あなたは常識を疑わなければなりません。
常識が正しいなどと考えてはなりません。
世界を見なさい。
世界は常に移り行き、一時もとどまってはいないのです。
流転していくのが自然なのです。
それなのに、あなたの価値観だけがとどまっているのは不自然であるのです。
常識に捉われる人は、自分が不自然に生きているということに気が付く必要があるのです。
常識とは、全体の中の平均的な価値観です。
平均的なものが正しいとは限りません。
ただ、多くに支持されるだけであるということを理解しましょう。
多くに支持されることが正しいというのであれば、間違っているものであっても正しいという理屈になるのです。
間違っているものは、例え多くの支持を得たとしても間違っているのです。
それが自然であると理解することができるでしょう。
間違っているものを、支持が多いからという理由で行えばどのような結果を得るでしょう?
間違っているものがもたらす結果は、苦しいものであるのです。
正しいものによってのみ、正しい結果である喜びが得られるのです。
あなたはこのことを覚えておかなければなりません。
多くの人が支持している常識が、絶対的に正しいと思い込んではなりません。
試験において正しいのは、得点の高い者であるのです。
その試験に対して正しいので、得点が高いのです。
あなたは高得点者を差し置いて、平均点の者に何を教わろうというのでしょう?
平均的な者に教わるものは、可もなく不可もないことだけです。
それにどのような価値があるというのでしょう?
当たり障りのない人生には、どのようなドラマが生まれるのでしょう?
そのような人生が楽しいと思いますか?
苦しみがなければ感動は無いのです。
謎に対して挑戦し、苦悩するからこそ、人生はドラマチックなものとなるのです。
常識とは、人を真実から遠ざける偏見です。
偏見があるためにドラマが生まれないのです。
常識に捉われる人は、冒険することはありません。
それは、常識に従って当たり障りの無い人生を選択するからです。
苦しいことや辛いことを否定し、それ等を遠ざけるのです。
常識に従うと、苦しいことや辛いことは悪であるのです。
多くの人が苦しいことや辛いことを嫌うのです。
しかし、人生を豊かなものにする者はそのようには考えません。
ある道を極めんとする者は、苦しいことや辛いことに挑戦することを恐れません。
苦しいことや辛いことに偏見を持たずに打ち込むために、高得点を得ることができるのです。
プロフェッショナルとは、その道を受け入れる人のことです。
良いも悪いもその道です。
それを否定する者はプロフェッショナルとは呼べません。
善悪によって判断する程度の覚悟の者には、道を行くことは許されないのです。
常識を手放すことを恐れている者は、真実には辿り着けません。
誰かの決めた未熟な価値観に騙されてはなりません。
あなたは常に疑いを以て見なければなりません。
道においては、大勢でいるから安心ということはないのです。
寧(むし)ろ、大勢でいてはならないのです。
先へと進む者だけが真実を得ます。
真実を知る者だけが幸福を得るのです。
偽物に喜んでいるような者は、偽物の喜びによって貴重な時間を浪費します。
確実に死が迫って来ているというのに、そのことに気が付きません。
そして、残り時間が少ないことを知って絶望し、後悔するのです。
あなたは常識を疑わなければなりません。
常に多くの知識を吸収し、大きく成長するように努めましょう。
固定観念に捉われてはなりません。
常識を疑わなければなりません。
何が正しいのかを、理論的に考えましょう。
誰かが作った常識を鵜呑みにし、思考を停止してはなりません。
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