あなたは自分というもののルーツを探らなければなりません。
自分がどこから来た何者であるのかを知らなければならないのです。
自分という存在の根源が何であるのかを知ることは重要です。
なぜなら、この世界は自分という存在を投影しているものだからです。
あなたは自分というフィルターを通して、世界を認識しています。
そして、自らの世界(価値観)を築いているのです。
すべてはあなたの認識によって形作られています。
自分という存在が汚れていたり、歪んでいるのであれば、どのような世界を見ることになるでしょう?
汚れていたり、歪んだガラス越しに景色を眺めるとどうなりますか?
どのように美しい景色であっても、それは汚れ、歪んで見えてしまうのです。
それがガラスを通して見る景色であることを知っているのであれば、景色自体が汚れたり歪んでいるということにはならないでしょう。
手前のガラスが汚れたり歪んでいるために、外の景色が汚れたり歪んだりしていることを理解するのであれば、ガラスを清掃したり、取り替えるなどの具体的な対策によって問題を解決することができるのです。
しかし、景色自体が汚れたり歪んでいるものだと決め付ける人には、その問題の解決策は理解できないのです。
人生は魂の成長の場所です。
そこには、愛と光が満ちています。
人生は苦しむための場所ではありません。
苦しみを以て成長を実現する場所であるのです。
そのため、苦しいと思う経験であっても、それによって苦しむことはないのです。
どのようなことも必要であり、大切なものであるのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
しかし、覚えているだけではなりません。
あなたは自分自身でそれを実感する必要があるのです。
実感することがなければ、納得することもないでしょう。
ガラスが汚れたり歪んでいることを納得している人は、汚れや歪みが生じた時に、それを修正する努力を始めるでしょう。
しかし、納得していない人には、その努力が生じないのです。
自分自身で美しいものにしなければなりません。
放っておけば汚れは増し、歪みは酷くなるのです。
メンテナンスが必要なのです。
美しいガラス越しの景色は、感動を覚えるほどの素晴らしいものとなります。
美しいガラス越しの景色は、それをより美しいものに演出するのです。
自らが美しければ、人生は美しいのです。
誰かや何かのせいにしてはなりません。
ガラスを汚したり歪めたのは、自分自身なのです。
人は肉体を持っています。
肉体には心はあります。
それは本能というものです。
思考や感情があります。
それは心によってもたらされます。
人は肉体の心と霊の心という二つの心を持っているのです。
霊の心は魂のものです。
肉体に霊が宿るように、霊には魂が宿るのです。
それは、人の最も深く、最も純粋な場所に存在しているのです。
自分というもののルーツを探っていけば、目には見えないところに本質があるのが分かるでしょう。
肉体は何によって動いているのでしょう?
命とは何ですか?
植物には脳も心臓もありません。
では、植物は生きてはいないのですか?
人間の本質が脳であるという主張には無理があるということを覚えておきましょう。
自分では何もできない肉体が本質であるはずがないのです。
車は人が運転することによって走ることができます。
人が運転することがなければ、エンジンを動かすことすらできないのです。
肉体は魂が動かすことによって働くことができるのです。
肉体が自発(自活)するのであれば、死という現実は存在しないのです。
あなたには目には見えない自分自身の本質の大切さが分かりましたか?
あなたは思考、感情、心、霊、魂、目には見えない本質を汚したり、歪めてはならないのです。
人は同じ地球で生きています。
人は同じ宇宙に存在しているのです。
それを汚したり歪めているのは個人であるということを理解しなければなりません。
自分が何者であるのか?を探り続けましょう。
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