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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2014年9月30日火曜日

苦しみの監獄

人は自由でなければなりません。
あなたは自由を手放してはなりません。
この素晴らしい人生に可能性を失ってはならないのです。
自由とは可能性です。
自由を失うということは、可能性を失うということです。
可能性がなければ、人は喜びを得ることができません。
喜びがなければ、豊かさも幸福も存在することはないのです。
豊かさも幸福も、喜びによって築かれているということを知らなければなりません。
そのため、喜びを得ようと努めない者には、人生に豊かさも幸福も有り得ないのです。
喜びは自由の中に生まれます。
不自由の中に喜びは存在しません。
あなたはそのことを知っておきましょう。
人は、自由を得るのと同時に喜びを得るのです。
人の本質は魂です。
それは認識することのできるレベルの物体ではありませんが、確実に存在しているものです。
人は魂によって人生を歩むのです。
本質である魂が、あなたの人生の原因であるということを理解しましょう。
すべては魂から生じ、人生に現れるのです。
しかしながら、多くの人がそのことを知らずにいます。
魂というものが存在しているということを教養として身に付けている人はいても、それを意識して生活している人はほとんどいません。
多くの人は目の前の事象に翻弄(ほんろう)されるだけであり、魂のことまで手が回らないのです。
多くの人は目の前の事象に対して一喜一憂するに止まります。
人が魂という本質であることを思い出せば、魂のために選択し、働くようになります。
そこに、魂の自由が存在しているのです。
魂を意識することなく生きている人は、物事を深く考えることをしません。
思慮深くしていても、魂にまでは届かないのです。
そのため、多くの人が目の前の事象に一喜一憂するだけなのです。
そして、問題を抱えた時には不満や不安などの破滅的な思考や感情を用いるようになるのです。
その結果、視野は狭まり、可能性を失い、自由を失うことになるのです。
人が魂であり、魂の成長のために生きている、また魂の成長のためにすべてが導かれているということを理解するのであれば、破滅的な思考や感情によって自由が奪われることがないということを理解しなければならないのです。
魂は思考と感情によって自らを調整します。
すべての状況や環境、発展や喜び、問題や苦しみは、魂の状態を現しているのです。
人は、思考と感情を使い、目の前の状況や環境、問題や苦しみを整えることによって、魂を整えているということを理解しなければならないのです。
すべては喜びのためなのです。
豊かな人生と幸福のためであるということを忘れてはならないのです。
破滅的な思考や感情は、魂を監獄へと繋ぐ行為です。
破滅的な思考や感情によって、魂は苦しみに捕われてしまうのです。
苦しみの監獄に捕われてしまった魂は、自由を失います。
そこには、乏しさと苦しみがあるということを覚えておきましょう。
自由を失えば、苦しみを得るのです。
人は自由でなければなりません。
どのような状況を得ようとも、魂を自由にしておかなければなりません。
魂が苦しみの監獄に捕われないように努めなければなりません。
悪い行いをしなければ、牢(ろう)に放り込まれることはありません。
魂による悪い行いとは、愛と光に反する行為のことです。
この世界には真理というルールが存在しています。
それは、すべての存在が成長するために「神」によって作られた完璧な秩序です。
この秩序を乱す者は許されません。
そのような者は、苦しみの監獄の中に放り込むのです。
愛と光に反してはなりません。
不満や不安には、愛と光が無いということを理解しましょう。
破滅的な思考や感情は、用いるべきではないのです。
どのようなことにも大切な意味があります。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
感謝には、愛と光が備わります。
感謝する者が苦しみの監獄に放り込まれることはありません。
人は自由でなければなりません。
肉体や立場の自由を得ているからといって、魂の自由を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
肉体や立場の自由を失ったとしても、決して魂の自由を失ってはなりません。
それほど、人生において魂の自由というものは大切なものであり、何が何でも守らなければならないものだと理解しましょう。
破滅的な思考や感情によって苦しみの監獄に捕われることなく、自由に生きましょう。

2014年9月29日月曜日

威力あるもの

目に映らないからといって、軽んじてはなりません。
形がないからといって、軽んじてはなりません。
あなたには軽んじて良いものなど何一つとして存在しないのです。
どのようなものも、必要によって存在します。
それが如何に小さなものであり、形の無いものであったとしても、決して侮って良いことなどないのです。
すべてのものが許されて存在しているのです。
この世界に許されているものであるなら、すべてが権威を持った威力のあるものであるということを理解しなければならないのです。
あなたが油断して良い時などないのです。
油断した瞬間に、破滅が忍び寄るということを理解しましょう。
破滅は盗人のように気付かれることを嫌います。
あなたには分からないように、足音を立てぬように忍び寄るのです。
油断する者は破滅に飲み込まれてしまうでしょう。
油断は放漫から生じます。
気を付けていない者は油断し、破滅を招き入れるのです。
どのようなものにも注意が必要なのです。
あなたは注意を怠ってはなりません。
自らの選択がどのような結果に結び付くのかを想像しなければなりません。
自らの選択がどのような結果に結び付くのかを想像することがなければ、どのような選択が最善であるのかを理解することができないのです。
自らの選択がどのような結果に結び付くのかを想像することに欠ける者は、目には映らない、形がないという浅はかな理由によって何かを軽んじて油断します。
油断が破滅を招き入れた時には、既に遅いのです。
招き入れた後では始末が悪いということを覚えておきましょう。
毒を飲めば、それを取り出すことの難しさが分かるでしょう。
ならば、毒を飲まないように努めなければならないのです。
注意深く観察し、それが毒であるということを知っているのであれば、あなたは毒を飲まなくて済みます。
毒を飲まないで済むなら、破滅を招き入れないで済むのです。
注意深く、思慮深く生きなければなりません。
すべてのものがあなたに対して威力を持つのです。
目に映らないからといって、形がないからといって軽んじて良いものなど何一つないのです。
感謝の気持ちを軽んじる人がいます。
感謝の気持ちの威力を知らない者が多いのです。
感謝の気持ちを軽んじる者は、感謝することの大切さを教えません。
そうして、人から感謝という愛が奪われるのです。
目に映らないもの、形のないものを軽んじることはできません。
あなたは思考と感情によって人生を判断しています。
これは紛れもない事実です。
どのような者も、このことを否定することはできないでしょう。
唯物論者であっても唯心論者であっても、自らの思考と感情を否定することはできません。
思考と感情は目には映りません。
それには形がないのです。
しかしながら、すべての人がその威力を理解して使っています。
そして、その威力を信じているのです。
感謝の気持ちは、建設的な思考と感情に他なりません。
建設的な思考と感情が、人に、人生に不利に働くことは有り得ません。
豊かさと幸福を手に入れるためには、建設的な思考と感情が必要不可欠であるのです。
怒ったり、悲しんだりしている人が、どうやって豊かさと幸福を得るのでしょう?
そのような人には豊かさと幸福を得ることはできないのです。
あなたの思考と感情は、あなたの人生に対して最大の威力を持ちます。
これ以上に威力のあるものはありません。
あなたは自らの思考と感情を軽んじてはならないのです。
あなたは感謝の気持ちを持つこと、そして、それを行うことの大切さを学びました。
もう言い訳はできません。
人生は自業自得であるということを覚えておきましょう。
小さなもの、形のないものを軽んじてはなりません。
すべてのものに威力が与えられているということを理解しましょう。
目には映らず形のない思考と感情が、あなたとあなたの人生に対して最も威力を持つということを知りましょう。

2014年9月28日日曜日

吐き出すこと

人の本質は魂です。
人は魂によって世界を歩みます。
人は魂のために人生を生きているのです。
あなたのすべての選択が魂に向かいます。
あなたは常に魂と対話しているということを覚えておきましょう。
魂を無視することのできる人はいません。
すべての人が、意識的、無意識的に魂と共に生きているのです。
そのことを理解しなければならないでしょう。
魂の成長が目的です。
人生に成さねば成らぬことは、魂の成長であるのです。
人は魂の成長のために考え、魂の成長のために選択し、魂の成長のために行い、魂の成長のために与え、魂の成長のために受け取らなければならないのです。
すべてが魂に関わることであるということを忘れてはなりません。
魂は、あなたの内側、奥深くに存在しています。
それを見ることはできません。
それに触れることもできません。
しかし、それはあなたの奥深い場所に存在しているのです。
この事実を信じる必要はありません。
多くの人にはこのことをどのように伝えても理解するには至りません。
しかし、それで良いのです。
理解できないものを信じることによって、信仰が試されるからです。
人は常にその信仰が試されています。
それは、愛と光に対する信仰です。
人は、存在するかも分からないものに対して信仰を示し、それを大切にしなければならないのです。
思考や感情というものは形の無いものです。
それを認識することはできても、証明することはできません。
確実に存在してるということは分かっていても、それを明確にすることはできないのです。
しかし、あなたは思考や感情というものを用いて人生を歩んでいるのです。
そして、思考と感情は魂に対して大きな影響力を持っているのです。
思考と感情には、大きく分けて二つの性質が存在します。
それは、思いやりや力強さなどの建設的な性質と、冷酷さや気弱さなどの破滅的な性質とです。
人は、この二つの性質のどちらかに近い思考や感情を選択して行うことができるのです。
それが建設的なものであっても、破滅的なものであっても、例外なく魂に向かいます。
思考は脳内に停滞し、感情は心に停滞します。
そして、それ等は魂に向かって落ちるのです。
建設的な思考や感情は、良いものを魂に与えます。
それは大きな喜びであり、魂の成長を助けるものです。
破滅的な思考や感情は、悪いものを魂に与えるのです。
それは大きな苦しみであり、魂の成長を妨害するものなのです。
あなたは建設的な思考や感情を選択し、魂が成長するに必要なものを与えなければなりません。
頭の中、心の中、魂を良いもので満たしましょう。
しかしながら、多くの人は苦しみを覚えています。
人生において、破滅的な思考や感情を選択してしまうことが多いのです。
そのため、頭の中、心の中、魂には悪いものが満たされているのです。
人の人生の目的は魂の成長です。
魂の成長が目的である以上、人は魂に喜びを与える必要があるのです。
人は弱いものです。
そのため、多くの苦しみを考え、感じてしまいます。
あなたは飲み込んだ苦しみを吐き出さなければなりません。
苦しみを抱えていてはなりません。
どのような方法を用いても構わないのです。
毒を飲み込んでは、身体は命を失うのです。
苦しみを飲み込んでは、魂の命が失われるということを理解しましょう。
どのような状況にも苦しみを飲み込んではなりません。
魂が苦しまないように、喜びを飲み込むように努めましょう。
思考や感情は努力によって操作することができるのです。
毒のある食物であっても、調理によって栄養のある食事に変えることができるのです。
毒を飲むのか?栄養を摂るのか?は、あなたに権限が与えられているということを覚えておきましょう。
さあ、苦しみを吐き出しましょう。
あなたの苦しみは「わたし」が引き受けます。
安心して吐き出しましょう。

2014年9月27日土曜日

魂の声

あなたは自らの内に耳を傾けなければなりません。
あなたは自らの内から届けられる声を聞かなければならないのです。
大切な声が内から届きます。
あなたはそれを受け取らなければならないのです。
あなたにとって大切なことは、あなたが成長するということです。
成長することによって、あなたは豊かさと幸福を得ることができるのです。
成長することがなければ、乏しさと苦しみを得ることになるということを覚えておきましょう。
あなたが成長するためには、あなたの考えというものは未熟です。
それは、人が自らの欲望に従って選択するからです。
人は自らを正当化し、自らの欲望に対して有利なように物事を運ぼうとするのです。
そのため、欲望に根差した思考や感情に従うのであれば、成長を実現することが難しいということを覚えておかなければならないのです。
大切なのは成長するということです。
そのためには、苦しいことを受けなければならないということもあります。
厳しい状況を得ることがなければ、成長することができないという場合も多々あるのです。
成長に対して何が最善であるのかを見極める必要があるのです。
多くの人は成長を優先しません。
多くの人はどうすれば楽なのか?どうすれば嫌な思いをしないで済むか?どうすれば自分に有利であるのか?このようなことしか考えていません。
すべての人は幸せを求めています。
しかし、多くの人が欲望に根差した幸せを求めているのであって、成長によって実現する至上の幸福を求めてはいないのです。
それは、成長することが人生の目的であるということを知らないという事実が存在していることに由来しています。
多くの人は人生の目的が魂の成長であるということを知らずに生きています。
そして、その中の多くの人が魂というものを認識することなく死んでいくのです。
人が最も幸福を覚えるのは、欲望を満たした時ではありません。
欲望を満たすことによって得られる快楽の味はえも言われぬものでしょう。
しかし、魂の成長によって得ることのできる喜びは、それを遥かに凌駕(りょうが)しているのです。
あなたはこれから、欲望によって得られる快楽よりも、魂によって得られる喜びを知ることになります。
魂の喜びを知ったあなたは、欲望の快楽を貪(むさぼ)ることをやめるでしょう。
それほど、魂の喜びが甘美であるということを覚えておきましょう。
魂は、あなたの内に存在しています。
それは心よりも深いところに存在し、簡単に触れることはできません。
魂は隠されているのです。
あなたがそれを見て、触れることがないにしても、その声を聞くことはできるでしょう。
実は既に、あなたはその声を聞いているのです。
人は選択肢を持っています。
あなたは必ず選ばなければなりません。
様々な選択肢の中で、最も高貴なものが、魂の声であるということを知りましょう。
魂は愛と光によって構成されている、人にとって最も高貴な所有物です。
その魂から発せられる言葉というものは、最も高貴なものであるのです。
あなたは魂というものを持っています。
そして、霊というものを持ちます。
心というものを持ち、肉体というものを持っているのです。
それぞれがあなたに選択を迫ります。
あなたはその選択肢の中から、どれか一つを選び、それを行うようになるのです。
それぞれの立場が違うため、選択肢はそれぞれに違う内容です。
そのために、あなたは迷うのです。
最も高貴な選択肢は、最も愛と光に近いものです。
あなたは様々な声の中から、最も深くから届き、最も高貴なものを選びましょう。
より良い選択をしていけば、あなたは成長を実現し、豊かさと幸福を得ることができるのです。
悪い選択をしていけば、成長は妨げられ、乏しさと苦しみが実現するということを覚えておきましょう。
あなたの選択は愛と光に近いものですか?
あなたは自らの内に耳を傾けなければなりません。
意識して聞くことがなければ、どれが魂の声であるのかを理解することができないでしょう。
魂は隠されています。
様々な声の中で、魂の声を聞くのが最も難しいということを覚えておきましょう。

2014年9月26日金曜日

掌の刺

指の先にも満たない小さな刺(とげ)にさえ、あなたは煩(わずら)います。
小さな刺が刺さっただけで、あなたは苦しみを得ることになるでしょう。
小さなものであっても、それがあなたを攻撃するものであるならば、それによってあなたは苦しみを得るのです。
小さなものであっても、あなたを攻撃するものに注意を払わなければなりません。
掌(てのひら)の刺は、あなたに痛みを覚えさせます。
それは、刺が異物であり、あなたを攻撃しているということを、あなたに認識させるためです。
身体は、痛みを以て刺を取り除けと伝えているのです。
あなたは痛みに従って、掌の刺を取り除かなければなりません。
刺を取り除かないという選択肢もあります。
あなたがその痛みに煩うことがないのであれば、刺を取り除くことはないでしょう。
やがて肉が巻くと痛みは消えます。
痛みが消えると、そこに刺が刺さっていたことを忘れるのです。
刺が入ったからといって、あなたの命が脅かされるということはありません。
それは取るに足らない小さな刺だからです。
しかし、それが毒であるのならば、話は違ってくるでしょう。
強い毒が一滴でも体内に入れば、あなたは命を失い兼ねないのです。
小さなことを蔑(ないがし)ろにしているのであれば、大きな報いに繋がることもあるということを覚えておかなければなりません。
汚い思い、言葉、行為は、あなたの心と魂には痛みです。
それは、あなたの心と魂には辛いものであるのです。
心と魂の本質は愛と光です。
すべての人の心と魂は、愛と光によって構成されているのです。
汚い思い、言葉、行為は、愛と光に反する性質のものです。
それ等は掌の刺のように痛みを伴います。
あなたは汚い思い、言葉、行為というものが、心と魂を脅かすということを理解しましょう。
あなたが日常に用いる汚い思い、言葉、行為というものは、取るに足らない小さなものかも知れません。
しかし、それによって心や魂は煩うのです。
小さなことであっても、それが積み重なるのであれば、大きな報いとして返ってくるのです。
小さいからといって侮ってはならないのです。
汚い思い、言葉、行為に慣れてはなりません。
周りの人たちは、本人も自覚しないままに汚い思い、言葉、行為を用いています。
その人たちに悪意がなくても、それを用いれば相応の報いがあるのです。
周りの人がそうしているからという理由によって、掌の刺を放置してはなりません。
周りの人が掌の刺を気に掛けることがなくても、あなたは気に掛けていましょう。
そして、様々な方法を用いて、掌から刺を取り除くのです。
汚い思い、言葉、行為が氾濫しています。
それによって、人は知らず知らず心と魂を汚しているのです。
その汚れによって、人生に苦しみを得ているのです。
小さなことであっても、それを大切にしなければなりません。
靴の中に小さな石ころが紛れ込んだだけで、あなたは歩みに違和感を覚えるのです。
小さな石ころによって、あなたはまともに歩むことができないのです。
汚い思い、言葉、行為が積み重なるのであれば、あなたは人生の乏しさと苦しみを得ることになるのです。
意思の中から、ネガティブな選択肢を取り除きましょう。
人がどうあるべきであるのかは、あなたが自分自身で判断しなければなりません。
掌に刺が刺さったからといって、医者があなたを訪ねることなどないのです。
あなたが刺を取り除いて欲しいと、自らの意思によって依頼するために、医者はあなたの掌から刺を取り除くのです。
自分自身の意思が大切なのです。
多くの人は真理を理解することなく生きていきます。
そのため、愛と光に欠けた考え方と生き方をしています。
汚い思い、言葉、行為を簡単に受け入れ、それを信じているのです。
汚い(ネガティブな)ものを信じるのであれば、苦しみという報いを得るのです。
この世界は因果によって導かれるために、それは仕方のないことなのです。
例え痛みが無くても、あなたは自らの掌を確認しましょう。
そこには、注視して見なければ分からないほどの小さな刺があるかも知れません。
痛みが無くても、あなたはそれを取り除きましょう。

2014年9月25日木曜日

目には映らない取引

この世界は、目に映るものだけで構成されているのではありません。
この世界は、目に映るものと、目には映らないものによって構成されています。
あなたの目に映るもの、認識の及ぶものは物事の表層に過ぎません。
表層を以て、それのすべてを知ることはできないのです。
すべてのものには表層があり、そして深層が存在するのです。
このことを理解しなければ、物事の本質を知ることはできないでしょう。
本心を知らずに、その人がどのような人物であるのかを理解することはできません。
笑顔で近付いてくる詐欺師である可能性もあるのです。
物事をその表層によって判断する人には、それが詐欺師であるのか?それともあなたの協力者であるのか?ということを理解することができないのです。
その人の本心を見極める人だけが、近付いてくる人がどのような人物であるのかを理解することができるということを覚えておきましょう。
目に映るものは少なく、それはとても限定的です。
目に映らないものは多く、それには限りがありません。
しかし、人の認識は目に映るものを多いものと判断するのです。
そのため、多くの人は目に映り、認識が及ぶ表層を信じ、それを基準に判断を下しているのが現状であるのです。
表層は大切です。
しかし、深層はそれよりも大切であるということを覚えておきましょう。
立派な表紙であっても、内容の薄い書物には価値がないのです。
笑顔である人の心の中には悪意があるかも知れません。
厳しい表情の人の心の中には善意があるかも知れないのです。
恨みを伝えるために笑顔を用いる人がいます。
愛情を伝えるために厳しい表情を用いる人がいるのです。
表層を以て判断するのであれば、大切なことが分からないということを理解しなければならないのです。
あなたは表層によって惑わされてはなりません。
表層と共に、深層を探る必要があるのです。
表層と深層を共に理解することによって、それの本意を知るのです。
どちらかに偏り、歪んでいるのであれば、本意を理解することはできないのです。
あなたは認識を深めるように努めましょう。
目に映るものだけを考慮し、それを取引する人がいます。
大抵の人が目に映るものだけを取引し、それによって満足を得ているのです。
しかし、あなたは物事には表層と深層があるということを学びました。
目に映るものだけを取引したところで、それでは不足しているということを理解することができるはずです。
あなたはお金をもらって頼まれたら人を殺しますか?
あなたはどれだけのお金を提示されても、人を殺すことはないでしょう。
それはなぜですか?
あなたがお金のために人を殺さないのは、そこに良心の呵責(かしゃく)というものがあるからです。
それは、あなたの内に存在している「愛」なのです。
愛は目には映りません。
目に映るものは、愛情から生じる言葉や行いなのです。
愛そのものが目に映るということはないのです。
しかし、あなたはそれによって判断を下すことになるのです。
あなたが悪いことに対して躊躇(ちゅうちょ)するのは、目には映らないものを知っているからであるということを理解しましょう。
この世界には目には映らないものの取引があります。
この世界には目には映らないものが行き交っているのです。
目に映る表層のみを考慮し、物事を判断してはなりません。
目には映らない貸し借りというものが存在しているのです。
あなたがただ生きるだけで、多くの命を犠牲にしています。
あなたは命を食することがなければ、自身の命を保つことができないのです。
目には映らないかもしれませんが、あなたは多くの命の上に成り立っているのです。
あなたは既に多くの命を受け取っています。
命は既に取引されているのです。
あなたは既に借りを抱えています。
それは目には映らない借りです。
借りたものは返さなければなりません。
それも、利息を付けて返さなければならないのです。
表層だけしか知らない愚かな人には、この意味を理解することができません。
そして、多くの借りを抱えるのです。
知らないで済む話ではないのです。
返済は確実に行われます。
あなたがどれだけ拒否しても、利息も含めてすべて回収されるのです。
返済が足りなければ、より多くの借りが生まれるということを覚えておきましょう。
借りを返すために、この世界に貢献しなければなりません。
良いことによって償うのであれば、あなたは世界に対して貸し付けることができるでしょう。
貸しを付けるのであれば、同じものと更には利息が返ってくるということを覚えておきましょう。
目には映らない取引に注意しましょう。

2014年9月24日水曜日

選ばれる理由

人は独りでは豊かな人生を手に入れることはできません。
人は独りでは幸福に生きることはできないのです。
人は独りで何かを成すことはできません。
すべての人は、自分以外の誰かの協力によって、何かを成すということを知らなければならないのです。
あなたは自分独りが何かを成しているなどと考えてはなりません。
あなたが自分独りで成すことなど、何一つとしてないのです。
あなたは自分独りでは何も成すことができないのです。
人生の豊かさと幸福を実現するためには、他の人の協力が必要です。
更に言えば、自分以外のすべての存在からの協力というものが必要となるのです。
あなたは自分以外の存在からの力を借りなければならないのです。
そうでなければ、あなたは自分独りでは何も成すことができないということを覚えておかなければならないのです。
他人からの協力は無償ではありません。
他人はあなたに無償で協力するということはありません。
すべての人が成長を求めているのです。
成長するために有利なものを探し続けているのです。
そのため、他人に協力するには、その見返りが何であるのかを確認しているということを覚えておきましょう。
損をすることが分かっていながら協力する人はいません。
そこに何等かの得があると考えるために、協力関係が生じるのです。
天の住人でさえ、得のために働くのです。
人は誰もが自分に有利になるように立ち回るのです。
そのことを知っていなければなりません。
無償で協力を得ようなどと都合の良い考えに収まってはなりません。
何事も得が無ければ続きようがないのです。
あなたは相手に報酬を支払うことなく協力を受けることができます。
しかし、それは決して長くは続きません。
そして、その方法では、より多くの価値を失うことになるということを理解しなければならないのです。
あなたが相手の協力を得るためには、相手の得となる何等かの報酬を支払わなければならないということを覚えておきましょう。
相手に対して貢献する必要があるのです。
それがどのような形であれ、相手に貢献するのであれば、それは得となるのです。
自分に対して貢献する相手を蔑ろにする人はいません。
どのような人物であっても、自分に良くしてくれる人には同じように良く振る舞うのです。
あなたは貢献しなければなりません。
そして、相手に必要とされなければならないのです。
必要とされないのであれば、わざわざ相手があなたのために協力しようとは思いません。
あなたを必要としているから、あなたに協力しようと考えるのです。
あなたは、自分が必要とされる理由を考えましょう。
そして、必要とされる理由を築かなければなりません。
あなたでなければならない理由がなければ、あなたに協力する必要などないのです。
あなたでなければならないから、相手はあなたに協力するということを知りましょう。
代用が効くのであれば、あなたである必要はないのです。
代わりがいくらでもいるようではなりません。
あなたは大勢の中に埋もれているようではならないのです。
何かしら特別な部分が必要であるということを理解しましょう。
しかし、特別という言葉を誤解してはなりません。
他人よりも難しいことをしろと言うのではありません。
他人と違う特徴を持てば良いだけなのです。
あなたという存在は、ただそれだけで他人とは違う特徴です。
あなたという個性はこの世に一つなのです。
あなたが特別であるためには、自分自身を大切にすれば良いのです。
あなたは自分にできることを精一杯に努めましょう。
怠けることなく努めることが大切です。
怠惰に生きれば、その個性が輝きを失い、それは個性の死を意味しているということを理解しましょう。
あなたが選ばれる理由は何ですか?
自分が選ばれる理由を準備しておきましょう。
これは大切なことなのです。

2014年9月23日火曜日

良いもの

劣悪なものが数多くあるよりも、優良なものが一つでもある方が優れています。
あなたは劣悪なものを集めてはなりません。
一つだけでも、優良なものを集めなければならないのです。
愚かな者は劣悪なものを多く集めることによって、偽物の満足を得ます。
劣悪なものに囲まれることによって、偽物の喜びを味わっているのです。
劣悪なものをいくつ集めても、真実の満足と幸福を得ることはできません。
なぜなら、それはどれだけ集めても劣悪であることに変わりはないからです。
劣悪なものには価値がないということを理解しなければならないのです。
人は常に向上を実現する必要があります。
飽くなき向上心を以て人生を進まなければならないのです。
満足によって歩みを止めてしまうと、停滞によって苦しみが訪れるのです。
そのため、人は良いものを得ても、それよりも良いものを求めて進まなければならないのです。
この世は果てしないのです。
あなたがどのようなものを手に入れようとも、それよりも優れたものが存在しているのです。
そのような意味で、すべての満足は思い込みであるということを理解しなければならないのです。
ただし、人は満足して生きていなければなりません。
現状に満足を覚え、その状態を保ちつつ、より優れたものを求めなければならないのです。
あなたは満足の上に満足を重ねなければならないのです。
満足することを止めてはならないのです。
満足することを止めてしまえば、人は劣悪なものを優良なものと思い込み、それ以上のものを得ることができません。
人は成長するために生きているのです。
人が人生に成長し切るということはないのです。
人は死に至まで未熟であり、成長し続ける必要があるのです。
そのため、満足を止めることは間違っているのです。
劣悪なものを集めてはなりません。
満足を止めると、劣悪なものを多く集めることになり、それよりも良いものは集まりません。
大切なのは、同じレベルのものを多く集めることではありません。
より優良なものを集めることが重要であるのです。
横這(よこば)いではならないのです。
より良くなるということが求められるのです。
あなたは成長することを求めていましょう。
満足には、更なる満足を重ねましょう。
あなたはより良い言葉を得るように努めましょう。
より良い考え方を学びましょう。
より良い生き方を知るのです。
劣悪な言葉、考え方、生き方に従ってはなりません。
愛と光に満ちた高尚な生き方を目指さなければならないのです。
優良なもの程、愛と光に近付きます。
劣悪なもの程、苦と闇に近付くのです。
それが劣悪なものであるのか、優良なものであるのかを判断するためには、それがどちらの性質に近いのかを考えましょう。
良いものは愛と光に満ちているのです。
良いもので苦と闇に近いものはないのです。
優良なものが多く持っている方が良いでしょうが、優良なものを簡単に集めることはできません。
そのため、焦らずにじっくりと見極めて、一つでも優良なものを探すのです。
あなたが愛と光に近いと思えばそれで良いのです。
どのような思想であろうとも関係ありません。
良いものは良いということを理解しましょう。
どのような道においても、優れているものは優れているのです。
そして、劣っているものは劣っています。
思想や主義などによって優劣が決まるのではありません。
それが、愛と苦、光と闇、どちらに近いのかによって、その優劣が決まるのです。
あなたが幸福を求めているのならば、愛と光を集めるように努めましょう。
優良なものは簡単には見付かりません。
この世には偽物が氾濫(はんらん)しているのです。
多くの偽物の中から、一つでも多くの本物を見付けましょう。

2014年9月22日月曜日

細道

あなたは真っ直ぐに道を歩まなければなりません。
道に対して歪んではなりません。
真っ直ぐに進む者でなければ、道を踏み外してしまうからです。
道は進むほど、その極みに達するほどに狭まります。
道の極みに辿り着くことができるのは、一握の者だけなのです。
入り口は広く、誰にでも始めることができます。
しかし、信仰の無い者、誠実さの無い者、辛抱強く無い者、意思の弱い者、間違っている者、欲に溺れる者・・・
道が狭まるに連れて、相応しくない者はすべて、この道より外れるのです。
外道(邪道)を行く者が道の極みに達することはできないのです。
正道以外に極みに達する道はないのです。
そのため、あなたは真っ直ぐに道を歩まなければなりません。
歪んではならないのです。
真っ直ぐ行くということは、道に対して誠実でなければなりません。
不実な心ではならないのです。
正しくない者は滑落します。
正道を行く者は、正しい者だけなのです。
道に歪むということは、道に対して尽くすことをしないということです。
正しく歩む者は、道に対して尽くしているのです。
道に尽くす者を、道は手厚く持て成します。
道に尽くす者を蔑(ないがし)ろにはしないのです。
あなたは道に尽くしましょう。
道に対して純粋に歩みましょう。
受け取ることは大切ですが、受け取ることを優先してはなりません。
受け取ることを目的とするなら、道に対する純粋さは失われてしまうのです。
邪心が交われば、心は歪むのです。
道は細く、ただ真っ直ぐに続いています。
歪んだ者はその真っ直ぐな道を進むことができないのです。
どのような人にも欲があります。
欲に打ち勝つことが大切なのです。
欲する気持ちに打ち勝ち、与える気持ちを高めなければ、人は純粋に道を歩むことができないのです。
道のために歩む人は進みます。
しかし、自分のために歩む人は滑り落ちるのです。
相応しい者だけが許されるのです。
相応しくない者は許されません。
あなたは道に対して純粋な気持ちで向き合わなければなりません。
欲に溺れてはなりません。
あなたは初めの頃の気持ちを思い出さなければならないのです。
弱い心の持ち主は、多く取ることによって安心を得ようとします。
しかし、それは道の目的とは反しています。
大切なのは多くを与えることなのです。
道を行く者の目的は、その道によって得たことを与えることであるからです。
道を極める者は、その道によって得たものをより多く与えた者であるということを覚えておきましょう。
あなたは小さな欲によって歪んではなりません。
道を進めば、必要なものはすべて満たされるのです。
それを信じることができない者が多いのです。
信仰の足りない者は、どのような道を進もうとも必ず外れるのです。
道を信じて進まない者が、どうして道に相応しいでしょう?
あなたは弱い心によって騙されてはなりません。
道に対する純粋さを忘れてはなりません。
ただ道のために歩むのです。
あなたのために道があるのではありません。
道のためにあなたがあるということを覚えておかなければならないのです。
受け取ることばかり考えてはなりません。
受け取ることを目的としてはなりません。
与えることを考え、与えることを目的とし、ただ真っ直ぐに歩みましょう。

2014年9月21日日曜日

真理の決定

あなたには状況に対する決定権がないことを知っておきましょう。
状況を決定するのは真理の仕事です。
あなたに許されているのは、その状況を決定するための判断材料の準備だけです。
あなたの意思選択によって導かれる行いが、状況を決定するための判断材料であるのです。
あなたの行いによって、どのような状況を、どのようなタイミングで実現するのかを決めるのは、真理の仕事であるのです。
決してあなたの仕事ではありません。
あなたが好き勝手に状況を決めることはできません。
あなたには状況に対する決定権はないのです。
あなたが何かを止めようとしても、それは意味を成しません。
起ころうとしていることを、あなたには止めることができないのです。
起こることは、どのような方法を用いてそれを阻止しようと努めても、必ず起こるということを覚えておきましょう。
決定は、原因の段階によって確定します。
真理が一度決めたことを覆すことはありません。
一度決めたことは、それが実現し、あなたが受け取るまでは無くならないのです。
真理が下した決定は絶対です。
それが途中で変わるということなど有り得ないのです。
あなたは何かを止めることはできないのです。
自分に不利なことを変えようとしても無駄です。
受けるべきことは、受けなければならないのです。
あなたにできることは、真理の決定を受けた上で、次の状況に対する原因作りを行うことだけなのです。
そのため、今受けていることを否定してはならないのです。
今受けている苦しみが辛いものであったとしても、それは受けなければならないものであるのです。
それを止めることはできません。
そして、それを変えることもできないのです。
次の状況のための原因を作ることによって、その先を良いものへと導かなければならないのです。
真理が決定しているという重要な背景を理解することなく、自分勝手に物事を動かせると思ってはなりません。
あなたの力では、どうすることもできないのです。
あなたは自分が無力であるということを理解しなければならないのです。
現状を否定する必要はありません。
それが苦しいものであったとしても、それが今の自分には必要であるということを知らなければなりません。
人は学びによって成長を実現します。
学びによって成長するのは、人が幸福に生きるためです。
成長することがなければ、人は幸福に生きることができないのです。
現状におけるすべての状況が、あなたの成長を助けようとしています。
あなたの成長に対して不利なものは何一つとしてないのです。
どのような苦しみも否定してはなりません。
感謝の気持ちによって受け入れ、成長を実現しなければならないのです。
抵抗してはなりません。
抵抗すれば苦しみが増すだけなのです。
あなたは苦しむために生きているのではありません。
あなたは幸福を喜ぶために生きているのです。
現状を否定すれば、次の状況に対してネガティブな原因を作ることになります。
それでは元も子もないのです。
苦しいのは知っていますが、苦しんではなりません。
あなたの力ではどうすることもできないことがあるということを理解しましょう。
あなたの力は及びません。
高まるものは高まり、落ちるものは落ちるのです。
それを止める力はありません。
すべての存在は、自身の行いの故に、必要な状況を受けます。
不要なものは何一つとしてありません。
無駄なものもなければ、無意味なものもないのです。
すべてが大切なものです。
それが如何に苦しい状況であったとしても、それが大切なものであるということを理解しなければならないのです。
真理の決定に逆らってはなりません。
真理が間違えることなど有り得ないのです。
真理は、あなたの成長のために必要なことだけを導きます。
そのことを忘れてはなりません。
真理の決定に従いましょう。

2014年9月20日土曜日

小さな世界

偏見によって、物事を歪めてはなりません。
あなたは物事を正しく見なければなりません。
事実に基づいて、物事を判断しなければならないのです。
偏見によって判断しては、あなたは誤ることになるでしょう。
間違った判断は、間違った結果を導きます。
間違った結果は、苦しみを引き寄せるのです。
正しく見て、正しく判断し、正しい結果を受けることがなければ、人は豊かさや幸福を得ることができないのです。
あなたは正しく見なければなりません。
偏見を用いるのであれば、あなたの見ている景色は歪んでしまいます。
歪んだ景色によるあなたの判断は、間違ったものとなるのです。
偏見は、無知によって生じます。
無知であるが故に、人は正しく見ることができないのです。
知恵の高まりは、視野の広がりと同じことです。
知恵の豊かな者ほど、視野が広く、様々な可能性を導き出すことができるのです。
知恵の浅い者は、視野が狭く、選択肢は限られるのです。
より良い選択をしなければ、より良い結果を導くことはできません。
そのためには、可能性を見出すための知恵が必要であるのです。
小さな価値観に捉われる者がいます。
大抵の人はこれです。
多くの人は自身の小さな価値観の中に生きているのです。
人が持っている価値観という世界は小さなものです。
それは、個人の中にとどまるのです。
この世にどれだけの個人が存在しているでしょう?
その数だけ世界が存在するのです。
それを取り囲んでいるのが、この世であるのです。
個人の世界など、小さなものであるということを理解しましょう。
星は幾億も輝いています。
あなたの価値観は、この銀河に瞬く星の一つに過ぎないのです。
星一つを以て、宇宙を語ることは不可能です。
それは、宇宙を語るには、一つの星は余りにも小さ過ぎるのです。
全体のことを語るには、全体を把握する必要があるのです。
一部だけを知って、全体のことを語ってはならないのです。
偏見によって一部のことを知ることができるでしょう。
しかし、それが偏見である以上は、全体を知ることはありません。
そのため、偏見によって見ている人が、正しいはずがないのです。
あなたには多くの偏見があります。
あなたは気が付いていないかも知れませんが、多くの偏見によって歪んだ世界を見ているのです。
苦しみが存在するのは、判断が間違っているからです。
間違ったものを正しいと思っているのです。
そのために苦しいのです。
正しいものを正しく見なければなりません。
間違っているものは、間違っているのです。
間違っているものを正しく見てはならないのです。
偏見を捨てましょう。
何事も決め付けてはなりません。
決め付けることができるほど、あなたは知ってはいないのです。
知らないのだから、決め付けてはならないのです。
人は皆未熟です。
この世に偏見を持たない人はいません。
すべての人が偏見によって苦しむのです。
その苦しみを取り除くことが求められるのです。
苦しいのは自己の責任です。
誰かや何かのせいにしてはなりません。
常に自らの見方に偏りがないかを確認しましょう。
少しでも歪んでいるのならば、あなたは苦しむことになるでしょう。
偏見を捨てましょう。
これは、あなたのためです。

2014年9月19日金曜日

人生の目的

あなたはただ生きてはなりません。
あなたはただ仕事をしてはなりません。
あなたはただ生活をしてはなりません。
あなたは目的に従って行わなければならないのです。
人が人生に生きる目的は、魂の成長にあります。
生き方、仕事、生活、行い・・・
あなたのすべての選択肢が、魂を成長させるための大切な作業であるのです。
すべてが魂の成長に結び付いているということを理解しなければならないのです。
あなたの行いのすべてが、魂の成長に関係しているのです。
あなたの行いの一つ一つが、人生の目的であるのです。
あなたはそれ等を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
一つ一つの行いが魂の成長に結び付いているということを覚えておかなければならないのです。
すべてが人生の目的に関係しているのです。
人生におけるすべての事柄が、人生の目的に結び付いているのです。
どのように些細なことであっても、人生の目的に関わることなのです。
あなたは、自らの行いが魂の成長に有利なように行わなければなりません。
魂の成長を害するように行ってはならないのです。
なぜなら、魂の成長を実現することがなければ、豊かさや幸福というものも実現することがないからです。
多くの人は人生の目的を知りません。
そして、その目的を探そうともしないのです。
そのため、多くの人が何のために生きているのかを知らないのです。
あなたは、何のために仕事をしていますか?
何のために生活をするのでしょう?
何のために行っているのでしょうか?
そこに理由がなければ、空しさを得ることになるでしょう。
何のために行っているのかを知らなければ、行ったものから何も得ることができないのです。
目的意識を以て行うので、それが実現した暁(あかつき)には豊かさと幸福を感じることができるのです。
何のために生きているのかを知らない人には、人生の豊かさはありません。
何のために仕事をしているのかを知らない人には、人生の幸福はありません。
何のために生活をしているのかを知らない人には、人生の満足がありません。
何のために行っているのかを知らない人には、人生の希望と喜びがないのです。
あなたはただ行ってはなりません。
より成長するために行うのです。
より成長するために生きるのです。
より成長するために仕事をするのです。
より成長するために生活をするのです。
より成長するためでなければ、人は豊かさと幸福を得ることができないのです。
これは大切なことなのです。
成長するために行っているということを忘れてはならないのです。
自分独りが豊かさと幸福を得ることはできません。
人は独りでは生きていくことができないのです。
「すべては一つ」なのです。
あなたが豊かさと幸福を得るためには、その他の人も同じようにそれを得なければならないのです。
あなたは他人のことを忘れてはなりません。
あなたは自分自身のためと、他人のために行わなければならないのです。
あなたはただ生きてはなりません。
あなたはただ仕事をしてはなりません。
あなたはただ生活をしてはなりません。
あなたはただ行ってはなりません。
目的意識を以て生きなければなりません。
空しく生きてはなりません。
魂の成長という目的のために生きましょう。
一つ一つのことが、魂の成長に結び付くように、善い行いを心掛けましょう。

2014年9月18日木曜日

最高の報い

報いは必ずやって来ます。
すべての存在は報いを受けなければならないのです。
それは、すべての存在が真理に繋がり、それに従っているからです。
真理と離れて存在する者はいません。
それがどのような存在であろうとも、すべてが真理と共にあるのです。
真理は因果を実現します。
原因に対する確実な結果を導くのです。
原因によって結果が実現します。
原因と結果が異なるということは有り得ません。
それは完全に正しい判断であるということを覚えておきましょう。
そして、原因による報いは確実にあなたの元にやって来るのです。
あなたの生み出した原因であるなら、あなたの元に確実に届くのです。
どのような原因を所有しても、その報いが必ずやって来るということを覚えておかなければならないのです。
しかし、その報いがいつやって来るのかを知ることはできません。
そして、それがどのような形であるのかも、あなたには知ることができないのです。
あなたはいつ、どのような形でやって来るかも分からない結果を、確実に受け取ることになるのです。
真理が導くものを拒絶することのできる人はいません。
あなたがどのような立場の人物であろうとも、どのような方法を用いようとも、その報いは確実に手元に届くのです。
そして、それを確実に受け入れなければならないのです。
報いは避けられないということを覚えておきましょう。
果実を育てる農夫は、それをいつ収穫するでしょう?
果実が十分に育ち、最適な時期を見極めて収穫するのです。
果実の生育が十分ではなく、また、実が熟し過ぎる時期ではありません。
農夫は、果実を収穫するのに最適な時期を知っているのです。
しかし、果実にはそれが分かりません。
果実は、どのように抵抗しようとも、期が熟せば収穫されるのです。
あなたは自らがこの果実であるということを知りましょう。
農夫は真理です。
真理はあなたが最高の報いを得ることができるように世話をします。
あなたが幸福の果実を実らせるために行っているのであれば、真理は幸福が得られるように世話をするのです。
あなたが不幸の果実を実らせるために行っているのであれば、真理は不幸が得られるように世話をするのです。
真理はあなたが正しくあるように努めます。
あなたが幸福の果実を実らせるために努めているのであれば、真理はそれを喜ぶでしょう。
あなたが不幸の果実を実らせるために努めているのであれば、真理はそれを悲しむのです。
真理の求めるものは、魂の成長です。
真理はあなたが成長を得るために働いているのです。
良い実は、農夫が大切に扱い、良いものを得るのです。
悪い実は、農夫が地に落としてしまいます。
その扱いは散々なものであるということを覚えておきましょう。
正しくない者は、真理によって苦しみを得ます。
人生に幸福を求めているのであれば、人は正しくなければならないのです。
報いは必ずやって来ます。
それがすぐに来ないからといって、油断してはなりません。
真理はあなたの善も、悪も、同じように育てるのです。
そして、その期が熟した時に、善も悪も同じように刈り取るのです。
悔い改めることがなければ、悪は際限なく育つのです。
あなたが自らの行いを悔い改め、正しく行う時に初めて、善が育つのです。
悪の報いを受けてはなりません。
それは苦しいのです。
光の子であるあなたは、善の報いによって喜びを得なければならないのです。
悪いことをしても、期が熟するまではその報いを受け取りません。
その報いを受ける時になって慌てふためいても遅いのです。
報いを拒絶することはできないのです。
善を行えば悪いことは起こりません。
善を行い、その実(自己)を良いものにしましょう。
報いからは決して逃れることができないということを忘れずにいましょう。

2014年9月17日水曜日

過去

すべてのことが必要によって生じています。
どのようなことであっても、そのすべてが必要であるのです。
生じたもので無駄なものはありません。
生じたもので無意味なものもありません。
すべてが必要によって生じたのに、それを否定してはなりません。
それに不満を持ち、反発してはなりません。
それに不安を抱き、信仰を捨ててはならないのです。
すべてが必要によって生じているため、あなたはそれを大切にしなければならないのです。
過去を否定する人がいます。
そのような人は過去をいつまでも振り返ります。
過去を振り返って後悔し、苦悩の中に生きているのです。
過去を否定する必要はありません。
その過去があなたにとってどのようなものであったとしても、あなたにとって必要であったので生じているのです。
それがどのような過去であれ、あなたのためになっているのです。
苦しいことが生じるのは、人が未熟であるからです。
人の無知が苦しみを導くのです。
理解しているのであれば、苦しまずに済むのです。
理解していないから、間違った方法の報いによって苦しまなければならないということを覚えておきましょう。
過去を変えようと考える人がいます。
過去は未熟なあなたによって生じた当然の結果です。
それは、あなたに自らの未熟さを伝えます。
あなたは過去から自らの未熟を学び、過去に学ぶことによって理解を深めなければならないのです。
過去を変える必要はありません。
過去は最善の形を以て生じたのです。
過去を否定し、それを変えようとするのであれば、あなたはその学びを否定することになるのです。
あなたの成長のためにある学びを否定するのであれば、あなたはそれ以上学ぶことはできません。
学ぶことができなければ、成長するということもないのです。
成長することができなければ、あなたはどのような方法を用いても、人生に豊かさと幸福を得ることはできないということを覚えておきましょう。
人生の目的が魂の成長にあるため、成長を無視して豊かさや幸福を得ることはできないのです。
すべてのことが必要によって生じています。
過去に戻りたい人がいます。
過去を美化する人がいますが、過去に戻ったからといって、あなたに喜びはないのです。
なぜなら、そこに成長が存在しないからです。
現状が苦しくても、そこで成長が実現するのであれば、そこに豊かさや幸福が存在するのです。
楽しい過去に戻ったとしても、そこでは成長を得ることができないのです。
過去は過去として存在していなければ、あなたは学びを得ることができないのです。
苦しい過去があります。
恥ずかしい過去があります。
あなたには思い出したくもないような嫌な過去があるでしょう。
しかし、それで良いのです。
嫌な過去は、嫌な過去としての役割を担っているのです。
良い過去も、嫌な過去も、どちらも過去であることによって自らの仕事を果たすのです。
過去は過去であるが故に、価値を持つのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
どのような過去も大切に扱いましょう。
必要を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
あなたは過去に感謝しなければなりません。
あなたが感謝する時、それを受け入れるでしょう。
受け入れることができれば、学ぶことができるでしょう。
学ぶことができれば、成長が実現し、豊かさと幸福を得るのです。
過去を変える必要はありません。
過去に特別な感情を抱く必要もありません。
過ぎ去ったことなのです。
あなたは未来に向かって生きています。
重要なのは未来なのです。
過去を大切にすることによって未来は輝きます。
そのことを覚えておかなければなりません。
どのような過去にも感謝を忘れてはならないでしょう。

2014年9月16日火曜日

苦しみの循環

判断は真理によって下されます。
あなたは自分の身の在り方について判断することは許されません。
真理以外に、あなたの判断を許された存在はないのです。
あなたは真理によって判断されます。
あなたは真理に逆らうことはできないのです。
どのように努めても、真理に反することはできないのです。
あなたは真理によって判断されるということを覚えておきましょう。
しかしながら、あなたは自分がどうするのか?という選択を判断することができるのです。
選択肢に対する判断は許されています。
あなたは自分の思うように選択することができるのです。
その選択によってどのような状況を得るのかは、真理が判断することであって、それを決めることはできないということなのです。
あなたがどのような選択をしようとも自由ですが、それによって導かれた結果に対して反発してはなりません。
真理は、あなたの選択に対して、必要な結果を導くからです。
あなたの選択を確認することなく、真理が判断を下すことはありません。
すべてはあなたから始まっているのです。
それなのに、自分以外の何かに対して反発するのは間違っているのです。
しかしながら、そのことを受け入れることのできない人が多いのです。
自分自身の選択に応じた判断が、真理から下されるということを信じることができないのです。
そのような人は、不満や不安に苛(さいな)まれることになるのです。
不満や不安によって苦しむ人が、豊かさや幸福を得ることはできません。
豊かさや幸福を得ることができるのは、どのような状況を得ても、それに対して感謝することのできる人だけだからです。
不満や不安などの破滅的な感情を選択する人は、その選択が故に苦しみを得ることになるのです。
それが自らにとって受け入れ難い状況であったとしても、それに対して建設的な感情によって感謝して受け入れる人には、その選択が故に喜びを得ることになるのです。
人生というものは、自身の選択によって真理が下す判断を受け取っている状況なのです。
真理が間違えることはありません。
真理は常に正しいということを知りましょう。
間違っていると思うのであれば、あなたの判断が間違っているのです。
間違った判断をしていると、再び間違った選択をしてしまうのです。
間違った選択は、苦しい状況を導くのです。
そして、無知が故に苦しみの循環が始まるのです。
愚かな者は、その行為が間違っているということを理解するまで苦しみを受けます。
その行為が間違っているということを理解し、改めることがなければ苦しみは無くなりません。
それは、人生が魂の成長のための場所であるからです。
人生は、魂が成長するようにのみ動いています。
真理は、人(すべての存在)が魂を成長させるために作られたルールだからです。
どのような状況を得ようとも、それはあなたの成長を促しているのです。
そのことに気が付かなければなりません。
真理はあなたの敵ではありません。
真理は誰の敵でもないのです。
真理ほど、あなたの成長を考えるものはありません。
真理ほど、あなたの成長を喜ぶものはないのです。
あなたは真理を信じなければなりません。
真理が正しいのです。
それは、真理の判断である、あなたの受け取る状況なのです。
どのような状況を得ようとも、それ以外に正しいことはありません。
あなたは自分を中心に物事を考えてはなりません。
あなたを中心に世界は動いてはいません。
自分を中心に考えてしまうと、視野は狭い範囲に限定されてしまうのです。
世界は真理の判断によって動いています。
真理を除いて正しいものは存在しません。
真理を受け入れましょう。
真理に反発してはなりません。
真理に対して不満や不安を抱いてはならないのです。
そのような選択をしてはなりません。
真理の正しい判断を信じましょう。
真理の判断に従い、豊かさと幸福を手に入れましょう。

2014年9月15日月曜日

至上の宝

あなたの人生の目的は、魂の成長です。
魂の成長が、人生では最も優先される目的であるということをあなたは覚えておかなければならないのです。
魂の成長という目的を忘れてしまえば、何を得ようとも空しいということを覚えておかなければならないのです。
あなたは魂を成長させるために人生を生きているのです。
そのことを忘れてはなりません。
魂は、愛と光によってできています。
それは建設的なエネルギーによって作られているのです。
そのため、魂の本質は愛と光であるのです。
魂が成長するためには、愛と光を増す必要があります。
愛と光が増すことがなければ、魂が成長することはないのです。
あなたは愛と光を集めなければなりません。
愛と光を魂に与えなければならないのです。
残念ながら、この世界には悪意というものが存在しています。
それは、愛と光とは対極に位置しているものです。
それは、恐怖と闇であるのです。
恐怖と闇を魂に与えれば、魂は力(輝き)を失ってしまいます。
力を失ってしまうのは、成長ではないのです。
成長するということは、力を増すということだからです。
そのため、恐怖と闇を引き入れるのであれば、人生の目的を果たすことができず、空しい一生を得なければならないということなのです。
人生は自由に選択することが許されています。
あなたが愛と光を選択するのも、恐怖と闇を選択するのも自由なのです。
あなたは自身の思うように選ぶことができるのです。
しかし、恐怖と闇である悪意を選んでしまうのであれば、満足を得ることができないということを覚えておかなければならないのです。
悪意によっては、簡単に多くのものを集めることができます。
人は、悪意によって嘘を吐き、悪意によって騙されるからです。
悪意を用いれば、多くの利益を簡単に得ることができるのです。
しかし、悪意によって得たものは、やはり悪意なのです。
欲を出す者は、欲を持つ者を引き寄せるのです。
欲を出さない者に、欲を持つ者は近付かないのです。
欲は欲を欲しているのです。
悪意が引き寄せるものは悪意です。
そのため、悪意によって得るものは悪意であるということを覚えておかなければならないのです。
悪意によって得た恐怖と闇をどれだけ魂に与えたとしても、それによって魂が成長することはありません。
そのため、欲を出して多くを求めたとしても、それが満たされることはないのです。
悪意によって得るものがどれほどあったとしても、人は満足することがないということを覚えておかなければならないのです。
人は善意によって、愛と光を集めなければなりません。
愛と光は魂を満たします。
魂は、愛と光を欲しているのです。
愛と光があれば、魂は豊かさと幸福を覚えるのです。
それは、何ものにも勝る至上の宝であるということを覚えておきましょう。
悪意を受け入れてはなりません。
心を、魂を悪意によって汚してはならないのです。
嘘を吐いて人を騙してはなりません。
そのつもりがなくても、結果としてそれが嘘であるのならば、結果として人を騙したことになるのです。
おかしいと思うことをしてはなりません。
あなたがおかしいと思うのであれば、そこには何等かの過ちが存在しているのです。
おかしいと思ったら、どこがおかしいのかを徹底的に確認しなければなりません。
正しい方法を追求する必要があるのです。
間違っているものを続けてはなりません。
悪意によって始まったことは、すべてが間違いであるということを覚えておきましょう。
善意によって始まったことでなければ、魂は成長することができません。
それは、善意によって始まったことが正しいからです。
人生の目的が魂の成長であるということを忘れてはなりません。
悪意を引き入れてはなりません。
簡単に利益が得られるからといって、それが正しいとは限らないのです。
悪意によって集めるのであれば、その報いが必ずやってきます。
何事もすぐには実現しません。
機は熟するものなのです。
すべてが必要なタイミングで現れます。
すぐに悪いことがないからといって、悪意を所有してはなりません。
その報いは必ず訪れるからです。

2014年9月14日日曜日

主人の友人

他人の家屋に入るためには、その家屋の主人の許可が必要です。
主人が了承することがなければ、誰もその家屋に入ることはできません。
主人が招く者は客人として、手厚く持て成されます。
自らが赴(おもむ)いて、主人に許可された者には座が与えられます。
しかし、主人に招かれてもおらず、赴いても許可されない者が門を潜れば、その人は強盗とされるのです。
主人は強盗を許しません。
強盗と闘い、二度と強盗が侵入することがないように、今まで以上に強固に施錠(せじょう)するのです。
また、警備に頼んで、家屋の周りを守らせます。
強盗は汚名を首から下げ、監獄に捕われてしまうのです。
囚人には自由が与えられません。
囚人はその罪を返上するまでに、多くの苦しみを得なければならないのです。
人は、他人の家屋に自分勝手に侵入することはできなのです。
あなたは、主人の許可無く、家屋に浸入してはなりません。
すべての人は豊かさと幸福を求めています。
どのような人にも、豊かさと幸福への憧れがあるのです。
すべての人が豊かさと幸福を考え、そうなるために行うのです。
愚かな者は、その方法を誤ってしまいます。
欲が先行してしまい、配慮に欠けるのです。
家屋に入るためには、主人に気に入られなければなりません。
主人の敵であってはなりません。
主人の気に入らない者であってはなりません。
主人のことを悪く言う人であってはなりません。
主人に対して忠実であり、協力者でなければならないのです。
自らにとって不利となる者を家屋に招く主人はいません。
主人は友人を招くのです。
あなたは主人の友人となるように努めましょう。
しかし、それは主人に媚(こび)を売るということではありません。
媚びる者を主人は嫌います。
その浅はかな企みに気が付くからです。
盗人を招く主人はいません。
どのように諂(へつら)っても、主人にはその本性が知れるのです。
繕(つくろ)っても無駄なのです。
主人はその者の行いによって判断するからです。
あなたが主人の気に入るような行いをしているのであれば、あなたが戸口を叩く前に招待状が届くでしょう。
主人の方からあなたの元にやって来て、家屋に招くのです。
あなたが豊かさや幸福を求めているのであれば、それらを所有する主人の家屋を訪ねなさい。
豊かさや幸福を所有している主人に気に入られるように、努めなければならないのです。
どのように威張り散らしても、主人には勝りません。
また、主人は脅しには決して屈しません。
国民がどのように主張しても、法律には勝らないのです。
あなたが求めているものはなんですか?
豊かさと幸福を求めているのであれば、それらのために行うことに努めましょう。
豊かさと幸福を考え、それを行っている人には、それらを所有する屋敷の主人からの招待状が届くでしょう。
自分のために行わなければなりません。
他人のために行わなければなりません。
あなたは自分自身のために、他人のために豊かさと幸福を考え、行いましょう。
自分勝手に門を潜ることはできないのです。
あなたは覚えておかなければなりません。
あなたがこの地上でどれだけ威張っても、それは何の役にも立たないということを覚えておきましょう。
主人に気に入られるためには、主人と同じように行う必要があります。
豊かさと幸福を考え、それが実現するように行いましょう。
どのような人も、許可がなければ入れません。
無断で入ることはできません。
考えを改めましょう。

2014年9月13日土曜日

地道に歩む

正しい道には、近道というものは存在しません。
あなたは正しい道において近道を考えてはなりません。
要領良く進むことはできますが、道そのものが短くなるということはないのです。
正しい目的地に通じる正しい道は、正しい道ただそれだけであるということを覚えておきましょう。
この世では幾通りもの道順が用意されています。
しかし、正しい道はその中の一本であるのです。
正しく通じる道に向かわなければ、目的地に辿り着くことはできないのです。
しかし、道は枝分かれしています。
正しい一本の道に、そうではない道が無数に伸びているのです。
正しい道を行くことが必要ですが、人は未熟な存在です。
すべての人が間違った道を選択し、迷い無くそれを進むのです。
この世で間違った道に進まない人はいません。
すべての人が道を外れるのです。
しかし、間違った道を引き返すことはできます。
自らの進んでいる道が間違っていると気が付いたのであれば、それを引き返す選択肢が与えられているのです。
間違った道を進んでも、目的地には辿り着けません。
間違った道は、間違った場所へと通じているのです。
正しい道が歪むことはありません。
正しい道は正しい者の道であるからです。
正しい道は正しい者のみを受け入れます。
それ以外の者は進むことができないのです。
欲望に溺れた者は、近道をしようと不正を働きます。
腹を満たそうとする時に、人のものを盗むのです。
腹を満たすためには、それが早いし有利だと考えるのです。
自らが苦労して、正しく腹を満たそうとは考えません。
盗人が辿り着く場所はどこでしょう?
盗人が豊かさや幸福に辿り着くでしょうか?
残念ながらそのようにはなりません。
盗人は、その進む道が通じる乏しさと不幸に辿り着くのです。
近道をしようと不正を働く者は苦しみます。
欲望に溺れることがなく、正しくある者には喜びがあるでしょう。
そのことを理解しなければなりません。
正しい者でなければ、正しい道を進めません。
正しい道を行かなければ、正しい場所には辿り着けません。
あなたが豊かさと幸福を求めているのであれば、正しい人でいなければなりません。
正しい道には愛と光が溢れています。
それは、豊かさと幸福は、愛と光によって実現するからです。
あなたが正しくあるということは、愛と光を大切にして生きるということなのです。
愛と光を見失ってはなりません。
あなたが愛と光を見失った時には、間違った道を進んでいるということに気が付きましょう。
その時は、すぐに引き返し、愛と光を思い出しましょう。
愛とは思いやりです。
光とは感謝です。
この大切な二つの宝を忘れてはならないのです。
人は多くを求める生き物です。
その欲求が欲望に溺れる時、人は愛と光を失います。
そして、乏しさと不幸と苦しみを得ることになるのです。
道を間違ってはなりません。
誘惑に陥ってはなりません。
間違っていると気が付いたら引き返しましょう。
どのくらい進んでいても構いません。
気が付いた時に引き返せば良いのです。
進んだ道なら戻れます。
人は弱い存在です。
人は簡単に間違えます。
しかし、それでも良いのです。
間違った道を知って、正しい道を理解するのです。
一歩一歩、地道に進みましょう。
正しい道に不正は存在しません。
そのことを覚えておきましょう。

2014年9月12日金曜日

所有物

あなたは自分が何も持っていないと言ってはなりません。
そのように考えてはなりません。
あなたは必要なものをすべて持っているのです。
あなたが必要なものを持っていないということは有り得ないのです。
人生は魂の成長の場所です。
人は魂を成長するために生まれ、生きているのです。
人は様々な経験を通じて魂を成長させます。
すべての経験が魂の向上のために存在し、それ以外の経験というものは存在しないのです。
あなたはすべてが必要であるということを理解しましょう。
それを理解することができなくても、その事実のために知っておきましょう。
あなたはいずれ、すべてが必要によって満たされているということを知ります。
その時のために、覚えておかなければなりません。
すべてが必要によって満たされているということを知らない人は、不足や不要が存在していると考えます。
そして、不満や不安といった選択をするようになるのです。
すべてが必要によって満たされているという真理を知る人は、その真理の故に幸福を得ることができます。
どのような状況であっても、それが必要であると理解するなら、そこに不満や不安を用いることはなく、その経験を生かして成長するという人生の本来の目的を果たすことができるのです。
目的を果たすことができるのだから、その心は喜びによって満たされ、幸福を得ることができるのです。
すべてが必要によって満たされているという真理を知らない人は、その無知の故に不幸を得ることになります。
どのような状況であっても、それが不要であると考え、そこに不満や不安を用います。
そして、その経験の意義を殺してしまうのです。
経験から成長の糧(かて)が得られなければ、成長するという人生の目的を果たすことはできません。
目的を果たすことができないのだから、その心は苦しみによって支配されます。
苦しみが故に不幸を得るのです。
あなたが幸福であり、豊かな人生を求めているのであれば、すべてが必要によって満たされているということを理解しなければなりません。
すべてが必要であるということを理解し、その通りに行わなければならないのです。
このことを疑わない人、このことを信じる人は幸いです。
それは、真理であるからです。
このことを疑う人、このことを信じない人は不幸です。
それは、真理であるからです。
真理に従う人は満たされ、真理に逆らう人は損ないます。
この違いを理解しなければならないのです。
どのように努めても、真理に逆らう人には恵みは与えられないのです。
真理に従いましょう。
すべてが必要です。
持っていなければ、持っていないで良いのです。
足りなければ、足りないで良いのです。
持っていない(と思う)ことや足りない(と思う)ことによって、物事は上手く進むのです。
それを持っていたり、また多過ぎるほど持っているなら、物事は上手く進むことができないということを理解しましょう。
有形無形に捉われてはなりません。
多くの人は有形のものしか知りません。
無形のものを理解することができないのです。
仕事が無い、お金が無い、住む場所が無い、友人がいない、愛する人がいない・・・
多くの人は詰まらないことに苦悩しています。
現状において持っていないものを数えるのであれば、人は不幸に落ち込むということは明らかであるのです。
あなたは持っているものを数えなければならないのです。
あなたが一般的な価値観に照らし合わせて数えたものを持っていなくても、あなたは自分自身を持っているのです。
そこには魂、心、感情、思考、肉体、経験、知識、知恵、技術、時間、未来・・・
気が付いてはいなくても、あなたは既に様々なものを持っているのです。
そして、あなたには自由という宝を持っているのです。
何も持っていないというのであれば、持っていないが故に自由を持っているのです。
浅はかに考えてはなりません。
あなたは必要によって満たされていて、それ以外は有り得ません。
あなたが不足することは有り得ません。
不要なものを手にすることも有り得ません。
すべてが大切なものです。
そのことを理解し、持っているものを数えてみましょう。
そうすれば、あなたは感謝の気持ちを持つことができるでしょう。
感謝する人は幸福を得るのです。
いつか来るその日のために、このことを覚えておきましょう。

2014年9月11日木曜日

ロマンチック

ロマンを見失ってはなりません。
人生にはロマンが必要であるということを覚えておきましょう。
人生は苦しむための場所ではありません。
人生はロマンの溢れる素敵な場所なのです。
そのことを忘れてはならないのです。
人生にロマンが溢れているということを忘れた人は、目の前の状況に対して希望を見失ってしまいます。
物事を唯物的に捉えてしまい、目に映る現状に苦悩してしまうのです。
現状がどのようなものであったとしても、それがすべてではありません。
現状が苦しいものであったとしても、未来が苦しいとは限りません。
寧(むし)ろ、すべての未来は希望に満ちて輝いているのです。
人生をロマンチックに眺めることができる人には、苦しみは続かないということを覚えておきましょう。
ロマンチックに捉えるために、そこに希望が生み出されるのです。
目に映る現状にのみ心を奪われる者には、希望は導かれないということを知らなければならないでしょう。
現状の苦しみに捉われてはなりません。
抱えている問題に対して、心を乱してはなりません。
苦しみを考え、それに集中するのであれば、あなたが築き、受け取るのは苦しみの状況であるということを覚えておきましょう。
苦しみを行う者が、幸福を得ることは有り得ません。
人は、自らが考え、行う通りの結果を得るのです。
現状がどのようなものであったとしても、ロマンを求め、希望を諦めることがなければ、その人は苦しみから遠ざかるでしょう。
ロマンを求め、希望を見出す人は、希望を考えて行うのです。
そのような人の受け取る結果は、素敵なものであるということを理解しなければならないのです。
あなたは何を考えていますか?
一日の大半をどのような思考や感情が占めているでしょう?
それが現状に対する不満や不安であるなら、あなたは一刻も早くそれを手放さなければなりません。
豊かな人生を求め、幸福を得ようと思うのであれば、あなたは現状に対する不満や不安を考えていてはならないのです。
人生は素敵な場所であるということを理解しましょう。
人生は成長するための場所です。
一つ一つの経験が、あなたの成長を助けているのです。
人生があなたに対して不利に働くことはありません。
それなのに、あなたが不満や不安を抱える必要などないのです。
人生がどのようなものであるのかを知れば、あなたがロマンを見失うことはないのです。
苦しいことは知っています。
上手くいかないのも、嫌いな人やことがあるのも知っています。
しかし、それでも人生があなたに対して不利に働くことは有り得ないのです。
あなたは素直にならなければなりません。
愚かな者は自我に引かれます。
自我によって勘違いをして、思い高ぶるのです。
そして、苦しみに会うと悲観してしまうのです。
賢者は非我(ひが)に引かれます。
非我によって正しく認識し、感謝の気持ちを忘れることはありません。
自分以外の存在からの協力に対して感謝の気持ちを忘れることがないために、苦しみに会っても動じないのです。
あなたは自分独りで生きているのではありません。
すべての存在があなたに協力しているのです。
それがロマンチックであるということを知りましょう。
すべての事象がロマンに溢れています。
この世界には様々なドラマが存在し、それが一つに繋がっているのです。
あなたの目の前に導かれる状況はその先端であるのです。
そこにはロマンがあるのです。
目に映るものだけで考えてはなりません。
それは余りにも浅はかです。
あなたが受け取るその状況は、多くのロマンを経て届いたのです。
唯物的に考えてはなりません。
星空は美しいのです。
星の真実を知っても、それを美しく眺めるのです。
ロマンを見失ってはなりません。

2014年9月10日水曜日

苦しみの監獄

自由こそ宝です。
あなたは自由にいなければなりません。
自由を求め、自由のために闘いましょう。
自由を求めなければなりません。
自由を放棄してはなりません。
自由とは価値のあるものだと理解しなければなりません。
あなたは自由に生きることができます。
あなたは自由に行動することができます。
あなたは自由に考えることができます。
あなたは自由に思うことができます。
あなたは人生を自由にすることができるのです。
そのためには、その思考、心、魂に対して自由を与えなければなりません。
思考や心や魂が自由を得ることがなければ、人は人生に自由を手にすることができないのです。
人生は人の思考や心や魂が築くものです。
あなたの人生は、あなたが決めることができるのです。
その思考や心や魂が求めなければ、自由を得ることはできません。
自由の価値を理解し、それを手にすることができるという確信を持っていなければならないのです。
あなたは長い年月を掛けて、周囲の人間から様々な教育を施されました。
その教育の中には、無知や未熟、悪意や卑屈(ひくつ)、劣等感などから生じた間違った教えというものが存在しているのです。
間違った教えは破滅的です。
それはあなたから自由を奪う教えなのです。
多くの人はそのことに気が付いていません。
自分は正しいと思い込んでいる人物ほど、この矛盾に気が付かないのです。
自由であるなら、何ものにも捉われることはありません。
自分が正しいという考えにすら捉われないのです。
捉われる時点において自由ではないのです。
間違った教えは、あなたに自由の素晴らしさを教えることはありません。
自由が恐ろしいものだと投げ掛けるのです。
それは、自由を恐れている者が、自分の仲間を作りたいからです。
そのような愚かな者は、苦しみの監獄に一緒に捕われている仲間がいれば、それだけで安心なのです。
しかし、そのような場所には豊かな可能性は存在しないのです。
人は自由を得なければならないのです。
それは、人は成長しなければならないからです。
根が詰まれば、植物は枯れてしまうのです。
思考や心や魂が、苦しみの監獄に捕われているのであれば、人が成長することはできないのです。
成長が止まれば、後は衰えていくのみです。
衰えれば、やがて死を迎えるのです。
あなたは自由を求めましょう。
自由を得るために闘わなければなりません。
この世界には真理という絶対のルールが存在しています。
真理に正しい者は自由を得ることができます。
しかし、真理に反し、絶対のルールに反するのであれば、人は罰を与えられ、苦しみの監獄に捕われてしまうのです。
そして、自由を失うことになるのです。
真理に従っていなければなりません。
あなたは愛と光から離れてはなりません。
あなたから自由を奪う者がどのような人物であるのかを観察しましょう。
あなたに自由を与える者がどのような人物であるのかも観察するのです。
そうすれば、どちらの教えがあなたの求めるものであるのか?を知ることができるでしょう。
あなたはその教えを教える人のようになります。
その人があなたの理想であるなら、その教えに従いましょう。
それが違うのであれば、親兄弟であろうとも、その教え、その者に従ってはなりません。
関係性に捉われてはなりません。
そのようなものには何の価値もないのです。
子を殺す親がいて、親を殺す子がいるのです。
自由でなければなりません。
何ものにも捉われることのない、自由な人生を手に入れましょう。

2014年9月9日火曜日

できることを

あなたは自分にできることをしなければなりません。
自分にできること以外はする必要がありません。
あなたにできることはあなたのすべきことであり、あなたにできないことはあなたのするべきではないことなのです。
あなたは今の自分にできることは精一杯に努めなければなりません。
できることをしないのであれば、それは怠慢であり、良い結果を導くことはできないのです。
あなたは常に努めておきましょう。
できないことをしろと言っているのではありません。
できることを一生懸命にしなければならないと言っているのです。
できることならできるはずです。
できることを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
あなたは力を使わなければなりません。
あなたがどれだけ使っても、力が枯渇(こかつ)することはありません。
あなたはいくらでも力を振り絞ることができるのです。
力を出し惜しみしているのであれば、目の前の壁を乗り越えることができません。
力を出し惜しみしているのであれば、その先には進むことができないのです。
持っている力は使わなければなりません。
あなたが精一杯に努めてもできないことがあります。
それに対して悲観する必要はありません。
できないものはできないのです。
できないことに対しては、今の自分にはできないということを認めるようにしましょう。
できないことを認めることができなければ、人はそれよりも向上することはできません。
認めなければ、受け入れることができないのです。
できないことがあっても、何の問題もありません。
人は誰もが未熟であるのです。
できないことをできるようにしていくことが目的です。
そのため、できないことが当たり前であるのです。
しかし、多くの人はできないことについて悩みます。
他人と比較して焦り、怒り、悲観するのです。
人は誰もが別人格です。
近くに生まれ、同じ時代に生き、同じ場所で生きていたとしても、できることとできないことはそれぞれに違うものです。
他人にはできても、あなたにはできないということは自然なことなのです。
それぞれに学んでいることが違うのです。
人は学びによって必要が決まります。
その学びを正しく学ぶために必要なものを受け取り、身に付けることができます。
しかし、その学びに関係のないものを受け取ることも、それを身に付けることもありません。
そのため、あなたはできることを精一杯に努めていれば良いのです。
できないからといって、それが学びに必要であるとは限りません。
できないのであれば、現状においてはそれができないことが必要であるのです。
ただし、できないからとって諦めろと言っているのではありません。
今それができないからといって不満や不安を抱く必要がないということを言っているだけであり、それ等がいつまでもできないままで良いというのではないのです。
必要に迫られるのであれば、あなたはそれをできるようにならなければならないのです。
あなたが大切にしなければならないのは、一生懸命に努めるということです。
できてもできなくても大した問題ではありません。
一生懸命に努めてもできないことは、それで良いのです。
しかし、できるにも関わらず、それに手を抜いているのであれば、それは問題になるということを覚えておきましょう。
自分にできることによって、人は世界に対して貢献することができます。
あなたにできることがどのようなものであったとしても、それによって貢献しなければならないのです。
できることをやらないのであれば、貢献することはできません。
貢献することがなければ、役には立ちません。
役に立たないものは世界から排斥(はいせき)されるということを覚えておきましょう。
小さな力であっても、世界に貢献するのであれば大切に扱われるのです。
あなたがただ生きているという理由で存在を許されている訳ではありません。
あなたが貢献することがないのであれば、大切なものが奪われるということを覚えておきましょう。
貢献してもしなくても、人は生きているだけで世界から大切なものを受け取っています。
世界は常にあなたに貢献しているのです。
恩を仇で返す者を、あなたはどのように扱うでしょう?
世界もあなたと同じように扱うのです。
自分にできないことをする必要はありませんが、自分にできることは精一杯に努めましょう。

2014年9月8日月曜日

正しい教え

あなたは偽りに注意しなければなりません。
この世における偽りとは、光を隠すもののことです。
この世において正しいのは真理であり、それを作った「神」なのです。
「神」は愛と光です。
人が向かうべき正しい道とは、真理を通って「神」へと向かう光の道であるのです。
どのような人も光を求め、光に向かわなければなりません。
しかしながら、「神」は光と共に偽りを作りました。
偽りは光を高めるための糧(かて)となります。
偽りは光のためにあるのです。
人は偽りに正しく対応することによって、光へと向かうことができるのです。
偽りを目的としてしまえば、光に向かうことはできません。
偽り者はその仕事に忠実です。
偽りによって、正しい人を正しい道から遠ざけるのが仕事です。
あなたは正しくなければなりません。
人は魂という本質を与えられています。
その魂は光に満ちて輝いています。
それが人の本来の正しい姿なのです。
正しい人は光によって輝いています。
あなたが正しくあるためには、光り輝いていなければならないのです。
光を失わないためには、偽りに注意を払わなければなりません。
偽りを受け入れるなら、光は奪われてしまうのです。
この世には、多くの偽り者が存在しています。
その者たちは偽るように命じられています。
そして、正しい人の光を強化するための役割を担っているのです。
あなたは偽りを受け入れてはなりません。
光を手放してはなりません。
偽りに騙されてはなりません。
あなたは正しいものが何であるのかを見極めましょう。
偽り者は、あなたに対して偽りの教えを施します。
あなたが偽るように努めるのです。
あなたには知恵が必要です。
何も考えず、受け入れるのであれば、偽りも共に受け入れることになるのです。
それは、毒を飲むようなものなのです。
食材の中に一つでも毒が含まれていれば、人は腹を壊します。
そして、健康を損なうのです。
それが酷ければ、命を落としてしまうのです。
偽り者は、あなたの心に毒を飲むようにすすめます。
偽り者は常に自らの仕事を全うしようと考えています。
そのため、あなたは常に毒を飲む可能性を抱えているのです。
森の中の植物には食べられるものと食べられないものがあるように、世の中の教えにも正しいものとそうではないものが存在しているのです。
あなたはこの世の中には悪意が存在しているということを覚えておかなければなりません。
あなたは真理が導く結果(状況)は無条件で信じなければなりませんが、世の中のこと、人の中のことを簡単に信用してはなりません。
そこには知恵による見極めが必要なのです。
あなたはそれが、愛と光によって導かれた行為であるのかを確認しましょう。
世の中や、その人の中に、あなたに対する愛と光がなければ、どのような行為も偽善となり、偽りとなるのです。
偽りを受け取って喜んでいてはなりません。
それは、毒を飲まなければならなくなるからです。
偽り者は笑顔で良いことをあなたに言います。
あなたは偽り者の言葉に気を良くするでしょう。
正しい者もあなたに良いことを言います。
あなたは正しい者の言葉に対しても気を良くするのです。
しかし、受け取るものは全くの別物であるのです。
本物と偽物はとても似ています。
食べられる植物と食べられない植物も酷似しているのです。
良く見なければ見分けが付かないでしょう。
あなたはその教えの本質が何であり、誰が与えているのかを見ましょう。
そうすれば、受け取るそれがどのようなものであるのかを知ることができるでしょう。
大切なのは愛と光です。
そのことを覚えておきましょう。
偽りの教えに従ってはなりません。

2014年9月7日日曜日

あなたは敵を愛さなければなりません。
敵を愛することがなければ、あなたの持っているそれは「愛」ではないのです。
「愛」はすべてを照らす光です。
「愛」に垣根は存在しないのです。
「愛」が届かない場所は存在しません。
どのような場所にも「愛」は届くのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
あなたが愛だと思っているものが届かない場所があるのなら、それは本物の「愛」ではないということを知りましょう。
多くの人が「愛」を所有しません。
それは、多くの人が「愛」を知らないからです。
偽物の愛を本物の「愛」と教わるのです。
そのようにして、この世では、「愛」から遠ざかるのです。
あなたは「愛」から遠ざかってはなりません。
「愛」を失ってしまえば、あなたは光を失うことになるのです。
そうなれば、暗闇の中を歩かなければならなくなります。
暗闇の中を歩いて目的地に辿り着くことのできる人はいないのです。
暗闇の中を歩けば、安全な道であっても危険であるということを覚えておきましょう。
知っている道でさえ、進むことができないのです。
光とはそれ程に大切なものであるのです。
あなたは「愛」を得なければなりません。
本物の「愛」を考えなければなりません。
偽物をどれだけ所有したとしても、空しいだけであるということを知りましょう。
偽物の愛をどれだけ所有し、この世に自慢したところで、それが悪意によって生じる偽善や、無知によって生じる愚の骨頂であることが知れてしまうのです。
真理はすべてを見通します。
あなたは埃(ほこり)一つ隠し通すことができないのです。
すべてが明るみに出るのです。
本物の「愛」を用いなければ、光を得ることはありません。
本物の価値は「愛」にこそあるのです。
嫌な人や状況、そして苦しいことがあります。
それ等は人の敵として仕立て上げられます。
敵を仕立てる人が、敵を愛することはありません。
敵を仕立てる人は、敵を憎んでいるのです。
憎しみは「愛」の対極です。
愛を失った者は憎しみを得ます。
憎んでも幸福は得られません。
幸福は愛することによって得られるからです。
あなたは敵を愛さなければなりません。
敵を光によって照らさなければなりません。
「愛」を受け、光によって照らされたものは、あなたと敵対することはないでしょう。
「愛」によって、あなたは敵を手放すのです。
敵がいれば苦しみます。
それは、敵によって争いに引き込まれるからです。
偏見によって敵を作り出してはなりません。
悪意によって憎んではなりません。
あなたは「愛」によってすべてを招き入れなければなりません。
「愛」の光によって照らし出さなければならないのです。
間違えてはなりません。
「愛」を知らない人は、あなたに敵を教えます。
あなたに憎しみを植え付け、それによって乏しさを得させるのです。
その人は知らないのです。
無知な人の話に価値があるでしょうか?
正しいものにしか価値が無いのです。
敵を愛している人の話を聞きましょう。
そして、その人のように行いましょう。
あなたはそのことを覚えておかなけれななりません。
どのような敵が現れても、「愛」を忘れてはなりません。

2014年9月6日土曜日

素直な人

あなたは素直に生きなければなりません。
素直さを無くしてはなりません。
あなたは何に対しても純粋に、また誠実になければならないのです。
素直であることは宝です。
人は素直でなければなりません。
それは、喜びは素直な人にこそ相応しいからです。
すべての人が喜びを求めています。
しかし、多くの人の求める喜びは偽りものであり、真実ではありません。
それは、多くの人が素直ではないからです。
素直な人にこそ喜びは相応しく、素直ではない人には相応しくはありません。
真理は、自らを受け入れる者には与え、自らを受け入れない者からは奪うのです。
この世界は真理によって成り立ちます。
この世界に真理の届かない場所はありません。
すべての場所に真理は届くのです。
すべての事象が真理によって導かれます。
真理は因果の法則によって、当然の結果をもたらすのです。
人は真理に従わなければなりません。
真理に対して素直でなければならないのです。
真理に逆らうのであれば、その人が素直であることは有り得ないのです。
素直な人は真理に従います。
真理がどのような結果を導こうとも、それを素直に受け入れることができるのです。
状況や結果に対して、不満を抱く人がいます。
そして、先を考えて不安になる人がいます。
その人たちは真理を信用してはいません。
自分が正しく、真理が間違っているということを主張し、天に唾(つば)を吐いているのです。
素直な人は信用します。
それをあるがままの形によって信用しているのです。
素直な人は、何事に対しても真っ直ぐであるということを覚えておきましょう。
真理が間違えることはありません。
真理は常に正しいのです。
間違えるのは未熟なあなたです。
あなたはいつも間違えます。
受け取る結果を素直に受け入れましょう。
その結果が苦しいものであれば、あなたは間違えたのです。
その結果が喜びに満ちているのであれば、あなたは正しかったのです。
どのような結果を受け取ろうとも、それが真実であるのです。
苦しみを拒絶する人がいます。
どうにかして、その苦しみから逃れようとするのです。
あなたはそのような醜態(しゅうたい)を晒(さら)してはなりません。
覚悟を決めなければなりません。
原因が既に存在していることを、今更どうすることもできないのです。
苦しみによって間違いを理解し、苦しみによってより良くなるのです。
素直な人は抵抗しません。
素直な人は自我よりも優れたものが存在することを知ります。
素直な人は苦しみに会っても、それに倒されることはありません。
素直な人は、その素直さ故に幸福を得るのです。
あなたは素直に生きなければなりません。
素直さを無くしてはなりません。
汚くものを考え、汚く行ってはなりません。
苦しみに唾を吐いてはなりません。
苦しみには素直に感謝するべきなのです。
このことを忘れてはなりません。
素直に生きない者は間違えるのです。
真理を信じなければなりません。
受け取る結果が、すべてのことをあなたに知らせるでしょう。

2014年9月5日金曜日

特別

この世界には特別は存在しません。
この世界に存在するものは、すべてが平等に扱われています。
この世界には真理が存在しているのです。
すべての存在が真理によって支配されているのです。
どのような存在も、真理に反することはできません。
すべての存在が真理によって平等であるということを理解しましょう。
真理は因果を強制します。
因果の及ばないところはありません。
すべての事象が因果に従って実現しているのです。
どのようなことにも原因が存在しているということを理解しましょう。
あなたはそれを忘れてはなりません。
それがどのような事象であっても、必ず原因が存在しているのです。
この世界に存在するすべてのものには原因があるのです。
その法則から外れるものはないのです。
すべてが平等に扱われ、特別など存在しないのです。
喜ぶのであれば、喜びに値する原因があるのです。
苦しむのであれば、苦しみに値する原因が存在します。
特別に喜んだり、特別に苦しむということは有り得ません。
あなたには特別な条件があるように見えているだけです。
覚えておかなければならないのは、この世界には目に映るものがすべてではないということです。
簡単な話をすれば、あなたは他人の努力を見ることはありません。
あなたは他人のすべての行いを知ることはないのです。
例え、隣にいたとしても、そのすべてを理解することはできません。
しかし、真理にはそのすべてが見えています。
真理には、人に見えないところまで理解する権限が与えられているのです。
真理はその人のすべての行為によって結果を導きます。
真理がその人の行為を見過ごすことは有り得ません。
真理は、どのように小さなことも見逃しはしないのです。
正しく行う者には、正確な報いがあります。
不正を行う者にも、正確な報いがあるのです。
真理はすべてを平等に扱い、何一つとして忘れることがないのです。
あなたは常に自分自身の事柄について省みておかなければなりません。
他人がどうであるのか?ということなど、あなたにとって何のメリットもないということを覚えておきましょう。
真理は、あなたの行為に対してその報いを与えます。
あなたの行為が原因となり、それを基準として結果が導かれるのです。
他人のことを気に掛けたところで、それがあなたの原因とはならないのです。
他人のことをどのように考えても、あなたは望む結果を得ることはできないのです。
あなたは自分自身の原因(行為)を気に掛けていましょう。
それが望む結果に近付くように努めるのです。
この世界に特別は存在しません。
あなたは他人のことや、自らの扱いについて気を揉んではなりません。
不満や不安を用いる必要などないのです。
あなたは当然の報いを受けているのです。
それ以上でも、それ以下でもないのです。
真理は常に正しいということを知りましょう。
原因がなければ結果はありません。
原因があれば結果は必ず導かれます。
受け取る報いは、あなたの行為によって正しく導かれたのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
他人を僻(ひが)んではなりません。
自己の現状を愁(うれ)いてはなりません。
当然の結果を受け取っているのだから、そのことについて感謝しなければならないのです。
真理は正しく働いています。
あなたのために昼夜を問わず働き続けているのです。
そのことを忘れてはなりません。
特別は存在しません。
特別に考えてはなりません。
ありのままを素直に受け入れましょう。
すべてに対して感謝しなければなりません。

2014年9月4日木曜日

受けなければならない苦しみ

あなたは苦しまなければなりません。
苦しみは避けられないのです。
あなたは苦しみから逃れられるなどと考えてはなりません。
あなたが受けなければならない苦しみは、受けなければならないために存在しているのです。
苦しみは必ずやってきます。
それを避けることはできないのです。
人は愚かな存在です。
すべての人が愚かさを持っています。
人はこの人生において、その愚かさを克服しなければならないのです。
愚かさは、無知と弱さによって実現します。
あなたが苦しみを受けなければならないのは、無知と弱さを抱えているからに他なりません。
無知であり、弱いために、間違いを犯すのです。
間違いは必ず正されます。
それがこの人生の目的であるからです。
あなたは自らの魂の成長のために人生を生きています。
そして、他人も自らの魂の成長のために人生を生きているのです。
人は魂の成長を否定することはできません。
どのような生き方をしても、それはすべて魂の成長に通じているのです。
どのような道を進んでも、間違ったものは正されます。
すべてが真理に従って行われなければならないのです。
真理に反すれば、それは必ず正されるということを覚えておきましょう。
しかし、人は愚かな存在です。
そのため、簡単には理解しません。
そして、簡単には受け入れません。
愚かであるが故に、難しいのです。
愚かな者に正しさを教えるためには、苦しみを用いなければなりません。
愚かな者は苦しみを嫌います。
苦しみから逃れるために必死になるのです。
苦しみは、人が正しい方法を知るためのヒントです。
人は苦しみから逃れようとして尽力します。
動機は不純ですが、結果として正しい方法を見付けることができるのです。
苦しみというものは、人にとって大切なものであるということを覚えておかなければなりません。
多くの人は苦しみを否定し、拒絶します。
それは、苦しみに対して無知であり、弱いからです。
愚かな者は、何を得ても愚かに振る舞うということを覚えておきましょう。
苦しみは、あなたの魂の成長を助けるために与えられた宝です。
それを理解することなく、拒絶しているのであれば、魂の成長を実現することはできないのです。
どのような方法を用いても、その苦しみを避けることはできません。
この世は因果によって導かれます。
原因によって生じる結果は、必ず受けるようになります。
あなたがその苦しみを受け取るということは、過去のあなたの行いによって既に決まっていることなのです。
そのために、その苦しみを避けることはできないのです。
あなたは、苦しみが苦痛にならないように努めましょう。
受けなければならない苦しみを苦しいものだと決め付けてしまえば、あなたはそれに苦痛を得るでしょう。
そうすれば、あなたは苦しみに対して破滅的な感情を抱いてしまうのです。
破滅的な感情によって否定的になれば、魂が成長するためのせっかくのチャンスを棒に振ることになるのです。
苦しみを否定してはなりません。
あなたはより成長するために苦しみを受けるのです。
あなたが苦しみ、不幸を得るために苦しみを受けるのではないのです。
誤解しないように注意しましょう。
苦しみを避ける方法を考えてはなりません。
それは必ずやってきます。
どうすれば、受けなければならない苦しみが喜びに変わるのかを考えましょう。
苦しみは避けられません。
選択を間違わないようにしましょう。

2014年9月3日水曜日

恥の多い人生

あなたは、人生に何をしたいのか?を考えなければなりません。
あなたは何のために人生を生きているのですか?
何がしたいのですか?
人生というものは、あなたの魂の成長のために用意された学びの場所です。
人生はあなたのために存在しているのです。
人生があなたを応援しているということを理解しましょう。
人生を恐れてはなりません。
人生はあなたにとっての「良い所」であるのです。
あなたは人生から多くの恵みを受けることができます。
人生があなたから奪い、あなたを苦しめるということはないのです。
あなたはそのことを理解しておかなければならないのです。
人生には様々なことがあります。
それは問題であり、苦しみであります。
しかし、それ等の中の一つでも、あなたに対して不利に働くものなど存在しません。
あなたがどのように思い、周囲の人がどのように教えようとも、あなたにとって大切なもの以外は存在してはいないのです。
この事実を知らなければ、あなたは人生に迷い、苦しみに捕われてしまうでしょう。
あなたは安心していなければなりません。
あなたは安心して人生を生きれば良いのです。
何をやるにしても多くの障害が現れます。
障害の無い道など存在しないのです。
誰が何をしても、障害が現れるということを知りましょう。
だから、あなたは様々な障害と様々な苦しみを度外視して人生を考えなければならないのです。
様々な条件を考慮することなく、あなたが人生にやってみたいことは何ですか?
どこへ行き、何をしたいのですか?
そして、あなたはどのような自分に成りたいのでしょう?
自分が何をしたいのかを知ることがなければ、どのように生きれば良いのかも分かりません。
どのように生きれば良いのかを知らない人には、本当の喜びは無く、その心(魂)が満たされることはないのです。
本当の喜び無くして、魂の成長は有り得ません。
何のために生きているのかを知らなければ、人生に達成感、充実感はないのです。
満足することができなければ、実感は無いのです。
満足することができなければ、何のためにその時間を過ごし、それを行ったのかに疑問を持つことになるでしょう。
疑問を持つのであれば、もう一度それを理解するために行わなければならないのです。
あなたは満足しなければならないのです。
満足することがなければ、あなたは同じことを繰り返すことになるということを覚えておきましょう。
人生を無駄に使うことはできません。
人生は、魂にとって貴重な時間であるからです。
あなたには、後悔によって人生を求める時が訪れます。
しかし、その時には与えられません。
それは、既に十分に与えられたからです。
無駄に使えば後悔するということを理解しましょう。
あなたは人生に何をしたいのですか?
可能性は無限です。
あなたは、自分の求める生き方を得ることができるのです。
目先の小さな欲に溺れて、大きな代償を支払ってはなりません。
何のために生きているのかも知らずに、恥の多い人生を生きてはならないのです。
志を持ちましょう。
あなたは、人生がこのままで良いと思いますか?
周囲の人たちを見なさい。
彼らのように行えば、彼らのように生きるのです。
彼らの人生を誇りに思うのであれば、あなたはそのようにすれば良いでしょう。
空しく時を過ごしてはなりません。
何のために生きているのかを考えなければなりません。
人生はあなたを歓迎しています。
あなたの意思を実現するために働き続けています。
後悔しないように生きましょう。

2014年9月2日火曜日

未来に求める

あなたは、今になって求めても遅いということを覚えておきましょう。
求めるものは実現しますが、それはすぐにではありません。
何かが実現するためには、時間が必要であるのです。
あなたが何かを急いで求めたとしても、それが手に入るのは後のことなのです。
その時になって焦っても、どうすることもできないのです。
その時が訪れても困らないようにしておかなければならないのです。
この世には、原因と結果の法則が働いています。
すべてのものは因果によって支配されています。
因果を無視して動くものはありません。
どのようなものであっても、原因が存在しなければ結果を導くことができないのです。
原因がなければ、どのようなことも実現しません。
原因があれば、どのようなことも実現します。
結果は原因によって導かれなければならないということを知っておきましょう。
そのために、あなたが困った時に慌てて何かを求めたとしても、その時にはどうすることもできないということなのです。
種を蒔いても、芽が出るのはその数日後です。
芽が成長するためには時間がかかります。
それが花を咲かせ、実を結ぶにも時間が必要なのです。
あなたが果実を欲していたとしても、それを手にするためには多くの時間が必要であるということを覚えておきましょう。
困ることのないように、未来を見越して何年も前に種を蒔いておかなければならないのです。
どうすることもできないことに慌てていてはなりません。
どうすることもできないことに悲観していてはなりません。
どうすることもできないことは、どうすることもできないのです。
潔(いさぎよ)く諦めなければならないのです。
諦めて、他の方法を探す方が有効であるのです。
我を通してはなりません。
それは、原因の存在しない結果がこの世界に実現することはないからです。
実現することがないことに我を通せば、その心や状況が歪んでしまうということを理解しなければならないのです。
歪んだ心や状況は歪んだ原因を導き、歪んだ原因は歪んだ結果を実現することになるのです。
我を通すことによって歪めてはなりません。
あなたは今に求めてはなりません。
しかしあなたは「困っているのは今である」と主張するでしょう。
それは自業自得の結果であると心得ましょう。
あなたは未来に求めなければなりません。
未来に求めて、今その原因を作らなければならないのです。
この世界に奇跡などは存在しません。
すべての事象に原因が存在しているのです。
それを奇跡だと思うのは、その原因と成立ちを理解することができていないだけです。
すべてのことが因果によって実現するのに、奇跡など存在するはずがないのです。
奇跡が起きなければどうすることもできないと悲観してはなりません。
原因があれば、それがどのようなことであれ確実に実現するのです。
現在は過去によって作られた原因の結果です。
あなたが今喜んでいるのも、苦しんでいるのも、すべてはあなたが作った過去の原因に起源しているのです。
それなのに、今になって求めるのであれば、見当外れに他ならないということを理解しなければならないのです。
見当外れのことをしているのならば、未来は見当外れの状況を導くことになるのです。
因果の法則を理解しましょう。
それは真理です。
これに逆らうことのできる者は存在しません。
どのような者もこれに従います。
そのため、誰に助けを求めても無駄です。
誰もあなたに今すぐ与えることはできないのです。
今に対して求めてはなりません。
未来に求めましょう。
未来に対して求めるのであれば、その行為が正しかったと、後に理解することができるでしょう。

2014年9月1日月曜日

心地の好い場所

あなたは、心地の好い場所にいなければなりません。
あなたは心地の好い道を進まなければなりません。
あなたは、心の平穏を保つように努めなければならないのです。
あなたが求めるものは心地好さであり、心の平穏であるということを覚えておきましょう。
心地好くあり、心が平穏に保たれるのであれば、あなたはそこに豊かさと幸福を得ることができるでしょう。
心地好さが損なわれ、心が乱れるのであれば、あなたの豊かさと幸福は損なわれ、そこに貧しさと不幸を得ることになるでしょう。
心の平穏を損なわないように努めましょう。
人生はあなたの選択によって築かれます。
あなたの意思によって、あなたが決めることができるのです。
心地の好い場所にいるのも、そうではない場所にいるのも。
心地の好い道を進むのも、そうではない道を進むのも、すべてはあなたの選択次第であるということを知りましょう。
心の平穏は、あなたが実現します。
どのような状況にあろうとも、あなたの心持ちや考え方によって、心がどのような状態を得るのかが決まるのです。
あなたは心の平穏を主として物事を選択しなければなりません。
その選択によって心の平穏が実現するのであれば、迷わずそれを選びましょう。
その選択によって心が乱れるのであれば、迷わずにそれを手放しましょう。
あなたは、あなたの心に良いものを選ばなければならないのです。
どのようなものを得ても、心が乱れるのであれば幸福ではありません。
大切なのは心がどのような状態を得るのか?ということだからです。
あなたが求めている価値は、心の平穏を考慮していますか?
それがどのような価値であろうと、それによって心が乱れるのであれば、価値が無いということを知りましょう。
あなたにとっての価値と、他人の価値が同じであるとは限りません。
あなたの心を満たすものと、他人の心を満たすものは違うのです。
それは、人によって学ぶべきことが違うからです。
あなたは自分自身と他人を一緒くたに考えてはなりません。
あなたは自身の心の平穏を導く選択をしなければならないのです。
心を乱す選択をしてはなりません。
あなたは自分の学びの中にあるということを知っておきましょう。
他人は他人に必要な学びを得るために、必要な価値を追い求めています。
そのことを知っておかなければならないのです。
あなたに必要なものは、心が教えてくれます。
あなたに必要なものは、その心が落ち着くようになっているのです。
心が落ち着くものが必要であるということを理解しましょう。
心穏やかに学びを得なければならないのです。
冷静に行わなければ、あなたは学びによって成長することはできないでしょう。
問題を解決しなければならないのです。
乱れた心で行ったとしても、それを果たすことはできないのです。
あなたはそのことを知らなければなりません。
心地の好い場所はどこにありますか?
心地の好い道はどれですか?
あなたが思いやりや優しさを心地好いと感じるのであれば、そこにいなければなりません。
思いやりや優しさが心地好く感じているのに、思いやりや優しさに反してはならないのです。
あなたにとって正しいことは、腑(ふ)に落ちます。
間違っているものが心地好いことなどないのです。
心地好さに従いましょう。
その生き方、状況、環境に対して、不快を得ているのであれば、それは正しくはないということを知っておきましょう。
間違っていることを続けているのであれば、良い結果を得ることなどできないのです。
大切なのは、世間一般に対して正しいことではありません。
あなたの人生に大切なのは、あなたにとって正しいということなのです。
罪を犯す者は、罪を犯す必要があります。
その罪によって、得られる価値(必要な学び)があるのです。
あなたの心地好さが世間一般とは違うからといって、それを否定してはなりません。
鳥は空を行かなければならないし、魚は水中を行かなければなりません。
人は大地を進まなければならないのです。
魚が空や大地を行くとどうなりますか?
すぐに不快が遅い、その命を手放すことにもなるのです。
魚は水中を行かなければなりません。
あなたは自分自身の心地好さに従いましょう。