すべてのことの中に学びがあります。
	
	存在するすべてが学びによって成り立っているのです。
	学びを持たないものは存在しません。
	それは、すべてのことが学びによって創造されるからです。
	学びがなければ何も生まれません。
	それがどのようなものであっても、存在するためには学びという核が必要であるのです。
	学びが無ければ事象もありません。
	学びが無ければ何も存在しないのです。
	学びが無ければ、存在する理由がないのです。
	すべての存在には核となる学びがあるということを覚えておかなければなりません。
	人は学ぶために人生を生きています。
	人生の目的は魂の成長です。
	魂は様々なことから学びを得ることによって成長することができます。
	学びを得ることがなければ、魂が成長することはありません。
	学びは魂の成長にとって必須であるということを覚えておきましょう。
	すべてのことに学びという核が存在していますが、その核を得るかどうかは、気付くかどうかにあります。
	どのようなこと(経験)を得ても、学びに気が付くことがなければ、魂の成長を得ることはできないのです。
	土砂の中に金や宝石があったとしても、それの価値を知ることがなく、また、それに気付きもしなければ、金や宝石を得ることは有り得ないのです。
	核となる学びは深いところに存在しています。
	学びはそれを探す者にしか見付けることができません。
	土砂の中に金や宝石を探す者だけがそれを得ることができるのです。
	探していなければ得ることはできないのです。
	土砂の中から金や宝石が出てきても、それを探していないのだから気が付かないのです。
	価値を知らない者にとってそれは、価値の無いものなのです。
	目の前の経験の価値を理解することができない者には、そこに存在している学びの価値も理解することはできません。
	価値の分からない者には得られないのです。
	子どもに金や宝石の価値は理解できません。
	子どもは金や宝石を何の躊躇(ためら)いも無く手放すでしょう。
	人生の学びに価値を見出すことのない人間は、人生の学びを簡単に手放します。
	その価値を知らないために、それがどのような行為であるかも分からないのです。
	人は魂を成長させるために生きています。
	学びによってそれは実現します。
	人は学ばなければならないのです。
	学びを手放すのであれば、人生の目的を果たすことができないということなのです。
	人生の目的を果たすことができなければ、豊かさも幸福も有り得ません。
	何を持っているとしても、本当の豊かさと幸福は手にすることができないのです。
	そのような人は本当の意味での満足を得ることもなく、後に悔いを覚えることになるのです。
	あなたは多くの学びによって魂を成長させなければなりません。
	すべてのことが学びを持っています。
	それが嫌なことや苦しいことであっても、その核は学びです。
	学びを持たなければ、存在することはないのです。
	嫌なことや苦しいことを拒絶するのであれば、それは学びを手放す行為であるということを理解しましょう。
	見た目は苦しみですが、中身は学びであるのです。
	人生には苦しみから生じる学びの方が多いのです。
	それは、人が未熟であるからです。
	人は未熟であるが故に、多くのことを苦しみと捉えます。
	未熟であるが故に苦しむのです。
	未熟さを改善するために学びが与えられます。
	苦しみを見出す未熟さを改善するためには、苦しみを見出す未熟さと向き合わなければならないのです。
	苦しみから逃げているのであれば、苦しみが生み出される原理を学ぶことはできません。
	学ぶことがなければ、価値(成長、豊かさ、幸福)を得ることもできないのです。
	あなたはすべての事象の中に学びを探しましょう。
	それが苦しみであっても探さなければなりません。
	この世界に無駄なものは存在しません。
	すべてのことに学びという核があるということを覚えておかなければなりません。
	何事も無駄にしてはなりません。
	一つ一つの経験をしっかりと学び、人生の目的である魂の成長を実現しましょう。
	
今日もありがとう
返信削除1日頑張ります(^^)
匿名さんへ
削除素敵な時間を楽しみましょうね!