人は自由でなければなりません。
	
	あなたは自由を手放してはなりません。
	この素晴らしい人生に可能性を失ってはならないのです。
	自由とは可能性です。
	自由を失うということは、可能性を失うということです。
	可能性がなければ、人は喜びを得ることができません。
	喜びがなければ、豊かさも幸福も存在することはないのです。
	豊かさも幸福も、喜びによって築かれているということを知らなければなりません。
	そのため、喜びを得ようと努めない者には、人生に豊かさも幸福も有り得ないのです。
	喜びは自由の中に生まれます。
	不自由の中に喜びは存在しません。
	あなたはそのことを知っておきましょう。
	人は、自由を得るのと同時に喜びを得るのです。
	人の本質は魂です。
	それは認識することのできるレベルの物体ではありませんが、確実に存在しているものです。
	人は魂によって人生を歩むのです。
	本質である魂が、あなたの人生の原因であるということを理解しましょう。
	すべては魂から生じ、人生に現れるのです。
	しかしながら、多くの人がそのことを知らずにいます。
	魂というものが存在しているということを教養として身に付けている人はいても、それを意識して生活している人はほとんどいません。
	多くの人は目の前の事象に翻弄(ほんろう)されるだけであり、魂のことまで手が回らないのです。
	多くの人は目の前の事象に対して一喜一憂するに止まります。
	人が魂という本質であることを思い出せば、魂のために選択し、働くようになります。
	そこに、魂の自由が存在しているのです。
	魂を意識することなく生きている人は、物事を深く考えることをしません。
	思慮深くしていても、魂にまでは届かないのです。
	そのため、多くの人が目の前の事象に一喜一憂するだけなのです。
	そして、問題を抱えた時には不満や不安などの破滅的な思考や感情を用いるようになるのです。
	その結果、視野は狭まり、可能性を失い、自由を失うことになるのです。
	人が魂であり、魂の成長のために生きている、また魂の成長のためにすべてが導かれているということを理解するのであれば、破滅的な思考や感情によって自由が奪われることがないということを理解しなければならないのです。
	魂は思考と感情によって自らを調整します。
	すべての状況や環境、発展や喜び、問題や苦しみは、魂の状態を現しているのです。
	人は、思考と感情を使い、目の前の状況や環境、問題や苦しみを整えることによって、魂を整えているということを理解しなければならないのです。
	すべては喜びのためなのです。
	豊かな人生と幸福のためであるということを忘れてはならないのです。
	破滅的な思考や感情は、魂を監獄へと繋ぐ行為です。
	破滅的な思考や感情によって、魂は苦しみに捕われてしまうのです。
	苦しみの監獄に捕われてしまった魂は、自由を失います。
	そこには、乏しさと苦しみがあるということを覚えておきましょう。
	自由を失えば、苦しみを得るのです。
	人は自由でなければなりません。
	どのような状況を得ようとも、魂を自由にしておかなければなりません。
	魂が苦しみの監獄に捕われないように努めなければなりません。
	悪い行いをしなければ、牢(ろう)に放り込まれることはありません。
	魂による悪い行いとは、愛と光に反する行為のことです。
	この世界には真理というルールが存在しています。
	それは、すべての存在が成長するために「神」によって作られた完璧な秩序です。
	この秩序を乱す者は許されません。
	そのような者は、苦しみの監獄の中に放り込むのです。
	愛と光に反してはなりません。
	不満や不安には、愛と光が無いということを理解しましょう。
	破滅的な思考や感情は、用いるべきではないのです。
	どのようなことにも大切な意味があります。
	あなたはそのことを忘れてはなりません。
	感謝には、愛と光が備わります。
	感謝する者が苦しみの監獄に放り込まれることはありません。
	人は自由でなければなりません。
	肉体や立場の自由を得ているからといって、魂の自由を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
	肉体や立場の自由を失ったとしても、決して魂の自由を失ってはなりません。
	それほど、人生において魂の自由というものは大切なものであり、何が何でも守らなければならないものだと理解しましょう。
	破滅的な思考や感情によって苦しみの監獄に捕われることなく、自由に生きましょう。
	
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