認識によって、すべてを判断してはなりません。
	
	あなたが得ることのできる認識は、あなたの認識の及ぶ範囲のものだけであり、それ以外を認識するには至りません。
	この世界は広くて果てしないのです。
	あなたの認識が及ぶ範囲など、高が知れているのです。
	あなたは自分自身のことすら知りません。
	他人のことはそれよりも知ることができません。
	知っていることは少ないのです。
	光や音や物体でさえ、認識することができないレベルのものが存在しています。
	存在しているものでさえ、認識することができないのです。
	物陰に隠れているものがどのような動きをしているのかすら、あなたには分からないのです。
	存在しているものすら理解することができないほどの認識の、どこに信頼性があるというのでしょう。
	あなたの認識ほど不安定なものはないのです。
	不安定なものを頼るのであれば、互いに傾いて倒れてしまうのです。
	認識は信頼に値しません。
	あなたは認識によってすべてを判断してはならないのです。
	他人がそうだと言うのであれば、それは正しいのです。
	他人の認識は、他人の認識として正しいということを覚えておきましょう。
	あなたには他人の認識を実証する権威がありません。
	あなたには分からないことなのです。
	そのため、他人を批判してはなりません。
	他人の言うことを軽んじてはなりません。
	それが倫理に従っているとか、それに反しているとか、そのようなことは重要ではありません。
	すべての人は、自分自身の認識に従って人生を築くのです。
	正しく認識する者は、より正しくなります。
	間違って認識する者は、尚間違っていくのです。
	あなたはそれを食い止めてはなりません。
	また、それを食い止めることはできません。
	あなたの認識が及ばない範囲が存在しています。
	すべてのことが、魂の成長のために存在しています。
	人が正しく行って喜びを得るのは、魂の成長に対して喜ぶことが必要であるのです。
	人が間違いを行って苦しみを得るのも、魂の成長に対して苦しみが必要であるからです。
	不要なものは何一つとして存在することはありません。
	必要でないものは、存在することを許されないのです。
	あなたの考える、また信じている正義は、あなたの認識の範囲に収まる正しさです。
	しかし、この世界にはあなたの知らない正義もあるのです。
	自らの認識(正義)を振りかざしてはなりません。
	真に正しいのは「神」だけなのです。
	この世には正しい人は存在しません。
	天の世界にも正しい存在はありません。
	正しいのは「神」のみであるということを知りましょう。
	人は苦しみに会います。
	それは、「神」の作ったルールである真理に基づいて導かれる当然の結果です。
	それは魂の成長のためだけに作られたルールであるのです。
	苦しみを受けるのは魂の成長に必要であるからです。
	それなのに、認識に頼っている者はこのことが分かりません。
	認識に頼っている者は、自らが正しいと思い込んでいるのです。
	そのため、どのようなことに対しても自らを正当化するでしょう。
	自らを正当化するために自分の認識の中に正義が芽生えるのです。
	認識に頼ることのない者は、正義を振りかざすことはありません。
	それは、すべてが正しく導かれていることを知っているからです。
	自らの認識の外にあることに対しても、それを理解しようと努めるのです。
	人は未熟な存在です。
	認識の及ぶ範囲は狭いのです。
	しかし、この世界は広くて果てしがありません。
	そのことを理解し、認識に頼ることなく、世界を優雅に歩みましょう。
	
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