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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2014年10月31日金曜日

小さな世界

人は謙虚に生きなければなりません。
傲慢に生きてはなりません。
自分自身を過大に考えることが恥ずべきことであると理解しなければならないのです。
人は誰であっても未熟です。
未熟であるがために、人生において苦しんでいるのです。
苦しみを抱えない人はいません。
それは、苦しみによって学ばなければならないからです。
人は自らの未熟さを克服するために生まれてきたのです。
人は魂の成長のために生きているということを忘れてはならないのです。
完成している人はいません。
生きているすべての人が未熟であり、学ぶべきであるのです。
謙虚な者は学びを得ることができます。
それは謙虚であるが故に、学び取ろうとするからです。
謙虚さを忘れ、傲慢に生きている者が学ぶことはありません。
自分が偉いと考えているために、そこで打ち止めであるのです。
人は決して偉くはありません。
あなたは自らの傲慢に気を付けなければなりません。
あなたは偉くはないのです。
あなたは最後の最後まで未熟であるのです。
あなたは人生の目的を知っていますか?
人生の目的を知っているのであれば、選択に迷うことはないでしょう。
しかし、あなたはいつも迷っています。
あなたは自分が何者であるのかを知っていますか?
あなたが自分が何者であるのかを知っているのであれば、自分自身を嫌い、他人を嫌うことはないのです。
しかし、あなたは自分自身を嫌い、他人を嫌っています。
そのために、争いが生まれるのです。
人は人生が何であるのかを知りません。
自分が何者であるのかも知らないのですから、自分が生きている人生が何であるのかなど知る由もないのです。
自分が何者であるのかも知らずに、どうして自分が偉いのでしょう?
あなたは自分自身が何によって活動しているのかも知らないでいるのです。
あなたの心臓を動かしているのは何ですか?
あなたには答えられないでしょう。
知らないことが多くあるにも関わらず、どうして傲慢に生きることができるのでしょうか?
自分が偉いと思い込んでいる人は、人生に対して我を通そうとします。
思い通りに行かなければ心を乱します。
誰かや何かが悪いとして争うのです。
それのどこが幸せなのでしょうか?
自らが未熟であること、謙虚さを忘れることなく、感謝の気持ちを以て楽しく生きる方が幸せであると、あなたには理解することができるでしょう?
ならば、そのようにしなければならないのです。
あなたは小さな存在です。
しかし、自分自身では大きな存在だと思い込んでいます。
傲慢に生きるのがその証です。
自分が偉いなどと考えてはなりません。
自分自身が何者であるのかも知らないのです。
それなのに、偉そうに振る舞うものではありません。
それくらいの羞恥心は持たなければならないのです。
いつまでも井の中の蛙(かわず)であってはなりません。
広い世界を見ましょう。
小さな地球の、小さな島の、小さな人間関係の、小さな愚か者であってはならないのです。
あなたは小さな存在だということを心に刻んでおきましょう。
しかし、自信を無くして生きろというのではありません。
自らの立場を弁(わきま)えながら、精一杯に貢献するのです。
上には上がいます。
小さな世界をすべてだと思い込んではなりません。


2014年10月30日木曜日

心の武装

あなたは気負う必要はありません。
心は武装を必要としないのです。
これは争いではないのです。
人生は協力によって高め合う場所であるのです。
武器を必要とはしていません。
しかし、多くの人は争いの中に生きているのが現状なのです。
争うことによって人生の目的が果たせるのであれば、争うことをすすめますが、争うことによって人生の目的が果たされることはないのです。
目的が果たされない行為をすすめる必要はないのです。
人生は魂の成長のための場所です。
すべての存在が魂の成長を求めて生きているのです。
人生にとって大切なことは魂の成長であって、それ以外のことは大切ではありません。
あなたがどこで誰と何をしていようとも、それが魂の成長に繋がるのであれば大切です。
それが魂の成長を妨げているのであれば、大切であるとは言えないのです。
これは目的に関して大切ではないと言うのであって、存在自体が大切でないと言うのではありません。
誤解しないようにしておきましょう。
争いは互いに奪い合う行為です。
互いに与え合うのであれば、そこには融和(ゆうわ)が生まれるのです。
互いが奪い合うがために争うのです。
互いが奪い合い、傷付け合うのであれば、成長することはできません。
成長とは、互いに高め合うことであるからです。
大木を切り倒せば、種から育てなければならないのです。
あなたにはそれが非効率的であると理解することができるでしょう。
互いに与え合うのであれば、共存共栄によって発展していくことができるのです。
それぞれの長所を伸ばしていく必要があるのです。
それが成長であり、発展です。
それこそが幸福であるということを理解しなければならないのです。
心を武装している人がいます。
その人の心には恐怖が根差しているのです。
恐怖によって武装を促されるのです。
そして、プライドやコンプレックスを覚え、不満や不安によって心を乱し、争うのです。
心の武装を放棄するだけで良いのです。
それだけで、幸せに暮らしていくことができるのです。
多くの人は争いを教え込まれています。
ただし、競争は大切です。
互いに高め合うために闘うことは重要です。
争いとは、互いに奪い合う行為であり、互いに蔑(さげす)み合うことであるのです。
どのようなことにあっても、あなたは気負う必要はありません。
すべてのことが必要に応じて導かれるのです。
どのようなことも無駄ではありません。
どのようなことも決して不利なことにはなりません。
すべては成長のために導かれているために、悪いことなど存在しないのです。
しかし、多くの人はそのことを知りません。
そして、価値の無いものを必死で守ろうとします。
そして、本当に価値のあるものを蔑ろにするのです。
プライドによって、自分を必要以上に大きく見せる必要はありません。
コンプレックスによって、自分を必要以上に蔑む必要もないのです。
ありのままを受け入れれば良いのです。
すべてを認める勇気が必要なのです。
すべてを認め、受け入れることができるのであれば、心を武装する必要もないでしょう。
争いの中に生きることは大変です。
いつも怯(おび)えながら生きなければなりません。
そのように萎縮(いしゅく)した生き方が成長に繋がるのでしょうか?
あなたは気負う必要はありません。
リラックスして生きれば良いのです。
争いを好んではなりません。
あなたは自らの中に所有している武器を手放しましょう。
愛と希望の光だけ持っていれば良いのです。
自らを省みましょう。

2014年10月29日水曜日

何のために

あなたは何のために生きているのかを考えなければなりません。
何のために生まれ、何をして、どこへ向かうのか?
あなたは人生の意義について考える必要があるのです。
人生は魂の成長の場所です。
人は、魂を成長させるために生まれ、生きているのです。
魂の成長のために死に、魂の成長のために去るのです。
すべてが魂の成長のために動いているということを忘れてはなりません。
その喜びも苦しみも、すべてが魂の成長のために存在しているのです。
人にとって価値のあるものとは魂です。
人が持っているもので最も価値のあるものが魂なのです。
魂がなければ、その他のものは何も意味を成さないのです。
魂以上に大切なものなど存在しないということを覚えておきましょう。
魂とは意識です。
それは目には映りませんが、あなたの本質となる物質です。
それは細かくはありますが、存在しているのです。
人生において価値のあるものは、魂の成長に関わるものです。
魂を満たすものこそが重要であるのです。
あなたは魂の成長のために生まれてきました。
そして、魂の成長のために死ぬのです。
あなたが重要視しなければならないのは、魂の成長に関わるものです。
物のために生きてはなりません。
財産のために生きているのではないのです。
多くの人は、人が魂の成長のために生きているということを知らないでいます。
そのため、財産のために生きているのが現状です。
財産のために喜び、苦しみ、或(あるい)は死ぬのです。
どのような理由があろうとも、物のために生きたり、物のために死ぬのは馬鹿げています。
人は魂のために生きているのです。
誰かが用意した偽りの目的を信じ、それに従ってはなりません。
財産を目当てに生きている人は悪意によって争います。
互いが助け合い、高め合わなければならないのに、争いによって消耗し合っているのです。
人は傷付け合うために生きているのではなりません。
人は魂の成長のために生きているのです。
偽物の目的に従って生きるのであれば、その間違いが故に苦しみを得ることになります。
財産のために人生を選択する人には、我慢や不満、偽りや後悔が付きまとうのです。
魂は大切な役割を持っています。
それは、地上に生まれる前から持っている大切な使命です。
財産は地上にのみ存在します。
財産は、地上に生まれた後になって教えられ、掲げられた目的であるのです。
なぜ生まれたのか?
という問いに、財産のためであるという返答はできないのです。
この世を良く眺めてみなければなりません。
宇宙には様々な星々が存在しています。
地上(地球)は狭い範囲なのです。
そこに存在している財産がすべてなのですか?
あなたの人生は小さな財産によって決められるのでしょうか?
それで良いのですか?
井の中の蛙(かわず)のように生きてはなりません。
何も知らず、何も分からず、生きて、死んではならないのです。
目に映るレベルのものだけを追求してはならないのです。
広大な世界の狭い範囲で一生を終えるつもりですか?
あなたは何のために生まれ、何のために生き、何のために死ぬのか?を考えなければなりません。
悪意によって生み出された価値観をすべてだと思い込んではなりません。
困っても良いのです。
苦しくても良いのです。
本当の豊かさが何であるのか?を見極めましょう。

2014年10月28日火曜日

真剣に生きる

人は人生を真剣に生きなければなりません。
人生を疎かにしてはなりません。
毎日が大切な経験です。
一つ一つが重要な手掛かりなのです。
真剣に生きることを忘れた者は、人生に苦悩します。
自分が何者なのか?
人生が何のために存在するのか?
人生に苦悩するのは、大切なことを知ることができないからです。
人生でやっていることには、残念ながらあまり意味はありません。
どのような仕事に就いていても良いのです。
どこに住んでいても良いですし、誰と共にいても良いのです。
この場所でなければならないとか、この仕事でなければならないとか、この人とでなければならないとか、そのようなことはあまり意味を持たないのです。
大切なのは、どこで誰と何をしていたとしても、そこから人生の目的を学び、魂の成長を実現させることであるからです。
自我の支配下にある者や、表面的なことに捉われている愚かな者には理解することができないでしょうが、あなたのやっていることにはあまり意味がないのです。
その内容にこそ意味があるということなのです。
気を抜いて良いものなど無いのです。
手を抜くことは許されないのです。
どのようなことにも真剣に向き合うことがなければ、それがどのような意味を持っているのか?ということを理解することができないのです。
のろのろと行っているのであれば、意味を理解することはありません。
上手い下手ではありません。
真剣に向き合っているのかどうか?ということが重要なのです。
真剣に努めるのであれば、そこには感動が生まれます。
上手い下手に関係なく、真剣に向き合っているのであれば、それがどのようなものであれ人の心を打つのです。
子どもは大人よりも下手ですが、真剣に何かに向き合っている子どもの姿によって、感動を得ることができるのです。
のろのろとしている大人によっては、どのように努めても感動を得ることなどできないのです。
感動するということは、感銘(かんめい)を受けるということです。
感銘を受けるということは、心を使ってそれに触れているということなのです。
心とは意識です。
それは目には見えません。
意識は、同じ意識に触れることができます。
それは、物事の本質であるのです。
心によって生きることによって、人は意味を理解するようになります。
真剣に向き合い、感動を覚え、心によって触れることがなければ、人生の意味を理解することはできないのです。
あなたは真剣に生きていますか?
精一杯に人生と向き合っているでしょうか?
真剣に考え、真剣に悩み、真剣に行っているでしょうか?
逃げることによって苦悩しているようではならないのです。
人生の意味や目的を見出すために、あなたは生きているのです。
あなたは十分過ぎるほどの生活を享受(きょうじゅ)しています。
飢えに苦しむこともなければ、寒さに凍えることもないのです。
十分に満たされているにもかかわらず、不満や心配によって泣き言を吐くのです。
真剣に生きている人が泣き言を吐くでしょうか?
真剣に生きているのであれば、泣き言を吐く人に対して嫌悪を覚えるでしょう。
真剣に生きている人は、自分が何者であるのか?
また、人生の目的を知りたいと考えています。
人は理由や意味を探しているのです。
それを諦めている者がのろのろと暮らすのです。
あなたは人生というものを真剣に考えなければなりません。
どのようなこともあまり意味がありませんが、どのようなことにも大切な意味があります。
ただ、生きてはなりません。
無難に生きてはならないのです。
楽しいことにあっても、苦しいことにあっても、真剣に生きましょう。
どのようなことであっても疎かにしてはなりません。
無駄にして良いものなど何一つ存在しないのです。
自分が何者であるのか、人生の目的は何であるのか?
その答えを得るために、真剣に生きなければなりません。

2014年10月27日月曜日

コントラスト

否定を持ち出すからおかしくなります。
拒絶を行うから歪むのです。
それがどのようなものであろうとも、この世界にとっては大切なものです。
すべてが大切な役割を担っているのです。
あなたにとっては悪であったとしても、他人にとっては善であるのです。
あなただけが生きている訳ではありません。
すべての存在が一つの世界に共存しているのです。
そのことを忘れてはなりません。
すべてのものが、巡り巡ってあなたに戻ります。
あなたを潤す一滴の水は、自然界を循環し、あなた以外のすべての存在を潤すのです。
あなたには関係ないと考えていることであっても、あなたに深く関係しているのです。
ただ、そのことを理解することができないだけです。
「すべては一つ」に繋がり、支え合っているのです。
すべてのものが大切です。
不要なもの、無意味なものは存在しません。
この世界に存在するものが光だけであるなら、あなたはそれを苦痛に思うでしょう。
毎日晴天であり、太陽の陽が降り注ぐとどうなりますか?
大地は干上がり、あなたは焼かれて苦しむのです。
曇りの日があり、雨の日があるので、豊かに暮らしていけるのです。
太陽を直接見てみると分かります。
光だけであっては、苦しいのです。
光と影が織り成すコントラストが、それを美しいと感じさせるのです。
すべてのものが大切な役割を担っています。
無駄なもの、無意味なものはないのです。
しかし、多くの人は否定や拒絶を頼りにしています。
疑いを以て真相を確かめることは重要です。
しかし、調べる前から結論に至るのは間違いです。
なぜなら、それが何を意味しているのかを理解することができないからです。
理由を知ることがなければ苦悩します。
その状況が持つ学びによって成長することがなければ苦しむのです。
否定することによって、人は理由を放棄します。
偏見によって自ら苦しむのです。
しかし、多くの人はそのことを気が付かずにいるのです。
人生に苦しみを経験しているにも関わらず、相も変わらず否定や拒絶を用いるのです。
甘いものばかりを食していたら、病気になってしまいます。
人はバランスを考えて食さなければなりません。
楽なことばかりを選んでいるなら、やがて可能性を失ってしまいます。
時に人は、嫌なことや苦しいことも選ばなければならないのです。
あなたは拒否や拒絶を用いないように努めましょう。
すべてのものが大切であるということを理解し、その理由を探るのです。
否定や拒絶を用いる人の心(価値観、考え方)は歪んでしまうのです。
光だけを見たり、闇だけを見るのであれば、何も認識することができないのです。
光と影が織り成すコントラストによって、美しい景色を認識するのです。
それがあなたにとっての悪であるからといって、安易に否定してはなりません。
あなたが悪であると思い込んでいるだけで、その真相は善であるのです。
浅はかな考えで決め付けてはなりません。
この世界は人知を遥かに超える力によって動かされているのです。
目の前にあるものは必要であるということを理解しましょう。
その理由は後から分かります。
否定するのであれば、その理由を知ってからです。
明確な理由もなく否定してはなりません。
よく観察しましょう。
それが何であるのかを確認することなく捨てるのであれば、後悔するということを覚えておきましょう。
否定や拒絶によって歪めてはなりません。
世界は幸福のためにこそ動いているのです。
否定や拒絶が本当に正しい選択であるのかを検証しなければならないでしょう。
歪めてはなりません。

2014年10月26日日曜日

一つの繋がり

自分勝手に生きる者には、苦しみが与えられます。
世界は自分勝手に生きる者を許しません。
それは、この世界が成長を求めているためです。
成長の役に立たない者には、その報いを与えるのです。
自我によって、利己的に生きる者には、苦しみが与えられるということを覚えておきましょう。
人は成長するために生きています。
成長とは、互いに助け合うことによって実現します。
争ったり、足を引っ張り合うのであれば、成長することはできないのです。
正しくない者には、それなりの罰が与えられるということを覚えておきましょう。
世界の成長に尽力しない者には、苦しみが与えられるのです。
あなたは自分自身の成長、他人の成長、全体の成長、世界の成長に対して、力を尽くさなければなりません。
この世界が求めていることを行わないのであれば、この世界から排斥(はいせき)されるのです。
働きもせず、依存し続けている者を、家主は追い出すことを決めるのです。
貢献しない者を認めることはありません。
それぞれが、それぞれの立場によって、全体のために尽くさなければならないのです。
この世界には、様々な立場があります。
そして、それ等の立場はすべてが必要なものです。
存在しているもので無駄なものはありません。
すべてが必要によって許されているのです。
あなたが悪と決め付けているものは、あなたが悪として仕立て上げているだけであって、世界にとっては有益です。
あなたの小さな価値観によって善悪を決めてはなりません。
小さな価値観によって導かれる偏見こそが、苦しみの元凶であるということに気が付かなければならないのです。
存在が許されているものすべてが大切なものです。
それを偏見によって歪めてはなりません。
あなたは自分自身を大切にしなければなりませんが、自分以外のものをより大切にするように努めなければなりません。
なぜなら、自分以外の存在がなければ、あなたというものは存在することができないからです。
すべての存在が、単体で存在することはできません。
すべての存在が一つの繋がりの中に存在を許されているのです。
繋がりを断つことは許されません。
繋がりを断とうとすれば、直ぐ様苦しみが訪れるということを覚えておきましょう。
自分勝手に生きるということは、その繋がりを断つことに同じです。
相手を大切に扱うことがなければ、相手はあなたの元を去るでしょう。
信頼が大切なのです。
お互いがお互いのために存在するという状態が重要であるということを覚えておきましょう。
人が自分自身のために存在するという状態は相応しくないのです。
全体を忘れた個は、力を失うということを覚えておきましょう。
あなたの小さな力で何ができるというのでしょう?
あなた独りにできることがどれだけあるのでしょう?
あなたは自らの力を過信してはなりません。
あなたは未熟であるのです。
自分以外の存在に助けてもらうことがなければ、何もできないのです。
それがあなたの決め付ける善であろうと、悪であろうとです。
世界は善だけで成り立っているのではありません。
悪の力と善の力が協力することによって成り立つのです。
そのことを忘れてはなりません。
この世界はすべてが一つに繋がっています。
その繋がりから離れているものはありません。
どのように小さなものであろうと、どのように大きなものであろうともです。
太陽は遥か彼方に輝きます。
しかし、あなたには無くてはならないものです。
微生物は目には見えません。
しかし、あなたには無くてはならないものです。
苦しみも、あなたには無くてはならないものなのです。
自分勝手に生きてはなりません。
利己的に生きたところで、良いことなど何一つとしてないのです。
覚えておかなければなりません。

2014年10月25日土曜日

最高の愛情表現

親の仕事は、子を立派に育て上げることにあります。
すべての親は、子を自立させる仕事を担っているのです。
親は子を成長させなければなりません。
子は親に従って生きます。
親は子の見本です。
すべての子は親を見て育つのです。
親の言うことではありません。
親の行為を理解するのです。
親は行為によって子に示します。
その行為が、子の成長の妨げになってはならないのです。
親は子を成長させるために行う必要があるということを覚えておきましょう。
親は子の幸福を望みます。
幸福は成長によってのみ実現します。
成長を得ることがなければ、何を得ても幸福を手にすることはできないのです。
しかし、多くの親はそのことを知りません。
子の成長よりも、自分自身のエゴを重視しているのです。
自分自身のために子を可愛がります。
それは子のためではありません。
自分を慰めるために子を利用しているのです。
人の親は「神」です。
人は宇宙という神の庭で生きています。
そして、あなたは地球という小さな部屋の中に人生を歩むのです。
「神」は子を思うあまり、真理というルールを作りました。
それは、人が立派に成長するための合理的なシステムです。
真理というものは、すべての存在が成長するためにだけ作られた最高の仕組みです。
「神」は真理を通じて、人の成長を望んでいます。
真理とは「神」から人に向けられた最高の愛情表現であるのです。
苦しいことを嫌う人がいます。
大抵の人がそう思い、苦しみを否定します。
親が子の言う通りに動き、甘やかすと、どのような結果が導かれるでしょう?
甘やかされた子どもは、我が儘で、意地の悪い子に育つでしょう。
それは成長とは程遠いのです。
我が儘で意地の悪い人物が幸福な人生を歩めると思いますか?
少なからず、あなたはその人物に好感を持つことはないでしょう。
協力し、支え合うことによって、自然は豊かに成り立つのです。
協力し、支え合うことによって、人生は豊かに成り立つということを理解しなければなりません。
すべてのことが因果によって導かれます。
苦しいと「思う」状況を得るのであれば、それは自らの選択(考え方や行い)が間違っていたということを示しています。
間違ったことをする子どもを叱り、正しい道を示すのが親の役割なのです。
間違った人間は、真理によって正しい道へと戻されるのです。
あなたが苦しんでいるのは、間違っているからです。
誰かや何かが悪い訳ではありません。
あなたが悪いのです。
真理は、親心を以て、あなたに更正を望んでいるのです。
すべてが「神」からの愛であるということを覚えておきましょう。
どのような出来事であっても、それが愛によって導かれているということを理解しましょう。
目を背けたくなるような光景があります。
多くの人はそれを愛だとは思えません。
しかし、そうしなければならない事情があるのです。
そこまでしなければ、学ばないのです。
受け入れないのです。
親は子が安全に学ぶことができるように努めるのが仕事です。
あなたは様々な苦しみに会いますが、それを「神」は見守っています。
そのことを忘れてはなりません。
苦しいことに会うのであれば、苦しいことに会う必要があるということを受け入れましょう。
否定や拒絶は成長の妨げです。
このことは、いつか理解するでしょう。
その時が来るまで、大切に覚えておきましょう。

2014年10月24日金曜日

誰かが作った常識

あなたは常識を疑わなければなりません。
常識が正しいなどと考えてはなりません。
世界を見なさい。
世界は常に移り行き、一時もとどまってはいないのです。
流転していくのが自然なのです。
それなのに、あなたの価値観だけがとどまっているのは不自然であるのです。
常識に捉われる人は、自分が不自然に生きているということに気が付く必要があるのです。
常識とは、全体の中の平均的な価値観です。
平均的なものが正しいとは限りません。
ただ、多くに支持されるだけであるということを理解しましょう。
多くに支持されることが正しいというのであれば、間違っているものであっても正しいという理屈になるのです。
間違っているものは、例え多くの支持を得たとしても間違っているのです。
それが自然であると理解することができるでしょう。
間違っているものを、支持が多いからという理由で行えばどのような結果を得るでしょう?
間違っているものがもたらす結果は、苦しいものであるのです。
正しいものによってのみ、正しい結果である喜びが得られるのです。
あなたはこのことを覚えておかなければなりません。
多くの人が支持している常識が、絶対的に正しいと思い込んではなりません。
試験において正しいのは、得点の高い者であるのです。
その試験に対して正しいので、得点が高いのです。
あなたは高得点者を差し置いて、平均点の者に何を教わろうというのでしょう?
平均的な者に教わるものは、可もなく不可もないことだけです。
それにどのような価値があるというのでしょう?
当たり障りのない人生には、どのようなドラマが生まれるのでしょう?
そのような人生が楽しいと思いますか?
苦しみがなければ感動は無いのです。
謎に対して挑戦し、苦悩するからこそ、人生はドラマチックなものとなるのです。
常識とは、人を真実から遠ざける偏見です。
偏見があるためにドラマが生まれないのです。
常識に捉われる人は、冒険することはありません。
それは、常識に従って当たり障りの無い人生を選択するからです。
苦しいことや辛いことを否定し、それ等を遠ざけるのです。
常識に従うと、苦しいことや辛いことは悪であるのです。
多くの人が苦しいことや辛いことを嫌うのです。
しかし、人生を豊かなものにする者はそのようには考えません。
ある道を極めんとする者は、苦しいことや辛いことに挑戦することを恐れません。
苦しいことや辛いことに偏見を持たずに打ち込むために、高得点を得ることができるのです。
プロフェッショナルとは、その道を受け入れる人のことです。
良いも悪いもその道です。
それを否定する者はプロフェッショナルとは呼べません。
善悪によって判断する程度の覚悟の者には、道を行くことは許されないのです。
常識を手放すことを恐れている者は、真実には辿り着けません。
誰かの決めた未熟な価値観に騙されてはなりません。
あなたは常に疑いを以て見なければなりません。
道においては、大勢でいるから安心ということはないのです。
寧(むし)ろ、大勢でいてはならないのです。
先へと進む者だけが真実を得ます。
真実を知る者だけが幸福を得るのです。
偽物に喜んでいるような者は、偽物の喜びによって貴重な時間を浪費します。
確実に死が迫って来ているというのに、そのことに気が付きません。
そして、残り時間が少ないことを知って絶望し、後悔するのです。
あなたは常識を疑わなければなりません。
常に多くの知識を吸収し、大きく成長するように努めましょう。
固定観念に捉われてはなりません。
常識を疑わなければなりません。
何が正しいのかを、理論的に考えましょう。
誰かが作った常識を鵜呑みにし、思考を停止してはなりません。

2014年10月23日木曜日

共存共栄の精神

大切なことを忘れてはなりません。
大切なことを忘れるのであれば、そこには苦しみが導かれてしまうでしょう。
自然界を見なさい。
それは、共存共栄の精神によって育まれています。
自然界は互いに協力することによって、繁栄を目指しているのです。
自然界には自我というものは存在しません。
個々で見れば自分のために行っているように思える行為であっても、それは全体のためのものであって、利己的に行われるものではないのです。
人は自我を与えられています。
それは、人が成長するために必要なことです。
自我によって人は成長するように求められているのです。
暗闇の中に光を見ることによって、人は希望を見出すことができます。
人生に苦しみが存在しないのであれば、幸福は存在しないのです。
陽と陰、二つの相反する力によって、すべてが一つであるということを覚えておかなければならないのです。
大切なのは、敵を作り、好戦的に生きることではありません。
多くの人は自我により恐怖を覚えています。
恐怖によって不安や不満を覚えるのです。
不安や不満などの破滅的な力によって、人は苦しみを得るのです。
大切なのは、人が魂の成長のために人生を生きているということです。
自然界は、成長を目指します。
それ以外を目指すことはありません。
自然界に存在するすべての生命が、自然界の発展のために働いているのです。
自我によって生きている生命は存在しません。
自然界の生命は、自らの役割を知っているのです。
自我を主体として生きている者には分かりません。
それは、全体のことが分からないからです。
自我によって、人は視野を狭めます。
視野が狭いがために、陰の部分を受け入れることができずにいます。
自分にとって不利なことや、嫌いなこと、苦しいことを拒絶し、そこから遠ざかるのです。
広い視野の持ち主は、すべてのことが何かの理由によって導かれているということを理解しています。
そして、そのすべてが役に立つということも知っているのです。
未来の結果を知ることはないにしても、それが無駄でないということは分かるのです。
自分勝手に生きている者には、それがどのような理由によって導かれたのかを理解することはできません。
その理由を考えようともしないでしょう。
苦しいことにあっては、子どものように乱れるのです。
経験を経た大人は、それが無駄にはならないということを理解することができます。
それは、これまでがそうであったからです。
今までに経験したことのすべてが、何かしらの形で支えとなっていることを、経験を通じて理解することができたのです。
経験の少ない子どもには、それが無駄であるように思えてしまいます。
経験が少ないがために、理解が深まらないのです。
精神の成熟した者ほど、共存共栄によって生きようとします。
大人は協力します。
それは、協力する方が良い結果を導くことを知っているからです。
精神の未熟な者ほど、自分勝手に生きようとします。
子どもは我が儘を通すのです。
それは、協力することのメリットに気が付くことがなく、また、浅はかな思考によって目の前の利益や欲望を貪(むさぼ)る以外には考え付かないのです。
あなたは大切なことを忘れてはなりません。
自分勝手に生きるのであれば、争いによって互いに滅ぶことになります。
自然界に生きる生命が自分勝手に生きれば、すぐに種は途絶えてしまうでしょう。
種が受け継がれ、守られるのは、共存共栄の精神によって生きているという証なのです。
互いに助け合わなければ滅びます。
自分さえ良ければ良いなどと、浅はかに考えてはなりません。
そのような考えであっては、長くは持ちません。
互いに助け合うことが大切なのです。
自我を断ち、恐怖を克服しましょう。
人は愛によって生きることが求められているのです。
思いやりや優しさを大切にしましょう。
どのような苦しみを得たとしても、大切なことを忘れてはなりません。

2014年10月22日水曜日

追求

可能性を追い求めない者は不足します。
可能性を追うことがなければ、不足は避けられないのです。
人生は可能性を追求していくことが重要なのです。
人は、可能性を追求していくことにより、物事の本質に近付くことができます。
可能性を追い求めていくということは、真実を理解するということであるのです。
可能性を追い求めることがない者は、現状に満足しています。
不満を持っていたとしても、可能性を追い求めることがないために、結果としては満足しているということなのです。
追求しない者はそれ以上を知ることがありません。
それ以上を知ることができなければ、それ以上を得ることもできないのです。
物事の可能性を追求することによって本質に近付くため、より良い方法が見えてくるのです。
より良い方法を得ることができるのであれば、より大きな豊かさを得ることにもなるのです。
より良い方法を知らなければ、より良い結果を導くことができないため、より大きな豊かさを得ることはありません。
人生に奇跡というものが存在し、無知な者であっても助けてくれるのであれば、あなたは物事の本質を追求する必要はありません。
何の努力も必要ありません。
しかし、現実はどうでしょう?
何もしなければ、その状態のままに時が迫るのです。
奇跡という根拠のないものが存在しないために「わたし」はこのように言うのです。
すべては、因果に結ばれています。
行うことがなければ、得ることもないのです。
良い行いは良い結果に結び付きます。
悪い行いは悪い結果に結び付くのです。
善い行いが悪い結果に結び付くことはありません。
悪い行いが良い結果に結び付くこともないのです。
奇跡という幻想に対して、愚かにしがみ付いてはなりません。
奇跡を信じて待っていてはなりません。
あなたは自ら、可能性を追い求めなければならないのです。
与えられたものをただ信じる人がいます。
素直なことは良いことです。
しかし、与えられたものを鵜呑みにするのは間違っています。
それがどのようなものであるのか?を自ら審議(しんぎ)しなければならないのです。
詐欺師は、笑顔であなたに近付きます。
そして、あなたに有利な謳(うた)い文句によって話を進めます。
疑うことの無い素直な人は、それを鵜呑みにして信じてしまいます。
そして、詐欺師によって多くのものを奪われた後になって、その事実を知り、苦しむのです。
その時には既に遅いのです。
物事の可能性を追求しない者は奪われます。
偽りによって騙(だま)され、可能性を奪われるのです。
与えられたものが正しいとは限りません。
多数の人が信じていることが真実であるとは限らないのです。
この世界に存在しているものは、悪意によって歪められています。
歪められているものを信じたところで、良い結果を導くことはできないのです。
それが正しいと信じて行っていることであっても、真理に正しくなければ意味がないのです。
あなたが信じている正義では不足しているのです。
何故なら、あなたは未熟であるからです。
自分が正しいと思い込んではなりません。
正義を振りかざしてはなりません。
物事には疑念を抱き、その真偽を確かめなければならないのです。
与えられたものを素直に信じ、満足していてはならないのです。
誰が言うことであっても、あなたはその真偽を確かめましょう。
その人には悪意が無くても、歪んだものを正しいと思い込んでいるということがあるのです。
残念ながら、多くの人が歪んだものを正しいと思い込んでいます。
そのため、人の心には苦しみが存在しているのです。
本当に正しいものであるなら、苦しみを導くことなど有り得ないのです。
間違っているために苦しみを導きます。
あなたはそのことを理解しなければならないのです。
あなたは可能性を追求しましょう。
追求しない者は、それ以上を得ることはないでしょう。
何も知らずに生きて、何も知らずに死んでいくことに満足するのであれば、物事の可能性を追求することはせずに、偽りにただ我慢していれば良いでしょう。
豊かな人生を求めているのであれば、どのようなことに関しても、その可能性を追い求めなければなりません。

2014年10月21日火曜日

人間

あなたは自分というもののルーツを探らなければなりません。
自分がどこから来た何者であるのかを知らなければならないのです。
自分という存在の根源が何であるのかを知ることは重要です。
なぜなら、この世界は自分という存在を投影しているものだからです。
あなたは自分というフィルターを通して、世界を認識しています。
そして、自らの世界(価値観)を築いているのです。
すべてはあなたの認識によって形作られています。
自分という存在が汚れていたり、歪んでいるのであれば、どのような世界を見ることになるでしょう?
汚れていたり、歪んだガラス越しに景色を眺めるとどうなりますか?
どのように美しい景色であっても、それは汚れ、歪んで見えてしまうのです。
それがガラスを通して見る景色であることを知っているのであれば、景色自体が汚れたり歪んでいるということにはならないでしょう。
手前のガラスが汚れたり歪んでいるために、外の景色が汚れたり歪んだりしていることを理解するのであれば、ガラスを清掃したり、取り替えるなどの具体的な対策によって問題を解決することができるのです。
しかし、景色自体が汚れたり歪んでいるものだと決め付ける人には、その問題の解決策は理解できないのです。
人生は魂の成長の場所です。
そこには、愛と光が満ちています。
人生は苦しむための場所ではありません。
苦しみを以て成長を実現する場所であるのです。
そのため、苦しいと思う経験であっても、それによって苦しむことはないのです。
どのようなことも必要であり、大切なものであるのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
しかし、覚えているだけではなりません。
あなたは自分自身でそれを実感する必要があるのです。
実感することがなければ、納得することもないでしょう。
ガラスが汚れたり歪んでいることを納得している人は、汚れや歪みが生じた時に、それを修正する努力を始めるでしょう。
しかし、納得していない人には、その努力が生じないのです。
自分自身で美しいものにしなければなりません。
放っておけば汚れは増し、歪みは酷くなるのです。
メンテナンスが必要なのです。
美しいガラス越しの景色は、感動を覚えるほどの素晴らしいものとなります。
美しいガラス越しの景色は、それをより美しいものに演出するのです。
自らが美しければ、人生は美しいのです。
誰かや何かのせいにしてはなりません。
ガラスを汚したり歪めたのは、自分自身なのです。
人は肉体を持っています。
肉体には心はあります。
それは本能というものです。
思考や感情があります。
それは心によってもたらされます。 
人は肉体の心と霊の心という二つの心を持っているのです。
霊の心は魂のものです。
肉体に霊が宿るように、霊には魂が宿るのです。
それは、人の最も深く、最も純粋な場所に存在しているのです。
自分というもののルーツを探っていけば、目には見えないところに本質があるのが分かるでしょう。
肉体は何によって動いているのでしょう?
命とは何ですか?
植物には脳も心臓もありません。
では、植物は生きてはいないのですか?
人間の本質が脳であるという主張には無理があるということを覚えておきましょう。
自分では何もできない肉体が本質であるはずがないのです。
車は人が運転することによって走ることができます。
人が運転することがなければ、エンジンを動かすことすらできないのです。
肉体は魂が動かすことによって働くことができるのです。
肉体が自発(自活)するのであれば、死という現実は存在しないのです。
あなたには目には見えない自分自身の本質の大切さが分かりましたか?
あなたは思考、感情、心、霊、魂、目には見えない本質を汚したり、歪めてはならないのです。
人は同じ地球で生きています。
人は同じ宇宙に存在しているのです。
それを汚したり歪めているのは個人であるということを理解しなければなりません。
自分が何者であるのか?を探り続けましょう。

2014年10月20日月曜日

教育

真理はあなたに、大切なことを伝えています。
真理は常に、あなたのために働いているのです。
あなたにとって不利になることはありません。
真理はあなたの幸福を願っているのです。
人生におけるすべての事象は、真理によって導かれます。
真理によって導かれるのであれば、すべてがあなたにとって大切なものであるということを理解しなければならないでしょう。
あなたには嫌なことがあります。
辛いこと、苦しいことがあります。
あなたはそれ等に悲観し、絶望するでしょう。
人は未熟な考え方によって、自ら苦しみを生み出しています。
しかしながら、真理はあなたに苦しみを導くことはありません。
真理はあなたの幸福を願い、すべての事象を導くのです。
それが苦しいものであっても、苦しいものではありません。
苦しいと考えるあなたがいるのです。
苦しいとしか見えていないだけであり、その本質は大切にしなければならないものであるのです。
人が幸福を得るためには、自らの成長が必要です。
自分というものが向上しない限りは、それよりも良いものを得ることはできないのです。
人生は自分自身に相応しい場所となるからです。
奇跡はありません。
不思議に見えることにも理由があります。
自分自身を省みることなく、自分自身の向上に努めることもなく、奇跡という名の幸運を待っていてはならないのです。
自分に相応しい場所になるのだから、奇跡を待ち望んでも意味がないのです。
あなたは一刻も早く、自らの向上に努めなければならないのです。
真理の働きを理解することが向上への近道です。
真理の働きを理解することなく、間違った方法で誤った方向に進むのであれば、幸福を得ることはできないのです。
真理の望みは、あなたの幸福です。
あなたの幸福に繋がる理由があるために、その状況を導いているのです。
自分にとって不利になると思う状況や、苦しいと思うことに対して、人はその理由を理解しようとはしません。
頭ごなしに否定することで精一杯です。
否定は理解には繋がりません。
否定しているのであれば、何も分からないのです。
親は子の幸福を望みます。
しかし、子はそのことを知りません。
親は子が幸福を得るのに必要だと思う経験を導きます。
そのことを理解しない子は、それを否定するのです。
親を煩(わずら)わしく思うのは、子が未熟であるからです。
子が親になり、自らの子を愛する時になって初めて、かつての親の気持ちを理解するのです。
真理はあなたを愛しています。
親が子を思うように、あなたのために尽くすのです。
親は子の苦しむ姿を見たいとは思いません。
しかし、子の成長や幸福を考える力が勝ります。
そのため、子が苦しんだとしても、幸福を得るのに必要だと思う経験をさせるのです。
あなたには、なぜそれが苦しいのか分かりません。
それは、その苦しみを否定して、理解しようとはしないからです。
いつまで逃げるつもりですか?
逃げても何も解決しません。
逃げることによって、状況は悪化するのです。
真理が導くものを否定してはなりません。
今のあなたには分からないだけです。
あなたが理解するまで、真理は同じ学びを繰り返します。
否定するなら、同じことが繰り返されるのです。
子が理解するまで、親は根気強く教えるのです。
真理は、あなたが成長するために教え続けています。
あなたのためです。
あなたの幸福を願っている真理(人生)に対して、不平不満を振りかざしてはなりません。
「わたし」の言っていることが、いつかは理解することができます。
いつかは理解するのだから、今から理解に努めましょう。

2014年10月19日日曜日

納得の積み重ね

あなたは納得する必要があります。
どのような事柄に関しても、納得を得なければなりません。
納得を得ることなく生きてはなりません。
納得することがなければ、それは偽りであるということを覚えておかなければならないのです。
偽りによって幸福を得ることはできません。
真実である本質に近い程、幸福に近いのです。
真実と幸福は同じものであるということを覚えておかなければなりません。
人は真実(本質)を理解することなく、幸福を得ることはできないのです。
幸福に似たものを得ることはできます。
本心を騙し、偽りの納得によって諦めることもできます。
しかし、そのような状態を幸福と呼ぶ人はいないでしょう。
本心が満足することがなければ、どのような方法を用いたとしても幸福を得ることはできないのです。
あなたは本心が満足するために、納得する必要があるということを覚えておきましょう。
何事に関しても、納得するまでは諦めてはならないと理解しなければなりません。
納得することによって、一つの段階に辿り着きます。
物事の本質に辿り着くためには、何度も段階を踏んで進まなければなりません。
納得すると、やがてそれが浅はかであったこと、または間違っていたことに気が付きます。
深みを増すため、間違いを正すために、新たな納得を探します。
そして、新たな納得に辿り着いた後で、それがまた浅はかであったり、間違っていたことに気が付くのです。
本質に辿り着くためには、この工程を何度も繰り返さなければなりません。
そのため、人生には根気がいるということを覚えておかなければなりません。
人は未熟な存在です。
その未熟さを満たすために生きているのです。
不足を補い、歪みを正すために生きているということを覚えておきましょう。
納得するという行為は、未熟さの矯正であるのです。
一つずつの段階を経ることによって、少しずつ正していくのです。
人生には様々な謎が存在しています。
あなたには分からないことだらけです。
あなたは自分が何者であるのかを知っていますか?
人生が何のために存在し、何のために生きているのかを知っているでしょうか?
あなたの仕事や生活、人間関係にはどのような意味があるのでしょう?
あなたはこれ等の問いに、納得のいく答えを持っていますか?
納得することによって苦悩は去ります。
納得することができなければ、苦しみ悩むことになるのです。
現実から目を背けることはできません。
人はいつか必ず現実と対峙することを強制されます。
逃げることはできても、逃げ切ることはできないのです。
納得することを積み重なることがなければ、人は幸福を得ることはできません。
苦悩を抱えている人が幸福を得ることはできないのです。
納得を積み重ねて、人生の謎に答えを見出し、人生を有意義なものにする必要があるのです。
何事にも納得する答えを諦めてはなりません。
どのようなことからも逃げ出してはなりません。
納得のいくまで向き合いましょう。
その学びから逃げたとしても、逃げた先で同じ学びに会います。
人生とはそのようなものです。
人は学ぶために生きているのです。
学びからは逃れられないのです。
そのため、逃げることは無駄なのです。
苦悩を嫌ってはなりません。
人生は苦悩を使ってあなたに問うているのです。
苦悩することによってあなたは深く探すようになるでしょう。
苦悩することがなければ、人は探すことをやめて怠惰(たいだ)に過ごすことになります。
そのような人生に価値はないのです。
納得を積み重ねない人は未熟です。
この世界において、力を持たない未熟な人に何ができるというのでしょう?
苦悩に向き合うことがなければ努めることもないため、納得することも、成長することもないということを覚えておきましょう。
すべての事柄に対して、納得を探しましょう。
そして、人生を価値のあるものにしなければなりません。

2014年10月18日土曜日

事の真偽

理解を深めることが大切です。
人は理解を深めなければなりません。
一つでも多くのことを理解し、より成長する必要があるのです。
知恵の高まりと共に、魂の成長が実現します。
知恵の高まりが無ければ、魂の成長もありません。
知恵を高めることが重要です。
知恵を高めるためには、知識を増していかなければならないのです。
即(すなわ)ち、一つでも多くのことを知らなければならないのです。
それも、ただ知るだけでは不足します。
それを正しく理解する必要があるのです。
知っているだけではなりません。
何故なら、その知識が偽りである可能性があるからです。
偽りの知識をどれだけ所有したところで、何の意味もないのです。
偽りの知識によって得られるのは苦しみであるということを覚えておきましょう。
間違った方法によっては、利を得ることはできないのです。
あなたはそのことを理解しておかなければなりません。
多くの偽りの知識よりも、一つの真実の方が価値があります。
あなたは一つでも多くの真実に辿り着かなければならないのです。
何も知らずに生きてはなりません。
何も知らずに死んではならないのです。
真実を知ることなく生きるのであれば、人生が何のために存在しているのかを理解することはできません。
偽りによって人生の目的が隠されるのです。
目的もなく生きるのであれば、人は幸福を得ることはできないということを覚えておきましょう。
人が幸福を得るためには、目的を以て生きる必要があるのです。
人生の目的が欲しいのであれば、理解を深めなければなりません。
理解に浅い者は子どもに似ています。
子どもは人生の意味など知りません。
人生の意味など考えることすら(でき)無いのです。
それは、理解に浅いからです。
知恵が高まれば、人は人生という最大のテーマに対する目的を探し始めます。
そして、更に理解するために、知識を高めようと努めるのです。
理解が浅ければ疑問に思うことも少ないでしょう。
知識が浅ければ知恵に乏しいために、疑問に思うこともないのです。
知恵の深い者には疑問が生じるのです。
それは、知恵の高まりと共に、物事の深層には本質が隠れているということを悟ることができるからです。
疑問を持たない者は理解が深まることもありません。
子どもは疑問を持たずに、言われた通りに行います。
子どもには、人生というものが分かりません。
それは、知恵の高まりが不足しているからです。
人生に疑問を持つことのできる者は、ある程度の知性を持つのです。
疑問に思えないほどの知性ではならないのです。
人の世には悪意が溢れています。
未熟で弱く、歪んだ存在である人間が集う場所には、悪意が生じるのが普通なのです。
人は不満や不安によって争いを起こします。
その悪意によって自ら苦しむのです。
しかし、すべての人は幸福を求めています。
しかし、現状は多くの人が悪意によって苦しみを得ているのです。
それは知恵が不足しているからです。
無知であるために悪意を選ぶのです。
あなたが人生の幸福を求めているのならば、知恵を高める必要があります。
無知なままでは悪意によって潰されてしまうでしょう。
偽物を信じていてはなりません。
あなたは知恵の高まりによって、事の真偽を見極めましょう。
悪意に従えば苦しみに辿り着きます。
善意に従っていくために、理解を深めるのです。
学ぶことを忘れてはなりません。
多くのものに興味を持ちましょう。

2014年10月17日金曜日

すべてのことの中に学びがあります。
存在するすべてが学びによって成り立っているのです。
学びを持たないものは存在しません。
それは、すべてのことが学びによって創造されるからです。
学びがなければ何も生まれません。
それがどのようなものであっても、存在するためには学びという核が必要であるのです。
学びが無ければ事象もありません。
学びが無ければ何も存在しないのです。
学びが無ければ、存在する理由がないのです。
すべての存在には核となる学びがあるということを覚えておかなければなりません。
人は学ぶために人生を生きています。
人生の目的は魂の成長です。
魂は様々なことから学びを得ることによって成長することができます。
学びを得ることがなければ、魂が成長することはありません。
学びは魂の成長にとって必須であるということを覚えておきましょう。
すべてのことに学びという核が存在していますが、その核を得るかどうかは、気付くかどうかにあります。
どのようなこと(経験)を得ても、学びに気が付くことがなければ、魂の成長を得ることはできないのです。
土砂の中に金や宝石があったとしても、それの価値を知ることがなく、また、それに気付きもしなければ、金や宝石を得ることは有り得ないのです。
核となる学びは深いところに存在しています。
学びはそれを探す者にしか見付けることができません。
土砂の中に金や宝石を探す者だけがそれを得ることができるのです。
探していなければ得ることはできないのです。
土砂の中から金や宝石が出てきても、それを探していないのだから気が付かないのです。
価値を知らない者にとってそれは、価値の無いものなのです。
目の前の経験の価値を理解することができない者には、そこに存在している学びの価値も理解することはできません。
価値の分からない者には得られないのです。
子どもに金や宝石の価値は理解できません。
子どもは金や宝石を何の躊躇(ためら)いも無く手放すでしょう。
人生の学びに価値を見出すことのない人間は、人生の学びを簡単に手放します。
その価値を知らないために、それがどのような行為であるかも分からないのです。
人は魂を成長させるために生きています。
学びによってそれは実現します。
人は学ばなければならないのです。
学びを手放すのであれば、人生の目的を果たすことができないということなのです。
人生の目的を果たすことができなければ、豊かさも幸福も有り得ません。
何を持っているとしても、本当の豊かさと幸福は手にすることができないのです。
そのような人は本当の意味での満足を得ることもなく、後に悔いを覚えることになるのです。
あなたは多くの学びによって魂を成長させなければなりません。
すべてのことが学びを持っています。
それが嫌なことや苦しいことであっても、その核は学びです。
学びを持たなければ、存在することはないのです。
嫌なことや苦しいことを拒絶するのであれば、それは学びを手放す行為であるということを理解しましょう。
見た目は苦しみですが、中身は学びであるのです。
人生には苦しみから生じる学びの方が多いのです。
それは、人が未熟であるからです。
人は未熟であるが故に、多くのことを苦しみと捉えます。
未熟であるが故に苦しむのです。
未熟さを改善するために学びが与えられます。
苦しみを見出す未熟さを改善するためには、苦しみを見出す未熟さと向き合わなければならないのです。
苦しみから逃げているのであれば、苦しみが生み出される原理を学ぶことはできません。
学ぶことがなければ、価値(成長、豊かさ、幸福)を得ることもできないのです。
あなたはすべての事象の中に学びを探しましょう。
それが苦しみであっても探さなければなりません。
この世界に無駄なものは存在しません。
すべてのことに学びという核があるということを覚えておかなければなりません。
何事も無駄にしてはなりません。
一つ一つの経験をしっかりと学び、人生の目的である魂の成長を実現しましょう。

2014年10月16日木曜日

蜘蛛の巣

あなたは様々なものに触れなければなりません。
あなたは様々なことを経験し、知識を深めなければならないのです。
多くのものを学びましょう。
多くのものから学び取り、知恵を深めるのです。
多くのものから学ぶと、知恵は深まります。
それは人の器を広めるのです。
深く広い大きな器によって、人は人生を豊かなものとして築くことができます。
浅く狭い小さな器によっては、人は人生を乏しく築くことになるのです。
器を大きなものにするためには、多くのものを学ばなければなりません。
知恵の浅い者には、器も浅いのです。
知恵の狭い者には、器も狭いものとなるのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
多くを知らず、知恵の乏しい者には、大きな器を得ることができないのです。
蜘蛛(くも)は細い糸によって利を得ます。
しかし、細い糸一本によって利を得るのではありません。
細い糸を何本も組み合わせ、四方八方に張り巡らせるために利を得ることができるのです。
蜘蛛の巣が利を得るためには、それが広く強固なものでなければなりません。
蜘蛛の巣を良いものにするためには、より多くの足を伸ばし、より多くの支えを得る必要があります。
支えになる糸が多いほど、獲物を得るには優れているのです。
支えが少なければ巣が破損してしまい、獲物を取り逃がしてしまう可能性が高いのです。
四方八方に多く支えを取ることが重要なのです。
一つのものを知っているよりも、二つのことを知っている方が知恵があります。
これは蜘蛛の巣の支えと同じです。
一つの支えでは蜘蛛の巣は成り立ちません。
一つの支えでは蜘蛛の糸のままなのです。
それでは蜘蛛は利を得ることは難しいのです。
一つのことしか知らない人には、知恵の高まりが望めません。
一つのことしか知らない人には、高い確率で偏見が生じるからです。
多くのことに触れ、それを学ぶのであれば、比較によって偏見を退けることができます。
偏見を振りかざすことがなければ、人は正しい選択によって人生を歩むことができるのです。
一つのことよりも二つのこと、より多くのことを学ぶように努めましょう。
そして、いつかは善にも悪にも支えを設けるのです。
偏見無く生きるとは、善悪によって物事を隔てないということなのです。
善であっても、悪であっても、それを支えとして使わなければなりません。
どのようなものも大切にしなければ、蜘蛛の巣を形成することはできないのです。
人生の利である豊かさを得るためには、善(と思い込んでいるもの)だけを支えにしてはならないのです。
善悪に関係なく触れ、それを学ぶことが大切であるということを覚えておきましょう。
善を求める余り、悪を嫌う人がいます。
自分ではそれが正しいと思い込んでいますが、悪を決め付けて糾弾(きゅうだん)する時点において、その善は既に悪であるのです。
このことに気が付いていない者が多いのです。
善を求めるのであれば、悪(と思い込んでいるもの)をも大切にしなければならないのです。
悪をも愛さなければならないのです。
そうでなければ、その人の求める善は偽物であるのです。
偽物には良い結果を導くことはできないのです。
本物を知るためには知恵が必要です。
比較する力がなければ、本物を見極めることなどできないのです。
あなたは多くのものに触れなければなりません。
できる限り多くを学びましょう。
偏見によって学びを狭めてはなりません。
小さな器によって生きてはなりません。
糸によって利を得ようとしても得られません。
巣によって利を得るのです。
知恵を広げましょう。
関心によって知恵という支えを得ましょう。
天から下る恵みを、大きな器によって得ましょう。

2014年10月15日水曜日

「すべては一つ」

あなたの魂は、すべての方向へと広がりを見せなければなりません。
一部に偏って広がってはなりません。
それは成長ではないのです。
あなたの心は、すべての方向へと広がりを見せなければなりません。
一部に偏って広がってはなりません。
それは成長ではないのです。
あなたの思考は、すべての方向へと広がりを見せなければなりません。
一部に偏って広がってはなりません。
それは成長ではないのです。
歪(いびつ)であることは好ましくありません。
大切なのは「すべては一つ」であるということだからです。
すべては一つの円と成るのが正しいのです。
歪に偏っていてはならないのです。
すべてが一つと成ることを目標としましょう。
人は自我を頼りに人生を歩みます。
しかし、自我というものは不完全であり、不安定なものです。
それは頼りにならないものだと心得なければなりません。
自我というものは学びの途中にあるのです。
そのため、常に成長を求めて育む必要があります。
成長しなければならないものを頼ってはいけないのです。
あなたの目的は、自我の目覚めであり、自己の成長であるということを覚えておきましょう。
自我を主体に生きる人には、偏見が生じます。
偏見によって物事を捉えるために、自我というものが歪に形成されるのです。
歪に形成された自我によっては、人は幸福を得ることができません。
それは、歪な自我が争いを導くからです。
偏見は敵を生み出します。
人は偏見によって敵を作り出しているのです。
偏見を持たなければ、敵など存在しないということを知りましょう。
人は未熟であり、歪であるが故に敵を作り、苦しんでいるのです。
自我を歪めないためには、すべての方向へとそれを育む必要があります。
すべての方向へと育むように意識して努めなければならないのです。
この世界に存在しているものは、そのすべてが「神」によって許され、認められたものです。
存在するすべてが必要であると言うのです。
不要なものは何一つとして存在しません。
すべてが大切な役割を担っているものであるのです。
しかしながら、未熟な自我にはそのことが分かりません。
大人の考えを子どもには理解することができないのと同じです。
崇高な意識である「神」の思考は、未熟なあなたには理解することができないのです。
しかし、それが悪いということではありません。
あなたを卑下(ひげ)するつもりはありません。
「わたし」は事実を言うのです。
あなたには学ばなければならないことがたくさんあります。
そのために生きているのです。
あなたが学ばなければならないのは、「すべては一つ」という真理です。
この学びによって、あなたは偏見と歪みを断ち切り、成長しなければならないのです。
偏見と歪みが生じているのであれば、成長を実現することはできません。
自分に有利なものや自分の好きなもの、自分にとって楽なことばかりに気を取られてはなりません。
それ等に傾倒(けいとう)するのであれば、自分にとって不利なものや自分の嫌いなもの、自分にとって苦しいことを学ぶことができないのです。
学ぶことがないのであれば、成長することもないのです。
甘いものばかりを口にしているのであれば、あなたは大切な健康を失ってしまうでしょう。
病気は身体の歪みから生じます。
身体の歪みは、意識の歪みである偏見から生じるのです。
人は意識によって行います。
意識が決定しなければ、行動することはできないのです。
偏見を持たなければ苦しむことはありません。
苦しみの原因は偏見にあるのです。
良い悪いを決めてはなりません。
すべてを大切に扱いましょう。
すべての方向に思考を、心を、魂を広げなければなりません。
「すべては一つ」であるということを覚えておきましょう。

2014年10月14日火曜日

堪え忍ぶ人へ

人は堪え忍ばなければなりません。
忍耐が大切です。
忍耐を忘れて、物事を良い結果に導くことはできません。
堪え忍ぶことによって、良い結果が導かれるということを覚えておきましょう。
人は未熟な存在です。
初めから良い結果を残すことはできません。
すべてが地道な積み重ねによって得られるのです。
この世界には奇跡というものはありません。
すべてには原因があり、理由があるのです。
その原因と理由に気が付かないために、当然のことを奇跡だと思い込むのです。
そして、自分には何もできないと思い込むのです。
奇跡とは説明の付かない事象ですが、認識が進めば奇跡など存在しないということを知ることができるでしょう。
すべてが原因と理由によって導かれます。
奇跡というものを信じ、願っている人がいますが、そのような考えが幼稚であるということを知っておきましょう。
奇跡を信じ、それを願って待っていても、良い結果が導かれるということはありません。
信じて待つことは、良い結果の原因と理由にはならないからです。
原因と理由は、行いによって実現するのです。
人が選択し、行ったことが原因となり、理由となるのです。
そのため、人は行動する必要があるのです。
植物は根を伸ばします。
それは、大地にしっかりと立つためです。
風雨に晒(さら)されることを知ってるために、根を深く広く伸ばす必要があるのです。
実際に根を伸ばすことがなければ、植物は生きていくことができません。
風雨に晒されない奇跡を信じて待っても、そのようにはなりません。
根を張ることを忘れた愚かな植物は、少しの風雨によって倒されてしまうのです。
あなたは人が生きるという意味を問い直さなければなりません。
いつまで甘いことを考えているのですか?
言っておきますが、あなたの平和と幼稚な考えが奪われる時が来ます。
それは必ずやって来ます。
その時になって後悔しても遅いということを教えておきます。
人生には様々なことがあります。
それはすべてあなたの魂の成長のために必要なことです。
人は堪え忍ばなければなりません。
安易に逃げていてはならないのです。
現実から目を背けてはなりません。
あなたにはやらなければならないことがたくさんあるのです。
根を伸ばすことがなければ、大切なものは守れないのです。
奇跡を信じて待っているだけの者には、大切なものを守ることができません。
そのように甘い世界ではないのです。
平和に甘えていてはなりません。
あなたが苦しいと思い込んでいるものは、本当に耐えることができずに逃げ出さなければならないほどのものなのでしょうか?
大切なものを守りたいと考えていながら、逃げているのは矛盾しているのです。
逃げている者には力は得られません。
逃げることに優れた者が、どうやって守るのでしょう?
逃げる者はやがて訪れる危機にも逃げ出します。
大切な者の危機を前にして逃げ出すことしかできないのです。
それはいつも逃げているからです。
大切なものを守るのは簡単ではありません。
堪え忍ぶことが求められるのです。
あなたが大切なものを守りたいと考える時に、簡単に諦めて逃げ出すようなことではならないのです。
守るためには自らを盾(たて)にしなければなりません。
自己を犠牲にする覚悟がなければ、大切なものを守ることなどできないのです。
あなたは思慮深く考えなければなりません。
大切なものを守るためにはどうする必要があるのかを考えましょう。
一つ一つの地道な積み重ねこそが力になるということを忘れてはなりません。
良い結果の原因と理由を作るために堪え忍びましょう。

2014年10月13日月曜日

気付き

人は苦しまなければなりません。
人は苦しみを回避することができません。
この世界から苦しみが消滅することはありません。
人は苦しみを受けるために生きているのです。
すべての人が苦しみを経験します。
そして、多くの人が苦しみを悪いものとします。
苦しみを悪いものと定めているために、それを否定するのです。
しかしながら、人は誰もが苦しみを受けなければなりません。
それは、この人生が魂の成長のために存在しているからです。
人は未熟な自己を、苦しみを経験し、それを克服することによって高めなければならないのです。
魂の成長こそが人生の目的です。
魂の成長という目的のために人生は存在しています。
そのため、魂の成長という目的以外の目的によって、人生が展開するということはないのです。
すべてが魂の成長のために存在しているということを知る必要があるのです。
その過程において、苦しみを受けるということが必要となるのです。
苦しむことは悪いことではありません。
あなたは苦しみに対する認識を改めなければなりません。
苦しみは悪いものではないのです。
寧(むし)ろ、それは良いものであるということを理解しなければならないのです。
本来、この世界には苦しみは存在しません。
人生はあなたの成長を求めています。
あなたに有利なことは与えられますが、あなたに不利なことは与えられないのです。
魂の成長にとって重要な経験を受けます。
それ以外はありません。
すべてが大切な経験であるということを知っていなければなりません。
苦しみという概念は、すべての経験が魂の成長に繋がるということを忘れた人に形成される偏見なのです。
思慮深く捉えれば、すべての経験が必要なものであるということを理解することができるのです。
苦しむということは、それの正体を理解していないということに他ならないのです。
人は未熟です。
分からないことがたくさんあります。
他人からの愛情ですら、それを理解しない人がいるのです。
言葉を持たぬ人生からの愛情であるなら、尚更です。
人生には、あなたに対する愛があるということを理解しなければなりません。
あなたは人生によって愛されているのです。
人生は様々な方法を用いてあなたに気付かせようとしているのです。
あなたが気が付かない限りは、より分かり易く伝える必要があるということを覚えておきましょう。
話の通じない相手には、見せる必要があります。
見せても理解しない相手には、経験させる必要があるのです。
人が愚かでなければ、苦しむ必要はないのです。
人が理解しないために、人生はより強く、分かり易く伝えることになるのです。
苦しいことにあっても、まだ気が付かない人がいます。
そのような人は自分を正当化する習慣を持っているのです。
謙虚であり、反省する人でなければ、相手の本意を理解することはありません。
自分勝手に生きている人には、理解する必要があることであっても気が付きもしません。
人生はあなたに気が付いて欲しいために、より強く、より分かり易く伝えることになるのです。
あなたを苦しめるためにやっているのではありません。
あなたが気が付くためにやっているのです。
そのことを理解しなければならないのです。
多くの人は苦しみを覚えます。
多くの人は苦しまなければなりません。
あなたは、その苦しみが何のためにあるのか?を考えましょう。
人生が導くものはすべて良いものです。
それを苦しみとしているのはあなたです。
あなたは大切な経験を苦しみとしてはなりません。
その経験が何を教えているのか?を考えましょう。
あなたに気が付いて欲しいだけです。
あなたは魂を成長させなければなりません。
人生の目的が魂の成長にあるということを覚えておきましょう。

2014年10月12日日曜日

天の本意

人は天から与えられなければ何も受けることができません。
天から雨が落ちる様に、愛と光が降り注ぎます。
あなたはそれを受けることが許されています。
天は平等に愛と光を降らせます。
この世にあって、天からの愛と光を受けない人はいません。
すべての存在が天に祝福されているのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
すべての存在に愛と光が届くのです。
天が差別することは有り得ません。
天は悪人でさえ愛します。
悪意や悪事が存在しているのは、天によって愛されているからです。
多くの人は真理を理解してはいません。
多くの人が自らの基準によって、この世を決め付けているのです。
天はすべての存在に愛と光を降らせます。
あなたはそのことを覚えていなければなりません。
天が愛を奪うことはないのです。
すべての存在が天からの愛と光を受けます。
しかし、多くの人はそれを受ける時に汚してしまうのです。
あなたの受け取るすべての状況が天からの愛の形です。
あなたはそのことを理解する必要があるのです。
あなたの中の善悪の基準によって考えてはなりません。
あなたの未熟な考えなど、取るに足らないのです。
大切なのは真理を理解するということです。
真理とは、天の本意なのです。
あなたが受け取るすべての状況が、天の本意であるのです。
そして、すべての存在が受ける状況が、天からの愛情であるということを理解しなければならないのです。
人は器を持ちます。
それは、魂であり、霊であり、心であり、価値観であり、感情であり、思考です。
人はこの器に天からの愛と光を受けます。
天から降るものは愛と光のみです。
それ以外のものは降りません。
あなたがその状況を苦しいと思うのであれば、それはあなたの器が汚れているということを知らなければならないのです。
天から降るものは愛と光だけなので、それを受けて苦しいというのは間違っているのです。
それは喜びでなければならないのです。
自分自身の器が汚れているために、天から降る愛と光を汚し、歪めているということを理解しましょう。
自分自身を改めることがなければ、状況は変わりません。
どのような状況を得たとしても、あなたがネガティブな状態であるのならば、それは苦しみになるのです。
どのような状況を得たとしても、あなたがポジティブな状態であるのならば、それは喜びになるのです。
喜ぶのも、苦しむのも、すべてが自分次第であるのです。
それを何かのせいにしてはならないのです。
天から苦しみが降ることはありません。
天には愛と光が満ちているのです。
苦しみが降るはずがないのです。
あなたは自分が完璧な人間だと思いますか?
あなたは自分自身を未熟な人間であると理解することができるはずです。
ならば、自分自身の判断が間違っているのだということを受け入れましょう。
真理が間違えることは有り得ません。
真理はあなたの状態を見て、あなたに必要なヒントを与えているのです。
あなたが成長することを願っている真理が、あなたに苦しいものを与えるはずがないのです。
間違えてはなりません。
苦しみの原因は常に自分自身にあります。
器を汚してはなりません。
清らかに生きましょう。
愛と光を実践することによって、器を清めましょう。

2014年10月11日土曜日

人生の謎

あなたは真実に向かいなさい。
真実を追求する人でありなさい。
真実から目を背けてはなりません。
真実を諦めてはなりません。
どのような事柄についても、より深く考慮し、より良く理解するように努めましょう。
何も知らずに生きてはなりません。
偽物を有り難がって生きてはなりません。
幻想に逃げ込み、自己満足に浸っていてはならないのです。
真実を知ることがなければ、人は幸福を得ることはできません。
偽りによって幸福を作り出しても、それによって本当の幸福を得ることはできないのです。
それが本物でなければ、そこから得られる喜びは本物ではないのです。
偽物から得られるものは偽物であるということを覚えておきましょう。
本物からは本物が得られるということを理解しなければなりません。
偽物をいくら集めても価値はありません。
寧ろ、偽物を多く扱っているのであれば、詐欺師だと認識されるのです。
真実を知らなくても生きることはできます。
実際、多くの人が真実を知ることなく、この人生を生きているのです。
あなたは人生が何のために存在しているのかを知っていますか?
あなたは何のために生きているのでしょう?
あなたは誰なのですか?
真実を追求することがなければ、これ等の答えを得ることはできません。
表面的なことは重要ではありません。
大切なものは常に深いところに存在しているのです。
この地上では、真実は常に隠されているということを覚えておきましょう。
あなたは目に見えるものが本質だと、真実だと思いますか?
あなたの正体は、肉体なのでしょうか?
心臓や脳、骨や神経があなたの正体なのですか?
その理論には無理があるということを覚えておきましょう。
命や思考や感情は目には見えません。
人はそれによって人生を築きます。
心臓や脳が人の本質だと言う人は、それを自在に操れるはずです。
しかし、そんなことはできません。
あなたの意思によって心臓は鼓動を止めることはないのです。
あなたに許可無く、髪の毛や爪を伸ばし、傷を治し、生命を保護しているのです。
あなたは真実に目を向けなければなりません。
偽物を喜んではなりません。
目的を忘れ、詰まらない一生を終えてはなりません。
ただ生きていることに価値などないのです。
そのことを理解しましょう。
何年生きたとしても、そこに価値がないことは、あなたの心に聞けば分かるでしょう。
価値のある人生とは、その目的に向かうことのできる人生です。
目的意識を持たずにさ迷っているだけの人生には、残念ながら価値を見出すことができないでしょう。
夢や目標を持たず、目的意識もなく毎日をただ何気なく生きているだけの人には満足がありません。
そのような人には本当の意味での充足を得ることはできないのです。
何も知らずに生きてはなりません。
何も知らずに死んではなりません。
あなたはそこから真実に向かいましょう。
人生には多くの謎があります。
あなたには知らないこと、知らなければならないことが多くあるのです。
そのことを覚えておきましょう。
人生を無駄にしてはなりません。
最後の最後まで真実を追究しましょう。
幻想の幸福に満足してはなりません。
自分のやっていることにはどのような意味があるのかを考えてみましょう。
真実に向かいましょう。
誰かが作り出した偽物に満足していてはなりません。

2014年10月10日金曜日

未知への到達

あなたはいつまでも同じ所にとどまっていてはなりません。
あなたは次に進まなければならないのです。
決して一所にとどまってはならないのです。
とどまることは停滞を現します。
停滞するのであれば、それ以上の進歩展開は望めません。
何度も言う様に、人生の目的は魂の成長にあります。
あなたは魂を成長させなければならないのです。
一所にとどまり、停滞するということは、人生の目的の放棄であります。
人生の目的を放棄すれば、そこで得るはずの喜びを受け取ることができないのです。
目的を達成することなく、喜びを得ることはできません。
目的意識を持たずにさ迷うのであれば、人は苦しみを受けることになるということを覚えておきましょう。
人生では様々な経験を受け取ることができます。
それは、すべてが魂の成長のための学びです。
人生はあなたの魂の成長を助けているということを覚えておきましょう。
あなたは経験を重ねることによって、考え方や価値観、そして、その生き方を新たにし、成長を実現しなければならないのです。
より良い考え方や価値観、生き方を得ることができれば、状況や環境はより豊かなものになるのです。
より良い方法を得るのだから、より豊かになることは当然のことなのです。
より豊かになるということは、より充実するということです。
より充実するということは、幸福感が増すということでもあるのです。
停滞するということは、より良い考え方や価値観、そして、生き方を得ることはないということです。
より良い方法を知ることがなければ、幸福を手にすることはできないのです。
なぜなら、人生という場所は自らの行いによって形成される場所であるからです。
人生は自らに相応しい場所となるのです。
あなたの考え方、価値観、生き方に相応する状況や環境を得ることになります。
これは、すべての人に共通している真理です。
この法則からは誰も逃れることができません。
相応しいものが与えられ、相応しいものが奪われるのです。
そして、相応しいものが残るのです。
あなたの判断では世界は動きません。
あなたは真理によって判断されるのです。
そのことを覚えておきましょう。
自分自身というものが重要であるのです。
自己のレベルに合わせて、人生は展開するのです。
保守的な人がいます。
これまでの常識に捉われ、それ以上の成長を欲しない人が多いのです。
多くの人は現状維持を欲しています。
変化に恐れを覚えるのです。
それは、変化という未知に対する恐怖です。
未知に対して恐怖を覚える人は、人生の目的を見失っている、もしくは、それを知らずに生きているということが言えるでしょう。
人生の目的が魂の成長であるということを知っている人が、未知を恐れるということは有り得ないのです。
それは、成長というものが、未知に向かうということを現しているからです。
成長とは、未知への到達であるということを覚えておかなければならないのです。
未知への到達を恐れる者に成長を得ることはできません。
成長は、未だ見ぬ自分を得るということであるのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
恐怖に負けてしまい、成長を否定している人がいます。
多くの人がこのように選択しています。
いつまでも同じ様に考え、同じ様に捉え、同じ様に生きていくのです。
そのような人の人生には展開がありません。
何十年も同じことをただ繰り返しているに過ぎないのです。
それでも、ただ生きていくことはできます。
しかし、そこには本当の豊かさと幸福というものはないのです。
成長することのない人は、偽物を喜びながら死んでいきます。
それは人生の目的ではないのです。
成長とは、真実の追究であるからです。
同じ場所にとどまっていてはなりません。
より成長するように努め、未知を得ましょう。

2014年10月9日木曜日

最高の贈り物

あなたは受け取るものへの謝意を忘れてはなりません。
あなたが受け取るものがどのようなものであっても、それに感謝する必要があるのです。
しかしながら、多くの人はこれに反感を覚えるでしょう。
自分にとって不利に働くもの、嫌なことや苦しいことにあっては、人は謝意を現すことができないからです。
人は利己的です。
自分のことが最も大切だと思っています。
自分自身を大切にする気持ちは大切です。
しかし、それ以上に大切なものがあるということを覚えておかなければならないのです。
自分以外の存在がなければ、あなたは何を得ることができるでしょう?
自分を大切にして、自分以外を蔑ろにするのであれば、そこには何が残るでしょう?
そこにはあなた独りが残るのです。
あなたは独りで何をしようというのですか?
あなたは独りでは何もできないのです。
独りであっては、喜びすら見付けられないのです。
自分以外の存在は大切であるのです。
それがどのようなものであっても、それがあることが重要なのです。
あなたにとっての「良いもの」だけが残ることは有り得ません。
良いものも悪いものも含めた世界だからです。
受け取るものは、あなたにとっての最善です。
それ以上に優れたものはないのです。
それがどのようなものであったとしても、あなたの人生の目的である魂の成長にとっては重要なものであるのです。
受け取るもの以上に重要なものがないということを理解しなければならないのです。
どのように探しても、受け取るもの以上のものを探し当てることはできません。
なぜなら、それは真理によって与えられた最善であるからです。
真理以上に優れたものはありません。
真理はあなたに相応しいものだけを導くのです。
今のあなたにはこのことが分からないかも知れません。
しかし、いずれ成長を成し遂げた暁(あかつき)には、或(あるい)はこのことに理解が及ぶかも知れません。
その時に後悔しないように、今受け取るものに対して謝意を現しておく必要があるのです。
受け取るものが最善であるということは、疑いようのない事実です。
この世界は真理により完全に支配されています。
人がどのように抗(あらが)おうが無駄であるということを理解しましょう。
どうすることもできないことが多いのです。
あなたにはどうすることもできません。
あなたは無力であるからです。
未熟なあなたに力があるとは認めません。
あなたは力を得るために、受け取るものを感謝しなければならないのです。
謙虚に学ぶ者は力を身に付けます。
しかし、反発して学ぶことのない者には力は身に付きません。
人生は学びの場所です。
人生はあなたの魂を成長させるために与えられた素敵な機会なのです。
そのことを理解しておきましょう。
成長して力を持つ者が豊かさと幸福を手にすることができるのです。
本来の目的を見失い、努めることもなく、成長することがない者には、豊かさと幸福を築くことはできないのです。
人は謙虚に学ぶ必要があります。
人生がどのような状況を導いたとしても、それが最善の学びであるということを理解しましょう。
それを学ぶことがなければ、それ以上の学びを与えても意味が無いのです。
扱い方を知らない、また、扱うことができないものを与えたとしても、無意味であるということを理解しましょう。
人は自らに相応しいものを得るのです。
扱い方が分からず、扱うこともできないものを持っていても苦労が増えるだけなのです。
真理はあなたの成長を求めているのです。
それは、あなたに豊かさと幸福を得て欲しいと考えてのことなのです。
親は子に、持てない荷物を持たせません。
そのように非効率なことはしないのです。
あなたが受け取るものは、あなたが持つことのできる荷物であるのです。
それはあなたに解決することのできる問題です。
それによって成長を実現することができるということを知りましょう。
受け取るものに文句を言い、拒絶するのは愚かなことであるのです。
真理はあなたのために働いています。
その働きを無駄にしてはならないのです。

2014年10月8日水曜日

天から下るもの

天から下るものが大切です。
あなたは天から下る大切なものを丁重に扱いましょう。
天とは、高次のことです。
それは、高貴であり、高尚です。
どのようなものであっても、高まる程に良いものとなります。
高まる程に輝き、高まる程に愛に満ちているのです。
あなたは、天という高次には、愛と光が満ちているということを知りましょう。
幼い者は利己的に存在します。
成熟した者は利他的に存在します。
利己的な者よりも、利他的な者の方が愛と光に満ちています。
利己的な者よりも、利他的な者の方が優れているのです。
あなたはこのことを覚えておきましょう。
高次に近付く程に利他的になるのです。
低次に近付く程に利己的になります。
それは、高次に進む程に愛と光に溢れ、余裕があるからです。
余裕があるために、利他的になるのです。
天には、愛と光が溢れています。
そして、地には悪意が溢れています。
誤解してはなりませんが、どちらも大切なものです。
天が良くて、地が悪いということではありません。
どちらの性質も理解し、どちらも大切に扱うことで、成長していかなければならないのです。
あなたは天から下る愛と光を意識しましょう。
そうすれば、あなたは成長を成し遂げることができるのです。
成長するということは、高次に近付くということなのです。
それは、人に豊かさと幸福を与えるものであるということを覚えておきましょう。
人は豊かさと幸福を得るために生きているのです。
どのような主義の人も、豊かさと幸福を求めているのです。
そのために生きているのです。
豊かさと幸福を求めない人はいません。
豊かさと幸福の形は様々ではありますが、それぞれに自らの考える豊かさと幸福のために生きているのです。
しかしながら、人は成長するために生まれてきました。
すべての経験が魂を成長させるためのものなのです。
すべての人が高次に向かいます。
現在、どのような豊かさや幸福を求めていたとしても、やがては高次にあるものが真実であると理解するのです。
誰もが天に向かうということを覚えておきましょう。
天には愛と光が溢れています。
天から下るものは愛と光です。
そのため、人は愛と光を大切に生きていかなければならないのです。
すべての人が愛と光を求める時が来るのです。
それは今ではないかも知れませんが、いつかは必ずその日が来るのです。
そのことを覚えておきましょう。
あなたは天から下る愛と光を求めましょう。
愛と光に従って行うのです。
利己的に生きてはなりません。
あなたは他者と協力しなければなりません。
良いものを他者に与えるのです。
良いものを与えることで損をするなどと考えてはなりません。
互いに良いものを与えることがなければ、成長は実現しないのです。
片方が成長するのであれば、もう片方も成長します。
そのことを覚えておかなければなりません。
自分だけが良く成りたいと考えている人は、他人を害します。
他人を害するのであれば、自らも害されるということを覚えておきましょう。
利他的に生きる方が利口であるということを覚えておきましょう。
天には愛と光が溢れています。
成長するということは、愛と光が増すことであるということを覚えておきましょう。
愛と光を大切にし、利他的に生きましょう。

2014年10月7日火曜日

あなたは、すべてが一つであると心得なければなりません。
すべてが一つであるということを知らなければなりません。
すべてが一つであるということに気が付かなければなりません。
すべてが一つであるということを理解しなければなりません。
すべてが一つであるということを覚えておかなければなりません。
すべてが一つであるのです。
この世界にあって、この繋がりから離れるものは存在しません。
それがどのようなものであっても、一つの和の中に存在しているということを覚えておきましょう。
すべてが一つに繋がっており、何一つとして不要なものはないのです。
何かが一つでも欠けると、和が乱れるのです。
和が乱れるのであれば、上手くはいかないのです。
豊かさや幸福を求めるのであれば、物事が上手くいかなければなりません。
物事が上手く展開することがなければ、豊かさや幸福などの良い結果を導くことはできないのです。
この世界は、例えそれがどのような性質のものであっても、それがどのように小さいものであろうとも、大切な役割を担っています。
すべての存在が、世界という精密機械の部品であるのです。
あなたという存在であっても、目には映らない細菌であっても、あなたに力で勝る動物であろうとも、そのすべてが大切な役割を担う、大切な部品であるのです。
それがあなたの判断によって分けられる善悪であったとしても同じです。
あなたには不要に思えるものであっても、あなたがこの世界を動かしている訳ではありません。
あなたの人生であっても、あなたが動かしているのではありません。
あなたには意思による選択の決定権が与えられているだけです。
あなたの身体であっても、あなたが管理しているという訳ではないのです。
あなたは自分の意思で心臓を動かしていますか?
食物を分解し、必要な栄養を吸収してエネルギーに変え、排泄(はいせつ)していますか?
皮膚を再生し、髪や爪を伸ばし、健康を保つように自らの意思によって努めているのでしょうか?
そんなことはありません。
あなたは様々な力によって助けれているのです。
あなたが口にする動植物は、何によって育まれるのでしょう?
あなたの大切な人は誰から生まれ、あなたの大切な道具は誰が作ったのでしょう?
あなたの考える善と悪が協力しているからこそ、この世界は成り立っているということを理解しなければならないのです。
善と悪によって物事を隔ててはなりません。
ただ、すべてが必要なものであるということを理解すれば良いのです。
あなたには必要に思えないものであっても、それを必要とする存在がいるのです。
あなたには悪であっても、それを善とする存在がいるのです。
どのようなものであっても、それが役割を果たすことによって世界は存在するのです。
存在しているものは、大切な役割を担っているのです。
あなたの小さな価値観によって、勝手に判断してはなりません。
すべてを大切に扱うことを覚えましょう。
小さな部品も大きな部品も大切です。
何のために使われているのかも分からない部品でさえ大切なものなのです。
あなたには分からないかも知れません。
しかし、成長するに従って理解も深まるでしょう。
無駄に思えていたものの必要性が分かります。
悪という概念が間違っていたことにも気が付きます。
すべてが大切な部品であるので、それに感謝しましょう。
部品が足りない車や飛行機に乗りたいと思いますか?
どうなるかは想像に容易いでしょう。
悪を定め、それを排斥(はいせき)するのであれば、既に取り付いている部品を自ら外すようなものであるのです。
それは自殺行為です。
これが良い、これが悪いということはありません。
「すべては一つ」であるのです。
このことを忘れてはならないのです。
柔軟に考えましょう。
頑(かたくな)にしてはなりません。
すべてが一つであるということを心得、愛を以て生きていきましょう。
大切なことです。
忘れずにいましょう。

2014年10月6日月曜日

人を救うもの

人は愛によってのみ救われます。
人は愛を得ることなく、救われるということはありません。
人は愛を知り、それを与えることによって受け取り、自らと他者を救わなければならないのです。
愛を無視して救いはないのです。
あなたは愛の素晴らしさを理解しなければなりません。
あなたが学ぶべきことは愛だけであるということを知りましょう。
愛がどのようなものであるのかを知っているのであれば、あなたが迷うことも苦しむこともないのです。
すべての人は愛によってのみ救われるということを知りましょう。
愛を学ぶこと以上に大切なことはありません。
「わたし」はこれを断言します。
あなたは愛を学ぶことに集中しましょう。
どのような道を進んでも構いません。
あなたが「神」を信じていようが、信じていまいが関係ないのです。
「神」を信じていれば救われるというのは、甘い幻想です。
信じただけで救われることなどあるはずがないのです。
「神」を信じることは大切ですが、「神」を知らない人は救われないのでしょうか?
そのような馬鹿げた話はありません。
「神」という言葉を口にする者の中のどれだけの人数が「神」に会ったのでしょうか?
会ったこともない人の話をするのはおかしいのです。
会ったこともないのに、その人がどのような人物であるのかを知ることはできないのです。
そのような幻想が罷(まか)り通るほど、この世界が甘くないということを覚えておきましょう。
人は「神」によって救われるのではありません。
人は愛によってのみ、救われるということを覚えておきましょう。
口では「神」の名を出しておきながら、愛を知らない者がいます。
「神」の名を口にする大抵の者が愛を知りません。
そのため、「神」を口にするのです。
「神」という言葉ほど便利なものはありません。
「神」という言葉を用いることによって説明することを免れるからです。
しかし、それは愚かな者の愚かな行為であるということを理解しましょう。
「神」という言葉によって、現実から目を背けてはなりません。
間の前の状況によって導かれる学びを蔑ろにしてはならないのです。
軽々しく「神」という言葉を用いる宗教家は、「神」が何であるのかを知りません。
そして、人は何によって救われるのかも知らないのです。
愚かな者には真(まこと)は隠されます。
賢者にのみ、真は開かれるのです。
どのような道を進んでいても良いのです。
「神」を信じていようといるまいと関係ありません。
あなたは愛によって選択し、愛によって行動しましょう。
それだけで良いのです。
それができなければならないのです。
愛が無いのは悲しいことです。
しかしながら、多くの人は偏見によって愛を損ないます。
しかし、自らが愛を損なっているということに気が付いていません。
自らが既に間違っているということを自覚することができないのです。
それは、そのような人には真が隠されているからです。
すべてが大切な学びです。
この世界には不要なものは存在しません。
無駄もありません。
すべてが一つであり、重要なものなのです。
偏見によって敵や悪を作り出してはなりません。
敵や悪を見る目には、愛が無いと言うのです。
愛のある眼差しは、対象を敵や悪には仕立てないのです。
あなたはそれ許しましょう。
それを認めましょう。
それを称(たた)えましょう。
それを受け入れましょう。
それと協力するのです。
人は愛によってのみ救われます。
それ以外の方法はありません。
相手を愛する以外の方法を探す必要はありません。
相手を害する方法を持ち掛ける者の話を信じてはなりません。
愛を損なう者は、巧みにあなたの愛をも奪いにやって来ます。
あなたがどのような主義に従い、どのような道を進んでいようとも、愛がなければならないということを忘れてはなりません。
愛が最も大切なのです。
間違えてはなりません。

2014年10月5日日曜日

あなたは器を良いもので満たさなければなりません。
器とは、あなたの肉体であり、思考であり、感情であり、意思であり、心であり、霊であり、魂のことです。
あなた自身が器となります。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
あなたは、自分自身という器に好きなものを入れることができます。
何を入れるのかは、あなたの意思に任されています。
あなたは赴(おもむ)くままに好きなものを入れれば良いでしょう。
誰にも、それを否定する権限はありません。
人生はあなたのものです。
あなたの意思で自由に決めるべきなのです。
しかしながら、何を選ぶのかはあなたの自由ですが、それによって得る結果は自由という訳にはいきません。
あなたが受け取る結果を決めるのは真理であるのです。
あなたが何を選ぼうとも構いませんが、真理が導く結果に対して文句を言ってはなりません。
真理は原因を以て、完璧な判断を下します。
原因に相応しい結果のみを導くのです。
真理が間違えることはありません。
真理は絶対であるということを覚えておきましょう。
人は真理によって正しく判断されます。
愛のある結果を欲するのであれば、愛のある原因を選択する必要があります。
結果を見て、原因(選択)を調整しなければなりません。
真理がどのようなものであるのかは、あなたが受け取る結果を見て判断しましょう。
良いものを選択するのであれば、良い結果を得ます。
悪いものを選択するのであれば、悪い結果を得るのです。
あなたは選択によって自らの器にそれを入れます。
器に良いものを入れるなら、豊かさが得られるでしょう。
器に悪いものを入れるなら、乏しさが得られるのです。
甘美な食事の盛り付けられた器と、毒の入った器とでは大きな違いがあるのです。
それを口にした結果がどのようなものであるのかは、簡単に想像することができるでしょう。
毒を飲んではなりません。
あなたは良いものを飲まなければならないのです。
肉体にも、思考にも、感情にも、意思にも、心にも、霊にも、魂にも、良いものと悪いものがあります。
それは愛と光である建設的な選択と、苦しみと闇である破滅的な選択とです。
愛と光に満ちたものは、器に対して建設的で良い働きをします。
苦しみと闇に満ちたものは、器に対して破滅的で悪い働きをするのです。
あなたが幸福や豊かさを求めているのであれば、愛と光に満ちた良いものによって器を満たさなければなりません。
どのような状況に対しても、良いものによって器を満たそうとすることを忘れてはなりません。
愛と光に満ちた良いものは天にあります。
天とは気高い場所です。
そこから下るものは気高いものなのです。
あなたが品格を失うこと無く、愛と光を以て気高く生きるのであれば、あなたは良いものを得ることができるでしょう。
愛と光は天から下るのです。
良いものは天にあるということを覚えておきましょう。
あなたは自らを天の住人として考えなければなりません。
天の住人は慈愛に満ちています。
その心は希望の光に満ちているのです。
あなたは自分をそのような姿に照らし合わせなければならないのです。
あなたが良いものを選択する時、天から良いものが下ります。
あなたはそれによって器を満たさなければなりません。
地や地の下から来るものによって、器を満たしてはならないのです。
良いものは天にあるということを覚えておきましょう。
良いものは天から下るということも忘れてはなりません。
地と地の下には良いものはありません。
気高く生きましょう。
愛と光を選択することを忘れてはなりません。
いつも良いもので器を満たしましょう。

2014年10月4日土曜日

知識欲

常識は不安定なものです。
あなたの所有している常識は必ず変化していきます。
それはより良いものへと変化するのです。
常識とは、これまでの情報(知識や経験)から紡ぎ出した信仰です。
人は常識に従って生きているのです。
しかし、これまでの情報がこれから役に立つとは限りません。
新たな情報によって、これまでの常識は覆されるのです。
知識と経験が新たな発見を導きます。
それは、時間と労力が費やされた分、良いものとして現れます。
時間と労力を費やすほどに、人は物事の深部へと進むことができます。
物事の深部には本質があります。
本質に近付くほどに、真実が明らかにされるのです。
真実の行いは、良い結果を導きます。
それはすべての乾きを潤します。
人は幸福を求めています。
人は道の極みを追求します。
新たな情報から導き出される新たな常識は、人に幸福と道の極みをもたらすのです。
それは、人にとって至上の喜びであるということを理解しなければなりません。
知らないことを知ることこそが、人の喜びであるのです。
人には知識欲というものがあります。
それは、知識を得ることによって真理を理解することになるからです。
人は意識的にも無意識的にも真理を求めています。
それは、人の本質が魂であり、真理はそれを高めるものだからです。
真理に従う魂が輝き(力)を失うことはありません。
魂は真理に従うほどに輝きを増すのです。
そのため、人は真理に近付こうとして知識を欲するのです。
あなたは自らの所有している常識が不安定なものであると理解しましょう。
常識に頼ってはなりません。
不安定な船に乗れば、瞬く間に沈んでしまうでしょう。
常識とは、今までの経験値です。
それはこれまでを支えてきた大切なものではありますが、残念ながらこれからは使えません。
常識は常に新しいものにしていかなければならないのです。
知識と経験を重ねるほどに、常識は新たなものとなります。
あなたは知識と経験を求めなければなりません。
同じことを繰り返すことに満足を覚えていてはなりません。
現状維持に努めるのであれば、人は苦しみを得ることになるのです。
不安定な船が沈まないためには、それを安定させるために修繕し続けなければならないのです。
あなたは、新たな知識と経験を用いて古い常識を修繕し続けましょう。
知識欲に満足を得ることはできません。
あなたが知識を欲しないというのであれば、それは既に船が沈んでいるということを理解しましょう。
人生は学びの場所です。
人は一生涯学び続けます。
それは、人が未熟な存在であり、生涯という時間では学びが足りないのです。
生涯を以てしても達することはできません。
そのため、学んで困ることないのです。
どのように努めても学び尽くすことはありません。
安心して学びましょう。
古い常識に捉われてはなりません。
古いものに固執(こしゅう)してはなりません。
より良いものがあることを知りましょう。
決め付けてはなりません。
あなたには知らないことが山の様にあるのです。
高慢であってはなりません。
自惚れは愚か者のすることです。
知識欲によって常識を新しくしましょう。

2014年10月3日金曜日

学びの場所

人生は学びの場所です。
人は学ぶために生きています。
人が学びから離れることはありません。
人は常に学びと共にあるのです。
人は学ばなければなりません。
どのような状況にも学びが存在しています。
どのような状況を得ようとも、それでも学ばなければならないのです。
人が学び終えるということはありません。
人生には学びが尽きないということを覚えておきましょう。
人は人生に学び続けなければならないのです。
あなたは学びが終わるなどと考えてはなりません。
どのような方法を用いても、人生の学びが終わることはありませんし、それが途切れることもないのです。
人はすべての瞬間に学んでいるのです。
そのことを忘れてはなりません。
すべての経験が学びです。
それがどのような経験であろうとも、学びであるということを覚えておかなければなりません。
苦しいことにあっても、嬉しいことにあっても、それが大切な学びであるのです。
学びは、魂の成長のために存在しています。
人は学びを受けて魂を成長させなければならないのです。
苦しいことにあっても、嬉しいことにあっても、魂が成長するためには必要なことであるのです。
それを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
人はより良くなるために生きているのです。
生きるほどに良くなるということを理解しましょう。
どのような生き方をしても構いません。
あなたがどのように生きても、魂が成長するための学びが導かれ、あなたはそれを経験するようになっているのです。
真理が正しく導きます。
あなたには間違ったものは与えられません。
あなたが受けるすべての状況が正しいということを理解しなければなりません。
あなたが受けることで正しくないことは何一つとしてありません。
あなたが受けることで相応しくないものはないのです。
そのことを理解して生きなければなりません。
学びは常にあなたの魂の成長のためにあります。
決して、あなたを苦しめるためではありません。
あなたを良くするためにあるのです。
苦しいことにあっても、嬉しいことにあっても、すべてがあなたを良くするためのものです。
あなたには理不尽に映るようなものであっても、あなたのために導かれているということを知らなければならないでしょう。
学びに対して感謝することがなければ、それが身に付くことはありません。
あなたに必要であり、相応しいものが導かれているのに、それを否定してはならないのです。
あなたは学ばなければなりません。
あなたは常に未熟であるのです。
一つのことを学んでも、また一つのことを学ばなければなりません。
あなたがどれだけのことを学んだとしても、それでもまだ足りないのです。
あなたは学び続けなければなりません。
学び続けるということを覚悟しましょう。
目の前には様々な状況があり、苦しくて辛いような状況もあるでしょう。
しかし、それを学ばなければなりません。
苦しくて辛い状況を学ばなければ得られない成長があるのです。
学びは簡単なものではありません。
学びでさえ難しいのですから、成長することは更に難しいということを理解しましょう。
しかし、これはあなたを怖じ気付かせるために言うのではありません。
あなたに覚悟を持って欲しいからです。
人生は学びの場所です。
人は学ぶために生きています。
目の前のすべての経験が学びであるということを知り、それが成長に繋がっているということを理解しましょう。
高みを目指して学び続けましょう。
知識を深め、知恵を強めなければなりません。

2014年10月2日木曜日

序列

この世界には序列があります。
すべての存在は、序列によって整理されるのです。
この世界に存在しているもので、序列を免れるものはありません。
すべての存在が、何等かの基準によって優劣を決められて高くされ、また低くされるのです。
序列によって前になり、序列によって後ろになるのです。
あなたはそのことを覚えておかなければならないでしょう。
良いものは優遇されます。
悪いものは冷遇されるのです。
それは仕方のないことであるということを理解しましょう。
どのような道においても、その道に対して優れているものが尊ばれるのです。
優れているもので尊ばれないものはありません。
尊ばれるためには、優れなければならないのです。
しかしながら、道によって優劣の基準が違うということを知らなければなりません。
道によって、求められる価値が違うのです。
あなたは道を見極めなければならないのです。
自らの求める道が求めている価値が何であるのか?ということを理解することがなければ、優れることはできないのです。
あなたが求めるものは何ですか?
それはどのような道ですか?
その道が求めているものは何ですか?
それぞれに違う価値を持つので、道に合った価値を生みだすように努めなければならないのです。
光は灯すことを価値としています。
光は灯るほど価値があるのです。
闇は暗すことを価値とします。
闇は暗すほどに価値があるのです。
それぞれに価値の基準が違うのです。
それなのに、同じ価値を求めてはなりません。
闇を求めているのに、灯してはなりません。
光を求めているのに、暗してはならないのです。
どこに価値があるのかを見極めなければなりません。
幸福を求めている人がいます。
人が幸福を求めているのであれば、自らの人格を高めなければなりません。
人格が高まらなければ、幸福を得ることはできないのです。
人格が高まるほど、幸福に近いということを知りましょう。
人格を高めるためには、真理への理解が必要です。
真理を理解する人の人格は高まります。
それは、真理を知る人が動ずることはないからです。
愛に近いほど、人格は高まります。
愛の多い人ほど、人格者であるのです。
愛に乏しい人の人格は下劣です。
それは、愛の欠如によって見えていても見えないし、持っていても持っていることが分からなくなるためです。
あなたはそのことを知っておきましょう。
幸福を求めているのであれば、愛を努めましょう。
あなたの中の愛を高めなければならなのです。
人生は魂が成長するための場所です。
魂が成長することは喜びです。
あなたはこの世界が喜びのために存在しているということを知りましょう。
この世界で幸福を得るためには、人格の向上というものが欠かせません。
人格が向上するほどに真の自由を得ることができるでしょう。
人格が伴わなくても、多くのものを所有することはできます。
しかし、多くのものを所有しているからといって、自由と幸福が得られるという訳ではないのです。
幸福への道ははそんなに簡単なものではないのです。
様々な経験に対して、それを正しく理解し、感謝を以て受け、また返すことがなければならないのです。
感謝して受けるほどに、そこには多くの愛があるということを理解しましょう。
否定は愛ではないのです。
不満も不安も苦悩も苦痛も、愛ではありません。
どのようなものに対しても愛を見出し、人格の向上、魂の成長を実現しましょう。
人格が高まれば、幸福に近付くということを覚えておきましょう。
道に対して優れなければならないということを忘れてはなりません。

2014年10月1日水曜日

認識に頼る者

認識によって、すべてを判断してはなりません。
あなたが得ることのできる認識は、あなたの認識の及ぶ範囲のものだけであり、それ以外を認識するには至りません。
この世界は広くて果てしないのです。
あなたの認識が及ぶ範囲など、高が知れているのです。
あなたは自分自身のことすら知りません。
他人のことはそれよりも知ることができません。
知っていることは少ないのです。
光や音や物体でさえ、認識することができないレベルのものが存在しています。
存在しているものでさえ、認識することができないのです。
物陰に隠れているものがどのような動きをしているのかすら、あなたには分からないのです。
存在しているものすら理解することができないほどの認識の、どこに信頼性があるというのでしょう。
あなたの認識ほど不安定なものはないのです。
不安定なものを頼るのであれば、互いに傾いて倒れてしまうのです。
認識は信頼に値しません。
あなたは認識によってすべてを判断してはならないのです。
他人がそうだと言うのであれば、それは正しいのです。
他人の認識は、他人の認識として正しいということを覚えておきましょう。
あなたには他人の認識を実証する権威がありません。
あなたには分からないことなのです。
そのため、他人を批判してはなりません。
他人の言うことを軽んじてはなりません。
それが倫理に従っているとか、それに反しているとか、そのようなことは重要ではありません。
すべての人は、自分自身の認識に従って人生を築くのです。
正しく認識する者は、より正しくなります。
間違って認識する者は、尚間違っていくのです。
あなたはそれを食い止めてはなりません。
また、それを食い止めることはできません。
あなたの認識が及ばない範囲が存在しています。
すべてのことが、魂の成長のために存在しています。
人が正しく行って喜びを得るのは、魂の成長に対して喜ぶことが必要であるのです。
人が間違いを行って苦しみを得るのも、魂の成長に対して苦しみが必要であるからです。
不要なものは何一つとして存在することはありません。
必要でないものは、存在することを許されないのです。
あなたの考える、また信じている正義は、あなたの認識の範囲に収まる正しさです。
しかし、この世界にはあなたの知らない正義もあるのです。
自らの認識(正義)を振りかざしてはなりません。
真に正しいのは「神」だけなのです。
この世には正しい人は存在しません。
天の世界にも正しい存在はありません。
正しいのは「神」のみであるということを知りましょう。
人は苦しみに会います。
それは、「神」の作ったルールである真理に基づいて導かれる当然の結果です。
それは魂の成長のためだけに作られたルールであるのです。
苦しみを受けるのは魂の成長に必要であるからです。
それなのに、認識に頼っている者はこのことが分かりません。
認識に頼っている者は、自らが正しいと思い込んでいるのです。
そのため、どのようなことに対しても自らを正当化するでしょう。
自らを正当化するために自分の認識の中に正義が芽生えるのです。
認識に頼ることのない者は、正義を振りかざすことはありません。
それは、すべてが正しく導かれていることを知っているからです。
自らの認識の外にあることに対しても、それを理解しようと努めるのです。
人は未熟な存在です。
認識の及ぶ範囲は狭いのです。
しかし、この世界は広くて果てしがありません。
そのことを理解し、認識に頼ることなく、世界を優雅に歩みましょう。