指の先にも満たない小さな刺(とげ)にさえ、あなたは煩(わずら)います。
小さな刺が刺さっただけで、あなたは苦しみを得ることになるでしょう。
小さなものであっても、それがあなたを攻撃するものであるならば、それによってあなたは苦しみを得るのです。
小さなものであっても、あなたを攻撃するものに注意を払わなければなりません。
掌(てのひら)の刺は、あなたに痛みを覚えさせます。
それは、刺が異物であり、あなたを攻撃しているということを、あなたに認識させるためです。
身体は、痛みを以て刺を取り除けと伝えているのです。
あなたは痛みに従って、掌の刺を取り除かなければなりません。
刺を取り除かないという選択肢もあります。
あなたがその痛みに煩うことがないのであれば、刺を取り除くことはないでしょう。
やがて肉が巻くと痛みは消えます。
痛みが消えると、そこに刺が刺さっていたことを忘れるのです。
刺が入ったからといって、あなたの命が脅かされるということはありません。
それは取るに足らない小さな刺だからです。
しかし、それが毒であるのならば、話は違ってくるでしょう。
強い毒が一滴でも体内に入れば、あなたは命を失い兼ねないのです。
小さなことを蔑(ないがし)ろにしているのであれば、大きな報いに繋がることもあるということを覚えておかなければなりません。
汚い思い、言葉、行為は、あなたの心と魂には痛みです。
それは、あなたの心と魂には辛いものであるのです。
心と魂の本質は愛と光です。
すべての人の心と魂は、愛と光によって構成されているのです。
汚い思い、言葉、行為は、愛と光に反する性質のものです。
それ等は掌の刺のように痛みを伴います。
あなたは汚い思い、言葉、行為というものが、心と魂を脅かすということを理解しましょう。
あなたが日常に用いる汚い思い、言葉、行為というものは、取るに足らない小さなものかも知れません。
しかし、それによって心や魂は煩うのです。
小さなことであっても、それが積み重なるのであれば、大きな報いとして返ってくるのです。
小さいからといって侮ってはならないのです。
汚い思い、言葉、行為に慣れてはなりません。
周りの人たちは、本人も自覚しないままに汚い思い、言葉、行為を用いています。
その人たちに悪意がなくても、それを用いれば相応の報いがあるのです。
周りの人がそうしているからという理由によって、掌の刺を放置してはなりません。
周りの人が掌の刺を気に掛けることがなくても、あなたは気に掛けていましょう。
そして、様々な方法を用いて、掌から刺を取り除くのです。
汚い思い、言葉、行為が氾濫しています。
それによって、人は知らず知らず心と魂を汚しているのです。
その汚れによって、人生に苦しみを得ているのです。
小さなことであっても、それを大切にしなければなりません。
靴の中に小さな石ころが紛れ込んだだけで、あなたは歩みに違和感を覚えるのです。
小さな石ころによって、あなたはまともに歩むことができないのです。
汚い思い、言葉、行為が積み重なるのであれば、あなたは人生の乏しさと苦しみを得ることになるのです。
意思の中から、ネガティブな選択肢を取り除きましょう。
人がどうあるべきであるのかは、あなたが自分自身で判断しなければなりません。
掌に刺が刺さったからといって、医者があなたを訪ねることなどないのです。
あなたが刺を取り除いて欲しいと、自らの意思によって依頼するために、医者はあなたの掌から刺を取り除くのです。
自分自身の意思が大切なのです。
多くの人は真理を理解することなく生きていきます。
そのため、愛と光に欠けた考え方と生き方をしています。
汚い思い、言葉、行為を簡単に受け入れ、それを信じているのです。
汚い(ネガティブな)ものを信じるのであれば、苦しみという報いを得るのです。
この世界は因果によって導かれるために、それは仕方のないことなのです。
例え痛みが無くても、あなたは自らの掌を確認しましょう。
そこには、注視して見なければ分からないほどの小さな刺があるかも知れません。
痛みが無くても、あなたはそれを取り除きましょう。
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