人は愛によってのみ救われます。
人は愛を得ることなく、救われるということはありません。
人は愛を知り、それを与えることによって受け取り、自らと他者を救わなければならないのです。
愛を無視して救いはないのです。
あなたは愛の素晴らしさを理解しなければなりません。
あなたが学ぶべきことは愛だけであるということを知りましょう。
愛がどのようなものであるのかを知っているのであれば、あなたが迷うことも苦しむこともないのです。
すべての人は愛によってのみ救われるということを知りましょう。
愛を学ぶこと以上に大切なことはありません。
「わたし」はこれを断言します。
あなたは愛を学ぶことに集中しましょう。
どのような道を進んでも構いません。
あなたが「神」を信じていようが、信じていまいが関係ないのです。
「神」を信じていれば救われるというのは、甘い幻想です。
信じただけで救われることなどあるはずがないのです。
「神」を信じることは大切ですが、「神」を知らない人は救われないのでしょうか?
そのような馬鹿げた話はありません。
「神」という言葉を口にする者の中のどれだけの人数が「神」に会ったのでしょうか?
会ったこともない人の話をするのはおかしいのです。
会ったこともないのに、その人がどのような人物であるのかを知ることはできないのです。
そのような幻想が罷(まか)り通るほど、この世界が甘くないということを覚えておきましょう。
人は「神」によって救われるのではありません。
人は愛によってのみ、救われるということを覚えておきましょう。
口では「神」の名を出しておきながら、愛を知らない者がいます。
「神」の名を口にする大抵の者が愛を知りません。
そのため、「神」を口にするのです。
「神」という言葉ほど便利なものはありません。
「神」という言葉を用いることによって説明することを免れるからです。
しかし、それは愚かな者の愚かな行為であるということを理解しましょう。
「神」という言葉によって、現実から目を背けてはなりません。
間の前の状況によって導かれる学びを蔑ろにしてはならないのです。
軽々しく「神」という言葉を用いる宗教家は、「神」が何であるのかを知りません。
そして、人は何によって救われるのかも知らないのです。
愚かな者には真(まこと)は隠されます。
賢者にのみ、真は開かれるのです。
どのような道を進んでいても良いのです。
「神」を信じていようといるまいと関係ありません。
あなたは愛によって選択し、愛によって行動しましょう。
それだけで良いのです。
それができなければならないのです。
愛が無いのは悲しいことです。
しかしながら、多くの人は偏見によって愛を損ないます。
しかし、自らが愛を損なっているということに気が付いていません。
自らが既に間違っているということを自覚することができないのです。
それは、そのような人には真が隠されているからです。
すべてが大切な学びです。
この世界には不要なものは存在しません。
無駄もありません。
すべてが一つであり、重要なものなのです。
偏見によって敵や悪を作り出してはなりません。
敵や悪を見る目には、愛が無いと言うのです。
愛のある眼差しは、対象を敵や悪には仕立てないのです。
あなたはそれ許しましょう。
それを認めましょう。
それを称(たた)えましょう。
それを受け入れましょう。
それと協力するのです。
人は愛によってのみ救われます。
それ以外の方法はありません。
相手を愛する以外の方法を探す必要はありません。
相手を害する方法を持ち掛ける者の話を信じてはなりません。
愛を損なう者は、巧みにあなたの愛をも奪いにやって来ます。
あなたがどのような主義に従い、どのような道を進んでいようとも、愛がなければならないということを忘れてはなりません。
愛が最も大切なのです。
間違えてはなりません。
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