毒を抱えれば、身体は死を迎えるでしょう。
身体が生きるためには、毒を得ないように注意しておかなければなりません。
例え、毒を得たとしても、それを吐き出さなければ死は避けられないのです。
あなたは身体に毒が蓄積しないように努めなければなりません。
毒を得てはなりません。
毒は確実に身体の自由を奪い、命を滅ぼすのです。
身体と同じように、心についても考えなければなりません。
身体と心が別物であるなどと考えてはなりません。
身体が毒を得るように、心も毒を得るのです。
心にも毒となるものがあります。
その毒によって、心の自由は奪われ、心は命を滅ぼすのです。
心にとっての毒とは、怒りや不安などの破滅的な感情です。
怒りや不安などの破滅的な感情は、心の毒であるのです。
あなたはそのことを知っておかなければなりません。
毒に犯された身体が死を迎えるように、毒に犯された心も死を迎えます。
毒によって滅ぼされないためには、毒を取らないことか、毒を取り除かなければなりません。
内に毒があっては、死は避けられないのです。
怒りや不安によって苦しみを得る人がいます。
その苦しみは毒によって得られる痛みであるのです。
心が苦しみを覚えた時点によって、すでに毒が蝕(むしば)んでいるということを知りましょう。
毒を抱えているのであれば、例えそれが毒性の弱いものであったとしても、やがて死を招き入れます。
白蟻が家屋を倒すように、弱い毒であっても蓄積し、殺すのです。
あなたは注意しなければなりません。
毒は吐き出さなければなりません。
内に毒がなければ、それ以上に悪いことはないのです。
毒があれば、それ以上に悪いことになります。
細菌は人体を蝕みます。
それは増殖し、殺します。
目に映らない小さな細菌によって、人体は滅びるのです。
小さな怒りや小さな不安が、やがてその心を滅ぼします。
小さいからといって軽んじてはならないのです。
傷口から一つの細菌が侵入すれば、それは数を増やし、やがて手には負えなくなります。
一つの怒りが複数の怒りに発展します。
一つの不安が複数の不安になり、一つの悲しみが複数の悲しみになるのです。
この世では、すべてのものが豊かさを得ます。
あなたにとっての良いものであろうと、悪いものであろうと、それがあなたの内に入れば、あなたの力を受けて豊かに育まれるのです。
あなたは毒を取り除かなければなりません。
毒を得ても、それを吐き出すように努めなければなりません。
多くの人は毒を放置します。
毒があると知っていても、それに対して見て見ぬ振りをするのです。
それが誰かの悪行であったとしても、それを放置します。
自分自身の悪行も、自らを正当化し、同じように黙認するのです。
誰かが悪行によって毒を飲もうとしている時に、それを見過ごすのは罪なのです。
人は幸福を得なければなりません。
毒を飲む者に対して、それが毒であるということを教えなければならないのです。
毒であると知っておきながら、それを教えない人には愛が無いということを知りましょう。
愛が無ければ、その悪業の故に苦しみを得るのです。
人間関係には様々な問題が生じます。
身体が苦しむのは毒となる食物のせいです。
心が苦しむのは毒となる感情のせいです。
人間関係が苦しむのは、未熟という毒のせいなのです。
あなたは自分自身と他人の未熟から生じる悪行を見過ごしてはなりません。
それは毒であるということを知りましょう。
相手に注意することができないのは、そこに愛が無いからです。
身体に対する愛が無ければ、毒を取り除くことはありません。
身体に対する愛があるから、あなたは毒を取り除くのです。
相手に対する愛があるなら、あなたは相手の悪行を戒(いまし)めるはずなのです。
毒を取り除くことは簡単ではありません。
人間関係を正すことも決して簡単なことではないのです。
しかし、毒は吐き出さなければなりません。
痛みが伴ったとしても、肉を裂いて毒を出す覚悟を決めましょう。
毒を放置していてはなりません。
吐き出そうとすると
返信削除誰かが嫌な気持ちになる
ごめんなさい
優しさに甘えすぎました
匿名さんへ
削除吐き出すと誰かが嫌な気持ちになるというのは、正にその通りです。
それは、吐き出すものが愚痴であったり、相手を戒めるものであるからです。
前者は間違いですが、後者は正しいのです。
あなたの言葉を受けて誰かが嫌な気持ちになるとしても、それが向上のためなら仕方のないことなのです。
仲違いが生じたとしても、成長することの方が重要であるのです。
残念ながら、人生は仲良しゲームではありません。
互いに高め合う場所であるということを覚えておきましょう。
本音が言い合えない関係は寂しいですね。