはできないのです。
その考え、感情、価値観、行動が間違いであると気が付いたのであれば、あなたは出来るだけ素早くそれを切り捨てましょう。
それを放置しているのであれば、栄養が行って大きく成長するのです。
大きく成長すれば、それを取り除くことは難しくなります。
大きく成長した樹木の枝を切り離すことが難しいようにです。
出来る限り素早く、速やかにそれを行わなければなりません。
問題に対しては速やかにそれを解決するように努めましょう。
問題を先延ばしにしてはなりません。
良いことをするのに時間をかけていてはならないのです。
あなたは破滅的な習慣に束縛されてはなりません。
間違った方法に執着してはならないのです。
自己を正し、より良い方法によって自らを美しく保ちましょう。
その思考、感情、価値観、行動が苦しみを離れ、喜びに満たされることを願います。
あなたはそのようにしましょう。
人生の幸福は自己のコントロール次第です。
自己を人生の幸福に対して向けていましょう。

2013年7月19日金曜日

曖昧な根拠

あなたが人生を正しく導くためには、それを自分自身の意思によって築かなければなりません。
自分自身の意思によって築くことなく、人生が正しく導かれることはないのです。
大切なのは、あなた自身が主体であるということなのです。
これはあなたの人生なのです。
それを築く権利はあなたに与えられています。
他人があなたの人生を決める権限など所有してはいないのです。
あなたは自らの人生に責任を持たなければならないでしょう。
自らが判断し、自らが決断し、自らが行うのです。
自分自身が主体となって築く人生こそが正しい姿であるということを知らなければなりません。
あなたが自分自身で決めたことによってどのような結果を得ようとも、それで良いのです。
あなたが自分自身で決めたことであるのならば、それで最善であるということを知りましょう。
自分自身で決めた人生が常に正しいのです。
多くの人は傲慢(ごうまん)です。
自分の思い通り(有益)に人生が進まなければならないと思い込んでいます。
失敗することが悪いことであると見なして、それを回避しようとするのです。
何かに対して挑戦する中で失敗を回避しようとするのであれば良いのですが、それに挑戦する前から失敗を恐れてそれを回避しようとするのであれば、良い結果を得ることはできないのです。
失敗は悪いことではありません。
それが失敗であるということに気が付ければ、それは大きな利益なのです。
それが失敗するかも知れない、それが成功するかも知れないという推測の中だけで生きること程、滑稽(こっけい)なことはありません。
自分自身で体験することもなく、予想によってそれを評価する人は愚かであるのです。
大切なのは実体験の中から情報を得るということです。
自分自身が見てもいない、触れてもいない、生み出してもいなければ壊してもいない・・・
そのようなものの何を知っているというのでしょう?
知らないものに対して、あなたがどのような評価を下すことができるのでしょう?
あなたは自分自身で体験しなければなりません。
自分自身の意思によって人生を築くためには、自分自身の判断が必要なのです。
経験していない人は、それがどのようなものであるのか?ということを知りません。
知らないのであれば、正しい判断をすることができないのです。
どのようなものに対しても自分自身で触れること、それに触れようとすることに努めなければならないのです。
あなたは自分自身で体験していないものを、不用意に信用してはなりません。
人から聞いた。
皆がそう言っている。
それが常識だ。
このような曖昧な根拠によって何かを信用してはなりません。
自分自身で見て、聞いて、触れることによって得られる体験に従って判断を導きましょう。
あなたがそれを信用ならないと感じたのであれば、そのようなものを信用する必要などないのです。
あなたは自分自身の経験の中から信用できるものを探さなければなりません。
自分自身の体験から得た信用ではないものを信用した結果で苦しみ、そこに不満を持ってはなりません。
自分自身によって体験してもいないのにそれを信用したあなたに責任があるのです。
常識がそれを信じていたとしても、あなたが自分自身の体験によってそれを信用することができなければ、それを信じてはなりません。
常識が正しいという根拠はどこにも存在していないのです。
その結果、あなたが間違っているということを理解したのならば、そこから自分を改めれば良いのです。
あなたは経験のないことに対して疑いを抱かなければなりません。
疑いによってその真相を追求しなければならないのです。
常識だから疑う必要がない。
信頼できる人だから疑わない。
このように根拠が薄い信心(しんじん)が人の心にあれば、苦しみを受けるのです。
あなたは常に現実を見ていなければなりません。
物事の本質を見極めるように努め、真実から遠ざかってはなりません。
人生は現実です。
原因が結果を導く現実主義であるということを忘れてはなりません。
一つひとつの問題を解決し、価値を導くように働きかけることがなければ、人は豊かさを得ることはできないのです。
理想(推測、想像)ばかりを追い求めて、現実(体験)を軽んじてはなりません。
あなたは実際の体験の中に人生の答えを探しましょう。

2013年7月18日木曜日

悪いことをしなかった人

人が人生を豊かなものとするためには、自らにとっての利害というものを理解しなければなりません。
どのようなことが利益となり、どのようなものが損害となるのかを理解することなく、人生に豊かさは望めないのです。
損害ばかりを得て、どのように人生を豊かなものにするというのでしょう?
利益を得ることがなければ、人生が豊かなものになることはないのです。
あなたが人生に豊かさを求めるのであれば、何が利であり、何が害であるのかを知らなければなりません。
あなたは自らが次に取る行動がどのような状況(結果)をもたらすのかを考えましょう。
結果を正確に見極めることができなくても、それがどのようなものに収まるのか?ということは想像することができるはずなのです。
その想像を怠ってはなりません。
結果を想像して行動を選択しなければ、人は利害を区別することができないのです。
毒と薬を同時に飲むことは健康に繋がりません。
毒が存在しないのに薬を飲む必要はありません。
毒が存在しないのに薬を飲めば、却(かえ)って健康を損なうでしょう。
毒が存在しないのに薬を飲むことがなければ、身体は毒の猛威に犯されて、健康を損ないます。
利害を見極めることができなければ、人は苦しむのです。
悪いことをしなかったと自慢する人がいます。
悪いことをしなかったから、自分は良い人間だと考える人がいます。
悪いことをしなかったら、その人は幸福を得るのでしょうか?
残念ながら、悪いことをしなかったということだけでは不十分です。
悪いことをしなかったという理由によって、人が幸福を得ることはないのです。
なぜなら、悪いことをしないということは当たり前のことだからです。
悪いことをするのはマイナスです。
それは苦しいことです。
しかしながら、悪いことをしないということに評価は付きません。
何もしなければ、何も得られないのです。
それはゼロ地点であるということを覚えておきましょう。
スタート地点から動かない人を、誰がどのように判断し、評価することができるでしょう?
悪いことをしなかったという人は、何もしていないということに等しいのです。
ゴールに辿り着くことがない人が、果たして喜びを得るでしょうか?
想像してみましょう。
人生の豊かさを得ることができる人は、良いことをした人だけなのです。
悪いことをしないというのは、人として当たり前のことです。
当たり前の生活を続けただけで、心が満たされるでしょうか?
多くの人は人生を誤解しています。
何もしない人が得られる豊かさなど存在しないのです。
働いた者には報酬が与えられます。
損害を与える者には代償が課され、働かない者に与えられる報酬はないのです。
報酬は働いた者だけが受け取るのです。
あなたはその理(ことわり)を理解しなければなりません。
悪いことをしなかったから豊かさが得られるなどと安心してはなりません。
その時になって何も得られないということを知ったあなたは、自らの行為に対して絶望することになるでしょう。
あなたは良いことをしましょう。
良いこととは、貢献することです。
誰かや何かの役に立つことを心がけなければなりません。
それ以外の方法によって、人生を豊かなものにすることはできません。
ただの善人では人生の豊かさを得ることはできません。
役に立つ善人でなければならないのです。
あなたは働かなければなりません。
良いことを成さなければなりません。
怠慢なのは愚かなことです。
悪いことを成すことは罪ですが、悪いことを成さないことも、結果としてはそれに等しいということを覚えておきましょう。
悪いことをしていないのだから良いことがある、などという希望的観測は捨てましょう。
そのようなものは決して役には立ちません。
良いことを成すことだけに価値があります。
もしも、心が美しいだけで幸福を得ることができるというのであれば、世の中の子どもはすべてが幸福を得ているでしょう。
しかしながら、そのように甘い世界ではありません。
良いことを成さない限りは、どのような文句も聞き入れられないということを理解しておきましょう。

2013年7月17日水曜日

本当の楽しみ

どのようなものに手を伸ばし、どれほどのものを拾い集めても、それが自らの心を満たすことがなければ意味がありません。
あなたが手を伸ばし、拾い集めるべきは自らの心を満たしてくれる価値のあるものです。
それがどのように世間的な価値を有していたとしても、あなたにとっての価値が無いものであるのならば、それは価値が無いのです。
あなたにとって価値のあるものとは、その心を満たしてくれるものであるということを覚えておきましょう。
あなたは自らの心が求める価値を得るように努めなければなりません。
あなたにとっての価値とは何でしょう?
あなたはその答えを知らなければなりません。
自身にとって価値のあるものでなければ、何を得ようとも満たされることはないのです。
受け取った時に心が満たされるものでなければならないのです。
何によって心が満たされるのか?ということは人によって違います。
一人ひとりが違う個性を持っているように、一人ひとりの心を満たす価値は違うのです。
あなたはそれを見極めなければならないのです。
何が自分にとって価値のあるものかを知るためには、自分の心を知っていなければなりません。
自らの心に対して何が価値であるのかを知ることなく、それを満たすことはできないのです。
あなたは探し続けなければなりません。
あなたの腹が減るように、心も価値を必要としています。
心を飢えさせてはなりません。
心に不足を与えてはならないのです。
腹が減ると身体は健康を損なうように、心もその価値が不足すればそれは損なわれます。
心が栄養不足に陥り、活動することができない状態であるのならば、人は幸福を得ることはできません。
それは、幸福というものは心が感じることであるからです。
心が満たされており、必要な栄養を得られるのであれば人は幸福を感じます。
心が損なわれているのであれば、人は幸福を感じることができないのです。
人の本質は心です。
心が損なわれることによって幸福を感じることができないのであれば、人は豊かに生きることができないのです。
本質である心が損なわれているのに、人が何かによって満たされることはないのです。
心が満たされていること、それを満たそうと努めることが重要なのです。
心の栄養が何よりも大切であるということを覚えておかなければならないでしょう。
心が損なわれれば、決して幸福を得ることはできません。
心とはそれほど大切であるということを覚えておきましょう。
心の健康を維持するためには、心が求める価値に手を伸ばし、それを拾い集めなければなりません。
それはあなたにとって楽しいことでしょう。
それはあなたにとって喜ばしいことでしょう。
それはあなたが熱中することができるものでしょう。
あなたは自らの心が求める「本当の楽しみ」を見付ければなりません。
その辺に転がっている間に合わせの楽しみで満足してはなりません。
心は正直です。
栄養にならないものを無理矢理に楽しいと思い込もうとすれば、心に負担が掛かります。
それは苦しいことです。
「本当の楽しみ」ではないものを心にねじ込んだところで、心が傷付くだけなのです。
無理をすることなく、心に染み込んでそれを満たすものがあるはずなのです。
あなたはそれを探しましょう。
心に対して、自然に入り込んで溶け込むものでなければ、それが満たされることはないのです。
酒で喉は潤いません。
喉を潤すためには水を飲まなればならないのです。
何が自分にとって大切なものであるのかを考えましょう。
あなたは自らの心を理解し、その必要を満たしましょう。
心を満たすことは簡単なことではありません。
欲求と必要性の違いを見極めなければならないのです。
欲求を自由にし過ぎると、心は多く求めるばかりで節度を知りません。
節度を知らずに求め続ける心がその必要性を満たすことはありません。
食欲を押え切れずに多くの食物を貪り、健康を損なうようにです。
心に対しての栄養を与え過ぎれば、心は肥大して苦しむのです。
余計なものは取らない方が良いのです。
必要が満たされれば良いということを理解しましょう。
その必要を理解するために、人は心を知りましょう。

2013年7月16日火曜日

破滅的な考えとネガティブな思い

人が人生を豊かなものにしたいのであれば、その行いに注意しなければなりません。
その行いが乱れているのであれば、人生が乱れるということを覚えておきましょう。
それは、行いによって結果が導かれるからです。
そして、行いから導き出される結果の積み重ねが人生であるということを知りましょう。
結果を良いものにすることがなければ、人生が良いものになることはありません。
人生を変えるためには、その行いを変える以外に方法はないと知らなければならないのです。
行いに気を付けるということは、その思考に気を付けるということです。
人はその行いを思考によって導きます。
所有する思考に従って人は行うのです。
思考は心によって導かれます。
心の中に存在している価値観や感情が人の考え方を形成するのです。
あなたがその行いを良いものにするためには、その思考に注意を払い、その思いに気を付けていなければならないのです。
思考や思いに気を付けていない人の行為は粗雑であり、それが豊かさを実現することはないということを覚えておきましょう。
行いをコントロールしている人の思考や思いが乱れていることはありません。
人の結果は行いです。
その人がどのようなことを考えていると主張し、どのような思いによって生きていると公言していたとしても、その結果は紛れもなく行いに現れるのです。
その人がどのような行いによって生きているのかを見ることが重要なのです。
人は自らがどのような行いをしているのか?ということで人生が決まるのです。
どのように正しいことを考え、純粋な心を保っていたとしても、その行いが乱れているのであれば、良い結果を得ることができないのです。
その考えが強引なものであったり、心が闘争心によって駆り立てられていたとしても、その行いに乱れが生じることがなければ、人生には良い結果を得ることができるのです。
人は行いによって人生を築きます。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
あなたは自らの考えと思いを気を付けて、そこから生じる行いをコントロールしましょう。
建設的な思考やポジティブな思いを所有することからは、建設的でありポジティブな行いが生じます。
あなたが人生に良い結果を残し、それをより豊かなものにしたいと思っているのであれば、建設的な思考とポジティブな思いを所有しなければならないのです。
建設的な思考とポジティブな思いが存在しなければ、人生が豊かなものになることがないということを覚えておきましょう。
しかしながら、多くの人は自らの言動が破滅的でありネガティブな性質であるということを理解することができてはいません。
自らの思考や心が物事を豊かなものにする方法ではなく、苦しみを導くものであるのに、それが豊かさを導くと信じているのです。
すべては正しく導かれます。
原因が違った結果を導くことはないのです。
苦しみを導く方法によって、豊かさを導くことはできません。
それが豊かさを導く方法であれば、それはあなたが考えるよりも簡単に手に入ることでしょう。
あなたが所有する思考と心は、豊かさを導く方法でなければなりません。
建設的な考えとポジティブな思いこそが、あなたに豊かさを導く唯一の方法であるということを覚えておかなければなりません。
物事を破滅的に考え、ネガティブに思う人が多過ぎるのです。
それは知らず知らずのことであるかもしれません。
しかしながら、いくらあなたが知らないと主張しても、その思考や心は行いという形を以て結果を残します。
あなたは自らの抱えるものに従って必ず何等かの結果を残すのです。
あなたは物事に対して破滅的に考え、ネガティブに思ってはなりません。
それがどのようなものであろうとも、平生(へいぜい)からそれを建設的に考え、ポジティブに思うように心掛けましょう。
意識的にそのようにしなければなりません。
何も考えず、何も思わずに惰性的に生きてはなりません。
あなたの中にどのような当たり前が存在していようとも、それを当たり前だと見なしてはならないのです。
あなたが当たり前に良いことだと思っていた考え方や思い方が、良いものではない可能性があるのです。
人は常に学び、常に成長しなければなりません。
変化を止めた場所には喜びは存在しないのです。
あなたは破滅的な考えとネガティブな思いに注意しなければなりません。
それらによって自己を乱すのであれば、人は人生を乱します。
あなたは常に意識していなければならないのです。
自らの考えと思いがどのような状態であるのか?
それが自身と他人に対してどのような影響力を持っているのか?
自身が正すことがなければ、それが正されることはありません。
破滅的な考えを使ってはなりません。
ネガティブな思いに捕われてはなりません。
自己(心)を乱すことなく、その行いが乱れないならば、人がこの人生において豊かさを得るということを理解しましょう。

2013年7月15日月曜日

熱意の道

人の本質は心です。
あなたの中に存在している心という意識こそが、人の本質なのです。
本質はすべてのことにおいて重要です。
それは、すべての結果を本質が決めるからです。
見映えをどのように整えようとも、その本質がそれにそぐわなければ、必要な結果を得ることはできないのです。
あなたが求める結果に対して、その本質である心がそれに見合っていなければならないのです。
本質である心がその結果に見合っていなければ、人はそれを受け取ることはできないのです。
あなたは求める結果に対して、それに見合う心を築きましょう。
心は自ら築かなければなりません。
あなたの心があなた以外の誰かや何かに形成されることはありません。
あなたの心は、あなた自身にしか築くことはできないのです。
心がどのような状態にあるのかは、あなたの責任です。
あなたがそのように形成したから、心はそのような状態であるのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
心はあなた自身が築いているのです。
あなたは心で考えます。
あなたは心で感じます。
あなたは心で受け取ります。
あなたは心で触れます。
あなたは心で行動します。
あなたは心で生きているのです。
あなたを決めるのは心である意識です。
あなたは意識によって生きているのです。
あなたは自らがどのように生きるのかをその心によって決めているのです。
それを忘れてはなりません。
心がどのような状態にあるのか?
心をどのような状態に形成するのか?
ということが大切であるということを覚えておきましょう。
心を無視して、必要な結果を受けることはできません。
それは、心によって結果が決まるからです。
あなたが必要な結果を得るためには、心を整えなければなりません。
結果に対して心が整えば、あなたはそれを受けるでしょう。
結果に対して心を整えるということは、心に熱意を保ち続けるということです。
必要な結果やそれに達する方法に対しての熱意が存在しないのであれば、人は必要な結果を得ることはできません。
心が熱意によって活動しなければ、人は必要な結果に達するようには働かないのです。
心が働くことが、人が働くということなのです。
あなたは心が熱意を保つ方法を探し続けましょう。
心が熱意を持たないのに、それを続けていてはなりません。
そのような状態で何かに対して働きかけても、良い結果など望めないのです。
物事に対して誠実に向き合う人は、そこで必要な結果を得ることができるでしょう。
しかしながら、心に熱意がなく、物事に対してだらしなく向き合う人は苦しい結果を得ることになるのです。
あなたが必要な結果を求めているのであれば、何事に対しても熱意を以て向き合わなければなりません。
熱意のないことに対して、人が良い結果を残すことはないでしょう。
あなたがそれに対して熱意を保てないというのであれば、それを保つ方法を模索しましょう。
あらゆる方法を試しても熱意が抱けないというのであれば、思い切ってそれを手放しましょう。
どのように努めても熱意が導かれないものを無理に続ける必要はありません。
あなたが向き合い携わるものは、熱意を抱くことができることだけにしておきましょう。
良い結果を残すことがなければ、人は豊かさや幸福を得ることはできません。
この世界は結果がすべてです。
結果を残した者が優先されるのです。
あなたは良い結果を残さなければなりません。
そのために心に熱意を持ちましょう。
熱意の絶えない方法や道を探し続けましょう。
慣れによって人は熱意から遠ざかります。
あなたは慣れることに気を付けておかなければなりません。
常に熱意を抱くことができる方法によって、熱意を抱くことができる道を進みましょう。

2013年7月14日日曜日

積極性

物事に対して消極的な人物は、人生に必要な結果を受け取ることはありません。
それがどのようなことであっても、それに対して積極的な人物は何かしらの結果を受け取り、それがやがて必要を満たすことにもなるでしょう。
必要が一度で満たされることはないにしても、二度三度と積み重ねることによって満たすことは可能なのです。
一度の衝撃で砕けない岩も、度重なる衝撃を加えることによっていつかは砕けるのです。
あなたは物事に対して積極的な姿勢を維持しなければなりません。
物事に対して消極的な人物は結果を残す前にそれを諦めてしまうのです。
必要な結果を受け取ることができる人物は、どのような状況にあってもそれに積極的であるということを覚えておかなければならないでしょう。
諦める人物には結果は残せないのです。
あなたは常に積極的な姿勢によって物事に対して向き合わなければなりません。
思考や心持ちが行いを導きます。
そして、行いが結果を生むのです。
積極的な思考や心持ちは、積極的な行いを導き、理想的な結果を結ぶのです。
消極的な思考や心持ちは、消極的な行いを導き、理想とはかけ離れた結果を結ぶのです。
あなたが幸福を得るためには、理想的な結果を受け取る必要があります。
良い結果を受け取ることがなければ、豊かな人生は手に入らないのです。
あなたは良い結果を受け取るために、何事に対しても積極的な姿勢を保たなければならないのです。
あなたが積極的な姿勢を保つためには、そこに熱意がなければなりません。
熱意を抱けないものに対して積極的になれる程、人は優れた存在ではないのです。
熱意を抱くためには、それが楽しいと思えることでなければなりません。
楽しいと思えることでなければ、人は熱意を抱くことはできないのです。
あなたはそれを楽しいと思えるような状態にしておかなければなりません。
自分自身の価値観を変えることでそれを楽しいと思い、状況に変化を与えることでそれを楽しいと思わなければならないのです。
物事を楽しいと思わずに続けることで、そこに良い結果を受け取ることはできないということを覚えておきましょう。
物事は楽しいと思って続けることが重要なのです。
物事に対して積極的な人物は、それを楽しいと思っています。
楽しいから積極的に動くことができるのです。
楽しければ心は軽いでしょう。
詰まらなければ気が重いのです。
あなたはそれがどうすれば楽しくなるのか?を考えましょう。
少しの努力によって思ったような結果が受け取れないと悲観してはなりません。
大した努力もしていないのに必要な結果が出る程、人生は甘いものではないのです。
必要な結果が出るまで、努力し続けなければならないのです。
あなたがどれだけの努力をしたからどうということはないのです。
現れる結果がすべてを物語っているということを覚えておきましょう。
結果的に楽しくなければ、それは努力が足りないのです。
多くの人は自分が必要以上に努めていると考えています。
それは正しい考えかもしれません。
しかしながら、見当違いの努力を積み重ねたところで、必要な結果を受け取ることはできないのです。
楽しくもなく、熱意も持たず、消極的に物事を進めたところで、必要な結果を受け取ることなどできるはずがないのです。
そのような方法によって努力しても、時間と労力を使うだけで必要な結果には達することができないのです。
人は物事に対して楽しく、熱意を抱き、積極的に向き合わなければなりません。
消極的に向き合えば不満が生まれます。
積極的に向き合えば知恵が生まれるでしょう。
努める人には結果が導かれます。
怠ける人にはそれが得られません。
そのため、あなたは自らが携わる物事に対しては積極的な姿勢によって知恵を絞りましょう。
あなたの思う努力がどのような結果を導いたとしても、あなたは決して消極的になってはなりません。
一度や二度の失敗によって道を諦めるのであれば、必要な結果を得ることなどどのような人物にも不可能なのです。
どのような人物も多くの失敗を得ます。
受け取る結果が自らの思惑と違うのが普通です。
それは、あなたが進んでいる道が未知のものであるからなのです。
それがどのようなものであっても、これからのことはすべて未知であるということを覚えておきましょう。
同じ作業であっても、同じものではないのです。
前回と同じようにしても、同じ結果を得ることはできません。
あなたは物事が思惑に従って上手く進まない状況に在っても、決して気を落としてはなりません。
上手くいかないことも楽しむ度量が必要です。
どのような物事に対しても、あなたは消極的であってはなりません。
必要な結果を求めているのであれば、あなたは積極的な姿勢を保ちましょう。


2013年7月13日土曜日

感謝される人

この世界では、貢献に対して報酬が与えられます。
何かに対して貢献することは良いことです。
あなたが報酬という豊かさを求めているのであれば、何かに対して貢献することだけを心掛けていましょう。
仕事をしないのに報酬は得られません。
人生における報酬は、実際に貢献した者にだけ与えられるのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
貢献していないように見える人であっても、人知れずに貢献していることもあります。
また、貢献していない人でも報酬を受けることがあります。
怠けている人であってもそれが表立つことがなければ報酬を得ることはできます。
しかしながら、貢献に見合わない報酬を受け取っていることが明るみに出た時には、今までに得た報酬よりも多くの苦しみを得なければならないということを覚えておかなければならないのです。
この世界は平等です。
物事は正しく評価されています。
あなたはそれを信じることができないかも知れません。
しかしながら、世界が判断を誤ることはないのです。
上手くいかないのであれば、そこには上手くいかない理由が存在しています。
上手くいくのであれば、そこには上手くいく理由が存在しているのです。
この世界の理(ことわり)に従って正しく貢献することがないのに、報酬を得ることなどできないのです。
人生に対して不満を抱き、文句ばかりを吐き捨てている人は、この世界の理に従って正しく貢献することはできていないでしょう。
そのような人は必ず怠けているのです。
この世界の理に従って正しく貢献している人は、正しい報酬を受け取ることができます。
報酬を受け取っている人が不満を抱き、文句を吐き捨てるでしょうか?
報酬が少ないことに不満を抱き、文句を吐き捨てているのです。
必要なものが満たされれば、人が不満によって文句を吐き捨てることなどないのです。
人が不満を抱くのであれば、それは自らの貢献が不足しているということを理解しましょう。
誰かや何かのせいで報酬を受け取れないのではありません。
あなたが貢献しないから受け取れないだけなのです。
その理を知らない人や、その理を見失う人は人生に苦しむということを覚えておきましょう。
あなたは人生を苦しむ必要などないのです。
人生を豊かに生きれば良いのです。
そのために、あなたは貢献することを心掛けなければならないのです。
貢献するということは与えることである、ということを心に刻みましょう。
あなたは与える人にならなければなりません。
決して、奪う人になってはならないのです。
多く持っている人は与えることができます。
与えることができる人が豊かさを得ることは理解することができるでしょう。
少なく持っている人も与えることは可能です。
少ない中から少なくても与えることができれば、少なくとも報酬を受け取ることになるのです。
多く持っていても、少なく持っていても、与えない人が受け取ることのできる報酬はありません。
あなたは乞食(こじき)のようにただ受け取ろうなどと考えてはなりません。
ただ受け取ることは借り入れすることと同じです。
ただ受け取ることができるものなど存在しません。
この世界のすべてのもの(目に映るものもそうでないものも)が取引によって成り立ちます。
無料のものはありますが、代償を必要としないのものは存在しないのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
あなたは与える人にならなければなりません。
良いものを与える人になることが重要です。
人に対して為になるものを与えましょう。
この世界や人に対して為になる良いものを与えるほど、それは貢献したことになります。
あなたは世界や人に対して、良いものを与えるように心掛けましょう。
相手を中傷したり批判してはなりません。
相手の喜びを奪ってはならないのです。
例え、相手に何等かの落ち度があったとしても、良いところに着目して褒めることによって可能性や喜びを与えましょう。
褒められる人は楽しんで喜び、批判される人は怒りと苦しみを受けます。
人を導くにはその熱意を引き出す必要があるのです。
あなたは人に対して、希望や向上心を与える人にならなくてはなりません。
相手があなたに感謝することが人に対する貢献です。
あなたは感謝される人を目指すのです。
どのようなことでも構いません。
誰かや何かに対して為になる良いものを与え、それに貢献しましょう。
どのような理由があるにしても、決して悪い(破滅的な)ものを与えてはなりません。
良い(建設的な)ものによって人生を築きましょう。
常に為になる良い方法を探し、それを使わなければなりません。
あなたは貢献することで報酬を受け取ります。
それはどのような人物にも共通していることです。
人生が平等であるということを覚えておきましょう。
上手くいかないのであれば、自分自身に省みることがあるという事実を受け入れましょう。

2013年7月12日金曜日

人生の学び

人生は学びの場所です。
人生から学びが失われることはありません。
人生の学びとは、あなたを成長させるための勉強であるということを理解しましょう。
あなたの弱さや汚さを改善させるのがその目的なのです。
だから、人生は厳しいものなのです。
だから、人生は辛いものなのです。
だから、人生は苦しいものであることを知り、それに臨みましょう。
あなたの弱さや汚さは豊かさに対する問題です。
弱さや汚さという問題点を改善する以外に、人生を豊かなものにすることはできないのです。
自己の問題を抱えたまま豊かさを得ることができる人はいません。
それは自己によって人生が決まるからです。
自己の問題を改善した先に人生の豊かさが待っているのです。
あなたは問題に対して動揺してはなりません。
そこに問題が生じたからといって慌ててはならないのです。
問題に対して動揺し、慌てる者は問題を悪と見なしてそれから遠ざかろうと努めます。
多くの人はその問題が苦しいという理由によって、そこから逃げ出すのです。
問題からの逃避が問題の解決に繋がるでしょうか?
自らの弱さや汚さから目を背け、自らを正当化して擁護することが、弱さや汚さを改善するでしょうか?
あなたが自らの弱さや汚さを改善するためには、それらと向き合い、それらに打ち克たなければならないのです。
逃げることによって改善される問題など存在しないということを理解しましょう。
あなたは問題から逃げてはなりません。
問題に向き合い、それを改善しようと努めなければならないのです。
問題に向き合ったところで、それがすぐに解決するとは限りません。
しかしながら、そこで諦めてしまえば改善されることは決してないのです。
問題が改善されなければ、苦しみから解放されることはないのです。
目の前のそれを苦しいと思うことは問題です。
それを悲観するのは問題なのです。
しかしながら、多くの人はそのことに気が付いてはいません。
何に対しても心配し、不安の中に人生を選択するのです。
そのようなネガティブな選択によって選ばれた人生が豊かさを得ることなど有り得ないのです。
あなたは人生を美しく強い意思によって選択しなければならないのです。
弱さや汚さを抱えた人が良い結果を導くことなどできないのです。
人生は学びの場所です。
そこに問題が存在しているのは当たり前のことなのです。
それは、太陽が大地を照らし、水が喉(のど)を潤し、心臓が鼓動を刻むのと同じことです。
あなたが問題を抱えて苦しむのは、自然なことなのです。
太陽が大地を照らすからといってあなたは苦しみません。
水が喉を潤すからといってあなたは苦しみません。
心臓が鼓動を刻むからといってあなたは苦しまないのです。
あなたが苦しんでいるのはその他の個人的な理由なのです。
自分自身の抱える弱さや汚さによってのみ、あなたは苦しみを得るのです。
そのことを理解しなければなりません。
自らの抱える弱さや汚さという問題を解決することこそが重要なのです。
苦しいからといって動揺して暴れてはなりません。
問題に道を塞がれたからといって諦めてはなりません。
あなたは問題が存在している状況を受け入れ、その状態から物事を良い方向に向かって導かなければならないのです。
問題を拒絶しても良い結果は得られません。
苦しい状況を悲観したところで、何か良いことがあるでしょうか?
残念ながら、あなたが状況をどのように悲観したとしても、一握りの豊かさも得られません。
それは苦しみを増長させるだけなのです。
人生は学びの場所であるため、すべての事象には意味があります。
すべてがあなたの問題点を改善するための提起であるということを理解しましょう。
すべては良い状態に向かって進んでいます。
それが苦しいからといって悲観してはなりません。
苦しみから逃げてはなりません。
苦しみから逃げるのであれば、いつまで経っても同じことの繰り返しであるということを理解しなければならないでしょう。
どのようにすればその問題が解決するのか?を考えましょう。
どのようにすれば、自らの弱さや汚さが改善されるのか?を考え続けるのです。
苦しみはあなたの中にこそ存在しています。
動揺して暴れてはなりません。
どのような事象も、それは人生の学びであるということを覚えておきましょう。

2013年7月11日木曜日

薄情な人

人は人生において良いことを成さなければなりません。
人は世界に対して貢献しなければならないのです。
人が世界に対して貢献することを怠るのであれば、その人生が豊かさで満たされることはありません。
人は良い行いによって世界に対して貢献する時に、その心が本当の意味で満たされるのを感じるでしょう。
良い行いによって世界に対して貢献することによって、人はその人生を豊かなものにすることができるのです。
あなたは世界に対して貢献することを求めていなければなりません。
この世界の何に対してでも構いません。
それがどのような環境でも、どのような相手にでも良いのです。
あなたはそこで何等かの貢献を収めることに努めていましょう。
どのような理由があるにしても、貢献から離れてはなりません。
この世界は結果がすべてです。
あなたにとっては正当な理由があるにしても、その行いが良いものではないのであれば、あなたは非難されるのです。
どのような理由があるにしても、その行いが良いものであるのならば、あなたは賞賛を得るのです。
あなたはどのような時にも貢献するように努めましょう。
あなたができることによってそれを成しましょう。
良い行いは、良い結果を導きます。
この世界は当たり前に動いています。
原因は素直に結果を導きます。
原因と結果が矛盾していることはありません。
どのような時にも、原因と結果は繋がっているのです。
あなたは良い結果を残すために動かなければなりません。
あなたが豊かな人生を生きるためには、良い結果を受け取り続ける必要があるのです。
そのためには、良い行いという良い原因を所有する必要があるのです。
あなたが果たさなければならないのは、そこで貢献することです。
どのような理由があろうとも、そこで貢献することがなければ、良い結果は得られないのです。
あなたが選択すべきは、常に自分自身が貢献することのできる環境を築くことなのです。
あなたは、自分自身が世界に対して貢献することができる環境を築きましょう。
そのような環境を築くために、そのような場所に向かい、そのような人と共に協力しなければならないでしょう。
あなたが貢献することができない場所にいる必要などないのです。
あなたが貢献することができない人と共に協力する必要などないのです。
あなたは自分自身を役立てられる場所で、あなたが役立つ人と共にいましょう。
あなたはそれだけを考えていましょう。
情に流されてはなりません。
場所や人に対して思いやりがあるのはとても素晴らしいことです。
しかしながら、そのような思いによってあなたが貢献することができないのであれば、それはあなたを害するものであるということを理解しなければならないのです。
あなたは結果を残すために生きています。
あなたは世界に対して貢献しなければならないのです。
その目的を忘れてはならないのです。
血の繋がりがあろうとも、家族や兄弟、恋人や友人であろうとも、それらがあなたの目的を阻むのであれば、それに執着する必要はありません。
例え血の繋がりがなかろうと、家族や兄弟、恋人や友人でなかろうとも、あなたが目的を果たすのに重要な絆を必要としましょう。
あなたの目的(貢献)を阻む絆から離れることは悪いことではありません。
それは薄情に見えるかも知れませんが、結果を残すことができない絆が人を幸福にし、人生を豊かなものにすることはできないのです。
そのような絆に執着することこそ、人を苦しめて、人生を乏しいものにするのです。
良い結果を残すことができないと判断した絆は切り捨てましょう。
人生は有限です。
あなたは貢献という良い結果を残さなければなりません。
薄情に思われても構いません。
情が深く見えても、良い結果を残すことができない絆にどのような価値があるのでしょう?
ただ、足を引っ張り合うだけの絆があなたを満たすことは有り得ないのです。
心を満たすことができなければ、人生が豊かになることもあなたが幸福に辿り着くこともありません。
あなたがどこにいて、誰といて、何をすることが自らの力を発揮することになり、世界に対して貢献することに繋がるのかを考えましょう。
互いが損なう血の繋がりよりは、互いに補い合う他人の方が有意義であるということを理解しなければなりません。
あなたは自分にできることで良い結果を残さなければなりません。
あなたは常に、今のあなたが良い結果を残すことのできる環境を築きましょう。
良い結果を導くことのない環境は見限りましょう。
良い結果を成すためには、物事に対して見切りをつけることも大切なのです。

2013年7月10日水曜日

自己の充実

人生は自己の追求であるということを知りましょう。
人生におけるすべての事象は、自己を知るためのものであるのです。
すべての事象が自己へと向かっています。
あなたが学ぶべきは自己であるということを理解しなければならないでしょう。
自己こそが重要です。
それは、あなたが所有しているものが自己だけであるからです。
自己からすべてが導かれます。
自己がすべての基準になっているのです。
あなたはそのことを知らなければなりません。
すべてが自己から導かれているということを知ることがなければ、あなたは人生に安らぎを得ることはできないでしょう。
自己に従って状況が導かれます。
人生がどのような展開を見せようとも、それはあなたの自己の状態次第であるのです。
自己が豊かさに満ちていれば、導かれる状況は豊かなものであるでしょう。
自己が乏しければ、導かれる状況は乏しいものとなるのです。
人生は「どのように思い込むのか?」ということが重要です。
その思い込みが苦しみに根差したものであるのならば、人はそれを苦しみとして認識します。
その思い込みが喜びに根差したものであるのならば、人はそれを喜びと認識するのです。
物事の成立ちはとても単純です。
複雑に見えているものも、その本質は単純であるということを知りましょう。
要は、あなたがそれをどのように思い込むのか?ということなのです。
自己が建設的な方向性を持ち、ポジティブに物事を捉えて処理するのであれば、状況はあなたに対して豊かなものであるでしょう。
自己が破滅的な方向性を持ち、ネガティブに物事を捉えて処理するのであれば、状況はあなたに対して乏しく、苦しいものになるのです。
そこに理屈は必要ではありません。
それは、この世界が自己によって形成されているのは周知の事実であるからです。
あなたは自己(心)が辛く苦しい状態では、何をしても楽しくないことを知っているでしょう。
どのように辛く苦しい状況であったとしても、自己が喜びや楽しみによって充実している状態であるのならば、その状況は苦痛には成り得ないのです。
そのことをあなたは経験から得ているはずなのです。
あなたは自己を充実させることに尽力しなければなりません。
すべての状況を建設的に捉えることによって自己を成長させるための学びを引き出しましょう。
自己が充実しているのであれば、あなたはどこで何をしても楽しいのです。
自己が充実すれば、人生のどのような事柄も喜びになるということを覚えておかなければなりません。
自己が充実していることは良いことです。
自己を疎かにし、それを損なうことは悪いことです。
自己の充実を怠けてはなりません。
怠慢があなたの役に立つことなど有り得ないのです。
自己を充実させるためには、自己が目的意識を抱く必要があります。
あなたは自分自身の目的や目標を考えましょう。
例え、自分一人でも目指すことのできる目的や目標を持つ必要があるのです。
それは、人生は自己のものであり、人はそこで孤独であるからです。
人は独りであるということを知らなければなりません。
誰かに頼って生きていくことは簡単です。
誰かがあなたに何等かの目的を与えてくれるでしょう。
しかしながら、あなたはそれらをいつか失うことになります。
そこで自己の、自分自身の目的や目標を持っていなければ、人は道を見失って迷い、苦しむのです。
ただ、生きているだけで幸福を得られるほど、人の自己は優れたものではありません。
心は常に自らを満たしてくれる経験を求めています。
人生から目的や目標が失われることは許されません。
それは心がそれを苦しいと感じるからです。
人は苦しみに耐えることができません。
人はそれほど強くはないのです。
人は苦しみに束縛されないために喜びを得る必要があります。
人生を豊かなものにする必要があるのです。
そのためには自己の充実が欠かせません。
あなたはいつの時も、自己が充実する方法を探していましょう。
状況の中に楽しみや喜びを探し続けなればなりません。
それが苦しいからといって、楽しみや喜びを探すこともなく拒絶してはなりません。
あなたが苦しいと感じる状況の中にも、あなたにとっての大切な学びが存在しているのです。
人生はすべての状況が自己へと向かっているため、あなたはどのような状況にも自己を知ることができるのです。
それが苦しい状況であろうとも、あなたは自己に向かい、それを知るのです。
すべてが喜びであることを知りましょう。
それを知って、自己の充実に努めましょう。
自分自身の目的や目標を持って生きましょう。

2013年7月9日火曜日

全うな道

人が成功を求めているのであれば、自らが求める成功に対して歪むことのない真っ直ぐな道を選択し、それを歩み続けなければなりません。
成功という目的地に対して真っ直ぐ進むことができないのであれば、そこに辿り着くことはできないでしょう。
例え、歪んだ道を進み、下劣な方法によって目的地に辿り着いたとしても、それが成功であるとは言えません。
それは、例えそのような方法によって目的地に辿り着いたとしても、その下劣な方法によって生じる代償によって、その地位を脅かされるからです。
全うな方法によって、それ以外の立場にある人々からの尊敬を受けることがなければ、何等かの手段によって叩かれ、その位置から引き下ろされるのです。
成功とは、他の人々から高く持ち上げられることであると知りましょう。
尊敬を受けることができなければ成功とは言えません。
人の憧れとなり、その目的や目標と成ることが求められるのです。
人から尊敬されることがなければ、それは空しい成功という思い込みであるということを覚えておかなければならないでしょう。
目的地に対して、あなたは真っ直ぐに進みましょう。
全うな方法によって道を進むのです。
そのような方法によって辿り着くことができないのであれば、あなたはその道には不向きです。
その道に対してどのように努めたところで、全うな方法によって辿り着くことができない道の成功に辿り着くことはできないでしょう。
この世界では力のある者だけが成功を得るのです。
力も無いのにその地位を得ることはできません。
例えその地位を得ることができたとしても、多くの苦しみを以てそれは奪われてしまうのです。
全うな方法によって辿り着くことができないのであれば、あなたはその道を進むこと自体を考え直す必要があるでしょう。
力が無いのに、その地位を欲するのは歪んだ思いです。
そこには強烈なコンプレックスが存在しているでしょう。
コンプレックスに従って進んでも、そこで価値を得ることはできません。
コンプレックスとは劣等感であり、それは破滅的な感情です。
そのような思いに従って進んだところで、あなたの欲するものを得ることなどできるはずがないのです。
あなたは、自らの人生には変更も必要であるということを知りましょう。
あなたは一つの目的に執着してはなりません。
歪んだ道を下劣な方法に従って進もうなどとは考えてはなりません。
そのような方法によって得られるのは道の達成などではありません。
そこには後悔と苦しみが待ち構えているのです。
あなたはそのことを理解しなければならないのです。
人生は自由な場所です。
決して可能性は制限されてはいないのです。
あなたは自由に変更することができるのです。
あなたは執着してはなりません。
変更は諦めではありません。
むしろ、執着こそが諦めであるということを理解しなければならないでしょう。
全うな方法によって目的地に辿り着くことができないような力不足な状態であるにも関わらず、尚もそのような方法によって進むのであるのならば、あなたが得ることのできる成功を自ら諦めることに等しいのです。
あなたが求めているものとは違う道のりと方法によって得られる成功があります。
それはあなたが欲する当初の成功ではないかも知れませんが、人には分相応があります。
力が及ぶ場所によって成功を収めることが重要なのです。
小さな成功を収めることができない者は、大きな成功を収めることはできないのです。
真っ直ぐに全うな方法を用いて進んでも辿り着くことができないと理解したのであれば、あなたはその目的を捨て去り、新たな目的の達成に取り掛かりましょう。
達することのできない成功に執着したところで、あなたは消耗することしかないのです。
力が不足しているのに辿り着こうとする人は、流れの速い川を遡(さかのぼ)る魚に似ています。
魚が上流に辿り着くためには、川の流れに逆らって進むだけの力が必要です。
川の流れに逆らえない魚はその場にとどまることが精一杯でしょう。
その場にとどまることが精一杯の魚は、体力の消耗と共に下流へと押し流されて行くでしょう。
時間と命と力は有限です。
それが絶えないことはありません。
力が無いのならば、違う方法を考えましょう。
違う目的を目指しましょう。
いつまでも意地になって一つのことに執着する必要はないのです。
違う川を遡れるのであれば、それを遡れば良いのです。
達成する可能性のない無理なことを続けることほど滑稽(こっけい)なことはありません。
何事の成功も、それをより良くする力を持っているのが条件です。
力も無いのに成功を得ることはできないのです。
空しくしがみ付いていてはなりません。
何事も変更することは重要なのです。
それは諦めではないということを覚えておきましょう。
自己を知り、人生に対して分相応の成功を収めましょう。

2013年7月8日月曜日

小さな石

物事に対して好い加減なことは良くないことです。
あなたは物事に対して「がさつ」であったり、なおざりであり無責任であってはならないのです。
自分の目の前の事に関しての責任をあなたは負っています。
その責任があなたを喜ばすのか?それとも苦しめるのか?はあなた次第であるのです。
あなたが物事に対してどのように向き合うのかによって、それがあなたに対して正しい結果を導くということを理解しましょう。
あなたの物事に関わる態度が、あなたの受け取る結果を決めます。
それがどのような物事であったとしても、あなたが無責任に関わるのであれば、結果として苦しみを得ることになるでしょう。
それがどのような物事であっても、あなたが責任感を以て関わるのであれば、結果として喜びを得ることができるのです。
どのような態度や姿勢によって物事に向き合い、それに関わるのか?ということが重要なのです。
責任感を以て物事に関わる人は、小さなことにも忠実です。
小さなことに忠実に関わることができる人は、物事に対して誠実に向き合うことができるでしょう。
そのような人は小さなこと(慣れて疎(おろそ)かになってしまって詰まらないこと)を怠らずに努め励むので、物事が発展に向かって進むのです。
小さなことに忠実ではなく、物事に対して誠実でない人は、物事を発展に導くことはできないのです。
機械を組み立てる時に、小さな部品を疎かにして組み込むことをしなければ、その機械が正確に作動することはありません。
物事に対して好い加減で、物事に対して「がさつ」であったり、なおざりであり無責任であるようならば、部品の足りない機械を生産し、それによって仕事をするようなものです。
正しく作動しない車によって人生という道のりを走行することがどのような意味を持つのか?ということをあなたは理解することができるでしょう。
正しく作動しない機械によって何かを生産してはなりません。
正しく作動しない機械によって何かを生産することは可能ですが、そこに生み出されたものは粗悪なものであったり、場合によっては不良であるかもしれないのです。
正しく作動しない機械によって何かを生産する量が多い程、その損失が大きいことを理解しましょう。
あなたが正しく整えられた自己によって人生を築けば、それはあなたに喜びをもたらし、豊かさを導くことでしょう。
物事に対して好い加減な自己によって、状況が良くなることはないということを覚えておきましょう。
小さなこと、当たり前のこと、物事の基本、やらなければならないこと・・・
それらが十分に行われていないのであれば、人は苦しみを得るのです。
あなたはそれが小さなことであると思っても、それを軽んじてはなりません。
小さなことに忠実でない者は、大きなことにも忠実ではないのです。
小さなことができない者は、大きなことはできません。
簡単なことができない者に、難しいことはできないのです。
誠実でない者には、物事を達成することはできないのです。
あなたは気を付けていなければなりません。
物事を好い加減に行っていてはなりません。
物事に「がさつ」ではなりません。
物事になおざりであったり、無責任であってはなりません。
怠慢な人が良い結果を残すことはできないのです。
良い結果を残すことができなければ、人は喜びや豊かさを得ることはできません。
幸せに成りたいと願う人の中で、良い結果を残そうと努め励んでいる人がどれだけの数いるでしょうか?
ただ望んだだけで幸せが手に入るほど、人生は簡単なものでもなければ、甘い場所でもないのです。
小石を積み上げるように、小さな努力を積み重ねた者だけが、大きな山を築くことができるのです。
それは、大きな幸福を意味します。
努力を怠る者が幸福を得ることはできません。
あなたはそのことを理解しておかなければなりません。
あなたが幸福を感じていないのは、小さなことに対する努力を怠った結果であるでしょう。
小さなことに対して忠実な者は、どのようなことに対して忠実に働いたとしても、そこで良い結果を得ることができるのです。
良いことを目指していても、好い加減で無責任に行っているのであれば、そこに必要な結果を導くことはできません。
悪いことを目指していても、小さなことに忠実であり、誠実に努めているのであれば、そこに必要な結果を導くことができるのです。
どのようなことであれ、結果を残すのは忠実に努めた者なのです。
それがあなたの考える良いことであろうと、悪いことであろうと関係ありません。
どのようなことであっても結果を残している人は、怠けることがなかったのです。
努め励んでいるのか、怠惰に怠けているのか、差はここにしかありません。
この世界は積み上げる者が結果を残します。
あなたは自分の目の前に存在している事柄について、決して好い加減であってはなりません。
それがあなたの関わっていることであるのならば、あなたには責任が問われるのです。
怠惰に怠ける者には、その責任が求められます。
努め励んでる者には、必要な結果が与えられます。
あなたはどちらが良いか選ばなければなりません。
人はどちらかであるのです。
小石を積む者はやがて山を所有することになります。
小石を積むことを怠っていた者に所有することのできる山はないのです。
自分の行ったことがあなたのものです。
他人が行ったことがあなたのものになることはないのです。
あなたは自分の力によって小石を積み上げなければなりません。
大きな岩は動かせません。
小さなことに対して忠実に生きましょう。

2013年7月7日日曜日

人生の分かれ道

人生は選択によって成り立ちます。
人は選択しなければなりません。
何を選び、何を選ばないのか?
何を取り、何を捨てるのか?
人が選択することができるのは一つだけです。
一方を選ぶのであれば、一方は諦めなければなりません。
身体が一つしかないのに、二つの道を選択することはできないのです。
人は選択によって何かを得ることができます。
しかしながら、それは同時に別の何かを失うことになるのです。
あなたはそのことを覚えておかなければならないでしょう。
何もかもを手に入れることができるなどと思い込んではなりません。
人は必ず分かれ道に辿り着き、そこでは必ず選択を迫られるのです。
そこであなたが選択する道によって、今後が決まるのです。
人生は選択の連続です。
小さな分かれ道もあれば、大きな分かれ道もあります。
あなたは小さな分かれ道のことを覚えてはいないかもしれませんが、あなたはそれを自らの意思によって選んでここまでやって来たのです。
人生は自分自身の意思によって選択しているということを理解しましょう。
誰かがあなたに何かを告げたとしても、その道を進んだのはあなた自身なのです。
それがどのような理由であれ、その道を進んだのは他ならないあなた自身であるということを知りましょう。
あなた以外の誰かが、どのような方法を用いたとしても、あなたを進ませることはできません。
あなたは誰かによって仕方なくそうしたと主張するかも知れません。
しかしながら、あなたの人生を決めるのは自分以外の何者でもないということを理解しましょう。
都合の良いように解釈してはなりません。
自己を正当化してはなりません。
どのような理由を並べ立てたところで、あなたが自らの意思によってその道を進んだという事実は変わらないのです。
あなたにはその他に様々な選択肢があったのです。
しかしながら、そのように進んだのであれば、あなたはそれを選択したということなのです。
その結果、あなたは何かを得ることになるでしょう。
しかしながら、その反面何かを失うことになります。
人は二つの道を行くことはできません。
身体を分けることはできないのです。
あなたの選択によって、あなたは何かを得て、同時に何かを失うということを理解しなければならないのです。
自分自身が選択した道を進むことによって何かを失ったとしても、そこでは決して動揺してはなりません。
心が動揺して乱れれば、あなたは苦しむことになります。
例えそれがどのような理由であり、どのような結果を受け取ったとしても、その事実を否定することはできないのです。
すべてはあなたの選択によって導かれた当然の結果であるのです。
結果が気に食わないからといって、来た道を引き返すことはできません。
人生に戻り道はないのです。
退路は断たれています。
人生では進む以外に道はないのです。
自分が決めたことが覆(くつがえ)ることはありません。
その選択がどのような結果を導いたとしても、あなたはその地点からの分岐によって新たな道を選択しなければならないのです。
過去のことを訂正することはできません。
いくら探しても後ろに道はないのです。
人生は前進あるのみです。
退路は断たれています。
現状を受け入れましょう。
それが最善です。
現状を受け入れた時点で目の前に分岐が見え始めるのです。
そして、そこから新たな選択が可能なのです。
後ろを見る者には目の前の分かれ道が見えません。
そのような者は同じ場所で同じことを繰り返して進歩がありません。
選択を行えば確実に何かを失うのです。
選択によってあなたが得られることは、受け取ることだけではないということを理解しましょう。
人生は選択の連続です。
それは、受け取ることと失うことの連続でもあります。
あなたは自身の選択によって何を得られるのか?
その反面、そこで何を失うことになるのか?
ということを考えなければなりません。
あなたは自らの選択を覆すことはできません。
そのことを忘れてはならないでしょう。

2013年7月6日土曜日

人生との取引

人は人生に受け取り、人生に失います。
人生は取引によって成り立ちます。
人は人生に必要を受け取り、必要を失うのです。
何かを得るためには何かを犠牲にしなければなりません。
あなたは何かを得ることができますが、そこには何等かの犠牲が存在しているということを覚えておきましょう。
人は犠牲を払うことによって必要を得なければなりません。
それは、必要を満たすことがなければ、人生が豊かなものになるということはないからです。
人生は必要によって満たされています。
あなたは常に必要を受け取ることができるのです。
しかしながら、それには必要な犠牲を支払わなければならないということを決して忘れてはならないのです。
人生には犠牲が付き物です。
犠牲のない人生には、必要が満たされることはないのです。
人生が受け取るだけの場所だと思い込んではなりません。
人は犠牲を払うことによってのみ、必要を満たすことができるのです。
あなたは犠牲によって何かが失われることを恐れてはなりません。
何かが手元から去るからといって、それを不満に思ったり、悲観してはならないのです。
必要を満たすためには、それを受け取るために必要な犠牲を支払う必要があるのです。
何等かの犠牲を支払うことを拒否しているのに、必要を受け取り、それが満たされるなどと考えてはなりません。
働かなければ報酬は得られません。
それはこの世界の理(ことわり)です。
どのような存在も、どのような立場の人物も、世界に対して必要な働きを収めることによってのみ、必要が満たされるのです。
必要な働きによって、時間と労力が犠牲になるでしょうが、その犠牲によって得られるものがあるのです。
代金を支払えば、品物を受け取る権利を得ます。
代金を支払うという犠牲が、必要な商品を得るという条件をあなたに対して導くのです。
代金を支払うことをしないで、品物を手に入れることは犯罪です。
その罪はあなたの自由を奪い、追い討ちをかけるように苦しみを導くでしょう。
犠牲を恐れ、それを支払うことを拒否する者は、必要によって満たされることはなく、更なる犠牲を得るということを覚えておきましょう。
支払わない者は、それよりも多くの支払いを要求されるのです。
人生には、あなたが支払う犠牲に比例した必要が導かれます。
商品を手に入れるためには、その価値に見合う代金を支払うことが必要なのです。
商品に対して提示された代金を支払うことができなければ、それを得ることはできないのは当たり前のことなのです。
売り手は利益を求めています。
損失を出して商品を手放したいとは思いません。
買い手はそのことを理解しておかなければなりません。
あなたは人生という売り手と取引をしています。
あなたは人生に対して犠牲を提示しなければならないのです。
人生の幸福や豊かさは、あなたが支払う犠牲に従って導かれます。
売り手が満足する取引をすることができなければ、売り手がそれを手放さないということを理解しましょう。
値切ることで支払いを少なくすることができます。
しかしながら、値切ることは時間と労力を必要とします。
人生にとってはその時間と労力(特に時間)が最も貴重なものです。
値段(犠牲)が下がるまで待ったり、交渉することも構いませんが、時期を逃してそれを得ても、その時の状況にとっては価値の無いものであるかもしれないのです。
人生には「遅い」ということがあるということを覚えておきましょう。
犠牲を支払うのが嫌だからと言って怠けていれば、必要な時期に必要な価値を得ることができません。
若い時にしなければならないことを、歳を取ってからやっても価値がないのです。
売れ残りの商品が安くなっているからといって購入しても、それが役に立つことはないのです。
春になって安くなった冬物のコートを購入しても、これから迎える夏には役に立たないのです。
季節は巡るので使い用もあるかもしれませんが、人生が巡ることはありません。
一度過ぎてしまった時期を取り戻すことはできません。
人生は過ぎ去るものなのです。
時期を逃せば損をします。
どれだけの犠牲を払ったとしても、時期を逃さなければ得をするのです。
人生というものは、あなたが人生に対して求める必要と、人生があなたに対して求める犠牲による取引によって成り立っています。
犠牲を支払えない者は必要を得られません。
必要を得るのは、犠牲を支払った者だけであるということを忘れてはなりません。
あなたは失うことを恐れてはなりません。
どのようなものを失っても、それが必要を得るための犠牲であったのならば、それによって損をすることはありません。
努めた結果失うのであれば、煩(わすら)わしい執着を切り捨て、それを快(こころよ)く手放しましょう。
手放した後に得られるものを楽しみましょう。
人生は常にあなたを気にかけています。
人生は常にあなたの取引に応じているのです。
人生に無駄はないということを覚えておきましょう。
人生が取引によって成り立っているということを忘れてはなりません。

2013年7月5日金曜日

勝利

人生は闘いの場所です。
人生において豊かさを得るためには、闘うことによって勝利し、それを掴まなければならないのです。
闘いによって勝利することなく、人は人生に対して豊かさを得ることはできないということを覚えておきましょう。
この世界が闘いの場所である以上、闘うことを避けることはできません。
どのような人物であろうとも、闘って勝利しなければならないのです。
あなたが豊かな人生を生きたいと考えているのであれば、闘いから逃げてはなりません。
闘って勝利することに努めなければならないのです。
闘うこともせずに勝利を収めることはできません。
闘うことから逃げているのであれば、人はどのように豊かな人生を望んでも、それを得ることはできないのです。
闘いとは、弱さと向き合うことです。
勝利とは、弱さに打ち勝つということです。
弱さを克服することが闘いであるのです。
相手を傷付け、滅亡に追い込むことが闘いではないのです。
相手を苦しめるのは争いであるということを覚えておきましょう。
そして、争いによって相手を傷付けてしまったのならば、自らが苦しむということも覚えておかなければならないのです。
人生には、自らの行いが反映されます。
あなたが誰かを傷付けたのであれば、あなたは何かしらの形によって傷付けられるのです。
あなたが良い行いをすれば、良い結果を得られます。
あなたが悪い行いをすれば、悪い結果を得るのです。
あなたが争いを行えば、あなたは争いの状況を得ます。
あなたが闘いを行えば、あなたは闘いの状況を得るのです。
争いは消耗であり、それは苦しいことであると知らなければなりません。
闘いは生産であり、それは楽しいことであると知らなければならないでしょう。
弱さを制するのが闘いであり、弱さを振りかざすのが争いなのです。
争いによって物事が向上することはありません。
それは、争いによっては物事が豊かにはならないということを示しています。
物事の向上によってのみ、人生は豊かさを得るということを知りましょう。
闘って勝つというのは、知恵によって弱さを打ち砕くということです。
知恵の大きい方が闘いに勝ちます。
それは闘いにおいての勝利が、より大きな向上だからです。
より大きな知恵によって物事をより良くした方が勝利します。
弱さを改善し、貢献した割合が大きい方が価値があるのです。
闘いにおいては、貢献した方が勝利を得ます。
相手を打ちのめすことによって勝利を得る争いとは、似ても似付かないものであるということを理解しなければならないでしょう。
あなたは相手に勝利することを、相手よりもより良いものを提示し、より大きく貢献することによって掴まなければなりません。
本当の勝利とは、相手よりも先へと進むことであるということを知りましょう。
そして、相手を救ってやることが勝利であるということを理解しなければなりません。
相手を救うことができること程の勝利はありません。
相手を打ちのめしては恨みが生まれます。
恨まれたことによって既に勝利はないのです。
相手に恨まれるのであれば、そこには争いが存在し、既に負けているのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
多くの人は相手を打ちのめすことが勝利であると思い込んで、罪を重ねます。
相手を打ちのめすことによって更なる争いが勃発することが勝利であると思いますか?
勝利とは、争いが存在しない建設的な状況を導くことなのです。
相手に勝利するのならば、相手の恨みは消え去ります。
勝利は闘いや争いを鎮静(ちんせい)させる力であるということを覚えておきましょう。
闘うこと、争うことを押さえ込むことこそ勝利なのです。
人は知恵によってのみ、弱さを制することができます。
暴言や暴力によっては弱さを制することも、それを改善することもできないのです。
あなたは感情を用いてはなりません。
理論(考えること)によって方法を導き、それを用いて弱さを制するのです。
暴言や暴力によって弱さは増します。
それは豊かさに対する逆効果なのです。
あなたは間違えてはなりません。
相手を傷付け、押さえ付けても恨みは消えないのです。
知恵によって弱さを克服し、向上を導くことによってのみ、相手の恨みが消えることを知りましょう。
そして、知恵によってのみ、自らの恨みが消えることを知りましょう。
あなたは知恵によって弱さと闘いましょう。
相手と争ってはなりません。
内と外に存在している弱さと闘いましょう。

2013年7月4日木曜日

おとぎ話

心が煩(わずら)いによって束縛されて苦しんでいるのに、人生が幸福を得ることはありません。
心が煩いに束縛されるのは苦しいことです。
心が苦しみを覚えているのに、人生を幸福なものにすることなどできないのです。
人生が幸福を得るためには、その心が苦しみの束縛に捕われることなく、自由で楽しく在ることが必要なのです。
人生を幸福なものにするためには、その心が自由で楽しくなければなりません。
どのような煩いにも、苦しみにも捕われてしまってはなりません。
心が煩うこと、苦しみに捕われることは幸福への道ではないため、その方法は既に間違いであるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生が幸福に辿る道こそが正しいのです。
人は人生に対して幸福を得るために生きているのです。
すべての働きが幸福のためであるということを覚えておかなければなりません。
あなたは幸福を求めていますが、心が煩い、苦しみを感じているのであれば実際に幸福を手にすることを意識してはいないでしょう。
それを望んではいますが、行動してはいないのです。
人は自らが普段から意識していることを行動し、それを状況に対して実現します。
望みが叶う訳ではありません。
行動が叶うのです。
人生はおとぎ話ではないのです。
人生は闘いの場所なのです。
怠れば失います。
怠れば奪われます。
人生は厳しい場所なのです。
努めることができない者は得ることも、増やすこともできないということを覚えておきましょう。
人生は甘い場所ではありません。
行わない者には豊かさを得ることも、増やすこともできないのです。
あなたが人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、幸福を実現するための働きを収めましょう。
幸福を実現しなければ、それを得ることなどできないのです。
あなたは目の前の状況や目には映りませんが、必ずやって来る将来に対して幸福を意識しなければならないのです。
そして、そのように行わなければならないのです。
人生は自らの行いが実現します。
あなたの行いが評価されるのです。
やってもいないことで評価を受けることなどないのです。
それは当たり前のことです。
不幸や苦しみを意識し、そのように行っているのであれば、人生はその行いを評価して実現し、あなたはそれを受け取るのです。
普段から不幸や苦しみを意識している人は、物事の悪い面を見て心を煩います。
そのような人は不満や絶望に悩まされるのです。
普段から幸福や楽しみを意識している人は、物事の良い面を見て心を満たします。
そのような人が不満や絶望に悩まされることはないのです。
幸福を意識して行う人は、満足や希望に辿り着くということを覚えておかなければなりません。
人生をどのようなものにするのかはあなた次第であるとしか言えません。
愚かな人はそれを知らずに、それを誰かや何かのせいにしているため、問題の本質を知ることなく苦しみ続けるのです。
問題の本質を知る人は、問題に苦しむことはありません。
問題を問題とすることなく、それを乗り越えて行くことができるのです。
人生が苦しいと思い込んで煩っている人は、問題の本質が見えていないということを理解しましょう。
人生は厳しい場所ではありますが、決して苦しい場所ではないのです。
人生は怠けている者には苦しく、励んでいる者には楽しいということを知らなければならないのです。
自分は怠けていない、一生懸命に努力をしているという人も、人生が苦しいと思っているのであれば、それは怠けているのです。
幸福に辿り着くためには、幸福を怠けてはなりません。
苦しいからといって苦しんでいてはなりません。
嫌だからといって嫌がっていてはなりません。
できないからといって諦めていてはならないのです。
励んでいる者は必要な結果を受け取ります。
あなたが何と言おうとも、結果がすべてを物語っています。
結果(現状)こそがあなたを知らせます。
人生のすべての事象が幸福に関することであると理解し、それを意識して行うことを怠ってはなりません。
目の前の事象に対して心を煩って悩み、苦しみに束縛されてはなりません。
そのような人は幸福を得ることはできません。
間違いは、一刻も早く正さなければなりません。
あなたが心を煩い、苦しんでいるという結果が出ているのに、同じ方法(生き方や価値観)に執着してはなりません。
変える勇気のない者には、それよりも良い条件は得られないでしょう。
人生が楽しいのも、苦しいのも、それは自分のことです。
現実を見て、自分の在り方を決めなければなりません。

2013年7月3日水曜日

人生の目的

人は自分自身の人生の目的を果たさなければなりません。
人は自分自身の目的を果たすために生きているのです。
あなたは自分自身の目的を果たさなければなりません。
自分自身の目的を果たすことがなければ、人生が本当の意味での豊かさを得ることはないでしょう。
あなたは自分自身の人生の目的を果たすことなく、人生に対して本当の満足を得ることはできないのです。
見せ掛けの満足は誰でも簡単に得ることができます。
しかしながら、それは人生の本当の目的ではないため、常に不足が付き従います。
偽物を幾つ集めても、本物に勝る価値はないのです。
あなたは本物を集めるように努めなければなりません。
本物とは、あなたの本心が求める欲求です。
あなたが何の制限も考えずに思い描く理想こそが、あなたにとっての本物の目的であるということを理解しましょう。
ごまかしや諦めによって導かれる目的が、あなたの心を本当の意味で満たすことはありません。
自らをごまかしたり、本心を諦めた先に待っているのは後悔だけであるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたの目的は、その本心が欲する目的を果たすことです。
それ以外の目的をどれだけ達成したところで、人生が豊かさを得ることはできないということを知らなければならないのです。
あなたが何の制限も考えずに叶えたい理想はどのようなものですか?
あなたの中には、何かしらの制限やごまかしや諦めによって抑制している理想が存在しているはずなのです。
あなたが本心から欲する理想を実現することができるのかは分かりません。
しかしながら、それが叶わない可能性が高いからといって心の深い場所に押さえ付けているのであれば、そこには決して満足は生まれないのです。
人生を満足のいくものにするためには後悔しないことです。
人が人生に後悔する時は、本心に従って生きなかった時です。
本心を歪め、そこから導き出される欲求を押し殺して生きても、そこには後悔が生み出されるだけなのです。
本心に従って生きて、その欲求を果たすために努めても、それが実現しないことは多々あります。
しかしながら、本心が求める欲求に挑戦し、良くも悪くもその結果を得ることによって人は結論に至ることができます。
その結論があなたの理想に沿うことがなくても、結論を得たのであるなら、人はその答えを持って先へと進むことができるのです。
結論に至らずに必要な答えを知らずにいると、その場から動くことができずに、人は苦しみによって束縛されてしまうでしょう。
答えが得られないのであれば、人はその思いを断ち切ることができないのです。
あなたはどのような欲求に対しても後悔を残してはなりません。
本心からの欲求が実現することだけが良いことではないのです。
それが実現しなくても、得ることはあるのです。
しかしながら、欲求に対して行動(挑戦)することがなければ、そこから得るものはなく、失うことが多いということを覚えておかなければならないでしょう。
人は本心が抱える欲求に対して、その答えを求めなければなりません。
欲求に対する答えを知らずに生きてはならないのです。
あなたの人生の目的は本心が教えてくれます。
あなたは本心に従わなければなりません。
本心があなたに教えるように生きなければならないのです。
本心に従う以外に、人が人生を豊かなものにする方法はありません。
他人がそれを良いものであると評価しても、あなたの本心がそれに納得することがなく、それを欲していないのであれば、あなたの目的はそこには存在しません。
誰が良いと言っても、自身がそれを良いものであると思うことがなければ必要ないのです。
あなたにとって必要なものは、あなたの本心が教えてくれます。
それがどのような欲求であろうとも、あなたの本心が求めるのであれば、それを実現させるために行動しましょう。
どのような結果が得られるのかは分かりません。
分からないからこそ挑戦する価値があるのです。
始めから結果が分かっているものに対して挑戦する必要などないのです。
分からないからこそ挑戦するということを覚えておきましょう。
人は自分自身の目的を果たすために生きているということを忘れてはなりません。
あなたは自分自身の目的を果たさなければならないのです。
何をしようとも、自分自身の目的だけは果たさなければなりません。
自分自身の目的を果たすのであれば、あなたは自由を与えられるでしょう。
目的を果たす人は、目的を果たした後で好きなことができるのです。
やらなければならない仕事を終えた人が、時間を好きに使うようにです。
やらなければならない仕事が終わっていないのに、時間を自由に使える人はいないのです。
仕事が終わってもいないのに時間をそれ以外のことに使っているのならば、人は後で苦しみを得るのです。
心の中に後悔を残して生きる人、又はそのような状態で死ぬ人は皆苦しむのです。
あなたにはやらなければならないことがあります。
それはあなたの本心が知っています。
人生を満足によって満たした状態で去ることができるように、あなたは本心が知っている自分自身の目的を人生に果たしましょう。

2013年7月2日火曜日

人生と自己

人生を豊かなものにするためには、人生が何のために存在しているのかを理解する必要があります。
人生が何のために存在しているのかを理解することなく、人生が豊かなものになるということはないのです。
あなたは人生について思いを馳せ、その意味を思考しましょう。
人生が何のために存在しているのか?ということを知ることはとても大切であるということを覚えておかなければなりません。
どのような事柄においても、それを何のためにやっているのかを知ることは重要なのです。
目的意識がなければ、人は熱意を抱くことができません。
何のためにそれをやっているのかを知らずに、それをより良いものにすることはできないのです。
それを良いものにするから、豊かさが得られるのです。
良いものでなければ価値がなく、価値がなければ豊かさは得られないのです。
それは、この世界が良いものを評価するからです。
世界に貢献するものは尊ばれます。
世界に貢献しないものは無用なものとして投げ捨てられるのです。
すべての存在が世界に対して貢献することを求められています。
人が豊かな人生を得るためには、世界(社会や他人)に対して貢献する必要があるのです。
役に立つ者は感謝され、役に立たない者は非難されます。
それはどの世界でも、誰であっても同じことなのです。
それはこの世界の理(ことわり)であるということを忘れてはならないでしょう。
あなたが何をしている人であれ、常にあなたが存在するその世界に対して貢献しようと努めていなければなりません。
足を引っ張るような人は弾劾(だんがい)されるということを覚えておかなければならないのです。
罪を犯せば、罰が与えられます。
それが表立たない秘め事であったとしても、世界にはそれが既に知れています。
あなたが行ったことは、他人に対してそれをどれだけ巧妙に隠したとしても、必ずその報(むく)いを受けるのです。
あなたの行った良いことも悪いことも、それは正しく結果を導き、あなたはその報いを必ず受け取るのです。
あなたは忘れてはなりません。
自らの行いは紛れもなくあなたの懐(ふところ)に収まるのです。
それが暖かい懐炉(かいろ)であろうと、熱した石であっても、あなたはそれを懐に収めなければならないのです。
あなたが何を受け取るのかは、あなたが人生に何を行ったのか?ということによって決まります。
あなたの行いが結果を決めるのです。
人生が何のために存在しているのか?という価値観が、人生に対する人の行いを決めます。
あなたは何のために人生を生きていますか?
それが利己的な理由であるのならば注意が必要です。
なぜなら、自分だけの利益を求めるという方法が世界に対して貢献することは難しいからです。
人が貢献するためには、利他によって自分以外の利益を求めることが必要だからです。
他人の利益を求めない人は貢献から遠ざかります。
他人の利益を求める人は貢献に向かって真っ直ぐに進みます。
あなたは人生が自分のために在ると思い込んではなりません。
あなたの自己は自分のために存在していますが、あなたの人生は他人のために存在しているのです。
自己はあなたのものであり、あなたは自己を自分のために正しく管理しなければなりません。
人生は他人のものであり、あなたは自らの人生を他人のために正しく管理しなければならないのです。
あなたのものとして正しく管理された自己によって、他人のために正しく管理された人生を生きることができれば、人は自らの心と状況を満たすことができるでしょう。
それはすべてにおいての満足を導き、あなたは内と外に対して豊かさを導くでしょう。
自己と人生が自分のために存在していると思い込んではなりません。
自己は自分のものでありますが、人生はそうではありません。
他人のために尽くすことができる人生は豊かさを得ます。
己の欲望のために人生を私物化するのであれば、あなたは世界に対して貢献することができないでしょう。
自分のために貢献しても、誰も評価してはくれません。
自分以外の存在に評価されることなく、どこから豊かさを得るというのでしょう?
この世界では、自分以外の存在から豊かさを与えてもらわなければ、それを受け取ることはできないのです。
他の命を食さなければ己の命は尽きます。
この世界では与えられなければならないのです。
貢献した者には、その貢献に対する報酬が与えられます。
貢献しない者が受け取ることのできる報酬はないのです。
人がその権利を持っていないにも関わらず、強欲によって無理矢理にそれを奪ったとするなら、その報いは苦しみとなって現れ出るでしょう。
権利のないものを取る者は、それよりも多くのものを奪われるのです。
代金を支払わずに品物を盗んだ者には、品物の代金以上の支払いが架せられるようにです。
あなたは人生を貪ってはなりません。
人生においては貢献だけを考えていましょう。
人生は自分のために在らず、他人のために在るということを覚えておきましょう。