あなたが人生を正しく導くためには、それを自分自身の意思によって築かなければなりません。
自分自身の意思によって築くことなく、人生が正しく導かれることはないのです。
大切なのは、あなた自身が主体であるということなのです。
これはあなたの人生なのです。
それを築く権利はあなたに与えられています。
他人があなたの人生を決める権限など所有してはいないのです。
あなたは自らの人生に責任を持たなければならないでしょう。
自らが判断し、自らが決断し、自らが行うのです。
自分自身が主体となって築く人生こそが正しい姿であるということを知らなければなりません。
あなたが自分自身で決めたことによってどのような結果を得ようとも、それで良いのです。
あなたが自分自身で決めたことであるのならば、それで最善であるということを知りましょう。
自分自身で決めた人生が常に正しいのです。
多くの人は傲慢(ごうまん)です。
自分の思い通り(有益)に人生が進まなければならないと思い込んでいます。
失敗することが悪いことであると見なして、それを回避しようとするのです。
何かに対して挑戦する中で失敗を回避しようとするのであれば良いのですが、それに挑戦する前から失敗を恐れてそれを回避しようとするのであれば、良い結果を得ることはできないのです。
失敗は悪いことではありません。
それが失敗であるということに気が付ければ、それは大きな利益なのです。
それが失敗するかも知れない、それが成功するかも知れないという推測の中だけで生きること程、滑稽(こっけい)なことはありません。
自分自身で体験することもなく、予想によってそれを評価する人は愚かであるのです。
大切なのは実体験の中から情報を得るということです。
自分自身が見てもいない、触れてもいない、生み出してもいなければ壊してもいない・・・
そのようなものの何を知っているというのでしょう?
知らないものに対して、あなたがどのような評価を下すことができるのでしょう?
あなたは自分自身で体験しなければなりません。
自分自身の意思によって人生を築くためには、自分自身の判断が必要なのです。
経験していない人は、それがどのようなものであるのか?ということを知りません。
知らないのであれば、正しい判断をすることができないのです。
どのようなものに対しても自分自身で触れること、それに触れようとすることに努めなければならないのです。
あなたは自分自身で体験していないものを、不用意に信用してはなりません。
人から聞いた。
皆がそう言っている。
それが常識だ。
このような曖昧な根拠によって何かを信用してはなりません。
自分自身で見て、聞いて、触れることによって得られる体験に従って判断を導きましょう。
あなたがそれを信用ならないと感じたのであれば、そのようなものを信用する必要などないのです。
あなたは自分自身の経験の中から信用できるものを探さなければなりません。
自分自身の体験から得た信用ではないものを信用した結果で苦しみ、そこに不満を持ってはなりません。
自分自身によって体験してもいないのにそれを信用したあなたに責任があるのです。
常識がそれを信じていたとしても、あなたが自分自身の体験によってそれを信用することができなければ、それを信じてはなりません。
常識が正しいという根拠はどこにも存在していないのです。
その結果、あなたが間違っているということを理解したのならば、そこから自分を改めれば良いのです。
あなたは経験のないことに対して疑いを抱かなければなりません。
疑いによってその真相を追求しなければならないのです。
常識だから疑う必要がない。
信頼できる人だから疑わない。
このように根拠が薄い信心(しんじん)が人の心にあれば、苦しみを受けるのです。
あなたは常に現実を見ていなければなりません。
物事の本質を見極めるように努め、真実から遠ざかってはなりません。
人生は現実です。
原因が結果を導く現実主義であるということを忘れてはなりません。
一つひとつの問題を解決し、価値を導くように働きかけることがなければ、人は豊かさを得ることはできないのです。
理想(推測、想像)ばかりを追い求めて、現実(体験)を軽んじてはなりません。
あなたは実際の体験の中に人生の答えを探しましょう。
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