人は謙虚に生きなければなりません。
	
	傲慢に生きてはなりません。
	自分自身を過大に考えることが恥ずべきことであると理解しなければならないのです。
	人は誰であっても未熟です。
	未熟であるがために、人生において苦しんでいるのです。
	苦しみを抱えない人はいません。
	それは、苦しみによって学ばなければならないからです。
	人は自らの未熟さを克服するために生まれてきたのです。
	人は魂の成長のために生きているということを忘れてはならないのです。
	完成している人はいません。
	生きているすべての人が未熟であり、学ぶべきであるのです。
	謙虚な者は学びを得ることができます。
	それは謙虚であるが故に、学び取ろうとするからです。
	謙虚さを忘れ、傲慢に生きている者が学ぶことはありません。
	自分が偉いと考えているために、そこで打ち止めであるのです。
	人は決して偉くはありません。
	あなたは自らの傲慢に気を付けなければなりません。
	あなたは偉くはないのです。
	あなたは最後の最後まで未熟であるのです。
	あなたは人生の目的を知っていますか?
	人生の目的を知っているのであれば、選択に迷うことはないでしょう。
	しかし、あなたはいつも迷っています。
	あなたは自分が何者であるのかを知っていますか?
	あなたが自分が何者であるのかを知っているのであれば、自分自身を嫌い、他人を嫌うことはないのです。
	しかし、あなたは自分自身を嫌い、他人を嫌っています。
	そのために、争いが生まれるのです。
	人は人生が何であるのかを知りません。
	自分が何者であるのかも知らないのですから、自分が生きている人生が何であるのかなど知る由もないのです。
	自分が何者であるのかも知らずに、どうして自分が偉いのでしょう?
	あなたは自分自身が何によって活動しているのかも知らないでいるのです。
	あなたの心臓を動かしているのは何ですか?
	あなたには答えられないでしょう。
	知らないことが多くあるにも関わらず、どうして傲慢に生きることができるのでしょうか?
	自分が偉いと思い込んでいる人は、人生に対して我を通そうとします。
	思い通りに行かなければ心を乱します。
	誰かや何かが悪いとして争うのです。
	それのどこが幸せなのでしょうか?
	自らが未熟であること、謙虚さを忘れることなく、感謝の気持ちを以て楽しく生きる方が幸せであると、あなたには理解することができるでしょう?
	ならば、そのようにしなければならないのです。
	あなたは小さな存在です。
	しかし、自分自身では大きな存在だと思い込んでいます。
	傲慢に生きるのがその証です。
	自分が偉いなどと考えてはなりません。
	自分自身が何者であるのかも知らないのです。
	それなのに、偉そうに振る舞うものではありません。
	それくらいの羞恥心は持たなければならないのです。
	いつまでも井の中の蛙(かわず)であってはなりません。
	広い世界を見ましょう。
	小さな地球の、小さな島の、小さな人間関係の、小さな愚か者であってはならないのです。
	あなたは小さな存在だということを心に刻んでおきましょう。
	しかし、自信を無くして生きろというのではありません。
	自らの立場を弁(わきま)えながら、精一杯に貢献するのです。
	上には上がいます。
	小さな世界をすべてだと思い込んではなりません。