あなたは様々なものに触れなければなりません。
あなたは様々なことを経験し、知識を深めなければならないのです。
多くのものを学びましょう。
多くのものから学び取り、知恵を深めるのです。
多くのものから学ぶと、知恵は深まります。
それは人の器を広めるのです。
深く広い大きな器によって、人は人生を豊かなものとして築くことができます。
浅く狭い小さな器によっては、人は人生を乏しく築くことになるのです。
器を大きなものにするためには、多くのものを学ばなければなりません。
知恵の浅い者には、器も浅いのです。
知恵の狭い者には、器も狭いものとなるのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
多くを知らず、知恵の乏しい者には、大きな器を得ることができないのです。
蜘蛛(くも)は細い糸によって利を得ます。
しかし、細い糸一本によって利を得るのではありません。
細い糸を何本も組み合わせ、四方八方に張り巡らせるために利を得ることができるのです。
蜘蛛の巣が利を得るためには、それが広く強固なものでなければなりません。
蜘蛛の巣を良いものにするためには、より多くの足を伸ばし、より多くの支えを得る必要があります。
支えになる糸が多いほど、獲物を得るには優れているのです。
支えが少なければ巣が破損してしまい、獲物を取り逃がしてしまう可能性が高いのです。
四方八方に多く支えを取ることが重要なのです。
一つのものを知っているよりも、二つのことを知っている方が知恵があります。
これは蜘蛛の巣の支えと同じです。
一つの支えでは蜘蛛の巣は成り立ちません。
一つの支えでは蜘蛛の糸のままなのです。
それでは蜘蛛は利を得ることは難しいのです。
一つのことしか知らない人には、知恵の高まりが望めません。
一つのことしか知らない人には、高い確率で偏見が生じるからです。
多くのことに触れ、それを学ぶのであれば、比較によって偏見を退けることができます。
偏見を振りかざすことがなければ、人は正しい選択によって人生を歩むことができるのです。
一つのことよりも二つのこと、より多くのことを学ぶように努めましょう。
そして、いつかは善にも悪にも支えを設けるのです。
偏見無く生きるとは、善悪によって物事を隔てないということなのです。
善であっても、悪であっても、それを支えとして使わなければなりません。
どのようなものも大切にしなければ、蜘蛛の巣を形成することはできないのです。
人生の利である豊かさを得るためには、善(と思い込んでいるもの)だけを支えにしてはならないのです。
善悪に関係なく触れ、それを学ぶことが大切であるということを覚えておきましょう。
善を求める余り、悪を嫌う人がいます。
自分ではそれが正しいと思い込んでいますが、悪を決め付けて糾弾(きゅうだん)する時点において、その善は既に悪であるのです。
このことに気が付いていない者が多いのです。
善を求めるのであれば、悪(と思い込んでいるもの)をも大切にしなければならないのです。
悪をも愛さなければならないのです。
そうでなければ、その人の求める善は偽物であるのです。
偽物には良い結果を導くことはできないのです。
本物を知るためには知恵が必要です。
比較する力がなければ、本物を見極めることなどできないのです。
あなたは多くのものに触れなければなりません。
できる限り多くを学びましょう。
偏見によって学びを狭めてはなりません。
小さな器によって生きてはなりません。
糸によって利を得ようとしても得られません。
巣によって利を得るのです。
知恵を広げましょう。
関心によって知恵という支えを得ましょう。
天から下る恵みを、大きな器によって得ましょう。
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